2016年10月13日木曜日

昨夜、上五島のお母さんから電話あり。30分も話した

去る日、10月7日に、竹内昭彦神父さまが、自室を訪ねてくれた。嬉しかったよ。すぐ、上五島・浜串に居るお母さんのことが思い出された。よーく知っている。電話をかけようと思ったが、電話も、携帯の番号も知り得ない。
★4年前、長崎に居たとき、初めて腎臓からの尿管が、異物で詰まって入院したとき、お母さんが見舞いに来てくれた。「ジンセイって、苦しみの連続だね」というと、お母さんは即座に答えた。「苦しみ無くして、ジンセイなし」。当時の日記に書いてある。
★日記には、更に、お母さんの次の言葉があった。「一番、感動するのは、十字架上の盗賊が、『主よ、御国にお出でになるときは、思い出してください』。それに対して、主が、『今日、我と共に楽園にあらん』。この言葉が最高ですよ。これで私たちは救われるんです」
★以前、竹内神父さんのお母さんを取材して、記事を書いたことがある。新・管区長に選出されたことで、自著・文庫本の「信仰の旅路」を取り出して、その記事を、もう1度、読み返してみた。そこには壮絶な苦しみ連続の、お母さんの生涯が綴られていた。
★すると昨夜です、お母さんから私に電話が入った。びっくりしたよ。早速、出たのが、やっぱり、あの盗賊の話だった。苦しみ連続のお母さんの人生。漁船に乗っていたご主人が、満40歳を迎えた翌日、くも膜下出血で倒れ、長年の苦難の日々がつづく。時にお母さんは35歳。7人の子どもが居て、上は中学2年生。下は生まれて4ヶ月の女の子だった。
★昭彦は、小学4年生。少年は、教会へ行き、「なんでボクのトウちゃんを病気にしたとですか」。それを知って、母の胸は痛んだ。母は言った。「実は、あなたも生後2ヶ月のとき、急性肺炎で1週間、意識不明になったのよ。父ちゃんが働いたお金で、あっち、こっちの病院を駆けずり回り、やっと元気になって、小学校に入学できたのよ」
★すると昭彦が答えた。「ボクは赤ちゃんのとき、1度死んだんだね。それなら神父さまに、ならんば、いかんバイね」
★静かなホームの夜に、大きな声で、電話は、30分もつづいた。「歳は幾つになったとね」「28、よ。ハ、ハ、ハ、ハ、ハ。82」「ご主人が亡くなって、何年?」「17年になるよ」。お母さんは言った。「大黒柱は1本じゃ、立たんとよ。柱や、小さな木や竹に支えられて・・・・祈るだけ、です」