2017年2月28日火曜日

小さなドラマ。信仰が、根っから息づいている

入江さんに喜んでもらおうと、昨日の日記を、事務室に頼んでA4に起こしてもらい、夕食の時に、入江さんに渡した。食事しながら、彼は私に、こう言った。
★「この間、アンタから朝日新聞に載った記事を読ませてもらった。その時、アンタは、ゼノさんの話をしたね。原爆の後で聖母の騎士に入ったとき、ゼノさんが『お母さん、どうしました?』『原爆で死にました』。するとゼノさんが、青い目から涙を流した、という話だよ。それを聞いたその日から、ワタシは、ゼノさんの取り次ぎを祈っている。大曾神父さまの健康が回復するように、と。ゼノさん、まっすぐ、天国へ行っている」(写真は入江さんと大曾神父さま)。入江さんが大曾神父さまのため祈っているのは、おどろきだった。
★話しているうちに、食堂には、2人だけになった。「入江さん、私の部屋へおいで」と彼を自室へ誘った。入江さんも、「話そうと、思(おも)とった」
★毎日、午後からのロザリオの祈りで、1連毎に意向を立てて、妻や、両親や、6人の男兄弟、5人の女姉妹など家族のため、次に子どもや、孫のため、また(出身地の)五島・立谷(たちや)集落の信徒のために祈っている。今度は、大曾神父さまの意向を加えた。
★去年の11月、死者の月からは、立谷・集落、48家族のため祈っている。立谷の家のみんな、何人おった、何人おった、覚えているからね。立谷は私もオラショの旅の案内役で、何十回となく通った道だった。迫害で、五島のイチ番端(ハシ)で暮らすようになって、そこには、井持浦(いもち・うら)ルルドの教会もある。小学3年の時から、中田藤太郎神父さまのミサ使いをした。(ついでながら、中田藤太郎神父さまは、神学生のとき、コルベ神父から哲学の授業を受けた。私も知っている神父さま)
★入江さんの話を聞きながら、私は強く思い、嬉しくなった。「ここに、本当に、根ざした信仰がある。祈りの精神を持っている。信仰が生活に生きている」。私は入江さんの語りに感動して、彼のヒザを、何度か、サスってあげていた。こんなに嬉しい日はなかった。
★ホームで、92歳のカトリック女性が逝去した。在園期間、13年。午後から、教会でお通夜の祈りが行なわれる。

2017年2月27日月曜日

小さな喜びでいい。生きていこう。孤独に負けない

昨日、訪問者の美樹さん、哲さんが作ってきてくれた「続トマさんのことば」の22,23ページです。入江さんに見せたら、手に取って、ニッコリ笑って、「くれん、ね」と、おねだり。「イヤだよ、1冊しか、ないから、あげられん」と取り返しました。
★右側のページに、字が小さくて見難いが、こう書いてある。「小さくてもいい。小さな喜びを見い出さなければ、人は生きていけない気がします」
★ホームの生活は孤独で、喜びが少ないからね。小さな喜びが必要です。小さな笑い、喜びがあれば、生きていける。ホームは人生の最終章じゃないよ。
★2月も、後少なか。今朝も冷え込んだ。それでも朝、4時45分に起きて、教会へ。朝の祈りと、ミサで祈った。朝食後、これまで風邪気味だったが、久しぶりに、入江さんと、2人だけで風呂を楽しんだ。今日の入江さんの背中流しは、「おや?」と思うほど、チカラがこもっていた。92歳だよ。まだまだ余力があるじゃないか。ゴシゴシ、背中を洗ってくれた。入江さん、ありがとう。小さな喜びを与えてくれる。
★「いのちを与えた神は、私たちを片時も忘れることなく、守ってくださる。あなたの愛に目覚め、あなたへの信頼を深めることが出来ますように」

2017年2月26日日曜日

日記から「トマさんのことば」を作った2人来る

数日前に電話があって、約束した日の午後、美樹さんと、哲さんの2人が来た。美樹さんは、新上五島町の医療センターで看護師をしている。哲さんは長崎市に住んでいる。
★2人との出会いは、2年前の1月、湯江教会を見学に来た彼らと、午後からのロザリオへ行こうとしていた私と、教会の庭でパッタリと顔を合わせたのが初めてだった。あの時、30秒でも、時間が、ずれていたら出会いは無かっただろう。「小崎さんですか?ブログ、見ています」「ハイ」と応えて、握手して別れてしまった。偶然の出会いだったが、この後、意外な交流になるとは予想もしなかった。「出会いは神の恵み」とは、本当だ。
★3ヶ月ほどして手紙が届き、2人は日記の愛読者というか、愛好家というか、2人で「トマさんの本や、日記の言葉、写真などについて話し合っている」とあった。返事を送ると、2人は面会に来た。その時、持参したのが、「トマさんのことば」という写真入りの小さな本だった。この1冊しかない本は、私を驚かせ、非常に喜ばせた。
★そして今度は、「続トマさんのことば」を作って、持ってきたのだ。縦12cm。横12cm。34ページの小さな手作りの本である。日記に対する2人の熱心さに、唯ただ、感心した。「修道士も生身の人間です。人として同じ様な落ち度をおかします。弱さがあります」「大それたことではなく、小さな祈りの中で生きたい」「隠れた所から、隠れたものを見ておられる御方がいる」などなど。添えられた写真は、殆ど日記に載ったスナップになっている。
★「この本を、2冊合わせて、印刷して、日記の愛読者に配りたいね」。そんな希望を美樹さん、哲さんと語り合った。日記を通して、支えてくださる人が沢山いる。「なんとか出来ないものでしょうか」。夢を持とうと、次なる再会を約束して、2人と別れた。

2017年2月25日土曜日

朝日新聞「ナガサキ・ノート」に、集約の掲載

昨日、ロザリオの祈りの時、「電話です」と呼び出しがあった。朝日新聞社からで、「明日の新聞で、『ナガサキ・ノート』から、小崎さんの証言も縮小して掲載します」との知らせだった。
★長崎版に、2008年8月10日から、280人の原爆体験者の証言を連載して、1月で、3千回を超えた。そこで2ページにわたって掲載するが、小崎さんの証言も取り上げた、ということだった。
★今朝は、朝の祈りと、ミサに参加した。その後で、詰所で、新聞を取った。自室で開いてみると、左のように、まとめられていた。「笑顔の別れ、母との最後に」。原爆の日の朝、自宅を出るときの母親との別れ、トンネル工場での被爆、5時間かけて自宅へ戻った時の様子、家は燃え尽き、母の遺体さえ見つからなかった。戦後は修道士となり、「生き残った者のつとめ」と語り部にも取り組んだ、と結ばれていた。
★原爆の丘で、17歳の少年は、正直に思った。「戦争は2度とするまい。負け戦さほど惨めなものはない。もう、こりごりだ」。70年が経過して、我が日本は、なにやら、大きな渦に翻弄されている。いつまでも平和な日本でありたい。戦争の苦労を知っている人は、80代、90代になった。センソウって、大変な犠牲なんだよ。

2017年2月24日金曜日

届いたお花にまつわるご縁。恵みは心をつなぐ

生花のお花が届いた。「ハッピーバースデー・さくらい」と、カードが添えられていた。人の出会いって、不思議なものですね。人から、人に伝わって、10年もつづいている。電話をかけてお礼を述べて、「どのようなご縁、係わり合いがあったのですか」と尋ねた。
★10年前に、病気で倒れて、車椅子になった。病院でリハビリをしていた時、友達から、「聖コルベ館と小崎さん」の話しを聞いた。それ以来、ブログ(日記)を読みつづけています。1度、主人と長崎へ行く機会があった。主人は仕事で別の場所へ。自分は聖コルベ館へ、小崎さんにお会いできた。覚えていますよ。「コルベ神父さまの日記」「ゼノさんのカバン」「印刷機」など。2013年5月のことでした。今度は、聖フランシスコ園まで面会に行くのを楽しみにリハビリに励んでいます。
★日記を探したら、ありました。5月10日、写真も載っている。「お顔がとっても、いいんです。和やかというか、白髪がとっても、きれいです。ホレボレしました」「ブログも毎日、読んでいる。最初からの読者です、といわれる」「本を4冊抱えてきた。愛読者です。たまらないよ。うれしいね」「病気で倒れて、不自由になった。苦しみの意味が分からなかった。長崎のコルベ神父を読んで、慰め、励ましになった」「この道しか、なかったんだ。これで、よかったんだ。この道で、幸せになりなさい」
★届いたお花をシゲシゲ見つめて、10年のご縁があって、4年前の出会いがあって、今日のお花につながった。ジーッと見ていたら、「ホントに、不思議やなァ」。そう思いました。神さまの導きに感謝し、「さくらい」さんの幸せを祈りました。再会、待っていますよ。

2017年2月23日木曜日

どうも、冬は、寒さが苦手です。春よ、早く来い

ホームの入口にある、右側からアシジの聖フランシスコのご像。真ん中が、「聖フランシスコ園」の石塔。左側が、サクラの木です。まだツボミは固い。「春よ、早く、来い」。そう願います。
★昨夜は、早くも、結果が分かったセーターの返事の電話があった。京王デパートの販売員に電話でセーターの番号を告げると、「覚えています」の応対、そしてメーカーに問い合わせてくれた。「4、5年前まで販売してました。今は製作停止です。昔のスタイルが再度、流行する時もあるので、秋頃、連絡して下さい」が返事でした。もう、こういうセーターは無いのかと思うと、ちょっと寂しい気持ちになった。「元日のエリザベット」さん、ありがとう。お手数、かけました。
★昨日から、背中に、「寒気」を感じて、「これは、ヤバイな」。寝る前は、からだが熱っぽく、夜中に、寝汗をかいた。起きて、水をコップ2杯飲む。今朝の祈りとミサは欠席しました。入江さん、明子さんが、早速、「どうしました?」と見舞いにくる。熱はない。朝食は高原さんが運んでくれた。「おかゆ」にして、食べやすかった。看護師さんが来る。昼食は、食堂へ出た。入江さんが言った。「ムリしたら、いかん。ゆっくり、やすみなさい。もう90だよ。ロザリオは来ては、いかんよ」

2017年2月22日水曜日

愛用のセーターが変え時か。ネットで有りますか

「元日のエリザベット」さんに電話をかけました。いま使っているセーターが、年期が経って、ソデが擦り切れたり、糸が飛び出している。同じ物を販売しているか、ネットで調べてもらえませんか。メイカーは分かります。
★返事があった。メイカーは、もう春物を出しています。冬の分厚い品を探しています。どんなセーターか、色具合はどうか、メールで写真を送ってください。
★残念です、メールは使っていません。ホームのパソコンはWi-Fiで発信しているので、用途は日記を書くだけにしています。
★最近写した写真はありませんか。日記に載っていませんか。
★ありました。先日、「憩いの村」の湯に行った時に着ていました。これが、そのセーターです。日本製です。調べてみてください。

2017年2月21日火曜日

80代に入ったときのボクの絵。優しい顔してる

身辺を片づけておると、1枚の絵が出てきた。聖コルベ館のとき、時折、来ていた女性が描いたボクです。81歳と書いてある。あれから時代は流れ、あと10日で、89歳だよ。80代に入ったときの絵は、優しい表情で、描いてくれている。あの女性はその後、交流がないが、幸せにしているだろうか。こんな顔がつづけば、ねぇ。万々歳だった。そうは、いかない。
★「80代、病気に悩まされた時代だった。いいことは、なかった。人生って、ホントに、厳しいよ」
★すぐに思いつくのが病いだね。尿に、結核菌が出ていると言われ、強烈なクスリを飲まされ、体調を崩した。尿から血が出ては、ボウコウ・ガンと言われ、医師は、Grade3-何のことですか。4ヵ月後は、陰性化と書いてくれた。その後、尿が全く出なくなって苦しみ、ステントを入れられた。ほとんど尿が問題です。「出るか」「出ないか」で生死を分けた。当然、背中に、イッパイ、苦悩を抱えている感じです。
★ホームに入ると、苦悩を抱えても、立派に生きる老人たちがイッパイ居る。いい手本になります。「生きなければ」と、ジカに励まされる。「生きることは、ツライんだ。辛さに、何かの意義を見つければ、気持ちが楽になる」「困難が来ても、切り抜けられるんだと、信じる感覚を持とう」「何が、不安なのか、悩みの原因なのか、それが分かれば道は開ける。大丈夫でしょう」。さあ、きょうも、生きよう。

2017年2月20日月曜日

外は、春一番か。内は、穏やかな日々。お恵みたい

「春ァるの小川は、さらさら行くよ」。唄いながら、両手を動かす。「コーラス」と呼んでいる集いです。月に1度、20人はどが集って、歌ったり、手足を動かしたり、タオルを使って、からだの機能を引き出す。タメになります。男子は3人ほどだが、私は進んで参加している。童謡を唄ったり、グー、パーをしたり、でも抵抗はない。人間は、老いれば、また幼児にもどる。覚悟をしております。
★「コーラス」の前は、朝食が終わって、9時から、入江さん、キリエさん、3人で入浴した。朝風呂に入いれるって、ゼイタクと思いますよ。入浴は、もともと好きだからね。好きな風呂で、人生、一回だけ、失敗したことがある。
★もう何十年も前の話です。新潟へ旅をして、田畑の中に建った新興の大きなホテルに泊まった。農協の団体さんが大勢入っていて、広い温泉浴場は、宴会を終わった農家の男性で一杯だった。私にも話しかけるし、気分は上々だった。大浴場から上がると、全身、汗が吹き出す。下着は付けずに、浴衣だけ着て、カラダを覆って、オビで閉め、下着は手にとって部屋へ戻った。畳に、大向けに「大」の字になって、しばらくカラダを冷やした。ふと、下着を見ると、なんと「ワタシのじゃ、ない。え?」。びっくりして、また汗が出た。「どうしよう」。その時ほど恥ずかしい思いで悩んだことはなかった。まさかフロントへ「下着を間違えた」なんて居えない。ホテルから逃げ出す気持ちだった。幸い、余分の下着は持っていた。
★翌朝、イチ番に、食堂の入口で、目をこらしていると、「来たーッ」、浴衣の前を広げて、私のパンツを着た農家の老人ダンナがやってきた。「すみません。間違えました。それ、ワタシのです」。パンツを見て、「え?これ、アンタの?」。本人は酒に酔っていて、疑いなくパンツをはき、今朝は二日酔いで、そのまま、はいたと言う。パンツ事件は穏便に解決した。時々、風呂に入る度に、この生涯、忘れぬ失敗を思い出すのです。

2017年2月19日日曜日

春は、そこまで来ている。メジロも、イキ、生き

ホームの庭先、梅の花が満開。うまくメジロを捕らえた。花の蜜を吸って、一時もジッとしていない。「楽しそうだな、メジロよ」。連れのメジロも居た。「幸せだよ。連れも、居るからな」。小さな鳥に、声援を送った。
★平穏に暮らしております。もうホームの生活や、職員さんたちとは慣れて、退屈もしていない。あっと言う間の一日です。ロザリオを終わって、戻りました。これから聖務・晩の祈り、寝る前の祈り、今日の聖書を読みます。
★夕食は、午後5時10分頃からです。今は改装工事のため、4箇所に分かれて食べている。私の場所は、「職員食堂」で、12人が居ります。私の前が、入江さん。食堂の改装が終わるのが、3月中でしょう。それまで我慢です。
★夕食の後のお互いの挨拶は、「おやすみなさい」。早やーィです。自室に戻ると、静かな時間になる。水分補給を忘れず、7時半頃、職員さんの声かけがある。その後、寝る支度に入ります。何の心配があろうか。8時には、無呼吸のマスクをつけて、ベッドへ入ります。
★メジロも、どこかで眠っているでしょう。日常、変わらないのが、幸せです。

2017年2月18日土曜日

幸せは、湯に入って、今の時に見つけよう。満足

ホームの廊下の窓から、連なる山を見る。中腹に、白い、細長い建物がある。「いこい(憩い)の村」と地元では親しまれている。もう40年はつづいているだろう。ホームから、4Kmほどにある。テニスコートや、清流の湯、食事処があり、宿泊もできる。
★ホームでは、寒い冬だし、カゼも流行っているから、野外ドライブは、「あそこの湯に入りに行こう」と決められた。13人の希望者があった。入浴料は200円。浴場は広く、ぬるい湯、熱い湯、サウナもある。地元の人か、7,8人が入っていた。熱い湯には、浸かるのに四苦八苦した。やっと治まって、外を眺めれば、その展望は素晴らしく、ホームも、集落も、広い有明海、干拓、雲仙岳など、200円では安い湯です。
★隣の修道院の谷村神父さまもご一緒した。1枚、1枚の写真が記念になるだろう。「幸せ」って字は、逆さにしても幸せになる。紙に「田川幸一」と書いて、名前を真ん中から折ると、ピタッと合致するから、いい名前だ。こんなナマエって、ある?すごく気に入った名前を両親は付けてくれた。
★「幸せは、今の時に見つけよう。逆さにしたって、折ったって、幸せだよ。生きて居られること自体が恵みと言える。ありがたいことです」

2017年2月17日金曜日

修道者・兄弟の集いは楽しい。元気をもらう喜び

昨夜の集い(祈り、報告、会食)は楽しかった。今朝、誰が居たのだろう?と「ボケ防止」ではないが、思い出してみた。あの人、この人、皆で、18人がいた。全部の顔と名前が事なく浮かび上がった。まだボケては、おらんな。司祭が9人。修道士が8人。神学生(修練者=今井君)が1人。
★長崎には、本会の4つの修道院がある。2ヶ月に1度、地区を交代して集っている。特に昨夜の集いは、新・管区長が選挙されて、任地が交代になる修道者も居た。「送る人、送られる人」と意識しながらの交流になった。
★皆が、三つの誓願に結ばれた「つながり」がある。師父聖フランシスコを愛慕している。その道を進んでいる。だから安堵感がある。痛みあう心もある。
★私が、「3月1日が誕生日」と言うと、誰かが「89歳」と声をあげた。すると1人が、「ゼノさんはネ、歳、いくつ?と聞かれると、ワカリマセン。コレ、マイトシ、カワリマス、と言っていた」。爆笑が起こった。
★また1人の修道士は、JR長崎駅で電話をかけようとして、サイフを失った。駅前の交番に駆け込むと、いま届けられたばかりで、名前も告げずに去り、お巡りさんが、中身のお金を計算しているところだった。やっぱり日本人は感心だね、の明るい話題もあった。
★今年10月16日は、コルベ神父が聖母の騎士会を創立して100周年になる。聖コルベ神父の精神を見直して、原点に帰り、騎士会の広布に努めよう、との意識を高めた。聖母の騎士誌の利用も話し合う。「トマさん、何か本(文庫)を書いてください」「トマさんが、修学旅行生たちに話をしたのが喜ばれた。また頼みたい」などの願いもあった。
★修練者の今井君が立って、「3月11日、立・誓願します」と決意を示した。みんなは拍手で応援する。祝賀会では、トランペットを吹く出し物を予定しているそうだ。
★集いは、4時に始まって、5,6、7時に散会した。別れるとき、私は、ある司祭に、私の霊名を祝う会のときに、特に、私の仕事、働き、資料の収集など、高く評価してくれて、皆さんに伝えてくれた。それは嬉しかった、ありがとう」とお礼を言って、握手を交わした。彼は、東京へ転任する。
★集いの場は、「井手うなぎ」屋さんで、刺身、くじら、うなぎ、など好みの食事が出た。食事もそうだが、皆に出会って語る喜びが、明日への慰め、励まし、気力になる。

2017年2月16日木曜日

朝、日記を書いたのは初めて。一日中、外出です

この間の月曜日。理髪屋さんが来る。希望者が20人近く居るので、クジで決める。「イチ番」に当たったのは、初めてだった。散髪を終えて、月曜日は入浴の日。風呂に入る。入江さんは、もう出て居なかった。風呂から上がると、「絵てがみ」の時間だった。もう終わり頃の時間です。急いで先生に挨拶して、席について、10分余りで描いたのが、この絵です。もともと私は「水墨画」を習ってきたので、絵てがみの絵は、どうも、なじめない感があります。それでも描いている。上手、ヘタは別問題。楽しみです。
★今日は、朝食も食べないで、長崎のクリニックへ定期の診察へ出かけます。帰るのは、午後でしょう。午後からは、夜にかけて、諫早で、長崎地区の修道会の皆さんが集って、祈り、報告し、談笑し、会食をする予定に成っています。ホームに帰っても、日記は書けないでしょう。今日の日のために、お祈りください。

2017年2月15日水曜日

来たーッ。NHK長崎の女性キャスター。実り望む

1週間ほど前に、放送局の女性記者から電話があって、「小崎さんの所で、勉強させてください」とお願いがいがあった。日記にも書いている。
★約束の日、NHK長崎放送局の女性キャスターさんが訪ねてきた。写真がその人だが、先ずは「20年、NHKに勤めている」と聞いて、ビックリした。3年前、長崎・教会群が世界遺産の声がかかってから、「教会が、なぜ注目されているのか」と興味を持った。2年前から、月に1度、夕方の番組で、「祈りの島」を17本放送してきた。その集大成というか、来る3月20日、月曜日、春分の日の朝、8時30分から、その17本を42分にまとめて放送します、と教えてくれた。
★ところでお仕事の内容は、わかったが、「なぜ小崎なのか?」。どこで、つながっているのか。それが知りたい。
★つい最近、1月になってから「知りました」と言う。①聖母の騎士社のホームページに、五島の教会で行なう「岳踊り」が、昭和47年、騎士社発行の「カトリック・グラフ」の(オラショ長崎)の項に載っていた。その写真と記事を書いたのが、小崎だった。岳(たけ)踊りとは、五島・福江島の岳教会で、信徒だけの踊りとしては長崎でも唯一のもの。はかま姿の男女が、竹を前後で打ち合い、自由になった喜びを敏捷に踊る。騎士社へ電話をかけると、小崎の名前を教えてくれた。
★まさか、私が携わった「カトリック・グラフ」が、いま、出てくるとは全く思わなかった。「やっぱり、見ている人が居るんだ」の実感。②その後、騎士誌2006年7月号で、小崎が書いた「被爆マリア」の記事を読んだ。③騎士社への電話で、小崎が、無声映画「日本二十六聖人」の弁士をしていると教えてくれた。「こんな映画があるのは、全然、知らなかった」と女性キャスターさん。
★④ネットで、朝日新聞の「ナガサキ・ノート」の小崎の記事を見つけた。
★キャスターさんは一応、資料は持ってきており、「長崎オラショの旅」も見せた。NHKのキャスターに出会えた喜びは深く、胸躍るというか、話は尽きなかった。当方も、前もって準備していた資料の数々をお見せしながら、貴重な「被爆マリア」の写真や、日本二十六聖人のDVD、「生かされて(ある修道士の半生)」のDVD、原爆体験記、また解説が載っている自著を差し上げると、「え?こんなに沢山いただいて、いいの」と、とてつもなく喜ばれた。相当の時間が経過した。疲れも覚えた。「何か、番組を作ってくださいよ」と念を押すのを忘れなかった。今年、いい年になれば、いいが・・・と明るい気持ちになった。

2017年2月14日火曜日

バレンタインのチョコ。沢山いただき、ボク、嬉し

いつぞや、テレビにバレンタインのチョコの商戦が映っていた。「チョコ、来るかな」と、日記に書いたところ、小さなチョコから、豪華なチョコ、色鉛筆の形をしたチョコまで、届きました。今日が、バレンタインの日です。念願は、ボクのふところに届きました。「送ってくださって、ありがとう」
★いつも日記を書いていて、ふしぎに思うのです。毎日、150人から、180人ぐらいの人が見てくださる。見守ってくださる。ホームの何の変哲もない生活、思いを綴っているのに、なぜ、こんなにも愛読してくださるのでしょうか。身辺に異変が起きた日などは、200人を越えている。ありがたいことです。「登明サンは、どういう生活をしているのだろう」「登明サンは、これから、どうなるのだろう」。自分でも、そう思います。「つながる」ご縁があるのが、嬉しいです。
★映画「沈黙」を見た夜は、一息、グッスリと眠った後、夜中に意識が冴えて、寝付かなかった。昨夜は、よく眠りました。もし私が、自分の胸を開いて、自分の「こころ」を見たとすると、三本の十字架が見える。十字架の一人は言った。「お前が神なら、救いを見せろ。助けてくれ。しるしを見せろ」。それを聞いて、善い盗賊は言った。「オレたちは悪行をしたから仕方がない。しかし、この御方は、悪いことはしていない。主よ、御国にお出になるとき、私を思い出してくさだい」。彼は、主が、共に居られることを意識している。キリストは答えられた。「きょう、汝、我と共に、楽園にあらん」
★主は沈黙を破って、はっきりと言われた。「汝、楽園に、共に、あらん」。これはキリストさまの生涯のクライマックスの場面だが、実は、我が胸の内の心でもあると、私は思う。キリストは、苦しむ私と共に、十字架に磔にされて苦しんで居られる。二人の盗賊の心境も、私の心のなかにある。主は、沈黙を破って、言われる。
★そして殉教者たちは、みな、「パライゾ」「天国」と叫んで、致命した。キリストさまの御声が聞こえたに違いない。「我と共に楽園にあらん」
★私は、キリスト教とは、第一に、天地万物を創造された全知、全能の神の存在を信じること。第二に、人は、人間は、神から出て、神に帰る存在であること。第三に、神の永遠のいのちが準備されていること。神の御子キリストさまが共に居られること。それにふさわしい人間になること。これがキリスト教の基本だと思う。目に見えない神を信じるか、永遠のいのちの存在が信じられるか、それは各人によって異なるだろう。この世に生きる試練がある。

2017年2月13日月曜日

なぜ神は沈黙しているのか。信徒の苦しみは過酷だ

「沈黙」の映画を見た。正直言って、まず感じたことは、私が、自分が「罪びと」である再確認だった。修道士として、誓願は立てたが、神のみ旨を守られていない。罪びとである自覚が強く残った。目には見えないが、踏み絵を何度も自分は踏んできた。その度に、コンチリサン(告解=許し)を祈ってきた。しかし再び踏んでしまうのです。常に、踏み絵を踏みつづける人生だったと思う。
★この私に、自分に、救いはないものか。天の御父なる神をみる。それは「お父さん」。神は、底知れない程の慈愛深いお父さん。何度も、何度も許す、どん底の人をも許すお父さん。御父なる神の愛、無限の愛に包まれて、我々には救いが有る。
★私たちは、困ったとき、願いがあるとき、神に祈るでしょう。願いが叶えられると、神の恵みがあったと喜ぶ。それは確かに感謝すべきです。ところが人生には、病気、失業・倒産、家族の不和など多くの困難が起こる。これも自分の運命かと、前向きに受け止めて、耐えていくことはできるでしょう。
★しかしキリシタンの迫害は、余りにも残酷すぎる。「沈黙」の映画は、雲仙・地獄の熱湯かけから始まった。あまりにも残酷な、キリシタンの責め苦が延々とつづく。信徒たちは、こんなにも主のため、キリストのため、いのちを捧げて、祈り、苦しみに耐えているのに、信仰をしている神からの助けはないのか。何事も起こらない。神はなぜ沈黙しているのか。誰もが考える。人間は弱いのです。しるしを求めたいのです。
★帰りの車のなかでは、沈黙がつづいた。あまりにも、「重たい」映画のせいであろう。車には、4人が乗っていた。高原修道士が運転。隣の教会の浜田神父さま。入江さん、それに私だった。思いは複雑だ。結論は、すぐには出せない。入江さんが言った。「オレは、十字架は、踏まん」。しばらくして、また言った。「人間は弱か。その時になってみんと、わからん。神さんの助けがあろう」

2017年2月12日日曜日

映画「沈黙」を見に行く。あわただしい一日だった

日曜日。以前から、ぜひ見たいと思っていた映画「沈黙」を、急に、午前中、見に行く話になって、出かけた。ホームへ帰ってきたのは、午後の8時30分でした。感想は、後ほど。

2017年2月11日土曜日

ルルドの日。4年前に、つながる恵み。喜びは返る

今朝、ミサの初め、司祭が、「建国記念日です。紀元2.600年を小学生のとき、祝った思い出がある。また、今日は、ルルドご出現の日でもある。けがれなき聖母マリアのお恵みを願いましょう」とお言葉があった。
★朝食のとき、大正うまれの女性に、「昔は、紀元節と言ったね。皇紀2.600年は、昭和ナン年だったかね?」と尋ねたが、「知らない」の返事。戦前は、日本の天皇の歴史、神武天皇即位から、2.600年、祝ったこと、よく覚えているよ。
★今日は、160年ほど前に、フランスのルルド町に、けがれなき聖母マリアさまが、ベルナデッタ少女にご出現になった記念日です。ルルドの日です。コルベ神父はフランスのルルドに似せて聖母の騎士に、ルルドを作った。写真が、それです。1932年の創設で、今でも参詣者が絶えない。お恵みも沢山出ている。
★ふしぎなモンですね。朝食が終わって、しばらくすると、ラジオ体操です。廊下へ出て、元気よく軽快に体操を行なっていると、また「電話です」と呼ばれた。出てみると、京都からの男性の声だった。
★4年前の2月に、聖母の騎士のルルドにお参りに行った。聖コルベ館へ寄ったら、小崎さんが、えがおで、喜んで迎えてくれた。それが今も忘れない。きょう、ルルドの日で、それを思い出したので、お電話をしました。実は、あの時は、京都から、何年もかかって、日本26聖人が歩いた道を、夫婦で、貫徹し、昨日の夕方、西坂の殉教の丘に達したのです。聖コルベ館で、小崎修道士さんの色紙も4枚買いましたよ。4枚、部屋に飾っています。その中の1枚は、カニの絵です。『あなたの人生で、すごく、ふしぎなことは、なかったか?あったよな、沢山』。ブログにも載せていただいて有り難うございます
★早速、2013年2月の日記をみると、27日に書いてあった。「聖コルベ館に居て、喜びで皆さんを迎えると、その喜びは、当方にも跳ね返ってくる。喜びが心に湧いてくる。これこそ生きる証です。この喜びにこそ、生きる意味もあり、価値もある」
★こうして突然だったが、ルルドの日に、ルルドの思い出が「喜び」となって、帰ってきたのには、「やっぱり、よかったな」と慰めと、また新たな喜びを感じた次第です。
★午前10時からは、ホームの「礼拝の日」に当たっており、ホームの皆さんが教会へ集り、ルルドのけがれなき聖母マリアさまを通して、お恵みをお願いしました。
★午後、ロザリオの後、事務所へ寄って、「皇紀2.600年は昭和ナン年」の検索を頼むと、「昭和15年」と分かった。
★昼食のメニューは、ごはん、酢豚、さつま芋の天ぷら、大根おろし、簡単ワンタン・スープ、みかん、でした。

2017年2月10日金曜日

駄文ですけど、書いているのは、「ボケ」ないため

今朝の気温は、3度だった。外は、雪が舞っている。積もってはいない。風が冷たい。昨年は長崎でも、ホームでも雪が積もったが、今年は、まだない。ここ一週間に、寒波が来るとテレビは伝えている。
★数日前に、書道があった。字や絵を書くのは好きです。我流ながらも、先生の字を真似て、練習している。楽しみでもある。
★「人生って、時の流れの中から、うまーく切り取って、貼り付ける。感動する物語を綴る。それが人のすばらしい営みじゃないでしょうか。有るんだな。人の節々に、大事なポイントが。それを見つける、おもしろさ」と、気持ちを表現していた時もあった。
★駄文ですよ。書いているのは、自分が「ボケ」ないためです。あたまに浮かぶ個々の思いを、何とか小さな一連の物語に仕上げる。出来事を、つまみ取って、つなぎ合わせて一つの流れをつくる。そんな出来栄えが、おもしろいのです。
★昨日から、パソコンの字に変化が起こった。今までの字の感覚ではない。なぜ、こんなに変わるのか。悩みますよ。気持ちも揺らぐ日でした。

2017年2月9日木曜日

久しぶりの入浴。デコポン。お菓子のいろいろ

2月5日の修道名のお祝いの会食のときに写したスナップです。左側、李神父さま。韓国人で、テグの教区の司祭でした。右側は、修道者の宮城さんです。長崎・志願院で、本会の小神学生3人の世話をしている。こうして一緒に写真に撮れるのは、喜びです。
★久しぶりに、入江さんと、キリエさんと、3人で入浴しました。キリエさんも、カゼ気味で、しばらく見なかった。3人での風呂入りは、とても楽しみです。
★天草の幸男さん夫妻から、「デコポン」が1箱送られてきた。デコポンは、大きなボールのようなミカンの類で、ポコッと、出ベソのように飛び出している。分け合って、いただいた。
★日記を時折、読んでいる職員さんが居て、「チョコレートのことがあったが、果たして来るかな」と言われた。来ましたよ。小さなハガキ大のチョコレートが届きました。「バレンタインデー、おめでとうございます。ブログでつぶやかれていたので、送りました」とメモが入っていた。ああ、やっぱり来たな。
★自室に居て、お菓子の「もらい物」が多くて困るときも有る。回転焼きをもらったり、饅頭をもらったり、ホームの節分でもらったお菓子の袋は、まだ、そのままです。
★90歳を越えた女性に聞いた。「長生きして、いいこと、ある?」。笑いながら答えた。「いいこと・・・って、ないですね。痛みばかりですよ」。暗い話になるよ、な。

2017年2月8日水曜日

福者キリシタン大名・高山右近。マニラの思い出

今朝、教会で、1枚のカードをもらった。裏に、「ユスト高山右近列福記念」とあった。「スペインのマレンサ聖イグナチオ洞窟教会のモザイク画による高山右近像」と書かれている。
★昨日、2月7日に、キリシタン大名・ユスト高山右近を「福者」に挙げる「列福式」が、大阪城ホールで、バチカンから教皇代理の枢機卿をお迎えして、行なわれた。湯江やホームからも数人が参加した。
★高山右近は、12歳で洗礼を受けて、高槻のキリシタン大名になったが、秀吉の迫害にも信仰を捨てず、家康の時代に国外追放となり、フィリピンのマニラで亡くなった。
★マニラに、海に面して、夕陽が美しい公園がある。もう、45、6年前のことだが、マニラへ行った時、その公園で、海や、船や、夕陽を見ながら、高山右近を思い出した。「右近が、長い航海の末、ここへ辿り着いた時、何を思っただろう。信念をつらぬき通した信仰の強さに感動した。まだ、その頃は、右近の話題は少なかったと思う。
★その時、何を、ツテに、行動したか思い出さないが、右近のお墓を探した。地元の人の案内だったと思うが、マニラの校外に、かつて日本人が住んでいた街があった。結局、墓地は見つからず、日本人たちの古い遺骨をまとめている大きな納骨堂に納められた場所があった。
★福者・右近のことを、もっと世の人から知られるように願う。

2017年2月7日火曜日

許す心。キズはないが、覚えている。歴史を知ろう

廊下のスピーカーで、「電話です」と呼ばれた。放送局の女性記者からだった。近々、小崎さんに会って、勉強がしたいと言う。老人は時代を生きてきたから、昔の出来事は自分の心身と一体のように染み付いており、当たり前に思っている。しかし若い人は、そうではない。いつも一から学ばなければ理解し得ない。「ある程度、勉強してから来てください」「小崎さんの『オラショの旅』を読んでいます」。当方からすれば、「どうして、そういう疑問が湧いたのか、知りたいと思うのか」。その方に興味がある。
★昨日の日記で、韓国人の神父さまに出会って、テグの大司教さまの話をしたが、韓国・テグでの写真(2007年)が見つかったので、載せました。
★大司教さまに聞いた。「少年時代、誰から一番影響を受けましたか」「生活態度や信仰は、母方のお祖母さんから受けました。カトリック思想は父からです」
★「少年時代に、生涯、基本になるような、何か、『許す心』のエピソードはありませんか」「戦争中、小学二年生の担任は、日本人の先生で、軍人でした。とても厳しい先生で、たびたび叩き、ある日、私は先生から、ひどく殴られました。理由は分かりません。父には言わない。父も聞かない」。私は当時の状況が理解できて、胸が痛んだ。「心に、キズは、なかったですか」。大司教さまは、短く、答えた。「キズは、ないです。覚えている」
★「愛があるところ、敵はない。敵がなければ、争いはない」。大司教さまの言葉です。病気をなさっている大司教さまのため回復を祈ります。

2017年2月6日月曜日

楽しいひと時。皆さんで祝ってくれた。元気が出たよ

アシジの聖フランシスコは、兄弟たちが宣教の旅から帰ると、まず食事を準備した、と聞いた話があります。「トマさんの霊名だから、お祝いしよう」。長崎から、湯江から、13人が集った。皆さんは、兄弟だなァ。ありがたいことです。久しぶりにお会いして、私は本当に、まるでサカナが、水を得たように、「スィ、スーィ」と自由に泳ぐような、喜び楽しいひと時になりました。
★写真の左、私の隣は、韓国人の神父さまです。同じ修道会の司祭で、日本へ来て、4年になる。韓国のテグからです。テグに行った事もあるし、引退された大司教さまも知っているので、お尋ねすると、「入院されている」とのことでした。この大司教さまは、永井博士を尊敬する方で、長崎に、何十回となく巡礼された大司教さまでした。
★この夜、集ったのは、司祭が7人、修道士が5人、それに修練中の「うどん屋」の今井君でした。今井君は、3月に入って、1年間の修練を終えて、有期誓願を立てると、喜んでいました。
★「トマさんは、長崎の所属だからね」。崎浜神父さまは、近著を贈呈してくれた。夕方・6時に始まって、3時間、ゆっくりと会食を楽しんだ。仲間と共に居ると、皆さんは私の素性を知っているので、気が楽になり、肩の荷もおりて、明日への元気が湧いてくるのを感じました。有り難いのは「つながり」です。一人じゃ、ないということです。
★湯江からは、私と、高原さんと、谷村神父さまの3人が参加した。「いつも運転の高原さん、今夜は飲んでいいからね。帰りは代行運転を使うから」。代行運転で帰りました。3.500円でした。店は、諫早の中心街の「べじ太」で、満足する料理でした。店も、評判が良いらしく、満席だった。
★ホームに入って、「霊名を祝ったのは、3度目だね。次も大丈夫だよ」。言ってくれた司祭がいた。生きている間は、神の恵みと導きがある。

2017年2月5日日曜日

トマス小崎から、登明を名乗る。好いている名前です

日本における最初の殉教者たち、二十六聖人の殉教の日です。長崎市のJR駅のすぐ近く、西坂に、殉教地はある。この写真を見れば、誰もが、一度は訪れた思い出があるでしょう。
★殉教は、本当に厳しい。神の助けがあって、弱い人間は信仰に徹する殉教ができる。人間個人は弱いのです。
★今から420年前、秀吉の時代に、京都から長崎まで歩いて、600Km。30日かかって到着し、即、十字架にかけられて、槍で胸を貫かれて殉教した。外国人宣教師6人。日本人の信徒が20人。12歳の少年から、64歳まで、様ざまな職業の人がいた。
★今朝は、日曜日のミサのとき、司祭が、「トマ小崎の霊名日であるから、祈りましょう」と紹介してくれた。私も司祭に、前もって、「我が父、母のために、ミサを捧げてください」とお願いしていた。
★ミサの後で、幾人からか「おめでとう」と言われた。「なぜ、その霊名を付けたの?」と聞く者もいた。
★聖トマス小崎は、15歳の少年で、父親と共に殉教した。一行が広島まで来たとき、トマス少年は、獄舎で、母親宛に手紙を書いた。家族への別れと、お願いの心境をつづっている。私に「霊名を付けたのは、昭和26年、着衣式のときで、聖母の騎士の当時の院長だった」。好い名前をいただいたと喜んでいる。
★キリシタンは、トマスの名を、漢字で「登明」と書いたと、何かで読んだ事がある。そこから「小崎登明」と記名するようになった。この名前も、好いていて、長年、使っていた。
★さあ、今夜は、長崎の皆さんが集まって、会食をしてくださる。楽しみにしている。帰りは遅くなるだろう。天候は、朝は雨が降っていたが、午後からは晴れ間も見えるようになった。
★「自分に与えられた運命を受け入れ、神のみ旨を根気よく求めながら、神の導くままに、生きよう」と栞にあった。

2017年2月4日土曜日

修道士の道は、まっすぐ。変えられぬ。前進あるのみ

ノボセた心が動いた。二つのメンを取って、「写して、くれよ」が、この写真。オニのメンと、こっちは、お福さんのメンもあったのに、なぜか、ヒョットコ・メンを持っていた。まあ、ボクの心には、こっちの方が似合うかな。
★昨日、長崎・修道院の院長神父さまから電話があった。
★2月5日は、日本二十六聖人の祝日で、私の修道士名、聖トマス小崎の日になっている。長崎の会員が集って、「トマさんのお祝いをしたい」と、有り難いお誘いでした。
★5日の夕食は、長崎の皆さんが諫早まで出てきてくださって、お祝いの会食をする。こんな嬉しいことはありません。ホームに居れば、何といっても一人で、寂しいです。こうして、「つながり」を持たせてくださるのは、大きな喜びです。10人ほどの修道者が集るでしょう。期待しよう。
★先日、新・管区長神父さまが、ホームの自室を訪問されて、「トマさんの所属は、長崎の聖母の騎士修道院です」と言われた。これが一番、嬉しいことでした。終戦の混乱のとき、17歳で、聖母の騎士に入った。その気持ちが強いので、いつまでも聖母の騎士の所属でありたいのは、本当です。望むところです。出来れば、今でも、あの聖コルベ館で、修道服を着て、来館者を迎えたいです。入った場所で、生涯を終わるのが、私の本当の望みです。
★今朝は、自分の信仰について考えてみました。複雑な今の世の中、信仰の捉え方も色々あるでしょう。でも、ボクは生まれた時からのカトリック。母の信心を見ながら育った。言われる言葉は、「祈りば、せろよ。善業ば、せろ。犠牲ば、せろよ。死者のため、特に煉獄の霊魂の助かりのため、祈りなさい。神父さまば、大事に、せろよ」。そして「公教要理」一冊を暗記させられた。
★聖母の騎士に入って、ポーランド人の修道者から信仰を教えられる。コルベ神父を知り、ゼノさんや、他のポーランド修道士の信心を見て、目標を立てた。
★けがれなき聖母マリアへの信心、マリアを通して神なるイエスへ。言われた言葉は、「聖人になりなさい」。コルベ神父の生き方と、精神を学んだ。コルベ神父は身をもって、聖人となる。私は、どう生きるべきか、迷わない。
★迷わないけど、心の奥に有る「オニ」の色は減らしたい。反面、ヒョットコの心は残したい。老いても、耐えながら、祈りながら、ほほえみ、優しさを大切に過ごしたい。凡人だから、とても、とても出来ないでしょう。オーラなんか、出ないでしょう。あるのは、ヒョットコ・メンか、それで、よかよ。ダメかな。

2017年2月3日金曜日

幸福よ、来い。オニや、邪心は、あっち、行けーェ

節分です。心の願いは、「福は、うち。オニは、そと」。誰もが持っている思いでしょう。幸福になりたい。福は沢山、来るように。鬼はイヤだよ。魔物や、悪や、邪気は、あっちへ飛んで行けーェ。誰だって、抱いている気持ちです。
★ホームにも、節分の行事あります。例年ならば、広い食堂に「福の神」と、鬼がやってきて、踊ったり、アイキョウを振りまいたり、賑わうのです。だが今年は、食堂が工事中のため、残念ながら出来そうにありません。それでも職員さんたちは、何とか、がんばりました。写真が、ごらんの面々です。気合が入っている。
★ただ、福の神は居らず、「オニ」さんだけになった。みな、中身は好・男子です。鬼だから、勢いよく、四つの食堂を順々にめぐりました。「福」が居ないのは、寂しいね。私たちの食堂にも入って来て、「ナントカ、カントか」言って、各人に、お菓子が詰まった袋をおみやげに配りました。親切な、オニさんだった。
★何とかして、ホームの皆さんを喜ばせようとする職員さんたちの心が嬉しい。変化がないホームの生活だから、温かい気持ちになります。
★考えてみると、「福」や「オニ」と言うけれど、意味は深いと思います。誰もが、幸福、幸いを願っている。本当の「幸せ」とは何か?思えば、難しい。「オニ」も、そうです。人間は誰しも完全ではないから、誰もが隠れた心のなかに、「オニ」になる傾きを持っている。福と、鬼と、闘うのが人生なんでしょう。

2017年2月2日木曜日

ゲンキになった。祈りで、応援。ありがとう、カンシャ

やっと、平常心を取り戻しました。いま、ロザリオを終わって、自室に戻ったところです。教会の、私の前の席に、入江さんが祈っています。入江さんも心配してくださった。ロザリオを唱える皆さんも、病人のため、私のためにも意向を立てて祈ってくれました。
★入江さんが言った。「いっしょに、風呂、入ろう」「いや、まだ、やめとくよ」。入江さんが一人で入ったそうです。
★三食、食堂へ行って、朝、ミサで祈って、ロザリオに参加できれば、生活は合格です。きょうも、朝ミサで祈りました。食堂にも行きます。
★きょうは、「主の奉献」の祝日です。主が御誕生になって、四十日目に、男の子は、両親に抱かれて、エルザレム神殿に上り、鳩の捧げ物をする律法を守っていたそうです。
★ミサで祈りながら、自分の生まれた頃のことを考えました。北朝鮮で生まれて、朝鮮人の老人たちから可愛がられたことを思い出しました。老人は、白い上下の服を着て、優しい人たちでした。「出身地は、どこか?」と聞かれると、困るのですが、北朝鮮は生まれた故郷です。
★今は、ホームでお世話になっている。職員さんには、「ありがとう」「お世話になります」「お疲れさま」と声をかけるのを忘れない。「ご苦労さま」より「お疲れさま」の方が、いいと聞きました。きょうも、あすも、お世話になるばかりです。
★テレビでは、チョコレートの宣伝が出ています。「だれか、チョコレート、おくってくれないか、な」

2017年2月1日水曜日

久しぶりの朝の教会。これを乗り越えれば、合格

絵てがみ教室で描きました。
★2月に入りました。「春よ、早く、来い。あと、1ヶ月で、八十九歳だよ」。そんな気持ちです。3月1日が誕生日です。超・高齢者だよね。老いも深くなれば、カゼに振り回される、そんな昨今でした。
★回復の兆しがみえる。いつまでも寝ていられない。昨夜は、夜勤の職員さんに頼見ました。「あしたの朝は、5時前に起こしてください」。これを乗り越えれば、生活に気合も入るでしょう。朝の寒さのなか、教会へ行けたら、大丈夫、もう合格です。
★今朝は、言われた通り起こされた。しかし「おはよう」と言ってから、職員さんから、「あら、まだ、鼻声だ」と言われたのには、ちょっと、ショックでした。「ハナ声といわれるのは、敏感です」。でも、フトンを跳ね除け、起きた。
★久しぶりに教会の自分の席に座る。天井、祭壇を見まわす。すると、何かしら、これまでの自分の人生の祈りや教会の出来事が、ふつふつと、泡のように盛り上って来るのを感じたのです。
★後ろの席の主任神父さまが、私の耳元で、ささやいた。「よく、なった、ね。よかった」。しばらくして、また、ささやいた。「長崎の兄弟(修道者)から、よろしく、ってね」。この言葉が、私の心をジーンとさせ、温めた。この教会、祈りの場所に居るのが、私の安らぐ居場所だと思いました。この状態こそが、当たり前です。
★朝の教会には、司祭4人、修道士3人、ホームの信徒ら、信徒10数人が居る。ミサの前に、共同で、「教会の朝の祈り」を唱えている。「共同で祈るのは、いいなァ・・・ハナ声は、出すまい、出すまいよ」と気にかけた朝だった。
★次は、午後からのロザリオです。朝の教会と、ロザリオと、三度の食堂での食事、これだけあれば、合格です。ロザリオを共同で久しぶりに祈った。きょうは、そういう日であった。
★2月の第一日目のミサで、「忍耐と、気力と、信頼を、与え給え」と祈った。