2016年10月31日月曜日

10月も終わり。ハイ、席かえです。こんな日もある

ホームの食堂です。何十人の男性・女性が、ここで一緒に食事をしているか、数えたことはない。わたしの席は、右側の、洗い場近くになります。席の、右となりが、入江さん。左の隣には、五島出身の女性が、2人。一緒に、祈りの声をあげて、十字を切って、食事をしている。
★前にも書いたが、数年前、ホームに入っていた先輩・修道士を見舞い、この食堂で彼を見たとき、「ああ、自分は、とても、ここでは、生活できないなァ」と雰囲気から感じていた。
★それが、そのまま我がジンセイになろうとは・・・。人の世の流れは、わからないものですね。幸い、覚悟もあり、2年も経てば、もう抵抗はなくなりました。仲良く、食事に溶け込んでおります。
★きょうで、10月は終わりです。職員さんが朝食のときに告げた。「きょう、昼食から、席かえをします」。みんなは、ザワザワ、なるわね。どこへ行こうか。でも、思いのままには、いきません。先ず、車椅子の人や、食事に手がかかる人の席が優先的に決められる。長年の智恵でしょう。「後は、ご自由に、思いの席に」
★入江さんが、「おまえと、オレは、いっしょだ」という。更に、入江さんが、キリエさんに、「あんたは、いっしょに、風呂にはいっているから、いっしょに、な」と念を押す。こんな、ところの、運び具合がオモシロイ。
★わたしは、ガラス戸・側の明るいところが、いいな。右手には、朝の牛乳を温めるレンジもある。便利です。そして、昼食になった。思い思いに、目当ての席に散ったわけです。
★結局、おさまってみれば、わたしの右となりは、入江さん、キリエさん。左側には、今まで通りの五島の女性2人が席に収まった。こんな、ホットした、一日でした。キリエさんは、前に居たときの席と一緒でした。
★それに午前中は、理髪屋さんが、親さん、夫妻さん、3人で来られて、20人近くのサンパツをしてくれた。気持ちも、すっきり、なったよ。

2016年10月30日日曜日

イエスが呼んでいるよ。何をすべきか、わかるのが信仰

長崎の聖母の騎士では、5月の最後の日曜日は、「ルルド祭り」、10月の最後の日曜日は、「ロザリオ祭り」が行なわれる。ホームからも、必ず、参加して、祈っています。
★きょうは、ロザリオ祭りでした。園長神父さま初め、10数人が参加しました。ミサの司式とお説教は、院長の赤尾神父さまでした。大きな声で、歌いながら祈り、「キリエ」も「グロリア」もラテン語で歌いました。
★お説教では、きょうのミサの福音、ルカの「ザアカイ」のところが語られました。ザアカイが、背が低かったので、イエスを見るのを、先まわりして、木に登っていた。「ザアカイよ、おりて来なさい」と、イエスから声をかけられる。イエスから名前を呼ばれた。イエスが呼んだ。気づかれないように木に登っていたのに、名前を呼ばれた・・・これが信仰ではないか、と心にビビっときた。イエスは「あなたの家に泊まる」と言っただけなのに、ザアカイは、「わたしは、これから、これを、します」と、方向性を理解した。呼ばれたら、自分が何をしなければ、ならぬか、わかる。それが信仰。
★そして、イエスは「神を愛しなさい。隣人を愛しなさい」と言ったが、隣人への愛のなかに、イエスを見つけなさい。人を愛する真意は、そこにある・・・と、お説教のなかで感じた次第でした。
★ミサの後、ロザリオを唱えつつ、ルルドへ登った。ホームの人たちは、足が弱く、登れる者は居なかった。園長神父さまが、登った。「ルルドのマリアさまは見たいが、もう足が進まない。申し訳ありません」。そう祈りつつ、お水だけ飲みました。
★昼食は、学園の食堂で、いなり寿司、五島うどんを食べました。210円でした。

2016年10月29日土曜日

長崎の千草さんの言葉。身に沁みて、そうなんだ

長崎の千草さんが来た。彼女が言った言葉です。
★小崎さんには、お母さんの存在をものすごく感じるのよ。お母さんが、将来、困らないように、ルルドに度々お参りして、熱心に祈った。自分は女性だから、修道院(男子)の中に入れないけど、この子は頼みます。原爆に遭って、お母さんは亡くなったけど、すぐに聖母の騎士に入った。
★コルベ神父さまには会わないけれど、コルベ神父の伝記を書くことによって、小崎さんの役目があったのです。
★病気も、いろいろ。カリエス、結核、腎臓一つでも、何十年も生き延びた。小崎さんには、助ける人がいた。いろんな人から助けられた。人は、一人では生きられないのよ。
★小崎さんが、腎臓に結石が溜(た)まって、全身麻酔で手術したとき、無意識のなかで、「コルベ、コルベ、コルベ」と叫んで、びっくりしたのよ。小崎さん、その時の体験を聖母の騎士誌に書いたでしょう。わたし、持っていますよ。(2012年6月号「みむねのままに春」だった)
★あの時、40度の熱が出て、大変な苦しみだった。からだを拭いて、背中を拭いてあげたとき、からだの傷跡を見て、幾つものキズに、びっくりした。しかしキズがあっても、背中に温かいものを感じたんです。
★からだが温かい。背中に、お母さんを感じました。この子を守ります。死んでも守ります。小崎さんにはお母さんが付いている、それを、すごく感じますよ。
★病気したことで、司祭への道を断られた。普通の人なら、途中でやめたかも知れない。わたしは小崎さんは司祭にならずに、良かったと思っている。修道士で、ポーランドにも10回も行って、(千草さんも巡礼団に入って参加した)、沢山の本や記事を書いて、コンベンツアル(と、彼女が言ったのには、ちょっと、びっくりした)の一員として、つづけて勤めているでしょう。
★お母さんが、縁を結んでくれた。見守っています。背負ったものがある。
★それで、わたしの願いなんだけれど、一週間に一度でも、いいから、聖コルベ館に、車椅子でもいいから勤めて、居ってくれたら、小崎さんに会いにくる人もいる。最期まで、聖母の騎士に居てほしい、それが願いです。出来ないでしょうか。
★千草さんは、これだけ長々と話して、赤い袋を渡して帰った。
★袋の中には、パックに入った歯磨きセット、3個と、キャラメル、2個、それに、小さなクマさんのぬいぐるみ(手と足が動く)が入っていた。「毎月、歯ブラシは変えてね」

2016年10月28日金曜日

一枚のハガキでも、心は癒される。通じる何かがある

廊下の窓から見える朝の太陽。ミサが終わったときの時間に、見事な太陽が登るのは、この時期です。これから太陽は右手に移動して、時間的にも陽の登るのは見えなくなる。
★「一日、今日も、戴きました。ありがたいです。生かされているのを感じます。それだけで、いいじゃ、ありませんか。この歳になって何を望むのですか」
★誰か、わからないが、一枚のハガキが届いた。「日記の記事に、コスモスのことが書いてありました。つい先日、購入したハガキに、コスモスの絵があったので、このお便りを書いてみたくなりました。お身体の面で、辛いことも、おありかと思いますが、様ざまな楽しい出来事が小崎さんを待っていてくれますように」。一読者、とあった。ひと言なのに、心が癒される。ハガキは、ウラも、オモテも、沢山のコスモスが揺れていた。
★先日、ホームに小学生たちが交流の慰問にきた。そのとき、子どもの一人が、「手品に使うので、この紙に、何でも、いいから、絵を描いてください」と頼んだ。わたしは、ちゅうちょなく、コスモスを2つ描いて、左手に、山を書いて、光る太陽を書いた。コスモスは、その太陽に向かって、枝をまげて、なびいている絵だった。先生が、「あら、まあ、じょうず」と感心していたよ。だが哀れ、手品だから、その絵は、クルクル丸められ、シワくちゃになった。「ヒカリに向かって、君たちも、かがやけ」と、字までかいたのに、あれは、ちょっと、心が痛んだな。

2016年10月27日木曜日

トマさんの日記で、西山神父さまの見舞いに来ました

午後からのロザリオが終わると、後ろの席に、大きなカラダの見知らぬ男性がいた。私に出会うと、「小崎さん、ですか?」「ハイ、そうです。あなたは・・・?」と連れ出し、隣の部屋で聞いた。
★昔から、小崎さんを知っているという。でも、お会いするのは初めてです。小崎さんの本も、何冊も読みました。1年ほど前、ブログ(日記)を見るようになり、日記で、西山神父さまが、こちらのホームに居られるのを知りました。
★西山神父さまは、私の恩人です。自分が高校生のとき、ローマへ旅行したが、ローマに居られた西山神父さまに大変お世話になり、それからも度々お世話になっています。兵庫県から、神父さまに面会に来ました、という。
★コルベ神父が聖人になった頃、高校生だったとき、洗礼を受けた。霊名は「コルベ」です。「それは、よかった」
★私の知らないところで、こうして日記を読んでくれて、わざわざ恩人の神父さまを見舞いに来てくれる、そういうこともあるんだなァと、今日の日の出会いを感謝した次第です。
★お仕事は、お茶の販売をされているそうで、台湾に、日本のお茶を売る店があり、台湾のお茶を日本へ持ってきて商売をしている。「台湾語で、聖コルベって、どう書きますか」「聖國柏、と書きます」「へェ、おもしろいですね」
★彼は、台湾のお茶、ウーロン茶を送りますからね、と約束して別れた。お茶の達人の「台湾ウーロン茶」を楽しみに、待っていますよ。

2016年10月26日水曜日

地元の小学生とホームで交流会。楽しい、ひと時

ホームの坂をくだった所に、小学校がある。小学生の1クラスが老人たちのお見舞いに来た。若い子どもたちの笑い声、仕草、出し物などに接すると、気持ちも和む。嬉しかったよ。
★楽しい一日だった。まず、小学生たちは舞台に並んで、秋の歌を唄った。その後、5、6組に分かれて、老人も交えて、ゲームや出し物で盛り上った。
★コマや、スゴロク、手作りのトランプ、手品など、小学生たちが考えて準備した遊びだった。
★わたしの組は、子どもが、7人ほどで、彼らが考えたのが、手品でした。字を書いた新聞紙を破って、丸めたら、字のない新聞紙に変わっていた。ヒモをハサミで切ったはずなのに、ヒモはつながったままだった。手作りのカードの1枚を覚えてもらい、カードを切りながら、その1枚を当てる手品もあった。お年寄りたちが不思議に思っていると、タネあかしも教えてくれた。
★紙袋に、ペットポトルを入れる。「ハイ」と声をかけると、入れたハズのペットポトルが消えていた。紙袋の下に穴をあけて、そこからペットポトルを抜き取って、自分のポケットへ隠してしまう、ヘンに思うのは当然だよね。
★最期に、お手紙をくれて、40分ほどでお別れとなった。でも地元の小学生が、こうして老人ホームにお見舞いに来てくれるのは、ありがたいと感謝しつつ、アイキョウの手を振ってわかれた。
★手紙には、「今日は、たのしかったです」「つぎ、くるとき、たのしみにしていてください」。写真の2人です。

2016年10月25日火曜日

コスモスの枝は、夕暮れの太陽に向かい、なびいていた

ホームに入居した頃の私です。いい顔、しているでしょう。それでも悩んでいたんだよ、この頃は・・・。背景には、きれいな、コスモスの花がイッパイに咲いていた。あれから、まる、2年が経過して、最近、天草から来た幸男さんからは、「おまえ、ずいぶんと、フケた、な」と言われました。顔がどう変わっているのでしょうか。
★2014年の8月中旬までは、長崎の聖コルベ館で何事もなく働いていました。そして、10月の下旬に、ホームに入った。その2ヶ月間に何があったのでしょうか。日記にも書いていません。「語れば、複雑です。気持ちも、自分でない気がします。声が出ません。体力が落ちたのは、ほんとうです」
★ホームに入ったあの頃、咲き乱れる「コスモス」の花々が印象的でした。沢山の、白や赤のコスモスの細い枝が、全体的に、いっせいに暮れゆく晩秋の太陽になびいているのです。太陽はゆっくりと大地に落ちて行く。そのヒカリに向かって、みんなが、横たわしになっている。ここには精一杯、生きる姿があった。あのヒカリになびく光景は、私に希望を与えた。今でも忘れない。
★「生きなさい」「生きるんだよ」「生きるとは、ありがたいことなんだよ」。そう、コスモスが叫んでいた。今も、その余韻が残っている。高まっている。

2016年10月24日月曜日

10月24日、入居の記念日。まる、2年が過ぎました

今日は、朝から、長崎のクリニックへ薬をもらいに出かけた。
★何かの手違いで、「1つの種類の薬が足りなくなった」と、ホームの看護師さんから告げられる。仕方なく出かける。
★ホームの朝食の前に出発する。朝食は、隣の修道院で、パンと牛乳・ミカンのお世話になった。いつものように高原修道士さんの運転で出発した。
★ホームの昼食までには帰る予定だったが、クリニックの診察時間が長すぎた。昼食は、帰りの途中で、おなじみのレストランへ寄って、テール・スープとハンバーグを食べた。
★高原修道士さんと向かい合って、食べたが、そのとき、私が言った。
★「高原さん、今日は、ね。私がホームに入居した日だよ。まる、2年になった」。高原さんは目を細めながら、「もう、そんなに、なるかね」「あの時、コスモスが咲いていて、ね。高原さんには本当にお世話になったよ」「早い、ですね」「今日は、薬のことで出かけて来たけど、高原さんと楽しい食事も出来て、記念日だから、これで良かった。うれしいよ。これからも、お世話、頼むね」
★レストランを出たとき、高原さんが撮ってくれた写真です。
★2014年10月24日、午後4時半頃、ホームに入りました。まる、2年というけれど、いろいろ有りました。生きることは苦しみもあるが、お恵みです。残念ながら今年のコスモスは枯れていて、全く咲いていない。

2016年10月23日日曜日

人生、その時々に、お世話になった人がホームにいる

いま、ホームには、4人の修道者がお世話になっている。①ヨハネ村山修道士さん、②トマ小崎修道士、③西山神父さま、④大曾神父さま、です。
★今朝、朝食のとき、山内園長神父さまが、私の耳元でささやいて、1通の手紙を渡した。「トマよ、これ、読んでみなさい。いいことが、書いてあるよ。他の人にも見せて・・・」。それが写真の手紙です。
★先ず自室で読んでみて感じたのは、「人の一生は、いろんな人のお世話になるが、この狭いホームに、次々と、一生につながった、めずらしい人がいるんだな」との実感でした。
★手紙の差出人は、長崎から遠く離れた、関東にお住まいの「久義さん」からです。
★久義さんは、終戦の翌年、6歳のとき、長崎の聖母の騎士の施設に入った。小学生のとき、「ソロバン」を教えてくれたのが、指導員のヨハネ村山修道士さんだった。数学が好きになり、今でも暗算が得意だそうです。
★中学2年のとき、施設から、聖母の騎士の小神学校(中・高)に入った。途中からの入学だから、ラテン語を教え、他の教科も教えてくれたのが、トマ小崎さんだった。入学してからも、励ましの手紙もくれた。今はブログを読み、励まされている。ホームの行事も知ることができる。
★小神学校(高校)を卒業して、修練に入ったが、誓願は立てないで、24歳まで頑張ったが、上長から世間に出るよう告げられ、命に従った。いま、77歳になる。結婚したとき、和歌山の結婚式に、お出でくださったのが西山神父さまでした。西山神父さまは、心の支えであり、誇りでもある。
★一男一女に恵まれる。息子は長崎・聖母の騎士学園に学んだ。校長神父さまが、大曾神父さまであった。ありがたく思っています。
★そして、いま私たち夫婦は、結婚50周年、金祝を迎えました。久義さんは記している。「神さま、マリアさまのお恵みですが、他に、このように多くの人たちのおかげでもあります。結婚記念日には当地の教会でごミサを捧げていただき、結婚・誓約の更新も致しました。ただ感謝あるのみです」
★手紙の最期に、山内園長神父さまへお願いが書いてあった。「小生がお世話になった方たちが、聖フランシスコ園で過ごしておられるので、喜びを分かち合いたく、感謝をこめて、『あるもの』を送らせていただきました。その方たちに、お渡し下さるよう、お願い致します」
★こうして思うとき、長い間を通して、久義さんの生涯にかかわった人たちが、ホームという狭い場所に居るなんて、「ふしぎだ、なァ」と、素直に感じた次第でした。何が届くか楽しみにしながら、久義さんご夫妻とご家族の幸せを祈ります。

2016年10月22日土曜日

聖人になったパパさまの日。アタマを撫でられた喜び

いつもの通り、朝、教会の席につくと、「毎日のミサ」の本を見る。今日は、「聖ヨハネ・パウロ2世教皇」の日になっていた。
★教皇さまは、ローマ・バチカンに居て、遠い存在だが、このヨハネ・パウロ2世教皇さまだけは、身近かな親しみのある、思い出もある、忘れられないパパさまです。
★教皇さまから、アタマを撫でられた、この写真は、私の生涯にとっても大切な一場面です。パパさまの手は、私のアタマに、私の手はパパさまの手に、本当に嬉しい恵みのひと時でした。
★ポーランドのパパさまの生家も、20数人の巡礼者たちを引率して、訪ねました。より親しみを感じます。
★何と言っても大きな印象は、パパさまが長崎まで、聖母の騎士まで平和巡礼でお出でになった1981年2月の思い出でしょう。
★潜伏キリシタンたちは、パパさまの舟がやってくる。希望をつないで信仰を守ってきた。それが舟も来たけれど、事実、パパさまが来られた。その感激は大きな慰めと平和の原動力となった。
★きょうは、一日、聖ヨハネ・パウロ2世教皇さまのことを考えつつ、過ごしました。

2016年10月21日金曜日

修道者たちの集り。祈り、報告、会食。チカラを、もらう

久しぶりに、長崎地区で宣教する修道会の会員(兄弟)たちが、顔を揃えた。「やっぱり、いいね。ここが、我が住み家」といった感じで、肩のチカラが抜けて、楽になり、昔の思い出がよみがえる。気安く話せる仲間たちです。
★長崎地区では、4箇所で働いている。16人が集った。2ヶ月に1度、集会があります。教会の祈り、近況報告、そして会食になる。司祭が、9人。修道士が、6人。学生が、1人。うどん屋の今井君は、修学旅行生の応対で、参加できなかった。彼の明るい顔は見られない。残念だった。しかし頑張っている。
★聖コルベが創立した長崎の聖母の騎士修道院は、修道会でも、精神的な場所といえます。聖人になったコルベ神父や、ゆかりの場所を大切にする気持ちは、誰もが認めるところです。
★聖コルベが開いた「ルルド」は、急な坂がつづき、お年寄りの参詣はご苦労さまです。そこで、「ルルドのお水」を、修道院まで引いて、車が止まる場所の屋外で汲む事ができます、と報告があった。便利になりました。熊本からお水を汲みに来ていたが、熊本地震では、そのお水が飲めて幸いでした、との話も出た。
★皆さん、懸命に任務を果たしておられるが、16人のうち、80歳以上が、6人も居りました。兄弟たちも高齢化しています。
★ホームに入って、2年になる。修道者から離れて暮らすのは寂しいが、こうして皆さんと一時でも一緒になると、チカラが湧いてくるのを覚えます。いつも参加するように努めています。

2016年10月20日木曜日

映画「大いなる沈黙・修道院」。DVDで、それを見たい

最近、歳を取ったせいか、「ヒトの一生は、一回切りだ。命を大切にし、自分らしく生きよう」と、時々考える。
★そんな時、新聞の広告で、一冊の本が目にとまった。フランスの南東部、標高1.000m近い山中に、ラ・グランド・シャルトルーズ修道院があり、30人近い男性修道士たちが、外部との交渉を絶ち、固く門を閉ざして、900年前の創立当時とほぼ同じ厳しい修道生活を送っているという。
★広告を見た私は、7月31日の日記で、「ああ、読みたいね」と書いた。すると早速、8月8日に、東京の「元日のエリザベット」さんが、本を送ってくれた。この本を、ゆっくり味わいながら読み終わったところです。
★個室のなかで、一日、沈黙と、祈りと、手作業に従事する修道士に比べて、なんと自分の修道士の生活は、ナマ半端なものか、心の痛む読書でした。老修道士の言葉が身にしみた。「神は過去をお与えにならず、現在のみをお与えになる。神はわれわれの幸福のみを願われるので、身に起こる災いを憂慮する必要などない」。明日への不安や、過去への執着を捨てて、いまを生きぬくという意味でしょうか、と本にはあった。
★900年間、全く閉ざされた修道院内部を、ドイツ人の映画監督が、構想から20年を費やして、2005年、ドキュメント映画「大いなる沈黙へ=グランド・シャルトルーズ修道院」が公開された。日本でも上映されたらしいが、見ていない。数多数の映画賞も受賞し、DVDにもなった、と記されている。ぜひ、見たいと思った。
★昨夜、携帯で、元日のエリザベットさんに連絡すると、すぐさまネットで調べてもらった末、12月26日に、日本でも発売になることが分かった。楽しみにしています。このDVDを見れば、私の心境はどうなることか。もっと衝撃を受けるに違いない。「たった一度の人生、そこまで徹底できるか」
★10人の志願者が来て、残るのは、1人だという。本当に幸せを体感する者が、神の領域に入れるのだろう。自分には、黙する他にはない。
★今日、早めに日記を書いたのは、午後から夜にかけて、修道会の集まりがあり、参加する予定です。

2016年10月19日水曜日

朝からの太陽。きょうも、いい日になりますように

毎日の日課は同じです。朝、5時に起きる。身なりを整えて、修道服を着て、湯をコップ2杯飲み、自室を出るのが、5時20分です。静かで、暗いホームの廊下を歩いて、約100歩、屋外に出ると、そこが湯江教会の玄関です。
★もう、5、6人の姿がある。車椅子の男性も来ている。4時前から、起きるそうです。祭壇に近い、2列目に座る。私の前、1列目は入江さんです。
★5時40分から、共同で、教会の祈りの「朝の祈り」を唱える。詩篇は、左列、右列と、交互に唱えます。司祭が、4人。修道士が、3人。後ろに信徒たちが控えている。
★アンゼラスの鐘を高原修道士が鳴らして、お告げの祈り。すると今度は、町内の音楽が6時にスピーカーで鳴り出す。ミサが始まります。今日、一日の開始です。ミサ後、信徒たちは散在する。また、100歩、2階の廊下を歩くと、ちょうど今、太陽が上がる時間となる。陽(ひ)の出です。部屋が変わったので、太陽の出方も変わりました。
★昨日は、思いがけなく、天草の幸男さん夫妻が来られた。重たい天草のジュースを沢山、おみやげに持ってきた。「きっと、昨夜は、オバマ温泉の富士屋さんに泊まったに違いない」。そんな予感がした。携帯をかけると、「やっぱり、そうだった」「富士屋さんに夜、8時頃、着いた。泊まりました。女将(おかみ)さんが、聞いていましたよ。元気にしていたと伝えました」
★今日は、午後からホーム行事の「ショッピング」があった。10ほどが出かけた。買い物を楽しみにしている。

2016年10月18日火曜日

天草から旧友が来る。昔の話ばなしで、盛り上った

日記を書く時間が、夕食後になってしまった。午後から、故・入居者の葬儀があり、その後、熊本県の天草から、幸男さん夫妻(写真・右側の2人)が珍しく訪問にやってきた。
★幸男さんは、昔の聖母の騎士の大神学生です。以前の話だが、終戦を挟んで、5年間ほど勤めた。修道服も着ました。
★懐かしく、まず私の自室に見えて、談笑した。昔の彼の姿も覚えているし、ホームに入居する前は、毎月、オバマ温泉(富士屋さん)へ保養へ行っていた。そのとき、よく天草まで軽で走って、幸男さん夫妻を訪ね、親交を重ねたものです。
★私の部屋の後、西山神父さまを知っている、大曾神父さまも知っている、それで夫妻を連れて、神父さま方を訪問した。お互いに、非常に喜んでいた。それから最期に訪ねたのが、入江さん(写真・左)です。
★幸男さんは、入江さんを覚えているのに、入江さんは彼を覚えていない。戦争中、聖母の騎士に居た2人は、入江さんは満州に従軍し、幸雄さんは特攻兵士となり、それぞれ別れていた。終戦になって2人とも聖母の騎士に戻ったが、2、3年で、2人とも退会した。
★幸男さんの語りで、面白いことがあった。特攻兵士で長崎県の松島に居たとき、上官が「誰か、伝馬船を漕ぐ者はおらんか」と言った。「ハイ」と手を上げた2人がいた。幸男さんと、長崎・神の島出身の兵士だった。「よし、お前たちは、毎日、魚を釣って、食料を提供せよ」。訓練は、せずに自分たちは魚ばかり釣っていた。後で知ったのだが、神の島の者はカトリック信者だった。マル・ヨン艇といって、ベニヤ板で作った人間爆弾だったが、出撃前に終戦となった。イノチ拾いしたわけだ。
★それを聞いて、入江さんも負けてはいない。「いま、天草に、こんな大きなタイ釣りに出かけているよ」と手を広げてみせた。
★今日は、教会では、聖ルカ福音記者の祝日をお祝いして、教会の祈りや、ミサで祈った。修道服を着ると、洗礼名の他に、修道名を新しく付けてもらう。幸男さんの修道名は「ルカ」であった。聖ルカの祝日に、元・ルカが来るなんて・・・。私は、心中、ふしぎやなァ、と思います。日々の生活のなかで、こういう「つじつま」の合う事実があるのが、私は好きなんです。ちなみに、入江さんの修道名は「マキシミリアン」でした。
★お互いに、長生きしよう、ボケないように、がんばろう、と握手して別れた。

2016年10月17日月曜日

「はな」ちゃん、こんなに、まる、まる、なりました

「はな・ちゃん、こんにちわ。おおきく、なったね。まる、まる、だ」
★育児休暇でお休みしている職員さんが、長女の「はな」ちゃんを連れて来た。「はな」ちゃんは、本当の名前だよ。
★昨年の5月、湯江教会で、結婚式を挙げた。詳しくは聞いていないが、職員さんは北海道出身だそうだ。いつか、ゆっくり、身の上ばなしも聞きたい気持ちもある。これまでも時々、はなちゃんの写真を載せてきました。「トマさん、ブログ、見ているよ」。だから切れないご縁ができている。お世話にもなっているし、ね。
★左の隣は、ホームの栄養師さんです。はなちゃんを、かわいがってくれている。「いっしょに、写真を撮ろう」と、こう、なった。
★生まれたのは、今年の3月2日。節句の前の日だったそうです。もう、7ヶ月になる。まだ「ハイ、ハイ」の動き。「マンマ、マンマ」が言葉。お乳を飲んでいる。離乳食も、食べ始めた。足なんか、ほんと、まる、まる、だよ。「はな」ちゃんは、覚えやすい名前だよ。
★きょうは、ホームでは、亡くなったお年寄りのお通夜があった。7年、ホームで生活した男性です。この休暇・職員さんにも、「知らせがあったので、お祈りに来ました」。男性の介護もしているから、深いつながりがある。
★かわいいんだな。お祈りの後で、撮ったスナップです。成長を楽しみにしています。はなちゃん、ゲンキで、おおきく、なァーれ。

2016年10月16日日曜日

呼び方、いろいろ。2年も経つと、過去の人物になる

夏の生け花は枯れやすい。やっと、夏も去って、朝夕は肌寒く感じる季節になった。日曜日。久しぶりに、湯江教会の祭壇に、生け花が飾られるようになった。うれしいことです。朝、ミサ。午後、ロザリオと、日に2回はお世話になって、祈っている場所です。
★生け花を飾ってくださる女性は、ボランティアで、83歳。もう、ご高齢です。それでも忠実に活けてくださる。ありがたいことです。
★ロザリオの後、皆さんは自室に散在するが、5、6人は、1階のエレベーターへ向かいます。2階に自室があるからね。私は、ポットに飲み湯を入れるので、少し遅れ気味になる。
★「おい、おい、待て、待て、乗るからな」。私が中に入ると、笑いが起こる。「お兄ちゃんを乗せなかったら、アカンよ」。そう言ってくれる女性が居た。「そうか、ありがたいな」。お年寄りたちは、慰めあって暮らしている。
★「お兄ちゃん」と呼ばれたり、「おんちゃん」と呼ばれたり、「修道士さん」とか、「トマさん」とか、呼んでくれる人はいないね。私は、そっちの方が好きなんだが・・・。神父さまは、ちゃんと「神父さま」と呼ばれている。それは当然のことです。
★ああ、入居(イントン)して、2年も経つと、「小崎登明」も忘れがちか。手紙も、電話も、宅急便も、殆ど、来ない。安らかな、波の立たない気持ちで、生活しております。語り部だった頃は、もう遠い。

2016年10月15日土曜日

お世話になって、生きております。遠い思い出もある

自分の知っているところでも、自分の知らないところでも、いろんな人にお世話になっている。それを忘れては、いけない。あるのは、感謝です。
★朝から、職員さんが来て、2枚の敷きフトンをベランダに干して、部屋の掃除をしてくれた。敷布は、夏物、冬物、それにバスタオル、タオルなど洗濯の職員さんにお願いした。洗濯室には、大きなクリーニングの機械が回っている。早ャーィ、昼食前には、仕上げて持ってきてくれた。毎朝の着替えも、昼には届けてくださる。ありがたいです。
★「して、もらうこと」「奉仕して、もらうこと」「受けること」ばかり、甘えて、受身でいいのだろうか。「与えること」が生活から無くなったように思う。反省する。寂しいが、どうしようもない。
★当方としては、動ける間は、動く心構えが大切でしょう。足腰が痛くなると、歩くのが、おっくうになる。
★朝のミサは、スペインのアビラの聖女テレジアの記念日でした。『大(だい)テレジア』と呼ばれている。いつであったか、アビラの聖女テレジアの修道院に巡礼したことがあった。修道院の塀と、なだらかな丘と、小さな馬が歩いていた風景がアタマのなかに残っている。遠い昔の思い出です。

2016年10月14日金曜日

一日は何事もなく夕方を迎える。今朝から寒くなった

夕食後に、パソコンに向かう時間が取れた。一日、ゆうゆう過ごしているのに、なぜ、こんなに遅くなるのだろう。
★今日の特記は、月、1回の「書道」だった。右の女性が、先生です。私の字は、我流だから、さして上手ではない。それでも筆字を書くのは好きです。
★先生が声をかけてくれる。「町内の会館で、文化祭があって、いろんな作品を展示するので、書道の部で、出してみませんか」「少し、書いてみましょうか」。『千客万来』『寂然不動』。どうでしょうか。
★朝食が終わって、入浴した。最近は、介護を必要とする男性が多くなっているので、その日は入れない。職員さんも大変です。金曜日は、朝食後は、すぐに入れるのです。日曜日も、そうです。入浴は、いつも入江さんと、キリエさんと、3人です。
★午前中は、入浴と、書道で過ごし、昼食後はベッドに横になる。1時間ほどで起きて、何や、かや、しておれば、もうロザリオの時間です。祈るのは好きですね。心が何となく落ち着いてくる。すべてを神さまに委ねます。
★ロザリオが終わって、ポットに飲む湯を入れて、自室に憩うと、明子さんが来た。話ばなしで、夕食の時間になったのです。
★時間が経つのが、早いね。もう金曜日だよ。1週間が経つのも、早かね。

2016年10月13日木曜日

昨夜、上五島のお母さんから電話あり。30分も話した

去る日、10月7日に、竹内昭彦神父さまが、自室を訪ねてくれた。嬉しかったよ。すぐ、上五島・浜串に居るお母さんのことが思い出された。よーく知っている。電話をかけようと思ったが、電話も、携帯の番号も知り得ない。
★4年前、長崎に居たとき、初めて腎臓からの尿管が、異物で詰まって入院したとき、お母さんが見舞いに来てくれた。「ジンセイって、苦しみの連続だね」というと、お母さんは即座に答えた。「苦しみ無くして、ジンセイなし」。当時の日記に書いてある。
★日記には、更に、お母さんの次の言葉があった。「一番、感動するのは、十字架上の盗賊が、『主よ、御国にお出でになるときは、思い出してください』。それに対して、主が、『今日、我と共に楽園にあらん』。この言葉が最高ですよ。これで私たちは救われるんです」
★以前、竹内神父さんのお母さんを取材して、記事を書いたことがある。新・管区長に選出されたことで、自著・文庫本の「信仰の旅路」を取り出して、その記事を、もう1度、読み返してみた。そこには壮絶な苦しみ連続の、お母さんの生涯が綴られていた。
★すると昨夜です、お母さんから私に電話が入った。びっくりしたよ。早速、出たのが、やっぱり、あの盗賊の話だった。苦しみ連続のお母さんの人生。漁船に乗っていたご主人が、満40歳を迎えた翌日、くも膜下出血で倒れ、長年の苦難の日々がつづく。時にお母さんは35歳。7人の子どもが居て、上は中学2年生。下は生まれて4ヶ月の女の子だった。
★昭彦は、小学4年生。少年は、教会へ行き、「なんでボクのトウちゃんを病気にしたとですか」。それを知って、母の胸は痛んだ。母は言った。「実は、あなたも生後2ヶ月のとき、急性肺炎で1週間、意識不明になったのよ。父ちゃんが働いたお金で、あっち、こっちの病院を駆けずり回り、やっと元気になって、小学校に入学できたのよ」
★すると昭彦が答えた。「ボクは赤ちゃんのとき、1度死んだんだね。それなら神父さまに、ならんば、いかんバイね」
★静かなホームの夜に、大きな声で、電話は、30分もつづいた。「歳は幾つになったとね」「28、よ。ハ、ハ、ハ、ハ、ハ。82」「ご主人が亡くなって、何年?」「17年になるよ」。お母さんは言った。「大黒柱は1本じゃ、立たんとよ。柱や、小さな木や竹に支えられて・・・・祈るだけ、です」

2016年10月12日水曜日

50年経ったら、100年経ったら、この世はどう変わる?

これも勉強です。近所の小学校、低学年の児童たちが、ホームの見学に来た。施設の女性たちも珍しく、食堂前の長イスに、10人ほどが座って、子どもたちが通り過ぎるのを眺めていた。この日は交流でなかったから、子どもたちと話を交わすことはなかった。
★私も、イスの仲間に座っていた。想像だけが、アタマを駆け巡る。小学校低学年だから、7歳か、8歳であろう。老人ホームという理解はあるのだろうか。子どもたちの家族に、お年寄りは居るだろう。その人たちと、ホームはどう結びつくのか。
★子どもたちは、ホーム内を一巡して、食堂で、職員さんの話を聞いた。7歳、8歳の時代は我々にも、あった。この子たちが、あと80年生きて、私の年になる。80年だよ。なぜか、遠ォーィ、全く違った世の中になっているのを感じた。新幹線が長崎まで来るような時代を飛び越えているだろう。
★しかし、世の中は科学的に、社会的に全く変わったとしても、愛や、思いやり、優しさ、悪いことは悪い、憎しみが争いを引き起こす、それらは不変で、今と人間は変わらないであろう、と思った。
★今、「教会の祈り」の「読書」で、旧約聖書の「シラ書」を読んでいる。紀元前、何百年前に書かれたのに、人間は如何に生きるべきか、感動するほどリッパに書いている。人間の本心は、いつの世にも変わりは無い。それをシンから学ぶべきことが大切であろう。
★「良心にやましいことのない人、希望を失うことのない人は、幸いだ」(シラ書14・2)

2016年10月11日火曜日

老いの花を、この場所で、咲かせよう。小さくても

「置かれた、場所で、咲きなさい」。そんな言葉を、どこかで、何回も耳にしてきた。その意味は、自分の「今」に満足して、自分なりに、一生懸命、自分の花を咲かせなさい。小さな花であっても、いい。人の目に止まらなくても、いい。そーっと、「置かれた」場所で、目イッパイ、咲かせておれば、必ず見てくださる御方がいる、ということだろう。
★歳をとると、カラダも、アタマも弱り、機転が利かなくなり、衰えてくるのは確かです。「あの人は、歳をとってもリッパです。90何歳なのに、背筋はピシャットしているし、何でも、こなしている」と鼻先で自慢されることがあるが、イヤですね。足跡や、事情は比べられない。
★「そのヒトは、その人」「このヒトは、この人」。能力が違っても、皆さん、懸命に生きておられる。ホームで各人の生活を見ていると、はっきり、そのことが言える。
★この歳になって、老いてきて、残り少なく、振り返れば、これまでの長がーィ、ジンセイで、「神さまの愛を体験したこと、あります」「イエスさまに出会ったこと、あります」「ニンゲンの弱さも、愚かさも、身に沁みて分かります」「苦しみがあっても、神さまの愛に変えることが出来ました」。そう言えるのが、本当でしょう。老いて、もう時間はないのです。しかし、人間は、幾つになっても、悟りは開けず、確信できないのが本音です。
★「忍耐」「気力」「信仰」。この3つ。老いても、完全じゃ、ないが、それは、それで受け入れて、信頼を於いて、置かれた、この場所で、小さく、目立たないように、自分の花を咲かせよう。今日も、一日、無事に過ごす事が出来ました。カンシャします。神さまに、周りの人に、そして職員の皆さんに。

2016年10月10日月曜日

人生の最終章か。でも、明るさと、生きる喜びがある

食堂から見える、道路の向かい側にある花壇に咲いている「黄色い花の群れ」です。敬老の日も終わりました。運動会もおわりました。そんな声も聞こえてきます。秋風になびいている花たちです。
★三連休の「体育の日」でしたが、ホームは静かな一日でした。ロザリオが終わって、女性たちが、廊下のソファに並んで、笑いの中に何やら語っている。「お酒、飲むなのご意見なれど・・・」なんて、歌も聞こえる。聞かないことにしております。
★午前中に、「コーラス」というのがあって、10数人が集って、軽体操や、タオルを使って、歌を唄いながら、カラダを動かします。体のためになるので、参加しています。だが、男性は、3人だけでした。
★老人ホームは人生の最終章です。でも、そこには明るさと、生きる喜びがある。それを見つめたい。

2016年10月9日日曜日

3人はゲンキです。お世話になって、お恵みイッパイ

昨日の運動会の写真ですが、左は、大曾神父さま。右は、入江さん。一緒の「青組」でした。いつも一緒に居る感じです。
★今日は、日曜日ですが、ミサのとき、「神の恵み(救い)とは何だろう?」という言葉があった。日々、知らないところで、神のお恵みは働いているのだろう。忘れてはいけないのは、感謝です。そんな思いで祈りました。
★ホームで暮らせるのも、神の導きでしょう。老いは感じます。でも孤独ではない。周りには沢山の人がいる。
★午後から、「ビデオの日」で、聖フランシスコの「ブラザー・サン、シスター・ムーン」が上映された。フランシスコが、サン・ダミアーノの古びた小聖堂を修理している場面があったが、雪が降っていた。イタリアのアシジには雪が降るんだろうか、そんな思いがした。
★古びた衣服のフランシスコが数人の仲間と、ローマへ赴き、教皇さまの御前に進み出て、会則の認可を願う荘厳な場面があったが、一度は追い出されたフランシスコを呼び戻し、教皇さまが出会って、フランシスコの足に接吻した。おどろきました。そして今の教皇さまの御名は「フランシスコ」であるのを、不思議に思い、見ていました。
★大曾神父さまも、入江さんも、真ん中の者も、フランシスコに関係がある、これも神さまのお恵みです。

2016年10月8日土曜日

秋の大運動会。楽しく、笑いと、ハクシュで盛り上った

園内の大運動会が行なわれた。第49回を数える。それだけの歴史があるんですね。昨年は、同じ時期に、広い庭で、実施した。緑のお揃いの服も着た。
★今年は、改築工事もあって、食堂に皆さんが集まって、1時間半ほどの間、盛り上って楽しんだ。今年は緑の運動着は着なかった。
★正式に、「君が代」を歌い、国旗掲揚。工夫をこらした聖火入場。入居者代表の選手宣誓もちゃんとあった。
★ホーム全体の人が、赤・ハチ巻、青・ハチ巻、黄色のハチ巻に分かれる。表に張り出された組み分けを見ると、入居者は、67人。職員さんは、41人がいた。みんな一緒だよ。
★職員さんと、入居者が一体となって過ごした時間は、本当に和やかで、笑ったり、失敗したり、ハクシュ、応援で、全体が揺れていた。パン取り競争では、パンをちぎる者もいたり、職員さんのパン食いは、パンの横棒を激しく動かして困らせたり、こんな日は楽しいです。
★最期は、「みんな、長生き、しようぜ」と、バンザイ、三唱と、お祈り「アヴェ・マリア」で終わった。昼食は、豪華なお弁当だった。参加賞のおみやげもあった。
★参加する私たちは楽だが、準備する職員さんたちのご苦労は大変な仕事になります。それでも企画・準備してくださって、ありがとう。

2016年10月7日金曜日

新・管区長・竹内神父さまが自室を訪問。期待大なり

午後からベッドで横になっていると、突然、竹内昭彦神父さまが自室に来られた。
★今年の夏は、修道会の日本管区で、新しい管区長の選挙が行なわれた。会員は、60人近く居るが、その中で、竹内神父さまが選出された。会員の訪問に来られたのです。10月中旬に、管区会議が行なわれて、正式に認められる。
★10月22日が誕生日だそうです。もう、すぐじゃないですか。昭和34年・1959年生まれ、この日、57歳になる。若い新・管区長さまに、神の御国の発展に期待します。
★出身は、新上五島町の浜串です。「浜串、知っていますよ。お母さんも知っていますよ」。2人で写真を撮りました。カメラのシャッターを押したのは、高原修道士さんだが、彼も言った。「私も、同じ、57歳ですよ」

2016年10月6日木曜日

長崎へ。毎月の診療・クリニックへ。気分は明るい

写真は、長崎の聖母の騎士です。右手に小さく青い屋根、赤い壁が見えるのが、聖コルベ館です。懐かしい風景です。
★長崎へ日帰りで出かけました。朝、ホームを出るときは、高原修道士さんの運転で、私の他に、山内園長神父さま、谷村神父さまが一緒でした。長崎へ着くまで、山内園長神父さまと後部席で語り合いました。普通、ホームでは、なかなか話す機会がない。
★4人が修道者で、一緒に居ると、その場の雰囲気がフラテル(兄弟)になり、気持ちが違うのを感じました。生きている意味もよく分かる。自室に一人で居ると、迷いが起こる。
★「トマのおかげで、少しはホームのためになった」と園長神父さまが言ってくれたのは嬉しかった。
★長崎へ入ったら、3人は別行動になった。私は、毎月、診療に出かけているクリニックへ行く。心電図をとってもらった。先生は、「歩きなさい」と言うが、それが難しい。
★聖母の騎士に寄って、写したのが、この写真です。聖コルベ館には、二学期になって修学旅行生たちが来ている。「語り部をしたいな。若者たちに平和を語りたい」。気持ちは湧いてくるが、現実には、これも難しいようです。残念です。

2016年10月5日水曜日

見守って下さい。日記を書くのは推進力になります

折角、来て下さったのに、ゆっくりお話が出来なかったのは残念です。長崎の幸成さん、照美さんご夫妻です。丁度、ホームの行事が重なって、自室で、立ち話でお別れしました。
★ご夫妻は、毎日、日記を読んでくださって、その日記の内容を別の人に伝えているそうです。熱心に読んでくださるのは、ありがたいことです。感謝します。私が長崎に居た頃から、お世話になりました。遠い所を、出かけて下さって、ありがとう。
★ホームの生活は、毎日、平穏で、変わらないのですが、それでも日記を書くことは、自分の1つの課題になります。読んで下さる人もいる。入院した9月21日、水曜日には、210人の方が見てくださった。心配してくださった。だから私の推進力にもなります。
★何事も起こらなくても、「あの修道士は、どうなったか」と温かく見守ってください。神さまの御導きを祈ります。

2016年10月4日火曜日

アシジの聖フランシスコの祭日。ホームのお祝いです

アシジの聖フランシスコの祭日です。12世紀、イタリアの聖人です。日本でも親しまれている聖人です。
★私たちの、コンベンツアル聖フランシスコ修道会、創立者の大きなお祝い日です。また聖フランシスコは、湯江教会の保護の聖人でもある。そしてホームの、聖フランシスコ園の名前の聖人でもある。幾つも由来が重なっています。写真は湯江教会に飾られた聖フランシスコです。
★ホームでは、「礼拝の日」になっていて、皆さんが教会に集って祈りました。園長神父さまがミサを捧げて、お話で、「聖フランシスコは、清貧と謙遜において、イエスの如く生きた聖人で、全世界の人に愛されています。いまの教皇さまのお名前も、フランシスコを選ばれました。聖フランシスコへの取次ぎを祈りましょう」と示されました。
★何年か前の丁度、この日に、イタリアのアシジの聖フランシスコ修道院でお祝いを迎えたことがあります。それは沢山の人が集りました。祈り、歌い、喜び、あの日の感動は忘れません。
★ミサの後で、常日ごろ、助け合っている入江さんが、ピシャットした服装を着ておられたので、教会を出た所で、写真を撮りました。
★入江さんは、91歳でもお元気で、今週、サカナ釣りに行くのを楽しみにしておられます。「大きな、タイを、釣って、くるからな」。ホームに居ても、余生の人生を楽しんでおられる。
★神の子、イエスの如くに生きたのが聖フランシスコであった。そして聖フランシスコの如くに生きたのが聖コルベでした。もちろん目標はイエスです。聖コルベの生き方も、清貧、謙遜、特に従順を重んじた現代の聖人でした。コルベ神父や、ゼノ修道士、カシアノ修道士に少しでも倣いたいと、不肖、わたしも修道服を着ているわけです。服だけでは、ダメですね。

2016年10月3日月曜日

きょうは、2つのミサで祈った。いろいろと、考える

きのう、101歳で亡くなった女性のことを書いたが、きょうは葬儀・告別式があった。
★これまで私が入居してからも、どれほどの入居者を神の国へ見送ったことだろう。だが、お通夜や葬儀の写真は、ほとんど載せたことがなかった。101歳、フィロメナさんの葬儀は撮りました。
★こんなに長くイノチをいただいた。ほんとうに神さまのお恵みに違いない。園長神父さまは言った。「亡くなる朝、行ってみると、目をパッチリあけていた。朝食が終わって、行ってみると、同じく目をパッチリとあけていた」。それから安らかに生涯を終わったのであろう。
★さすがに、老人ホームは、老人ばかりです。「でも、101歳までは、生き得ないわね」。そんな感想が聞こえていた。人生は、1回きりしか、ない。与えられたイノチを大切に生きよう。これは大事なことです。
★今朝、6時のミサでは、「善きサマリア人」の箇所が読まれた。ルカの10章です。強盗に襲われ、傷ついた人の話です。33節、「その人を見て、憐れに思い、近寄って・・・」の所で、脳裏に「サーッ」と閃いた。
★17歳、原爆の日、女子中学生を助けて、担架(たんか)に乗せて運ぶ途中で、また飛行機が飛んできたので、担架をほったらかしにして逃げた。その後、女子中学生は、どうなったか。
★10年が経過して、彼女に再会した。リッパな娘さんに成長し、役所で働いていた。「どうして助かったのか」と聞くと、「中々、助けてもらえなかったが、最期に1人のお爺さんが通って、『その人を見て、憐れに思い、近寄って・・・』、彼女を背負って、救援列車が来る線路まで運んでくれた。それで助かった、と言う。
★この実体験は、私の生涯にとって、常に、常に「善きサマリア人」につながって、離れない。

2016年10月2日日曜日

平凡な毎日だが、小さなドラマがある。あれも、これも

ホームの生活は、毎日、同じような平穏さで、変わらない。しかし夕方になってみると、きょうも、いろいろな事が起きる。小さなドラマもある。
★日曜日だから、朝、6時のミサから始まった。司祭はお説教で、「10月はロザリオの月だから、ロザリオを唱えるように」勧めた後で、1つの問いかけが心に残った。それは、「信者とは、何か?」であった。司祭が、どのように解説したか、答えの言葉を、いまは覚えていない。
★9時に、もう1つ、教会信徒のためのミサがある。そのミサの後で、高原修道士さんが、通称「クペさん」と呼んでいる車椅子の修道士さんを自室に連れて来た。修道士名が「クペルチノ」なので、そこから「クペさん」である。「トマさんと歳を比べて、3つ下になる」と彼は言った。近くの別のグループ・ホームで暮らしている。ミサのため、ホームに連れて来た。写真が、それです。
★101歳の信者の女性が天寿を全うして亡くなった。「フィロメナ」という霊名だった。午後から、小聖堂で、遺体を安置して、皆さんが集まって、ロザリオを唱えて、お通夜の儀式を行なった。
★園長神父さまの司式で、「人は、神さまから出て、神さまはお父さんです。愛の御方です。その神さまの元へ帰っていく」と言った言葉に、「信者とは何か?」。我々は神さまの愛によって、永遠の生命につながっている、それを信じることが、信者ではないか、そう思った次第です。
★いま、ホームは改装工事を行なっているので、この夏、一時期、私の部屋の隣の空き部屋に、101歳の女性がしばらく生活していたことがあった。職員さんが毎食、寝台の車に乗せて、食堂へ連れて行っていた。それで、よくお顔を見ていた。
★いま終わったお通夜で、お棺のなかの女性を見たとき、心から、「信者で、よかったね」とお別れを告げた。18年間、ホームで生活された女性だった。

2016年10月1日土曜日

10月は誕生会から始まった。ドンドン、パッパの踊り

早いものですね。今日から、10月です。しかも最初の日の、土曜日です。毎月、初・土曜日には昼食どきに、誕生会があります。10月生まれの入居者6人が、誕生会をお祝いしました。
★先ず園長神父さまの言葉が、最初にあった。「教会では、聖女テレジアを祝っている。テレジアには、『大(だい)』と呼ばれる聖女と、『小さい』と呼ばれる聖女が居て、今日のお祝いは『小さきテレジア』です。信者の入居者には、この霊名を頂いている方もいるでしょう。この日に誕生会を祝うのは喜びです」と紹介があった。
★誕生会に、楽しみにしているのが、職員さんたちの出し物です。「今日のは、何ですか?」「へ、へ、へ・・・」と笑いが返ってきた。ごらんの方々が、舞台で、「ドンドン、パッパ、ドン、パッパ」を音楽に合わせて踊りました。舞台で、軽快に、踊ると、心もワクワクしてきて、皆さんは喜びました。
★食事は、見事なタイの塩焼きがあったので、写真に撮った。赤飯、お刺身、秋の煮物、彩マリネ、和菓子、ジュースなど。
★誕生会を重ねる毎に、入居者は歳をとっていくのですね。その証拠が、食事の後で、自慢の歌が出るが、ずい分と、音程が下がってきているのです。「長崎の鐘」は必ず歌われる。
★そういえば、最近の、自分の行動にも、つくづく足に老いを感じています。忍耐、気力、信仰、忘れない。