「アーッ」。花を見た瞬間に小さく叫んだ。「五島の玉之浦のツバキだ」。絵てがみに、先生が持参されたのが、この花だった。花のふちを、白い色で囲んでいる。確かに珍しいツバキだよ。きょうは、このツバキを描いた。
★先日、長崎の教会の歴史と、沢山の教会の建物のビデオを見た。自分のなかで信仰とは何かを考えるとき、やはり、父は外海、母は浦上。そこで生まれた自分は当然、カトリックで生きてきた。その外海にも、浦上にも、先祖たちが命をかけて守ってきた歴史と言うか、信仰がビデオを見ると現実にあるのです。
★始まりは、聖フランシスコ・ザビエルだった。その後、命をかけた宣教師たちが次々に長崎へやってくる。信仰だけでなく、文化も、福祉も当時として一流が栄えた。迫害になっても、信仰を守り通した。やがて、大浦天主堂で、司祭と信徒の出会いとなる。
★そしてザビエルは、ヨーロッパにつながり、ローマにつながる。つながりの血潮が流れているわけです。五島の各地の教会も忘れられない。
★ブログに何度も書いたが、むかしの古老は言った。「祈りば、せろ」「善業ば、せろ」「犠牲ば、せろ」「苦しか、ときは、キリストさまの十字架を、思え」「罪のツグナイと、思え」「隣人を愛せよ」「煉獄の霊魂のため、祈れ」「神父さまば、大切に、せろ」。これらの言葉が、魂から、どうしても抜けないのです。
素敵ですね!この椿の花、大好きです!綺麗でもあり、信仰の歴史の花でもあり・・・以前は、私の家でも椿の実を、種をですが、「かていし」といい、硬い木の実から油を取ったり、木の実のまま売ったりしました。
返信削除トマさんの、書かれた言葉、古老の話は、私の胸にもあります。人の目は、不確か、しかし、残された言葉の命は、伝わりますね。2年ほど、トマさんのブイログを読まれる方に送りましたが、2月29日に亡くなり、90歳の誕生日の3月3日に、葬儀でした。長野の方で、カトリックでは無かったのですが、永井博士の本を、大切に生きてこられて、本河内のルルドへもおいでになられた方です。お祈りください。
彼女は、何時も、小崎さんによろしくお伝えくださいと。言われていました。騎士誌も長年お読みでした。聖母文庫の愛読者でした。