2017年10月17日火曜日

むかしの先輩・後輩の「つながり」。ありがたい

雨の日がつづいている。気温が下がり、肌寒い。老人は寒さに弱い。そうかと思うと、まだ半そでを着ている女性もいる。「おら、2枚以上、着たことは、なかとよ」と平気なのには、うらやましい。もちろん若い職員たちは、半そでだ。
★突然、午後から携帯がなった。天草の幸男さんの声。「こんな天気の雨降りに、どう、しよっとね」「いや、いまホームに向かっている。もう間もなく着くからな」
★玄関で待っていた。車が現われて、雨の中、幸男さん夫妻が着いた。慌しく、「フェリーに遅れるから、もう、ここで別れる」と言って、両手に抱えるほど沢山の「おみやげ」を渡してくれた。天草みかん、幾つものジュースの束、お菓子など、持ちきれない程いただいた。写真を1枚撮る時間しかなかった。
★天草の幸男さん夫妻には、ホームに入る前、島原半島のオバマ温泉・富士屋さんに療養に行っていたとき、フェリーで天草に渡り、よくお世話になった。そうした「つながり」を今も思い出しては来てくれる。ありがたいと感謝した。いただいた「おみやげ」は多過ぎるので、職員さんのために配った。
★幸男さんは、終戦当時の聖母の騎士神学校の先輩だった。お互い歳を重ねて、思い出すのは若い頃の先輩、後輩の「つながり」の有り難さであろう。
★いま、ホームのスピーカーで、名前を呼ばれて「電話です」。NHKの取材に来たディレクターからで、「19日の夕方、6時過ぎからの長崎地方版の特集で、放送します」「恥ずかしくないよう写っていますか?教会に迷惑になりませんか」「大丈夫ですよ」。五島の教会・信徒の「竹踊り」のインタビュウーだった。あの時、語りながら、鼻水が流れていたのが気になるな。

2017年10月16日月曜日

今日、けがれなき聖母の騎士会創設100周年記念

今朝は、ミサが終わって、ホームの信徒たちが解散したあと、修道者(5人=司祭3人、修道士2人)のみが残り、「けがれなき聖母の騎士会創設100周年」の記念の祈りと黙想を捧げました。
★ローマのコンベンツアル聖フランシスコ修道会の大神学校で、1917年10月16日の夕方、つまり10月17日の聖女マルガリタ・マリア・アラコクの祝日の前夜祭に、マキシミリアン・コルベ神学生(当時)は一室に司祭1人と神学生の同士合わせて7人を集め、彼が1人で練り上げたプログラムを書いた小さな紙片を朗読して、全員が署名した。これが「騎士会」の起こりであり、その内容は現在の「聖母の騎士会証書」と同じものです。
★騎士会が出来て、今日で100周年を迎えました。コルベ神父の事業の始まりです。騎士会の目的は、人々の改心と成聖のため、けがれなき聖母のご保護と仲介の下で努力する。条件は、①けがれなき聖母に御手の道具として自己を全く奉献する。②騎士会の事務局の会員名簿に名前を記入する。③不思議のメダイを身につける。目的達成の方法は、不思議のメダイの配布に努める。身分職業に応じて、目的達成のため祈り協力する。
★ここから、コルベ神父によって、ポーランドに、ニエポカラヌフ修道院が創立され、日本には長崎に聖母の騎士修道院が創立された。すべては、ここから、100年前の今日からけがれなき聖母への霊性と事業は起こったのです。その中には、コルベ神父の殉教、列福、列聖などの出来事がありました。
★長崎の聖母の騎士会の会員名簿には、「永井隆博士」や「北原怜子(さとこ)」の名前もある。右の会員証書は、恐らく残存する中では一番古い証書であろう。昭和25年11月の入会で、霊名は「ルチア」とある。彼女は、後日、シスターとなり、騎士会のため福祉の事業に働いて、数年前に、神に召された。
★韓国、ポーランド、イタリアなど、全世界に、400万人の騎士会の会員がいる。要は、不思議なメダイを身につけて、けがれなき聖母マリアさまに結ばれて、神イエスへ向かうカトリック信者の会なのです。

2017年10月15日日曜日

ネコちゃんを見る人は多かった。ネコには負けるよ

2日前に、ホームに職員が連れて来たネコ、「みかん」ちゃんを載せた日は、見てくれた人の数が、202人で、おどろきました。ネコちゃんや、赤ちゃんには負けるな、と思いましたよ。動物や、幼児には、皆さんは興味をもって、見てくださるようです。
★あのとき、「みかん」ちゃん(写真)のほかに、もう1ピキ、連れてきていた。「バナナ」君というそうです。奥の方で遊んでいたらしく、写真に撮らなかったのが残念でした。
★それに、その日だったか、女性の職員さんが今度は「はな」ちゃんを連れてきていた。「はな」ちゃんは保育所に通っていて、ずい分と成長している。デジカメを自室に取りに行くヒマがなかったのも残念でした。
★朝から雨で、気温が下がって、圧手の衣類を着ている。午前中に、傾聴ボランチアさんが来る予定だったが、電話があって、雨が降るので、「今日は、来ない。来月、来ます」。ボランチアさんに一方的に話をすると、アタマの中の整理が出来るので、聴いてくださるのを楽しみにしていたところでした。

2017年10月14日土曜日

運動会。ホーム全体が、笑いと拍手で一体となった

楽しい半日だった。午前中に、期待の運動会は行なわれた。看板を見れば、50回を数える。それだけ歴史があるわけです。園長神父さまのお祈りから始まる。ちゃんと国旗掲揚も、聖火の入場もあった。職員は色々工夫する。棒に赤い火の色紙をつけて、室内を一周して立った棒の上に火を灯す。すると、細く切った赤く長いタバが、フニャ、フニャと立ち上がる。自然と皆さんの拍手が起こる。競技は、パン食い競争から出だしとなる。車椅子も、歩ける人も、介助を受ける人も、パンに向かって突進する。こうした開催の目的は、職員も入居者も心も体も一体になることです。親密さが湧いてくる。左の手の指と、右の手の指が、交差して、組み合うわけです。その喜びを感じた。だから笑いましたよ。拍手しましたよ。生きている喜びを感じましたよ。赤組と黄色組に分かれて、細いフーセンの輪をリレーで次の人に渡す競技もあった。90歳も、80歳も、誰でも喜んで、フーセンの輪を隣の人に急いで送る。それに使う棒は、新聞紙を細く丸めて職員が手間をかけて作った道具だった。
男性の職員歴が短い2人が犠牲になる。2人は走って、女性の衣装が掛かった場所へ行き、自分好みの衣装をまとって、また戻ってくる。すると女性職員や入居者の女性が加勢して、2人にお化粧をほどこす。どんな女装が出来上がるか。こういう変わった競技に人気がある。よって、たかって、2人の顔に、塗って、塗って、塗ったくり、仕上がったのが見事な女装でした。どちらが美人か、皆さんの拍手の音で決まった、コクな競技もあった。まあ、女性職員は多いので、色々考えるわけです。入居者も女性が多いので、こんな競技は受けますね。出来上がったのが、この姿です。まあ、この写真を見ても、楽しさはわかるでよう。最後には白い袋に入った「おみやげ」のお菓子も頂きました。こんな楽しい日、笑える日は、毎日来るといいね、と思いました。園長神父さまから、代表で、私がお菓子をもらいました。


2017年10月13日金曜日

農村の刈りいれ。盗む少年、昔の人は情が厚かった

秋の稲刈りどきです。先日、山のシスターの修道院へ行ったとき、車の中から写真を撮った。「たまらなく、いい風景だなァ」が実感です。実りのとき、収穫のとき、この日を迎えるには、農家の人びとの苦労や心配が多々あったでしょう。
★この地区は、私にとって思い出が深いところです。修練の一番大事な時に、結核になって、25歳、この場所を通って、山の養護施設・修道院で療養をはじめた。よく、この辺は、来ていた所です。36歳まで、11年間も、山で生活しました。懐かしい場所です。
★あの頃の古い記録が、A4ノートに残っているのを引き出してみた。今の人には解らない作家と思うが、「倉田百三」の本や、エックハルトの「離在」を愛読しました。特に、倉田百三の言葉をメモしてある。「人は、罪をつくらずには生きていけない。罪は精神的死を意味する。人間の良心は、罪に耐えない。いかに人間は罪から救われるか。それが必要なのが、懺悔の意識である」。若い心には、ビン、ビン、響きました。
★20代の若い頃に、病気で悩み、罪の意識に迷い、孤独に苦しんだ。しかし絶望はなかった。案外、気楽に、病気・結核にも無頓着であり、施設の少年たちと交わる明るい気持ちで過ごしていた。
★当時は、まだ食料不足で誰もが苦労し、餓えていた。施設に親交のある農家から、新米が収穫されると、修道院の者は夕食に呼ばれて、ご馳走になった。その時は、お寺の坊さまもご一緒した。その時の「お米ご飯」の美味は忘れない。
★一方、施設の少年たちは、ひもじさを、もろに感じた。いま稲刈りをしている写真の農家に忍び込んで、食べ物の盗みを働くのであった。中でも、農家の芋釜(穴を掘って来年の種芋を置いて、ワラで、とんがり帽子型に囲んだ)に手を突っ込んでは、少しづつ盗んだ。次に来た少年が、「これ位なら、いいだろう」と、また盗む。結局、春になって、種イモを植えようと開いて見ると、中は空っぽだった、そんな事件もおこった。
★農家の人が施設に、怒鳴り込んで来た。指導主任のペトロ石橋先生(修道士)は、この少年たちの事情をコンコンと説くと、農家の人は感動し、先生や職員たち、シスターの苦労を察して、食料を大きな袋に入れて、寄付した話題も残っている。昔の人は、情があったと、いま思います。

2017年10月12日木曜日

ネコのみかん君。かわいい目。運動会のポスター紹介

夕食を終わって、何やら賑やかな笑い声がする。自室の前を通る人に聞いたら、ネコを連れてきているという。早速、デジカメを持って、介護の詰所に行った。
★男性職員さんが連れてきた、ネコです。小さな生き物。「かわいい、かわいい」と思わず顔もほころびる。この職員さんは、前にもネコを飼っていて、日記にも取り上げたことがある。「はな」ちゃんといった。痛ましくも1歳で、白血病で亡くなった。今度の「名前は、何?」「ミカンです」と思いがけない返事。「え?みかん」「毛がミカンの色に似ているから」「オスね、メスね?」「オスです」。生まれて2ヶ月ほどになる。小さなミカン君は、目をパッチリさせて「ここは、どこだろう?職員さんたちは若いが、後はお年寄りばかり」と戸惑っているに違いない。
★ネコは、実家から4匹もらってきた。ネコ好きな彼です。心の優しい彼です。「時々、連れてきて見せてよ」
★2、3日前から、「運動会」(室内)の組み分けの名前が貼られた。土曜日の午前に行なわれる。ホームの全員が、赤組と黄色組に分かれる。赤組は37名。職員が13名。大曾神父さま、西山神父さま、谷村神父さま、それにトマが入っている。他方、黄色組は36名。職員は14名。夜勤の勤めや交代の職場の人は含まれていない数です。黄色組には、瀧神父さま、村山修道士、それに山内園長神父さまが含まれている。
★楽しいじゃ、ないですか。ホームの全体が、ワクワク、モリモリ、愉快で気持ちがスッキリします。パン食い競争は必ずある。要領のよい者も必ず居る。以前は広い庭で実施していたが、車椅子が多くなった。土曜日を楽しみにしています。
★朝食後、ラジオ体操をして、浴場に行った。毎日、午前中に、男性は入れます。入江さんは、もう風呂から上がって、衣服を着ていた。中にはキリエさんが居た。久しぶりにキリエさんから背中を流してもらった。午後からは、歯科医院へ治療へ行く。ホームの職員が送り迎えしてくれる。車で15分かかる。ジマンじゃないが自分の歯です。入れ歯はない。1時間かけて、歯石を取り、洗浄し、手当てをしてくれる。満足して、いまホームに帰ったところです。

2017年10月11日水曜日

聖ヨハネ23世教皇の日。大改革を行なったパパ様

いつものように4時45分に起きる。教会へ入るのは、5時15分。決まっている。浜田神父さまと、車椅子の男性が居る。席に座ると、「毎日のミサ」の本を開く。今日は、「聖ヨハネ23世教皇さまの日」(任意)と記されていた。
★今日は水曜日で、始業早々、職員さん自室の掃除をしてくれる。終わってパソコンを開くと、この絵が出てきた。切手であろうか。「右側」のパパさまが、聖ヨハネ23世教皇さまで、左側は、聖ヨハネ・パウロ2世教皇さま。この教皇さまには出会ったとこがあり、アタマも撫でられた。
★今日、日記で、聖ヨハネ23世教皇さまを取り上げたのは、時代を読み取って、教会も大きく改革するため、第二バチカン公会議を開催されたからです。その改革は、下々の修道士にも理解がわかるほどの大変革でした。
★例えば、司祭は1人1人ミサを捧げていた。ミサ使いをする修道士も大変でした。ミサはラテン語で、ミサ使いもラテン語で答えました。教会に祭壇は限られており、1人のミサが終わるまで次の司祭は待っていました。ミサも信者席に背を向けて捧げた。教会の祈り「聖務日課」もラテン語で、読むのに苦労しました。それが自国の言葉で、ミサをささげ、聖務日課も唱えることになった。聖体拝領台といって、祭壇と信徒席を分ける仕切りがあって、内陣がはっきり示されていた。それが取り除かれた。こうした変化に、とまどいを感じたのも確かです。
★公会議が終わって、50年が過ぎました。90近い修道士にとっては、人生の前半分は古い以前の仕来たりであり、後半が今の典礼、祈りを続行しています。以前のラテン語のミサ曲や、豪華な刺繍の入った祭服などが、今は懐かしい。子供の頃に覚えた「公教要理」が今も自分の信仰の理解の背骨になっているのは確かです。
★人は、「神から出て、神に帰る」存在でしょう。過去を辿れば、霊的には決して自分はリッパとは言えない。だが、清められて、ふさわしい人間になって神に帰りたい。弱い自分だが神に信頼し、神はいつも私と共に居られる。度々聞かされた。「神は愛して下さっており、必ず善いように導いてくださる」。もちろん神から与えられる試練もある。歳を取ると共に苦痛は増してくる。それもイエスの苦しみ、マリアの悲しみに寄り添って、受け入れて行きたいと思う。感謝と祈り。いつまで生かされるか、どんな苦しみが来るか、分からないが、すべては神の計らいに希望のうちにお任せしよう。2人の聖人に取次ぎの祈りをささげた。

2017年10月10日火曜日

10月8日は終戦後、聖母の騎士に入った記念日

昨日から、ポーランド人の画家、モルガさんを紹介していますが、彼は、アシジの聖フランシスコ(色つき)の聖絵も描いています。その格好のモデルとなったのが、フランシスコ中村修道士さんでした。聖絵の両手と、中村修道士さんの両手が似ている。
★中村修道士さんは、ここのホームで神に召された。懐かしい写真なので、載せました。いま、この聖フランシスコの聖絵がどこに飾られているか、分からない。
★過ぎ去りましたが、先日の10月8日は、トマが聖母の騎士に入った記念日でした。度々日記にも書きましたが、雨降る日でした。受付で、ゼノ修道士に迎えられた。母が、原爆で死んだと言うと、ゼノ修道士さんの青い目から、涙がこぼれました。1945年(昭和20年)、原爆・終戦になって、2ヵ月後のことでした。もう72年の昔になります。それから今日まで生かされてきた分けですね。
★朝食のとき、隣の瀧神父さまに聞いた。「神父さまは、いつ入会したの?」「1956年(昭和31年)4月、聖母の騎士に入った」「それまで何をしていたの?」「奄美(鹿児島県)で、教会のお手伝いをしていた」。聖母の騎士で、志願期、修練期を過ごした。
★昭和31年というと、トマは、山の施設の修道院で療養していた。瀧神父さまは、その頃、志願者のとき、ロムアルド修道士に連れられて、山の施設・修道院へ1度行ったことがあるという。「トマに会ったかも知れないね」。今朝の会話でした。
★昼の食事のとき、また瀧神父さまに尋ねた。「修練の時は、何人でした?」「22人だった」「その内、何人、司祭になりましたか?」。しばらく数えていたが、「5人」。5人の司祭というと、良好の結果です。ここで、こうして瀧神父さまと一緒にホームで暮らし、三度の食事も共にするのも、神さまの導きと、力強さを感じています。
★モルガさんが描いた絵が、山の修道女院の聖堂の壁画と額縁の絵が残されている。コルベ神父が福者に挙げられた頃で、わざわざポーランドから来て描いたのでした。トマはポーランドへ行ったとき、モルガさんの家を訪ねて、彼にも会い、お礼を言った。彼の部屋には、日本のテレビ(ポーランドでは珍しい)や日本の製品が多々見受けられた。

2017年10月9日月曜日

「願いがあれば、ヨゼフの所へ」。旧約聖書にもある

山の修道女院に、聖ヨゼフ小聖堂があるのは知っています。トマ自身、何度も巡礼者を案内したこともある。ところが最近、この修道女院から季刊誌として発行している「愛」を読んでいることがあり、そこに、「3月、聖ヨゼフの月に、長崎教区の高見大司教さまが、ご自分の霊名が『ヨゼフ』なので、お祝いのミサをお捧げになった」と記されていた。そしてお説教の一部分も掲載されている。その中に、次の言葉があった。
★「信仰の基本は、イエスさま、マリアさま、このお2人の働きに、ヨゼフさまは『脇役』を求められていることを自覚して、もっぱら実行の人ととして生きられました」。この「脇役」という言葉が心に残っていたのです。脇役を完全に務めることも人生には大切です。
★そこへ計らずも、野々村さん、美樹さんと行くことになった。修道女院の外れにあるので、今はシスター松下さんに案内してもらった。ポーランドの画家、モルガさんが描いた素晴らしい壁画で飾る小聖堂です。右の上に聖コルベ。右下は小聖堂。左下に施設の「みさかえの園」など描かれている。ちなみに、長崎・聖コルベ館の玄関の大作も、館内の、いつも写真を撮るバックの額縁の絵も、モルガさんの作品です。
★小さな聖ヨゼフの聖堂だが、シスターたちの熱心な祈りによって、数々の恵みが叶えられている。「願い事があれば、ヨゼフの所へ行け」と旧約聖書にも記されている。
★「愛」誌掲載によれば、毎月、20人前後の人が、聖ヨゼフへの感謝の祈りをささげて、ご厚志が送られている。今日の日記(ブログ)には、昨日、訪問した聖ヨゼフ小聖堂の印象が深かったので、それを記しました。お願い事があれば、聖ヨセフによる取次ぎのお祈りをお勧めします。下の写真は堂内と、入口の壁画の写真です。

2017年10月8日日曜日

「トマさんのことば」の編集者の2人が訪ねて来る

15秒の出会いから、「トマさんのことば」まで仕上げて下さったお恵みの人、野々村哲さんと塩沢美樹さんが、連休を利用してホームの自室に訪ねてきた。
★野々村さんは、聖コルベ館に20数回通って、資料室で、トマ修道士が写した写真の整理を行なって下さっている。写真の中には、眠らせたくない「よい写真」があるそうです。パソコンに取り組んだ写真を見せてくれた。
★野々村さんは写真が趣味で、彼の目で見たところ、ゼノ修道士や、聖母の騎士の修道士の生活など、また、ポーランド・ニエポカラヌフ修道士たちを撮った中になど「よい場面」があるそうです。それらの中間報告に来ました。何とか、その写真が、まとまらないものか、願っています。
★昼食前に2人は来たので、いっしょにホームを野々村さんの車で出て、食事処へ行きました。食事を楽しみ、それから山へ登り、故・シスターアグネス永松のお墓参りをしました。今月の19日が命日で、50回忌を迎えます。シスターは命の恩人で、いつになっても忘れない。
★その後、シスターの修道院を訪ねて、以前、ホームの職員だったシスター松下さんに会いました。2人を見ると、「ああ、『トマさんのことば』の人たちね」と覚えてくれていたので、2人の顔はほころび、喜びを表しました。野々村さん、美樹さん、彼らとの出会いは、本当に不思議なお恵みといえます。心から、その運びに感謝しています。
★修道女院のシスター松下さんは、1972年創建の聖ヨゼフ小聖堂へ案内してくれました。壁画の美しい小さな教会でした。毎日、ここでシスターのお祈りが交代でなされているそうです。その祈りが奇跡を呼んでいるらしいです。聖ヨゼフは隠れた聖家族の守り手でした。悲しみ、苦しむ人を必ず守って導いてくださいます。今日は、2人に出会えて、嬉しい、楽しい日になりました。

2017年10月7日土曜日

今月の「誕生会」。仮装も、お頭つきのタイもある

月の初めの土曜日の昼食は、「誕生会」です。今月、生まれた人をいっよにお祝いします。いつまでも長生きしてください。生きることは、神さまのお恵みです。
★今月は、5人がお祝いしました。まずは、山内園長神父さまの挨拶があります。「歳をとって辛いこともあるが、がんばってください。わたしも81歳になりました」。小柄なお体で、よく面倒を見てくださいます。「ロザリオを唱えましょう」「神さまが見守ってくださいます」「食前の祈りを唱えましょう」。進んで呼びかける園長さんに愛を感じます。心配事も多々あるでしょう。大変なお仕事です。ここは歴史がある聖フランシスコのホームですから、善い施設にして行きたいです。職員さんと、お世話になる私たちの信頼、親睦が必要でしょう。
★誕生会に皆さんが楽しみにしているのが、職員さんによる「出し物」です。今月の「出し物」はナンですか?「ハロウィーン」です。右から、怪しげなオンナ。実りの秋、お祭り。アタマに大きなカボチャ。なにが、なんだか、よく、わからない。3人は皆さんの席を一巡して、アイキョウを振りまいて、皆さんを湧かせました。左から男性職員さん、炊事の職員さん、洗濯の職員さんです、と後で明かされた。ごくろうさま。職員さんも忙しいのに、こうして苦労して、細工して、喜ばせようと励む姿は、私たちの心を和ませます。「なにを、しようか」。考えるのも、ひと苦労でしょう。それでも、がんばる。こうした和やかな気持ち、笑いが、ホームを温かい雰囲気に包みます。
★もちろんお祝いの料理も出ました。釣ったら喜びそうな「タイ」のお頭つき、70匹、用意するのは大変だよ。それに赤飯、お刺身、秋の煮物、彩マリネ、マンジュウもある。おいしく頂きました。トマの隣の席は瀧神父さま、その次に大曾神父さまが席につきました。右側は入江さんです。入江さんの横に、怪しげなオンナがやってきた。写真に、パチリ。みんなで仲良くジュースでカンパイしました。のど自慢の歌や、ハーモニカ、「長崎の鐘」も出ました。楽しい日をありがとう。
★今日は、教会では「ロザリオの聖母」の記念日です。ロザリオは16世紀から唱えられて親しまれています。ホームで、いまロザリオを教会で共同で唱えて帰ってきたところです。園長神父さま、瀧神父さま、高原修道士さん、他にホームの信徒が20人ほど祈っている。平和になるように。感謝と祈り。神は祈る心を見ておられる。

2017年10月6日金曜日

今日ぐらいは、明るい話が欲しいね。外食の楽しみ

「今日は、何か、明るい話が欲しいね」と思った。これまで、ニュウインじゃ、ナンじゃ、カンじゃで、暗い日々がつづいた。この辺で、パァーッと、明るい何かが欲しい。
★とは言え、早々、ホームには、そんな明るい話は、ない。朝食のとき、瀧神父さまが、郵便局へ行くという。「乗り物は?」「高原修道士が送ってくれる」。トマは、ちょっと考えて、「いっしょに、昼飯でも、食べに行こうか」。明るく、パァーッと行こう。
★瀧神父さまが隣の修道院の高原修道士に連絡すると、「いいでしょう」との返事。ホーム・事務室の許可を得て、昼前に、3人は高原修道士の運転で、修道院の車で出かけた。郵便局に寄り、瀧神父さまが用件を果たした。
★ホームがある町は、有明海に面している。背後には千メートル弱の山系が連なる。過疎化の町だが、国道沿いに1軒、店内に「生けす」を備えた食事処がある。店内で、活きた魚が食べられる。「生けす」に魚を泳がせている。これまでも
何度か利用している。
★瀧神父さまは、鯛の頭の煮付け定食、高原修道士は、刺身定食、トマはウナギ定食とアジの活け造りを頼んだ。瀧神父さま(鹿児島県奄美大島・喜界島出身)は、焼酎をコップ1杯、たしなんだ。瀧神父さまはホームに入居して、半年を迎える。「よくぞ、決心して、ホームに来られたね」とトマは感心した。「トマのお陰だよ」という。瀧神父さまは「最初は、男性、女性、並んで食堂へ入るのに、抵抗があった。そのうち、慣れてきた」。ホームの職員さんたちは、「○○神父さま」と呼んでくれる。それは聞く耳に心地よい。トマは修道士だから例外だ。普通に呼ばれる。それは覚悟の上、当然でしょう。
★楽しんで、会話して、食べて、ホームへ帰ると、事務長さんから「今さっき、トマさんに来客があった。もう帰られた」と、名前を告げた。それを聞いて、「シマッタ」と悔やみました。会いたかった男性だったからです。
★もう10年前になるか。聖コルベ館に居たとき、正月に、お客を乗せないタクシーが停まった。運転手が、「ルルドのマリアさまにお参りに行く。車、置かせてください」。以外に思い、話を聞いてみると、彼は事業に失敗し、家族もバラバラになり、失望して、死を決して、古里の五島の外れにある絶壁の灯台下から、飛び込むつもりで行ったが、たまたま教会のマリア像に出会った。そのご像を見上げたとき、不思議に希望が湧いてきて、もう1度やり直そうと心を入れ替えた。そして今、働いている、と言った。
★その出会いが、きっかけで、彼と親しくなり、26聖人の教会で神父さまから要理の指導を受けて、聖母の騎士の教会で洗礼を受けたのだった。1度、ホームにもトマを見舞いに来たこともある。今日は、2度目だったのに、「会えなかったのは、残念だった」。もし、彼に会えて話が出来たら、本当に、今日は、「明るい話題の日」になっただろう。

2017年10月5日木曜日

痛みに、ツグナイを。弱さにも、立ち上がる希望を

入院中、見舞いに来られた、お2人。右は、ホームの事務長さん、左が、毎日、来て下さっている明子さんです。
★今朝は、いつもの時間、4時45分に起きた。教会へ。ホームの生活に戻ります。新たな気持ちで又、がんばります。
★トマは、日記(ブログ)を書いている。ある者は「自分の事は、書くな、語るな」と言うでしょう。でもトマは、90近くになって、どうしても書きたい思いもあるのです。
★この度のように、ステントを半年ごとに入れ替えるのは本当に大変な苦しみです。でも今の私は、この手術を受けなければ、生きては行けない。主治医の話によると、2ヶ月で変える患者も居るそうです。1年間も、持つ人も居る。長く、放っておくと、ステントが抜けなくなる、と言われた。この言葉は、ショックでした。
★この先、自分はどうなるか、90過ぎて、足は、よろめく。それでも、イノチは神さまのことです。お任せ致し、従います。
★入院中に、過去のことを思い、自分は神の誓いに「破戒したこと」が沢山あったな、と心に痛みを感じました。神さま、申し訳ありません。苦しみはツグナイでしょう。
★聖コルベ館に勤めていたとき、浦上から老いた女性が来て、言った。「痛み、苦しみは、罪のツグナイ、たい」。そう言って、「ハ、ハ、ハ」と笑った。あの女性の言葉が今も忘れない。「トマも、ツグナイ、たい」。確かに、そう思いたいです。それでも神さまは、生かしてくださった。
★これから、トマは、どうなるのか。90だから終わりは近いでしょう。それを書かせてください。ボケないためにも、書きたいです。人にお説教したり、教えたりする、つもりは、ありません。きょうも、読んでくださって、ありがとう。
★トマ修道士のバケの皮をはげば、びっくりするでしょう。ニンゲンって、そんな者です。

2017年10月4日水曜日

入院8日目。退院。アシジの聖フランシスコの祭日

トマさん、ホームに帰って来ました。「無事に戻りました」。職員さん、ホームの皆さん、みんな笑顔で「お帰りなさい」と喜び迎えてくださった。嬉しいことです。
★今朝、高原修道士さんが、病院へ迎えに来てくださった。高原修道士さんには、いつもお世話になります。ホームに着くと、洗濯の職員さんが、「洗う物があったら、すぐに出しなさい」と親切に声をかけて下さり、沢山の衣類、薄手の掛け物など、お願いしました。ホームに着いたのは、11時前でした。
★今日は、私たちの修道会の創立者、アシジの聖フランシスコの祭日です。私たちにとっては大きなお祝い日です。ちょうど、いい時に帰ったので、喜ばれた。ホームに帰るや否や、隣の修道院で、修道者・兄弟のお祝いの昼食会があると言います。もちろん参加しました。「トマさんと、村山修道士さん(昨日・退院)は、退院祝いも兼ねていますから、一番、奥に座ってください」。院長の浜田神父さまから言われて、席に着いた。
★兄弟は、修道院から、浜田神父さま、山内園長神父さま、橋口修道士さん、高原修道士さん、の4人。ホームの入居から大曾神父さま、西山神父さま、瀧神父さま、谷村神父さま、村山修道士さん、そして、トマです。6人入居しています。合わせて10人が揃って食事をするのは、初めてでした。お世話は、湯江教会の女性3人が奉仕してくださった。
★病院に居るとき、独り身、子なし、孫なし、家族なし、ホームで暮らしている、と考えると、何だか寂しさを感じていたが、いま、こうして修道会の兄弟が揃って食事が出来るのを見て、食べて、飲んで、話して、笑って、喜ぶと、本当に元気が回復しました。
★自室のガラス戸を大きく開けて風を入れて、久しぶりに、我がイスに座り、やっと落ち着きを取り戻しました。普通の生活が始まる。まず、共同で祈るロザリオに参加しました。「皆さんには、お祈り、ありがとう」と挨拶しました。拍手して、喜んでくれた。
★日記を読んで下さる皆さんから、沢山のコメントを頂き、またお祈りで支えてくださって有り難うございます」。心から感謝しています。病院に見舞いに来た、ある人が言った。「トマさんは、日記(ブログ)を発信しているから、全国の沢山の人たちの支えれられている。これが、日記(ブログ)が無ければ、ホームで暮らす唯のジーイちゃんだよ」
★フランスのルルドの近くの都市にお住まいの「ジャム」さんから、「フランス・ルルドのお水」が着きました。

2017年10月3日火曜日

入院7日目。明日、退院します。

昨日のステント入れ替えは、痛み、苦しみがあった。腰に麻酔はするがボウコウの中にカメラを入れる。その時、ドン痛とともに腰に重圧感があったが、ガマンした。抜いたステント(管)は「汚れが少なかった。もう少し期間を延ばしても良いと思う」と先生。
★「明日、退院しても良い」と先生「1、2か月後、腎機能を調べましょう」明日10時に退院します。
★体調は良好、熱も出ない。気にしていた難関は1つ越え、また、イノチをいただく。来年の誕生日迄、5か月は大丈夫だろう。90歳になる。新たな意欲も湧いてくる。
★病院にいると、ひとり身で、家族は誰もいないから見舞いに来ない。しかし、修道会の司祭達が同じ仲間として、励ましに来てくれるのが嬉しい。山内園長神父様が1日の夕方、来られた。高原修道士も頑張った。カオがパッと明るく、エガオになる。これがワタシの人生です。
★内科に入院していた村山修道士が今朝退院する。午前中、明子さん、高原修道士が見えた。午後から山長先生(女性)と千草さんが来る。
★入院のため、心配し、祈って下さった皆さんのおかげで、無事過ごすことができました。心より感謝します。

2017年10月2日月曜日

入院6日目。無事に手術が終わる。

午前中、高原修道士と明子さんが来る。高原修道士が日記に入っているコメントを読んでくれた。フランスのジャムさんからのコメントもあった。みんなの祈りに励まされて、午後1時から点滴が始まる。3時から30分で無事に終了しました。元気にしています。

2017年10月1日日曜日

入院5日目。日曜日。

昨日の夕方、個室に変わった。静かで、気兼ねなく過ごせる。ありがたい。腕の注射も今晩で終わる。明日がステントの入れ替え。お医者さんが見えた。
★長崎から、崎浜神父様と大野神父様が見舞いに来られる。ルルドの水を持って来た。明子さんも来る。
★今まで何度も入院して来た。それでもこの年まで生かされた。感謝の気持ちがわいて来る。ホームに早く帰りたい。お祈りください。

2017年9月30日土曜日

入院4日目。御聖体を拝領する。

入院する朝ミサの前に、浜田神父様にお願いした。「10日程入院します。半ば頃に御聖体を頼みます」
★今日、午後1時頃浜田神父様が見えた。高原修道士が同行する。御聖体を拝領して祈る。力強い「つながり」を感じた。この入院によって他の苦しむ人々にも恵みがありますように。
★土曜日なのか院内は静かです。明子さんとマシコさんがみえた。
★食事は老人向きの料理。食べやすい。周りの患者さんの症状に比べれば、まだ自分は幸せです。

2017年9月29日金曜日

入院3日目。安眠、快適。

腕に朝晩、注射だけの毎日です。
★辛抱しよう。山を越えよう。ホームに帰れば、楽しいことがいっぱいある。誕生会、クリスマス。生きて耐えてこそ、楽しみも来る。
★午前中肌着を、洗濯機乾燥機で仕上げる。
★先生が来た。「レントゲン、お腹、撮らないのですか」「交換した後で撮りましょう」
★昨日も今日も明子さんが来る。また今日は高原修道士と谷村神父様が顔を見せる。
★続いてのお祈りお願いします。

2017年9月28日木曜日

入院2日目。注射、朝晩2回。

昨夜遅く、また今朝早く、お医者さんが声を掛けて来た。注射が始まる。腕に朝晩2回、それだけ。病人とは思えない生活です。
★昼寝の時、天井を見て(いつまで生きるんだろう)そんなこと、ボンやり考える。
★人の流れで感じることは「人柄」と「親身」です。優しい人柄か、親身になって処置してくれるか、受ける側は敏感に心に響く。ホームの書道の時、この2文字を書きたいと思う。

2017年9月27日水曜日

入院1日目。無事に入院。

長崎は朝から雨だった。雨の中、高原修道士の運転でホームを出る。何だか心細い。
★午前中に入院。4人部屋。明るい窓際で、部屋の広さもゆったり。静かな印象。すぐ担当の看護師さんが来る。カトリック信者ですと言った。旦那さんも信者で2人の子供がいる。ミカエルとラファエラ。良いことあるかな。何故か頼もしい。心電図にも付いて来てくれた。
★血液検査、尿検査。ステント入れ替えは10月2日月曜日。気持ちは落ち着いています。
★明子さんが来た。2人でヨハネ村山修道士の病室に握手をしに行った。元気にしていた。(代筆)

2017年9月26日火曜日

秋の野の「かかし」。フランシスコは叫ぶでしょう

先日、山の施設へ行く途中で、珍しく野に「かかし」を見つけた。車を止めてもらって、秋の風情を写した。
★明日、27日から、10月の5日まで、入院します。湯江教会では昨日から、アシジの聖フランシスコの祭日に向けて、9日間のお祈りが始まっています。ミサの後で、お祈りをします。祭壇の脇に、聖フランシスコのご像も安置しました。10月4日が、その祭日です。入院中のベッドで迎えることになります。
★聖フランシスコは、太陽も月も、金持ちも貧者も、オオカミ、小鳥などの動物も、兄弟姉妹と親しく呼びかけて、愛でました。おそらく、この「かかし」を見ると、「おお、兄弟姉妹よ。神さまの愛を皆さんにも」と走って近寄ったでしょう。「兄弟、トマよ。行って、おいで」と声が聞こえる。「何も心配はいりません。神さまが、お守り、導いてくださいます。すべてを委ねましょう。安らかな気持ちで行きなさい。自分の十字架を背負いなさい」
★荷物も整いました。無呼吸の機械一式を持参するので、バッグの数が増えます。高原修道士さんが自室に打ち合わせに来ました。明日は、9時に出発です。
★ブログをお読みの皆さん、力添えのお祈りをお願いします。

2017年9月25日月曜日

集まりで喜びは湧く、入院の準備に悩みも出る

昨夜は、湯江、小長井地区の修道会の皆さんの集まりがあった。山内園長神父さまの修道名を祝いました。写真が、その風景です。何が出てくるか、テーブルの上には、まだ何もない。そのうち、何かの食事と飲み物が出るでしょう。修道士が4人、司祭が5人。私にとってはホームで食事をするよりも、雰囲気が違う。何よりもホットして、肩の力が抜ける。同じ魚の仲間が泳いでいる気持ちです。楽しいひと時を過ごしました。呼ばれて、仲間の集いに戻れるのは、ありがたいことです。
★今朝は、教会で、「教会の祈り」「ミサ」の始まる前の静かな時に、数日後に控えた入院を考えました。やっぱり気になるよ。思ったね。「残る老いの人生、じょじょに、痛みや不便さが増えていく。それを1つ1つ乗り越えて行こう。今の心境、それしかない」
★総合病院に入院するのは、2回目ですから、要領は分かっています。午後からバッグを出して、必要品を揃えた。バッグの、チャックを開け閉めする部分の糸が外れかかっている。久しぶりに裁縫箱を出して、針に、白い糸を通そうとするが、目がかすんで糸が中々通らない。やっと通して、外れた部分を縫い始めた。「なんか、さびしい、気分に、なったよ」。2度、糸を通して縫い上げた。
★さあ、立ち上がろう。負けないぞ。体力、気力。そして信仰。

2017年9月24日日曜日

山内園長神父さまの修道名は「パチフィコ」です

敬老の日の写真です。山内園長神父さまと、勤続20年の2人の職員です。左が看護師さん。右が「はな」ちゃんのお母さん。実は、今日の主題は、山内園長にあります。
★今日は、山内園長さまの修道名のお祝い日です。修道名は「パチフィコ」と言います。アシジの聖フランシスコが修道会を創立した時の最初の仲間12人のうちの「兄弟パチフィコ」です。詩人だったそうです。ミサの時に紹介され、祈りました。また昼食の時には、食堂で全員に紹介されて、大きな花束と何か白いものを貰いました。園長神父さまは嬉しそうで、コメントで、勤めて11年になる、と言ったが、歳は言わなかった。多分、81歳でしょう。
★今日は、日曜日。2番目の9時のミサの後で、続いて「聖体の永久礼拝」が行なわれた。長崎教区には、司祭が定住する教会は、88ある。1年間に、4月から来年の3月末まで、日曜日は、53ある。そこで毎日曜日に、88の教会を振り分けて、当番を決めて、どこかの教会でミサの後、「聖体礼拝」を行なっている。今日の日曜日が、湯江教会の担当でした。主任司祭・山下神父さまが、御聖体を安置して、聖歌、福音、ロザリオ、聖体祝福、賛美を行ないました。ですから長崎教区では、日曜日には、どこかの担当の教会で「聖体礼拝」が行なわれ、1年を通して、長崎では、どこかの教会が祈り、聖歌を捧げています。これを「永久礼拝」といいます。
★深夜に、93歳の男性が亡くなった。お通夜、葬儀はホームでは行なわれず、今朝、9時のお迎えの車が来て、ホームの皆さんは玄関に集って、お祈りをして見送りました。園長神父さまの話では、30年近くホームで過ごした。それを聞いて、その年数に驚きました。私が来た頃は、お元気で、入浴も時折一緒でした。老いの体力の変化は、いつ、どうなるか、わかりません。冥福を祈りました。
★今夜は、楽しみがあります。修道院で、山内園長神父さまのお祝いの夕食の宴が行なわれます。修道者だけの気楽な会食になります。

2017年9月23日土曜日

思い出深い、山の養護施設の空気は、今も清純だった

秋分の日。山の養護施設では、園のお祭りがあった。私は、2度にわたって、11年間と、6年間、合わせて17年、この山で生活しているので参加した。
★知らせてくれたのは、藤下先生だった。「一緒に行きましょう」と、ホームに誘いに来てくれた。施設の児童も少なくなって、子供の日など賑わっていたが、今年は見送った。その代わりに、今日、同じような屋台が実施された。山の修道女会のシスターたちも、参加した。施設の子供たちを見ると、彼らは未来に夢を描きながら、元気に育っている。屋台は楽しみでもある。カレー、焼きそば、たこ焼き、焼き鳥、アイスなど、テントが張られ、サービスが行なわれた。私も、おいしく頂いた。
★私の後の6年間は、施設の別棟に、施設の子供たちだけが通う私立の小・中学校があって、そこに勤務していた。施設の児童たちは、それぞれ悩みや寂しさや、親恋しさなど、小さな胸に大きな課題を抱えていた。それに応対し、教育する我々も大変な苦労があった。校長を勤め、藤下先生は教頭だった。当時の児童には一言で言えば「豪傑」が多かった。彼らは、その後、どうなったのか。今日は、園長室で、その話も聞いた。ある男の子は、施設の学校や、施設でも苦労が多かったが、卒業後は、幾多の試練を得て、結婚式に呼ばれた。彼は晴れの舞台で、自分の育ちと社会生活を赤裸々に語り、最後に、新郎の彼は、母親に向かって、「私は、母親から1度も抱かれたことはなかった。それでも、私を、産んでくれて、ありがとう」と花束を渡したという。私もよく知っている子だった。「あの子が、ねぇ」。人間、変わるものだなァ、と感動した。
★山の生活で、私は6年間、1日も学校を欠席しなかった。風邪も引かない。その原因は、清純な空気、山の爽やかな風にあったと、今日は感じた。藤下先生も帰りの車で言う。森林浴で元気が出たんですよ。
★ポーランド人シスターや、ベトナム人のシスターとも語り合った。ベトナムから両親が修道女院へ訪ねてきたが、福岡空港の都会から、山また山を越えて山、この山に連れられて、びっくりしたと笑っていた。
★いろんな人に出会えて、楽しい1日を過ごした。幾分、前もっての、ステント入れ換えの慰めと、気力になったと思っている。

2017年9月22日金曜日

来週は、ステント入れ換え。これなく生きられない

来週は、入院します。腎臓からボウコウに長い管(クダ)=(ステント)が入っている。そのお陰で生きている。6ケ月経つと、新しい管(クダ)と交換しなければいけない。入れ替えないと、尿が出なくなることがある。この交換の入れ換えで、私は生きている。以前は、1泊の入院、日帰りだったが、最近は、からだの事情で、1週間ほど入院して、入れ換えをします。だから辛いのです。私にとっては、1つの十字架です。もう20回ぐらいは行なってきているだろう。耐えるしかない。ジーッと我慢すれば、心は安らぐ。
★最近、日記に取り上げている下関の尚子さんから電話があった。「トマさんのことば」が着きました。読んで、感動しました。成長する5人の子供たちに、1冊づつ持たせたい。送ってもらへませんか、の願いだった。「残念ながら、本は、もう有りません」。お断りするしかなかった。いま息子さんが小学校から修学旅行で、長崎へ来ているそうです。長崎へ修学旅行に来る小学生たちは必ず原爆資料館を見学して、被爆者の語り部の体験を聞いている。私も10年ほど勤めた。尚子さんは家族で、10月のアタマの連休に、ホームへ面会に来てもいいですか、の問い合わせもあった。「ありがたいですが、10月の半ばまでは外してもらえませんか」。尚子さんの家族には、聖コルベ館で出会いたいと思う。小学生たちの子供さんたちには、夢が残るでしょう。

2017年9月21日木曜日

老いても、がんばる。体力と、気力が、大切です

敬老の日の祝賀会。宴も終わりの時、目の前に、大曾神父さまが居た。近くに、女性職員が居たので、「シャシン、撮って、あげるケンね」。声かけると、1人は、サーッと応じた。1人は「イヤよ」と一旦離れようとしたが、思いなおして、「ハイ」と、この写真になった。ちょっと大曾神父さまは威厳に満ちたお顔をしている。
★ホームの良しあしは、介護してくださる人(職員)の愛で決まる。人間が問題ですよ。そして受ける側は、素直に心を開くことですね。3年間の経験から、分かりました。
★大曾神父さまを見ていると、職員さんたちから本当に大事にされて、細かい介護を受けているので、うらやましいです。「ボクも、あんな、親切、受けたいな」と思います。
★大曾神父さまは90歳になられる。「脳減る賞」じゃなくて、よく話し、よく問いかける。この時も、入江さんに、「魚、釣りに、行った?」と聞いていた。「100ピキ、釣った」。大曾神父さまは、天草灘の海底のことを知っている。
★大曾神父さまの優しさが、職員を引きつける。でも自分で努力しないといけない時もある。食事が終わって、自室に戻るときは、自分で車椅子を押していく。介護過剰になると、体力が低下して良くないからです。
★老いても、人間は、素直な性格で居たい。心を開いて、お世話になりたい。最終的には、自分が、がんばる。体力と、気力を失うな、そう思っている。

2017年9月20日水曜日

歳とれば、誰でも、もらえる、脳減る(ノーヘル)賞

敬老の日の祝賀会の終わりは、バンザイでした。みな、はりきって、バンザイしました。「また来年も、敬老の日を迎えることが出来ますように」。心を込めて、手をしっかり上げました。
★今日は、朝から長崎市へ。クリニックの定期の診察日です。朝食は、隣の修道院の食堂で、パン1きれ、牛乳を飲んで、済ませました。高原修道士さんの運転で、出かける。クリニックに着くのに、1時間15分はかかった。待合室は大勢の患者さんで座る席もないほどだった。「こりゃ、時間が、かかるな」。観念して、呼ばれる時を待ちました。お医者さんから「田川ブラザー」と呼ばれるのに、2時間はかかった。辛抱強く、覚悟をして待ちました。別に変わりはない。9月27日から、10月5日まで、諫早総合病院に入院して、ステントの入れ換えをします、と報告した。自分にとっては苦難の日々です。じょじょに覚悟を決めています。 診察が遅くなり、ホームには昼食までは帰れないので、連絡して、途中で、食事をした。ハンバーグを食べた。ホームへ戻ったのは、3時前だった。
★クリニックの待合室で、長く待つので、「シルバー川柳」の本を見つけて読んだ。その中の一句に笑った。「歳とれば、誰も、もらえる、脳減る賞(ノーヘル・ショウ)」

2017年9月19日火曜日

夜のお客さんは、珍しい、にこやかなシスターだった

夕食が終わって、くつろいでいると、「トン、トン」と自室をノックして、シスターが現われたので、びっくりした。しかも「ローマから、来た」。ホームの事務長さんの娘さんです。「まあ、よく、ローマから来たのね」が、こちらの挨拶。始終、シスターの、にこやかな顔、安らかな雰囲気に接していると、こちらが何だか非常に嬉しくなる。話は一方的に、興味深く、質問攻めをつづけた。
★次から次に、途切れることなく話しかける。答えが、こちらに飛び込んで来る。「何を専攻しているの?」。返ってきた言葉が、むかし流でいえば「公教要理」「え?そうなの」。それを聞いて本当に嬉しくなった。信者の基本は、今でも公教要理だと思っている。私たちの子供の頃は、時間をかけて、みっちり公教要理を教えられたし、1冊の本をマル暗記した。いまでも、それが生活の枠組みになっている。特に、私の場合、本当に親切に教えてくれたのは、「あねさん部屋」のシスターだった。優しい、こんなに優しい人が居るのかと、子供ながらにも思ったほどです。そのシスターは聖人のように有徳のうちに神に召された。そんな、こんなで、話は尽きなかった。
★事務長さんが「ローマにも送ってやりたいから」と、『トマさんのことば』を3冊送った。手紙は早く着いたが、印刷物の本は2週間遅れで、やっと手にして喜んだという。2冊は他の日本人のシスターに分けて与えたそうです。「ブログも読んで、楽しみに、ホームの話題や写真が懐かしい」と言ってくれた。「フランスのジャムさんにも会いました」。今年の7月末に、ホームに訪ねてきた男性です。日記に載せている。
★珍しいお客さん、ローマからのシスターに会えて、心温かく、穏やかな気持ちになった。もう、しばらくの間、ローマで学ぶという。健康を大切に、沢山、見て、体験して、心豊かで、謙遜なシスターになってくださいと祈っています。

2017年9月18日月曜日

「老人よ大志を抱け」。愛に目をさませ。真実を見よ

敬老の日です。歳をとるのは、ありがたいことです。老いると、痛みや不自由なところも出てきますが、生きるのは嬉しいです。いつ頃、書いた絵か知らないが、目に留まったので載せました。「少年よ、大志を抱け」という言葉に似せて、痩せても枯れても、まだ「大丈夫だ」と言いたかったんですね。少年の大志とは、夢と希望を持って、前に進めということでしょう。老人に「大志」はないのだろうか。いや、「老人よ、大志を抱け。喜びと、感謝と、気力を持って、前を向け」と言いたいです。生きている限り、人生に花は咲くでしょう。今まで、生かされてきた人生を喜びたい。「よくぞ生きて来られたな」が実感です。
★ホームに入っても覚えてくれている人がいる。昨日は、2人の男性が、「トマさん」と言って、自室を訪ねてくれた。2人とも、長崎・中町教会の信徒という。「トマさんの日記(ブログ)、毎日、読んでいますよ」。嬉しいことを言ってくれるじゃないですか。「トマさんのことば、読んだ?」「いや、まだ貰っていない」「じゃあ、差し上げよう」。彼らは、長崎の老舗のカステラを置いて去った。老いても、ホームに入っても、まだ忘れられていない。縁をつづけるのは嬉しいです。
★ホームに入ると、皆さんは、お年寄りばかりです。でも、まだ、まだ、花は開くぞ、と叫びたい。自分で、自分の背中は押せないが、グイと、押してくれる御方がいる。前に進めと愛してくださる御方がいる。老人にとって「大志を抱け」とは何だろう。痩せても枯れても存在自体が、「御方の愛に抱かれている」。愛に目をさませ、ということかも知れない。