2013年10月31日木曜日

朝から、予約の診療へ。朝食の時、ライモンドにも食事を。

これが、ライモンドだ。抱き上げると、イヤがる。もちろん、家屋には、入れない。いつも、屋外を徘徊している。今朝、ライモンドの写真を撮るつもりで、昨夜は、夕食のとき、サンマの塩焼きを保存して、「これは食べるなよ」と皆さんに伝えた。朝のお勤めは、1時間40分かかる。お祈りが終わったのは、7時半近くだった。食堂へ行くと、ライモンドは屋外の扉のところに、正座して、待っていた。「ライモンド」「ニャオ、ニャオ」「オメクなよ。あげるケンな。その前にシャシンば、とるぞ」。イヤがるライモンドを抱き上げた。これがスナップです。「おまえは、幸せモンだ」。★予約の診察に出かける。「何ごとも、ありません」。40分待つ。尿の検査数値が出るのが、時間がかかる。診察は、3分で終わった。クスリをもらう。★タクシーで、別の医院へ。心電図をとる。クスリをもらう。明るい気持ちで、聖コルベ館へ帰ってきた。

2013年10月30日水曜日

ジンセイは短い。生きること、大切にしたい。ムダに生きるな。

朝がた、ラジオの深夜便を聞いた。86歳だけれども、明るくゲンキな声で語るお年寄り。「腎臓のガンで、片方を取った。大変な手術だった。そのあと、ボウコウ・ガンにも罹る。電気メスで切り取った」。聞きながら、オレと同じだ。ジンゾウ、取って、ボウコウも、病む。ラジオで語る人は、アンパン・マンの作者、やなせ・たかしさんだった。もう亡くなったけれど。生前の声だった。ラジオで、やなせさんは、生きていること、謳歌している。歌も自ら作詞・作曲し、自分で、大声で歌っていた。「すばらしい、ヒトやな」。やがて、5時になる。いつもの通り、ゲンキに起きた。身支度をして、真っ先に、聖堂へ行く。5時45分から、共同の祈りが始まる。祈ると、心が洗われ、やる気が出てくる。「生きているって、なんと、すばらしいことか。歌も唄えるじゃないか。祈りも出来るじゃないか。アッ、ハ、ハ、ハ。笑えるじゃないか。いい、ことタイ」。思わず、つぶやいた。ホンネを言うと、80代も半ばになると、1日1日が、とても惜しい。月日が過ぎ去るのも、また早い。いま振り返って、若い頃を思えば、ほんとうに、時間のムダ使いをしたモンだ。後悔するよ。ニンゲンは限られた時間を生きるなんて、思わなかったよ。時はエンエンとつづくものとばかり、勘違いしていた。そうだ、な。若いとき、何をするか。勉強するよ。外国語を覚えるよ。ジンセイ、やりたいことは、いっぱい、あったのになあ。今からも、ボチボチ、やるか。★「ピン、ポン」と鳴って、韓国の巡礼者が、23人入ってきた。

2013年10月29日火曜日

聖コルベ館に反響もある。手紙も来る。感謝も届く。見ている。

「トマさん、毎日、ブログを見ていますよ。おカラダ、大丈夫か、心配しましたよ。(韓国に行っていたから)。でも、チャンポン、食べたとあって、安心しました」。そう言われた。チャンポンが、安心、けっこう、効けたみたいですね。「どこのチャンポンか?と思って、よく見ると、長崎リンガー・ハットと分かりました」「よく、まあ、そこまで、わかったね」と、こちらが感心するばかり。★読者からの手紙がきました。慰められた。「小崎サンに、初めて手紙を出します。10年前から、騎士誌を愛読しております。様々な記事に励まされていますが、中でも小崎サンの、多くの人びととの出会い、病気の体験など、綴られるお話は、ほのぼのと、また楽しく、時には病苦の不安に打ち克つ、前向きな姿勢を示されて、教えられています。ありがとう」。こんなに感じてくれる方もいらっしゃる。ありがたく、嬉しいです。そして更に、この女性は、「『西九州キリシタンの旅』の本を持って、平戸、生月、天草など巡り、大変参考になりました」と感謝がありました。横浜の女性からです。★また、日本26聖人の映画のDVDを見て感激しました、という女性が来られた。キリスト信者ですが、神戸から夜行バスに乗って、矢も立てもたまらず、殉教者のことを思いつつ、巡礼の気持ちで長崎へ到着し、西坂の殉教地に来ました。聖コルベ館にも来ましたが、残念にも小崎サンには会えなかった、とメモを残されていた。電話で話が出来ました。★毎日が平凡な日々ですが、様々な出来事も起こっております。
 


2013年10月28日月曜日

病める女性、ルルドへお参り。本場のルルドへ行きました。

ロザリオ祭に、関西から、1人の女性がお祈りに来ました。病気を病んでいる方です。「小崎サン、おぼえていますか」と言われて、1ヶ月ほど前のことを思い出しました。娘さんと、2人で来た女性でした。大変な病気で苦しんでいます。いま、治療をおこなっている。前々から、聖母の騎士のルルドにお参りに来ていましたが、お水を飲みに、汲みに来ました。娘さんが、「フランスのルルドへお水を汲みに行きます」と言われた。そして今日、またお母さんが1人でやって来た。「小崎サンから背中を押されて、ルルドへ行ってきました」「え?フランスへ、ですか?」「ハイ。息子が、フランス語を勉強しているので、息子と2人で行きました。お恵みを沢山いただきました」。女性は、病気の養生をつづけています。病気は、お医者さんに言わせると、とても深刻だそうです。でも、女性は今のところ、痛みや、苦しみはないと言っています。骨にも転移があるそうです。手術は出来ない。抗がん剤の治療をしていますが、幸いに、クスリが特別に好く効いている。何とか、生きたいと願っています。女性は明るく、信仰をもって、マリアさまにもお任せしています。ブログを読んでくださる皆さん、女性のために祈ってください。お恵みは必ず現れるでしょう。希望をもって、祈りましょう。女性は「小崎サン、また来ますから」と言って、帰られました。病気は、1人1人違うので、希望はあります。奇跡もおこるかも知れません。最善を尽くすのが、神さまのみ旨です。女性のことは忘れないでしょう。

2013年10月27日日曜日

恒例のロザリオ祭。秋晴れのもと、多くの参詣者で賑わう。

朝から、いそがしい。開館と共に、次々と、シスターや、グループや、参加者が、三々五々、クルマで集まってくる。あの人、この人に、久しぶりに出会って、挨拶する。機嫌よく、話しかける。「おゲンキ、そうね」「ええ、まあ」。心配してくれるのは、ありがたい。こちらも、できるだけ、カラ・ゲンキを出している。疲れているとは、思われたくない。10時30分から、ロザリオの祈りが始まった。皆さんは、ロザリオの玄義の方へ上っていく。祈りながら、ルルドへ至る。玄義のところで、花撒きの少女が、花を散らす。修道士は、もう、ルルドへは、登りきれない。聖コルベ館で待機していた。神の島教会の主任神父さんが、司式をおこなった。聖コルベが開いたルルドに、集う皆さんは、220人あまり。年に2回、行なわれる。ここには歴史がある。歌声は山々にひびき、祈りは天へと登って行く。12時20分ごろ、祈りは終わって、皆さん、降りてくる。幸せそうなカオをして、聖コルベ館に姿を見せた。これで今年のルルド祭は天気に恵まれ、安心して無事に終わることができました。マリアさまのお恵みは、みなさんに有るでしょう。ルルドのお水を飲んで、さわやかな日々を過ごしております。聖母の騎士のルルドは有名です。多くの人が、お水を汲みに、また祈りに見えている。

2013年10月26日土曜日

古い写真を、懐かしく見つめた。命日は韓国に。いま祈ります。

亡くなった人、いつになっても、忘れない。10月19日が命日だった。忘れていたわけではない。ちょうど、韓国を旅行中だった。あれから、きょうは、1週間になる。神父さんに、その人のてめ、ミサをお願いした。もう今年で、45年になる。1枚の古い写真を取り出した。裏に、エンピツで、「陽なたぼっこ」とある。1064年11月2日。右より、アグネス・シスター。深堀おばあさん。ガブリエル・シスター。山田おばあさん。ジョン。名前が書いてある。シスター・アグネスが、その人。この写真の4年後に、亡くなった。心臓病であった。1968年10月19日、享年、40。同じ歳であった。心の優しい、看護の技術に長けたシスターであった。生涯を、神にささげた。両親や、兄弟は、みな、カトリックではなかった。亡くなった人は、身近に居る。見守ってくれる。そう信じたい。

2013年10月25日金曜日

食卓、にぎわす、柿。ああ、おいしいよ。食して、満ち足りる。

食卓に、いくつもの柿が並び始めた。「上の、木から取った、柿だよ」。この辺り、柿の木が多かった。「何本、あるとね」「2本、けっこう、なっているよ」。天然のものは、かっこうは、イマイチだが、うまさは、いいね。みな、よろこんで食している。★昨日は、この道で良かったのか、など記したが、それは迷いです。騎士誌に、もう何年も、毎月、書いてきたのを見ても、これだけの出会いがあったのです。足跡があったわけです。過去は振り返るな、とは言いますが、時には過去を思い出すのも、いい。人のジンセイって、そんなに大それた痕跡はないですね。平凡に暮らすのも、いいでしょう。★沖縄の小学生たちが、9月に、聖コルベ館へ見学に来たが、感想文が送られてきた。小学生が書く文には、心が揺らされる。返事に、手作りの、絵ハガキを、各人あてに、まとめて送ったから、いま頃、着いて、喜んでいるだろう。平和を愛する人になってほしいよ。


2013年10月24日木曜日

折々に、助ける人が居たから、今が、ある。湧き起こる、感謝。

歳も、85、にもなれば、考える。オレのジンセイ、この世に生きて、これで良かったのか。修道士になって、迷っては、いけませんね。それは、わかります。ムリしないで、平凡に、考える。マンゾクだったのか。どうせ、ニンゲンのイノチには、限りがあります。「良かった」と言って、幕を閉じれば、それで、よし。韓国・明洞(ミョン・ドン)聖堂は赤レンガの造りで、リッパでした。戦争のときも壊れなかったのでしょうかね。建物は、かわりませんね。ただ写真が撮りにくかった。逆光線になるのです。朝の9時頃の写真です。一段と、高いところにあります。登り坂は、工事中でした。ホテルから聖堂まで、タクシーを使いました。なぜ、小崎修道士が、この歳まで、生かされたのか。それは分かりません。ただ、折々の、困難なこきにも、助ける人がいたんですね。ありがたい。あの人、この人。助けてくれた。だから、今が、ある。そんなことを今朝は考えました。明洞聖堂の内部には、両壁の上のところに、回廊があります。回廊がある教会は、由緒ある建物です。長崎でも、回廊があるのは、そう沢山は、ない。黒島天主堂、田平天主堂、青砂が浦天主堂、これぐらいでしょう。韓国の旅も、この教会の祈りで終わりました。いつも、祈りは、あります。神さま、ありがとう。今年は、これで旅をおしまいにします。あち、こち、回ることが出来ました。健康を与えられて、きょうも、感謝です。

2013年10月23日水曜日

韓国のワンちゃん、仲よく。キムチの匂い、ない?大丈夫だよ。

このワンちゃんたちは、山の騎士会修道院の小屋にいた。吼えるかな。噛み付くかな。そう思いながらも、近づいて行った。「オレは善人だからな。噛み付くなよ」。ワンちゃんは、おとなしく、寄ってきた。匂いを、かぐ。(お?キムチの匂いが、ないぞ?)。不審に思っているのか。ペロ、ペロ、なめ始めた。「ああ、いい子だ」と、うれしくなった。しばらく、無言の対話がつづいていた。韓国の皆さんとは、仲良くしたい、そう願う。いつまでも、ゲンキでな。犬に挨拶して、別れた。★韓国へ行って、一番心配したのが、健康状態だった。ジンゾウの方は、異常はないか。ニョウは出ているか。ムリはしない。辛い料理は、食べません。お酒も飲みません。幸い、普段より、動く動作が多かったからか、カラダの調子は、なんとなく良くなった。ただ、足が痛んで、困った。限界を感じた。★この度は、1つのワク内に、納まっていたと思う。韓国の修道者からは、好意をもって接してもらった。管区長館の夕食にも接待されたからね。ありがたいと思うよ。聖コルベ館へ帰ると、ぞくぞくと、韓国人たちの巡礼者が、わんさと来ている。彼らを優しく受け入れよう。そんな気持ちになった。

2013年10月22日火曜日

韓国・修道士のコーヒーは、気持ちを、落ちつかせた。

山林のなかの静かなテラス。座ると、ご機嫌になる。周りには、清らかな空気がただよい、「ああ、気持ちがいいなあ。長生きするよ」。ここは韓国の、山のなかの修道院・敷地内で、道路添いに、小川が流れている。粗末な、狭い、木の橋を渡れば、この写真のテラスがあった。左側の修道服は、ここの修道院の院長神父さん。テラスに面して、左側に、憩いの小屋が建っている。下の写真は、その小屋のなかです。帽子をかぶった修道士が、コーヒーを入れていた。「飲みますか」「ハイ、ありがとう」。修道士は、香りのよいコーヒーを入れてくれた。チャワンが手作りで、大きくて、器(ウツワ)の感じがする。この小屋には、テーブルとイスもあり、自由に入れる。胸に名前のカードをさげた若者・男女が入れ替わり入って、コーヒーを飲んでいた。聖堂で祈りや説教を聞いて、山登りもする。貸切バスで来ている。「コーヒー、無料です。こころざし、いただきます」「おいしいよ、この味」。しばらくテラスの語らいは続いた。院長さんの隣り、白髪は、修道士。その隣りが、管区長神父さん。手前の赤色は、運転の金神父さん。★コーヒーの修道士が、大きなバケツに、コーヒーのチャワンを入れて、橋を渡って行った。「え?どこへ、行くの?」。院長さんの説明によると、小屋には、水道を引いていない。それで、使う度に、70mほど離れた修道院へ運んで、洗っているそうだ。水も、修道院から汲んでくる。「なぜ、って」。水道をつけると、洗剤など使って、山林や環境、小川が汚れる。それを聞いて、日本の修道士は感動したね。「それほどまでに、気を配っているコーヒーは、ウマイ」

2013年10月21日月曜日

チャンポン食って、旅は終わった。いい思い出が出来た。

韓国から、長崎空港へ着いたのは、夕方、6時30分だった。「ああ、やっと、帰ったぞ」。長崎は、すっかり夜になっていた。空港の近くに、クルマを預けていた。3日で、1.800円。介護の白浜さんが運転するクルマは、夜の高速を走る。一般道路へ降りて、最初に向かったのは、「長崎チャンポン」の店だった。注文のチャンポンを見て、「おお、来たか。これぞ、ナガサキ」と感動。メンを吸い上げると、長崎へ帰ってきた実感が、ジワーッと、わいてきた。相対する白浜さんに、「ごくろうさん。おわったね。ありがとう」。2泊3日と、短い期間だったが、なぜか、長ガーく、感じられる旅だった。このチャンポンが旅の終わりを告げる。餃子(ぎょうざ)も、うまかった。料理は、やっぱり日本食だね。チャンポンを食べられる幸せを、しみじみと味わった。聖コルベ館へ帰って、「さあ、これから、仕事、がんばるぞ」。こうして今年の旅行は、終わったのです。あと、残るは、「オバマの湯」だけです。

2013年10月20日日曜日

韓国・ソウル、3日目。明洞聖堂でミサ。夕方、長崎へ帰る。

日曜日。明洞(ミョン・ドン)聖堂で、祈る。9時、英語のミサ。10時、韓国語のミサ。言葉は分からないが、内容は分かる。カトリックは、それが有り難い。いつでも祈れる。聖堂は、いつもイッパイの信徒で溢れている。「ニンゲンは、小さな存在です。偉大な方が、おられる。神さま、あなたを賛美します。我が罪を許し給え。こんなに、教会に集まって祈る。幸せを、感じます。なぜ、日本の信者は、教会に行かないのか。行って、祈れば、いいのに、そう思う。ここには、荘厳なオルガンのヒビキ、揺れるような祈りがある。雰囲気がある。日本の教会は、寂しい。もっと荘厳にならないものか」。そんなことを祈りながら考えた。★この度、3日間にわたって、クルマを運転し、案内、お世話をしてくれたアンドレア金・神父さんは、上智大学で、福祉の勉強をして、韓国で、福祉の面で活躍している。募金をおこなって、お金を、10年前から、北朝鮮へ。豆乳工場を作る。韓国から、豆を送る。もう何回も北朝鮮を訪れた。11月も、行きます。ベトナムは6年前から、学校を3つ建てた。家を300軒作る。ラオス、5年前から、医療の面で援助している。診療所を作る。フィリピンは昨年から、学習のホームを造る。グループ名を「平和3000」という。いま、2013年、3000年に向けて、平和をつくる。その願いをこめて、各国を訪問し、活躍していると言った。司祭が、燃える。信者が援助して、信者も燃える。信仰が、燃える、そういう熱のこもった雰囲気を感じた。韓国は日本よりも、カトリック信徒が多いので、援助も大きな熱を帯びてくるのだろう。★韓国へ行くと、信仰面で、奮い立たせられる。★午後からは、金・神父さんの運転で、ソウル・仁川(インチョン)空港へ向かった。空港で、2人はトンカツを、金神父さんは韓国食を食べて、別れた。大変、お世話になりました。飛行機は、17時10分、飛び上がった。さよなら、韓国よ、カムサンムニダ。

2013年10月19日土曜日

韓国・ソウル滞在、2日目。聖コルベに、修道服、ホットする。

アンドレア金・神父さんが迎えに来る。9時に、ホテルを出発。ソウル市内から高速道路に乗った。すぐさま渋滞に巻き込まれる。「土曜日なので、山や、海の方向に出かけるクルマです」。ゆるゆる運転。やっと、田舎の道に入って、約2時間を要して、めざす山地に着いた。石門の坂を登る。大きな赤い建物があった。コルベ神父の看板と、修道服姿を見て、ホットする。「ここに来るのが、目的だった」。院長神父さんに会う。騎士会の本部になっている。「韓国版の長崎のコルベ神父」本を送ってくれて、ありがとう」。いくばくの寄付を差し上げた。騎士誌は、1万部ほど刷っている。皆、無料で発送している。この赤い建物は、1階が、騎士誌の編集部、事務所、インターネットの発信所などになっている。2階、3階が、修道院で、7人の修道者が生活している。修道士は、2名。もう1つ、赤い大きな建物があって、これは聖堂で、ちょうど信徒たちが集まって、司祭の説教が行なわれていた。★7年前に来た時は、建設当時で、赤い建物はなく、プレハブの平屋が2棟あった。そのプレハブは残っている。広い敷地で、約5万坪。彼方に、山の峰が見える。韓国の人は今、登山がブームで、若者たちが貸切バスで、ここに来て、黙想して、祈って、新鮮な空気に触れて、山にも登る、そういった目標で、この場所は盛んに人が来ると言っていた。憩いの場所になっている。昼食のご馳走になった。魚のナベだった。ここでは、もう1つ、事業を行なっている。薬草を、切って醗酵させて、エキスを取る。ビール瓶に詰めている。これが健康に効果があるそうだ。ネットで販売している。残りの酵母で、パンも焼いている。また騎士会員が作ったロザリオなども販売している。信徒が多いので、売れ行きは上々のようだ。午後2時前には、この山を去った。★院長神父さんが、1つの実話を語った。弟は、医師であった。サレジオ会へ入って、司祭になった。アフリカへ行き、医師として大きな活躍を行なっていた。ところが病気になり、帰国し、ここで養生をつづけたが、残念にも、亡くなった。彼の功績は全・韓国に知れ渡り、テレビに放映され、映画にもなって、大きな反響を及ぼした。本も、何冊か出ている。彼の意思はまだ続けられ、福祉の団体ができた。院長神父さんも参加している。これはカトリックの範囲をこえた大きな働きになっている。信者たちは応援している。心温まる実話であった。

2013年10月18日金曜日

韓国・ソウルへ、1日目。ソウルの夜は、冷房で、寒かった。

朝、8時30分、聖コルベ館を出発する。運転は、介護の白浜さん。長崎空港には、40分ほどで着いた。クルマを預ける。「3日間の旅だが、保険に入っておこう」。空港内に、国内保険はあるが、海外は、ない。調べると、空港の隣の建物に事務所がある。電話をかけて、呼び出して、保険を済ませた。2人で、6.000円ほどだった。搭乗開始。少々、緊張する。乗客には、韓国人が多かった。航空運賃、1人、往復、18.000円。航空税、6.640円。10時50分、飛び立った。1時間10分で、ソウルの空港に到着する。ソウル空港では、一番、端っこに飛行機は着いた。それから歩け、歩けの前進、荷物は皆、白浜さんに持ってもらった。歩くのが精一杯。エスカレーターで降りて、今度は、列車に乗る。また上がって、歩いた、歩いた。1時間かけて外に出ると、アンドレア金・神父さん(49歳・管区評議員)が出迎えてくださった。途中で、昼食を食べる。水餃子だった。デカイ、大きなギョウザ。おなか満腹。クルマで約1時間30分でソウル市内へ。最初に、行ったのは、修道会の管区本部修道院だった。管区長さん、院長さんへ、挨拶をおこなった。(上は、その写真)。次に、水墨画の店へ。2点の絵を買う。1枚、1.000円。ホテルは、明洞(ミョウン・ドン)の聖堂近くの、「スカイパーク・ホテル・3」。1人、1泊、16.500円。普通のビジネス・タイプ。(2泊した)。ヨゼフ李・神父さんのお母さん、妹さんと、夕食を共にする。ヨゼフ李・神父さんは、現在・イタリア・アシジの修道院に居る。お母さんは、心配そうであった。「ゲンキに頑張っていますよ」と慰める。料理は、バイキングの西洋料理。妹さんが、「水墨画」の豪華な本をプレゼントしてくれる。「ありがたい。これで色紙を描こう」。さて、ソウルの夜は寒かった。ホテルは、まだ冷房が入っている。「暖房、ないの」「ありません」「それじゃ、寒いよ」。あわただしい日だった。とうとう韓国へ来たのだな。1万円を、ホテル隣のコンビニで両換すると、10万4千ウォンもらった。

2013年10月17日木曜日

生きているからには、いい思い出を沢山つくろう。やるぞ。

今年は、あっち、こっち、と小まめに、旅をした1年でした。5月は、韓国へ。7月の夏休みは、東京・赤羽へ。広島にも行った。8月は、黙想の家へ。湯布院へ。出会いも、あった。周ると、さまざまな感想も湧いてきます。「仲間たちに囲まれて、いいカオしているでしょう。幸せだよ。欲は無いしね。エガオがあれば、マンゾクです。すっきり、さっぱり、苦しみは、共に苦しめば、小さくなる。楽しみ、喜びは、共に喜べば、大きくなる。1日の労苦は、それにて足れり」。それで、いいです。★今年、最後の旅ですが、アシタから、2泊3日で、韓国・ソウルへ行きます。長崎空港から、ソウル行きが出ている。便利ですよ。同行は、介護の白浜さん(男性)にお頼みしました。目的は、韓国の聖母の騎士会への訪問です。どんな旅になるか、楽しみです。気温は、ソウルは少々、寒いようですね。ゲンキで行きます。いい話題が出るか、期待してください。

2013年10月16日水曜日

小学生の皆さんへの話は、ファイトだ、ゲンキだ。いいな。

小学生たちに囲まれて、ゲンキが出るなあ。京都からの修学旅行の小学生たち、150人が来る。早朝から、やってきた。こちらは、ファイトに燃えて、迎える。小学生に話すのは、話し方の勉強になる。話す筋道は決まっているが、ムダな脇道の話はカットする。だから、話が単純になって、わかりやすい。紙芝居的に、絵を見せながら語った。「助ける人になりなさい」「困難が来ても、逃げない人になりなさい」「敵をも許す人になりなさい」。コルベ神父は、そういう人でした。小学生たちは、真剣に聞いていた。態度は良かったよ。聖コルベの居室の前で、「質問、いいですか?」と、女子の小学生。「ああ、いいよ」「コルベ神父さまは、いつ聖人になったのですか」「1941年8月14日に、亡くなって、聖人になったのは、1982年10月10日です」。★韓国人巡礼者が、22人来る。その後で、女子高校生たちが、15人来る。ほかにも見学者が、ある。忙しい1日であった。やっぱり、小学生に話したのは、こたえたよ。

2013年10月15日火曜日

連休は、訪問者が多い。女性が、親しく話しかけてきた。

先日、ステント入れ替えのため、1夜、入院したときは、ブログを見てくれる方々に、シンパイをかけた。普通は、毎日、130人前後の方が、読んでくださる。ありがたい。入院のときは、211人が見ていた。急(キュウ)っと、数字が上がるのが、やっぱり、「どうなったんだ?」と心を配ってくださるお陰です。★連休・最後の日は、聖コルベ館を見学者が多かった。次々に来て、応対していると、ブログを書くヒマもない。見学者のなかに、写真の、1人の女性が居た。車で、2時間ほどの町から、1人運転してきた。子ども2人はダンナさんに預けて、ひとり長崎へ休みにきたと言う。来るなり、「ブログを読んでいます」。そう言われれば、会話のやり取りが早い。「洗礼は?」「いま、勉強中です」。今年になって、教会に興味を持った。祈っている。「このお恵みを、腰折れしないで、最後まで、頑張ってください」と励ました。「好きな言葉は、なんですか」「エガオ、です」。確かに、表情に、その面持ちが現れていた。遠藤さんの本に興味がある。沈黙も、女の一生も読んだ。コルベ神父のルルドへ来たかった。水の容器も持ってきた。「洗礼を受けたら、また、いらっしゃい」と、うながした。数々のパンフレットを差し上げた。「幸せを、祈ります」
 

2013年10月14日月曜日

「コーちゃん」と本名で呼ばれてハッとなった。うれしいよ。

「コーちゃん、コーちゃん」と、久しぶりに呼ばれて、うれしくなった。少年の頃を知っている人に出会うのは、ありがたい。人と成りを分かるからね。幸一だから、コーちゃんと呼ばれた。いまは、もう久しく呼ぶ人は、いない。老人ホームに、フミエおばさんを訪ねた。「お年は、何歳?」「大正10年の生まれ」。計算すると、92歳。「ゲンキだよね」。案内した家族は、「少し、知識が遠いです」と言っていたが、こちらを見るなり、「コーちゃん、ね」。いや、もう、お訪ねした甲斐があったよ。「いつまでも、長生きしてね」。そう言って、老いた手を、しっかりとアクシュした。生きていることは、チカラになる。周りに、輝くオーラを与える。おばさんは、幸せそうだった。中々リッパな福祉の施設である。感心した。従兄の奥さんにあたる。従兄のミサ、墓参り、の後で、施設を訪ねて、お見舞いした。安心したよ。おばさんのように、老いても尚、輝いていたい、と思った。

2013年10月13日日曜日

日曜日のミサ後、交流の話。午後3時30分、無事に帰る。

「旅ゆけば、出会い、あり」。いろいろな出会いがあった。今朝は、日曜日だから、ミサで祈った。入口で、知り合いの小百合さんに出会う。ミサには、大勢の信徒がいた。ミサの最後に、「誰か、初めての方がいらっしゃったら、挨拶してください」と声があった。数人が、立って、拍手が起こった。修道士と、呼ばれないように、黙して、目を伏して、小さくなっていた。しかし終わって、小百合さんから、「手を挙げれば、よかったのに」と言われる。若い神父さんにも声をかけられ、写真を撮った。「騎士誌、読んでいます」「本も、読みました」「ブログを見ていますよ」など、数人から挨拶もされる。中には、この教会で、日本26聖人の映画も見せてもらいました、とカンシャする女性もいた。小百合さんが、気をきかせて、紙と、黒のマジックを差し出して、「サインをしてください」。数枚のサインをすると、早速、配っていた。小百合さんと、女性の1人と、隣の「ロシア料理店」で定食をたべた。その後、小百合さんを、うながして、「おたく」専門店へ入る。とても1人では、入れない店だった。小百合さんのお陰で助かった。先日、ポーランドから女性が、おたく、の雑誌を送ってきていたので、お礼に、数枚の下敷きを購入した。「これを送ってあげたら、よろこぶだろう」。小百合さんは、午後1時15分発の列車のホームまで、見送ってくれた。「ゲンキで、ね。さよなら」

2013年10月12日土曜日

博多へ出かけます。1年忌のミサ、墓参り、会食。故人を偲ぶ。

母方の従兄が、91歳で亡くなって、1年忌。博多へ出かけます。教会で、ミサ。祈ります。母方の親戚は、原爆で亡くなって、ほとんど居りません。数少ない、親戚です。★連休の初日。列車は、込み合っていた。博多のホテルも満席という。親戚に頼んで、なんとか確保した。ミサ、墓参り、会食。終わったのは、夕方、4時過ぎていた。亡くなった従兄は、子どもの頃、家族愛に恵まれず、苦労をしたという話が出た。★ニンゲンは、生まれた家庭の環境で、大きくジンセイが左右される。そのワクから抜け出すには、勇気が要る。才能と、性格も、大きく影響するだろう。従兄は、戦争前に、航空学校へ進学し、民間の飛行機乗りになっていた。戦争に入ると、航空兵になる。お偉い将官を乗せながら、山に突入、不時着した経験もあった。戦後は、航空自衛隊に勤務し、かなり階級も上位に収まっていた。もの静かな男性であった。

2013年10月11日金曜日

カラダを洗って、身も心もキレイに、再・出発だよ

病院から帰って、介護のヘルパーさん(男性)が来て、助けを受けながら、入浴し、気分を落ち着かせた。ヘルパーさんから、カラダを、丹念に、洗ってもらった。恥も、外聞も、ないですよ。病気だから、仕方がありません。特に、腰の周り、「消毒、しますから、ね」と手術室で声かけられて、冷たい液で、塗って、塗りまくられた。辛抱ですよ。それを思い出しながら、洗って、洗って、すっきりと、なった。「よし、また、気分を入れ替えて、何事もなく、平常心で、お勤めを果たすぞ」。騎士誌の11月号が、発行された。今月は、「聖コルベのルルド」について書きました。1度は書いて置きたいと思っていた課題です。ルルドには、大勢の参詣者が、黙々と、登っては、お祈りをして、お水を飲み、ポリ・容器に汲んで大事にして帰ります。コルベ神父のお水です。そのイワレを書きました。自分ながら、よく、まとまっているとマンゾクしています。読んでください。思い出してください。★あしたは、親戚の年忌のミサ、墓参りのため、早朝から、1泊2日で、列車で、博多へ出かけます。ご心配なく。日曜日に帰ります。

2013年10月10日木曜日

無事に、退院しました。ホットする。聖コルベの許がいい

ベッドの上、気分は爽快です。今朝も、「チリン、チリン」と、ご聖体を捧持した神父さん、カンテラを持ったシスターが訪問される。「祈って、カンシャして、こころは安らぐ。いいなあ」。看護師さんの早朝の検温。「熱は、6度5分」。平熱だなあ。シンパイはしていたが、幸いに、上がらない。「ニョウは、出ていますか」「ハイ」「夜は眠れましたか」「ハイ」「きょう、退院ですね」「ありがとう、ございます」。ニンゲンって、おかしいね。調子が、いいときは、返事も、スラスラと出る。朝食後、9時前、お医者さんが、エガオを見せる。外来の診察前に来られた。「退院しても、いいですよ。何時ごろ?」「10時頃、します」。ホット、一息ついた。内心、「今度の交換は、楽だった。ジンセイ、1つの山を、また乗り越えたわけだ。いつまで、つづくか知らないが、こうして老人は、歳をとり、僅かなイノチをつないでいく。「やかった、よ」★ブログを見て、心配して、くださる皆さん、感謝します。6人の方がコメントを寄せてくださった。見舞い客に、問うた。「ブログの、何を、読んでくださるのだろうかね」「シュウドウシ、って、みとめて、おらんモン。トンデいる、ジイチャンとしか、考えていない」。きつい、言葉だ。「シュウドウシ、として、背骨を、伸ばせ」


2013年10月9日水曜日

入院します。熱が出なければ、あした、帰れるでしょう。

これから病院へ向かいます。きょうは、どういう1日になるか、分かっています。午後から、手術室に入るでしょう。入ってから、出るまで、黙って、忍耐して、ガマンして、時間が過ぎるのを、耐えています。もう、同じ手術室に、何度お世話になるか。数えません。ステントを入れ替えて、生きて行けるのなら、それで、いいじゃ、ありませんか。老いが来ることは、カラダの部分が衰えていくことなんです。お祈りください。帰ってから、この文は、継ぎ足します。★松下修道士さんが、車で送る。昼食、なし。点滴が始まる。午後、赤尾神父さん、保護者として来る。1時30分、点滴を持って、歩いて、手術室へ。頭上、後部の時計を見る。1時37分、マスイ開始。1時42分、「カメラ、入れます。ちょっと、痛いよ」「クチを、あけて、大きく、イキを、して」。その時の、心境。イメージは、海の上に漂う泳ぎのカラダ。背泳ぎのカッコウ。あれ、ですね。波間に、ゆだねる、全く、そんな気持ちです。1時50分、「終わりました」「早やーッ」。ベッドに寝せられ、手術室を出る。2時に、病室へ帰る。あとは、着替えて、静かに休みます。「熱が、出ないように」。赤尾神父さん、安心して、帰る。お医者さんが、5時に来る。「ボウコウはキレイでしたよ」。夕食は、あり。点滴が終わったのは、午後7時だった。これで、すべては完了した。神さまに、カンシャ。みなさんに、感謝。


2013年10月8日火曜日

68年前、この道に入った記念日です。今日も長崎は雨だった

忘れません、この日は覚えている。原爆に遭って、家を失い、母を失い、傷心の17歳の少年。おじさんの家に居たが、肩身が狭い。これから、いかに生きるべきか、決断を攻められていた。「自分で生きる」「いかに生きるか」「何を選ぶか」。雨の日だった。「今日は、ナガサキは、雨だった」。歌の文句じゃないけれど、悲しいよ。雨って、悲しいね。傘もなく、少年は、ぬれてね。哀れなモンさ。聖母の騎士の大きな扉に立った。引くヒモがあってね。それを引くと、奥の方で、「カラン、カラン」とカネがなる。ドカ、ドカと、クツの音が大きく響いて、ポーランド人の修道士が大きな姿をあらわした。それが、ゼノ修道士だった。白いヒゲがあってね。青い目は優しかった。「オー、坊ーや、お母さん、どうしました?」「ゲンバクで、死んだ」「カナシイ、ネ」。ゼノさんは青い目に手をやった。「入りなさい」。ミロハナ神父に会って、「小神学校で、勉強しなさい」。それが、68年前の出来事だった。「この道に入って、68年。聖人への道は遠い」と書きたいが、キザになるので、書きません。それより、トコヤへ行って、サッパリした。それで、ええでしょう。まだ、まだ、がんばります。


2013年10月7日月曜日

ポーランド語から、おたく・アニメの雑誌が送られてきた。

ポーランドから、1冊の雑誌が送られてきた。知らない人からだが、名前は「ヴァニタチ」さんです。手紙は、日本語で書いてある。「おたく・アニメ」の雑誌なんて、こりゃ、なんだ。おたく、って知らないよ。そういう時代で、なかった。伝播は早いね。ポーランドでも、オタクの気風が流行しているんだ。雑誌をあけると、いま・ふう、というのであろうか、目の大きな、足が細い、髪がイカス、男性、女性が描かれている。我々の年代は、ちょっと、ヘンな感じがする。「なぜ、ボクに?」と疑問に思ったら、自伝・マンガ「焼けたロザリオ」が、ポーランド語に訳されているが、今、向こうの若者に読まれているらしい。雑誌の記者、ヴァニタチさんが、「焼けたロザリオ」を紹介するポーランド語の文を載せているのだった。2ページにわたる。何、書いているのか、内容は分かりません。ヴァニタチさんは、今年の1月から日本語を勉強した、と書いているが、リッパな文になっている。感心するね。まあ、いずれにしても、若者たちに、おたく、といえども、コルベ神父や、戦争、原爆、平和のことが浸透すれば、ありがたいと思う。それで、いいんじゃないですか。ヴァニタチさんには、返事を書かなくては、でしょう。おたくの日本語雑誌は有るんでしょうか。マンガは、どんな本でしょうか。

2013年10月6日日曜日

茂木といえば、ニ見(ふたみ)です。料理もオイシイでした。

長崎市の、茂木(もぎ)という港町に、「ニ見(ふたみ)」と名の付く食事処があります。招待されて、行きました。ひっそりとした小さな港の町です。キリシタン時代には、大村純忠のお殿さまが、イエズス会に寄贈した場所です。後で、秀吉が怒って、取り戻しました。キリシタン迫害の時代に入ります。歴史があるんですね。さすが、ニ見です。お祝いや、接待に使う場所なんですね。10数畳のお部屋があって、大きな窓、海が開けて見えるのです。じーっと、海を見つめていると、あれッ、大きなサカナが海から出て、飛び上がって、ポチャンンと、海の中に入り、また飛び上がって、入り、4,5回繰り返したのです。「ボラ」ですね。さすが、長崎の海と思いました。会食をしたのは、4人でした。食事は3時間かかりました。楽しいひと時でした。3キロの大きな鯛、それに大きなアジ、写真が、それです。大きなアワビ、大きな伊勢エビ、などなど、海の御ちそうが、ずらりと並びました。

2013年10月5日土曜日

3つの色紙の文面に人気がある。描いて、送ってください。

となり町の女性が訪ねて来た。時々、電話をかけて、時間通りに、訪ねて来る。日記を読んでいるから、消息をよく知っている。韓国へ行きましたね。東京へも行きましたね。「ハイ、ハイ」。この間、カードが載っていたが、文章がよかったのが、3つあった。色紙に、その文章を入れて、描いてくれませんか。「誰に、あげるの?」「いや、自分で持つのです」。その3つの言葉というのが、次の通りです。①今は辛いけど、道の向こうには、幸せがある。『ブドウの絵』。②苦しみは、のちに、愛の喜びに、変わる。『ボタンの絵』。③ほんとうの愛に出会えば、苦しみ痛みは、のり越えられる。『バラの絵』。こうして描いたのが、③の色紙です。ボタンも、バラも、むずかしい。この絵のバラも満足には描けていない。ヘタは、ヘタでも、修道士が描いたと思って、カンベンしてください。3枚を早速、送った。手紙を、添えた。「時々、姿をみせてください。十分な解決のパワーは持ちませんが、寄り添う気持ちはあります。まだまだ長い人生です。例えいま落ち込んでいても、その状態は長くはつづかない。そう思って前へ向かって歩んでください。幸せ、祈ります。色紙は、あなたを覚えている」


2013年10月4日金曜日

イタリア・アシジの聖人、聖フランシスコに、平和への祈り。

師父・聖フランシスコの祭日です。少年の頃、平和の使徒、聖フランシスコに憧れて、この道に入りました。思いは、いまも変わりません。師父・聖フランシスコの前では、気持ちは単純になります。昨夜から、トランジトゥスといって、聖フランシスコが「姉妹なる死よ」と言いつつ、亡くなる、天へ召される場面の追憶がありました。式のなかの共同祈願で、「聖なる父よ」と呼びかけ、この言葉を祈る願いがありました。聖フランシスコといえば、平和です。だから、師父に倣いながら、何物をも持たないで、きれい、サッパリの身なりで、愛と、従順のうちの、清い心を固めながら、歩んでいこう、あらためて、そう祈りました。道は、遠いかも、知れない。倒れるかも、知れない。それでも、指針はハッキリしている。少年の頃の純な気持ちを、貫いていきたいと、思いました。聖フランシスコへ向かうと、ホットします。アシジの丘を思い出すよ。★従順って、何だよ?決められた目上に、全く従うことです。これが難しい。相手は、ニンゲンだからね。でも、ニンゲンに従うのでは、ない。神さまに、従う。これが信仰です。修道生活です。従順で、いちばん、光っていたのは、コルベ神父でした。ポーランドの修道者から、度々、聞かされた模範です。聖フランシスコの特に強調していました。従えば、うまく、行く。

師父・聖フランシスコの祭日です。

2013年10月3日木曜日

ライモンド、時々、載せます。ゲンキ、しているか。幸せか。

ライモンド、おはよう。ゲンキ、しているか。朝から、ニャン、ニャン、泣くなよ。大きな、サカナ、やるけんな。今朝は、オマエを載せることにした。日記を見てくれている人の、お願いだからな。ときどき、ライモンドも載せてください、ってね。うれしいと思えよ。ネコ類は、これだけのサカナを食べてしまえば、後は思い煩うこともないだろうが、ニンゲンは、そうは、いかない。いろいろ悩みがあるんだよ。ある程度、おなかが満たされれば、それでマンゾクだろう。住む小屋があれば、いい。財産も、いらない。名誉も、いらない。思いやりの心があれば、いい。そうだろう。父なる聖フランシスコの心だよね。徹底して、スリムになる。だが、これが難しい。ライモンドは何歳になるか、知れないが、我が身を振り返ってみて、もしも、もしも、だよ、生まれた時に、これからお前は、85年の生涯を生きる、といわれたら、どうだろう。え?85年もですか、とビックリするに違いない。そんなことを今朝、考えた。85年って、長い、人生だよ。オマエも、生かされているのを、カンシャしなさい。じゃーな。

2013年10月2日水曜日

60年ぶりに、騎士誌を返します。観想シスターの手紙より。

カルメル会のシスターから、次の手紙があった。「戦争の末期に、ある人が、東京は空襲で危ないと、古さとの長崎へ帰ると、カルメル修道院に別れを告げた人がいた。その後、消息が不明になった。原爆で亡くなったのか。カルメルのシスターは、その人のために祈り、また原爆で亡くなった人のために祈った。それから原爆の記事を集めるようになった。最近になって、持ち物を整理したい。騎士誌が出てきた。小崎サンの名前で、記事が出ている。いま毎月、騎士誌で小崎サンの記事を楽しみに読んでいる。そこで、この騎士誌を小崎サンへお返しします」。騎士誌は今よりも小さなサイズで、古びた感じがする。昭和28年の7月号であった。2つの記事を書いていた。ちょうど結核で苦しんでいた頃で、「孤独と不安」。内容は難しい言葉ばかりが並び、何を言っているのか、わからない。青クサかったのですね。もう1つは、原爆の記事。名前は「彦山八郎」になっている。シスターは原爆の記事で、この騎士誌を残し、小崎の名前から、返したのであろう。手紙はカルメルのシスターだから、幼いイエスの聖テレジアに就いても書いてあった。「教皇さまは、ブラジルのリオへ行かれたとき、ご自分でカバンを持たれた。初めてのことで、記者が問うと、中身は、ヒゲそり、聖務日祷書、スケジュール表、小さきテレジアの本です、と答えられ、聖テレジアが大好きです、と言われた。カルメル・シスターたちを喜ばせました」と書かれていた。★テレジアは修道院の中にだけ有って、病気に耐え、小さなことに忠実で、神への愛に燃え、若くしてイノチを捧げたが、すばらしい宣教者の保護者にもなった。★うちの修道士の阿野さんも、胸の苦しい病気に耐えながら、修道会のため捧げますと、強く生きた。近くにも模範がある。人は、苦しみに意味を見い出したとき、幸せを見つけるだろう。生きている限りは、苦しむものです。きょうも、あかるく、聖コルベ館に勤めている。
 

2013年10月1日火曜日

10月1日は、幼いイエスの聖テレジアの日。長い1日だった。

9月は去った。9月分の日記を活字に起こして、読み返す。感想は、「病いにありながらも、けっこう、いろいろ楽しんでいる。それで、よし、としよう」。書くことに、生き甲斐を感じている。10月が始まった。ミサのとき、司祭が言った。「幼いイエスの聖テレジアの記念日です。テレジアの洗礼名を頂いた人は沢山いる。それらの方々のために祈りましょう」。朝食後、テレジアと関係はないが、トイレへ行ったら、便座に、真っ赤な血が、4,5滴ついていた。びっくり、だよ。「こりゃ、ヤバイ」。ベンからか、ニョウからか、迷った。落ち着いて考えると、尿から、らしい。午前中、呼吸器科の診察日になっている。早めに出かけて、泌尿器科へ立ち寄った。血のことを、訴える。「ステント交換が近いから、クスリだけ飲むように」言われた。前にも血が出たが、おそらくステントが内臓をこすって、血が出ているのだろう。こういう状態がつづくのか、思えばイノチが短くなる。次いで、呼吸器科へ回る。お医者さんは、聴診器を胸や、背中へ当てて、ていねいに診てくれた。背中の傷をみて、おどろきの声を発した。CT画像から、右肺に、石灰化した部分が、肺の一部を囲んでいるのが分かる。そこにウミが溜まっているらしい。あっちも、こっちも、痛んでいるが、イノチには別状はない。生かされている限り、カンシャして、生きよう。耳鼻科へ寄って、耳の治療をした後、スパゲッティを食べて、果物屋へ寄る。クリと、ザクロを買った。聖コルベ館へ戻ると、午後は自室で休む。夕食の食卓に、数枚の手紙が来ていた。その中に、カルメル会のシスターからの手紙があった。「10月は、ロザリオの月、10月1日は、幼いイエスの聖テレジア、10月15日は、アビラの聖テレジアのお祝いがあります」と書かれていた。そして古い聖母の騎士誌が出てきた。