2016年3月31日木曜日

明子さん宅で、昼食をいただき、会話を楽しんだ

3月1日は誕生日でした。88歳。そして今日は、3月の終わりの日、31日です。毎週、2度、ロザリオの後、自室に訪問に来てくださる明子さん(写真・中央)。88歳、米寿のお祝いをしてくださるということで、明子さんの家に集まった。写真には、3人しか写っていないが、手前に、2人、ヨゼフ橋口修道士と、トマ小崎がいる。皆で、5人です。
★シスターも姿を見せた。最近までホームに勤務していたが、足の痛みで退職された。時々、ホームに姿をあらわし、励ましてくれる。シスターは還暦と言った。山の修道院でお祈り三昧に暮らしている。
★写真の左の女性が、湯江教会の祭壇の生け花を飾ってくれる奉仕者です。結局、5人が集って、「米寿」「ヨゼフ」「還暦」と一緒にまとめて、昼食を楽しんだ。
★話は尽きない。4時間、ゆっくり過ごしました。1人1人に、違った人生があります。それでも、生きる中心は信仰でした。むかしの神父さんや、修道士さんや、シスターたちや、家族や、隣人や、思い出話しは尽きないんですね。善かった出会いもあったが、困難、苦しみもあった。だが、すべては善しとされる。写ってはいないが、「トマさんの顔がいちばん楽しそう・・・」と言われた。
★こうして、3月も締めくくりとなったのでした。すき焼きのおご馳走は、ありがとう。「ブログをやめたら、ダメよ。ボケてしまうからね」「そうか、なあ」

2016年3月30日水曜日

サイタ・サイタ、サクラが、サイタ。長生きは神の恵み

ホームの職員さんたちは、多忙な中、色々と趣向を考えてくれています。「サクラの満開ですよ。きょうは昼食前に、園の庭を散歩しましょう。それからお花見の昼食会をしましょう」
★ホームの入口に、アシジの聖フランシスコのご像が立っている。写真で、見えますかね。白いご像です。一本の大きなサクラが満開になりました。このサクラは、ホームの時代を見てきたのですね。
★また春を迎えることが出来た。長生きは、神さまのお恵みでしょう。お年寄りの皆さんは、誰もが戦争や、苦しい時代を生きてこられた。長い人生には、サクラの思い出も、あれ、これと、あるでしょう。人生は、生きておれば、楽しいです。助け合って、慰めもあります。
★お花見のメニューは、サクラ・ご飯、お刺身、ふろふき大根、有頭えび塩焼き、帆立貝バター焼き、天ぷら三種は、(大分とり天、ブロッコリー、南瓜)、オレンジ、サクラ大福、それにジュースでした。思い思いに、喜びながら、いただきました。

2016年3月29日火曜日

菜の花の向こうにカスムのは有明海です。干拓です

ホームの生活は、単調です。あまり外に出る機会がありません。歳もとっているし、静かにホーム内で暮らしています。
★月に、1度は、野外活動といって、つまりはドライブがあります。その月の季節を感じる場所に、ホームの車で、連れて行ってもらいます。
★それでも、希望者を募っても、しっかり歩ける人は限られています。以前は、歩ける人が多かったのですが、最近では、参加できる人が少なくなりました。
★きょうは午後から、そのドライブがあった。参加者は、10人ほどで、もちろん今時期は、サクラです。近くのサクラを見に行きましょう、と出かけました。
★車に乗って、流れる風景は、この辺は、30年前から、自分で運転して、よく知っている町です。山の学校に勤めた頃を懐かしく思い出しました。いろいろ少年たちの事件もあったよ。車は、近場の白木峰高原へ登ったが、サクラは山手にあり、広がる海側の眺めは、黄色い菜の花でした。空はどんより曇っており、風がまだ冷たい。でも、胸イッパイに外の空気を吸い込みました。「やっぱり、長生きしておれば、いいこともある。そう、思いますよ」

2016年3月28日月曜日

会うのは可能です。知らないところに、ご縁がある

昨日が、復活祭でした。昨日のブログ(日記)に、コメントが入っていた。フランスから、ジャム・ブリュノさん。「4月に長崎へ行きます。ホームで会えますか?」。フランスで読んでくださって、ありがとう。面会は歓迎します。会いに来る前の日に、聖フランシスコ園の小崎に確認の電話をください。楽しみにしています。
★復活祭の夜には、隣の修道院から、夕食のお誘いがあった。修道者の皆さんと語り合うのは、楽しみです。ああ、やっぱり自分もこの共同体の一員だな、と感じて、励ましとなりました。祈りでも、気持ちでも、つながっています。各人の人生に、歴史があるんですね。その歴史が重なる部分があるのです。お互いに、知り合いの仲間です。

2016年3月27日日曜日

復活祭が、誓願・叙階の日が重なるのは10数年ごと

復活祭。アレルヤ。午前中は、荘厳なミサが行なわれる。祝福されたタマゴもいただいた。
★昼食は、ホームの皆さんと、湯江教会の皆さんが一緒になり、喜び、なごやかに今日の復活祭をお祝いした。
★昼食前に、長崎の聖母の騎士から、瀧憲志神父さん(写真・左)が訪ねてくる。修練者の今井君(右)も同行した。
★瀧神父さんが言う。「トマ、知っているか?」と、思い出させた。何だろう?
★今日は、3月27日で、復活祭です。この日は、トマが誓願を立てた日でもあり、わたしの司祭叙階の日でもある。もう、51年目になるね。このように「復活祭と、誓願・叙階の日が重なる」のは、10何年目毎にやってくる。きょうは特別、めでたい日だよ。それで、こうして訪問にやってきた。わたしも来年になったら、このホームにお世話になる。それまで元気で、いてくれよ。こう、話しながら、準備されたお祝いの料理をいただいて、喜び合ったのでした。

2016年3月26日土曜日

毎日、風にあたって、陽にあたって、それが元気のモト

午後、散歩の庭で、車椅子の中島神父さんに出会った。神父さんはホームに来て、7年になられる。昨年は、司祭になって60年。ダイヤモンド祝をお祝いしました。
★元気のヒケツは、お世話をする、後ろの男性、増山さん(隣の町でクリニング業)にあります。彼は、毎日、午後からホームの中島神父さんの所へ来て、車椅子に乗せて、ホームの周辺を押して回るのです。太陽にあたり、風に吹かれて、気分も爽やかになり、今度はホーム内に入って、休憩室で新聞を読ませて、次に教会へ向かい、ロザリオを唱えます。それが終わると自室に帰り、彼も帰るのです。
★こういう毎日が、彼の努めです。親身になって、毎日、面倒をみてくれる人が居るから、中島神父さんはお元気でおられます。うらやましい限りです。増山さんは、よくぞ、ここまで面倒を見る、その熱心さに敬服します。
★風にあたって、陽にあたって、気分を切り替えて、これが毎日です。元気の継続の源になるのです。介護の基本かも知れない。
★今夜は、7時30分から、復活徹夜祭が行なわれる。教会へ行きます。帰るときは、喜びの「アレルヤ」です。

2016年3月25日金曜日

聖なる3日間が始まる。教会儀式は夜に行なわれる

ホームは地域的に寒いのだろうか、まだ庭のサクラは咲いていない。
★昨日は、教会では、聖木曜日をお祝いしていた。ブログを書いた後で、夜の7時30分から、隣の湯江カトリック教会で、荘厳にミサが行なわれる。
★「グロリア」の聖歌のときには、鈴を鳴らしたが、途中で、オルガンなしになった。いよいよ悲しみの気持ちに入る。お説教では、心に残った次の言葉、「大切なことは、3つある。神さまへの賛美、福音を伝えること、お互いに足を洗うこと」です。足を洗うということは、どんなことか、その意味は分かっている。大変、むずかしい、相手を受け入れることだ。その後に、洗足式が行なわれた。
★ミサが終わると、ご聖体を、準備した隣の別の部屋に、行列しながら移した。その場で、皆さんで、ロザリオの祈りを唱えた。自室へ戻ると、9時過ぎていた。毎日、8時10分頃には、寝る準備に入っている。30分後には、電気を消す。ちょうど、1時間遅れていた。
★きょうは、これから教会で、十字架の道行が行なわれる。いまから出かけます。自室から教会を往復すると、200歩ほどになります。また夜の7時30分から聖金曜日の儀式が行なわれます。きょうも寝るのが遅くなるでしょう。

2016年3月24日木曜日

皆さんからの写真とお手紙をお待ちしています

トマさんへ。浜松のひろみより。
トマさんにお目にかかったのは、2010年の3月です。年賀状も、もう六枚もいただいていますよ。もっと、もっと、長いおつきあいのようにも感じます。それは毎日のブログで繋がっているからだと思います。長崎県までは、とても遠くて行くのが大変ですが、ブログでトマさんを近くに感じております。
トマさんのお住まいのホームは催し物などが豊富で楽しそうですね。真似したいけど、スケールが大きくて大変そうです。
私は今、介護施設とホームヘルパーの仕事の合間をぬって、コーラス、アロマテラピー、飾り巻き寿司の三講座を受講しております。自分が楽しんで、仕事にも少し役立っております。寿司はまだ習い始めなので、あまり上手ではありませんが、写真(五枚入っていた、うちの、上は、節分のオニ、下は申)をごらんになってくださいね。
毎日が、とても早く過ぎてしまいます。たとえ一時間の訪問でも仕事が入っていると、のんびり出来ません。又、お手紙、出させてくださいね。3月10日。
★皆さんからの写真とお手紙、慰め、励ましになります。お待ちしております。

2016年3月23日水曜日

サンサンと、ヒカリを浴びて、きょうも、ほほえむ

ミサから帰って、自室のガラス戸を開けて見た朝の光です。こんなに、すばらしい朝があるなんて、感動ものです。
★「生きなさい」「きょうも、あなたのために、よい恵みがありますよ」。そのような意味のヒカリが、サンサンと、こちらへ向かってきます。
★神さま、ありがとう。ホームの職員さん、ありがとう。今朝も、神さまにお祈りするのは、創造主である神さまを礼拝します、賛美します、あわれみ深い神さまに、お恵みをお願いします、弱さや落ち度があれば、お赦しをお願いします、それが神さまと向かう心でしょう。「きょうも一日、善い日を与えてくださった」
★午後から、「懇談会」があった。来月、4月の予定です。結構、いろいろ有るんですね。誕生会や、ビデオの日や、ショッピングも、グランド・ゴルフもあります。看護師さん、栄養師さんなどからの報告もありました。何か、食べたい食事があれば、入口の白板に書き込んでください。検討してみます。楽しく歳をとりましょう。
★きょうも、ゆっくり、入浴しました。やっぱり背中を流してくれる人がいた。ありがとう。助けられて、生きています。

2016年3月22日火曜日

生あるものは、かならず滅す。いかなる終わりか?

昨夜は、ふと、夜空を見ると、満月だった。春分の日の後の満月の、次の日曜日が復活祭。むかしの、先祖のキリシタンたちも、あの満月を仰いだのだろう、そう思った。復活祭は、大きなお祝い日だ。
★写真は、ホームの庭の、無原罪の聖母マリアさま。支える岩から、清水が流れて、細く取り巻く円形の池に落ちて行く。時折、周辺を散歩する。
★昨日、亡くなった男性の葬儀、告別式が、教会で行なわれた。親戚は誰も居ない葬式だったが、ホームの皆さんが黒の服装で、祈りや聖歌のなかで、職員さんたちが細やかな、厳粛な面持ちで、執り行っているのを見て、「ああ、この男性も、幸せだった」と、心に強く感じた。火葬場にも、園長神父さんはじめ、黒ずめの職員さんや、入居者も何人もホームの車に同行して、みんなで見送った。昼食後、遺骨になってホームへ戻ってきたが、玄関に、皆さんでお迎えした。
★一人の人生は終わった。若い頃は、死ぬことは遠い未来の出来事で、自分には、いまは関係が無いと暗黙のうちに距離感を抱いていたが、ホームで次々に見送る姿を見れば、やがて来る死を本当に身近に考える。
★小崎登明、これから、どうなるか。毎日、130人から、200人の誰かが、見守ってくださる。

2016年3月21日月曜日

一輪のサクラ咲き、一人の老人がホームで亡くなった

庭のサクラが、1リンだけ咲いていた。なぜ、あの花だけ、ポツンと一個だけ咲いたのだろう。ふしぎに思えたが、可憐な花だった。
★ホームに居ると、結局、年老いて、皆さんにお世話になりながら、この世を去っていく。ホームだから当然のことであろう。亡くなったとき、子や孫が沢山いる人もいるが、全くの孤独の人もいる。厳しい人生だが、それも、その人の道なのであろう。
★唯一の救いは、ホームは家族だということだ。「天におられる御父よ」と毎日、毎度、祈る私たちは、みな、兄弟なんだ、というカトリックの祈りに、孤独の人の救いがある。つながり、ご縁がある。人は、1人では、生きては行けない。誰かに寄り添って、自分の人生を営んでいる。家族のある者も、家族がない人も、ここでは皆が家族である。
★きょうは、子も孫も親戚も、全く居ない男性がホームで皆さんに看取られて亡くなった。彼を偲んで、ホームの皆さんが集って、お通夜のお祈りが行なわれた。あしたは、隣の湯江教会で、葬式がある。彼は、ある日、「お願いします」と、職員の付き添いで、お寺のお墓を、造花とお線香を持って訪ねて、「自分が亡くなったら、ここへ入れて欲しい」と言い残したという。
★入居して、5,6年の生活だったが、彼にとって、最後は仕合わせだったと思う。
★なぜか、庭の一輪のサクラの花が、きょうはアタマから離れない。

2016年3月20日日曜日

聖堂に入るときには、聖水をつけて、十字架を・・・

午後のロザリオに、必ず出席して、祈っている車椅子のお年寄りの女性。何歳か、わからない。言葉も発しない。それでも祈っている。聖堂に入る前と、出るときには、白い皿に盛られた聖水に、手をのばして付けて、十字架の印しをする。その姿を見ると、アタマが下がるというか、本当に、信心が身についているのを感じ、励まされる。こうして、何十年、祈ってきたのでろう。車椅子の身だが、皆さんから大切にされ、いたわれて、女性の姿に幸せを感じます。人間は、長い人生を生きても、最後は、神さまに祈るのですね。
★きょうは、日曜日。枝の主日だった。今週は聖週間が始まる。次の日曜日には復活祭を迎える。
★理髪屋さんが来られたので、復活祭を意識して、散髪をしてもらった。その後で、入浴した。背中を洗ってくれる92歳の男性が、目の手術をして、いっしょに入浴ができない。同じ食卓の男性といっしょに入った。やっぱり、背中を流してくれた。92歳が流しているのを見て、同じようにしてくれる。最近、入所された男性で、「亡くなった妻が、小崎サンの記事を楽しみにしていてね」
★昨夜は、隣の修道院に、ヨゼフの修道名を頂いている修道士がいるので、お祝いに外食に出かけた。わたしも、同行して、ご馳走をいただいた。和食の食事処だった。「もっと、コルベ神父の信仰の遺産を大切にして、発振しようじゃないか」など語り合った。
★毎日、同じような生活だが、こころの中には、浮き沈みの変遷がある。気にしないで、いいのに、ニンゲンは、なんで、こんなに、クヨクヨするのかね。
★春分の日、夕食のメニューには、オハギが出るそうです。

2016年3月19日土曜日

聖ヨゼフよ、よき臨終に導き給え。思い出の修道士

長い人生の途中で、学生の頃であったか、いつだったか、「イエズス・マリア・ヨゼフ」と呼吸のように唱えた時期がありました。
★きょうは聖ヨゼフの祭日です。この聖絵は、わたしが一番好きな聖ヨゼフと幼きイエスです。コルベ神父がポーランドから持参しました。大きな額に入っています。聖コルベ館に飾っている。幼きイエスが、かわいい。聖ヨゼフは、ユリの花を持っている。
★聖ヨゼフは、聖家族の保護者です。教会の保護者でもあります。朝、ミサのとき、司祭は、「よき臨終の保護者でもある」と思い出させました。人はどのように死を迎えるのか、わかりません。よき最後ができるように聖ヨゼフの取次ぎを祈りましょう。
★その善き模範が、ポーランド人のカシアノ修道士です。中学・高校・修道院で、カシアノ修道士の炊事係りの食事で育ちました。カシアノさんは聖ヨゼフの熱心な信心者でした。常に、祈り、語り、本も出して、仕事は修道院の奥の炊事場で生涯働きつづけましたが、聖ヨゼフの熱心な信心を発振していました。カシアノさんと言えば、聖ヨゼフです。「コルベ神父さまから、炊事をするよう言われました。それを生涯、守りました」
★晩年は、いろいろな病気もありましたが、修道院で、夜の食事をつくってから、自分の部屋に入り、静かに横たわって、息を引き取りました。きっと「イエス・マリア・ヨゼフさま」と共に神の御国へ旅立ったのでしょう。聖ヨゼフといえば、忘れられない、あの人です。

2016年3月18日金曜日

いい言葉がタクサンある。どれを選ぶか?そう、ね

先日、描いた絵てがみの、「五島・玉之浦のツバキ」です。ヘタか、ジョウズか、査定しないでください。問題は、描かれている「字」についてです。
★先生も、ご苦労さまです。画題に、ツバキと、スイセンを持参くださったが、添える言葉も考えてこられた。「ありがとうのリズム(清水英雄)」というのです。
★ありがとうの『あ』は、『あかるい』の『あ』
ありがとうの『り』は、『りっぱ』の『り』
ありがとうの『が』は、『がんばる』の『が』
ありがとうの『と』は、『とうとい』の『と』
ありがとうの『う』は、『うれしい』の『う』
★「え?こんなに沢山」。先生も、これらの字を選んで準備して来られるのもタイヘンです。
★そうだな、ボクは何を選ぼうかな。明るい、立派、頑張る、尊い、うれしい。みんな、いい言葉です。今の気持ちを考えると、どれだろう?「ウーン、そうだね」。うれしい、を選びます。それで字を入れました。嬉しく生きたい。日々、小さな嬉しさでいいから、何かの嬉しさを見つけて、希望をもって生きたいです。

2016年3月17日木曜日

サンタ・マリアのご像は、どこ?日本の信徒発見の聖母

何年か前になります、大浦天主堂へ参詣したときに写した写真です。誰でも、1度は見たことのある写真でしょう。左のレンガの建物は、ド・ロ神父が設計・造った旧・大浦司教館です。天主堂への石段をのぼる。この石段は天草の産だそうです。
★下の写真は、天主堂の中に入ると、右側に、日本の信徒発見の聖母マリア像がある。この場所で、潜伏して信仰を守っていた浦上の信徒10数人が訪れ、プチジャン神父に打ち明けた。「あなたの胸、わたしの胸と同じ」「サンタ・マリアのご像は、どこですか?」「ハイ、これがサンタ・マリアさまです」。きょうが、その記念日です。
★コルベ神父とゼノ修道士は、長崎港に汽船が入港したとき、船の上から大浦天主堂を見たでしょう。「ああ、あれがニホンの教会だ。あそこへ行こう」。出島の岸壁に着くと、真っ先に、天主堂を訪れた。天主堂の入口、玄関で、ニホンの聖母像に迎えられる。「ごらんなさい。マリアさまが私たちを最初にお迎えくださったよ」。コルベ神父は喜びと大きな希望を感じた。
★中へ入って、信徒発見の聖母の祭壇にひざまずき、マリアさまを仰いで、祈った。1年間、大浦に仮の修道院を設けたが、コルベ神父は、哲学教授の前後、必ずこの場所で祈っていた。
★わたしは思うんです。聖人の行動には、ムダがない。日本へ到着して、真っ先に来たのが、この大浦の、すばらしい場所であった。きょうは、そのことを考えて、1日を過ごした。

2016年3月16日水曜日

ハナ見て、思え。教会の歴史と、教会群を。わするるな

「アーッ」。花を見た瞬間に小さく叫んだ。「五島の玉之浦のツバキだ」。絵てがみに、先生が持参されたのが、この花だった。花のふちを、白い色で囲んでいる。確かに珍しいツバキだよ。きょうは、このツバキを描いた。
★先日、長崎の教会の歴史と、沢山の教会の建物のビデオを見た。自分のなかで信仰とは何かを考えるとき、やはり、父は外海、母は浦上。そこで生まれた自分は当然、カトリックで生きてきた。その外海にも、浦上にも、先祖たちが命をかけて守ってきた歴史と言うか、信仰がビデオを見ると現実にあるのです。
★始まりは、聖フランシスコ・ザビエルだった。その後、命をかけた宣教師たちが次々に長崎へやってくる。信仰だけでなく、文化も、福祉も当時として一流が栄えた。迫害になっても、信仰を守り通した。やがて、大浦天主堂で、司祭と信徒の出会いとなる。
★そしてザビエルは、ヨーロッパにつながり、ローマにつながる。つながりの血潮が流れているわけです。五島の各地の教会も忘れられない。
★ブログに何度も書いたが、むかしの古老は言った。「祈りば、せろ」「善業ば、せろ」「犠牲ば、せろ」「苦しか、ときは、キリストさまの十字架を、思え」「罪のツグナイと、思え」「隣人を愛せよ」「煉獄の霊魂のため、祈れ」「神父さまば、大切に、せろ」。これらの言葉が、魂から、どうしても抜けないのです。

2016年3月15日火曜日

3月も、半分が過ぎた。サクラのツボミも、ふくらんだ

3月、誕生日を迎えて、特に今年は、88でしたから、喜びも深い気持ちがありました。ステント入れ換えで、心配したり、長崎での誓願式に参加したり、早(はや)、もう15日になりました。
★午後、庭に出ると、風がまだ冷たい。しかしサクラのツボミも、ふくらんできているようです。
★ホームの入居者にとっても、カトリックの信徒は、この時期になると、年の黙想会があります。ホームの教会で、司祭により、夜のお話、次の日はミサがあって、お話がありました。告白は、教会の信徒もいるので、ホームの入居者は、自分たちだけで、ロザリオの後で行ないました。復活祭の準備です。
★ヒトは、神さまから出て、神さまに帰っていく。その自分には、弱さがあり、欠点や落ち度があり、罪もある。清められなければ、神さまの元へ帰れない。これが基本でしょう。ホームに居て、目だった悪口や、盗みや、争いは、無いかも知れないが、祈りの不足や、神さまへの信頼の無さや、自分の十字架(苦しみ)への不満はあります。ひそかに、心の奥で、「自分にとって信仰とは何か」と、問い続けているような日々です。
★修道士として、つまづきのないよう、自分を律したい気持ちです。

2016年3月14日月曜日

パウロ今井裕次郎さんのために、お祈りをお願いします

昨日と、同じような写真だが、こっちは、「岡山のうどん屋の今井くん」です。「え?もう、修道服の、着衣したの?」。すっかり、サマになった今井くんでした。「よかった、ね。これから1年間の修練期をがんばって、ね」。あかるいカオをしていた。
★パウロ今井裕次郎といいます。裕次郎って、いい名前じゃないか。歳は、24歳。この若者は忘れないね。
★聖コルベ館と関係もある。古い日記を調べてみたら、2013年4月29日(月)に、今井くんの聖コルベ館の3度目の来館が載っていた。
★高校生のときに洗礼を受ける。「修道服を着て、スポーツする会に入りたい」が、きっかけ。希望を持っていた。
★2011年12月31日、大晦日の閉館前に、初めて、岡山、神戸の男性、5、6人で聖コルベ館へ来た。翌12年の5月に、神戸の青年と2人で来た。このときコンベンツアル会に入会したいと決める。3度目は、身辺の整理をして、やってきた。神戸の友人青年の運転で、「平戸・生月、外海の巡礼もしました」。その年の秋に、入会した。
★優秀な青年で、まっすぐに前を見つめている感じの若者です。熱心さが、皆さんから認められている。「お祈りしているよ。マリアさまに願って、ね」

2016年3月13日日曜日

誓願者と、喜びの写真を撮った。導き給え、弱き我らを

誓願の日、祝賀会での写真です。
★真ん中が、終生誓願をたてた若者です。上に、ゼノと名前が書いてある。
★「やっぱり、修道服を着た姿が、いいね」と、誰かが言った。ぴシャッと、決まっているよ。右は、峯・神学生。ホームでのお手伝いの2週間を終えて、この日にお別れをつげて、お祝いに参加した。東京へのぼって、勉強と修業につとめます。
★「生涯、この道だからね」。そりゃ、覚悟もいります。人間は誰でもが弱いから、この道に進む者も、浮き沈みはある。それを乗り越えて行くわけだが、88の老人は、振り返ってみたら、何んにもしていないことに気づきます。「わたしが、これ、これの事をしましたから、お恵みをくだい」では、ないんですね。
★神さまが既にお先に、弱いわたしを、導き、お恵み下さる。神さまが、先なんですね。それを感じる日々でありたい。会う度ごとに、「賛美と、感謝」と言う修道士がいる。老いも、若きも、イッパイ、お恵みがありますように。

2016年3月12日土曜日

希望の春。二代目ゼノさん・若者の心の旅たちでした

1人の若者が、修道者になるために、終生誓願を立てました。1日がかりで、長崎・聖母の騎士へ出かけました。
★若者の顔は、希望に輝いていました。いいですね。大きな喜びです。大分県の出身だそうで、両親も駆けつけていました。1人息子だそうです。捧げる辛さもあるでしょう。でも、お父さんも、お母さんも、信仰に満ちた明るいお顔をされていました。神さまが、この両親を守り、導いてくださるでしょう。誓願のミサのあと、祝賀会があり、お祝いしました。
★若者は最後に集った皆さんに、感謝を述べながらも、自分の道は決して平坦ではなかったと打ち明けました。中学1年で、聖母の騎士に入り、高校、大学と、進む中で、自分の弱さを痛感し、からだを鍛えることに専念したが、試練期には、本当の強さは心(神への愛)にあると感じて、励げみ直してきた、と語りました。
★修道服を身につけたとき、修道名を「ゼノ」を選びました。ゼノ修道士のように、何も自分のものとせず、神さまの愛に生きて、貧しい人、隣人に、愛を配った、そういう人物になりたい。豪華や、ゼイタクや、身勝手な今の世のなかで、愛の真実を見つけようとする若者もいるのです。写真にはボクも写っているよ。
★初心に戻る気持ちの、きょうでした。

2016年3月11日金曜日

ネットを通して、フランスのルルド洞窟で祈ってもらえる

福岡の昌子さんから、手紙がきました。「米寿のお祝いに、インターネットで、ルルド(フランス)のマリアさまに、祈りと、ローソクを捧げました。その資料を同封します」
★ネットで、フランスのルルドの聖域の担当者に申し込むと、マリアさまにローソクを捧げて、お祈りしてもらうことが出来るそうです。何度か、巡礼で参詣したルルドの洞窟や、大聖堂、ガブ川など、そして洞窟前のローソクの灯を思い起こします。
★ルルドへのお願い。「ブラザー小崎の誕生日。88歳になる。ブラザーが喜びにみたされ、元気で毎日を過ごされますように」
★ルルドの担当者からの返事。(フランス語)。「グロットへ、あなたの祈りの意向は頂きました。3月1日、16:28、グロットに1本のローソクを捧げ、灯すことを希望されました。あなたの望みは、ローソクを灯す係りによって、インターネット巡礼者(ウエブ巡礼者)のためのローソク台に置かれました。およそ24時間、灯されます」
★「祈り、時間を捧げ、真の証により、いつも人に対して温かい気持ちでいるように心掛けているあなたのおかげで、ルルドは信仰の真実の扉となります。信じる恵みを受けているあなた、私たち人類の未来が信仰によるものである事を知っているあなたに対して、希望の炎を燃やし続けるよう勇気づけます。ルルドの洞窟で、途切れることなく燃えている数千のローソクはそのしるしです。ルルド聖母聖域のチャプレン、オラシオ・ブリトー神父」
★昌子さん、ルルドへローソクとお祈り、ありがとう。

2016年3月10日木曜日

行きは気が重く、帰りは気合が抜けた、午後の出来事

誕生日に頂いた、また別のお花です。これもご縁があるお花です。温かいお心に、感謝し飾りました。
★さて、昨日のことですが、午後から「ステント」の入れ換えに、ホームを出発。運転・付き添えは、高原修道士と、心配して、明子さんも同行してくださった。行きの車の中は、沈黙がつづく。膀胱に、機械やカメラを入れるのを思えば、気が重い。これまで何度も行なってきた治療だが、下着を脱ぐのもイヤだし、痛みもある。辛抱するしかない一応、麻酔はするのだが、でも、痛い。
★泌尿器科の受付へ行く。紙入りケースをもらって、血液と尿の採取・検査科へ。データーが出るまで、時間がかかる。この日、普通なら、レントゲンへ回るのに、それで終わりとなった。受付へ戻る。
★すぐ名前を呼ばれて、診察室へ入る。担当の先生の問いかけ。「調子はどうですか?」「ええ、まあ、いいです」「足のハレはどうですか?」「まあ、よくなりました」「カリウムの量が上がっていますね。腎機能も少し落ちてきている」。腎機能の低下が心配になる。先生は、「食事、特にバナナや果物に注意してください」。(引き出しのバナナと、ショッピングで買ったイチゴやミカンを思い出した。果物の食べすぎかな)。先生は「きょうはステントの入れ換えはしません。1ヵ月後にしましょう。そのときCTを撮りましょう」。痛みは、イヤだが、ガクッと、きた。
★帰りの車の中で、気合が抜けた感じで、言葉は出ない。医師が言われるままに、こちらも食事に気をつけるしかない。ホームに帰ると、教会前で止めてもらった。教会へすぐ入ると、ロザリオの1連が始まったばかりだった。
★栄養師の職員さんが心配して、自室に来られて、ホームでの腎臓病食の指導を受けたが、今回は医師指示の果物を食べ過ぎない、ことにした。禁止の食品は、納豆、海草、ナマ野菜、バナナ、黒砂糖だそうです。

2016年3月9日水曜日

「ステント」入れ換えの苦痛の日。気持ちは、おもい

88の誕生日に贈られたお花です。自室に飾り、喜びと、励まし、慰めをいただいた。88といっても、老いているのか、若いのか、ホームにいると、わかりません。90、95、97で、元気に歩く人が居るからです。
★自分のジンセイは、若い頃、病んだ結核と、老いてからの後遺症との闘いだった。きょうの午前中は、なんとはなく、自室で、ぼんやりと過ごした。午後から、総合病院へ出かけます。
★22歳のとき、右の腎臓を結核に冒され、全部を摘出した。希望に満ちて、修道服を身につけたばかりだったのに、病で倒れた。戦後・直後の手術は困難を極めたが、いのちを貰った。
★それから3年後、25歳のとき、また左の腎臓も結核におかされる。まさに生死の境をさまよった。幸い結核の新薬のおかげで、何とか病を切り抜けて、元気になって、修道士の誓願を立てて、修道士生活を始めることができた。
★あれから60年。1つの腎臓は良く働きつづけた。いのちを支えてくれた。しかし、老年になって、1つしかない腎臓に異常が生じたのです。腎臓をCTで撮ると、既に結核が癒えた部分に、白く写っている石灰化の残像が残っている。その石灰化が、年月が経って、「ほぐれてきて」尿管につまり、尿が出なくなった。尿が出ないと、人生はアウトです。
★そこで治療として、腎臓から、膀胱まで、「ステント」を入れて、尿を流すようにして、生きているわけです。この管は、4ヶ月毎に入れ換えしなければならず、その日が今日なのです。
★午後から病院へ出かけます。痛みが、苦になるなァ。いのちは、神さまのことです。お任せして、受け入れます。
★きょうは朝から、雨が降っている。寒さが身に沁みる。さあ、出かけるか。

2016年3月8日火曜日

ネコのハナちゃんは、何を考えているのか、な

ネコのハナちゃんです。ショッピング(外出)から帰って来たら、廊下で会いました。昨年の6月頃でしたか、ホームの庭に舞い込んできた小ネコです。ホームではネコ・イヌは飼えないので、男性の職員さんが自宅へ連れて帰って、育てている。ひさしぶりに連れて来た。「おお、ハナちゃん」。お年寄りたちが、「かわいい」と、温かく抱いている。うるんだ目を注ぐ。
★冬は、ホームで特に敏感に気を配っているのが、インフルエンザの流行です。インフルエンザに罹ると、お年寄りにとっては大変な負担です。体力が弱っている老人は感染しやすい。2月は流行の波が押し寄せていました。外出は出来るだけ、控え目にと、気を配っている。それで毎月、1度の買い物の日、ショッピングも見送られていた。しかし、流行も、やや治まったので、きょうは午後からショッピングがありました。10人ほどが出かけました。峯・神学生も同行した。マスクをして、バスを降りるときには、付き添いの女性職員さんのお世話で、各人の手の消毒もしました。
★帰って来たら、ネコちゃんに出会ったというわけです。
★あしたは、総合病院・泌尿器科で、腎臓から、膀胱にかけての「ステント」の入れ換えです。痛みを考えると、気が重い。生きて行くには、お世話になるしか、ない。喜びもあれば、苦しみもある毎日です。

2016年3月7日月曜日

若い神学生と祈る喜び。ホームでお手伝いの実習

朝、5時すぎ、ホームの隣の湯江教会の扉がひらく。教会の「朝の祈り」があって、ミサがおこなわれる。東京の峯・神学生が参加するようになって、はや1週間が経った。
★日中は、ホームで、職員さんたちに学びながら、入居者たちのために助けとなっている。修道服をぬいで、普通の衣服を身につけて、マスクをすると、ホームのなかに全く溶け込んでいる。3度の食事中のお手伝いや、入浴の介護、ごみ袋の回収など、なんとかお役に立ちたいと努力している。時には、お年寄りたちの話相手になることもあるそうだ。
★昨日は、わたしのパソコンで、日記を書くのに、写真の導入ができなくなって困っていた。峯さんに助けてもらった。正常にもどりました。時々、パソコンの操作が狂うので、困るときがある。
★午後は、教会で、ロザリオを祈りますが、若々しい声で、先唱もします。10数人がロザリオに参加して祈っているが、神学生と共に祈るのは、喜びを感じています。感謝しています。残りの日にちで、良い福祉の体験を味わってください。

2016年3月6日日曜日

誕生会も終わりました。うどん屋の今井くんに会いました

3月の1日。長崎の修道院の皆さんが、米寿をお祝いしてくれた夜、会食の場で、うどん屋の今井くんに会いました。
★若者の顔と、年寄りの顔は、やっぱり違うね。若者は、丸みをおびて、希望に満ちている。わたしにとっては、今井くんは忘れられない青年です。
★何年前だったか、ある年の大晦日の夕方、聖コルベ館の閉館まえに、何人かの青年たちが入ってきた。それが、きっかけでした。青年は数人居たのに、今井くんは「司祭になりたい」。以前から抱いていた希望を叶えたいと思った。
★彼は高校を出るときに、奨学金をもらっていた。卒業して、司祭になるためには、「先ず清算しよう」と、うどん屋に勤めて、自分の稼ぎで、奨学金をみんな払い終わって、それから、また聖母の騎士にやってきたのです。
★感心する青年でした。しばらく試みの期間はあったが、祈りながら忍耐して、とうとう、東京の私たちの会の志願院へ入ったのです。
★今年の3月から、いよいよ、長崎で、1年間の修練に入ります。「うどん屋の今井くん」を覚えてください。彼の前途に神の導き、お恵みがあるようにお祈りください。

2016年3月5日土曜日

誕生会。お祝い、うれしい。職員さんの出し物も楽しい

月の初めての土曜日は、ホームの誕生会です。3月生まれの入居者は、9人いました。その中の1人です。全員が食堂に集まり、園長神父さんの言葉と、カンパイの音頭があった。
★それから、1人、名前を呼ばれて、「パッピ・バスデイ」を手を叩きながら唄います。園長神父さんと職員さんが、小さなローソクと、お花と、おみやげを持ってきてくださる。88の米寿の誕生だからね。うれしいね。楽しいね。一番の年上は、97歳になった女性だった。まだ自分の足で歩いて食堂に来て、介護なしで食事をしているから、偉いモンです。見習いたいと、励まされます。
★楽しみは、職員さんの出し物です。3人で、何を、やるの?よさこい踊りをおどって、寸劇。サカナ釣りだよ。最初は小さな鯛を釣ったが、左の女性が大きなサカナの絵をかいた紙袋をかぶって、これを釣り上げた。右の女性が、ビンで、サカナを叩いて、大いに湧いたよ。シメたんだって。説明されてわかった。この後、ノド自慢の歌が披露されて、峯・神学生も一曲、マリアさまの歌をうたった。
★園長神父さんが喜んでくれた。

2016年3月4日金曜日

米寿・誕生日。いただいた大きなお恵み。パンの恵み

写真は、長崎のマリア千草さんです。これまで大変お世話になりました。(手に持っているのは、松尾哲男・画伯『平成15年、100歳で死去』が描いた名作『十字架山にて』です)
★千草さんは、わたしの誕生日には、これまで、いつも10人ほどの親友を集めて、お祝いをしてくださっていた。いま、ホームに入居したから、長崎ではお祝いの集まりができない。途切れてしまって残念に思っていました。
★そこで、誕生日には、わざわざホームまで来られて、わたしはもちろん、ホーム全員のために、ビニール袋に入ったパン2個を、132人分持ってきてくださったのです。パンには、サクラの花びらで飾られていた。おいしいパンでした。
★パンの袋には、「田川幸一様。米寿・おめでとう。感謝の気持ちをあなたに。マリア千草」を書かれたシールが小さく貼られていた。
★わたしのためには、金箔入り、お祝いのお酒もあった。本当に、びっくりしました。喜びました。入居者さん、職員の皆さん、全員に差し上げて、ホントに、ホントに、皆さんに喜ばれました。すばらしいお祝いができたと喜んでいます。千草さん、ありがとう。その後、皆さんから、「パンは、ありがとう」との声を沢山いただきました。マリア千草さん、あなたの健康と、幸せを祈ります。

2016年3月3日木曜日

ひな祭り。左大臣をつとめる。みんな、いいカオしてるよ

3月3日は、ひな祭り。昼食のお祝いのメニューは、お寿司の盛り合わせ。手まり寿司。太巻き。煮豆。ちゃわん・むし、でした。
★次いで、午後2時半から、全員が食堂に集まって、恒例の「いき・びな」のご披露があった。楽しい雰囲気でした。上から、お内裏さまと、お姫さま。左が、左大臣。ボクです。右が、右大臣。実習中の神学生、峯さん。若者だね。前列、車椅子の官女、3人。右の女性は、なんと、98歳の元気な官女だよ。お隣、2人も90歳。負けるよ。
★下の、2人の写真は、峯・神学生といっしょに撮った。峯さんは、東京の福祉の大学を卒業して、春から上智の神学部で学ぶ。2週間ほど、ホームにお手伝いに来ているが、まさか、こんな姿になろうとは・・・。これも勉強のうちだよ。ボクは、堂々としているね。花を持っているが、本当は、弓と矢でした。司会者から、コメントを求められ、こう言ったよ。「昨年は、お内裏さまをつとめたが、格下げして、左大臣。介護やホームで働く皆さま、ご苦労さま。お仕事は大変だから、給料は3倍に増やします。そのかわり、ごちそうを出してください」。そのような意味のことを言うと、「ハハハ・・・」とか、ハクシュが起こった。よかったと思うよ。楽しい日でした。3月は楽しいね。復活祭もあるし、ね。

2016年3月2日水曜日

米寿おめでとう。長崎・修道院の皆さんからのお祝い

「トマさん、米寿、おめでとう。お祝いだ。カンパイ」
★長崎・聖母の騎士の皆さんと、湯江・修道院からと、中間点になる町のお店の座敷に集った。思えば、2月5日の修道士名(日本26聖人・聖トマス小崎)の祝日にも集ってお祝いしてくれたのに、またのお祝いとなりました。ありがたいことです。
★ホームで、一人の生活は、やはり寂しい。しかし、こうして皆さんと席を共にしたとき、自分は忘れられていなかった。こころ強い「つながり」を感じて、場に溶け合い、笑ったり、語ったり、賑やかに盛り上がった。ほんとうに、ホームをしばらく忘れて、楽しく、みんなに励まされ、胸がパーッと、広がりました。
★いま、東京から湯江修道院に滞在し、隣のホームで研修をしている峯・神学生(手前、左)も同行して、一緒に楽しんだ。こうして、みんなと居ると、やっぱり気持ちも、雰囲気も全く違ってきます。聖コルベ館の頃の気分に戻って、このまま聖母の騎士に帰っても、みんなと生活ができそうな気分になりました。
★長年、聖母の騎士に居て、こつこつ貯めた「聖コルベ」関係の資料や、「初期のポーランド人先輩たち」の記録など、資料・記録を評価してくれる声も聞かれて、大層うれしく思いました。
★この写真を撮ってくれたのは、「うどん屋の志願者」今井くんでした。近々長崎で修練を始めるそうです。うれしいニュースです。

2016年3月1日火曜日

88歳・米寿の日・誕生日。両親のためミサで祈る

ホーム・聖フランシスコ園の職員さんから戴いたお祝いの色紙です。
★88歳まで、生かされて、何とか元気で、この日・米寿を迎えることができました。嬉しい限りです。色紙にあるように、感謝です。
★いつものように5時に起きて、教会へ。教会の祈りと、ミサで祈りました。特別に、ミサのご意向は、両親のため、トマ田川松吉、クララ・ワサのためにお祈りをお願いしました。何年が経っても、両親とは、つながりを感じます。両親と再会ができれば、何という大きな喜びでしょう。
★朝食のときに、この色紙はいただきました。
★赤ちゃんのときの写真があります。多分、満1歳の記念に撮ったと思います。椅子に乗せて、母親が後ろから両手で支えて、本人は右足で立っている。原爆で、すべては燃え尽きたのに、この写真は、なぜか残っていた。本人が言うのも何ですが、かしこそうなカオ、いや、とぼけたようなカオをしているじゃありませんか。88まで、生きるとは、苦労も、喜びもありました。
★これから、どのようになるか、まだまだ残された課題もあります。ひとまず、米寿を迎えて、ホッと、しました。ご支援くださる皆さま、ありがとう。