2017年4月30日日曜日

小さな本の発行から半月、ハガキを待っています

「原爆死した母が与えたロザリオ」(野々村哲(さとし)さんが撮影)。このロザリオは、80年はなるでしょう。終戦直後、聖母の騎士の神学校に入った時、舎監のポーランド人修道士ロムアルドさんから、大きな不思議のメダイを頂いた。それを付けました。
★メダイは中国製らしく、両手を広げた聖母の周りに、「無☆玷☆聖☆母☆始☆胎」と書いてある。当時としては特別な珍しいメダイであったので、ロザリオに付けて、大切にして、他の神学生たちに自慢していた。
★数奇な出会いから、野々村哲さん、塩沢美樹さんのお2人が、「登明の日記」から言葉を選び出して、「トマさんのことば」と題する小さな本を編集してくれた。この本を出版してから、半月になります。
★発行は、4月16日の「復活祭」でした。今日で、4月も終わります。4月の最後の日に、もう1度、小さな本の宣伝をさせていただきます。ブログ「登明の日記」を読んでくださる皆さまに、無料で、郵送料も無料でお送りしています。ぜひ、おハガキをお出しください。お待ちしています。皆さんに読んでいただくのが願いです。

2017年4月29日土曜日

昭和の日。昭和天皇の誕生日。波乱に満ちた昭和

食堂の脇に、人知れず咲いている「アンネのバラ」。今日は、昭和の日だそうです。
★私なんか、昭和っ子。昭和3年に生まれる。世界恐慌があった大変な年であったらしい。北朝鮮で生まれた。昭和7年には、お隣に「満州国」が成立した。軍部の台頭があったが、当時の北朝鮮は静かな良い古里だった。
★昭和は64年までつづいた。ホームには「大正生まれが何人居るだろう?」。そんな興味も湧く。昭和から平成に代わったのは1月で、1989年のことで一番、日本が豊かな時代だった。私は山の小・中学校に居た。銀行に預金を預けると記憶では、8%の利子がついた。
★昭和天皇さまが、天皇では一番ご苦労なさった。軍部の台頭、戦争に突入、敗戦、マッカーサーの支配下に置かれる。マッカーサーと一緒に撮った写真が痛ましい。昭和24年だったか、長崎の養護施設で、全国行脚の天皇さまをお迎えした。戦争中は「現人神(あら・ひと・かみ」と軍部から教えられ、キリスト信者は苦悩した。食堂で、同じ食卓の女性に聞くと、五島まで天皇さまは来られたという。その時、廻って来られた天皇さまは、疲れた背広を着ておられた。昭和はその後、大きな発展をとげる。
★北朝鮮の(旧制)中学の受験のとき、口頭試問で、「君は、天皇陛下の軍隊と、キリストの軍隊が戦ったら、どちらに付くか」と問われて、「キリストの軍隊」と答えて、泣いた。試験は合格だった。戦後、合格点を与えた先生は偉かったなァと思う。
★修道士で育った私は、昭和の歌謡曲を覚えていない。ホームに来て、「カラオケの日」があるが、歌えないのが残念だ。賛美歌やラテン語の歌ばかり覚えた。ホームの老人たちは、女性も男性も、よく歌の文句を覚えていて、楽しく歌っている。歌謡曲に青春があったのです。彼らの歌の中に入って行けないのが、もどかしい。
★長生きしたお陰で、長崎・原爆、アウシュヴィッツ、チェルノブイリなど知った。ただ1つ、気がかりな場所がある。生まれ育った北朝鮮の都市の庶民がどんな暮らしをしているか、だ。
★「人生、何が、まわって、くるか、わからない」「ああ、ソーナノ」「ダ協して、受け入れて、いくのが、チエ者か」
★アンネのバラを見ると、何だか、悲しい。

2017年4月28日金曜日

突然の客が来る。旅の仲間です。ご縁はつづけよう

午前中、古い年賀状の整理をした。ホームに入ったからには、ご縁の薄くなった人は仕方がない。捨てる箱に収めた。一枚、一枚、見ながら、瞬時に判断する。「これは、残すか」「これは、捨てても、いいか」。本当の話です。山長先生の賀状で、一時、ためらいました。もう会うことも、ないだろう。だが、待てよ。「謹賀新年」とあり、干支(えと)に関係なく、浜脇教会と黒島教会の写真が載っている。「これは、取っておこう」と残したのが良かった。
★昼食30分前に、突然、思いもしなかった、その山長先生(写真・右)が自室に現れるではないか。これには、びっくり、だよ。案内したのは千草さん(左)だった。「え?何で」「お会いに来たのよ。あら、お顔の色、良さそうね」。山長先生は、カトリック女子高校の英語の教師を勤め上げた。今は、お一人でマンションにお住まいです。
★30分の間に何を語ったか。2つのことでした。山長先生が転倒して、右の足を骨折して、2ヶ月半、入院して治療したこと。それに、「小崎さんに感謝します。チェコ・ポーランドの旅行に連れて行ってもらって、本当に良い旅行でした」と楽しかった旅の思い出に花が咲きました。「あれは何年だったかね?」。千草さんが「2004年よ」。もう13年になるか。「あの頃は元気だったなァ」
★ポーランド旅行以来、毎年、小崎の誕生日には、千草さんのお世話で、旅行に同行した数人が集って、毎年、祝ってくれた。会場は、最初は中華料理店、聖コルベ館などだったが、後では山長先生のマンションに落ち着いた。山長先生が豪華な料理を準備して、小崎がワインを持参した。
★今日のおみやげは「高級のワインですよ。皆さんで飲んでください」
★年賀状を捨てずに、残しておいて、良かったよ。考えてみれば、捨てる住所じゃなかったよ。もう旅行に出かけられないのが寂しい。写真はポーランド・コルベ神父創立のニエポカラヌフ修道院です。

2017年4月27日木曜日

キレル高齢者は居ない。ミサ、ロザリオが心の薬

湯江教会の天井に、このような丸い可愛いステンドグラスがある。その窓から陽の光が差し込んでくると右のような写真に投影する。夕方になって、ロザリオの祈りが終わる頃の祭壇の付近です。光は不思議な思いを放ち、見ている人の気持ちを穏やかにする。
★ホームには、今年になって、9人の入居者があった。高齢者は、ガンコで、怒りやすく、イライラが多いと言われているが、ホームでは、そんなに争いは起こらない。皆さんは静かに暮らしている。なぜか、と考えると、ミサは、朝食前の霊的クスリ。ロザリオは夕食前のクスリ。この薬のおかげで、争いも、クチ・ケンカも、起きないと思っている。信仰は、ありがたいことです。
★昨日の新聞に、「高齢者は、なぜキレル」という問題が出ていた。高齢者になると、頑固になり、怒鳴る人、怒る人、文句を言う人が多くなるそうだ。なぜ自分にイライラするのか。そうかな、と思う。
★「今日も生きてしまった」と悩む高齢者がいることも知ってください、とあった。確かにホームに居て、そんなツブヤキを聞くこともある。長生きを、ため息つく者も、生きるのは、やっぱり嬉しい。高齢者になると、必ず戦争のこと、食べ物に苦労した話、軍需工場で働かされた話が多く出る。これは本当です。でも語るのは楽しいよ。
★学者が言うには、年を取ると、脳の前頭葉の機能が低下するそうだ。それで感情を制御出来なくなる。複数のことを同時に処理できない。周囲に配慮する余裕がなくなる。高齢者は自己中心的になり、キレやすくなる。
★キレない、おだやかな、やさしい、お任せの心のある人、祈りながら、いつまでも、そう願いたいと思う。

2017年4月26日水曜日

明子さんの家で、憩いのひと時。楽しい昼時でした

明子さんの家に、2人の修道士と、シスターがお世話になった。お昼のご馳走にあずかる。トマがカメラを押したので、写っていない。嬉しそうな明子さん。毎週、水曜日と金曜日に、ロザリオの後、トマの部屋に来て会話を楽しむ。
★真ん中は、ホームの隣の湯江修道院のヨゼフ橋口修道士さん。次いで、山の修道女院のシスター松下さん。以前、ホームの職員として働いていた。よく知っている仲間です。
★食事は、炊き込みご飯、竹の子料理、サラダなどでした。最後にアイスのモナ王も出た。ホームや修道女院では、アイスは出ないので、子供のように喜んだ。
★橋口修道士さんとは、もう長い付き合いです。戦争が終わって間もなくだから、70年かな。子供の施設、老人の施設などで働いた。福祉の専門家です。シスターもホームで働いたので、話題はもっぱらホームのことでした。ホームの話しになると、働く個人の話に及んでくる。書けない内容だよ。
★修道士も、シスターも、自分の家を持たない。神のため、望んで、この道を選んだ。家族がない。だから明子さんの家によばれると、また別の気持ちになる。シスターの経験有る「太っ腹」には、話しを聞いていて、降参です。パワーがあるんだな。
★橋口修道士さんの口ぐせだが、それは「トマは、奇跡の人だよ」です。彼に言わせれば、「病気がちであったが、生かされた。60まで生きるかな、思っていたよ。語り部を勤めるように神さまから、この歳まで生かされた。取材して、記事も書くしね」。トマは横で黙って聞いている。そのような半日でした。

2017年4月25日火曜日

「トマさんのことば」は、ハガキが来ると、白い封筒に入れて、ホームの事務室に発送を頼みます。赤いバイクの郵便屋さんが夕方、毎日、来ています。
★今日は、事務室の職員さんに頼んで、郵便局まで連れて行ってもらった。外国に送る封筒と手紙が4つあった。台湾、オランダ、ポーランド、アメリカです。写真は町の郵便局で、奥の突き当りが町の支所になっている。
★国内向けにも、10個の白い封筒を発送した。これまで届いたハガキの中に、こんなのがあった。「山梨の男性で、バイクで長崎の聖コルベ館を訪ねて、小崎さんに会った。2013年4月21日のブログに載せていただいた。それ以来、ブログを欠かさず拝見している。本は、戴きたいが、5月の連休に、またバイクで九州を旅する。1日の10時前にホームに到着の予定なので、手渡しで戴きたいです」
★彼が会ったという日のブログを調べてみると、彼の写真もバイクも写って載っている。2007年にも、聖コルベ館に来ている。「小崎さんは、今度、来るときは洗礼を受けていなさい」と言ったそうだ。ブログに載った時の出会いは、「洗礼を受けて来ました」
★今度、彼がホームに訪ねて来るなら、4年ぶりになる。どんな出会いになるだろうか。楽しみだ。バイクで各地を廻っている彼だ。きっと、いい話を聞かせてくれるだろう。バイクも見たい。再会が待ち遠しい。これも「トマさんのことば」のお陰かなァ。
★郵便局の道ばたに、レンゲの花がイッパイに咲いていた。やっぱり、この辺は田舎だなァ、そんな感じです。平和で、のどかで、いい町です。

2017年4月24日月曜日

コルベ神父が長崎に上陸した日。ゼノ修道士の命日

聖母の騎士にとって忘れてならない日です。昭和5年(1930年)のこの日に、コルベ神父とゼノ修道士、ヒラリオ修道士の3人は、汽船・長崎丸で長崎の出島岸壁に着いた。これでポーランドからの長い旅を終わった。
★ゼノ修道士は、その日から52年後のこの日に、92歳の宣教の生涯を終えて、天国のコルベ神父の元へ帰った。ポーランド人のパパさまが日本へ来られた、その翌年、1982年(昭和57年)のことだった。
★写真は、聖フランシスコ園を訪ねたゼノ修道士です。これはトマ修道士が撮りました。もう40年以上になる写真でしょうか。ホームの女性たちと和やかに過ごすゼノさんです。誰にでも親しみを感じさせる外国人でした。生涯、貧しい人を愛し、尽くし、自分は無一文の生活でした。ゼノさんの祈る姿が目に焼きついています。時々は疲れから、眠りました。
★コルベ神父を語るとき、絶えず「マリア」「マリア」と、マリアさまを呼吸して生きていました。けがれなき聖母マリアです。「けがれなき」というのが好きでした。イエスさまに一番近くて、よく知っている人はマリアさまです。マリアさまの元へ駆けつければ、イエスの処へ最も早く行くことが出来る。その信念で、身も心も、時間も、持ち物も、能力も、すべてマリアさまに奉献して、道具として無条件に働く、それがコルベ神父の生き方でした。
★コルベ神父とゼノ修道士が、日本へ来ていなかったら、聖フランシスコ園も、私たちも居なかったでしょう。今日は、それを考える日でした。
★遠藤周作の小説『女の一生・第2部』は、長崎へ上陸するコルベ神父の話から始まります。

2017年4月23日日曜日

神の「いつくしみ」の主日。思い出あり。慈悲

復活祭の第2の日曜日。神のいつくしみの主日です。国語辞典で「慈しみ」を引いて見ました。「かわいがって、だいじにする」とありました。神は、私たち1人1人を、可愛がって大事にしてくださる。そうミサの時に思い、慰められました。
★ポーランドの古都クラクフの南に、修道女院があります。3度、この修道女院を訪ねました。イエスが1人のシスターに出現して、神の思い、いつくしみの聖心を伝えました。出現は長い期間、行なわれましたが、シスターは隠されていました。
★教皇ヨハネ・パウロ2世は、この奇跡を承認して、神のいつくしみの主日が制定されました。イエスの胸から、ヒカリは放出されているお姿です。
★神は、本当に、「かわいがって、だいじにしてくださる」のでしょうか。私たちは、胸イッパイ苦しみや悩みを抱えています。それは現実です。信仰によって、主が私の傍に居られて、人格的に共に苦しみ、悩んでくださる、それを希望するのが大切と思います。神は、良いように導いてくださる。これが私に与えられた道であると信じることです。主イエスが苦しみ、痛みを経験し、悲しまれた。その現実が迫ってきます。
★新しい年度になって、湯江教会にも変化がありました。今日は、主任司祭に山下神父さまが着任して、ミサが行なわれました。私も参加して祈りました。助任司祭は浜田神父さまがお勤めになります。湯江教会の復活の大きなローソクはキレイな飾り花があります。
★2日前の21日は、コンラード浜田神父さまと、アルフォンソ大曾神父さまの修道名の日でした。また明日、24日は、フィデーリス西山神父さまの修道名の日になります。今夜は湯江修道院主催で、お祝いが行なわれる予定です。残念ながら、大曾神父さまと西山神父さまは不参加でしょう。お祈りだけお願いします。私と、瀧神父さまは参加します。

2017年4月22日土曜日

笑え、笑え、長生きのモトだよ。仲間には入れない

朝、5時。洗顔していると、暗い廊下を、もう2人の女性が教会へ行く。1人は最近、入所してきた。「おはよう」「おはよう」。低い声で、挨拶を交わす。
★ミサから帰り、自室にこもる。身支度や、ヒゲ剃りなどをして、自室の、厚い木製の扉を開けると、廊下には、「サーッ」と朝の陽のヒカリが充満していて、明るい朝が始まっている。ヒカリは強いが、ゆったりとした朝です。
★この廊下の手前に、角になった一角があり、長いソファーと丸い机が置いてある。最近は、1人、よく笑うオバちゃんが入所してきて、7,8人が集るようになり、それが又、よく笑うのだ。そのオバちゃんは、朝、出会う1人だった。集るのは、カトリックのミサ・ロザリオ組の皆さんが殆どである。「アッ、ハ、ハ、」「イッ、ヒ、ヒ」。よくぞ笑える話題があるものだ、と直ぐ近くの自室で感心している。
★笑うことは、いいことだ。わかっています。長生きのヒケツでもある。だが、オバちゃんばかりで、オバちゃんは失礼かな、女性群ばかりで、男性は中に入っても息がつづかない。
★ロザリオに出かける、朝の2人に私は言った。「よく笑い、語り、祈りば、するね」。すると答えがあった。「これが仕事じゃモン」
★このパソコンを書いていると、携帯が鳴った。上五島の竹内枝美さんからだった。「いま、いいね」「大丈夫。ロザリオが終わって、帰ったところだから」「上五島で、『沈黙』の映画があって、看護師の美樹さんと連絡を取り合って、キップも買ってもらって、美樹さんと一緒に見ました。その時、美樹さんから「トマさんのことば」を貰いました。いま家に帰ったばかりで、今夜、ゆっくり読みますからね。5月の連休に、美樹さんは私の家に泊まりがけで来てくれる約束をしました。本当に、神さまの恵みって、広がっていくのですね」。電話をくれた枝美さんは、竹内管区長神父さまのお母さんです。私にとっては嬉しい電話だった。
★いまも、あの角の長ソファーで、数人の笑いが盛り上っている。

2017年4月21日金曜日

仲間の修道者の集い。「つながり」の確認を喜ぶ

ホームに居ると、「ひとり」孤独を感じる。修道者は、修道院に居て、仲間の修道者と暮らすのが一番の幸せです。2ヶ月に1度、「コンベンツス」といって、同じ志を持った修道者の仲間が集まる時がある。昨日が、そうでした。長崎の4つの地区で働く修道者が、長崎の聖母の騎士に、17人が揃いました。私も進んで出かけました。
★先ず、聖コルベ館・ホールで、教会の祈りを共同で唱えます。一緒に祈りするのは、本当に心が安らぐ気持ちです。声を合わせて、交互に詩篇を唱えました。
★祈りの後で、各地区の報告がある。各修道院では、事業を行なっている。①長崎修道院には、私が勤めていた聖コルベ記念館、他に教会、幼稚園、高等学校、聖コルベ志願院、修練院、それに聖母の騎士社(印刷所)などがある。②東長崎には、教会、幼稚園がある。③湯江修道院には、老人ホーム。④小長井修道院には、養護施設がある。それぞれの場所で、修道者(司祭、修道士)たちは働いている。報告や会員の健康状態などが告げられる。特にこの4月は人事異動があった。新しい顔ぶれもあった。
★その後、食堂に集まって、松下修道士が準備した料理を食べ、語り、笑い、楽しいひと時を過ごした。料理は、大きな盆に入った「巻き寿司」と、舟盛りの刺身、焼き肉、野菜、イチゴなどでした。特に写真・右側にある舟盛りの刺身は、松下修道士が手さばきをした見事な造りでした。寿司と刺身があれば、皆、満足します。
★こうして皆さんと一緒に居れば、ホームでポツンとしているのを全く忘れて、修道士としての「つながり」を感じて、召命の心は燃え上がってきます。私にとっては喜びの会合です。ある修道士は、私の傍に来て、自分は「日本彫刻会」の正規の会員になったと喜びを語った。また沖縄から転任して来た司祭とも話した。
★会食も終わり頃になって、皆さんに、「トマさんのことば」を贈呈しました。小さな本を開いて、「これは、いい」と喜んでくれた。私は、この本が出来た一連の物語を皆さんに告げました。良い会合でした。夜の8時にホームへ帰った。
★ホームへ、ハガキでの申し込みも毎日、来ております。

2017年4月20日木曜日

迷い、悩みを打破した「トマさんのことば」。安堵

ホームの庭に出ると、「スミレが咲いてる」と女性が手を差し出した。「どれ、どれ、ああ、もう春なんだな」。小さなスミレは、スミレらしく咲いている。かわいい。それは、それでリッパではないか。「足るを知れ」とスミレは教える。
★ホームへ入居した当時、孤独、寂しさ、時間の持て余し、など感じて、心は全く沈んでいた。遠方から見舞い客や面会人が来ても、会う気持ちにならない。ましてや自室まで案内することはなかった。「このような小さな部屋で生活するのを見せたくない」。それが心の思いだった。
★ホームでの日常生活は、長年、いつも着ていた修道服を脱いで、一般人の服を着て、他の男女と一緒に食堂で食べる、廊下で会話をする、平等に彼らに合わせていく毎日になった。カトリック信者でない人たちも居られる。修道士の身分は、そこには全く出ない。
★カトリックの女性すら、私を、「お兄ちゃん」や「オンちゃん」と呼んだ。信者が、修道士の私を、そう呼ぶなんて考えられなかった。修道士って、一体、何者ですか?
★そのうち、1つの暗雲というか、悪魔の誘いか、私の心の中で、ある迷いが湧き起こってきた。「自分は、生涯、修道士の道を歩んできたが、これで果たして良かったのだろうか。自分の人生は、修道士を選んで、満足だっただろうか」。人生は一回切りしかない。生物体としての人間は、人間らしく独立して、自分の好きな道を選んで、家庭を持ち、子供や孫をつくり、人に恋し、赤ん坊を抱きしめ、育て、そういう生き方を、一回きりの人生で歩んだ方が、人生を充分に生きたと言えたのではないか。別の道があったのではないか、と迷いが起こり、人知れず悩んだ。
★考えてみると、人生には、大きな流れがある。カトリック信者の家に生まれたこと、父が早く死んだこと、兄弟は居らず、母と暮らしていたこと、そこへ思いもよらぬ原爆が頭上で炸裂する。孤児となった少年に、どういう生きる道があったのか。ポーランド人の神父さんや修道士さんに助けられ、学校で学んだことが、私の人生の流れとなった。
★もちろん、途中で、修道士を辞めて、道を変更しようと思った時期も有る。だが、どうしても外部には出て行けなかった。結局は留まった。それなのに、ホームに入ってから、「人生の我が道」で悩み、迷いが生じるとは、思っても居なかった。聖コルベ館に居たならば、そんな誘惑は生じなかったであろう。枝葉を失って、木1本になって、そう思うのだ。
★この迷いを、悩みを、徹底的に打破してくれたのが、美樹さん、哲さんが作ってくれた今度の「トマさんのことば」だった。この小さな本によって、「ああ、自分の道は、これだった。これで幸せになる。修道士で良かった」との確信を得た次第でした。その意味でも、「トマさんのことば」は意義のある本の出版となった。もう迷いません。スミレは枝もない。木もない。しかしリッパに咲いている。そう思います。
★今日は、午後から長崎・聖母の騎士で、長崎地区で働く修道会の司祭、修道士の集まりがある。それに出席のため、これから出発します。帰りは夜の9時頃でしょう。共同で晩の祈り、寝る前の祈りを唱えて、各部署の報告がある。その後は会食になる。みんな、フランシスコの兄弟だから、それは打ち解けて、楽しい集いです。誰だって、修道者で最良だったと思っています。だから楽しいのです。幸せがある。

2017年4月19日水曜日

慌しい一日。長崎へ。入浴へ。午後の祈り。掃除も

ホームの窓から見える山の風景。霞んではいるが中央に、横長に建っているのが、「いこいの村」と呼ばれている宿泊、入浴、食事が出来る処です。午後から、10人が車に乗って、入浴に行きました。ホームには60人からの入居者がいるが、入浴に行けるのは、この人数です。
★私は、動ける内は参加したい、その気持ちでご一緒しました。平日でもあるので、お入浴客は、2、3人で、ゆっくりと湯を楽しむことが出来た。実を言えば、立って、すんなり湯に入れない。腰をかがめて、手すりを取って、這うようにして、注意深く入る。
★温泉や、サウナや、入浴が大好きだった私が、この格好になって情けないですよ。でも、転ばぬように、滑らないように、心して楽しみました。右の写真は、「いこいの村」から眺めた風景です。ホームから建物は見えるのに、ここからはホームは何処にあるのか全く分からない。向こうに、薄く横たわるのが島原半島の雲仙岳です。その中間が有明海。堤防で仕切った左と右では色が番う。
★今朝は、修道院で朝食を取って、高原修道士さんの運転で、長崎のクリニックへ定期の診察へ出かけた。高木先生に、「トマさんのことば」をお渡しした。先生は、ページをめくってくれて、「いい本、出したね。これ、いいよ」と喜んでもらえた。心電図をとって不整脈を調べる。「先生、今年、1年は頑張りたいです、すると90になる。区切りが付きます」「まだ、まだ生きられるよ」と先生。もう20年ほど通院している。
★早めにホームに帰れた。昼食後、しばらく休む。気がついたのが、「いこいの村」出発10分前だった。湯に入って帰ると、ロザリオの祈りが待っていた。終わったのが4時です。職員さんから「今日は水曜日で、部屋の掃除日です。これから、しますから」
★いま、5時のチャイムが鳴っている。これから、夕食の時間です。

2017年4月18日火曜日

「本を下さい」。ブログ第1号愛読者が、直接来た

県内・佐世保にお住まいの千秋さんは、毎日、ブログを見ている。時折、近くの早苗さんにもホームでの出来事を知らせている。この度、小さな本が出たことを知った。
★両親と話し合った。「ハガキを出そうか」「どうしよう」「早苗さんを誘って、ホームに行ってみよう」。早苗さんは、トマと親戚に当たる。ホームに入る前、時々、自宅を訪問したことがある。ご主人は、教会のために尽くしていたが、1年数ヶ月前に神に召された。ご主人から教会に案内された思い出もある。
★午後、ベッドで休んでいると、千秋さんの家族と早苗さんが来られた。「ブログを見て、本をもらいに来ました。ハガキは出さずに直接来ました」「オー、あなた達が、第1号だ」。4人を歓迎しました。
★本は、編集をした美樹さん、哲さん宛てに40冊送った。湯江修道院の神父さま、修道士さんに、6冊お渡しした。ホームの職員さんが40人居る。各人に40冊お渡しくださるよう事務室にお願いした。ホームの信徒に、20冊差し上げた。色々お世話になった人々に、20冊お送りした。職員さんから「いい本ね。ありがとう」と感謝された。嬉しいです。
★ブログを見てくださる皆さんからの住所のハガキをお待ちしています。

2017年4月17日月曜日

ホームは助け合いが必要さ。長生きしようよ、恵み

復活祭が終わって、今日は、激しい雨となる。風も強い。めったにない荒れた天候になった。職員が、「午後のロザリオは個人で祈ってください」と告げて廻った。
★いつもの町の理髪屋さんが、夫妻と、お父さんと、3人家族で来られた。2ヶ月に1度の散髪の日です。前日に、事務長が、希望者を聞いて、クジを差し出す。毎回、16、7人は居るだろう。名前を書いて、隠した場所を開くと、順番が分かる。私は、以前は1番に当たったが、今度は2番だった。いつぞやは、10番以後になった時もある。順番は我慢するしかない。
★「入江さんは、何番ね?」「オレは、4番」。先に風呂に入ってくるから、と朝食後、早々と彼は入浴した。工事の関係で、風呂場が変わる。1階の、2人が入れる小さな浴場になった。
★理髪屋さんが来られて、9時過ぎから散髪が3人づつ始まった。瀧神父さんが姿を現した。「何番ね?」「7番」。入江さんと2人、私の目の前で仲良く座っていた。
★すると、入江さんが瀧神父さんの肩をもみだした。両手で機用に手を動かす。「入江さんは何でも出来るんだな」。彼は言った。「よく、妻の肩をもんだものだよ」。愛する奥さんは、2年前、亡くなった。84歳。入江さんは奥さんのため、度々ミサをお願いしている。
★私は理髪がおわった後、1人で入浴した。昼食のとき、入江さんが、手をブラブラさせながら、つぶやいた。「手の、痛(い)とーゥ、なったばい」

2017年4月16日日曜日

復活祭。「トマさんのことば」出版。あなたの、おハガキ、待っています。無料で贈呈します

主の御復活、アレルヤ。おめでとう。
★ホームでも、聖なる3日間は、毎晩7時30分から典礼が行われ、祈りながら過ごしてきました。今日は復活祭です。朝、6時からのミサで祈りました。また10時からホームと教会の信徒を合わせて、ミサで歌い、祈りました。
★ミサの中で、1人の女性の洗礼が行なわれた。騎士社・担当の修道士さんのお母さんがホームで生活しています。修道士さんには「トマさんのことば」出版に当たってもお世話になりました。お母さんは洗礼を受けて、霊名は「マリア・コルベ」です。
★この主の復活のご絵は、ポーランド・クラクフのコンラードさんから送られてきた「ポーランド製」です。
★ミサの後、昼食は、教会の信徒さんも一緒に、会食を楽しみました。全員が食堂に集まり、喜び合いました。メニューは、春の散らし寿司、お刺身、焼きたての焼き肉と、串刺し焼き鳥、てんぷら、アサリの酒蒸し、春野菜お煮しめ、酢味噌和え、くだもの、リンゴ・ジュースのご馳走でした。
★心待ちにしていた、「トマさんのことば」が届きました。出版されました。喜んでください。ブログを読んでくださる皆さんに無料で贈呈したいです。遠慮なさらずに、おハガキに、あなたの住所、宛名を書いて、お手数ですがお送りください。お待ちしています。郵送料も無料です。海外の人は、アルファベットをはっきり書いてください。
★当方の宛名は、郵便番号859-0131 長崎県諫早市高来町神津倉41-1 聖フランシスコ園  小崎登明あて、です。メールは使用していません。皆さんからのおハガキをお待ちしています。

2017年4月15日土曜日

「トマさんのことば」が出来る物語④「続編」で決意

2016年の5月、美樹さんから、久しぶりに手紙が届いた。それは長崎市から上五島に移転した知らせだった。その次の月、6月には、また手紙があって、島での生活を知らせてくれた。
★「有川医療センターで働いています。毎日、100人ほどの患者さんが来られる。上五島の人々は世話好きといいますか、気の良い方が多く、嫌な思いを一度もしていません。時々、シスターも来られます。別の地区の診療所へも行きますが、そこで働く時が私にとって小さな幸せです」
★「病院に現れるカニや、汽笛の音、潮の匂い、漁師さんの肌黒さなど、『島』だなと、ふと思います。5月はマリアの月ですね。中ノ浦教会のバラがとてもきれいでした。(写真は美樹さんが写した中ノ浦教会のルルドの聖母マリア・私も何度も巡礼した)。トビウオのおさしみや、イセエビを初めて食べました」
★同じ月、2016年6月25日に、2人はホームの自室に訪ねてきた。部屋で会うのは、2度目です。話題は上五島の話しが主で、私も五島の教会はよく巡礼して知っているので、島の話しに花が咲いた。
★ここで一緒に来る野々村哲(さとし)さんを紹介しておこう。静岡県裾野市で生まれで、京都で育ち、小学4年から高校卒業まで長崎で過ごした。大学進学で広島へ行き、大学院在学中に一年間、ドイツに留学する。帰国後、再度、留学を望んだが、病気のため長崎へ帰った来た。
★哲さんは、高校生の頃、遠藤周作の作品を読んで、長崎のキリシタン史に関心を持っようになる。一度、県外や、国外に出て長崎に戻ると、更に関心が高まり、各地の教会や史跡をまぐる旅を始めた。聖母の騎士社の出版物や、聖コルベ館、そして「ネットで情報を発信している修道士さんが居られると知り、トマさんに出会いました」。現在は、長崎・長与・大村などでドイツ語講師をしている。写真が趣味です。
★この6月の出会いの後、また2人とは音信が途絶えた。
★今年になって、2017年2月25日、突然、2人が自室に姿を見せた。自室では3度目になる。そのとき、直接、手渡されたのが「続・トマさんのことば」だった。これを見たとき、彼らの情熱と愛を強く感じた。いま、2冊の本が私の傍にある。「ここまで尽くしてくれるのか。このような出来事が人生に再度あるだろうか」とさえ思い、感動した。
★「そうだ。この小さな本を印刷して、ブログを読んでくださる方々に贈りたい」。そういう思いが心に湧いてきた。無料で、郵送代も無料で届けたい、と心に決めた。
★だが修道士だから、勝手には出来ない。目上、管区長や、院長の許可が要ります。ちょうど3月11日に、聖母の騎士で、「うどん屋の今井君」の誓願式があり、管区長も院長も参加する。格好の時期だ。私は美樹さんに連絡して、2人とも誓願式と祝賀会に参加するように願った。
★美樹さんは休暇をとって、彼らは来てくれた。ミサ後、お祝いの席で、管区長、院長に2人を会わせて、「トマさんのことば」を直接見せて、許可を求めた。院長は、自分で会場内から騎士社担当の修道士を探して、連れて来た。そこで私たち3人と、騎士社担当の修道士と交渉して出版への段取りを決めた。
★3月18日には、もう初めての校正、23日には、2回目の校正、24日には、2人がホームの自室に来て、最後の校正と、ある部分の修正を行なった。4度目だった。(右側の写真)
★こうして「トマさんのことば」は、あれよ、あれよと思う内に、印刷、製本へと工程は進んだのでした。
★後は、完成した「小さな本」を早く見てみたい。手に触ってみたい。2人の熱意で小さくとも立派に実った作品を、ブログ愛読の皆さんに贈りたい、届けたい、そう願っています。

2017年4月14日金曜日

「トマさんのことば」の出来る物語③再会の喜び

「トマさんのことば」を贈った後の、美樹さんの3度目の手紙には、反省と、人の人生の捕らえ方の難しさ、それに、面会に来てもいいでしょうか、が書かれていた。あんな素晴らしい本を贈ってくれたのに、反省するなんて、とんでもない。美樹さんは、悩んだらしい。
★「小さな本を贈らせていただいた後、とても失礼な事をしたのではないか、押し付けではなかったのか、トマさんの大切な人生に勝手に触れてしまい、嫌な思いをされたのではないか」の反省だった。美樹さんの正直さが伺える。
★「あの小さな本を作成して思った事は、人の人生は1冊の本に納まりきれない程深く、大きく偉大で、そして決して同じものなどない、とても尊いものだと感じました」
★「あの小さな本を贈らせて頂いたのは、トマさんの苦しい心の部分が少しでも軽くなって欲しいという願いがあったように思います」
★「前回の手紙から、私もトマさんに是非お会いしたいと思っております。ホームへお伺いしたいのですが、よろしいでしょうか。彼と、私たちが行っても、お邪魔ではないかな。緊張するね、などと話しています」
★早速、「お出でください。待っていますよ」と返事を出した。そして彼らが来たのが、上の写真です。2015年8月28日でした。美樹さんの誕生日だと言います。最初の出会いは、僅か15秒でしたが、初めて自室で、ゆっくりと会話が出来ました。喜びあふれて、ひと時を楽しんだ。美樹さんは「長崎のコルベ神父」を、哲さんは「ゼノさんの写真集」を持参して、サインを頼んだ。美樹さんのには、「けがれなき聖母マリア・愛と平和」を筆で書いた。ゼノさんの方は、どうする?少し考えて、「ゼノさん、天国から、働いてください」
★私は何よりも、「トマさんのことば」のお礼を述べて、「あれを作るのに大変でしたね」と、その心境を察した。心から感謝をしました。「登明の日記を、2011年から読み直して、感じる所を抜書きしました」「ぜひ、その抜書き帳を見たいですね」「送りましょう」と約束した。
★彼らが、「トマさんのことば」の作成のため、日記を抜書きしたのが、右側の写真です。9月15日に、送られてきた。細かく、右側には写真まで入れて、丁寧に作っている。2011年から、2015年まで、43ページあった。
★哲さん、美樹さんの熱意に、本当に圧倒されるというか、喜び一杯でした。そこまで尽くしてくれた人が今まで居たでしょうか。しかし、この後、ぱったりと、美樹さんの音信が途絶えた。
★手紙が来たのは、翌年2016年5月だった。住所が変わっている。上五島からで、島の診療所で看護師として働いている。

2017年4月13日木曜日

「トマさんのことば」が出来る物語②最初の本に感動

小さな本の作者、野々村哲さん、塩沢美樹さんが、長崎市大山の教会前で撮った写真です。見事なサクラと、マリア像があります。(裏に2015年4月撮影とある)。美樹さんかの最初の手紙が添えられていた。
★「湯江教会で一緒に居た『彼』とは、トマさんの本、日記の言葉、写真、絵などについて、いつも話をしています。私たち2人は、カトリック信者ではありませんが、長崎のキリシタンの歴史など、実際にその土地へ行き、見て、聞いて、触れて、本で調べ興味を持ち、少しづつ学んでいます」
★「トマさんのブログを拝読していますと、今まで関わった患者さんや、亡くなった祖父母のことを思い、心がしめつけられるような時があります。トマさんのような素直な気持ちや、考えなどを、表に出される方はやはり少なく、気付くかされることが多くありました」
★「苦しみそのものを取り除くことはできないけれど、大丈夫と思えるようになるまで一緒にいることや、見守ること、ニンゲンとして、カンゴシとして、できるよう努力していきたいと思いました」。美樹さんの思いが綴られていた。
★それに美樹さんの、1つの願いが書かれていた。「トマさんが弁士を努めた『我、世に勝てり・日本26聖人』のDVDを拝見したい」とのことだった。
★手紙の最後、「年をとるのは」歳を重ねるのでなく、「年を取る」引き算しなさい、すると若くなる、と小さな文字で書かれていた。
★早速、返事を書いた。日本26聖人のDVDと、「生かされて・ある修道士の半生・48分)のDVDも送った。
★すると、同じ月の4月29日に、小包と、2回目の手紙が添えてあった。開いて見ると、それが「トマさんのことば」(タテ12cm、ヨコ12cm。34ページ)の小さな本だった。手にしたとき、「え?こんなの、作ってくれたの」。驚くやら、感激するやら、嬉しさ一杯だった。
★「トマさんへ何かお礼の気持ち、感謝の気持ちを表せないだろうか、と考え、考えた結果、世界に1冊だけのアルバム(本)を作成させていただきました。トマさんのブログ、著書に書かれた言葉の中で、私の心が喜び、深く心に刻み込まれた言葉と写真に、私や彼の写真を入れました。トマさんの日々を、そっと、あたたかく見守っています。『省略しない心』を大切にします」
★なぜか、この事はブログに載せていない。夏になって、8月9日、長崎原爆の日、母の命日に、初めて、「トマさんのことば」の本を戴いた事を書いて、その中から、母の写真と言葉を載せて、彼らの本作りを紹介した。
★すると8月21日、美樹さんから3回目の手紙が届いた。

2017年4月12日水曜日

「トマさんのことば」の出来る物語①。出会いは恵み

写真の左側が、ホームで、右側が、湯江教会です。この庭で、2人に出会いました。もう1度、「トマさんのことば」の本が出来る前に、その経緯を記してみよう。
★2年前の2015年1月18日、いつも午後3時前に、ホームを出て、教会へ、ロザリオ・夕の祈りを共同で唱えに行く。ホームを出た瞬間、若い男女の2人に出会った。彼の立派なカメラと、見られない青い車が目をひいた。
★私はホームに入って、2ヶ月」ほどが経っていた。聖コルベ館に居た気持ちで、「いらっしゃい」と軽く声をかけた。「見学に来ました。小崎さんですか」「ハイ」「会えるかも、と思っていました。ブログを毎日読んでいます」「え?ブログ、読んでくれているの」。私は嬉しくなって、「ハイ、アクシュ」と女性の手、次いで男性の手をにぎる。2人は満足そうに喜んでくれた。
★私は直ぐに教会へ入ったから、一瞬の出来事で、僅か15秒程の出会いだっただろう。まさか、この出会いが「トマさんのことば」まで発展しようとは誰が想像できたでしょうか。
★ロザリオが始まった。ホームの10人程が居たろうか。祈りながら、あの2人のことを考え、「どこから来たのか。なぜ、ここに」と思いが広がった。どうしても、ジーッとしれおれずに、席を立って教会の外に出てみると、青い車はあったが、人が居ない。どこへ行ったのか、わからない。もう少し話せばよかった。
★一瞬のすれ違いでは惜しかった、と悔やんだ。「流れがあって、早めに別れてしまう。もう少し落ち着いて、ゆっくり話せば出会いの喜びもあったろう」。もう一押し、なかったのを反省した。
★祈りに戻って、若い男女のために祈った。祈りの間、彼らを思いつづけた。祈りが終わって屋外に出ると、青い車はなかった。この出来事は、その日の日記に書いた。2人を思いながら、次の言葉を添えた。「あなたの、おかげで、いまの、わたしが、あります。そんな言葉をいえる人に、出会いなさい。あなたの人生は、幸せになる」
★普通ならば、これで終わりだろう。後でわかったことだが、青い車は彼らのものではなく、赤い車で別の所に停めていた。愛野教会から湯江教会へ巡って来たのだという。
★冬から、春になった。彼らのことは、時折、考えた。「もう会えないのか」。すると、4月11日、1通の手紙が届いた。「湯江教会前で偶然お会いし、ブログにも書いていただいた『若い男女』の1人です」とあった。お名前は、塩沢美樹さん、男性は野々村哲(さとし)さん。美樹さんは看護師をしている。お住まいは、長崎の聖母の騎士のすぐ近くだった。2年前に、福島から長崎へ単身移住。「1人旅で、聖コルベ館、日本26聖人、トマさんのブログとの出会いによって、いま現在の私がいます」と書いてあった。
★この1通の手紙が、2人と私をつなぐ絆となった。

2017年4月11日火曜日

サクラも散り始める。本は、もうすぐ出来るでしょう

見事なサクラが咲きました。大曾神父さまと、入江さんです。2人は、昭和20年、終戦を挟んで、共に学んだ時期もあった仲間です。だから入江さんの情も深い。歳は入江さんが、3つも上になる。この写真の後、雨の日がつづき、サクラは散り始めて、葉サクラになりつつあります。
★大曾神父さまは、1度倒れてから、ベッドで寝ている日が多くなりました。食事は、1つのグループと食事処で食べています。完食されているので、お元気です。
★瀧神父さまも入所されたので、こころ強くなりました。
★今日は、午後、歯医者さんへ治療に行きました。開口一番、「歯の磨き方が良くなっている」と言われた。上、下のレントゲンを撮り、下の歯の掃除、歯石など取って貰った。1時間かかりました。施設の職員さんが送迎をしてくれた。高原修道士さんは、3月31日で、ホームを退職しました。
★日中、心待ちにしている「トマさんのことば」。小さな本のことを考えていました。2人の若者が作ってくれた本、野々村哲さん、塩沢美樹さんの編集です。まだ本は出来てはいない。「日記を読んで下さる皆さんにお届けしたいね」。校正が完了した日に、3人で話し合いました。どうすれば、皆さんに届くでしょうか。無料です。「どんな本か、な」と、きっと皆さんも、届くのを楽しみにしておられるでしょう。

2017年4月10日月曜日

昨日のことを書こう。聖週間が始まる。夜は会食

まだ、昨日のことを書かねばならない。受難の主日、枝の主日でした。ホームの信徒たちのためにも、枝の清めが行なわれた。これから一週間、悲しみの季節が最高潮に達します。次の日曜日は、復活祭です。
★午前中、傾聴ボランチアの女性が、2度目、自室に来られた。1時間ほど、私は語る。女性は何も自分からは言わない。時折、私の言葉を繰り返す。私は、今は、「忍耐と、気力と、信仰が、自分を支えている」と語りました。もちろん、説明があります。ホームでの生活、職員との触れ合い、最近、入院した体験など、具体的に語りました。すると女性は、「忍対と気力と信仰が、支えておられるのですね」と返してくる。語ることで、自分の心の中で、「まとまる」というか、整理が着くと言うか、楽な気持ちになりました。
★夜は、隣の湯江修道院で、転任する司祭が居る。瀧神父さまがホームに入った。送・歓迎会が外食して行なわれた。8人が参加しました。私も呼ばれた。松田神父さまは、東京・亀有に、谷村神父さまは、愛知県瀬戸へ移られる。料理は、思い思いの好みで選びました。雑炊もある。私は、すきやきナベ定食でした。こうして和気あいあい食べるのも楽しみです。院長さんも山内神父さまから、浜田神父さまに交代して、乾杯の音頭をとりました。
★今日は、月曜日です。復活祭に備えて、ホームの信徒の皆さんは、それぞれ心の準備、告白を行なった。私は入院中だったので、まだ、行なっていない。今朝のミサの後で、告白を行ないました。心を清めて、復活祭を迎えます。

2017年4月9日日曜日

この喜びの笑顔、見てごらん。管区長のお母さんだよ

昨日の誓願式で、教会の真っ先の席に付いて、ミサが始まるのを待っていると、この笑顔で、姿を見せて、挨拶に来た女性が居た。それが竹内枝美さんです。昨日も書きました、枝美さんは、昨年から、本修道会の管区長になられた竹内昭彦神父さまのお母さんです。
★上五島の漁村から、昭彦神父を育てるために、苦労しました。司祭の育成には、両親の大変な心配や苦労があります。沢山の祈りも必要です。この日、誓願式を司式していたのは、もちろん、管区長になった息子の昭彦神父でした。お父さんは漁船に乗って働いていましたが、病気で倒れて、長年、介護で大変な十字架がありました。それでもお母さんは頑張ったのです。
★誓願式で竹内昭彦管区長は、説教のとき、誓願を立てる若者のご両親に向かって、「大事な息子さんを、私たちの修道会に捧げてくださって、本当にありがとう御座いました。大きなご苦労と心配があったと思います。これからは神さまが導いてくださいます」と声を大きく感謝を述べました。
★ミサに参加した管区長のお母さんは、息子の管区長の話に、「それはホント」と篤い祈りを捧げたことでしょう。
★ミサの後で行なわれた祝賀会では、枝美さんとツーショットで明るい笑顔の写真を撮りました。実は枝美さんは、最近、突然、倒れて、救急で病院へ運ばれ、一命を取り戻したばかりです。意識不明の状態がつづきました。幸いに回復して、今はリハビリに努めています。
★神さまに息子を管区長として捧げても、いろいろ苦労が、十字架が人それぞれに有るんですね。枝美さんは「罪のツグナイたい」と言います。
★枝美さんから、「誓願式には、行きますからね」と、ホームの私のところに連絡がありました。枝美さんは、この日の早朝、上五島を船で出て、「日帰りで、帰るのよ」と笑っていました。どのような十字架が与えられても、この笑顔、この笑いで吹き飛ばす、そういう信仰心の篤いお母さん、枝美さんです。ひさしぶりの出会いで、私も喜び、パワーを貰いました。

2017年4月8日土曜日

長崎で、1人の若者が終生誓願を立てる。参加する

やあ、おめでとう。外山祈(とやま・あきら)さん。アシジの聖フランシスコに惹かれて、キリストへ生涯を奉献するために、終生誓願をたてました。この喜びの顔を見てください。希望に満ちた輝く表情です。
★ご両親もカトリック。外山さんは幼児の洗礼。少年の頃から、ミサの奉仕をして、高校生のときに、聖母の騎士志願院に入学しました。司祭を目指して、これから勉学と修徳に励みます。

★9時半に、湯江修道院の一行は高原修道士の運転で、出発しました。浜田神父、山内神父、松田神父、谷村神父、それに昨日入所した瀧神父の5人と、修道士は、高原さん、橋口さん、それに私でした。
★聖母の騎士で、女性から、「瀧神父さまのこと、ブログに載せて、ありがとう」と言われた。終生誓願のミサが始まった。これから誓願をたてる彼が、祭壇前の床に伏して、長い「諸聖人の連祷」が唄われる。それは感動的な雰囲気でした。「神よ、これから、一人の若者が、生涯、御身のため奉仕するよう願います」。私も、あのように伏して奉献したのだった。私は、果たして守れたか。人生は、長い。いろんな困難があった。誘惑もあった。それでも、傷ついても、いま、私は、ここに居る。そんな気持ちで祈りました。
★祝賀会では、お世話になった聖フランシスコ病院のシスターも来ておられた。泌尿器科の高橋先生は、お勤めになっておられる。腎臓内の異物取り除く術や、ステントの入れ換えでもお世話になった。あの頃が一番苦しい時だった。
★上五島から、竹内枝美さん(竹内管区長神父さまのお母さん)も来られて、元気な笑顔を見られた。
★ホームに帰ったのは、午後3時でした。

2017年4月7日金曜日

聖母の騎士で仲間だった瀧憲志神父さまも入居する

最近、ホームには、カトリックの女性の入居が増えています。姉妹2人で入ったり、1人で入ったり、そうした中で、長崎の聖母の騎士修道院で、同じ兄弟であった神父さまが1人入居しました。瀧憲志(たき・けんし)神父さまです。
★「トマ、そのうち、来るからな」「来るんだったら、歩けるうちに、早く入った方が、いいですよ」と度々勧めていた。「そのうち」「そのうち」と、年度が変わったところで、やっと入りました。
★食堂で、皆さんへの挨拶の言葉です。「鹿児島県喜界島の出身で、86歳になります。よろしくお願いします」。これでホームに入居の司祭は、大曾神父さま、西山神父さま、瀧神父さまの3人になります。修道士は、私と村山修道士の2人です。瀧神父さまの食堂での席は、西山神父さまの隣です。
★瀧神父さまは、杖をつきながら、ゆっくり歩けるので、教会へも行けます。今朝のミサでは、祭壇で、司祭の服をつけて、一緒に祈りました。午後の共同のロザリオも一緒に祈りました。今日は、金曜日なので、「十字架の道行」でした。長崎教区の公教祈祷書の祈りですから、長い祈りです。祈る者は増えるのは嬉しいことです。
★瀧神父さまは、主に、鹿児島県の奄美大島で活躍されました。イタリア・アシジの聖フランシスコ修道院でも8年間、生活され、巡礼に来る日本人たちの世話や、大聖堂の説明・案内を勤められた。2000年の前後の時に、アシジに巡礼したことのある人は、神父さまに出会ってお世話になっているでしょう。
★明日は、長崎の聖母の騎士で、終生誓願式があります。参加する予定です。

2017年4月6日木曜日

独りじゃ、ない。帰る場所もある。主も共に居られる

入院中、浜田神父さまが、ご聖体を授けてくださった後で撮ったスナップです。わざわざ病院まで来てくださって感謝します。「主と、共に、居る」わけです。
★しかし、ベッドに居ると、正直いって、祈る気持ちになれません。弱い人間です。ロザリオだけが、祈りでした。
★祈りとは、癒しを「下さい」、安らぎを「ください」だけでなく、主が今、わたしに何をお望みなのか。聞くことでもあります。ご聖体をいただくと、「ただ今」と、帰れる場所が、ある。それを実感しました。
★ホームに帰ってきて、今朝は、4時45分に起きて、普通の祈りの生活が始まりました。やっぱり「つながっている」んですね。
★看護師さんが、体重と身長、血圧を測るといいます。55Kgあった。3Kgほど重くなっています。その後、久しぶりに、入江さん、キリエさんと、風呂に入りました。「幸せだ、な」。湯のなかで、つぶやきました。
★長崎の松下修道士さんから電話。「『トマさんのことば』は、既に印刷を終わって、福岡の製本会社に渡しているそうです。近々、出来るでしょう」

2017年4月5日水曜日

無事に退院。楽しみがあるジンセイが始まるぞ

ホームに帰って来ました。入院するときは、まだ、サクラはふくらみを見せた頃でした。水曜日に入院して、水曜日に帰る。行く前に、サクラの木に言いました。「帰って来たら、リッパに咲いとけよ」。1週間後、サクラはリッパに咲いとった。「余(よ)は満足じゃァ」が、この姿です。入院の苦労は、イッペンに、吹き飛んだ。「やっぱり、ホームが、よか、ばい」
★病院は、6人部屋だったが、4月1日から、4人部屋になった。6人部屋は無くなるのでしょう。今度の入院は、同室の人とは、全く会話はなかった。病気が重く、カーテンを閉めた状態でした。私の場合は、病気という程でもないので、看護師さんから面倒を見られる場合も少ないが、看護師さんの印象は良かったと感じた。
★高原修道士さんが、午前10時には迎えに来た。支払いは原爆手帳のおかげで、1.180円でした。車に乗せられ、久しぶりに屋外を走行すると、気持ちは、カゴから放たれた小鳥でした。「さあ、入院は忘れて、『トマさんのことば』を楽しみに展開するぞ」。希望が湧いてきた。
★ホームの生活は、3年目。最初の年は、修道誓願「金祝」だった。次の年は、「米寿」だった。今年は、これから「トマさんのことば」だよ。ブログ(日記)を読んでくださる皆さんにお届けするのが生き甲斐になります。
★いま、午後のロザリオを終わって、感謝をささげ、祈りました。日記を読んでくださる方のお祈りも、ありがとう。
★その後、3階廊下の長いソファーに、祈ってくれた女性たちに、入院中にお見舞いに戴いた「カステラ」を分かち合って、笑いつつ、喜びつつ、食べました。ホームは皆さん一緒の家族です。今夜は、ゆっくり休みます。

2017年4月4日火曜日

入院7日目 明日退院します

病院生活も疲れました。ステントの交換は大変でした。やっと終わったのでホッとしています。明日は午前中に退院します。ホームに帰ればまた希望の日が送れるでしょう。

2017年4月3日月曜日

入院6日目 ステント入れ替え本番

気持ちは落ち着いています。手術する者は入浴する。2番目に1人で風呂に入った。ステンレス(か?)のような弁当箱のような風呂だった。熱い湯をつぎ足した。さっぱりした気分になる。午前中は何事もない。午後3時からの予定です。流れに乗って揺られるだけです。笹舟です。午前中に昭子さんが来る。午後からは高原さんが来る予定。お祈りください。

2017年4月2日日曜日

入院5日目 ご聖体拝領出来る

日曜日なのに朝9時半、主治医のお医者さんが見えた。「明日ね、2時過ぎからやりましょう」「はい、よろしくお願いします」主治医は毎日病室に来ている。
★4日間続いた朝夕の腕の注射も今夜で終わりになる。血液の調子も整っただろう。長い4日間だった。明日はいよいよステントの入れ替えが行われる。
★午前中にホームの隣の湯江教会から、浜田神父様が来てご聖体を授けて下さる。有り難い。心を込めて主をお迎えした。高原修道士さんも同行する。今日の新聞を持って来た。

2017年4月1日土曜日

入院4日目  恵まれている自分

朝の快適さは、看護師の検温に来た声掛けに始まる。人は声を出すことが必要だ。声は人の心に浸透して行く。特に朝の声は瞳に光る小さな閃きの様だ。
★俺は病気のベテランだ。もっと堂々としておれよ。
★病名を並べた所で、誰も褒めるもんはおらんだろう。だが前のベッドの人、隣のベッドの人の病気は見ていて大変だ。自分で乗り越えるしかない。
★昼飯に(ドカンと)赤飯が出た。何の意味があるのだろう。分からない。昭子さんが来る。
★昼寝の後、高原修道士さんが来た。新聞を渡してくれるが昨日の新聞だった。読まずに捨てた。しかし考えてみたら彼にとって3月31日は深い意味の日となる。4年間務めた。この日を以って退職した。居所は今と変わらずホームの隣の修道院に居る。彼にとっては新しいスタートとなる。勉強もしたいと彼は言った。
★高原修道士さんにはこれまで大変お世話になっている。これからも続いてお世話を頼むよ。それが願いである。

2017年3月31日金曜日

入院3日目 人情が心を温める

6人部屋、みなカーテンを閉めてベッドに横になっている。みなそれぞれに痛みを抱えている。
★朝7時半、看護師がパソコンを押しながら入って来る。6人の患者を2人の看護師が担当している。体温、血圧を測り「尿は出ましたか」こたえは一応に「まあまあです」。
★1日三食を食べて、朝夜2回注射をしてそれだけです。肌着は毎日替えるので洗濯をした。
★ベッドに居て思うのは、やっぱり世の中は人情が大事です。能力も技術も人を幸せにするが、人と人の潤滑油である人情のあるなしで決まる。言ってみれば思いやりです。手垢がついた言葉ですが、病人は人情で心が温まる。
★突然、部屋を変わるように告げられた。6人部屋が4人部屋になり、別の部屋に移りました。窓の側は明るいけど風景は無く、窓の向こうは白い壁です。部屋が変わったのでトイレが遠くなった。
★まあまあ元気にやっています。誰も来ません。

2017年3月30日木曜日

入院2日目 注射が始まる

昨日は夕食前に昭子さんが来た。
★ホームの自室より狭いベッドにいて、いちばん接触する人は看護師さんです。看護師さんの明るさや応対が病人を幸せな気持ちにする。
★入院時には4・5枚の紙を渡され記入することが多い。職業欄があったから思い切って「カトリック修道士」と書いた。看護師さんが興味を持って話し掛ける。宜しくねと看護師さんと握手したのは初めてだった。
★今日から注射を朝9時、夜9時の2回腕に行う。それだけが治療で4日間続きます。
★朝食はパンかご飯か、昼食は魚か天ぷらか選ぶメニューがあった。パンに丸を付けると、自家製のパンらしい美味しいパンが出た。病院の食事は店の料理のような感じがします。
★隣のベッドの男性が話し掛けて来る。「家はどの辺りですか」「駅から山手に上ると小学校、神社、その上にフランシスコ園があります」とはっきり言った。
★午後からの睡眠時間に昭子さんが来た。

2017年3月29日水曜日

入院します。ステントの入れ換え。1週間の予定

昨日の午後、騎士社から着いた「トマさんのことば」の「三校目」の校正は、昨夜、ゆっくりと確認して、ついに原稿は仕上がりました。校正は完了しました。小さい本ですが、変わった本が出来ると楽しみに湧いています。後は、印刷と製本を待つばかりです。期待してください。
★ステントの入れ換えのため、入院の日が来ました。今は流れに乗って行く気持ちです。「忍耐」と「気力」と「信仰」が今の心の骨子です。もう二十何回もステントの交換を行なってきた。歳をつるだけ、辛くなります。いのちは神さまのことです。
★午前10時にホームを出発する。高原修道士さんが車で送ってくれる。神の導きと恵みに委ねて、入院へ出かけます。諫早総合病院です。無事に、ステントの入れ替えが出来るように、お祈りください。
★前の入院と同じ部屋でした。6人部屋。血液検査・尿検査・心電図などを行う。前の入院と同じ部屋だから慣れた感じがします。今夜はゆっくりと休めるでしょう。(トマさんの代筆、16時15分)

2017年3月28日火曜日

あすは、入院か。シスターの死。サクラと菜の花

ホームの庭に、数本のサクラの木がある。今年は、寒気が長引いたせいか、サクラの木は、まだ、ふくらみを帯びた状態です。明日、入院をひかえて、見に行った。1週間の入院後は、花も満開であろう、そんな気持ちで、写真に収めた。
★午前中、自室に居ると、事務室の職員さんが来て、「シスターが亡くなった。今日が、葬式です。10時半からです。もし小崎さんが来られるなら、車で迎えに来ます、と連絡があった。どうします?」「行きます」。即断した。
★シスターの写真がある。去年の5月に撮っている。こんなに楽しそうに笑っている写真は私の手元にない。このシスターが、1年も経たないうちに亡くなった。すぐ、修道服に着替えて、事務室に行くと、事務の職員さんが車で早々と送ってくれた。15分程で着く。シスターの遺体の傍でロザリオを祈り、葬儀と告別式で祈り、別れを告げた。奉献生活、61年。85歳。シスターは静かに眠っていた。
★戦争が終わって、10年目頃、人里離れた山の施設で、男の子供ばかりの孤児たちが暮らしていた。教会と修道院があって、結核を病んでいた私は、そこで療養していた。その頃、上にあった女子修道院に入会したのがシスターで、広島の出身と言った。
★「看護師のシスターが、下の男子修道院で療養するトマさんの所へ行くのに、当時はシスターは1人では行動できなかったのよ。いつも私が看護師の付き添いで同行していました」
★山の中の女子修道会に入会して長年、愛と奉仕の生活をつづけて生涯を終わった。「神さまから呼ばれたから、この道に入った」。そして、この修道女の服を選んだ。尊い生涯だったと思う。シスターの、あの笑いが目に浮かぶ。女子修道院の車がホームまで送ってくれた。途中、集落を車は通ったが、菜の花がイッパイ咲いていた。
★聖母の騎士社から「トマさんのことば」の3校目が届いた。ゆっくり確認して、明日、入院前に郵送しよう。これで校了は終わりとなる。

2017年3月27日月曜日

今朝の気持ち。ささ舟の流れに、身をまかせる

朝、4時45分に起きる。5時20分に教会へ自室を出る。途中、職員さんに会うと、「ありがとう」「お疲れさま」だけ語る。後は何にも語らない。沈黙。今朝は、教会は、3人目だった。司祭と、94歳の女性がいた。自分の席に座る。その時が、一番、落ち着くときだ。瞑目して静かに、心の中で語る。
★次々と、司祭、修道士、信徒が入ってくる足音がする。私は前席なので、後ろの状態は分からない。教会の朝の祈りは、信徒も一緒に共同で、5時40分から始まる。時計を見た。「まだ、時間が、あるな」。今朝、書いた心境のメモが次の言葉です。
★「川の流れ、動いているのか、動いていないのか、わからない程の、ゆったりとした流れに乗った「ささ舟」。身をまかせて流れてゆく。大河か、小川か、それは、わからない。とにかく、まかせて移動していく。今は、そんな心境でおります」
★朝食のとき、同じ食卓の女性に、「ささ舟の絵を描きたいんだが、竹の葉っぱは、なかろうか?」「ウン、さがしてみる。あるよ」。女性は、自室に、竹の葉を一束持ってきた。子どもの頃を思い出しながら、ささ舟を作った。「こう、だったか、な」。そして絵を描いた。
★朝食の後で、介護の人たちが入った後、入江さんと、2人だけで、風呂に入った。なぜか、今日の背中流しは、丁寧に、丹念に、チカラが入っているように思えた。2日後、入院と知っている。
★昼食は、肉入りの五島ウドンだった。デザートにイチゴが付いていた。入江さんは私の隣の席。自分のイチゴ皿を私の方へ「ポイ」と差し出した。私は、フ、フ、フ、と、心の中で笑った。

2017年3月26日日曜日

これから先、どうなるか、不安や心配もあります

もう、何年も前に、泌尿器科のお医者さんが書いて、説明してくれた図です。腎臓からボウコウへ、長いクダが入っている。4ヶ月毎に、交換してきましたが、最近では、半年に延びています。
★今日は日曜日。ゆったりした気持ちの日なのに、何だか心が重かった。今週、水曜日に、ステント入れ換えのために、総合病院へ入院します。1週間の予定ですが、入院となると、揃える品物が大変です。
★前にも入院してステントの入れ換えをしました。昨年の9月でした。その時に書いておいた帳面があります。それを読めば、大体のことは分かります。ただ、今は寒いので、それが気になります。
★ステントを入れ替えなくては、生きては、いけない。残酷な気持ちもします。でも、私には、クダに頼れないと、生きられない。いつまで続くか、心配もあります。「だから、先のことは、どうなるか、分からない」気持ちにもなるのです。これも私に課せられた摂理として、受け入れていくしか、ないでしょう。
★ホームの女性職員さんが、親切にも、買い物や、持参する品物を1つ1つ確認してくれた。助かります。1人じゃ、やはり、心細い。まあ、ラクな気持ちで居りましょう。

2017年3月25日土曜日

神のお告げの祭日。おんな部屋から、シスターへ

神のお告げの祭日です。どこで撮った額のご絵か覚えていないが、私が持っている好きな絵です。マリアさまの所へ、天使が神のお告げを伝えに行く場面です。
★父親の生家、外海の黒崎には、私が子供の頃、「おんな部屋」があった。地元の娘さんたちが神に捧げる意思で、7、8人が共同生活をしていた。私の従姉も入会していたので、度々おじゃました。その清楚な生活、祈りの生活、労働、畑の作業、1つの家庭をつくっていた。
★その中に、「さよさん」という名の「あねさん」がいた。北朝鮮で育った、信仰を知らない私に、本当に親切に公教要理を教えてくれたのは、さよさんだった。奉献者さよさんの死は聖なる最後だったと、何かの冊子で読んだ。
★神学校に入ってからは、夏・冬の休みになると、まず主任司祭の所へ挨拶に行き、次いで「おんな部屋」へ行く。自分たちは食べていない白米のご飯をご馳走してくれるのだった。自己の道具は殆どなく、貧しい暮らしで、しかし朝夕の祈りは、黒のスーツに着替えて、教会で祈った。その姿にあこがれた。従姉も苦労したであろう。
★従姉は、私の名を呼んで、かわいがってくれた。ルルドの聖母マリアが好きで、祈り、歌を好んで唄った。「ルルドのマリア」。従姉は2月11日、ルルドの聖母の日に神に召された。「おんな部屋」のあねさん達は、みな若かった。あれから、ウン十年、「おんな部屋」は、「お告げのシスター」たちに変わった。あの7、8人のシスターたちは、どうなっているだろうか。