2020年3月31日火曜日

遺族は言った。聖フランシスコ園に居たから100歳まで生きた

きょう、午後から、ホームで生活する女性の葬儀と、告別式が行なわれ、皆さんとお別れをつげた。
★2月の誕生会のとき、100歳を迎えた女性だった。その時はお元気で、食堂にて、「ハッピバスデイ」のお祝いを受けた。ホームで生活すること、18年。遺族は、式の終わりに、「聖フランシスコ園でお世話になったので、100歳まで生きました」と深くお礼をした。
★ホームの人を見送るとき、やはり厳粛な気持ちになる。人の最後は、「『いのち』と『愛』で終わる」と思う。やはり大切なのは『いのち』です。その『いのち』は、愛から生まれる。その背後に、神さまの大きな『愛』と『いのち』を感じる。洗礼名は「マリア・マグダレナ」。神さまの元へ帰って逝った。誰もが辿る、この道です。
★100年前の時代と、今の時代。どれほど変わったであろう。「そろばん」からスマホへ。世の中は全く変わる。
★しかし変わらないモノがある。きょうは、その不変な存在をよみがえらせてくれた。神さまが待っていてくださる。この世で、イエスと共に生きて来ました。希望がある。『いのち』と、愛を、もっと大切にしよう。最後に残るのは、この『2つ』だけです。

2020年3月30日月曜日

なつかしい場所から、むかしを眺める。こんな時代もあったな

むかしの写真です。昭和30年頃ですかね。だから65年程前になります。山の上から、子供たちと、海側を見ている。あの頃の、トマです。痩せて、病み上がりでした。何とか、ゲンキを取り戻し、子供たちに「算数」を教えていた。九九算ですよ。「2にんが4」「4,5、20」。これが子供たちは、ニガテでね。スマホは無いし、みな、貧しかった。食べるのが、精いっぱいの時代。子供たちが懐かしい。
★この間、山田先生から、騎士園へ連れて行ってもらった。だいたい、この辺りが同じ場所です。教会と修道院は変わらないが、施設の建物は右手に見えなくなり、遠くの海も、木々が成長して見えなくなった。だが、吹いてくる風の感じは同じだった。あの子供たちは、どのように成長したのだろうか。65年だからね。もう75歳前後になっているだろう。
★年月も、そうだが、人の成長、人生って、ふしぎの連続だと思うよ。トマも、変わったしね。生きているのが、ありがたい。あの頃の子供は「オレが、生きるぞ」と自己主張の思いが強かった。親も、居ない。兄弟も、居ない。居るのは、自分だけだ。「負けて、たまるか」。『我』が強い子供たちばかりだった。泣く顔、笑う顔。「算数、覚えろ」。困った顔。人の顔のシワは、年輪を重ねた貴重なスジだと思う。
★主よ、きょうも、いちにち、ぶじに、すごさせてくださったことを、かんしゃいたします。名前も忘れたが、あの子供たちに幸せがありますように。

2020年3月29日日曜日

3月、最後の日曜日。コロナで揺れる世の中。ミサで祈る

朝の太陽があたるホームのベランダ。トマの自室からの眺め。静かで、平和な暮らしが、そこには、ある。
★いま、世界は、新型コロナウイルスで揺れている。今朝のミサで、「祈りましょう」と司祭の意向があった。
★ホームでも、職員さんから、「外出を控えるように」とお達しが出た。ホームで、発生すると大変なことになる。ホームに、ジーッとして居れば、安心感はある。
★男子職員さんが、自室の掃除をしてくれる。丹念に、掃除機をかけ、モップで拭い、ゴザの上を拭いてくれる。結構、ゴミが床にたまるのです。ありがたい。
★毎日のミサ、祈りは、朝の6時から、教会で、ホームの人たちだけで、普通に祈りが捧げられている。きょうは、あの「精製水」を送ってくれた女性の洗礼の記念日だった。「精製水」は、職員さんと相談して、ネットで注文した。
★昼寝の後で、縫物をした。ちゃんと、立派な「裁縫箱」を持っております。修道士は、独り身だからね。少々の「つくろい」は致します。甘えては、おれません。ただ最近は、針に、糸が通せなくなって、困る。針の穴が見えにくい。それでも下着や、シャツの「つくろい」をした。
★やっぱり「ヤル気」だよ。老いても、失うな。ヤル気。ホン気。まっすぐ、前を見て、歩こうよ。ヤル気を燃やすのは、生きて、感謝の気持ちだよ。

2020年3月28日土曜日

登明の「話の小箱」より。ニンジン、サイコー、食べ物だよ

(登明『話の小箱』栄養満点、ナマのニンジン)
★昭和30年代のニッポン。その頃まで、農家では、野菜に人体から出る肥料をかけていた。
★ニッポンへ宣教に来た外国人の神父さんは、その光景を見て、ビックリした。「おお、これ、NO、NO」。それから、この神父さんは、頑固に、野菜をぜんぜん食べなくなった。
★野菜を食べないから、栄養に欠けてくる。神父さんは、とうとう栄養失調になってしまった。お医者さんは言う。「どうしても野菜を食べなさい。バランスのある食事が大事です」
★アタマをかかえた神父さんは、いろいろ思案の末、「セに、ハラは、カエられず」と、野菜を食べることにしたが、それには、ニンジンが最適であると思い当たった。
★というのが、この地方には『〇〇〇〇』といって、見事なニンジンが、どの農家にも栽培されていたからだ。ニンジンなら、栄養もあるし、ゴシ、ゴシ、洗って食べれば、キタナクナイ。「ベリーグット」と、神父さんは、うなずいた。
★さて、ニンジンのおかげで、神父さんのカラダは、メキ、メキ、快復していった。それから神父さんは、大のニンジン愛好者になった。どこへ行くにも、必ずニンジンをビニール袋に携帯した。ナマで、毎日、15、6本、ポリ、ポリ、食べた。
★神父さんは、折あるごとに、ニンジンの効能について説教した。「むかし、アダム、エヴァが楽園から追い出された時、何を持って行こうか、考えました。沢山のもの、持てません。その時、持って出たのが、ニンジンです。日本人、疲れると風呂に入ります。それより、ナマのニンジン、チカラ出るよ。ハ、ハ、ハ」
★司祭館の石垣に、赤色のペンキを塗った外国人の神父さんが居た、と聞いた。同一の神父さんか、定かでない。

2020年3月27日金曜日

修道誓願を立てた記念日。ヨタ・ヨタの道を、助けられて今がある

東京の、琢磨さん、和美さん夫妻から、「誓願、55周年。エメラルド祝・おめでとう」のカードが届いた。うれしい。ありがとう。
★きょうは、トマが修道誓願を立てた記念日です。1965年、大浦天主堂で、信徒発見100周年の年でもあった。
★トマは、17歳で聖母の騎士に入って、病気ばかりして、カラダが弱く、入って誓願まで20年かかった。
★あの頃、トマは、神さまに向かって、つぶやいたよ。「神さま、あなたの為に働きたいと、必死で願っているのに、なぜ我が道をとざすのですか」。きびしい試練はつづいた。やっと、健康が与えられたとき、同級生たちは既に、もう司祭になっていた。自分に与えられた道は「修道士」だった。これが神さまの導きですか。
★「原爆死した母が、連れてきた。聖母の騎士を愛している。一時は、病気をして、『出て、行け』と言われたが、神さまから助けられた。修道士となって、努めてきた。決してリッパな修道士とは言えないが、それでも、何度も「我が、過ちなり」と胸を打ちつつ、立ち上がり、お勤めを果たしてきた」
★神さまには、ご計画があったのか、な。修道士の誓願を立てた後は、働けるだけの健康を与えられた。「トマは、修道士で良かったよ」という人もいる。やっぱり、この左のカードの言葉のように、「すごく、ふしぎなこと、あったよな、沢山」。確かに、あったよ。だから、今が、ある。
★お祝いのカードを贈ってくれた琢磨さんは、若い頃、よく聖コルベ館にトマを訪ねて来た。あの頃の彼の印象は、働き者のタクマくん。作業着をまとった青年の姿が記憶に残っている。聖コルベ館では、彼は、何度もトマの所に来た。ホームに入ってからは、クリスマスには、必ず「ラテン語の言葉」で文章を綴ったカードが送られてくる。いつしか愛妻の名前も載った。琢磨よ、そして和美さん、いっしょに、ホームへ面会に来いよ。
★ちなみに、ホームの瀧憲志神父さんも、きょうが、司祭叙階55周年の記念日です。「トマと、いっしょの日だよ」と、喜んでいる。

2020年3月26日木曜日

いちばん欲しがっていた「精製水」の贈り物。一時は、助かった

きょう、宅急便が届いた。重たい荷物。なんだろう?関東地方の知らない女性の名前が記してあった。
★あけて、ビックリ。「精製水」だ。トマが、いま、いちばん欲しいと思っていた「精製水」だった。「マスク」も入っている。「こんなに、贈って、くれる人も、居るんだ」。思わず叫んだよ。手紙が入っている。
★「いつも日記を楽しみにしている者です。小崎さんの言葉の多くが、より心にしみ入り、考えさせられることばかりです。今後も、お体に気をつけて、日記を書きつづけていただければと、正直、迷ったのですが、今回、精製水を送らせていただきます」
★トマは、就寝中、呼吸が止まる症状をもっている。いろんなモノを持っているんですね。6年前、国立の病院で、一晩中の呼吸を検査したところ、睡眠、1時間あたり、58回の呼吸が停止。最も長い時には、約153秒(2分33秒)間、止まっていた。重症です。以来、CPAP機器を使っている。これを使うと、呼吸は正常です。
★機器には「精製水」が必要です。これまで看護師さんを通して、難なく入荷していたのに、「コロナ」の影響で、全く入らなくなった。お医者さんに聞くと、「沸かした水を使いなさい」。でも、結果は良くない。残った水に、白いカスが、幾つも浮いているのです。困っていました。そこへ、精製水が届いたので、そりゃ、うれしかったですよ。ほんとに、ありがとう。
★送り主の女性の手紙には、「23年前に、洗礼を受けた。記念日は3月29日です。残念ながら、ミサに行けません。この日、小崎さん、ミサで、『私が、なすべきことを知り、なすべきことを実行できますように』お祈りください」と書かれていた。
★あした、27日は、トマの修道誓願の記念日で、29日が、精製水・女性の洗礼日、神さまとマリアさまにお祈りします。

2020年3月25日水曜日

山へドライブ。春の風に吹かれて、幸せ感じる、マリアの日

「トマさん、春の、いい天気だよ。トマさんが、住んでいた騎士園にドライブしよう」と、養護施設の山田先生が誘ってくれた。春風に吹かれるために、午後から、山田先生の車で山を巡りました。きょうは「神のお告げ」の祭日です。
★天使ガブリエルが、マリアさまへ「アヴェ、マリア」と挨拶し、御子イエスが生まれることを告げた日です。騎士園のルルドのマリアさまへ行きました。幸せです。
★途中、農村には「菜の花」が咲いていました。「ああ、もう、すっかり、春だね」
★戦争が終わって直ぐに、この農村に、ミロハナ神父さんと石橋修道士さんがジープに乗って入った。村の夫妻が、ジープを見て、おどろき、初めて外国人(ミロハナ神父)を見て、更にオドろいた。
★その夫妻の石垣が今も残っていました。夫妻に、「戦災孤児、原爆孤児の少年施設を作りたいのです。土地を分けてください」と頼んだ。夫妻には、親の代から、自分たちの土地の上には「三体さんの神さんが居る」と占いさんから告げられていた。それを思い出して、施設建設に協力した。トマは、その夫妻をよく知っている。
★やがて教会が出きて、子供の施設や、老人の施設、学校などが出きた。トマは、この場所に、11年と、6年、合わせて17年暮らしている。
★夫妻が言われる「三体さんの神さま」とは、御父、御子、聖霊の神である、とトマは思っている。最初の11年の間に、秋になると、夫妻の家に、修道士やお寺の住職さんが招かれて、新米のご馳走をいただいた。そういう昔の思い出に懐かしい午後でした。
★きょう、ドライブに誘ってくれた山田先生です。この道が、学校へ登る道です。トマは、後の6年間は、この道を毎日、通った。「椿原」の名前が付いているのに、ツバキの木はなかった。トマ校長は、この道の左側に、全部、ツバキの木を植えたのです。
★「ツバキが、いま、見ごろだよ」と、山田先生が誘って、連れ出してくれたのでした。「よか、マリアさまの日じゃったよ」

2020年3月24日火曜日

春よ、来い。幸せである人生を望む。老いても意義ある人生を

ホームの「絵手紙」で描いた。先生が、春の花を幾つか持って来られた。その中の「キンセンカ」を、えらんだ。「キンセンカって、どんな字を書くのですか?」。先生も、絵手紙の仲間も、書く漢字は、あやふやだ。ネットで調べてみると、「金盞花」。難しい字だった。
★花に添える言葉を考える。ごらんの言葉にした。今年の冬は温暖化で、風邪も引かずに乗り越えた。安どした。昨年は、ニガイ経験。急性肺炎で救急車、入院して苦しみ、大変だった。それを思えば、今年は穏やかな春です。テレビや新聞では、新型コロナで大きく揺れている。ホームは平穏で、静かです。
★すっかり春めいて、屋外も、パァーッと、明るくなった。「春を、よぶ。幸せを、よぶ」。そんな感じだよ。きょうは、ゆっくりと過ごしている。
★食堂で、私の食卓の席から、真っ直ぐ前を見ると、前方の端に、いつも100歳の女性の姿がある。小さなカラダの背を前のめりにして、何も語らず、黙々と食べている。「リッパだな、エライな」という感じ。介護なし、自分で押し車を引き寄せて、確かな足取りで、サッサと食堂を出ていく。だが、一方で、正直言うと、ただ「存在している」という感じが、しないでもない。「人は、どのようになっても、生きる価値がある」とは言うが、100歳女性には、なにやら切ない気持ちも感じる。それが本音だ。100歳になっても、笑える人、語る人でありたい。
★「絵手紙」の「山吹」です。2枚目に描いた。
★ある時、シスター経営のホームで、こんな話を聞いた。このホームに100歳の男性が居た。100歳まで生かされた時、彼は決心した。「自分には先祖からの宗教があり、変わるのは良くないと思ってきた。シスターの手厚い介護に、わしは負けたよ。シスターの宗教に入りたい、洗礼を受けることにしたよ」
★それを聞いて、シスターは、ナミダを流して喜んだ。100歳まで、生きた意味はあったのだ。車椅子の男性だったが、こうも言ったそうだ。「100が、わしの人生、折り返し点。神さまの恵みを受けたからにゃ、モーゼの年令まで、生きまする」
★うちの、あの100歳の女性、今朝、ミサ後に、後ろを見たら、こんな朝、早くなのに、ちゃんと教会に来ていたよ。トマは瞬時、思った。「マイッタ」

2020年3月23日月曜日

みんな修道会の兄弟だよ。ニッポンも韓国も仲良しさ。愉快だね

今朝のミサ。濱田院長神父さん(右)が、始まる前に紹介した。「ブラジルで日系人のため、ブラジルの人たちのため、宣教している松尾繁詞神父さんです。司祭になって60年、ダイヤモンドを迎えます」
★変わって、松尾繁詞神父さんが、一言述べた。「自分は生まれは長崎の五島です。ブラジルに宣教しても、長崎の信仰、先祖たちがキリシタンの信仰を受け継いだ、それが貴重な原点となっています」。松尾神父さんは、司祭になって直ぐ、ブラジルに渡った。だから、もう60年近くなる。宣教の難しさや、困難が沢山、有ったと思いますが、その原点が長崎で育った信仰の自覚だったという言葉に、感動を覚えました。
★きのうの、ヨゼフ橋口修道士の会食は楽しかった。普通は、湯江修道院の4人、濱田院長神父さん、山内園長神父さん、橋口修道士さん、高原修道士さん、それにホームからは3人、瀧神父さん、大野神父さん、トマ小崎修道士の、合わせて7人が集うのですが、他に、3人の神父さんが居ました。ブラジルの松尾神父さん、それに長崎の聖母の騎士の李神父さん、金神父さんの2人の韓国人の司祭も居た。
★李信衡神父さんも、修道名は「ヨセフ」です。それで濱田院長神父さんが「お出でよ」と声をかけて誘った。
★李神父さん(左)は、若手の司祭として、各方面で活躍している。将来が期待される。こういう若い人と語ると、なにやら老いの心も燃えてくる。韓国には、両親と、妹さんが居る。トマ修道士も韓国へ出かけて、家族にお世話になった。
★また聖母の騎士には、韓国人の金神父さんが居る。李神父さんは、金神父さんを誘った。というわけで、全部で10人です。楽しいひと時、語り、笑い、和みの会食を過ごした。金神父さんは、今年で、司祭叙階25周年、銀祝を迎える。長崎教区の教報に載った記事を載せます。

2020年3月22日日曜日

ホームの隣、湯江修道院のヨゼフ橋口修道士さん。修道名のお祝い

修道士の橋口達夫さん。いい顔、している。今年の2月、修道会・4地区の集まりの時に写した。自分でも、よく撮れたな、と思っている。
★橋口修道士さんは、ホームの隣、湯江修道院に居る。3月20日が誕生日だった。昭和8年の生まれ。87歳。
★17歳のとき、造船所で働いていた。養護施設「騎士園」の子供たちを見て、修道士を志願した。この道に入って、70年。アタマはヒカリ輝いているよ。修道士の道は苦労が多いからね。
★聖母の騎士に入会した時、畑の作業や、炊事場で働いた。炊事場の主任が、ポーランド人のカシアノ修道士。橋口さんは、カシアノさんから愛された。「修道服を着る時は、修道士の霊名を、『ヨゼフ』と付けなさい」。カシアノさんの勧めだ。カシアノさんは、聖ヨゼフの特別に熱心な信心者だった。着衣式のとき、ヨゼフ橋口となる。以来、「ヨゼフさん」「ヨゼフさん」と、皆さんから慕われてきた。
★東京の修道院や、愛知県春日井の修道院でも活躍する。長崎へ帰ってからは、養護施設や、ホーム聖フランシスコ園でも事務長として長年、働いた。施設で育った子供たちが、今でも慕って、ヨゼフさんを支えている。人気が、あるんだな。
★修道士は、神父さんと違って、一歩、引いた身分になっている。それでも、ヨゼフさんには、修道経験が豊かであり、人情味がある。外部の人から信頼され、ヨゼフさん自身も世話好きである。
★9年前になる。長崎・聖母の騎士で写した3人の修道士。左が、ヨゼフ橋口さん、真ん中の修道士は、この後、ホーム聖フランシスコ園に入った。入る前の記念写真です。彼は、トマ(右)が、ホームに入る前に、ホームで逝かれた。先輩になる。
★仲のよい3人の修道士だった。一時は、聖母の騎士には、多くの修道士が居て、にぎやかな時代もあった。あの頃が、なつかしい。もう、ああいう時代は来ないだろうな。ヨゼフ修道士さんとの思い出も、多々ある。施設では、子供を交えて、苦労も沢山、あったし、ね。
★ヨゼフさんの言葉は身にしみる。「子供は、きびしく、やさしく、あたたかく、これを、混ぜ、合わせる」
★19日は、ヨゼフさんの修道名の「聖ヨセフの祭日」。20日が、彼の誕生日。ふしぎなモンだね。聖ヨセフの祭日は、ヨゼフ橋口修道士さんのため、お祈りは、したが、きょう・日曜日の夕食は、湯江修道院と、ホームの修道者が集まって、ヨゼフさんの修道名のお祝いをするそうです。

2020年3月21日土曜日

退院して、3日が経った。ゲン気が出てきた。いい事が、ありそう

ホームは、小さな丘の上に建っている。ホームのテラスから、海側を見れば、神社さん。サクラも咲き始めている。ホームには、教会がある。反対の山側には、お寺さん。みんな仲良しで、いい場所だよ。
★きのうは、「おひがん」。夕食には、「3色おはぎ」も出たよ。ありがたいね。普通の家庭で、こんなの食べるかな。ホームの栄養師さんが、ちゃんと献立してくれる。
★退院して、3日が過ぎた。やっと、元気になったよ。今年までは、「ゲン気」「ヤル気」「ホン気」で行こうと思っている。生きて居れば、今年も、いい事あるさ。希望と、可能性を失ったら、ダメだな。
★ホームのテラスに出れば、「暑さ、寒さも、彼岸まで」というように、ポカ、ポカ、温かいよ。こころまで、温もりが来るね。つい、つい、笑顔にも、なるさ。
★昼食のとき、ホーム特製の「ゼリー」が出た。デジカメを持っていたので、写真に撮ったよ。この「ゼリー」は、ホームの特徴でね。各種の「ゼリー」で楽しませる。きれいな赤色に、ポンと乗った「プル―ン」。
★食卓に、ちょうど栄養師さんが寄って来たので、「これ、なんね?」と聞いた。すごいじゃ、ないか。栄養師さんが、沖縄の石垣島へ行ったとき、知った「アセロラ」だという。
★炊事場に消えたかと思ったら、ネットの資料を持って来た。それが、この絵です。上が、花で、下が、実。この実から、ゼリーを作っている。何気なく、食べている食事1つ、1つに、深い意味があるんだね。沖縄でしか採れない。カゼ予防になり、美肌効果あり、高血圧予防にもなる。
★「3色おはぎ」もそうだが、ホームで栄養師は、お勤めウン十年のキャリアで、いろいろと気を配っておられる。炊事場で働く職員さんのお陰だよ。食べる私たちは、それを知らない。モンクをいう。言えるか。言えんよ。介護もあるし、ね。
★こうして人は、助けたり、助けられたりして、まわっている。

2020年3月20日金曜日

出会いの男性。東京でも見学。見知らぬ所で、つながりがある

突然、この男性がホームに私を訪ねて来た。「日記を読んでいます。ぜひお会いしたくて来ました」。玄関での出会い。「部屋で、話しましょう」「いいえ、時間がありません。お会いしただけで満足です。手土産がないので、近くでお花を買ってきました」。シクラーメンの鉢植えの花だった。
★「東京からです」と、お名前も告げた。この写真を撮って、玄関で、立ち話で、別れた。「検索しているうちに、日記に当たった」という。黙々と書く日記が、どこで、どういう人と、つながりがあるのか、ふしぎに思った出会いだった。
★あっという間の接点だから、詳しい事はわからず、いつしか名前も忘れた。住所も聞いていない。それから1年ほど経ってから、東京・丸の内で、「ポーランド・フェスティバル」があり、ポーランド人修道者たちの写真展を開いてもらった。写真展をお世話したのが、長崎市の野々村さん、塩沢さんの2人。写真の男性が見学に現われた。お菓子のみやげを託された。それで日記から、お名前と住所がわかった。
★今度の入院の前の日だった。重たい、大きな箱の荷物が届いた。鯖(さば)の缶詰が、2段重ねで入っている。塩抜き専門の食品製造の会社が造っている。「食塩不使用・鯖水煮」缶詰である。あの写真の男性が送ってくれた缶詰だった。手分けして、皆さんで頂いた。
★日記を通して、見えない所で、見えない人と『つながり』があるのを強く感じた。ホームに居て、「世の中は、ふしぎやな」と思う。あの男性が、なぜ、いま、入院の前日に、贈ってくれたか、わからない。
★缶詰を思うと、色々記憶がよみがえる。北朝鮮で、子供の頃、風邪を引いて学校を休むと、必ず「パイナップル」(めずらしい)の缶詰を食べさせた。戦時中、中学校の強歩訓練で、目的地に着くと、自分で背負った「背のう」から魚の缶詰を出して食べた。終戦直後、食料不足の聖母の騎士に、アメリカ軍の飛行機がパラシュートを付けて、物資を投下した。アメリカ軍の牛肉の缶詰は、抜群にウマかった。缶詰の思い出に、この「さば」缶も入るだろう。

2020年3月19日木曜日

ダイ・ソレタ人生じゃ無いが、人は、それぞれ生きる価値はある

入院の日の、トマです。
★まずは、尿の採取、血液の採取、次いで、点滴が始まる。血をぬく血管は、太い。点滴を入れる血管は、細め。特に、高齢になると、血管が出てこない。
★看護師が、針を刺す時、「ジィーッ」と見つめる。何も言わない。何度も、針を突っ込む看護師。先輩を連れて、依頼する看護師。とうとう入れきらずに、医師に頼む看護師。トマは、これまで黙って見てきた。ところが今度の看護師は、一発で入れた。「おお、やるじゃん、おみごと」。ベッドに横になって、手をあげて、なんの合図だよ。「まだ、トマは、生きているぞ」の感じかな。この後、辛抱のステントの入れ替えが行なわれる。
★病院の食事は、たべやすい。これが昼食。鶏肉だった。ステントの入れ替え後は、2時間安静。夕食は、6時10分とメモがあった。あの日は、魚だったな。
★病院に居て、何を考えていたか、って、そうね、深刻な事は考えない。「ダイ・ソレタ人生じゃ無かったが、人は、それぞれに生きる価値はある」。そんな思いだね。何は、ともあれ、無事に終わったので、良かったよ。
★ホームに帰って、その夜は、自分のベッドで安眠した。広々としたベッドのマット。故・中島神父さんが残した「カイロプラクテック」。マットの上に、じか寝する。フトンは、ない。夏になると、裏返して使う。
★きょうは、教会では、聖ヨセフの祭日です。朝、4時30分に起きて、教会へ。ミサで、感謝の祈りをささげた。
★朝食、体操の後、入浴した。常連の男性が入っていた。「何年の生まれね」と聞くと、終戦のすぐ後に生まれた。16歳で潜水業について稼いだ。その後、水産会社を立ち上げた。倒れて、ホームへ、3年7ケ月になるという。「やっぱ、見ていると、ですよ。神父さんも修道士さんも、フツウの人とは違いますな」と、しきりに誉める。「あなたも、世間の波にもまれて、光るモンが、あるばい」。おかげで、身も、心も、清くなった気持ちで、湯から上がった。
★山のシスターの修道女院に電話をかけた。「聖ヨセフの小聖堂で、なんか、行事が、あっとね」「あるよ。でも、来ないで。コロナだから」。下の写真が、小聖堂の祭壇と壁画です。

2020年3月18日水曜日

入院3日目。午前中に退院する。ホームに帰れば、生きかえる

病院の窓から眺めた諫早市内です。
★この度の、ステント入れ替えは、ツラクなく、ラクに終わりました。我が腎臓も、大変だよ。22歳で、左腎臓を切り取って、以来、70年だよ。1つの腎臓で、よく、まあ、がんばってくれたよ。ステントを突っ込むから、腎臓だって、イヤだよね。そのうち、まあ、どうなるか、イノチは、神さまのことです。こうなれば、もう、神のみ摂理のままだよ。
★昨夜、7時頃、主治医の先生が病室に来られて、「退院して、よろしい」と許可が出た。この主治医の先生は、朝一番に、看護師詰所に来られて、夜、最後に又、詰所に来られる。その後、病室を回られて、担当の患者に声をかけられる。だから、いつも待っている。
★許可が出てから、湯江修道院の濱田院長神父さんに電話する。「おそくなって、すみません」
★高原修道士さんが、朝、9時半頃、迎えに来た。荷物が多いんだな、トマは。水色のバッグには、入院道具。黒いバッグには、毛布と着替え。もう1つの黒バッグは、無呼吸のCPAP器具。これが重い。それらを軽々と持ち上げるのが、高原修道士。何度、お世話になることか。
★ホームの坂を上る。車から、アンズの花が迎えてくれた。「生きるんだよ」「負けるなよ」。花が応援してくれる。
★自室から眺める風景。やっぱり、ホームが安心するね。昼食に間に合った。皆さんが、「よかったね」と声かけてくれる。詳しい事は言わないよ。「病院?検査?」「まあ、ね」。今の気持ち? 安ど、かな。ゆっくり、暮らして行こう、そう思うよ。神さまに感謝し、日記を読んで、見守ってくださる皆さんに感謝します。ありがとう。

2020年3月17日火曜日

入院2日目。無事、終わる。病院はホームより寂しい。

昨日、手術台の上に(大)の字になる。お任せの気持ち。血圧121・67。緊張感は無い。ひと時の辛抱で無事終わった。術後、熱は出ない。静かに安静にしていた。点滴は8時30分に終わった。
★夜は良く眠れた。今日は午前中洗濯をしました。午後から高原修道士さんが、イチゴを持って来ました。
★昨日の入院の日、病室に入り看護師から最初に言われた言葉。電子カルテを見ながら、「え?92歳なの?若く見えるなぁ、元気がある」
★今日は午後から、腹部のレントゲンへ。1階の奥にあるので、別の看護師が車椅子で連れて行く。屋内でも廊下は冷える。ひざ掛けをして、私が92だからな、と言ったら、「あら、お元気ですね。元気の秘密は何ですか?」。私ちょっと考え、「彼氏をつくることかな」。その看護師、「ウ・ハ・ハ・ハ」と大笑いして「私、30、中半なのよ」

2020年3月16日月曜日

入院の日。苦しみを捧げます。お祈りください。励ましが必要

さわやかな朝でした。昨夜は、よく眠れた。ミサで、「み摂理のままに、なりますように」と祈りました。荷物は、準備できました。朝食は、ホームで食べる。
★9時20分に、高原修道士さんの運転と介護で、ホームを出発します。車で、約30分。諫早総合病院・泌尿器科へ入院します。
★4か月ごとの入院ですが、気持ちは、やはり重い。こればかりは慣れません。今まで生かされてきた恵みを感謝し、今日、一日の苦しみは受け入れて行きましょう。
★午後から、ステントの入れ替え手術が行なわれるでしょう。麻酔は行なっていても、尿管に、カメラや器具を挿入するので、苦痛はあります。
★左の絵は、2012年6月、はじめてステントをいれた時、お医者さんが描いた説明図です。最初は、しばらくして抜いていたが、今では、何か月ごとに入れ替える。期間が長くなると、管が抜けなくなる。残る1つの腎臓が、石灰化している。これは25歳の時の結核の痕です。こういう苦しみを背負って、この歳まで、生かされてきた。ふしぎや、な。
★主イエスの十字架の苦しみを思い、心を合わせて辛抱します。ステントの入れ替えが、無事に終わりますように、お祈りください。きょうは、点滴が終わるのが、夜の10時頃になります。いのちは、神さまのことです。
★「泣いた数だけ、みのりある人間に、なれるだろう。神は、その人間が、超えられないハードルは、与えない。そう信じます」

2020年3月15日日曜日

2人の若者は、身を投げ出して、神に生涯を奉献した。よき門出

昨日の、終生誓願式。トマは、新型コロナウィルスのマン延のため不参加。写真は、高原修道士が撮ってきた。
★2人の若者が、神の御前に、自分のすべてを奉献し、身を投げ出す。この場面が、胸に、ジーンんと来ます。最も神聖で、恰好のいい、姿に見えます。この時、2人は何を考えていたのでしょうか。責任の重さか、お恵みの感謝か。2人は祈ったでしょう。「神の助けによって、歩みをつづけます」
★この後、誓願の誓いがある。修道者は、みな、このように誓願を立てて行った。「諸聖人の連祷」が歌われる。諸聖人の取次ぎを願うわけです。2人の修道名、「聖ペトロとパウロ」。聖人、聖女の名前がつづき、「われらの師父聖フランシスコ」「聖マキシミリアノ・マリア・コルベ」もある。
★聖歌の奉仕は、東長崎教会の聖歌隊の皆さんでした。
★同じ修道会の兄弟が増えるのは、大きな喜びです。しかし自分の修道士の人生を振り返ってみると、長い期間には、沢山の喜びがある一方、困難や、迷いも、多々あった。本当に、最後まで、この道を歩くのは、ただ、ただ、自分の弱さを知り、立ち上がる勇気と、多くの祈りで助けて貰うのが必要です。
★「人の心には、天使の声、勧めもあれば、悪魔の、ささやきもある。それに打ち勝つには、謙遜な祈りと、神への信頼が大切と思う。自分のチカラに頼ると、負けてしまう」
★ペトロ峯勇太郎さん、パウロ今井裕次郎さん、おめでとう。この日を迎えたのは、嬉しいです。私たちには、コルベ神父さまの模範がある。マリアさまの御助けがある。明るい気持ちで、さあ、これから希望をもって、歩き始めよう。
★あしたは、入院です。午前中は、入浴して、からだを清潔にした。午後から、入院のバッグの準備をします。手助けは、ありません。自分で行ないます。

2020年3月14日土曜日

痛みの時は、楽しい事を思えば、ガマンで、乗り切る事ができる

ホームで、「ウナギ、食べる?」「季節に合うとき、ウナギ、出ますよ」「ステーキは?」「小さく切った、牛肉は出ます」「ちゃんぽん、らーめん、さらうどん」「もちろん出ますよ」
★何が、出ないかな。
★写真のような、でっかい「いちごアイス」。こんなのは出ないね。
★だから昨日、外食したとき、食べました。ぜいたく、かな、思ったよ。でも、来週、月曜日から、ステント入れ替えで入院だから、「少しは、いい思い出、させてよ」と、いい聞かせた。手術で痛いとき、楽しい事を思い出す。「いちごアイス」を思い出す。すると、痛みが少しはやわらぐ効果があるんですね。ニンゲンって、そんなモンだよ。
★もちろん、シン・ソコでは、信仰のこと、考えるよ。でも、おいしく食べる時、なにやら、深刻に考えると、シラケてしまうね。おいしい時は、おいしい。楽しい事を、率直に受け入れて、「これで、いいんだ」と、乗り越えられれば、それで、いいじゃないですか。これも苦難の乗り越え方だよ。「イタイ、イタイ」と泣きじゃくる幼子に、「オモチャ、買ってあげるからね」と言う、そんなモンだよ。
★ステントの入れ替えは、2012年6月から始まった。もう、なんベンしたか、わからない。去年は、1月、4月、7月、11月と、4回あった。慣れているって、やっぱり気になるよ。「後を、振り返るな。今を、大事にする。文句は言わない。弱音も吐かない」
★きょうは、聖母の騎士では、峯勇太郎さんと、今井裕次郎さんの終生誓願式がある。新型コロナの影響で、2人の家族と、司祭たちだけで、お祝いが行なわれるそうです。瀧神父さんも、トマも参加しなかった。高原修道士さんが参加する。朝、「写真を撮ってきてね」と、デジカメを持たせた。
★終生誓願によって、自分は「この道で、行く」と、人生を賭けて、腹をくくるわけです。2人の若者が、神の召し出しに応え、司祭叙階の日まで到達できるように、皆さんのお祈りをお願いします。見守ってください。
★いま、高原修道士さんが、戻ってきた。写真を載せます。

2020年3月13日金曜日

長崎市へ。あっち、こっち、歩いて、疲れた。それでも歩く

歩く人も、まばらな通り。長崎市の桜馬場。この辺り、長崎の豪族が住んでいた。アルメイダ修道士が、長崎で、最初に宣教を始めたところです。ここからキリシタンの教えが広まっていった。
★きょうは、疲れました。高原修道士さんも、ヨゼフ・クリニックを診察する。高原さんは、他の大きな病院へ紹介されて、腹部のCTを撮る。高原さんの顔は心配そう。
★一方、トマは、この通りの手前にある「耳鼻咽喉科」のクリニックへ。耳の掃除。左の耳からは、1cmほどの異物が出た。ノドも、カメラで診てもらう。この歳になると、声が満足の音にならぬ。声帯に異常はないと、お医者さん。
★聖コルベ館へ向かう。事務室におじゃまする。そのうち、高原さんが聖コルベ館へ来た。
★ここで合流して、昼食を途中で食べて、ホームに帰ったのが、3時半でした。
★押し車なしで、歩きました。キツイです。でも、気合いを入れて、歩きました。教会の中で歩くのは、ふら、ふら、だが、キリシタンの町を歩くときは、シャキッと、なった。みょう、なモンな。

2020年3月12日木曜日

朝の太陽に見とれる。昼は「なべ」料理。「賛美と感謝」で生きる

あさ、教会から自室へ帰って、カーテンをあけると、燃えるような太陽があがるのです。
★ああ、きょうも、与えられたな。こころは、よろこびに感動しますよ。つい、つい、デジカメで写したくなる。生きている心音を感じます。「また、太陽の写真か」と思わないでください。生きていることが、ありがたい。きょうの日をくださった神さま、ありがとう。
★昼食は「なべ」でした。ご飯少な目、しゃぶしゃぶ、人参と若芽のきんぴら、つけもの、焼きいも、でした。日中は、そろ、そろ、温かく、春のきざしが感じられる。
★女性も、男性も、いっしょに「なべ」を囲むなんて、つい、つい、修道士の身分を忘れてしまいます。長年、男子の修道者だけで食べ、語り、笑い、楽しんできた。
★ホームで、6年も生活して、「修道士の身分を、くずさない」。そう思います。食事の世話、介護の世話をしてくれる「働く人」に、心を開く、それが必要です。心を開くとは、「ありがとう」「すみません」「おつかれさま」
★かつて、ホームに目の不自由な修道士が居た。誰かに声をかけられると、修道士は、いつも言った。「さんびと、かんしゃ」。神さまを賛美する。人さまに感謝する。生きる上で、究極の思想だと思いますよ。あの目の不自由な修道士を見送って、もう何年になるかなァ。彼は、最後まで、りっぱに、修道士として生きていた。その模範は、トマの心に残る。
★あしたは、早朝から、定期の診察のため、長崎市・ヨゼフ・クリニックへ出かけます。

2020年3月11日水曜日

津波や、原発事故、原爆も、忘れずに、風化させない努力する

9年前の今日、「東日本大震災」が起こった。巨大な津波が押し寄せて、福島原発が事故をした。3日後の「長崎新聞」です。
★長崎から、福島や岩手は遠い。市町村の名前も知らない。しかし1度、三陸鉄道で、海岸線を旅したことがある。美しい海岸線が、壊滅に追い込まれた。
★あの日を思い出す。長崎・聖母の騎士修道院に居た。昼食後、ベッドで安静した後、テレビをつけると、地震の知らせ。テレビの声は、「津波が来るから、即刻、避難しなさい」と盛んに呼びかける。やがて大波が巻くように押し寄せて、家々も、畑も、空港も海水で飲み込んだ。
★自衛隊機から、一直線になって押し寄せる津波。激流の波が来ているのに、まだ道を歩く人が居る。「なぜ逃げないんだ、あぶない、あぶない」。ただ茫然。その日の夜は、火の手も上がっていた。
★1夜あけて、被害の大きさに、もう言葉は出ない。津波と恐怖の原発事故。二重の悲惨な現実があった。死者、行方不明者は、多数。生き残った者には、水、食料がない。零下をさがる気温が襲う。自然の力は、こんなにも巨大なのか。なぜ津波が多い海岸に原発を作ったのか。疑問も湧いた。
★9年前の、「日記」を読んでみた。「コナ、ゴナに、砕け、廃墟になった写真を見ると、原爆の丘を思い出した。亡くなった人たちの冥福を祈る。今夜の夕食は、被災者の苦労を思い、オカズを減らそう。ポーランドのコンラードさんから『同情します。安全を祈ります』とメールが入った」と書いてあった。
★津波の被害は恐ろしい。だが原爆の体験者として、原発事故による放射能の影響を心配した。2000年秋に、チェルノブイリ原発を見学した。事故から14年が経って、完全封鎖する3か月前だった。放射能のため、隣国ベラルーシでは多くの人が被爆し、放射能障害で苦しむ現状を聞いた。福島原発の事故では、テレビや新聞で、放射能の被災者が報道されていないが、健康は大丈夫なのだろうか。それが気になる。
★いまだ、仮設住宅で暮らしておられる人、苦しむ家族もおられる。原爆もそうだが、受けた災害や、広がる病気の災難の記憶は、風化させてはならない。世の中、いつ何どき、何が起こるやも知れない。自然の威力に、人間は勝てない。

2020年3月10日火曜日

雨の日もあれば、浮き沈みもある。苦しみに意味を与えて生きよう

ベランダに付いた雨のしずく。屋外は、雲っている。霧か、雨か。清らかな、つぶ。これでも、必死に、しがみついている。「自然は、美しいなァ」
★無呼吸なので、CPAP機器を夜間、使っている。「精製水」が必要だ。これを必ず、補給する。ところが、コロナウィルスのためか、薬局にないという。こんなところにも、コロナの影響が出ているのか。
★隣の修道院の修道士も、CPAP機器を使用している。彼は「聖母の騎士のルルドの水を入れているさ」と言う。確かに、ルルドの水は「純粋」だ。トマも、ルルドの水を使おうと納得している。それでも看護師さんには頼んだ。「薬局に、精製水が出たら、求めてください」。ベランダの水滴を見ながら、精製水をも考えるよ。
★静かに暮らすホームの生活。来週は、ステント入れ替えで、入院する。トマの小さな十字架だ。手術をしなければ、生きては行けない。厳しい現実もあるわけだ。いま、50m、30mは、歩けなくなった。一番、気にするのは、教会で、聖体拝領のとき、席から立って、祭壇まで歩いて、拝領して、また席に戻る。この動作が、怪しくなった。でも、自分では、何とか、この1年は頑張りたい、そう思っている。
★「苦しみに、意味を与える」。意味を与えるとは、どういうことか。例えば、少年が野球ボールを大切にする。誰が見ても、単なる「ボール」にしか過ぎないが、そのボールが、有名選手から貰ったボールとすれば、少年にとって、ボールは意味がある。
★「苦しみの中に、意味を与える」。それが信仰です。人は、普段、繰り返される日々の「生活」と、苦しみや生きる存在の底辺を考える「人生」と、苦しみに意味を与える「信仰」で生きております。

2020年3月9日月曜日

人生って、人から、人へ、パワーを、もらうこと、なんだ、行け

明るい顔の女子大学生。「長崎に居るから、原爆のこと、戦争のこと、知りたい」。いいね。ファイトが、あるぞ。
★今は、太平の世の中だ。戦争中は、大変だった。食料は、なし。物資は、なし。上から、バクダンは、落ちてくる。今度、原爆が落ちたら、助けに来る者は居ない。それどころか、すべての建物、生物、山野は、壊滅だ。原爆体験者は老いてきた。話を聞いて、真実を伝えて行く。エライな。
★女子大学生たちが、ホームに訪ねてきて、5か月が経った。大学生たちが、まとめた「証言集」が届いた。
★96歳のシスターの原爆体験、92歳の修道士の原爆体験、88歳の工場での被爆者の男性、91歳の看護師だった女性の被爆者の看護の体験、それに、永井隆博士の原爆の足跡、女子学徒隊の「燔祭のうた」、更に、ホームの瀧憲志神父さんが、子供の頃、体験した「喜界島の子供が見た光」。最後に、教皇フランシスコの、笑顔で、大きく手をあげる写真が出て、瀧神父が語る「教皇メッセージが示すもの」で終わっている。
★全部で、17ページ。上質の厚い紙を使っている。女子大学生たちが手掛けた大作といえよう。
★トマ修道士の場合を言えば、「奇麗ごとではない、現実がある、人生には。過去の落度を、くよくよ後悔するな。心にキズのない人間は、人の気持ちに、寄り添えぬ」