2018年1月16日火曜日

聖ベラルドの記念日。沖縄の押川司教さまの修道名

今朝、朝食のときに、瀧神父さまと「今日は、沖縄の押川司教さまの修道名のお祝い日だね」と話し合った。聖ベラルドと同志殉教者の記念日です。押川司教さまは「ベラルド」が修道名です。フランシスコ修道会の最初の殉教者たちで、モロッコで殉教して、イタリアの港へ帰還した。その光景を目の当たりに見て、アントニオがフランシスコ会に入会した。有名なパドアの聖アントニオとなった。聖人が、聖人を創るのです。
★写真を見つけました。去年の11月、聖母の騎士で、修道者たちの金祝のお祝いが行なわれた。ベラルド押川司教さまも叙階・金祝を祝われた。お祝いを受けて喜ぶ司教さまです。「司教さま、今日は、おめでとうございます」。お歳を召されて、最近、沖縄の司教を引退された。新しい司教さまも発表された。写真・中央は、もとホームの園長の古川神父さまです。沖縄で宣教しておられる。その隣は、ホームの職員さん。
★沖縄には思い出があります。毎年、正月の休暇には訪問していた。特に最後の4年前の正月は、ブログ(日記)にも載せている。瀧神父さまと食事しながら語り合った。司教館や、教会は、とても良い場所にある。モノレールから直ぐ近くに十字架が見える。司教館には、小さな、アイキョウのあるイヌが居て、教会に来た人を案内してくれる。司教さまが可愛がっている。「名前は、ピカ」「ピカって、アシジの聖フランシスコのお母さんの名前でしょう?」。リッパな名前をもらって光栄と思ったよ。ピカちゃんは元気だろうか。私も、もう1度、沖縄へ行きたいと思う。

2018年1月15日月曜日

古い写真。修道士たちの食事の風景。なつかしいね

何年頃か、わかりません。長崎・聖母の騎士修道院の食堂での風景です。私も、その中の1人でした。皆さん、修道士で、写っているだけで、8人が居る。あの頃は皆、若かった。若いとは、熱情があった。激しく燃えていた。でも、皆、仲が良かった。印刷所、受付、炊事場、洗濯場、畑で働く者など、修道士の仕事に専念していた。
★皆、神さまの声を聞いて、導かれて、この道に入った者たちです。朝は5時に起きて、夜は10時には眠る。厳しい規則の生活でしたが、幸せでした。神さまと共に生きている気持ちがあったからです。冬でも暖房はなかった。若さは寒気にも強い。
★食事の前後には、1列に並んで、ラテン語で祈りを唱える。食卓に付くと、1人が読書台で読書を初め、それを聞きながら、黙って食べる。院長さんが、小さな鈴を「チリン」と鳴らすと、沈黙が解けて、話し出す。院長がポーランド人の時は沈黙が多かった。しかし院長の好物の食材、例えばポーランドのチーズなどが出ると、必ず沈黙は解けた。笑ったものだよ。修道士は、いろんな所の産物だからね。話題が多い。平戸、五島、長崎は勿論、関西や、名古屋や、福井からも来ていた。正月になると、福井から「手つきの餅」が送られてきた。これが旨かったね。
★時代は流れ、人は変わるね。今、この中で生存しているのは、2人だけかな。手前の食卓にはポーランド人の修道士たちが居たが、今は皆、天国です。ポーランド人も、日本人も、いや、楽しかったよ。あんな時代が又、来るだろうか。
★ホームの教会では、毎朝、ミサ後と、午後の共同のロザリオのとき、「司祭、修道者の召命を求める祈り」を捧げています。昔の時代は、良かったね。懐かしい。

2018年1月14日日曜日

年賀状で思い出した歳老いた女性の「愛の話題」

今年の私の年賀状です。ホームに居ても、若干の年賀状を出した。私に届いた賀状は、56枚でした。ホームに居れば、やはり忘れられた老人になるのは当然でしょう。人のために尽くす、奉仕する働きがないのですから。そう考えると、この先、人生、やはり寂しい。
★朝食のとき、瀧神父さまが「あした、楽しみ、だな」と言った。「どうして?」「年賀の抽選会があるから」「切手しか当たらないよ」「切手の他に、当たった事がある」。嬉しそうに笑った。楽しみがあるのは、いいことです。
★今年の年賀状に、心引く2通があった。1通は「20年ほど前、長崎にて小崎修道士の語り部をナマでしっかりと受け止め、浦上天主堂に導いて下さいました。書物もすりきれる位、愛読しています」と嬉しい便り。20年も経って忘れないのは喜びでもある。
★もう1通は、「シスターMが天に召され、少々さみしく存じます」と1行記してあった。シスターMといえば、私には思い当たる事がある。「ああ、そうか?」と自著「ドキュメント・キリスト信者」を開いた。「ねこ同居」の題で載っている。古い以前の記事だが、歳老いた女性を書いている。朝の目覚めから、着物を着て、家庭祭壇で亡き主人の写真に祈る。次に雨戸を開けると、朝陽が差してくる。愛猫のチャムが寄って来る。そこから彼女の一日が始まる。子供は男1人、女4人居た。息子は終戦直後、若くして結核で亡くなった。病床で洗礼を受ける。女性が洗礼を受けたとき、三女を身ごもっていた。この子が、もし女なら、「マリア」と名づけたい。当時は、そういう名前は付けなかった。それに近い「M子」とつけた。その子がシスターの道に進むことになる。天に召されたのは、そのシスターであろう。
★歳老いた女性の生き甲斐は、毎日の新聞を丹念に読んで、「愛の話題」を見つける作業であった。切り取って集めて、カトリックの「愛」誌に送った。愛誌は季刊誌だが、32号にわたって載っている。殺伐とした時代に「愛の話題」を載せたのは、愛誌の特徴とさえなった。私は、記事を書くため、その女性に会いに行った。シスターMの話も聞いた。愛の話題も時代と共に変わってきたと言っていた。
★物資欠乏の時代は、物や金銭の寄付は歓迎された。世の中が豊かになると、やがてシラケの時代になり、心が尊重される。植木屋が、選定の木に小鳥が巣を作ったが、切るべきか、切らざるべきか、心は揺れる、そんな話も好まれた。
★愛は神の心で慈しむもの、愛の話題は忘れてしまった「心」を取り戻すことといえよう。歳老いた女性は、10年後、神に召された。15日目に愛猫チャムも死んだ。

2018年1月13日土曜日

ボケないように手を足を動かせ。自己でガンバレ

月に1度、「コーラス」がある。コーラスと言っても、皆んなで、声を合わせて、美声を張り上げる歌ではない。20人ほどが参加している。必ず、「タオルを持って来てください」と言われる。先ずは、「今日は、何月何日ですか?」から始まる。余り日にちは気にしていないので、とっさに、出ない時もある。次いで、タオルを使って、軽くカラダを動かす。タオルを両脇から鷲づかみにしたり、大きく開いて舞わしたり、これが結構、運動になる。「海は広いな」とか、「もし、もし、亀よ」とか歌いながらリズムに合わせて動作を行なう。これが老人にはタメになる。半ば頃、ヤクルトが配られる。水分補給だ。細かい心遣いもある。最後は、「幸福ですか?」の問いかけか、「ハァーイ」の返事。「幸せなら」の歌が唄われ、手、肩をたたき、足をならし、そして隣の人と手をつなぐ。これが笑を誘うのだ。認知症、ボケにならないように、自己鞭撻も必要だ。行動や歌は幼稚に思えるが、何のその、必ず参加している。
★今日は午後から、歯医者さんへ出かける。帰りは遅くなるでしょう。

2018年1月12日金曜日

遅まきながら「書初め」。平和なホームの生活です

「書道」の日。遅まきながら、書初めです。わざわざ女性の先生が来て下さるのに、習う者が少ない。男2人に、女性2人が参加した。他に高原修道士も加わった。男性の1人は、小学校の時から「書き方」は好きだった、と見事な墨字を書いている。書くのを楽しみにしている。何でも進んで取り組む事があれば幸せだ。私は、「百壽」や「大寒」などを書いた。「せり、なづな、ごぎょう、はこべら、ほとけのざ、すずな、すずしろ、これぞ七草」と手本通りに書いて、七草を覚えました。書道は10時からです。朝食が終わると、直ぐに入浴をした。午後からはベッドで休む。安らかなホームの生活です。争いもない。故・中島神父さまが使っていたマットは、夜、寝るとき、電気毛布がなくても、今年は温かい。
★昨夜、昌子さんから「フランス語の訳」について電話があった。何とか、うまく、行くらしいです。期待しています。ジャムさん、待っててね。

2018年1月11日木曜日

田舎ぜんざい、食べて、ホームで暮らす幸せ味わう


テレビでは、シベリアから今年初めての寒波が下り、東北地方は、1m、2mの大雪が降った。長崎地方も「雪」の情報は流れていたが、ごらんの通り、ホームの窓から見ると、各屋根に、白い粉のような雪がパラパラと降っている状態でした。陽が登ると、解けてしまった。
★今日は「鏡もち開き」だそうで、ホームの昼食に、「田舎ぜんざい」が出た。「ぜんざい」なんか、中々食べないので、お替りをした。他に、焼きうどん、たくわん、があった。お正月も、これで終わるか。ホームで暮らす幸せを味わう。

2018年1月10日水曜日

「トマさんのことば」。フランス語版が出来るか?

昨年の夏、7月の終わり、フランスから1人の男性がやって来た。ジャム・ブリュノさん、47歳。トゥールースに住んでいる。ルルドに近い都市だ。「なぜ、わざわざ訪ねて来たの?」「3年前、夏休みに、聖コルベ館へ行った。小崎さんは丁度、出かけるところでした。それでも短い時間でしたが、冷たい飲み物を一杯下さった。その後、ホームに入ったとブログで読んだ。お祈りして、今回の長崎の旅で恩返しをしようと来ました」
★職業はエンジニア。仕事の都合で、3年間、4年間と、日本で暮らしている。奥さんは日本人。2人の子供も居る。奥さんが難病に罹って、2012年7月に、50歳で神に召された。それから生き方、考え方が変わった。「苦しみから、恵みを探すのは難しい」「教会のため、奉仕したい、それです」。ジャムさんの言葉です。彼は又、こうも言った。「聖フランシスコ・ザビエル、聖コルベは宣教に挑戦した。自分の命を捨ててまで、キリスト教を守り通した。自分の命より、死んだ後の皆さんの魂が大事です。生きている人と死んだ人と、つなげている。小崎さんの『長崎のコルベ神父』『信仰の出会い旅』を読みました」。仕事柄、各国を周っている。「世界を回って、人と出会う。心と、心を、つなぐ」「つなぐためには、何が必要ですか?」。即座に答えた。「エガオ、ですね。笑顔は心の窓口です。笑顔になるには、心の余裕が必要です」。別れに、「トマさんのことば」を贈呈した。
★笑顔を残したジャムさんは、その後、小瓶に入ったルルドのお水を送ってきたが、この度、フランスで「トマさんのことば」を出したいと、フランス語の訳文を送ってきた。A4に6ページ。完全な訳文にしたい、と書かれていた。私は、日本人のためのルルド案内専門のガイドさん、昌子さんを知っているので、訳文を送って相談してみた。昌子さんのフランス語の先生に、フランス人が居るので、先生に相談してみましょう、との返事を得た。「ジャムさん、今日、あなたに手紙を送りました。1週間程で着くでしょう。完全な訳文に仕上げましょう」
★何か、今年も、いいことが、起こりそうな気持ちがする。

2018年1月9日火曜日

「9」の日は両親のためミサで祈ると瀧神父さま

父の写真です。これ1枚しかない。今朝、朝食の時、瀧神父さまが食卓に来た折をみて、「今朝は、ありがとう」と礼を述べた。「9」の日には、ミサの意向で、トマの両親のため祈ってあげるからな、と以前、言っていた。「お父さん、お母さんの名前は、何だったかね」「トマ・松吉、クララ・ワサ」。父は、3月に病死し、母は8月に原爆死する。「同じ、9の日って、ふしぎだよね」。父は昭和10年、46歳。母は昭和20年、45歳の人生だった。
★以前は、カトリック教会では、亡くなった煉獄の霊魂のため、本当に沢山の祈りを捧げていた。犯した罪は赦されても、ツグナイ(償い)がある。これが消えるまで、魂は煉獄の苦しみを味わっている、そう教えられて、死者の霊魂のため祈っていた。また死者の霊魂の救いのために、司祭にミサをお願いして、ミサで意向を立てて、お祈りを捧げて戴いていた。「煉獄の霊魂を助ける修道女会」まで有ったほどだった。今は、煉獄のことは殆ど語られない。死者と私たちは、つながっている。それは教会の教えです。
★亡くなった死者にため、忘れずに祈りたい。浦上信者の老いた女性は、つぶやいた。「生かされているからには、死者のため祈るのは、勤めタイ」

2018年1月8日月曜日

3年前に来た女性が、フィンランド男性とホームへ


人の人生、環境、生き方は、3年も経てば、ずい分と変わるものですね。この度の出会いは本当にオドロキでした。左は、3年前、2015年4月に、ホームに突然、レンタカーで訪ねて来た直美さんです。鹿児島に住んでいる。東京で、大学を出て、就職もしたが、精神的に前に進めなくなった。その時、出会ったのが聖書で、パウロの言葉でした。洗礼前に、長崎・教会巡りのツアーに参加した。聖母の騎士のルルドに感動する。今度は、長崎・一人旅。トマさんの本を手にして、長崎・五島・ポーランドへも出かける。もちろん一人旅。「エライなァ」と感心した。「苦しみの吐け口は、マリアさま。イエスさま。全部、話します。両親に言わないことも、ご像に向かって話します。信仰、あった時、違った。イエス、マリアが、いつもソバに居てくださる。神の愛、好きになった」。直美さんに出会ってから半年が過ぎた。「結婚しました」と、しかも「フインランド」から手紙が来て、又ビックリしました。
★そして、2日前です。午後、教会で共同でロザリオを祈っていると、事務長さんがソバに来て、ささやいた。「フィンランドからのお客さんです。大勢、来ています」。それが右側の写真です。赤いセーターが直美さん。その隣、背が高い男性がダンナさん。フィンランド人。直美さんの鹿児島の両親。瀧神父さまも。同行の若い女性も。応接間で話は尽きなかった。メールのやり取りで結婚へ。思い切った人生を選んだ、若いって、いいなァ、と羨ましくなった。フィンランドは人口500万人(聞き違いか?)。戦争の無い国かと思ったら、ドイツ、ロシアに攻められた歴史もある。会話も夢のような話だった。
★とにかく、ビックリ仰天の直美さんの生き方、それを愛で取り巻く皆さんでした。心温まる日となりました。

2018年1月7日日曜日

天草の話。昔、ホームには、由緒ある女性が居た

長崎・聖コルベ館を出て、ホームで4回目の正月を迎えているのに、聖コルベ館へ年賀状が届く。その年賀状を手にして、大野神父さまが自室に来た。10枚程あった。滝神父さまの分も一束あった。大野神父さまは、聖母の騎士修道院で、修道会の修練長を勤めている。私の部屋を見回しながら、「母も、(県外の)ホームで生活している。元気で、92歳になる。1月に誕生日がくる」と言った。「ところで、コルベ師の映画、見ました?」「いや、丁度、その時、天草の巡礼に行っていた」「それは残念でした」「天草の教会巡りは良かったよ」。スマホで写真の数々を見せてくれた。私にとって天草は親しみのある懐かしい土地だった。大野神父さまは長居をせずに、瀧神父さまの部屋へ行った。短い時間で、お別れした。
★天草に付いて、少し書きたいと思う。1957年・昭和32年、当時の聖フランシスコ園に、山野キマさん(78歳・旧姓三宅)が入居していた。キマさんが言うには、自分は明智光秀の13代目と自称する。光秀の家臣に、安田佐兵衛が居て、光秀が滅亡した後、佐兵衛は秘かにガラシアの弟、左馬介を伴い、九州に逃れた。その一子が三宅藤兵衛で、彼は出世して天草富岡城の番代となる。三宅藤兵衛は、島原の乱の際、天草四郎軍が攻めて来て、本渡で合戦となり、戦死した。藤兵衛の子孫は、その後、熊本本家と、島原移住の2つに分かれたが、キマさんは島原移住の子孫で、旧姓は三宅で医師の家で生まれた。彼女の持っている系図も見せてくれた。
★キマさんはホームで静かに生活しているが、長崎・シスターの学校で学び、看護学校、師範学校でも学び、日露戦争では看護婦で従軍も果たした。その後は女学校の教師も勤める。結婚して、山野の姓に変わった。秘めた生活をした人がホームでは暮らしている。
★私は、昭和32年8月に、キマさんの話を元に、天草に旅をして、三宅藤兵衛の墓参をした。本渡には「殉教戦激闘之地」の碑が立っていた。近くの店で「天草四郎おこし」を売っていた。あの頃は、終戦12年目頃だから、時代は古く、有名なガル二エ神父の、賄いをした「茂助」の養子、森口等さんにも会えた。切支丹遺物を持っている山下さんにも会った。大江には地蔵が多く、天草の乱時代の庄屋の家も残っていた。あの人たちは、今も健在であろうか。

2018年1月6日土曜日

誕生会に新年会。獅子舞も出た。長崎和牛のすき焼き


待っていました、誕生会と新年会。昼食時に、一緒に祝い、盛り上りました。1月生まれは8人です。その中に、なんと、1月1日生まれの西山達也神父さまが居られます。「ハッピーバスデイ」。皆さんが歌と拍手で祝う中、山内園長神父さまが、お花とおミヤゲを持って、誕生者の所へ1人、1人、配ります。今年の誕生会のトップは西山神父さまでした。写真には写っていないが、この後、西山神父さまに喜びの笑顔が見えた。
★新年会も一緒です。出ました。例の大きな「獅子舞」の踊りが湧かせました。獅子は、ハゲ頭も、白髪アタマも、大きなお口で噛んでいく。噛まれたら、長生きできるよ。ボケなくなるよ。新年会らしい雰囲気は最高にありました。
★食事は、3組に分かれる。好みに従って、「牛肉のすき焼き」「豚肉のすき焼き」「お魚の鍋」でした。トマの隣の席に大曾神父さま。特別食。次に瀧神父さま。栄養師さんが笑顔で言った。「長崎和牛の上等ですよ」。霜降りのある牛肉でした。4人で2パック・ケースの牛肉。おいしく戴いた次第です。


2018年1月5日金曜日

笑って暮らそう。笑えば福も来る。長生きも出来る



午後の体操が終わって、食堂へ集った。「福笑い」。今年も大いに笑おうじゃないか。笑えば心も軽くなる。楽しくなる。急いだって、仕方がない。ホームはゆっくり生きる所だよ。先ずは職員が手本を示す。「こー、やって、あー、やって、マユをつける。目もつける。ホッペタは、どこかな?」。女性が上手にやった。次は瀧神父さま。神父も合わせて頑張った。上手やったよ。次は、ボク。出来具合はどうかな。うまく行かないね。それでも、ピィースだよ。
★次に職員3人で、食べるゲームをやった。椅子に座って、後ろに、もう1人。上着を被って、手を出して食べさせる。最初は、長崎有名店のカステラだよ。ゼイタクだな。その後で女性職員がカップ・ラーメンを持ってきた。これを食べさせるのには苦労していたね。緊張が解けて、笑いが起こる。そうだ、そうだ、仲良くやろう。人も、国も、仲良くなれば平和になるのに、なぜ実現しないのだろう。今年こそ、誰の心にも福をもたらしたい、そう願って、小さな集まりを終わって、教会へロザリオに行った。

2018年1月4日木曜日

白浜さんが来る。浦上四番崩れの話を語り合った

正月休みに、長崎の白浜さんが自室に来た。聖母の騎士の「ルルドのお水」10本と、ブログ(日記)をA4の紙に起こした冊子を持参する。白浜さんは、ルルドと、修道院の屋外の仕事をしている。上五島の出身で、金沢で長年、働いていた。
★今日の話しは、「浦上の信徒でも、『浦上四番崩れ』を知らない者がいる。残念だ」から始まった。白浜さんによると、金沢は加賀百万石で、526人の浦上信徒が流配された。現地で食料不足や「はやり病い」で、105人が亡くなった。この信徒達の事を忘れてはならぬ。金沢に殉愛キリスト教の牧師さんが居て、熱心に高山右近を研究し、教会内に資料館も作っている。牧師さんは聖コルベ館にも、7、8人の信徒と共に、見学に来た。こんな感心な人もいる。
★確かに、こられの先祖達の殉教の話は、親が子どもに伝えて行かねばならない。私が始めて浦上受難の記事を書いたのは、1957年・昭和32年8月、戦争が終わって12年後だった。この時、86年前にさかのぼる、とある。3413人が流された。その年の5月26日に、流配記念祭があったが、男子1人(84)、女子3人(92)(88)(87)の4人が生存していた。私はその信徒たちを写真に撮った。名前も分かっている。土佐藩、鳥取藩、紀州に流された人たちだった。現地で生まれた人かも知れない。当時は80代といえば、高齢者であった。
★私は、白浜さんに言った。「流配から帰って、何十年か、経ったとき、記念碑を浦上天主堂に建てた。それにはラテン語で『神の仕業によって、苦難を受け、帰郷できた』と書かれている。永井博士は、その精神を基本に、『神の摂理』と受け止めたのではないか。浦上の復興が、どこの被災地よりも早かった」

2018年1月3日水曜日

食事会で語る。年賀状と挨拶の話。盛り上がった

修道院での新年・夕食会です。高原修道士さんが写したので、全部で6人居ります。ワインで乾杯、サシミ、すき焼きでお祝いした。食べながら、私は、「教区の大山神父さまから年賀状をもらった。教区の神父さまから貰ったのは初めてだったよ。大山神父さまは今、黒島教会に転任している」と言うと、黒島出身の山内園長神父さまは「オー、そうか、よかったな」と、凄く盛り上って喜んでいた。話題は大山神父さまに及んだ。信仰・司牧に熱心な神父さまで、在世フランシスコ会員でもある。高校生のため問答式の要理の本を書いた。「あれは、いいね」「あのような問答式の説明は、信徒のために必要だ」など言葉が出た。大山神父さまは、黒島の前は黒崎教会にお勤めで、私の出身の教会でもあり、私の誓願金祝を黒崎教会でお祝いしてくださった。
★もう1つ、私は皆さんに知らせる事があった。大晦日の夜、自室の戸を「トン、トン」と叩く者がいる。「どうぞ」と言って、戸を開くと、隣の部屋の男性さんが、「今年は色々お世話になりました」と挨拶された。私は、びっくりして座っていた椅子から飛び上がって、戸に近寄って、「ご丁寧に、こちらこそ。お隣り同士だから仲良くしましょう」と、あわてて応じた。年末に、隣の人に挨拶する習慣は、これまで修道士には無かった。先を越された感じでした。すると30分ほど経つと、また「トン、トン」と戸を叩く。「どうぞ」と応じると、今度は、若い男性職員さんが部屋に入って来て、(畳代わりの)ゴザに、ヒザを折って、三つ指ついて(言葉は覚えていないが)「来年もよろしく」の意味を告げた。「これにも、びっくりしたよ」と修道院の皆さんに告げると、園長さんは「ハ、ハ、ハ」と手を叩いて喜んでいた。「男性職員は、わたしの部屋にも来たよ」と瀧神父さま。元日の朝、ミサから帰るなり、隣の男性さんに元気よく「新年おめでとうございます」と大きな声で挨拶した。こころ、すっきりです。
★楽しい語りの食事会だった。ただ部屋の温度が低く、体がブルブル震えた。ホームの自室に帰ると、温かい部屋で、「いまのボクには、ホームが慣れて、いいな」と思った。

2018年1月2日火曜日

「はな・ちゃん」来たよ。夕食は隣の修道院で戴く

「はな・ちゃん、おめでとう」。ホームに勤める絵里さんが、「はな・ちゃん」を連れて来た。3月2日が誕生日です。この日が来ると、満2歳になります。毎日、保育所へ連れて行く。寂しいけれど、はな・ちゃんは喜んで、保育所に溶け込んでいます。保育所はホームから車で3分。迎えに行くと、持っていた人形、オモチャとお別れして、お母さんの処へ飛んでくるそうです。ホームの事は、「ジィージ。バァーバ」。確かに、爺さん、婆さんです。はな・ちゃんが育つのが楽しみです。「育つ」というのは、それだけ当方が歳を取っていくということです。
★朝食がすむと、直ぐ入浴した。初風呂になる。その後、教会で、昨日亡くなった女性の葬儀と告別式があった。山内園長神父さまは、「11年勤めるが、お正月にお通夜で、お葬式をしたのは今回が初めてだった。23年、ホームに入居して、女性は家族同然だった。神さまのお恵みを感じる」と話した。ホームで逝くのは本当に幸せだと思う。
★夕食は、隣の修道院の会食に呼ばれている。瀧神父さまと一緒に参加する。6時から教会の祈りを修道者で唱えて、それから食堂へ行きます。楽しい夕食になるでしょう。新年会です。

2018年1月1日月曜日

新年・平成30年・2018年・戌年。おめでとう

新年おめでとうございます。元日。教会では「神の母・聖マリアの祭日」であります。また「平和祈願の日」でもあります。
★いつもの通り、4時40分に起きました。身なりを整えて、廊下から屋外へ出ると、15夜らしい見事な月が山に落ちかかっていました。5時40分から「教会の朝の祈り」が全員で始まり、6時からミサでした。司祭から「マリアさまを通しての平和」のお説教がありました。テレビを見ても、今は真剣に平和を願う時です。
★ミサを終わって、ホームの廊下を通ると、部屋の前に数人の職員が居て、「いま、93歳の信者女性が神に召された」と教えられた。元日に亡くなる女性も居ります。70歳の時に、上五島から入居して、23年、ホームでの生活でした。入所当時は勿論お元気で、農作業などもされていた、と聞きました。元日に、神の母聖マリアの祭日に神に召されるのは、喜びでしょう。
★初日の出は見れるか、と窓から海を眺めると、海の上に灰色の厚い帯が伸びていました。海から上がる初日の出は見られない、と写真に撮るのは諦めました。
★10時から、ホームの利用者のための新年のミサが行なわれました。ホーム外の信徒も大勢祈りました。ミサが終わって写した写真です。毎年、この場で写しております。
★11時30分から新年の昼食(お祝いの会食)がありました。全員が集り、「君が代」を歌い、「年の初め」を2番まで歌いました。皆さんは、この2つの歌で育ち、大人になり、苦労した「背中に大きく通った柱」のような歌です。お屠蘇を戴いて、お雑煮を食べた。これが午前中の出来事でした。
★午後、しばらくベッドに休んだ後、パソコンに向かいました。皆さま、今年もよろしくお願いします。いま、アナウンスがありました。「3時から、教会で、お通夜を行ないます」。それでは教会へ参ります。祈ります。