2015年4月30日木曜日

見えない所でも、完全におこなう者は、幸い

ホームに入っております。せまい部屋は、自分の家と思います。いまは生活の場をここに築きます。まわりの人と、挨拶を交わしながら、やっていこう。こころは落ち着くようになった。よく、眠る。完食する。食事は、おいしいです。自分にとっては、食べやすい食事で、ありがたく、いただいています。食卓の前の席の男性が、おもむろに十字を切る。自分も十字を切る。午後には、グランド・ゴルフがあった。★近くの出入り口から、薄暗い脇にスリッパを脱いで、履き替えて、屋外に出ました。芝生には、サンサンと陽があたっていた。暑い。グランド・ゴルフは、10人ほどが集まっておこなわれた。一息ついたところで、冷たいサイダーが出た。「もう、やめます」。スリッパを履き替えた場所に来たら、スリッパが正しく向きを変えて揃えられていた。「しまった。スリッパは正しく脱ぐはずじゃなかったか」。反省すると共に、誰も見えない場所で、スリッパを正しく揃えてくださったのは、誰なのか?そちらの方へ、こころが走った。職員さんか?たぶん、そうだろう。このような場所まで心をくばってくださる。ありがたいと、胸がちょっぴり熱くなった次第です。「こういう職員さんが居るホームは介護に安心できるに違いない」。そんなことまで考えた。自室にもどり、スリッパを揃えて入り、戸をしめました。★その夜の祈りに、こんな言葉があった。「神よ、あなたは信じる者の力、貧しい者の救い、正しい者の喜び。あなたの約束に信頼し、祈り求める私たちを、豊かな恵みで満たしてください」(教会の祈り[18]復活節第四水曜日)★信仰すれば、必ず、ふしぎな人生が、開ける。「神の人だ!」になる。聖コルベの生涯がそうであった。



2015年4月29日水曜日

タンポポは、やわらかい毛になって飛んで行く

散歩しようと、庭へ出た。タンポポが、やわらかい毛に変わっているのに気がついた。黄色い花だったのが、こんなに変わるんだね。風にゆられて、いずことなく飛んで行く。誰も知らない。そこから、また新しい花がさくだろう。ブログ(日記)を毎日書いている。タンポポの毛のように、どこへ飛んで行くのか知らない。どこかで何か新しい花が咲けばうれしい。いつからブログを書き始めたのだろう。このパソコンには、2011年12月1日から残っている。その以前から書いてはいるが、いつから始めたのかは覚えていない。★あの頃は聖コルベ館に居て、毎日、日記を書いてきた。楽しみに読んでくれている人もいるという。2011年6月20日のメモには、「毎日、ブログを見る人、150人ぐらい。多いときには250人にもなる。何を見ているのか。病気は大丈夫か、トマは元気だろうか。今日は何をしているだろうか。聖コルベ館に誰が来ているだろうか。長崎のニュースはないか。長崎の教会についても知りたい」とある★あれから4年が経った。今の心境はどうだろうか。やはり同じ数の人が、トマはどうしているのか、思ってくださっているのでないか。誰のもとに飛んで行くのか。タンポポの毛を見ながら、そう思う毎日です。人生って、黄色いタンポポの花が、やわらかい毛に変わるのと同じでしょう。長い人生には、納得しがたい、思いもかけぬ出来事が、1つか、2つ起こる。汚れた身も、こころのキズも、それは、そのまま、しまっておこう。意味は、いつかは開ける。よごれも、キズも、その人のタメになる。

2015年4月28日火曜日

出会いのドラマは、心から消え去ることはない

右側の女性が訪ねてきた。この女性とは・・・お父さんと面識があるのです。もう昔のことです。50年前になりますか。長崎から特急列車にのって、大阪をめざしていた。広島で途中下車の予定があったが、手違いがあって降りることができず、次の停車駅・岡山まで仕方なく乗った。岡山で降りて、広島へバックする列車にのったが、車内は混雑していて、1つだけ空いた席があった。そこに座ると、年配の男性が前に居り、窓辺に「聖パウロ物語」の本が置かれていた。折をみて声をかけると、最近、洗礼を受けたが、まだよく教えのことがわからない、など悩みを語っていた。広島で降りて、2人は別れた。用件を果たして、今度は大阪行きの列車にのると、また座った席の前に、あの年配の男性が居るではないか。ふしぎなご縁だった。列車のなかで、信仰のことを話し合った。「聖母の騎士をご存知ですか?」と尋ねると、「知らない」を言われたのを今も覚えている。人生には、こういう出会いもあるのでしょう。聖母の騎士をお送りし、それからは交流もあり、お宅まで訪ねて行った思い出もある。お父さんとは長くお付き合いさせてもらったが、人生で忘れられない出会いとなった。その後、娘さんとも交流がつづいた。この度、教会の神父さんと、ホームに見舞いにと、訪ねてきたときの数日前の写真です。ふしぎな思い出の出会いは、消えません。

2015年4月27日月曜日

道は変えることは出来ない。最後まで進む

ホームに1人、神父さんが静養されている。司祭になって、今年で60年、ダイヤモンドをお祝いする。大変なご苦労でしたでしょう。すべては神さまのため、信仰のためです。誕生日に、ミサに来られて、お祈りをして、聖体を拝領されました。わたしは横に居って写真を撮りました。★わたしは自分にも問いかける。なぜ信仰するのか。なぜ、この道を進むのか。答えは簡単です。自分の母親から、お乳と共に教えを受け継いだからです。この神父さんのお父さん、お母さんも知っている。終戦直後、小神学生(中・高)の頃、夏休みになると、帰る家がないので、五島の神父さんの家に泊まりに行って、泳いだり、魚釣りをしたりして遊びました。神父さんのお母さんの信仰・信心もよく見ております。朝夕の祈り。ロザリオの祈り。素朴で、熱心だった。「この道しかない」「お恵みも沢山いただいている」「生きるチカラでもある」「ルルドのお恵みも受けた」。先祖のためにも祈ります。信仰で受けた影響は大きかった。実践的だった。やがて両親とも、家を売り払い、牛もいっしょに山の施設に入り、農耕で働いた。最後は、このホームで亡くなったと思います。年は過ぎ去って行く。だが思い出だけは残る。記憶だけでなく、血となって汗となって残る。得た教訓も残る。もちろん信仰も残る。横で見ていて、頭が下がりました。ホームでの先輩です。だからホームの生活も寂しくない。隠れたところに、隠れたチカラがある。

2015年4月26日日曜日

外海・出津の人たちが面会にきた。会話もはずんだ

単調なホームの生活だから、わざわざ面会に来てくれる人がいると、うれしい。1日が明るくなる。夕方、電話の予告があって、待っていると、次の日、午前中に夫妻と、同じ集落の女性の3人が来られた。「外海の出津(し・つ)からです」。なつかしい所です。最近は、世界遺産候補の話題で盛り上っている。家は、行ったこともある、外海・出津の教会の近くの人たちです。「どうして来るようになったの?」と聞くと、「教会で会ったとき、行ってみようか、と話し合った」そうです。★女性は以前から知り合いの方だった。夫妻のことは、7、8年前からの知り合いに成る。名古屋へ住んでいた夫妻は、長崎へ旅行した。外海を見たとき、いたく気に入って、レンタカーの車中で、「こんな所へ住めば、いいね」と話し合ったそうだ。ご主人は早速、計画を実行し始めた。聖コルベ館にも来られたが、「やめときなさい」と余り乗り気ではなかった。地元になじめるかが問題でしょう。しかし夫妻は、いつしか、早々と行動を起こし、ド・ロ記念館の近くに家を建てて、移住してしまった。教会も近くで、地元の人たちと親しく溶け合って、楽しく暮らしているという。外海の人たちが訪ねてくれたのが、うれしい。外海・黒崎・出津は、懐かしさもあって、心がなごんだ。★日曜日。ミサのとき、ヨハネの書簡が読まれた。ググッと心にひびいた一句があった。「自分がどのようになるかは、まだ示されていません」(一ヨハネ3章2)。前後に文章はあるが、学者でないので意味は解説できないが、この箇所だけは、胸を打つものがあった。どのようになるか、まだ不安を抱えているのは確かです。

2015年4月25日土曜日

助けてくれる、2人。春風にのって、さわやかだよ

                                          ホームにも鯉のぼりが掲げる季節となった。風も心地よい。明子さんが来た。「夕方の散歩をしよう」。2人は、園から少し出て、犬がわめく家の道を歩いた。風景で見えるように、本当に静かな農村です。ちょうど、そこへ正秋さんが自転車で帰ってきた。紹介しておきます。自室へ来て、助けてくれるのは、明子さんと、正秋さんです。買い物を頼むと、この自転車で用件を果たしてくれる。正秋さんは施設で育って、彼が小学生の頃から知っている。大阪で働いていたが、お金を貯めて、早々に長崎へもどってきた。結婚はしていない。1人身。あと、2、3年経つと、このホームに入ると計画をたてている。ホームに隣接する1軒やに住んでいる。気軽に助ける人が居るのが、ありがたい。★人生、ひと言で表現するなら「孤独」でしょう。限りなく孤独。その孤独を救うものは、出会いによる愛です。愛を知った者は幸せになる。正秋さんは育てられた司祭、修道者のもとへ帰ってきた。信用できる人はだれか、世間をわたり歩いて、感じたことではないですか。★ご主人を亡くして、やっと明るさを取り戻した明子さん。いのちの大切さは、愛する者の死に直面して、始めてわかる。2人のお世話になって、孤独を感じない生活をおくっております。「小学生の頃、運動会の仮装行列で、バスの運転手をした写真を、トマさんが撮ってくれたのを、大きく伸ばして飾っているよ」

2015年4月24日金曜日

人生には、奇妙な、つながりが、あるから、おもしろい

昨日の日記は、書くことは、いろいろあったが、春の「公園へのドライブ」を書いた。時間は、16時32分だった。すると、4分後の、36分に、1つのコメントが入っていた。あんまり「早ーやィ」と、ちょっと驚いたが、大阪在住の匿名さんのコメントは、「天草の教会」のことで、2012年5月23日の日記から、天草・大江教会を知って、今度の5月の休みに訪ねてみたい、と書かれていた。★「なんで、天草って、思うでしょう」。実は、この日の午前に、天草の夫妻と知人たちが3人、何の前触れもなく、突然、「心配しているぞ」と訪ねてきたのです。写真の3人がその見舞い客です。★ここで考えましたよ。日記を書いて、それにコメントが入って、天草のことが出てきて、なんと、その日に、思いもかけず、天草の夫妻らがやってきた。人生には、こういう、つながり、キズナの出来事があるから面白いのです。★さっそく、2012年5月23日の日記を探してみると、「ありました」。3年前の当時は、毎月1度、島原半島のオバマ温泉へ行き、定宿「富士屋」さんに2泊3日でお世話になって、のんびりと湯を楽しんでいた。中日は、雲仙や天草へ出かけた。その日は、天草へ渡って、大江教会へ行ったと書かれている。あの頃は自分で運転して、元気だった。大江の教会を最初に訪ねたのは、1957年・昭和32年の秋だった。当時の思い出は記録に残っている。★「それがね」と天草の男性が言った。「おみやげを買おうと、富士屋さんへ立ち寄ったら、わたしの顔をみるなり、登明さんへお渡しくださいと、おみやげを、言付かったよ。顔を見るなり、だよ。ハ、ハ、ハ。帰りに今夜、泊めてください、と頼むと、満室と断られた。ウハハハ・・・」と大笑い。★「聖母の騎士誌に書かなくなったから、寂しいよ。また書いてくれよ」と、しきりに勧められる。騎士誌に50年近く書いてきたが、最後の文章は、昨年、2014年10月号の、この天草の夫妻の信仰実話「夫婦愛の幸せ」だった。★「感動、何に感動するか、です。常日ごろ、みている風景、出来事、そこから一瞬、アッと、パッと、ひらめきがある。それが人生にシュン発力を与える」★1930年・昭和5年4月24日、マキシミリアン・マリア・コルベ神父さまと、ゼノ修道士は、東洋宣教のため、長崎に到着。最初に、大浦天主堂を参詣し、信徒発見の聖母マリアさまに篤い祈りをささげた。きょうは、その記念日です。ミサで祈りました。

2015年4月23日木曜日

春はきた。なんとか寒さを乗り越えた。半年になる

本当に冬を乗り越えた。やっと春が訪れたという感じです。ホームから「野外活動」に出かけるというので、参加しました。ゆうなれば、ドライブです。8人が乗っていた。目指すは、諫早公園です。車で、20分かかった。石段を登って、小山の上まで行けば、ツツジが咲き誇っているのでしょうが、足に自信が弱い。登る気持ちにならず、メガネ橋をバックに写真を撮った。ホームへ入って、ちょうど、半年になる。もう、だいたい生活に慣れたようです。冬を何とか乗り越えたので、ホットしています。

2015年4月22日水曜日

バナナと手紙のつづき。トマさん、日記を頼むよ

2日前の出来事。夕食の後で、食卓に、「バナナと手紙」を忘れた。ホホの赤い、車椅子の女性が、「バン、しとったよ」というのを日記に書いた。バナナはまだ食べていない。手紙は、知人の夫妻からで、写真が数枚入っていた。長崎・黙想の家のサクラだそうです。★手紙は「トマさん、元気?」から始まっていた。「毎日、楽しみにパソコンを開きます。日記を見ながら、嬉しく、トマさんの事を思っています。そして月に2回位に分けて、コピーをして、東京、長野、愛知県、長崎など送ります。東京は、シスターで、94歳です。とても楽しみに待っていて下さいます。トマさんへの伝言です。『これからも、できる限り書いて下さい。楽しみにしています。騎士誌に、書かなくなって、さみしいです。よろしくお願いします。他の方も、読みたい方がいて、まわして読んでいます』。長野の方は聖母文庫の愛読者で、トマさんの本も読んでいます。長崎巡礼に来られました」というようにお便りがあった。(省略した部分もあります)。こうして日記を期待してくださること、光栄です。本当に、ありがとう。★今朝、朝食のとき、車椅子のかわいい女性に、「何年、生まれね?」と聞くと、「15年」と答えた。89歳になる。しっかり食べて、お元気にしている。励まされますよ。ホームに入居して、半年が過ぎた。もう慣れましたよ。★生きていて、嬉しいと、日に1度は思え。生まれてきて、よかった。そう言えぬ人生なんて、ツマランたい。生かされている喜び。悪に負けない勇気。お礼を求めない愛。目標はわかってはいるが、それでも人間は迷い、悩むのです。

2015年4月21日火曜日

マリアさまが「ストップ」。再起をかけて、がんばった

昨日、整形外科へ診察に行く前に、自室で準備していると、突然、面会に来た男性です。「びっくり」という言葉があるが、まさに驚きだった。よくぞ、訪ねてくれたね。「長い人生では、いろいろなことが起きる。ドロにも、まみれよう。心にキズも受けよう。人間は完全ではない。それはそのまま、しまっておこう。人前にさらけ出す必要はない」。自分も常々そう思っている。それは、そうだが、この男性との出会いは、内面まで入らずにはおれない。★聖コルベ館に居た頃、時々、ルルド参りに来るタクシーの乗務員さんがいた。よくルルド参りに来るという。彼は関西で働いていたが、人生には思いもかけぬことが起こり得る。死にたい気持ちで長崎へ帰ってきたが、五島列島の断崖絶壁の灯台へ行く途中に、教会があり、マリアさまから「ストップ」と声をかけられた。助けられたのです。次いで「GO」。タクシー会社で働いている。元日には、必ずルルドへ初詣をしていた。度々、聖コルベ館にも寄るようになる。要理も勉強し、洗礼を受けた。7年前の復活祭だったが、その日が彼の誕生日にも当たっていた。こういうのも「お恵み」というのだろう。「だが、お恵みも努力でつづけなければ、ね」。聖コルベ館へ度々行くが、小崎サンが居ない。聞いたら、ここ。自分の車で運転して訪ねてきた。うれしい再会となったが、ゆっくと過ごす時間がないのが惜しかった。「これからは、いい人生になるよ。教会にも戻れるよ。ここは隣が教会だからね」

2015年4月20日月曜日

背骨は大丈夫か?足の関節はどうなのか、痛い

夕食が終わって自室に戻り、戸を閉めようとすると、2つめ隣の女性から「オニイチャン、わすれもの」と言われ、「あッ、そうだ」。食堂に、バナナと手紙を忘れたのに気がついた。この女性、腰をまげながら、いつも「オニイチャン」と呼びかける。「オニイチャン、ロザリオ、来てくださいね」。母親と2人で入居し、もう20年近くになる。母は105歳で亡くなった。「天国へ行けば会える」と楽しみに教会に通っている。足が痛いのをガマンして食堂に戻った。同じ食卓の90歳近くなる女性が、車椅子で、ニコッと笑って、「バンをしとったよ」とバナナと手紙を指して言った。この女性はいつもキレイにお化粧をして、ホホが、赤色でまァるい。かわいい。味方がじょじょに増えている。こうして、やっと自室に戻ってきたところです。★写真は車で30分、大きな整形外科病院の建物です。きょうは診察へ行ってきました。夜中、寝ていて、夜明け近くになると、背中が痛むのです。13歳のとき、カリエスで背中を大手術していますからね。それにヒザ。「歩こう、歩こう」と、筋トレを目標に、がんばっていたら両ヒザが痛むようになった。午前中は園内の散歩。午後からは屋外に出て、広い芝生を5周する。ムリもあった。ちょっと大変、結局、両方のヒザが痛くなった。もう歩けない。情けないと思うが、しばらく歩くのを止めたら、痛みは治まった。しかし、両ヒザと、背中の状態はどうなっているのか、調べてもらおうと、整形外科を診察したわけです。答えは、そう簡単に治るわけがない。「痛いところは、両膝と背中。脊椎カリエスに罹って、スネの骨を削り取って、背中に植えた」。遠い昔の話です。お医者さんはレントゲンを診ながら言った。「ヒザの痛みは注射をしても一時的。人工関節の手術をするにしても、病歴から考えて、歳も考えて、手術は大きな病院でないと難しいでしょう。背骨の方は、何かの拍子で、上下、両方に圧力がかかると、背骨がくだけて激痛が襲うようになる」と驚かされた。「このまま見守るしかない」そうです。結局、シップ薬を処方してもらって帰った次第です。★長生きしても、いろいろ、あるもんですね。

2015年4月19日日曜日

きょうは何を書こうかな。思うことは、あります

毎朝の日課は決まっている。毎朝、5時に職員さんから起こされる。背中が夜中に痛むので、しばらく体を横にする。15分には必ず起きる。タンスから衣服を出して身につけると、口のなかだけは、しっかりと磨く。ご聖体を意識するからだ。5時30分、隣接する湯江教会へ向かうと、早くも車椅子の男性が入ろうとしていた。教会の後方の席に、目が不自由な修道士さんが座っている。ちょっと肩をつついてから、必ず握手をする。修道士さんの言葉は「かんしゃ」だ。5時40分から共同で聖務日課の朝の祈りが始まる。6時になると、集落全体にチャイムが鳴る。それと同時にミサが始まる。こうして1日が始まるのです。★昨夜、テレビで見た「刑務所のなかでの無期懲役の人たち」の生活と言葉は、ホームで生活する自分に強い印象を与えた。88歳の男性が、痩せこけて介護を必要とし、同じ若い仲間から風呂で体をこすってもらっていた。「犯した罪は大きい『けど』、ここでは生きたい」と、走ったり、懸垂をしたり、はげむ姿が真剣だった。そこには全く自由が無い。狭い、畳の部屋に置物は殆どない。自室に入るとき、きちんとスリッパを調えているのを見て、自らを恥じた。きょうは自分のスリッパを脱ぐたびに、きちんと整えるように気がけている。

2015年4月18日土曜日

自著を頼りに、五島へ。ポーランドへ。うれしいよ

鹿児島から、面会に来た女性が、くわしい話もしないうちに、「いいお天気です。レンタカーで来ていますから、ドライブに出かけませんか?」と、いきなり勧められて、「ウーム」と一句。たじろいだ。そう言われれば、春ものの衣類が買いたい気持ちもある。だが時間的に考えても無理な提案で、腰をあげなかった。★会話のなかで喜ばせた話がある。昨年、洗礼前に、長崎・教会めぐりのツアーに参加した。聖母の騎士のルルドで感激したというのだ。これには「そうでしょう」。相づちを打った。次は1人旅で、『西九州キリシタンの旅』を手にして、五島の教会を巡礼した。大いに参考になったと喜ぶ。聖コルベ館を見学して、コルベ神父や、ゼノ修道士の生き方に感動する。「幸せは愛を感じるときです。愛を十分に受けたから、100%愛を返そう。コルベ神父が、なぜ命を捧げたか、の答えです」。女性は言った。「『長崎のコルベ神父』や『身代わりの愛』を読んで、ポーランドへも行きました」。これも、びっくり。「ツアーで行ったの?」「1人です」「え?1人で」。またまた驚いた。女性は「これがあれば、時間表もホテルの予約もできます。ポーランドはネット社会です」と、本の大きさの薄板を見せた。行動力のある女性だな、思ったよ。1週間ほど旅をして、ニエポカラヌフ修道院へも巡礼した。自著を参考に旅行をする、嬉しいではないか。わざわざ面会に来た理由もわかった。2度も、3度も、自分もうなずいた。★なぜ信仰の道に入ったのだろう?大学は東京で、卒業後も東京で働いていたが、重荷と孤独で精神的に前へ進めなくなった。悩んでいたとき、聖書・パウロの手紙に出会った。教会を訪れて、要理の教室に通うようになる。「神は聖書を通して、また今日一日の出来事を機会として、語りかけておられます。神の語りかけを理解しよう」。女性は、「苦しみの吐き出し口は、マリアさま、イエスさまです。全部、話します。父母に言わないことも、ご像に向かって言葉で語ります。信仰、あったとき、違った。イエス、マリアが、ソバに居てくださる。神の愛、好きになった」と言う。信徒の交友も広がった。この度、長崎へ来たのは、神父さんの講話を聞くためだった。常に、ほほえみを絶やさず語りかけてくる女性の訪問は大きな慰めとなった。「事故、ないように帰るんだよ」。親しみを感じながら、鹿児島の女性を見送った。車が消えるまで、春の陽ざしを浴びながら目頭あつく立っていた。

2015年4月17日金曜日

鹿児島の女性が、花束をかかえて会いに来た

ホームの事務室から連絡があった。「鹿児島の女性から、いま電話があって、ただ今、長崎へ来ています。きょう帰る前に、お会いしたい。1時から2時頃、おうかがいします」。名前からは思い出せない女性だった。面会に来るという人がいると、いつも、こう思う。ホームは長崎から、遠い田舎にある。列車もバスも不便だし、時間もかかる。そこまで労力をかけて来るのは、どうかな、といつも考えている。慰めもあろう。励ましもあろう。ありがたいが、来るための犠牲が大きい。鹿児島の女性も、先ずそう思った。★昼食後、ベッドで横になっていると、事務室から、「いま見えました」と携帯に知らせが入った。急いで起きて、準備して、待った。その女性が自室に見えた。挨拶の後で、最初に聞いたのが、「どういう乗り物で来られたか」の興味だった。「長崎から列車で諫早まで、レンタカーで来ました」。さすがは若者だ。レンタカーで来たというのは初めてだった。愛想の良さそうなお嬢さん。「昨年の4月7日に洗礼を受けました。5月に聖コルベ館へ行って、小崎サンにお会いしました。金祝、おめでとうございます」。差し出された花束が、ごらんの豪華な贈り物です。「やァ、ありがとう。聖コルベ館で会ったのは、去年の5月でした?」「ハイ、日記にも載せてもらいました」。日記をめくってみると、2014年5月8日、木曜日。写真入りで載っていた。「神は愛なり。非常に好きです。神さまのように愛をもっていられたら、すてきな人になれる」。2度目の再会となる。女性と話を進めていくなかで、ふしぎな流れというか、パワーというか、こころの距離がちぢまるのを感じた。いただいた花束はタンスの上のマリア像の前に飾った。(つづく)

2015年4月16日木曜日

残る腎臓は懸命に正常に働いている。生きて感謝

原爆で助かって、70年になる。腎臓1つで生きてきて、65年。そして歳は87まで生かされてきた。世界に何十億の人間が居ようとも、この3つが合うのは、自分1人だけでしょう。恵まれた、すばらしい人生でした。わたしは思います。君にも、同じように、君だけの、すばらしい人生がある。かけがえの無い人生がある。思い直そう。★きょうは腎臓の定期・検診に行って来ました。血液を取って、尿を取って、腹部のレントゲンを撮って、お医者さんから呼ばれた。「調子はどうですか?」「まァ、まァ、普通です。尿はどうですか?」「尿は少し濁りがある。これはステントを入れているから仕方がないでしょう。腎臓は正常値、大丈夫です。心配ないでしょう。何か有ったら、連絡をしてください」。安心して病院を出ました。★考えてみると、自分にとって人生とは、原爆、孤独、病気の数々だった。しかし、いま、生かされた命がある。お恵みと考えてもいいだろう。ありがたい、生かされた感謝しかない。いまは苦しくても、有意義に生きよう。★今までは、長崎市の聖フランシスコ病院へ通っていたが、距離が遠いということで、車で片道・30分の諫早市の総合病院へ変わった。立派な病院です。

2015年4月15日水曜日

人生はシンドイものです、でも、この道しかない

ホームでは、午前と午後の2回、ラジオ体操の音楽が流れます。自室を出て、廊下で、まじめに体操をやっています。椿原の学校にいた頃を思い出して、正確に体操はできます。気持ち、いいですよ。★「きょうも信仰イキイキ。明るく、元気に、創造性を豊かに、弱い者を助け、祈りを忘れず、愛といのちを貫く者に、なれますように」。祈りにも似た心境もわいてくる。カッコ、いいこと、ばかり、じゃ、ないですか。現実は、そうは、いかないでしょう。でも、「あんまり、下ばかり向くな。上を仰いで、深呼吸の1つでもすれば、まあ、なんとか、なるさ、と思え」とも、考える。人生とは、どの道、シンドイものです。それでも投げ出さずに、生きていけば、おテントーさんは、チャンと見ていてくれるよ。子供に聞かせる話でもあるが、自分にも聞かせる。★アメリカ人の神父さんが、「沈黙」の遠藤さんをあまり好きではなかった。ところが遠藤さんと若者のテレビのインタヴィユーを見て、若者が聞いた。「なぜ、あなたはカトリックなのか」。遠藤先生は、「わたしには、それしか、ない」。これで神父さんは一転し、エンドー、サマ、サマになった。支持者になった。これは、ある神父さんから聞いた話です。「人生、つらい。しんどい。しかし、この道しかない。この道を行くしかない、そういう歴史というか、キズナというか、それがあるんです。上を向いて、体操の深呼吸をしよう。

2015年4月14日火曜日

大山教会のマリア・サクラは見事な咲きっぷりです

夕食のときに、職員さんが1通の手紙を渡してくれた。長崎の女性からで、「私は、今年の1月半ばに、湯江教会の前で偶然にお会いした「若い男女」の1人です」と書かれていた。そう言えば思い出した。1月18日の午後、ロザリオの祈りへ行くとき、教会の庭で出会った2人と、青い車を忘れない。「小崎サンですか」と女性から声をかけられ、こちらも嬉しくなって、思わずアクシュだけして、それだけで別れた。祈りもあったので、お話が出来ないのが惜しまれていた。あれから3ヶ月経って、よくぞ手紙をくださったな、と嬉しくなった。それと同時に、もう1つ、嬉しいことがあった。1枚の写真が入っていた。裏に、平成27.4月、とある。今年の、長崎・大山教会のサクラだった。★聖母の騎士では毎年、このサクラが満開になると、大山教会へ巡礼し、教会で祈った後、サクラの聖母マリア像の前で弁当を食べる慣習があった。毎年、毎年のことで、3、4人から始まって、昨年、2014.3.30.日曜日は、11人がサクラの聖母像の前で写真に納まっている。りっぱなサクラだった。小鳥のさえずりも聞こえる。風も爽やかだ。1年経っても、サクラは変わらないが、人は大きく変わってしまった。あのときは元気だったのに、たった1年で今のようになるとは夢にも考えなかった。懐かしいサクラ・マリアの写真を、ジ-ッと見ながら、「ありがとう、ありがとう」と、こころの中で、感謝の祈りをささげた。

2015年4月13日月曜日

歩きながら、足、痛い。きずな、さびしい。それでも

広い芝生の庭を、ホームの建物が取りかこむ形になっています。芝生の上を、毎日、歩きます。最近は、右のヒザが痛んで、足が前に進みません。歩きながら、考える。ホームに居て、痛いし、さびしい。「いちばん大切なのは、いのちと、愛」ですね。いのちの大切さは、よく、わかる。いのちは伝わるし、尊い。しかし、愛は、わかりにくい、と思います。・・・・そうだ、愛とは、つながりなんだよ。きずな、だよ。自分に存在がないのは、それは、人との、つながりが、ないからです。人は、生まれたからには、なんらかの意味がある。自分にも、意味がある」。そう思いながら、歩いています。

2015年4月12日日曜日

神のいつくしみが、ひとりひとりの真の父。愛の父

桜も散って、復活節第2の「神のいつくしみの主日」を迎えた。この日に先立つこと、2日まえ、金曜日のコメントに、「神のいつくしみこそが、ひとりひとり皆の真の父です」「恵みに満たされますように」などの書き込みがあった。この言葉を読んで、実は、強い衝撃を受け、反省しました。「真の父を忘れてはならぬ」。最近の自分は世間的な考えに落ちているのではないか。「神のいつくしみ」。戻って行くところは、これです。★ポーランドを巡礼したとき、クラクフ郊外の修道院を訪ねた。聖ファウスティナの「神のいつくしみ」の修道院だった。イエスの胸から、3条の光が流れ、注がれている。深い印象に残っている。神さまは、怖いお方ではないのだよ。「いつくしみ」であり、「愛」の神さまであられる。コメントの書き込みで、たましいを揺さぶられました。「神のいつくしみの主日」を決められたのは、故人となられた教皇ヨハネ・パウロ2世です。きょうの、この日を特別な気持ちで迎えました。

2015年4月11日土曜日

誕生会。歳を重ねることは嬉しい。長寿、バンザイ

お年寄りは、食べることが楽しみです。食べる人は、幾つになっても、健康と長生きの秘訣をもっている。ホームでは、食生活を大切にして、その人、その人に合わせた、食べやすい食事が提供されています。ありがたいことです。おかげで、いつも完食しています。なかでも毎月の行事で、心待ちに、楽しみにしているのが、誕生会でしょう。高齢者にとって、1つ、また歳を重ねることは、神さまの恵みでもあるし、喜びでもある。ホームでは、その月に生まれた人を、まとめて、月のある土曜日の昼食で、お祝いしている。4月の誕生者は、10人でした。ステージに大きな名前が貼られ、お1人、お1人、名前を呼ばれて(なぜか、歳は言わない)、皆さんの拍手と共に、ハッピ・バスデイを歌う。10人ぶん盛り上がります。小さな灯と、プレゼントがあります。女性職員さんの仮装も出て、賑わいます。今月は、「幸せを運ぶピエロ」で、食堂の中をまわりつつ、ステージにあがり、「365歩のマーチ」を元気良く、歌いつつ踊りました。食事のメニューを申せば、お赤飯に、お刺身、豚肉のねぎ塩焼き、アサリの酒蒸し、春の野菜の煮物、すまし汁、それに、カステラか、桜もちを選ぶ、でした。もちろん幾人かの歌が手拍子で、出ましたが、さすがに年季が入っている、90代になっても衰えない美声に、圧倒されました。

2015年4月10日金曜日

父親よ、父の思い出を語る人が、うらやましい

いきなりだが、2年前に書いた、こんなメモが見つかった。「だから、今がある。苦しみがあっても、逆境に立っても、ハネのけて来た。のりこえてきた。その証拠に、今がある。今があることが尊い。まわりから冷たくされても、踏まれても、それでもハネのけた。過去に耐えてきた。生きてこそ、いのちだ。耐えてきた歴史こそ、真実だ。本当に、オレのものだ。生きてきた証でもある。大切なのは、今、あることだ」と。いま、このメモを見ながら、ずいぶん、思い上がったことを考えていたな、そう、うくずく反省しています。苦しみが、あったか。逆境が、あったか。踏まれたことが、あったか。あのメモを書いてから、本当の苦しみが、本当にあった。「ああ、やっぱり、乗り越えてきたんだ」。それは今の実感です。今が大切、それは変わらない」★「笑顔を、くれる人」。明子さんの写真です。夕方の散歩の途中で撮った。笑いが、すてきだね。時々、私の顔を見て言うんです。「父に、似たところが、ある」。どこが似ているんだろう。体系か、性格か。似ている、そう言われれば、嬉しいですよね。昭和の初めから、戦争の前から生き抜いてきた、跳ね除けてきた歴史を背景に感じるのでしょうか。明子さんは、決まった曜日、時間に会いに来てくれる。和ませてくれます。活気が出てきます。★最近、こんな手紙が届きました。数年まえに、父を亡くしましたが、信仰には導けなかった。悔やまれております。戦争や、病気で苦しむと、父のような考えになるのが普通かな、とも思います。トマさんのブログを読みはじめて、決してそんなことはないと、励まされています」。★7歳のとき、病気で亡くなった父。父の思い出は、ほとんど、ない。それが一番、悲しく思います。人生に、どこか穴があいた感じがします。父親の思い出を語れる人が、うらやましい。

2015年4月9日木曜日

道の向こうに、きっと幸せがある。希望で生きる

「今は、ツライけど、あの道の向こうに、良い幸せが、ある。道って、好きなんだよ」。これは以前に、メモしていたハギワラ・欽一さんの言葉です。いい言葉ですよね。道っていうのが、いい。優しさというか、青い空というか、なんか、感触が合うんですね。だからメモしておいた。人生、己がそれぞれの道を歩いても、いろんな苦楽がある。ツライことも多々あります。でも、この道の向こうには、きっと幸せがあるよ。苦しみは打開するよと、希望が持てれば、なんとか明るさが足元に見えてくる。★きょうは、お天気になったので、フトンと、毛布を干した。家事のことは要領がわかりません。隣の90歳近い女性が、テキパキと加勢してくれるんですね。もう10数年、ホームで暮らしている。1日に歩く歩数を教えてくれたのも、この女性です。自分の歩数は、濁して、はっきり言わなかった。いま歩いて、2.500歩前後だが、新聞には、高齢者は、8.000歩と書いてあった。足りませんね。「道の向こうまで、歩こう」。その気持ち。今朝の新聞には、ハギモト・欽一さんが、大学の新入生になって、これから勉強すると、ニュースに出ていた。★写真は、ホームでお世話になっている高原修道士の花の手入れです。環境美化のため、心して、玄関のまえに、一連の花だんを愛で、育てている。

2015年4月8日水曜日

昔の手も、今の手も変わらない。しっかりアクシュ

車で、片道、1時間、内科クリニックの定期の診察へ、朝から出かけた。患者さんが多く、診察が終わるまで、2時間かかった。足がよろめくのを感じる。クリニックを出たのは、昼前だった。「聖母の騎士へ行こう。昼食のごちそうに預かろう」。電話をかけてお願いして、いま、車から、前方、奥に、教会の塔が見えたところです。食堂には、5人の司祭がいた。喜んで、受けてくださった。その後、久しぶりに聖コルベ館へ入った。「ああ、なんか、ふつうに、はいったような感じです。すーっと、はいれた。でも、なにか、少し、さびしそうだなァ」。ここで、沢山のいろんな恵み、ドラマがあったことを忘れません。いま、ホームへ戻ってきて、夜になって、自分の手を見る。「この手、聖コルベ館と、同じ手だったんだなァ」。じーっと、見る。手のシワが気になる。一直線、ひゃく・にぎり、の手です。この手は、誰かのために、働いた手だろうか。パワーは、もう失せたのだろうか。ホームに帰ったのは、午後2時でしたが、ロザリオのあと、明子さんがきた。いっしょに少し、屋外の空気にふれ、歩いて語り合いました。「ハイ、最後は、アクシュ」。ひゃく・にぎりの手で、しっかりとアクシュをしました。「あかるい、あしたが、あるように」。いまも、かわらぬ手です。

2015年4月7日火曜日

ありのままを、受け入れて、いく。道は敷かれる

ホームの玄関まえに、一連のチュウリップの花が咲いている。左側に、ひろい芝生があるが、いつも午後から、この芝生を何回か巡回している。昼からの散歩です。★3月は、誕生日や誓願の日などがあって、本当に、楽しい、いい月でした。お祝いの手紙や、励ましの言葉を幾つかいただいた。なかには「これまで、よくがんばったから、ゆっくり休んでください」というのもあった。本当に、自分は働いたのだろうか。遠い出来事のように感じて、あまり、そういう気がしないのです。★数年まえ、自由であったとき、「自分の人生は、これで良かったのだろうか。もっと別の可能性があったのでないか」などと、悩んだときがあった。振り返る人生は、肯定するしかないでしょう。偶然が、そうなったのでは、ない。道は、敷かれていた。だから、いまのままを、「ありのままを、受け入れて、いく」。ホームに入って、特にそれを感じました。★以前、先輩の修道士を見舞いにホームを訪問したことがあった。食堂で食べる姿をみて、非常に、抵抗があって、絶対に、ここへは来たくないと、こころの中で思ったことがあった。いま、自分は食堂で、おいしく食べている。いつも完食している。生かされていること、感謝している。「ありのままを受け入れていく」。これですよ。1人の修道士は、わたしを見ると、かならず、こう言う。「60まで生きるかと思えば、この歳まで生きた」

2015年4月6日月曜日

楽しそう、出会いは恵み。また何かが生まれるかも

幸一君のお母さん、田川香さんと、明子さんの写真です。自室の狭い部屋で写しました。明子さんが、湯江駅まで、車で送ってあげるという。仲良しになりました。2人とも、楽しそうです。出会って、良かったと思いますよ。香さんがホームへ来たことは、ちょっとした話題になった。自分は、ホームでは、田川幸一と呼ばれているから、「幸一のお母さん、え?若いなァ」とか言う声もあった。食卓の隣の女性は、こんな話をしていた。騎士誌で、「小崎登明さんの記事をいつも真っ先に読んで、楽しみにしていた。その人が田川さんって、光栄です」「いいえ、とんでもありません」。ホームに入って、登明の名は使わなくなったが、また手紙のサインに使おうかと思う。迷っていますよ。★今朝、ミサで、終わった後、席で、すれ違いに明子さんに出合った。ニコッとして、そのまま別れたが、後になって後悔した。一言、いえば良かったなァ。「昨日は、香さん、送ってもらって、ありがとう、ね」。一言が心を温めるんですね。間をおく大切さを反省しました。あわてんぼう、なんですね。あせり過ぎかな。

2015年4月5日日曜日

復活祭。楽しい出会いがあった。喜びの日となる

大阪に、同姓同名の「田川幸一」君がいる。この春、大学の入試。長崎にあこがれ、長崎大学を受験し、合格した。入学式がおこなわれる。母、田川香さんも同行した。宿舎の家さがし。終わって、大阪へ帰る途中で、ホームに出会いに来た。復活祭の楽しい思い出となった。ちょうど、ホームでお祝いの昼食会がある時で、皆さんとも一緒に食事をした。「幸一君が、長崎へ来て、近くなったから、いいね」。10年来のご縁が今もつづいている。これから幸一君が、どのように育っていくか、楽しみが増えた。きょうの復活祭は、ウキ、ウキのお祝いとなった。主の復活、アレルヤ。昨夜は湯江教会でも、大勢の人が集まり、荘厳な徹夜の儀式とミサがおこなわれた。幸一君のお母さん、お若い。

2015年4月4日土曜日

遠くへ、行きたい、思ったこと、ある?あったよ、今も

数年前の秋ごろ、まだ聖コルベ館に居たとき、書いていたメモが見つかった。「遠くへ、行きたいと、思ったこと、ある?あるなァ。1度や、2度は、この場所、この人から、離れたい、どこでも、いいからと、思ったこと、あるサ」と書いてあった。メモの日にちも、ある。2011.11.2だった。書きなぐりの字の流れを、じっと、いまホームで見ながら、指で数えてみれば、3年半ですよ。現在のホームに居るなんて、想像もつかなかった。人は、いまの環境を、恵みと考えない。「遠くへ行きたい、思うこと、ある?」。ああ、やっぱり、「行きたいなァ」と、あるんです。人の気持ちは、あっちや、こっちに、飛んでいくんですね。★ホームのスピーカーで、お知らせがあった。「復活祭のタマゴつくり、お手伝いにきてください」。考えを打ち消して、痛む足を伸ばして、出かけました。20人近くの人が、復活祭にむけて、タマゴつくりを、丹念に、作業している。少しばかり、加勢しました。ホームの人、教会の信者さん、にぎやかに談笑しながら作っているのが、これ、これが復活のタマゴです。200個ばかり、作った。紙のケースは1年がかりで準備し、なかにタマゴを入れて、ヒモで閉じて、小さなアクセサリーも付けている。ここで、こんな作業をしている自分がフシギに思えました。環境が、すっかり変わりました。心をこめる作業です。今夜が、いよいよ復活徹夜祭です。

2015年4月3日金曜日

陽あたりの良い、静かな高台にあるホームです

自室のテラスから見た風景です。静かな、平和な、集落です。畑が、まだ残っている。左手に、やっぱりマリアさまのご像がある。ホームは一段と高くなっていて、陽あたりが、いいのです。ホームでの生活にも慣れて、溶け込んできました。きょうは午前中、介護を受けての入浴があった。1人では、足元がアブナイですよね。熱いお湯に、長く入るのが好きなんです。名前を呼ばれて、「顔が、赤いですよ」。すかさず「もう少し」。島原半島のオバマの温泉へ通った、毎月、1度のお湯が懐かしいです。入浴後、書道の先生が来られて、お習字の練習があった。「意欲」という字を、大きく、希望をこめて書きましたよ。ホームが生活の場ですからね。ここで生きる意欲を見つけることです。★昨日から、教会では、聖なる3日間と呼ばれて、夜に儀式がおこなわれています。この近隣には、数軒しかカトリックの家族がいない。夜の7時30分から、聖木曜日のミサ。洗足式もあった。ご聖体を別の部屋へ移して、信者さん一同でロザリオを唱えて、「神さまが、先に私たちを愛してくださっているのを自覚し、感謝し、愛に応える決意」をしながら祈った。信仰は生きる力になります。きょうは、3時から「十字架の道行」があります。夜にも儀式があります。復活祭が近づいてくる。「春」や「桜」の習字を何枚も書いた。

2015年4月2日木曜日

きのうは、あわただしい日でした。日記、書くのも遅い

普通は、午前中に、日記を書く。昨夜は、遅かった。夜の7時近くだった。きのうは、あわただしかったのです。朝食後、すぐ長崎まで、用件があって出かけた。車で、片道、1時間。幸い、帰ってきたのは、昼食まえでした。食堂に、大きな、見事な、ボタンが飾られていた。サクラもいいが、この花も華麗に咲く。聖コルベ館に居たとき、よく色紙にボタンの絵を描いた。絵の具や、色紙や、資料など、2箱に入れて、ホームの自室に持ってはきたが、まだ、ボール箱を開けようとしていない。場所もないのです。ボタンを描くのは好きだった。まだ未練がある。午後からは、ベッドに横になる。長崎まで行った疲れか、眠った。長くは寝ておれない。起きると、ちょうど高校野球の決勝戦だった。ロザリオの時間になる。お祈りが終わると、明子さんが来られた。いっしょに短いドライブに出かけたわけです。こちらはサクラ。雰囲気があった。夕食のとき、女性職員が食卓のソバまで来て、かがんで、小さな声で、「どこまで行ったの?」と聞いた。係わり合いを持ってくれたことが、とても嬉しかった。「サクラ、見に」。花も、いいけど、人とヒトとの、係わり合い、これが一番嬉しい事だった。小さな、ささやき、声も、いまでは、生活の励みになる。そういうわけで、日記を書く時間が遅くなったのです。

2015年4月1日水曜日

過去は変えられないが、未来は変えられる

いつも自室に来て、散歩したり、おしゃべりしたり、支えてくれている明子さんです。「ブログに載せても、いい」「いいですよ」。ホームの生活は寂しい。1人、自室に居て、話さない日もある。明子さんが来てくれるようになった。積極的に、「屋外を歩きましょう。青い空、見てごらん。笑いなさい。帰りは、ハイ、アクシュ」。沈んでいた心が、希望と、期待で、明るくなった。今はサクラの満開の時期です。サクラには思い出がある、と明子さん。昨年のサクラの花の前で、写真を撮った。その3ヵ月後、ご主人は亡くなられた。「写真を撮った場所のサクラを見に行きましょう」。ホームの許しを得て、車に乗せてもらって、短いドライブをおこなった。小学校の塀に、10数本の大きな木のサクラが満開です。今は亡きご主人の写真を撮った場所に、「立ってください」が、これです。明子さんの苦しみは大きかったが、乗り越えて、笑う人、奉仕する人になっている。「貯金ではなく、歩け、歩け、貯筋だよ」「過去は変えられないけど、未来は変えられる」「人生、リセットはできないけど、リスタートはできる」。いろんな書き物を残してくれる。これまでも日記に、時々、明子さんの名前をのせたので、どんな女性だろうと、興味をもった人も居たでしょう。ふしぎだなア。きょう、東京の女性から手紙が来た。(3月23日にも手紙を載せた女性です)。手紙の文面に、「・・・・ジッとしていられない⇒散歩⇒貯筋。桜が散り始めて、風情が増すことでしょう」とあった。