2015年9月30日水曜日

山あり、谷ありの人生でも、神による生きるチカラはある

9月も終わります。今月の出来事で、一番、思い出に残ったのは、金祝の行事でした。「神さまは、金祝まで、イノチを伸ばしてくださった、神に感謝」です。お祝いに参加した女性から、写真が届きました。祝賀会の最後に、感謝の言葉を述べているところですね。こんなに明るく、嬉しそうにしていたのかと、この写真を見ながら、「ああ、よかったな」と率直に思いました。一つの山を越えたような感じです。
★別の住所から、一通の手紙が届いた。自分にとっては、心を揺さぶられるような手紙でした。「苦しみの中でも、神さまに、おんぶされ、寝ている子をだっこされて、共に歩んでいらしたと思います」
「神さまが準備された道は、平坦ではなかったが、・・・で生まれてよかったと思うようになった」「神さまが片時も離れず、ご一緒だった、これからも・・・と考えるようになった」「年をとると、本人も、周りの人も大変だが、神さまの子どもであることは、大きな救いだと思います」
「洗礼は、今、あらためて大きな恵みであり、山あり、谷ありの人生でも、神さまが目を留めてくださらなかったら、生きるチカラはなかったように思います」。胸の奥深く、染み入るようなお手紙だった。ここに載せました。申し訳ありません。

2015年9月29日火曜日

ミカエル、ガブリエル、ラファエル、3大天使の祝日

きょうは、ミサのとき、3天使を祝った。大天使聖ミカエル、聖ガブリエル、聖ラファエル。聖ミカエルは悪と戦う天使(左の絵)、聖ガブリエルは、乙女マリアのもとに神のお告げをのべた天使、聖ラファエルは、癒しの天使。いずれも聖書に登場する。
★なぜ、天使のことを書いたかというと、自分の洗礼名が「ガブリエル」だからです。北朝鮮の奥地の町で生まれた。この町に、何万人の日本人が居たか知らないけれど、カトリック信者は自分の家族が一軒だけであった。もちろん、現地の人にはカトリック信者もいた。その中で生まれて、「ガブリエル」の洗礼名をつけたのは珍しく、自分の誇りでもあった。マリアのもとへ神のお告げをのべに現れたのだから、マリアさまにも近い。霊名としては珍しく、「ガブリエル」は好きであった。修道士になり、修道名が、日本26聖人の「聖トマス小崎」をいただいた。そこから小崎登明を名乗ることになる。
絵の大天使聖ミカエルは悪と戦う天使で、キリシタン時代から、信心されていた。聖ミカエルに捧げられた教会も、長崎はある。

2015年9月28日月曜日

苦難を、乗り越えるチカラは、どこから来るのか

昨夜は、中秋の名月だった。お隣さんから、「月が出ているよ」と教えられた。家々の上に、山の線が見える。その真上に、見事な月が出て、暗闇に、浮かんでいた。月についての思い出はない。子どもの頃、先生から聞いた話に、武将・山中鹿之助は、月に向かって、「我に、七難八苦を、与え給え」と祈ったという。強くなりたいと願ったのであろう。戦争に突進する時代だった。
★きょうのミサでは、聖トマス西と十五殉教者を祈った。祈りの文言をよく、かみ締めてみると、殉教者が苦難に耐えて、キリストの愛にイノチを捧げたのは、その人たちも偉いが、実は人間が持っている力でなくて、聖霊による助け、神の力があったればこそ、弱い人間も致命に耐えた。そのように祈ったように思う。
★午前中、絵てがみ教室があった。何を描こうか。食堂のサッシ戸から、道1つへだてて、コスモスが咲き始めた。食事しながら、「きれいやね」と話題も及ぶ。コスモスを絵てがみに描いた。「秋に、なれば、入居、1年」と文字も添えた。「1年ですか」と先生。「ハイ」。聖フランシスコ園に入居したのは、忘れもしない、コスモスの花真っ盛りのときであった。いま、ちょうど、11ヶ月になる。この1年、振り返れば、考え尽くせぬ心身の動揺があった。乗り越えられたのは、誰の力か。「七難八苦を、与え給え」とは、とても祈りきれない。それでも我が人生はつづく。

2015年9月27日日曜日

一杯の水を奪う者は誰か。ニンゲンは恐ろしい

長崎県内には、主な教会が、100近くある。教区では、毎日曜日、どこかの教会で、朝ミサの後、「永久礼拝」が行なわれている。だから、長崎では、毎日曜日、祈りでつながっている。今日の日曜日は、湯江教会の「永久礼拝」の担当に当たっていた。9時のミサの後で、賛美歌と、お祈りが、ホームの人も交えて、行なわれた。
★きょうのミサでは、次の文言が読まれた。「一杯の水を飲ませてくれる者は、必ず、その報いを受ける」。瞬間的に考えたことは、原爆の丘で、「水を・・・」「水を・・・」と求めて死んでいった人たちのことだった。「水を与えられなかった、悔やみ」。生涯、心のキズとして残る。
★午後から、「ビデオの日」といって、食堂で、「カロル」(教皇ヨハネ・パウロ2世)の長編映画が上演された。最初は軽い気持ちで食堂に入ったら、映画は、第二次大戦の始まりから、ポーランド人たちの混乱から、いきなり始まった。「ヴァドビチェ」「クラクフ」など、懐かしい名前も出てくる。青年カロルも戦争に巻き込まれる。「平和の教皇」といわれた、あの教皇さまにも、青年時代には大変な試練に会われていた。おどろきだった。アウシュヴィッツに送られるポーランド人の知識人や文化人たち、そしてユダヤ人たちのすべて。女性の叫び声が画面にひびく。「世界は、なぜ黙っているのか」。今の世の、現代の難民たちがアタマにチラついた。ヴァベル城もナチスに占領されてしまう。また叫び声。「神さまは、居られるのか」。カロル青年は、どうやって、この戦争を切り抜けたのか。そう思うとき、1時間が経過した。続編は、また日をあらためて見せる、という。とにかく戦争は考えも及ばない恐怖、不安、絶望を、しっかりと、この胸によみがえらせた。

2015年9月26日土曜日

生きている。感謝して、食べる。イノチは、みな、平等

死んだときの遺影じゃありません。敬老の日、出し物があるので、こんな姿になりました。下は、黒のズボンです。格好、いい。似合いますよね。女性が多くて、水色のスカートに、胸にはヒマワリの花をつけていた。男子は2人だったかな。式典の最後に、舞台にあがって、楽器をならして、「アーメン・ハレルヤ」「翼をください」を演奏した。シンバルを「ジャン」と鳴らすと、胸が「キュー」と、くる。太鼓、小太鼓、竹をたたく、鈴をならす、賑やかな演奏です。「田川さんはカスタネットをお願いします」。いわれたままに、この格好で、やりました。
★秋の連休は終わったが、休みを利用して、旅に出る。そんな思いもする。旅とは、何ですか。仲間で、同じものを食べ、同じ景色を見て、同じ時間に眠る。日常に無い経験でしょう。みな、いっしょです。だが感想はそれぞれ違う。いろんな思い、感情、異なる気持ちを抱いて、「ああ、いい旅だった」と、こうなる。それぞれ違った、個人個人の思い出をつくる。それが、いい旅でしょう。
★ホームの生活も同じです。同じ場所で生活して、しかし思い、気持ちは、それぞれ違い、懸命に生きている。純粋ですよ。欲が無い。いや、欲は残るかな。20年近く、ホームに生活している女性は、「ブリの煮付け、黒くなったもの、食べたい」と言った。
★与えられた環境に、感謝して、生きる。生かされた、イノチは、平等。

2015年9月25日金曜日

大切なのは、生きるチカラ、感謝と恵みの確認でしょう

ホームの隣の修道院の夕食です。院長・園長神父さんの修道名のお祝いと言うことで、席によばれた。歳も80に近いのだから、「カラダを大事に頑張ってください」の挨拶もあった。
★幸い、この日は、1人の神父さんが、早朝から昼頃にかけて、魚釣りに出かけた。島原から、天草の近くまで、漁船を進めた。だから、その大漁たるや、はんぱじゃない。他に、ホームから3人が加わったのだが、タイが、わんさ、わんさと取れた。他の種類のサカナもある。「何ビキ釣れた?」と聞いても、ヤボだよ。
★タイのおいしさも、ほぼ決まっていて、何センチか、何キロか、話題になった。魚釣りに興味がないので、聞いても、いま覚えていない。ご馳走は、サカナの新鮮なサシミと、タイの塩焼き、煮しめ、ナシとブドウの果物などの料理があった。
★ホームで1人暮らしていると、やはり寂しい。忘れられているのでないか、そんな気持ちにもなるのです。こうして呼んでもらって、兄弟の仲間に入れてもらうと、自分の身分の確認にもなる。励みも、忍耐も湧き出るというものです。いま、自分に大切なのは、生きるチカラ、生きている感謝と恵みでしょう。写真には、このほか、ちょうど2人が席を外していた。
★その夜の祈り。「神よ、司祭、修道者を、愛のキズナで結んでください。困難を乗り越えて、協力する姿のなかに、あなたの現存が感じられますように」 

2015年9月24日木曜日

雨の中、月下美人は見事に花ひらいた。スゴーィ

夜になって、雨が降り出した。あの月下美人はどうなっているのか。夜の9時近く、静まりかえった廊下を歩く。その場所は、真っ暗であった。雨に打たれている。傘をさした。見事に、花ひらいている。昨日、撮った「つぼみ」は、人知れず、暗闇のなかで、リッパな花を咲かせていた。フラッシュをたいて、写真におさめた。よく見ると、真ん中の、ほそい葉っぱから茎が出て、その先に、花を支えている。
★今夜は、人は目標を持って生きなければ、張り合いが出て来ない、と考えた。何かの目標、目指す出来事があれば、「よし、それに向かってガンバろう。気持ちも湧いてくる。そして、また次の目標が出来る。楽しみでもある。自分の生活にも、小さな目標がある。目標は、心を動かしてくれる。
★今朝、夜が明けると、月下美人は、こんな姿になっていた。チカラが抜けた感じのように、垂れ下がっていた。せい、いっぱい、咲いたのだろう。ほめて、やりたい。
★きょうは、1人の女性の葬式があった。15年間ほどホームで生活をしていて、1年ほど前から、病気になり、入院先の病院で亡くなった。95歳であった。ホームでは人形作りや、千切り絵で、作品を楽しんでいた。長い生活だったので、よく知られている。カトリックでなかったが、ホームで、皆さんからミサの祈りや告別を受け、ほんとうに、幸せな葬儀であり、みんなで見送った。

2015年9月23日水曜日

月下美人は今夜、咲くか?楽しみが、1つふえる

「月下美人の花が咲いたよ」と日記に載せたのは、9月の10日だった。あのときは花開いた写真をのせた。こんどは別の月下美人が花ひらこうとしている。開く前の姿はどんな形をしているのか。説明するより写真に撮ったほうが判りやすい。
★別の月下美人が、ふくらみ始めた。皆さんの注目があつまる。楽しいじゃないですか。さて、それが、いよいよ今夜あたり、この花のツボミが咲くらしい。今夜、ひっそりと咲くのです。そこが、また何とも言えない。神秘性もある。これは午後5時頃撮った花です。
★明日の日記には、この花の、月下美人の開いた写真が載せられるでしょう。平凡な1日でも、見つめるものがあるのは喜びでもある。
★オレは、何を共感して日々生きているのか。

2015年9月22日火曜日

長生きするように、アタマを、噛んでください


敬老の日の、つづきです。沖縄の太鼓・踊りと一緒に、出てきた「沖縄の獅子」かな。大きな口をあけて、アタマを飲み込む。皆さん、楽しんだよね。アタマが良くなる願いがあるのかな。手を入れたり、アタマを噛んで下さい。
★並んでいるのは、料理の数々です。こんなに並ぶと、何を食べていいのか迷ってしまう。お赤飯から、焼き肉、てんぷら、果物まで、そりゃ大変ですよ。
★敬老の日になると、老人ホームの皆さんがテレビに出ている。表情を見ると、ああ、やっぱりホームだな、の感じがするのです。ところが、うちのホームは、そんな表情がないのに気がついた。普通のお年寄りだよ。自分も、その1人だからね。無気力、無感情には、なりたくない。

2015年9月21日月曜日

敬老の日。沖縄の踊りもあった。楽しい思い出

敬老の日の、つづきです。余興に、沖縄の踊り・太鼓の出し物があった。高齢者の心、魂を揺さぶるようなヒビキ。「ガンバリなさいよ」。小さな「打ち手」を見ると、ほほえましくなる。
★親戚の従姉も姿を見せた。入居者に会いにきた。自分は一人っ子だから、兄弟がいない。やっぱり、寂しいよ。従姉は、母の姉の子ども。自分にも、つながっている。最も近い親戚です。金祝のミサにも来てくれた。お礼を言った。原爆を生き抜いて、結婚して、いま90歳。孫は、15人。ひ孫が、10人。そんな風に聞こえた。会えば、やっぱり嬉しい。
★手紙が届いて、小崎登明か、田川幸一か、「お聞きしたいのですが、修道士さんを、やめられたのですか?手紙をやる時は、どちらの名前を書けばいいのですか。今回は修道士さんの名前で書きます。どうぞ1日でも長生きして下さいね」
★修道士をやめたわけではありません。どちらのナマへでも、いいです。

2015年9月20日日曜日

敬老の日。ホームの喜び。末永く、幸せに

日曜日に、1日早く「敬老の日」が行なわれた。式典は、食堂で、全員が集まり、荘厳だった。諫早市長さんも見えられた。
★99歳、88歳のお祝いがある。10年、5年、勤務者の表彰もあった。最後に、舞台では、準備に練習を重ねてきた皆さんと職員を交えての「コーラス」と「楽器の演奏」もあって、盛り上った。
★その後は、会食。食堂と、庭に、テントを張って、面会にきた家族との触れ合いもあって、和やかな雰囲気で過ごした。料理が無くなると、次々に継ぎ足され、料理をつくる炊事場の職員は大忙しだった。180人ほどの参加者があったと聞いた。炊事場の中の1人は長年の勤務で表彰された。日頃は、扉の向こうに居て、顔が知られていない女性だった。
★30年以上勤める人が、2人いると聞いた。長く勤める人が多いのは、よいホームである証拠をを示している。結局、人と人の触れ合いであろう。長生きは、神さまの恵みである。健康に配慮して、長生きして、誰もが人生を楽しんでほしい、それが今日の日の願いだった。

2015年9月19日土曜日

月下美人、また咲くか。これが、華麗な花になる?

いつぞや、夜に、見事に花ひらいた月下美人を日記に載せた。しかし花ひらく前の姿は写さなかった。廊下と、食堂と、玄関の三角の場所に、小さな庭がある。幾つかの植木鉢が無造作に置かれている。その鉢の2つに、また月下美人がふくらんできた。さあ、どうなるか。楽しみが増えてきた。このヘンな、伸びた枝の先に、こんな形の、奇妙なものがついている。誰が、あの華麗な花に、1晩だけ咲くと、想像しようか。
★われわれ人生と、重なり合わないだろうか。「人は、目で、見る。神は、心で、見る」。隠れた才能を持っている。努力、苦労の末に、リッパな花を咲かせる。
★午前中、整骨院の車が迎えにきた。4人が乗った。台にうつぶせになると、白衣の女性が「調子は、どうですか?」と聞いた。何と返事をすれば、いいか。あまり良くないが「ええ、まあ」。午後、共同でロザリオを唱えた後、月下美人の写真を撮りにいった。
★明日は、日曜日。この日に、敬老の日の祝賀会を行なわれる。庭にはテントも伏せて置かれた。何やら楽しそう。ステージで、カスタネットを叩きなさい、と言われている。練習もした。「ハイ、ハイ」。ホホエミと共に従っております。学校に勤めた頃を思い出すなァ。

2015年9月18日金曜日

高齢者に、歳は関係ない。歩けるか、が問題だ

「ショッピング」と称して、午後から2時間ほど、買い物に出かけたときのスナップです。近隣の大型の2店舗に立ち寄ります。10人ほどが出かけます。結構、皆さん、買うんですね。わたしは生活慣れしていないから、何を買ったらいいのか、わからない。生活用品、食料品など、ホームの人たちは、月に1度のこの日を楽しみにしている。わたしは外の空気を吸うために、乗っています。「ブドウの巨峰」が好物です。他に、入浴剤のシャンプーを買いました。何年もホームの生活をしている人は、慣れていて、必要な品々を袋にさげて戻ってくる。生活を楽しんでいる。そうしないと、ヒトは生きては行けない。歳をとって、わかることは、歩けることが如何に大事か、という実感です。高齢者といっても、年齢に関係ない。95歳で、シャンと歩ける人もいる。老人じゃないよ。ただ、ただ、感服するばかりです。

2015年9月17日木曜日

静かな一日、きょうも暮れる。何事も無い幸せ

静かな一日であった。朝は、4時50分に目覚める。15分間はベッドの上に、フトンにくるまり、横になっている。その時が至福のときだ。5時過ぎたら起き出す。5時25分、教会へ向かう。暗い廊下を足音をひそめて歩く。教会はお隣。しばし個人の祈り。教会の祈りは、40分から始まる。6時から、ミサ。こうしてホームの一日が始まる。平穏な日々だ。
★生きていることが、恵みだと思う。振り返れば、いろいろ有ったが、恵まれていた。だから今がある。好きな言葉だ。そう信じたい。
★昨日は、長崎へ出かけたので、食堂の席は、朝と、昼食は、欠食した。居なかった。6人のテーブル。「田川さんが、居ないと、寂しいケンね」と、1人が言った。「大黒柱だモンね」と誰かが応じた。平和だよね。ああ、今日も暮れる。パソコン横のガラス戸の向こうから、まだ子どもの声が聞こえてくる。小学校の辺りだろう。夕食は5時15分と、早い。

2015年9月16日水曜日

登明の日記の開始は、6年まえに、さかのぼる

朝から、高原修道士の運転で、長崎市へ。朝食抜きで、出たのに、ヨゼフ・クリニックへ着いたのは、9時10分だったが、「16」番の札をもらった。高木院長先生に、金祝の写真を見せて、お礼をいうと、喜んでくださった。
★久しぶりに、聖コルベ館に立ち寄った。昨日の美樹さんの日記の抜書きは、2011年12月から始まっている。パソコンには残っていないが、日記の最初は、いつだったのだろう?疑問が湧いた。それで寄ったわけです。資料は残っていた。
★登明の日記の開始は、2009年の4月24日、コルベ神父が、ゼノ修道士と共に、長崎に上陸した記念日からであった。一番最初の文句は、「人は、人生を終わるとき、人に役に立つ証(あかし)をたてる。それが最高の生き方でしょう」とある。そして、コルベ神父が妻子ある男性のため身代わりとなり、いのちを捧げた」と書いてある。そこから始まった。
★次の日、いま81歳、まだまだ元気で歩いているのに、背中から「大丈夫か」と声をかけられる。イヤや、なあ。一番、スカン言葉です。それよりも「明るい顔しているね」が好き。カラ元気でもいいから、シャンとしていたいです。実感が胸の底から、湧いてくる。
★聖コルベ館には、巡礼者がくる。あちら、こちらの教会を回って来るから、「あなたの後光、輝いているよ」と言えば、喜びます、と書いていた。
★あれから6年、「イヤー、ジンセイ、変わる、ね」「人が生きるとは、ナマ半端じゃ、ない」

2015年9月15日火曜日

最近は名文の一句が浮かばない。それが悩み

8月の末だった。長崎市から、哲(さとる)さん、美樹さんが面会にきた。小さな、手作りの本、「トマさんのことば」を作ってくれた2人だった。この本を作るために、登明日記を、2011年12月から、全部、目を通したという。その「抜書き帳」が欲しいね、と願ったら、それが送られてきた。2015年まで、合わせて、44ページ。その中の一部を記してみよう。
★トマさん「ジンセイって、苦しみの連続だね」。五島の女性「苦しみなくして、ジンセイ、なし」(2012.2、4)
★「『ツライ』に、1文字くわえると、『幸せになる』。信じる道を、真一文字に行け」(2012.3.18)
★「いま一番、大事に思うことは、母から貰ったお乳と、カトリックの教えだった。この教えを守りつつ、人生を終わります。そこには、つながる希望がある。死者につながり、聖人につながり、神の愛とイノチにつながる。それが希望なんです。(2012.8.9。母の命日)
★子どもの時から教えられた信心は、「いのりバ、せろ」「スラごと(偽り)くる、より、ロザリオ、繰れ(くれ)」「善行バ、せろ」「犠牲バ、せろ」「死者を想え」。それに、もう1つ。「神父さまバ、大事に、せろ」でした。(2013.8.28)
★結局、人は何に心、引かれるのか。何を、した。かにを、した。行動よりも、人生のエッセンス。美樹さんが選んでくれたのは、それだった。核心となるものが、ある。よくぞ、これだけ見抜けたと、読んで感心した次第です。

2015年9月14日月曜日

鳥取のみどりさんから、ナシが送られてきた

リッパな、ナシです。3段構え。もちろん、1人では食べきれない。職員さんと相談した。みどりさん、ありがとう。
★鳥取に行って、砂丘で、ラクだに乗ったのは、去年じゃなかったか。ああ、何たる身の変転か。人生、何が起こるか、わからない。
★聖コルベ館で、いい出会いがあったから、ありがとうが、実感として出てくる。
★夕食の献立は、カボチャのハンバーグだった。デザートは、ナシが出ていた。

2015年9月13日日曜日

誕生会の、もう1枚のスナップ。皆さん、幸せに、ね

誕生会は楽しみです。どんな仮装がでるのか、な。お若い職員だから、ハツラツしていますよ。この1枚、昨日は載せるのが出来なかった。寄って来れば、喜びが伝わってくる。
★最近は、テレビでも新聞でも、老人ホームの話題が取り上げられている。いい施設とは、建物もあるけれど、人なんですよね。温かい心が連なるホームは暮らしやすい。信仰があれば、もっと幸せです。お世話になっている者も、感謝ですよね。だんだん体力は落ちて行くし、寂しいのは当然です。その中でも、生きる意味や、小さな幸せを見つけようではないか。
★人は、生きている存在だけでも、意味はある。「あなたが大事だよ」という、まなざしと、「一声、どう?」と声をかけても、幸せはある。
★老人、みな、お年寄りという、見た目には、線引きは同じだが、深みがある。それぞれの人生、全く違う。誕生会では、歌も出る。90歳のお年寄りが、声を張り上げて、むかしの歌を、2番、3番と、つづいて歌う、その記憶力には感動ものですよ。いくら歳をとっても、その人の人生はある。

2015年9月12日土曜日

誕生会。長生きしてね。生きることは感謝です

毎月、行なわれる、その月の生まれの誕生会。今月は、3人がいた。ちょうど隣の席の女性が、90歳を迎える。園長神父さんから、プレゼントがある。皆さんで拍手しながら、「ハッピ・バスデイ」を歌う。小さなローソクもあった。
★「長生きの秘訣は何ですか?」「こまめに動くことです。とにかく金魚を飼ったり、歩いたり、ジーッとしているのが、スカンのです」そんな声が聞かれた。
★食事が始まると、仮装の職員も3人踊りまわった。「テーマは何ですか?」。オ・シャンゼリゼの音楽がなっていた。「なんでしょうね」。まあ、楽しければ、いいか。食事のメニューは、栗入り赤飯、お刺身、ポークソテー、冬瓜の煮物、焼き野菜、果物のゼリー、ジュースだった。
★赤ちゃんのときに死ぬ人、100歳まで生きる人、人生は様ざまだ。しかし①愛された。②愛した。③感謝されている。この3つがあれば、その人の人生は充分だ。生きる価値は誰にでもある。人生、1度は嬉しいことはある。嬉しいとき、人は無意識に、誰もが言う。「ああ、よかった。ありがとう」と、誰もが、とっさに言う言葉に、真実がある。これが人間の基本だ。感謝、生きていて、ありがとう。そう言える人になれば、その人の人生は輝く。

2015年9月11日金曜日

突然、届いたフィンランドからの女性のお便り

金祝の、つづきです。お祝いの準備段階で、誰を招待するか、考えるでしょう。近い親戚、お世話になった人、聖コルベ館での出会い、取材で会った人など、その中で、最近、ホームまで面会に来た人のことも考えた。すると、4月に、1人の女性が訪ねてきた。キレイなお花をもって、ニコニコとやってきた。その人にも、招待状を出した。
★4月18日の日記にも載せている。レンタカーを借りてやってきた。コルベ神父の愛を知って、ポーランドへも旅行した、と平気で言って、おどろかせた。彼女は言った。「苦しみの吐き出し口は、マリアさま、イエスさま。両親に言わないことも、ご像に向かって、言葉で語る。信仰を持てば、人生が変わる。イエス、マリアが、いつもソバに居てくださる。神の愛が好きです」。県外の女性だが、きっと、あの愛嬌で来てくれるに違いない。それで、招待状と便りを送った。
★「あれ、おかしいな?」。返事もなければ、お祝いにも見えなかった。きっと、来てくれると期待していたのに、ね。どうしてだろう?
★すると昨日、1通の外国便が届いた。フィンランドからだ。誰からか?便りを読んで、びっくり。あのレンタカーの女性からだった。「結婚しました。フィンランドに住んでいます。こちらでも小崎さんの日記を読ませてもらっています。金祝のお祝いに行けないのが、残念です。フィンランドの生活にも、少しづつ慣れてきました。感謝します。おめでとう」と書いてあった。え、えッ、感動だな。そうだ、彼女が言っていた「神は愛なり」。忘れないでね。苦しいときは日本語で、イエスさま、マリアさまに語って、祈って、乗り越えてね。

2015年9月10日木曜日

月下美人、咲く。1夜だけの貴重な花。密かな花

ホームにも、月下美人があるという。これが、そう、と植木鉢に、ひょろ、ひょろ伸びた枝の先に、なんと表現したらいいか、両端が小さく、中ほどが太いものが、ぶらさがっていた。「今夜、咲くでしょう、1晩だけ、ね」。夜のホームは全くの静寂。7時半、見に行った。「ああ、咲き始めている」「もう少したてば、もっと開くよ」。8時半、撮った月下美人が、これです。翌朝は、しおれていた。1夜限りの貴重な花だった。
★数年まえ、1人の修道士がここのホームに入った。見舞いに伺ったとき、ちょうど食事中だった。お年寄りたちが男女入りまじって、静かに食事をしていた。そのとき思った本音。(書いても、いいのかな)「とても、ここでは、生活しきらん」。修道士が、女性と家族的に食事をするのに、なんとなく抵抗があった。
★そんなにイヤな気がしていたホームにお世話になって、はや10ヶ月が経過した。食堂での食事も慣れて、全く気にならない。食欲もある。そして今日は、昼食から、食堂の席替えがあって、1つテーブルに、6人。たまには女性とも、と5人の女性と食事を共にする席を希望した。みな、心の知れた女性たち。会話もできて、結構、楽しい。食事の前後には、十字架の印もする。カトリック信者も居れば、他の宗教の人もいる。
★数年まえは、あれほど抵抗があったのに、なぜ、このような運命になるのか。小崎登明、こういう生き方も、いいではないか。反対していたのに、その中に落ち込む。それが、さまざまな、人生やな、と思う。絶対、イヤや、と思っていたのに、そのイヤな状態に導かれる。人生とは、そういうものやと観念する次第です。後は、皆さんと楽しく、食事を共にして、喜び助け合うことにある。そして誰もが望むのが、健康で、長生きすることでしょう。ホームは皆さん、家族です。ここが家です。
★月下美人に戻るが、1夜だけ、誰にも知られないうちに、「パァーッ」と咲く花。夜が明けると、豪華な花の想い、匂いを感じさせなくなる月下美人。そんな人生も、あるような気がする。

2015年9月9日水曜日

千葉の女性は、ニコニコ顔だった。印象に残った

金祝の、つづきです。一番遠いところから来た女性は、千葉県だったが、その女性が、長崎から帰る前に、ホームまで訪ねてきた。ふくよかな女性だった。「まあ、よく、いらっしゃいました」
★「どこで知り合ったの?」。出会いの印象は強烈ですね。7,8年前か、団体で、聖母の騎士へ巡礼にきた。自由の時間があったので、教会に入ると、ちょうどトマさんが、修学旅行の生徒たちに話をしていた。しばらく聞いたのが、最初だった。それから日記も読み、2年前にトマさんが東京・赤羽へ来られたときも、出会いに行った。洗礼を受けている。幼きテレジア。ご主人の名前と共に、年賀状もくる。
★やっぱり、こうして訪ねてくれるのは嬉しい。ホームへの道のりは、列車できて、バスで帰る。わざわざ来るのは、大変ですよ。温かい心が伝わってくる。神はどのような形で、人生を導かれるのか、わからない。ちょっとした、きっかけが、お恵みとなり、開ける。信仰は人生で重ねて行かねばならぬ。楽しい時間を、しばし過ごした。

2015年9月8日火曜日

金祝に、どこから、誰が、お祝いに来られたのか

金祝の話は、つづきます。祝賀会の最後に、家族の紹介があった。兄弟は、いない。唯一の親戚が、数人、来てくれた。父方から言えば、父親が生まれた実家(外海・黒崎)を守っている女性が、娘さんと一緒に来られた。ここ出身のシスターも1人いる。母方の親戚は、4人が見えた。佐世保からと、福岡からだった。
★あとは、お世話になった人や、聖コルベ館で出会った人たちで、遠い場所から紹介すると、千葉から、2人。東京から、日記のコメントにも時々載っている『元日のエリザベット』さんが見えていた。3年前の元日の日に聖コルベ館に来た女性で、それから交流をつづけている。
★そして写真の女性は神奈川県からです。強引に「一緒に写真を」と押しかけてきた。「記念だから、ね。ハイ、ハイ」。広島からの2人連れ。写真には、左手に、福岡からの女性2人も見える。先日、ホームにも面会に来た人たちです。長崎県内に入って、上五島や、長崎市内から多数、来られた。こうして助けて、お祝いしてくれる人がいるんですね。ありがたいです。思い出のある人たちばかりでした。

2015年9月7日月曜日

いろいろ有ったが恵まれていた。だから、今がある

人生の道は遠い。聖母の騎士に入ってから、初誓願を立てるまで、20年かかった。普通は、その頃は、5、6年で誓願を立てて、上の学校に進むのに、かかった年数20年。長かった。それは病気、結核のためだった。次から次へと病気して、苦難の日々がつづきました。しかし修道会の会員たちから励まされ、苦しみを乗り越えることが出来た。
★いま、考えると、人生、大きな壁にブチ当たると、そこには助ける人がいた。また次の壁にブチ当たると、そこには別の助ける人、よきサマリア人がいた。2度ならず、3度と、いのちをつなぐことが出来た。苦しみがあっても、祈りと、信頼と、忍耐が、道を開いたと思います。
★やっと誓願を立てて、それから50年。長い道のりだった。この50年間で、一番、心に残ることは、コルベ神父さまが、福者になり、聖人になったことだった。聖人になったことで、小さな資料館、聖コルベ記念館が出来た。その記念館の勤めを、24年間果たした。それが大きなお恵みだった。コルベ神父さまを慕って来る人と、沢山の出会いがあった。
★出会いは神の恵みと思う。神さまの使命があったから、修道士の道に導かれ、病気はしたけれど、これまで生かされてきたと思います。修道士でも、ナマ身の人間。欲もあれば、迷いもあった。いろいろ有ったが、恵まれていた。だから今が、ある。お花は神の恵みをあらわしている。

2015年9月6日日曜日

母は祈った。「この子を御身に預けます」。それが、これ

聖母の騎士の教会。金祝のミサが始まる。緊張の面持ちです。「いよ、いよか」と思うと、胸は高鳴る。
★13歳のとき、この聖母の騎士のルルドに連れてきたのが、母親だった。母は、浦上出身の熱心なカトリック。母は、ルルドの聖母マリアさまに、「この子を、あずけます」と祈ったと信じている。
★なぜなのか。なぜ、この場所に、心を惹かれたのか。わからない。少年は毎日、通って来るようになった。ポーランド人の修道者たちから覚えられる。時には泊めてもらうこともあった。
★今でも覚えているが、修道院に1つの井戸があり、確か、セルギウス修道士が井戸から洗面用の水を部屋に準備してくれるのだった。その水入れが白くて、立っていて、手すりがついて、めずらしく格好よかった。当時は戦争中。修道院のイメージは、憲兵隊や特高警察から監視され、なんだか暗くて、音をたてない、静かな雰囲気だった。泊めてもらっては、お手伝いもする。今、思えば、ローマン修道士の聖像作りのため、ご像を磨く作業だった。
★ホームへ来て、ローマンさんを100歳で天国へ見送った。

2015年9月5日土曜日

金祝のお祝いのミサと祝賀会は無事に終わりました

長崎の聖母の騎士教会にて、40人余りの司祭団による感謝のミサが行なわれる。1人の司祭叙階50周年、金祝。修道誓願50周年、金祝を迎える修道士は、2人。荘厳なお祝いは、無事に終わりました。トマス小崎・田川幸一修道士のため、ミサの祈りに参加して、お祈りをささげてくださった皆さんです。お祈り、ありがとう。

2015年9月4日金曜日

「茨城の空」から、お祝いのお花が届いた。感謝

ブログを読んでくださる女性です。時々、コメントもくださいます。金祝のお祝いにと、お花が届きました。ありがとう。「目の前の事にとらわれる毎日ですが、ブログで教えられています」と、お便りもあった。嬉しいことです。「人が生きて行く上で、大切なことは何であるか」。善良さ、ですよね。
★明日、修道誓願、50周年のお祝いになります。ありがたいことです。皆さんからお祈りやお祝いをしてもらって、修道士の人生を貫いて、良かったと思います。弱さもあった。迷いもあった。しかし神さまのお恵みが大きかった。自分には何も無い。誇るものは何も無い。神さまの憐れみが大きかった。背筋をまっすぐに伸ばして、ほほえみを絶やさず、会場にのぞみます。お祈りください。

2015年9月3日木曜日

なじみの理髪屋さんへ。アタマも気持ちも、サッパリ

ホームの坂を、車で下れば数分。2ヶ月に1度、ホームに奉仕に来てくださる理髪店へ行きました。丁寧に、ていねいに、1時間以上をかけて、きれいになったよ。気持ちも、サッパリしました。
★いい時期に、金祝を迎えることになった、と感謝している。これが、半年後、1年後になれば、どうなるか、先が読めない。また半年前だったら、気持ちが定まっていなかった。気持ちが重い。今は、まだゲンキが残っているから、ちょうど、いい。神さまは、ちゃんと計らっていてくださった、と胸に喜びが込みあがる。あした、おいて、次の日になったからね。
★手元にあるメモを見ている。2014年3月に書いたメモだった。「からだの不自由さを、いっぱい、かかえている。承知しています。それでも生きる。あと1年は何としても生きたい、わけがあるんです。言わない。隠しておいて、強い望みは持っている」。その日がくる。

2015年9月2日水曜日

明るいエガオ、福、来る。主と共にが、好き

明子さんの家に呼ばれた。金祝をお祝いするという。週に、2回、ホームの自室に来て、さまざまな話題を提供してくれる。人生、いろいろ苦労があるじゃないですか。それでも明るいエガオで、ゲンキよく、生きる希望を語ってくれる。わかるでしょう、このお顔を見れば、なっとく出来るでしょう。
★お隣の女性が、毎週、教会の祭壇の生け花を飾ってくださる。カトリック信仰があるのを喜んでいる。明子さんの親友です。明子さんの好きな言葉は、「主と共に」が、いいね。そして父親に似ているというんです。皆目、想像はつきません。
★この日は楽しいひと時を過ごすことが出来ました。出会ったことを、とても喜んでくれるのです。出会いは、神さまのお恵みですね。

2015年9月1日火曜日

9月に入った。金祝の日が目前に近づく。恵みの日

修道士になって、50年。大きな節目を迎える。いよいよ今週の土曜日には、修道誓願の50周年、金祝をお祝いする感謝のミサと祝賀会がおこなわれる。待ちに待った日、ありがたいことです。
★しかし正直に言うと、自分の毎日の生活は、ホームで、静かに、1人、自室のなかで暮らしている。何事も起こらない日々である。それが、この度、突然、多くの人たちに囲まれ、お祝いを受けるのかと思うと、嬉しさと共に、いささかの不安もよぎる。果たすべき努めもある。それを思うと、刻々、過ぎていく時間が早い。
★「神さまが、金祝まで、いのちをのばしてくださった。神に感謝」の思いは、基本的には変わらない。からだも、こころも、弱かった自分が、ここまで辿り着けたのは、確かに大きなお恵みである。これほど喜ぶべきことはないだろう。きっと、この日を境に、その後の気持ちは安定し、静かに落ち着くだろう。人の弱さよりも、神の恵みは大きい。