2012年5月31日木曜日

5月、聖母月も終わる。母親が懐かしい。祈る姿が残る

母親、遠い人ですよ。生きていたら、112歳。昔の人なのに、忘れない。母の思いはタマシイの中に、刷り込まれて生きている。おかしいですね。母親からお乳といっしょに信仰を与えられた。電子板書で、北朝鮮の生まれ育った町の地図を見た。なつかしい山、川、昭和通り、学校、駅など、地図に残っている。北朝鮮の北部は貧困、貧しいとテレビで報道されているが、私の住んだ町は、家々の並びから普通に思えた。この町で、浦上出身の母親は、独り黙々とカトリックの朝夕の祈り、大斎、小斎の務めを忠実、熱心に果たしていた。その真心のある姿を忘れない。人生に大切なものは何か。この歳になってタマシイに残るのは、母から受けたカトリックの教えではないか、それだけを今は見詰めている。人生は決して平坦ではない。修道士とて、迷いもあれば、闇もある。良心に反した行動も行なった。しかし今はすべてを受け入れる。つながりですよ。母につながり、神につながる。つながりが、大事と思います。今朝、聖務日課で祈りました。「あなたがイキを吹き込むと、人は生きるものとなる」。母につながるイノチ。原爆の朝、別れた母親に、今でも会えるか、本当に、つながる母親に会いたいと思います。

2 件のコメント:

  1. 元日のエリザベット2012年5月31日 10:21

    修道士さんの本に何度も出てくる、お母様との突然の別れの場面は、読むたびに、辛さ・苦しさが伝わってきて、涙が出ます。
    そのお悲しみに寄り添えるような言葉は、簡単には見つかりませんが、今朝、一生懸命考えたのは、
    「17年という短い間でも、子供の心に立派な教えを残せた
    お母様は、母としての務めを全うされたのではないか」
    ということです。
    お母様は、年月を経て、今なお子供に、大切な存在として思い起こしてもらえて、うらやましいです。
    お母様につながっている命を、大切にして下さい。

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  2. 母が亡くなり、住む人の居なくなった実家を空家にするために整理しました。
    何もかもが父母への思い出に繋がって決心も鈍った時、「私たちのこの体が、父母が残してくれた最高のものだから、形見の品は?と思った時は自分の手を見ればいい」と姉が言いました。
    何歳で失っても、また自分が何歳になっても親は恋しいですね。

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