2018年12月13日木曜日

長崎へ。診察。荒木教授との出会い。哲さん美樹さんにも会う

定期の診察。長崎・ヨゼフ・クリニックへ出かける。朝食は、湯江修道院で食べる。パン、牛乳、リンゴ少々。高原修道士の運転で、ホームを出る。
★午前9時には、クリニックに着いた。待合室に、待つ人、2人。早めに診察室へ呼ばれた。高木先生に、「血尿のこと」「来週、ステントの入れ換えで、入院すること」など告げる。先生には、いつもお世話になっているのに、年末のためか、反対に白い封筒を渡された。「ありがとうございます」
★クリニックから聖母の騎士へ向かう。聖コルベ記念館で、千草さん、蓉子さんのお世話で、荒木先生にお会いした。長崎純心大学の人文学部の教授。カトリック信者でもある。「平和をテーマに研究」されている。永井隆博士の研究。私は、荒木先生にお会いして、コルベ神父の学問的研究を願った。コルベ神父の日本語での論文は全く出ていない。私が長年、収集した資料、テープ、写真などがあるので、それらを参考にして、学術的な枠組みは出来ないでしょうか、希望を伝えた。
★長崎=原爆=平和=コルベ神父。ポーランド=アウシュヴィッツ=平和=コルベ神父。コルベ神父は両方に関係している。私の、被爆体験と、コルベ神父の愛の身代わり、そこに真の平和への証がある、と先生に語った。聖コルベ館の資料室も見てもらった。荒木先生との面会は、有意義な時間でした。
★聖コルベ館で、野々村哲さん、塩沢美樹さん、2人にも出会った。2人には、別のお願い事をした。
★12時頃に終わり、ホームへの帰路に高原さんと昼食をとった。2時過ぎにホームへ戻ったが、疲れました。今日は、少々、ムリをした感じがします。

2018年12月12日水曜日

度々の血尿ショック。こうなったら、もう、お任せします

血尿したのは、何年ぶりだろう。2006年、初めての血尿ショック。腎結核と診断された。強烈な薬害で、やる気の喪失感、不眠、高血圧に苦しんだ。2009年、また血尿のショック。ボウコウ・ガンと宣告された。入退院を繰り返し、強烈な治療で苦しんだ。2012年、尿が全く出なくなる。ピンチだった。腎臓の異物を取る手術をしたが、ダメ。そこで「ステント」を入れ始めた。その後は、定期的に、ステントを入れ替えるだけで、健康は安泰であった。
★2018年・年末、今度の血尿ショックは思いもかけず、突然の出来事だった。こうなると「あきらめ」とうか、「どこまで行くんだ」。そんな気持ちがした。
★諫早総合病院で、尿検査の表を、泌尿器科・受付に出して待った。待合室には10数人が静かに診察を待っていた。高原修道士さんに「飲料水を買ってきて下さい」と頼む。水分を充分に取りたい。診察は呼ばれるまで長い時間、待った。2度、トイレに行く。2回とも、血尿はなかった。気分が楽になる。
★やっと、お医者さんから名前を呼ばれた。3室で診察がある。一番奥の診察室だった。主治医先生は、尿検査の結果をみて言った。「膀胱炎です。薬を飲んで下さい。ガン、潰瘍など詳しい検査は、今日の尿から調べます。ステントを入れているので血尿も起こり得ます。来週は入院ですよね。心配なら今日にでも入院しても構いませんよ」「いいえ、いいです。膀胱炎と先生がおっしゃるなら、様子をみます」
★トマは疑い深いので、帰りのクルマの中で、色々余分な事を考えた。「これまでステントは入れているのに、なぜ血尿は無かったのか。1度、膀胱炎になった事がある。あの時、血尿しただろうか?覚えないな」。クルマに揺られながら、これから、どうなるのか、不安があった。
★この後は、「み旨にお任せしよう。主よ、我が人生を支え、導いて下さい。みむねの、ままに、生きつづけます」。皆さんに、ご心配をかけて、沢山のコメントも頂いて、つづいてのご縁をお願いします。
★病院の後、昨日も、今日も、血尿は、出ていません。普段通りの生活をしています。明日は、長崎・ヨゼフ・クリニックへ定期の診察へ行く予定です。

2018年12月11日火曜日

突然の出来事が、今朝、我が身に起こった。ドウシタ、ドウシタ

腎臓は、左の腎臓が1つだけ。ボウコウは、ガン。腎臓からボウコウまで、管・ステントが入っている。これが私の内臓の状態です。
★今朝、ミサが終わって自室へ戻る。トイレの入って、尿を出した。「あれ、あれ、なんじゃ、こりゃ」。トイレの水が真っ赤に染まった。「ああ、これは、アウトだな」が実感。「九十にも、なったんだ。あわてず、ゆっくり、やろうじゃ、ないか」と思っていた。突然、このアリサマ。この状態を見せ付けられて「ギョ、ギョ、ギョ」だよ。
★朝食は平静を保って、当たり前に食べる。朝食後、食堂に残っていた看護師さんに事の次第を報告した。「総合へ行きたいです」。9時に、もう1人の看護師さんが出勤する。お任せした。「直ぐに、来て下さい、という事です」。トイレへ入った。まだ赤い。心を決めた。いつでも入院出来るように、水色のバッグは入院で使う品々を用意してある。黒のバックは、空っぽ。これに着替えを詰めた。準備は万端。2つのバッグをベッドの上に乗せて、残した。
★高原修道士さんがホームの車を玄関にまわして、待っていた。雨がしきりに降る。さびしい雨だ。クルマの中では無言がつづいた。暗い気持ちになる。血尿して、明るく、ハハハと、笑えと言ってもムリだよ。諫早総合病院に近づくと、駐車場が満杯で、100mもクルマが並んでいる。1人、降りて、ビニール傘を頼りに、歩いた、歩いた。足は、フラ、フラ、「生きろ、生きろ」と我が心に声をかけた。
★泌尿器科の受付へ行くと、連絡が付いていた。検査科へまわる。紙コップを渡された。トイレで尿を取ると、「ああ、やっぱり、まだ赤い」

2018年12月10日月曜日

ホームの介護男性職員が、湯YOUマラソン大会で、ガンバッタ

今どき、あち、こちで、マラソン大会が行なわれている。島原半島の小浜温泉(雲仙市)でも、「第42回・湯YOUマラソン大会」が実施された。我らのホームの介護職員の若者が、「じゃ、我も、我も」と、温泉マラソンに出場して、好成績をおさめた。共に、喜ぼう。
★小浜温泉(雲仙市)は、江戸時代から有名な湯・湯治の温泉で、温泉温度は105度。それにちなんで105mの足湯もある。毎年、花火大会と、マラソンが行なわれているが、今年、初めてマラソンに、4人の職員が参加した。ホーム勤務の休憩時間に走って、体を鍛えて臨んだ。
★約800人が参加する。5Km、10Km、20Kmと、3つのコースがあった。初めてなので、3人は男子(19歳ー39歳)の5Kmに走った。大勢が走ったが、写真の松村さんが2着になって、賞状とトロフィーを貰った。よかったね、このエガオ。後の2人も、6着と、11着の好成績でした。
★松村さんは昨夜、夜勤でした。夜、7時頃に各部屋をノックして、声をかけて回る。私の部屋へ来るなり、「賞状、もらったよ」と嬉しそうに見せた。「じゃ、写真に撮ろう」「いや、待って。あした、他の職員も来るから、一緒に撮ってもらう」
★それが、右の写真でした。20Kmに挑戦した、残る1人の西田さんが、写真に写っていないのがザンネンです。西田さんは19番目の好成績でした。ホームの職員は、こうして体を鍛えて、今度は愛情をもって介護に専念するのです。
★右の写真の名前を言えば、左から、田中さん(未婚)、松村さん(既婚)、青木さん(未婚)。「後は、よか、よめさん、いないかなァ」。皆さん、介護はマジメにやっています。足りないのは、ヨメさんです。
★ホームの職員は、女性が多い。男性の介護は、この4人のほかに、事務長と、年配者を除けば、2人居るだけ。男性は、肩身が狭いが、やる時は、走って、上位入賞さ。頼もしい男性職員さんたちです。
★ホームの職員さんたちを、男性も、女性も、応援してください。私たちは、皆さんにお世話になっています。

2018年12月9日日曜日

長生きの秘訣は「きょう・いく、きょう・よう」。それは確かだ

待降節第2主日。朝のミサ。祭壇の前のローソクに、2つの灯がともされた。主の降誕が近づいているのを感じる。
★昨日は、8日。誕生会を日記に書いたが、教会では「無原罪の聖マリアの祭日」をお祝いした。ミロハナ神父の教えによると、コルベ神父は、この祭日を最も大切な出来事として迎えていた。コルベ神父がこだわったのは、「けがれなき聖母=インマクラタ」だった。このタイトルを常時、使っていた。コルベ神父は、マリアの呼吸で生きていた。
★コルベ神父の言葉「私が、マリア、マリアというのは、マリアの心をもって、イエスを愛したいからです」「けがれなき聖母のために、私たちは喜びをもって全てを行ない、喜びをもって苦しみましょう。私たちが日常生活において出会う全ての辛さを、けがれなき聖母に対する私たちの愛を深めるために受けとめましょう」
★もう1つ、8日は、「太平洋戦争が始まった=真珠湾攻撃の日」だった。私は、当時、13歳。長崎大学病院の外科病棟で、入院中に、このニュースを聞いた。「いよ、いよ、戦争だ。ニッポンが勝つぞ」と皆が勝どきを揚げていた。今、考えると、「井の中の蛙(かわず)」で、日本人は外国のこと、アメリカのことを全く知らなかった。敵を知らずに、勝算は無かった。戦争は2度と起こすべきではない、老人は頭を下げて、強くそう思う。入院中に、私のベッドによく見舞いに来ていた娘さんがいた。永井隆博士の妹さんだった。遠い過去の思い出である。
★昨日の朝日新聞に、心引かれる1文を読んだ。ある訪問診察のお医者さんの小文である。「長生きの秘訣は何ですか?」と問われると、次のように答えている。「『きょういく』と『きょうよう』です」と。
★きょういく=(漢字の)教育ではない。「今日、行く」。今日、行く所がある。つまり自分の居場所がある。次の、きょうよう=教養ではない。「今日、用」件がある。つまり生活者として、自分が必要とされる役割がある、というのです。
★この発想が、強く心にひびいた。何かのコメントにも使えるな、と思った。きょう・いく=今日も行ける場所がある。きょう・よう=きょうも人のために何かを尽くす用件がある。結局、『きょういく』と『きょうよう』が、その人の生きる喜びになり、生き甲斐となる。つまり、これが長生きの秘訣となるのです。
★ホームに居ると、受ける側で、人に与える機会がない。動ける間は、自分が出かけて行って、人のため何かを尽す場所、そんな役割が欲しいと願う。
★自分に存在感が、ない。そりゃ、人との『つながり』がないからだ。「喜んで、お手伝いします」。行動する者が長生きする。人は老いても、生き甲斐は欲しい。

2018年12月8日土曜日

ああ、今年の最後の誕生会。それに加えて忘年会。喜びだ

12月、今年・最後の誕生会。合わせて忘年会。昼食はホームの入居者が全員、食堂に集まりました。山内園長神父さんが「今日は、マリアさまの日、皆さんのお母さんの日」と言って、食前の祈りに「アヴェ・マリア」を唱えました。挨拶に「マリアさま、コルベ神父」の話も出て、「カンパーイ」と大きな声で盛り上げた。12月の誕生を祝うのは、女性2人に、男性1人でした。「ハッピバスデイ」。元気に歌った。
★さあ、さあ、お待ちかねは、職員さんの出し物だよ。「おさるの、かご屋」でした。介護の男性、トマの部屋の係りでもある青木さん、栄養師さん、洗濯の女性職員さん、「おさるの、かご屋は、エーッサ、ホイ、サッサ」。チョウチンさげてハイってきた。食堂内を1巡して、踊りました。「おだわら・チョウチン、ひっさげて」。おだわら・チョウチンというのは、閉じても、そのまま収まるんだそうですね。「発案はダレね?」。栄養師さんでした。とにかく皆さん、喜びますよ。出し物が出ると、安心する。恒例ですからね。踊っている場面も写真に撮ったけど、載せないよ。
★お祝いの会食は、3つに分かれる。牛肉のすき焼き、豚肉のすき焼き、魚の鍋料理。私たちの食卓は、牛肉のすき焼きでした。和牛だよ。4人で食べる。やっぱり楽しいね。忘年会でも、あるからね。600gと書いてあった。これだけ食べれば充分でしょう。瀧神父さんは「野菜が、いい」という。すき焼きが終わる頃、ノド自慢の歌が出る。「95歳、いい声、しているね、女性だよ」。最後に、瀧神父さんが手を挙げた。マイクを持って、お正月の「替え歌」で、「早やーく、こい、こい、クリスマス」と歌って、喝采をあびた。見ていたら、園長神父さんが喜んで、両手を大きく開いて拍手をしていた。こういう人生に機転のきく才能がある人は、やっぱり、いいね。周りを楽しくする。
★準備する職員も大変です。ご苦労さまです。「忘年会」といっても、ホームの老人たちは、本当に懸命に生きている。シンドイけど、エライと思うよ。

2018年12月7日金曜日

役目を終えて、美しく広がるイチョウの葉。ああ、今年も終わる

ホームの直ぐ下にある神社。左側に1本の大きなイチョウの木があるが、すっかり葉が落ちて、ごらんの通り、イチョウの落ち葉で、キイロに埋め尽くしている。「高原さん、車、止めて」と、写したのが、この写真です。この落ち葉を見て、「ああ、今年も、もう終わりや、な」と思います。
★今年は、いい年だった。神にカンシャ。先ず、ポーランドの勲章を貰ったモンね。思いがけない勲章だったよ。「天国に、クン章、イラナイよ」。ゼノ修道士の声が聞こえる。それでも有り難い。ゼノ修道士の映画(ポーランド制作・30分・証言で綴る)も完成した。ゼノさんを、誉めて、褒め上げる証言ばかりだった。ゼノさんのような温かい優しい心の修道士は、もう再現しないだろう。勲章も、映画も、長崎新聞に大きく掲載された。
★今年も、語りべの役目を果たした。小学校と、女子高校生への語りだった。若者に出会うと、若さのパワーをもらえる。生きている喜びを感じる。「いのち、大切に」「友だちと、仲良く」。これが伝えたいホンネです。若くして、イノチを絶つこと、これがイチバン悲しい。惜しい命だよ。これから花開く人生だよ。声をダイにして伝えたい。生きておれば、花は咲く。「ひかげに咲く花もあるんだってね。いいじゃないか。花は、花だもん。それでも、よか」
★ホームの職員さんたちが「忘年会」を開いた、と聞いた。30数人が集って、盛り上がったそうだ。園長神父さんが居て、理事長神父さんが居て、園医のお医者さんも居て、事務長・介護職員の夫妻が、誕生会で踊った踊りを上手に再現して、思っただけでも、いい雰囲気が感じられる。
★12月4日は、養護老人ホーム聖フランシスコ園の創立記念日ということで、大きな紅白マンジュウを箱入りで頂いた。創立58年になるという。その以前に「養老院」として既に存在した。終戦と共に始まっている。その頃から、トマは老人たちに接して、知っている。長い歴史がある。
★職員たちも喜んで働ける。世話を受ける老人たちも安心して暮らせる。それが良いホームです。カトリック信仰の恵みに守られている。
★明日は、土曜日。ホームの誕生会があり、忘年会も兼ねて行なう。すき焼き、だそうです。さあ、明日は、どんな職員の出し物で沸くか、な。

2018年12月6日木曜日

聖母の騎士の霊性に、こだわる。自分に何があるのか。苦慮する

2日前、匿名さんからのコメントに、「聖母の騎士の霊性が、トマ修道士のうちに、ありますように」とあった。
★それについて昨日は、ナニ、カニ、と記述しました。しかし、何かが、私の心にヒッカッかっているのです。ぺラ、ぺラと、本から取って並べただけでは、説得がない。自分でもピンと来ない。うわべだけの流れです。キレイな言葉の羅列です。そうじゃなくて、聞いたり、読んだりでなくて、トマの、体験した、肌から出る「にじみ汁」というか、自分の受けた、痛んだ、響いた中から湧き起こる、霊性というか、それを考えつづけました。
★自分の魂に響く言葉。魂を奮わせるほどの一句。それが、ほしい。感動です。何に感動するか。常日ごろ、見ている風景、感じる出来事、そこから一瞬、パッと、ひらめくものがある。それが人生に、シュン発力を与える。
★日記を読んで、反応を返すのは、同じ食卓の瀧神父さんです。「神父さん、あなたが、あの『聖母の騎士の霊性』、書いたの?」と聞いた。「私は、コメント、書かないよ」
★考えました。今の自分の心境を、ひと言でいえば、やっぱり①「生かされて、今日も、生きる」。これは確かです。これが今の生活であり、言葉です。次に、もう、一つ、ある。②「苦しみは、のち、神の喜びと、なる」。これも、今、感じ、体験している過程です。苦しい事はイッパイある。本当です。でも、希望を持っている。それは信仰です。
★あと、もう1つ、なにか、ないか?そう思うとき、届いたのが、1通の手紙だった。
★2010年10月、京都で、1人の女性に出会った。そのことは全く忘れていたのに、8年ぶりに手紙が来たのです。書かれていた言葉が、「受ける恵み、与える愛」です。当時、聖コルベ館に居た頃の私の手紙には、最初に、必ず筆字で、この言葉を記していた。この言葉を身近に感じていた。最近は、殆ど使っていない言葉でした。そうだ、これが、あった。
★③「受ける恵み、与える愛」。沢山の恵みを受けて、今がある。与える聖コルベの愛が迫ってくる。無償の愛が追いかけてくる。私の人生、これらから逃げられない。匿名さん、私にとって「聖母の騎士の、トマ修道士の霊性」は、この3つです。この言葉が要約です。美辞麗句を並べても、チカラが、ない。この言葉が、トマの肌、心に感じる。
★昨日は、諫早総合病院へ診察へ行った。お医者さんから腹部のレントゲンを見せられる。腎臓に、10円程の黒い影がある。これが、そのまま、ジーッとして居ればいいが、そこから異物が出てくる。仕方がない。方法はステントの入れ換えです。1月の予定だったが、調子がよくない。「早めに入れ換えをお願いします」。18日に入院を決めました。「苦しみは神と共に」。安らかな気持ちで生きつづけたい。

2018年12月5日水曜日

生きるのには責任がある。祈り、耐え、喜び、愛しましょう

教会では、「待降節」に入った。主の「ご降臨=ご誕生=クリスマス」を「待つ」季節という意味です。今週から、ミサのとき、祭壇の前の4本の「ローソク」に、1本だけ灯がともされます。来週は、2本。次の週は、3本と増えて、4本目まで灯される。そして「降誕節」に入る。もう直ぐ、クリスマスですね。心の準備も必要です。
★今日は、諫早総合病院・泌尿器科の診察がある。高原修道士さんの運転・介添えで出かけます。医師に相談したい件もある。心配事も、ある。
★「幸せって、なんだ?」と考えました。「人に尽くす人が居るって、いうことなんだね。親身に。それが返ってきて、自分も幸せになる」。今の心境は?「九十にも、なったんだ。あわてずに、ゆっくりと、考えつつ、受け入れて、進もう」
★昨日の「コメント」に、匿名さんから、こんな一文があった。「『聖母の騎士の霊性』が、トマ修道士のうちに、ありますように」。有り難い、コメントです。神妙に受け入れた。忘れては、いけない。「聖母の騎士の霊性」「原点に帰る」「コルベ神父の無償の愛」「けがれなき聖母マリアへの愛と奉献」「アシジの聖フランシスコに倣う熱意」「修道士であること」。次々に、湧き出てきます。
★今朝、黙想のとき、「父なる聖フランシスコの霊性」の箇所を読みました。(ホアン・カトレット神父著、による)。「最も目立つ特徴は、『イエスへの情熱的な愛』です。聖フランシスコの『完全な喜び』は、イエスのために侮辱を忍びながら、十字架への愛に生きることです。聖フランシスコは全てのことを、謙遜に、純粋に、貧しさのうちに果たす聖人です。全てを『喜び』の精神で照らし、そこからフランシスコ会の楽観主義が誕生した。つまり神が創造した大自然を賛美し、愛し、鳥たち、魚たち、狼、花や、星などを『宇宙的な優しさ』によって仰ぎ見、人間だけでなく全ての被造物を『兄弟姉妹』として愛した。植物、動物、石まで、聖フランシスコから敬われた」
★生きることは、大きな責任がある、とトマ修道士は考えます。祈りましょう。耐えましょう。十字架を愛を持って抱きましょう。今日も、愛を果たす一日です。

2018年12月4日火曜日

濱口さんの自宅で、また食事。還暦の「写真集」が立派に出来るぞ

濱口さん夫妻の自宅に呼ばれた。ホームから300mぐらい。一緒に、3度目の食事である。1回は、障碍者の食堂で、食べた。「トマさん、何が、いいの?」と聞かれる。「この間はサカナだったから、牛肉の野菜炒め、それに卵焼きで、いいよ」「タマゴ焼き、好きなの?」「ホームでは時々しか、出ない」
★奥さんの則子さんが、来年、還暦を迎えるという。4人、子供が居て、「こんな本を贈りたいの」と、大型の絵本を見せられた。その時、長年の取材の経験が、もや、もやと、胸に盛り上がって、「写真集を作ってみよう」と思い立った。それで夫妻の生活写真を数枚、集めている。
★濱口さん夫妻は、鍼灸・整骨院を開院している。祖父も、この地で、同じ仕事をしていた。「じいちゃんは、言っていたよ。『お灸は、身を焼くにあらず。人の心を、ともす灯なり』ってね」「それで、アンタたちは、どうなの?」。夫妻は顔を合わせて、言った。「痛みを取るだけでなく、身も心も癒し、エガオになって、帰られる姿を見るのが、私たちの喜び」
★濱口さん夫妻と昼食をご馳走になりながら、私の、北朝鮮の頃の思い出から、骨盤カリエスを病んで、母の実家があった浦上へ帰ったこと、肋骨カリエス、脊柱カリエスなど次々に病んだこと、母親の苦労など語った。
★「トマさんは、好きな食べ物、あるの?」「あるよ。牛肉のテンプラだよ」「え、え?そんなの初めて聞いた」「うちは精肉店だからね。母が、よく牛肉のテンプラを食べさせた。おいしかった、な。母親の味だよ」
★則子さんの還暦の「写真集」も、大体、出来上がった。いい、思い出になりそうな立派な写真集が仕上がりそうです。
★長崎・原爆資料館の継承協会から、電話があった。「小崎さんの原爆体験を、アメリカ人が知ったそうです。ぜひ、お会いしたいと願っています。協力して頂けますか」「ああ、なんとか、がんばりましょう」
★明日は、諫早総合病院・泌尿器科へ予約の診察です。最近、調子が良くないので、どうなるか。気にしています。

2018年12月3日月曜日

日本に初めて宣教した聖ザビエルの祝日。聖ミカエルにも関係あり

「日本宣教の保護者・聖フランシスコ・ザビエル司祭の祝日」です。ホームには資料になるものが無く、聖ザビエルの写真はない。せめて平戸の教会の絵ハガキはないか、と探したが、これも無い。それで載せたのが自著「西九州キリシタンの旅」です。これで、カンベンしてください。
★ザビエルは「1549年」、鹿児島に上陸した。この年代は良く覚えている。400年が経った1949年、長崎で、聖ザビエル渡来400年祭が盛大に行なわれた。高校生でした。聖ザビエルの右腕が来日して、日本巡回の旅をつづけた。私もその聖腕を拝した。戦争が終わって4年です。キリスト教は戦時中、禁教でした。しかし今、自由になって、進駐軍のアメリカ兵にもキリスト信者が沢山いて、「キリスト」さま、さまで、教会に多くの人が押し寄せた。本当に、聖ザビエルの腕には、ビックリしました。
★ザビエルは、鹿児島で、島津の殿様から初めて布教を許されたのが、教会では「大天使聖ミカエル」の祝日に当たっていた。ザビエルが生まれたスペイン、当時はナバル国のザビエル城も大天使聖ミカエルに捧げられていた。そこでザビエルは、日本にキリスト教が広まるように、聖ミカエルに祈り、布教の保護者に定めた。聖ザビエルと平戸の宣教は「西九州キリシタンの旅」に詳しく書いてあるので、読んでみてください。
★平戸の教会には、よく巡礼しました。聖ザビエル宣教の記念聖堂です。鹿児島から平戸に宣教しました。大天使聖ミカエルに捧げられている。正面祭壇に、聖ミカエルのご像がある。巡礼したとき、ミサの後で、主任司祭に挨拶すると、神父さんは、こう言った。「平戸の人びとは、聖人ザビエルの後ろ姿に引かれて、キリシタンになった」。よく「おやじの背中」というが、「聖人の背中は、どんなだったろう」と、90歳の修道士は思う。

2018年12月2日日曜日

ある修道士の思い出。アンドレアさん。人生、まさか、の連続

1枚の写真がある。日にちは2011年11月11日になっている。真ん中の修道士、「アンドレアさん」と修道士名で親しく呼んでいた。1つ歳が上の先輩になる。アンドレアさんが、ホーム聖フランシスコ園に入りたいと自分から望んだ。そのお別れに、聖母の騎士で撮った写真(中央)だった。右がトマで、左はヨゼフ橋口修道士。
★数日前、聖アンドレ使徒の祝日があった。アンドレアさんを偲んだ。漁師のアンデレは、イエスから声をかけられ、弟子となった。アンドレアさんは若い頃、運搬のポンポン船に乗っていた。神の声を心に聞いて、陸に上がって、修道士の道に入った。戦争が終わって間もなくだった。以来、60年、老いても、熱心な祈りと、与えられた勤めを果たしていた。無駄口を言わず、会話の中で、アンドレアさんが、「ピシャット」1言、いうと、みな「ドキット」して黙するのだった。彼の生きる姿は尊い。ヒトは目で見るが、神は心で見る。カトリックの力が、ここに有りと感じた。楽しみは年に2回、春と秋に、数日、休暇をもらって、故郷の海を見に行く。丘に座って、黙々と海を見詰めているのだった。
★この写真の2ヵ月後、アンドレアさんは、ホームに入居した。元気だったトマは、アンドレアさんを見舞ったとき、ちょうど昼食時で、食堂で、大勢の老人男女が、一緒にご飯を食べていた。その雰囲気を一瞬、見たトマは即時に思った。「ここには、ゼッタイ、こないぞ」。修道士は男子ばかりの生活だったので、抵抗を感じた。
★ホームに入居して1年数ヶ月後、アンドレアさんは神に召された。そして、その1年数ヶ月後に、トマはホームへ入居した。ジンセイ、まさか、まさか、の連続だ。

2018年12月1日土曜日

阿野さんが、諫早市の地図を買ってきた。これで話題、広がる

お客さん、諫早の阿野さんが、「たらみの果物入りのゼリー」を2箱を下げて、見舞いに来た。82歳。7月にも、9月にも来ている。「ゼリー」はまだ残っていた。
★どうして彼を知っているか。前にも書いたと思うが、聖コルベ館に居たとき、彼は隣の幼稚園のバスの運転手だった。朝、夕、運転する阿野さんの顔をバスの窓ごしに見ていた。子供が乗っているから、安全運転に気をつける。「運転、あれ、いつ頃、だったかな?」「42歳から60歳まで勤めたよ」まだ、そのご縁をつづけて来てくれる。有り難い、お客さんです。
★「阿野」と言えば、どうしても上五島の舟隠の集落を思い出す。ここはカトリック信者の集落だが、阿野の姓が多い。阿野さん、やっぱり関係があるという。阿野さんの姉妹にシスターが2人。観想修道女会にいる。心配になるという。弟は長崎教区司祭だった。今は故人となる。阿野さん自身は、悠々自適、時々、こうして寄って、覗いてくださる。
★頼んでいた「諫早市」の地図を書店から買ってきてくれた。ホームに居ても、地図が必要だ。会話に、色々な地名が出てくる。地図があれば、もっと親しみが湧く。こうして時々、訪ねてくれるのは、頼もしい。「会うごとに、光がさすんですよ。生きて行くチカラになります」
★今日から、12月が始まった。「早やーいね」とホームの老人たちの誰もが口にする。先日、島原へ行ったとき、「やっちゃ・よかとこ」と看板に書いてあった。「やっちゃ、って何んね?」「めっちゃ、のこと」だそうだ。「とても・いいところ」
★「やっちゃ、やっちゃ、今年も、よ・か・こ・と、あったよ。あった。あと1が月で、新年だよ。早やーかね」

2018年11月30日金曜日

祈る家族の像が心に残る。み旨を受け止め、祈りつつ耐える

昨日の日記に「みどり」さんからコメントが寄せられた。「克明な描写でよくわかった。。タオルの間違い、おかしくて笑った。畑で、金の十字架の発見は興味深い。『原城の宿』は外観が城の石垣を模していますね。前にいる尾の長い動物は何でしょうか。ライオンですか?」
★入浴・食事の「原城の宿」の外観を、ぜひ撮りたかった。巨大な壁の形式なので、近くでは撮れない。バスに乗って、サヨナラする時に、揺れるバスの窓から、瞬間的に撮った。それが昨日の写真でした。「尾の長い動物、ライオンですか?」の答え。みどりさん、よく分かりましたね。写真を拡大して、興味深く見たんですね。まさしくライオン「獅子喚」でした。
★ライオンの前で、写真を撮りました。彫刻家、北村西望先生の作です。長崎市の平和公園に、平和祈念像があるでしょう。右手を天空に、左手を横に伸ばし、足は「あぐら」をかいた巨大な像、年に1度は必ずテレビに出ます。製作者が北村西望先生で、先生の出身地が、この有馬なのです。西望記念館もあります。
★昨日のドライブ旅行で、1つ、印象に残った像があります。それはロザリオを祈る親子のキリシタン家族の姿です。左側には役人の手と刀が見える。「キリシタンを捨てよ、さすればイノチは助けてやろう」「いいえ、お役人さま、わたし共は、ゼズスさま、サンタ・マリアさまと、いっしょで、ごぜーます」。彼らの声が聞こえてきそうな場面です。
★昨日は、この親子の姿をジーッと見詰めて、度々脳裏に描きました。原城跡では3万7千人が殺された。悲しい出来事です。「キリストの教えを信じれば、なぜ、こんなにも苦しみ、痛みを受けるのだろう。キリストの弟子たちも次々に殉教している。イノチを捧げた。信じることは、イノチを賭ける試練だった。信仰は厳しい」と、生き方の覚悟が問われます。
★わたしの常の言葉に「生かされて、今日も、祈る」がある。次いで「苦しみは、のち、神の喜びに変わる」がある。前者は分かるが、後者は、中々人間の知恵では、理解し難い。だが、そこまでの体験に至らなければ、信仰は本物では、ないだろう。人それぞれ、与えられる苦しみ、痛みは異なる。み旨として受け止め、祈りつつ耐えてこそ、希望の光が見えるかも知れない。助けて、ください。ゼズスさま、マリアさま。

2018年11月29日木曜日

島原半島「日帰り旅行」。原城の宿で湯に入る。カラオケ謡い満足

海辺に面した「原城の宿」(写真)。ホームから、島原半島を一周する「日帰り旅行」に出かけた。20人余りが参加。ホーム⇒干拓道路⇒愛野⇒小浜温泉⇒加津佐⇒口の津⇒原城跡⇒「原城の宿」。宿では先ず、湯に入った。
★湯は広い。アワ立つ丸い湯がある。これは、ぬるめの湯。しばらく浸かった。体を慣らして、広い熱めの湯に変わった。左側に手すりが付いている。滑らないように慎重に歩く。黄色く丸い洗面器にタオルを入れて、湯に浸かった。気持ちが良い。ジーッと湯の熱さを身で感じた。
★体格がガッチリした爺さんが、洗面器を置いて、同じ場所から湯に入ってきた。爺さん、腹部まで浸かっている。しばらく時が経った。私が、上がる。もう出よう。シャンプーは使わない。シャワーで流して、タオルで拭く。洗面器でタオルをもんでいた。
★すると先き程の爺さんが、ツカ、ツカと傍に寄ってきた。「タオル、間違っていませんか」「え?タオルには、オレのは名前を書いているはずだ」。名前がない。完全に間違ってしまった。「ああ、ごめんなさい、間違いました」。なんともバツが悪かった。謝りに、あやまった。「すみません。ごめんなさい」。思わず手を出して爺さんの手をつかみ握手した。後で、考えた。あの爺さん、ふしぎに思っただろう。(なんで、握手なんか、したんだろう?)。老人の失敗、カンベンしてください。この失敗は誰にも言わなかった。
★食事をしながら、ゆっくりとした時間を過ごし、カラオケでも楽しんだ。トマは、原城にちなんで「古城」を歌い、山内園長神父さんが「島育ち」を歌うと、瀧神父さんが「島ブルース」を歌った。料理は「うちわ貝」に乗った黄色いグラタンが出た。ホームを出る。しばし違った、世間の雰囲気に浸るのも、元の気分の転換になる。部屋の外は、眺めがよい。天草灘が広がり、雲仙岳が霞んでいた。
★潜伏キリシタン関連が世界遺産になったお陰で、ここ「有馬」にも脚光が浴びた。旗や看板が立ち並び、旅人を誘う。有馬キリシタン資料館を見学した。有馬の殿様、有馬晴信はキリシタンの洗礼を受けて、口の津、加津佐を中心に文化が栄えた。弟の純忠は大村の殿となり、大村領もキリシタンで繁栄した。
★私の記憶では、有馬あたりの農民が畑を耕していると、縦4cm程の太めの金の十字架を発見した。殿様・晴信がローマから戴いた貴重な品らしい。いまは島原城の資料館に展示されているが、あの金の十字架が有馬の資料館にあれば、もっと格があがるのに、なあと思った。
★有馬資料館⇒水なし本陣⇒島原ロード⇒かまぼこ屋⇒ホーム。朝、9時に出て、夕方4時半に帰った。小型バスに揺れて、見学で歩いて、立っている時も多く、やはり足に堪えた。でも、ゲンキなうちは、歩けるうちは、出かけよう、見物しよう、体験しよう、そう思う気持ちは変わらない。

2018年11月28日水曜日

傾聴ボランティア女性が来る。何でも語って、アタマは、スカッと

ご苦労さま。待っていました。この女性が来ると、安心というか、ホットします。
★毎月1回、定期的に来て、こちらの語りを一方的に聴いてくれる人が、他に誰が居るでしょうか。2、3度は来る人も居るでしょう。でも17回ですよ。しかもボランティアで、自分のお金を使って、列車・バスを乗り継いで、後は徒歩でホームまで来る。2時間はかかる。大変ですよ。帰りも同じです。お礼金も、お茶1杯も受け取らない。1時間、ただ、相手の話を聴くだけです。女性は、話の最後の部分の言葉を相手に繰り返してあげる。意見も言わない。説教もしない。だから話す方は気兼ねがないのです。聴き手と、語る者の間に、壁も川も、ない。語る内に、ご縁が深まってくる。聴く者にとっては、以前と重複の言葉かも知れない。それでも忍耐して聴いて下さる。有り難い。
★語り始めは①生活のリズムだね。(三食完食、大のトイレ、安眠、歩ける)の様子。②老いと共に、これから先、身体的に、どうなるか、心配になり、不安もある。③生き甲斐は、あるのか。日記を書くこと、かな。これは自分のためでも、ある。④物の整理をする。不要な物は破棄していく。⑤職員や隣人とのトラブルは、ないか。⑥老いて、心境の変化は、ないか。話すことは、いろいろ有ります。
★こうして一方的に語る内に、当方のアタマは整理される。そして傾聴女性も、何らかの心的恵みを受けているらしい。お互いの恵みが成り立っていると感じた。当方は、傾聴女性については何も聞かない。何も知らない。
★この世の中に、こんな女性も居るもんだと、ただ、ただ感心して、甘えているだけです。「今度、いつ来れるの?」。次、12月の予定を決めた。
★今日は、ホームの「日帰り旅行」です。20人近くが、島原半島「天草四郎の原城」近くの宿(入浴と食事)に向かいます。帰りは午後4時頃になるでしょう。

2018年11月27日火曜日

「小崎さん、日記を読んでいます」と、突然、男性と出会いの喜び

毎日、「90歳日記」を書いている。何処で、誰が、読んでくれているか、全く分からない。ただ自分のために、ボケ防止のために、終末の心境で書きつづけている。そんな中、突然「お会いしたい」と訪ねて来る人が居れば、それは嬉しさと驚きを隠せない。
★事務室から自室に電話があった。「いま男性1人が、小崎さんのブログを読んで、お会いしたいと来られている」「自室にお連れしてください」「いや、それが時間がないそうです。お顔を見ただけで帰ります、と言っています」。メガネをかけ、デジカメを持って、玄関へ降りて行った。
★写真の男性が待っていた。東京の人、名前も告げた。「長崎空港へ着いて、レンターカーを借りて、直ぐに来ました」「日記を見ているんですか」「ハイ、2年前から毎日、読んでいます」「どうして日記を知ったんですか」「検索している内に、日記に行き当たりました」「そりゃ、どうも。何か、心に響くものがありますか」「ええ、それは、もう、あります」
★男性は、「おみやげは何も持たない。途中の花屋で、お花を買いました」。シクラーメンの鉢物だった。「ありがとう。お花まで頂いて」「これから長崎市へ出て、早くレンターカーを返すので、急ぎます。一目、お会いするのが念願でした。嬉しいです」。トマが握手を求めた。
★全く見知らない男性が、一目会いたいと、わざわざホームまで訪ねて来たのは初めてではないか。その熱意に心が動いた。男性のことは何も聞かない。訪ねてくれるのが有り難い。
★日記の、何が、人を惹きつけるのか。自分では分からない。ただ気持ちとしては、単なる日常の出来事や行事を示すのでなく、人の生き方や、苦労と喜び、悩みや困難、それらを乗り越えるひと言が欲しい。90歳。終末に向かう気持ちを正直に記したいが、限度もある。どこまで書けるか迷いもあるが、記録で吐露したいとは思う。
★「心に、ひびく言葉、手アカの、ついていない言葉、魂をふるわせるほどの、一句がほしい」。いま、一番うれしいこと、「小崎さんですか。会えて、よかった。うれしいです。日記、読みました。本、読みました」と、言ってくれる人に、出会うことです。

2018年11月26日月曜日

「尼さん」と親しく呼んでいる神戸の尼さん。思い出沢山ある

聖母の騎士でお祝い事があるとき、出席するのは、思いがけない出会いに期待している。それが秘かな楽しみです。
★左のお方、仏教の尼さん。私たちの間では、「尼さん」「尼さん」と呼んで親しんできた。今度も、本当に久しぶりにお会いしました。神戸にお住いで、6、7人の女性の親友をお連れしての参加でした。尼さん、もちろん、トマをよく覚えていてくださった。
★神戸の尼さんが、どうして聖母の騎士にご縁ができたのか。尼さんが話してくださった。あるお坊さんから、ルルドのお水を頂いた。病気を病んでいて、お水を頂くと、病気が快癒した。ルルドはどこにあるお水だろう。調べてみて、フランス。そこへ行けない。日本でも、ルルドは無いものか。探したら、長崎に、コルベ神父が造られたルルドがあった。そこでお礼に、お花を抱えて、ルルドのマリアさまにお礼の祈りに行った。それが1998年のことでした。ちょうど20年前のことです。
★その頃、聖母の騎士の受付に、修道士のフランシスコ中村さんが居た。フランシスコさんと親しくなる。この尼さんの特徴は、優しさ、誰とでも、すぐ親しくなる。相手を温かく心の内に抱擁する。慰める。オーラがあるんです。フランシスコ中村修道士を通じて、院長のコンラード濱田盛雄神父さんとも親しくなる。1999年には、濱田盛雄神父さんが主催の「ローマ・ヴァチカン・ルルド」の巡礼旅行に同行した。それを期に、「尼さん」「尼さん」と修道者仲間から親しまれた。
★トマが忘れる事が出来ないのは、アントニオ久松修道士が病気のとき、尼さんが仲間を連れて神戸から来られて、手厚く看護・介護してくださった思い出です。よく面倒を見てくださったのが、頭にしっかりと残っています。
★修道服と、尼さんのお姿で、一緒に祈ります。コルベ神父の愛の心が、私たち修道者と神戸の尼さんをつなぎます。その後も病気を病みながら、20年はお元気で、人びとの幸せのため活動しておられます。こういうお方を友に持つのは、大きな喜びです。

2018年11月25日日曜日

修道会の司祭叙階50年金祝、25年銀祝のお祝い、ミサと祝賀会

コンベンツアル聖フランシスコ修道会・日本管区の「兄弟の集い」の最終として、本修道会員の司祭叙階50周年金祝と、25周年銀祝のお祝いが、長崎・聖母の騎士教会に於いて行なわれた。
★左から金祝の①ベナンチオ水浦征男神父(77歳)=長崎・聖母の騎士。②ニコラス・スワイアテック神父(77歳)=愛知県瀬戸教会。銀祝の③チェチリアノ赤尾満治神父(52歳)=兵庫県西宮市仁川学院。
★祝賀ミサの司式は、ニコラス神父。彼の力強い先唱の声の祈りと、歌で始まった。同修道会の多数の司祭たちによる共同ミサ。沖縄のベラルド押川壽夫司教も参加された。説教は水浦神父。「15.262。この数字は何だか分かりますか。50年間、これだけ毎日ミサを捧げてきました。司祭最大の務めは、ミサを(完璧に)捧げることです。お祈りください」
★ミサの後は、教会ホールで祝賀会が行なわれる。ここでの水浦神父の挨拶。「日本に沢山の司祭が居られるが、私に自慢出来る事がある。それは体重が最も少ないという事です。生かされています」。水浦神父は療養中です。
★祝賀会のとき、押川司教は、水浦神父について、こう絶賛していた。「彼は上智大学の新聞学科を出たジャーナリズムの専門家です。教皇が来られたとき、日本の教会にとって貴重なメディアで苦労した。コルベ神父はメディアで最先端で生きたい司祭だった」
★ニコラス神父は、アメリカ人で、「日本に、33年間」宣教している、と述べた。
★赤尾神父は、壇上に家族と共に上がり、両親をはじめ一同を紹介した。生んでくれて、ありがとう。生まれてきて、ありがとう。そういうオーラーが輝いていた。赤尾家の皆さんは、「幸せな方、マリア」を合唱した。それは素晴らしい音楽だった。家族の支えで、司祭は育つ、その証を現実に目に前で見せてくれた。会場内は感動の渦に舞い上がり、喜びに満ちた。
★「順境のときも、逆境のときも、兄弟愛のうちに、一日一日を大切にしつつ、神から与えられた愛の奉仕を、これからも果たしつづけることができますように」(ミサ中の共同祈願より)
★お祝いのミサと祝賀会で、トマは珍しい女性に出会ったが、それは次に報告しましょう。

2018年11月24日土曜日

ペトロ神父。2人並んで、心は、いっしょ、だよ。仲間、だよ

「兄弟の集い」で会ったペトロ・イシトク神父。ルーマニア人。最初に聖コルベ館で会ったのは、2009年秋だった。あれから、2、3度、東京へやってきて、環境が自分に合うか確認して、とうとう日本に定着した。背丈は、トマと、イッショだよ。だから親しみが湧くんだね。「オレたち、仲良し、だもん、な」。またペトロ神父、声も、心も優しいんだ。気にいったよ。
★トマは普通、自分が小柄だとは思わない。しかしペトロ神父と一緒に写真を撮ると、ああ、こんなに自分はしているんだな、と思う。それは、それで、いいじゃないか、ネ、ペトロよ。小さくても、心は温かいさ。ヒトに負けないさ。気合は入っている。
★「ペトロ」と呼ぶと、彼は、すっ飛んで来る。彼は言った。「少年の頃から、ニッポンへ行きたい、こころがあった。神さまに祈っていた」
★歳はトマが90歳。ペトロ神父は49歳。今からが働き盛りだよ。期待しているよ。ペトロ神父、トマに聞いた。「ポーランド、何回、行った?」「10回、だよ」。フ、フ、フ、と笑う。
★実は、トマは、ペトロ神父とイッショに、彼の国、ルーマニアへ行くのが念願だった。ルーマニアは正教が8割で、カトリックは少ない。でもリッパな教会がある。修道院もある。ペトロ神父と手をつないで、巡礼したかった。2人を見れば、絵になるよ。話題にもなるよ。聖コルベ館に居るとき、手描きの色紙を売って、収益をペトロ神父の家族のルーマニアへ送金したことも数度ある。
★ペトロ神父は双子だそうだ。もう1人は女の子で、背がずば抜けて高いという。名前が、セシリア。「ペトロと、セシリア。双子の子供に、なぜ両親は名前を付けたの?」「お父さんの名前が、ペトロ。お母さんが音楽好きで、セシリア」。聖女セシリアは、3世紀に殉教したローマの貴族の『おとめ』。教会が建てられ、広く記念され、音楽の保護者として尊敬を集めている。ルーマニアへ行って、そのセシリアにも会いたかった。
★今度の「兄弟の集い」のとき、ペトロ神父が、ルーマニア織りの赤い布を、トマに、そーっと渡した。「おみやげ、もってきたよ」。前にも、もらったが、それは大事に、ホームの自室に飾っている。今度、貰ったのは、ごらんの通り、真っ赤な織物だった。縦、90cm。横、32cm。ペトロ神父さんが言った。「たぶん、これ、おかあさん、編みました」。母思いの遺品をくれるなんて、ペトロ神父さん、ありがとう。大切にするよ。
★昨日の「兄弟の集い」は不参加でした。今日は、最終日、司祭叙階金祝・銀祝のお祝いがあります。朝、朝食は湯江修道院で頂いて、8時45分に出かけます。それで日記は出発前の、早い時間に記しました。今日のお祝いのミサや説教、祝賀会の様子は、次の日に記しましょう。「真福八端を生きた聖マリア、私たちが聖性の道を歩めるよう、祈ってください」。では、行ってきます。

2018年11月23日金曜日

困難があっても福音に生きる。兄弟の集い。一瞬の輝き大切に

「兄弟の集い」の会議は、長崎・聖母の騎士教会ホールで行なわれた。管区長・竹内昭彦神父の司会で始まり、「私たちは、フランシスカンとして、出会う人に、一瞬の輝きになろう」と呼びかけ、奮起をうながした。
★日本管区の内情を、各委員会の代表が発表したが、その中で、「『小崎登明の90歳日記』も毎日更新されて、広報の面で一助の影響を与えている」と好評もあり、トマは内心、喜んだ。
★修道会の「兄弟たち」も高齢化が進んでいる。当然ながら、その辺も危惧された。若い修道志願者の獲得に、希望をもって努力していく。今の時代は「個を大切にしながら、共同体を築いていく」の言葉もあった。今の子ども達は、食に対する感謝がない。お菓子を貰っても、気にくわなければ食べない。そんな例も聞いた。
★うどん屋出身の今井君の姿は、無かった。大学の授業のため、東京の神学生たちは参加できない。
★ルーマニア人のペトロ神父は来ていた。「おお、会えて、よかったな」とお互い手を取り合って喜んだ。ペトロ神父も嬉しそう。彼は本当に、心優しい司祭だ。いま、東京・赤羽教会で宣教活動をつづけている。日本語も通じ、分かるようになった。今年は、ルーマニアへ休暇で帰ったという。姉、妹、弟たちに会って嬉しかった、と彼。
★各地から集った皆さん「兄弟たち」と一緒に交わることは、ホームで独り暮らす自分にとって刺激でもあり、大きな喜びとなる。会議の後は、聖コルベ志願院のチャペルで、司祭叙階銀祝の赤尾満治神父司式の共同ミサが行なわれた。その日は、赤尾神父の修道名・聖セシリアの日に当たっており、そのお祝いも兼ねていた。
★その後に、聖コルベ館のホールで、兄弟たちの「会食」があった。和気あいあい、楽しい雰囲気に包まれた。司祭や修道士の、個人的な出来事の話もでる。心配したり、喜んだり、語り合って笑って、食事もして、私もホームのことは、すっかり忘れて、ここ聖母の騎士に居るような気になった。
★「思いやりの心を抱き、人びとの痛み、苦しみを深く受けとめ、まことの愛を大切にしよう」と祈った。
★兄弟の集いの結論は、「困難があっても福音を生きることが出来ますように」との確認を熱望しながら、ホームへ戻った。自室に入ったのは、夜7時30分だった。安らかに眠りました。神にカンシャ。

2018年11月22日木曜日

私たちの修道会の「兄弟の集い」。参加のため午前中に出かける

2年前に、私たちの「修道会・兄弟の集い」で揃った写真です。みな、同じ仲間、兄弟です。ホームに暮らしていても、この中に入ると、水を得た魚の気持ちです。
★毎年、この時期、11月に行なわれる「兄弟の集い」。今年も今日から3日間、長崎・聖母の騎士で実施されます。
★修道会の会員、兄弟たちに会うのは楽しみです。私も、今日と、中、おいて、最後の日の、2回参加します。
★もう間もなく出発です。だから早めに日記を書きました。帰りは夜の8時頃になるでしょう。今日は、全体の会合があり、ミサがあり、その後、兄弟的な交わり、夕食会があります。東京、愛知、兵庫、長崎、奄美、沖縄などの各地で宣教する兄弟たち、久しぶりに出会って、喜び合い、語ったり、笑ったり、盛り上がるので、本当に気持ちがワク、ワクします。これが楽しみなんです。
★ウドン屋出身の今井君も来るかな。同じ背丈のルーマニア人のペトロ神父も来るかな。集る中で、最高齢者は、トマになりました。みんなの顔を、しっかり見ておこう。もう今年で最後になるかも、そんな気もする。
★最後の日、24日は、司祭叙階金祝・水浦征男神父、二コラオ神父と、司祭叙階銀祝・赤尾満治神父のお祝いのミサと、祝賀会が行なわれます。これにも参加します。ホームの生活は寂しいが、時折、こうして皆に出会うと、昔の気持ちがよみがえり、「ああ、生きていて、よかった。長生きしよう」。そんな心境で、出発します。
★どうぞ皆さま、兄弟の集いに大きな実りがありますように、神の導きがありますように、お祈りください。

2018年11月21日水曜日

昭和の漫画。「のらくろ」から「フジ三太郎」。昭和も終わる

「マンガ」といえば、子どもが見るもので、私たち、昭和一ケタの人間は、少年時代、「冒険ダン吉」や「のらくろ1等兵」から「大尉」に昇進するまで、楽しみに愛読した。軍国主義の憧れだ。「ダン吉」の方は、南の島に漂流して、その島の王様になり、島民たちの楽園を作る、希望を含んだ夢のある物語だった。
★「のらくろ」は戦後、軍人をやめて、私立探偵や、植物学者の助手となったり、さまざまな職業を体験している。作者の田河先生のゆかりの地、長野県に「のらくろの里」があり、私も物好きで、その里を訪ねたこともあった。
★神学生・修道士になってからは、全くマンガは読んでいない。「少年ジャンプ」も知らない。ただ昭和の何年頃か、新聞に載っている「フジ三太郎」の4コマ漫画を、チラ、チラと見ていた時期がある。これが私の気に入ったマンガだった。
★茨城県の久義さんから、その「フジ三太郎」の漫画本が8冊も送ってきた。久義さんの手紙。「妻が本屋に勤めていた時に、手に入れたものです。長い間、倉庫に眠っていました。最近、読み返して、一人占めするのは、もったいない。その時、浮かんだのがトマさんの顔です。気に入ってもらえると思います。クス、クスか、アッ、ハ、ハか、笑ってください」
★1巻は、昭和40年。8巻は、昭和55年。私が37歳から、52歳までだった。その時代を反映したのが「フジ三太郎」だった。
★フジ三太郎が、タバコを吸いながら、大きな口を開けて、ハ、ハ、ハ、と笑っている。そこへ女子社員は入ってくる。今度は、ヒッ、ヒッ、ヒッ。すると女子社員「まあ、きたない歯」。「じゃ、女性のように」と、手で口を被(おお)い、ホ、ホ、ホ。女性社員「まあ、きたないツメ」。今ならセクハラの発言だよね。
★「銀座」と書いた看板の前で、若い男女が、ニコニコ顔。そこへお年寄りがやってくる。フジ三太郎「立ってあげましょう」と勧めるが、動かない。そこでフジ三太郎「銀座を英語で何と言いますか」。若い男女は「銀はシルバー、座はシート」。これじゃ譲らんといかんね。まあ、こんなマンガです。楽しみに読んでいます。久義さん、ありがとう。

2018年11月20日火曜日

湯江の地元に、お昼ご飯を、おいしく食べられる場所がある

11月7日の日記に紹介した濱口夫妻。ホームの近くで整骨院を開院している。湯江教会の信徒。毎朝、ミサに来られる。ミサが終わっても、まだ暗い。暗い中で、濱口夫妻から声をかけられた。「トマさん、お昼ご飯、一緒に食べよう。施設が、ある」。ただ、それだけ。詳しいことは分からない。「12時半に、ね」
★その時間、自室で待っていた。ダンナさんが戸を叩く。庭へ出ると、白い軽に、奥さんも乗っていた。軽は、町内をしばらく走る。「この道、いつもミサへ行くとき、ジョギングしながら歩く道です」
★早々と、着いた。「就労継統支援B型事業所・かたつむりの家・みのり食堂」の看板があった。詳しいことは分からない。この「みのり食堂」にお世話になるらしい。室内は明るく、広々としていた。昼食の時間のみ、運営している。日替わり定食、限定になっている。「こういう施設があるので、トマさんを連れ出した」という。「え、え、初めてだな」。高来町湯江には、適当な食堂がない。お客さんが来ても、連れ出して、食事が出来る場所がない。「ここが、あれば、便利だね」。客は1人しか居なかった。後は私たち3人だけ。接客は丁寧だった。温かいお茶が出た。
★色の違ったご飯と、サバの味噌煮と、竹輪の料理、野菜、汁もの等々、心のこもった料理が出てきた。それに、小さなお菓子つき、コーヒーか、カルピスが付いてあった。看板に「550円」と記していた。「ああ、おしかったな。写真を撮ればよかった」。食事の途中で思いついた。ザンネンです。
★垣根に、なんだろう?朝顔のような紫の花が広く咲いていた。帰りは、ジョギングの道を軽で案内してくれた。川が流れて、橋の向こう丘に、聖フランシスコ園がくっきりと見えた。(ここからの眺めも、いいな)
★「お昼ご飯、ありがとう」。湯江教会の庭で、車を降りるとき、奥さんが言った。「主人の還暦は、もう終わったのですが、来年、わたしが還暦です。子ども達が祝ってくれるそうです」。夫妻は明るい微笑みを私に贈ってくれた。

2018年11月19日月曜日

イモの絵を描いて、戦争・前後はお世話になったよ。ご馳走だね

なんだか、わかりますか?絵手紙の先生が、「これを描きましょう」と持って来られた。これが描きにくいんだな。色が出しにくい。形も難しい。「戦争中は、よく食べた」と書き入れた。すると、わかるでしょう。
★イモ、です。我々の年代は、サマザマな体験をした。今の若者は幸いです。我々の年代は、苦労して、日々を生き延びるために、おイモさんを頂いた。主食に「これしか、なかったんです」
★父親の実家の外海・黒崎で、戦争中は、おイモさんをよく食べた。農家の人は考えて、イモでも、おいしいイモを沢山作った。黄色いイモもあったし、紫色をした芋もあった。「源氏いも」と名前の付いたイモもあったね。とてもオイシイ、イモちゃんだった。
★聖母の騎士の神学校に入って、終戦直後は食料難で、中・高生の食卓には、イモがよく出ていた。文句を言っても、食べるものは、これしかない。我々の年代で、もうイモを食べるのは、イヤと言う人も居るが、私は、ホームでイモが出ると、喜んで食べる。イモのテンプラも美味しく食べる。我々の年代の若い頃は、イモのテンプラはご馳走だった。
★終戦と同時に、聖母の騎士に入ったので、17歳の少年は、「原爆・被爆者」と差別されなかったし、「食料難」も経験しなかった。愉快に、笑って、学ばしてもらって、信仰もで与えられて、戦後の4、5年は、本当に幸せだった。
★いま、自分が描いた「イモ」の絵を見ながら、「サイワイ、サイワイ」と自分に言い聞かせる。

2018年11月18日日曜日

雲を見よ。根元は細くしっかりと、上になれば広がりボヤケるぞ

この雲を見て、何を連想しますか?
★珍しい雲が出た。自室の前の廊下、窓から見えた。ヘンな雲やな。1本、真っ直ぐに上へ延びている。何を表わしているか。根元は、細く固まり、上は広がりボヤケている。ジーッと見詰めていると、私は「人生」を思った。
★若い青少年の頃は、下の根元だ。細く純粋に固まっていた。未知なる未来があり、夢もあり、熱情的で、まっすぐに上に向かって、言われる通りに疑いもなく突き進んでいた。本当に純粋だった。何でも学び、吸収し、受け入れて、可能ならば実行した。
★壮年になると、少し違ってくる。自らの経験を踏まえて、過去と未来を見詰めながら、計算や予定を立てて、新たな計画に挑戦した。コメントの「うまいこと言うな」に感心する。オレも負けておれんぞ、競争心もある。口も、アタマの回転も、なめらかだ。
★ところが老年になると、もう後がない。土俵は残っていない。夢や未来は外れて、今が現実となる。今の足元を見詰めて、心境は、あの雲の如く広がってしまう。「枯れたコメント」になる。
★こうした流れは信仰の中にも表われる。青少年の信仰は、純粋で、何事も抵抗なく受け入れた。あの頃、記録したコメントは、清らかで、観念的で、バラ色だった。忘れもしない。「デ・アンゼリの祝日」に、煉獄の霊魂を助けるため、教会に何度も出入りして、「贖宥(しょく・ゆう)」を受ける祈りを競い合った。
★壮年の信仰は、やや実質的になる。甘いも酸(す)いいも噛み分けて、自分の欲望にも悶える。「ボヤけた」部分が出てくるわけだ。だが、まだ未来は残されている。
★老いてくると、信仰は堅実になるかと思いきや、私の場合、そうとは言えない。単純に、素直になれない。現実だけを掴み、その上に立って判断したくなる。「肉の望みと、霊の導きは、対立する」(パウロ・ガラテア5.17)を実感するようになる。そこに信仰の危機もある。「老人は黙っているが、真理をつかむ」
★ああ、あの雲の上を見よ。ボヤケている雲。あそこが老人だ。老人は、からだの心配や介護だけでなく、老い行く気持ちや心理を自ら率直に理解した上で、しっかりと霊的生活を固め、完成していく必要がある。今からでも、遅くない。今日から、始めよう。

2018年11月17日土曜日

月に1度は礼拝の日。今月は死者の月。ホームの故人のため、祈る

今週の水曜日は、ホームの「礼拝の日」だった。毎月、1度行なわれる。
★ホームでは、毎朝、6時からミサがあり、元気な人は参加する。身体の都合で、祈りに参加できない人は、この「礼拝の日」に、職員の介助で、ミサで祈る。11月は死者の月になっている。この月の「礼拝の日」には、特にホームで亡くなった故人のために祈った。
★今年、ホームで逝去した人も、10人近く数える。100歳の女性が、2人。修道会では、大曾神父さま、谷村神父さま、村山修道士さんの3人の修道者が神に召された。
★大曾神父さまの修道服を着た写真がある。これは去年のクリスマスの日に撮った大曾神父さまのお姿です。いつも祭壇の近くで、車椅子に座って、ミサで祈られた。
★大曾神父さまは、ホームに来られて、本当に良かったと思います。大曾神父さまは職員から愛情を持った介護を受けて、見ていても、羨ましかった。(ボクも、あんなに、心のこもった介護を受けたいよ)
★室内運動会でも、こんなに楽しく過ごされていた。2人、合わせて、「ピース」だよ。食事は、いつも大曾神父さまが、ゆっくり、全部食べてくれるので、介護をする職員も嬉しい。大曾神父さまは、心優しい印象を職員さんたちに与えた。
★ホームの入居者の幸せって、何ですか?入浴設備や、室内の広さもあるけれど、要は、職員と入居者の「家族的な『つながり』にある」。人には、それぞれ好みや、気が合う人、イヤに思う人も居るでしょう。そうした中でも、愛情を持って接してくれる。受け入れてくれる。そんなホームが大好きです。老人は、徐々に老いてくると、行動範囲も狭くなり、必要でなくなる。豪華さや、便利さは、遠くになる。欲しいのは「愛情」です。
★「礼拝の日」に祈りました。「神さま、教えてください。示してください。わたしは愛されており、ひとりポッチでないことを」