2016年9月30日金曜日

湯につかって、ホットする。病院はやっぱり、イヤだね

写真は、入院中に見舞いに来てくれた、長崎の千草さんと、蓉子さんです。ホームにも一緒に見えたことがある。
★皮下注射をした際、針の穴から血が噴出して、上・肌着が、葉っぱ程の大きさに血で汚れたとき、青い石けんを買って、汚れを落としてくれた人たちです。その際は、お世話になりました。
★きょうは、朝の9時から、ホームの湯に入った。男3人。もちろん、入江(イリエ)さんと、もう1人の男性(キリエ)さんです。
★最近は、キリエさんが背中を流してくれるようになった。暗黙のうちに、イリエさんは、引退か?
★ホームの湯に浸かると、ホットします。戴いているイノチを大切にしながら、感謝して生きて前へ進もうと思います。
★ステントを交換して下さったお医者さんが言った。「ステントの中は、きれいでしたよ。今度は、半年後に、いいでしょう。ボウコウもキレイでした」。半年といえば、来年の3月だな。89歳だよ。先のことは心配しないようにしよう。これから先のイノチは、神さまのみ旨です。
★8日間入院して、入院費が安価なのに、びっくりしました。注射や、点滴、交換手術も、3度の食事も食べて、病院衣など、いろいろ有ったのに、退院のときの支払いは、1.400円を出して、お釣りが15円あった。
★国の医療費がカサムのが心配になるよ。原爆手帳のおかげだと思います。受けた原爆は反対だが、生かされて、ありがたいことです。
★入院中、日記の代筆をしてくださったのは、長崎のハルミさんでした。感謝。

2016年9月29日木曜日

正常の生活にもどる。思いやりと優しさ。ああ、欲しい

入院中に、山内園長神父さま(右)が、ご聖体を授けて下さった時の写真です。中央は、谷村神父さま。写したのは高原修道士さんでした。この訪問のおかげで、新たなチカラが湧きました。
★今朝は、5時に起きる。いつもの通り、教会へ。今日は「大天使、聖ミカエル、聖ガブリエル、聖ラファエルの祝日」でした。皆さんと一緒に「教会の祈り」を唱えて、ミサで祈りました。
★昼食のとき、高原修道士さんから「ぐあいは、どうですか」と声をかけられる。「大丈夫です」。笑って答えた。
★今度のステント入れ換えは、痛みを覚悟していました。いつも痛みがあるからです。でも、今度は、全くの無痛でした。本当に幸いなことでした。
★台の上で、仰向けになって寝せられる。両手は伸ばし、両足は更に台の上に上げられる。手術を受ける間、なぜか、そのとき、ホームの人たちの顔が、次々に浮かんできました。考えてもみなかったことでした。
★病院は治療の場です。ホームは生活の場です。働く人の気持ちも、雰囲気も、全く違います。その人の人格と、技術と、思いやりといか、優しさというか、誰でも必要と思います。

2016年9月28日水曜日

8日間の病院生活。退院しました。ホームが、よか、よ

退院の朝。朝食をすませると、荷物の整理に取り掛かった。大、中、小の3つのバッグにまとめた。まだ病院衣は着ていた。
★早々と、高原修道士と入江さんが姿をあらわした。お世話になった病院衣を脱いで、入院のときの服装に着替えた。病院衣を脱ぎっぱなししたのを見た入江さんは、ベッドの端で、ものの見事に整然と折りたたんだ。入江さんの職業はクリーニング屋さん。そのたたみ方に、入江さんの優しさを感じて、敬服しました。黒のベレー帽は彼のトレード・マークで、決して脱がない。教会でもかぶっている。
★高原修道士さんも嬉しそうな表情をしている。「やっぱり、ホームが、いいね」
★ホームに帰ると、職員さんや皆さんから、「あら、帰った」「おめでとう」「よかったね」と温かい声をかけられる。「病院の雰囲気とは、全く違うな」。昼食は食堂で、いっしょ。笑顔や、声をかけあう。
★ホームに帰ったとき、1つの心配があった。昨日と、今日と、まだ大のトイレが出ない。毎日、お通じはあり、欠かしたことはない。それが出ないのは、なぜ?ちょうど、肛門の上に、腰の麻酔を打っている。その性かも知れない。看護師さんに相談すると、「わかりました。まかせなさい」と、長めのカプセルを挿入した。効果は、てきめん、ありました。出ました。それで教会の祈りに遅れて、全半の祈りが終わっており、ロザリオには間に合いました。感謝の祈りを捧げました。
★皆さんからの見守り、お祈りは、ありがとう。また、ホームの生活が始まる。「ここが、よか、よ」

2016年9月27日火曜日

痛みなしで無事終わる。明日退院か?

心配されたステント入れ替えが、まったく痛みなしで無事終わりました。高原修道士さん、明子さんが付き添いました。今朝は昨日の疲れが少し残っているようです。

2016年9月26日月曜日

ご聖体で耐える力

昨日午後三時半、突然山内園長神父様が修道服姿で病室に現れた。谷村神父様、高原修道士さんも同席。カーテンを閉めて山内神父様がストラを掛け祈りを唱えて、ご聖体を頂く。忘れられていない繋がっている。心の底から喜びが湧いて安心につながった。目的を達するには時間が掛る。入院六日目やっと今日、午後三時からステントの入れ替え。留置術が行われる。痛みは一時の辛抱と覚悟しています。男はつらいよ。

2016年9月25日日曜日

入院五日目

毎日、朝夜二回の注射。針を刺した所の血は止まるようになった。ベッドの上の生活にも慣れて気持ちは穏やかです。病室前に洗面所、洗濯機、乾燥機、トイレなどあるので便利。六階病室から一階の売店まで往復450歩。毎日、新聞を買う。こうして治療のため寝ていると、「聖コルベ館のかたりべ」を務めたい希望が湧き出てくる。最後まで「かたりべ」を頑張りたい。土壇場まで追い詰められるのは好きではない。余裕を残す。その気持ちで生きたい。

2016年9月24日土曜日

お見舞いに来た人たちから力を貰う。

高原修道士さんが聖製水(無呼吸の機器用)を持参する。入院日から毎日明子さんが来る。慰めと励ましを貰います。注射針の小さな穴から、血が噴き出してシャツを血染めにする。幸い千草さんと蓉子さんが見舞いに来て、近くのスーパーで血痕・醤油のシミを取るためのブルキー(青い石鹸)を見つけてくれた。自分で洗濯して立派に仕上がった。修道士の自覚と八十八歳の年の重さが自分を支えている。

2016年9月23日金曜日

十二時間置きに皮下注射

病室の雰囲気にも慣れ元気にしています。朝九時十分と夜九時十分に皮下注射をするだけの治療です。食事は完食しました。

2016年9月22日木曜日

入院二日目

無事に一夜を過ごすことが出来ました。六人部屋です。治療は注射を朝夕二回するだけです。静かにゆっくり過ごしています。皆さんのお祈りをお願いします。(トマさんの代筆です)

2016年9月21日水曜日

入院します。代わった環境もジンセイの勉強になる

台風が過ぎ去って、朝、青空が広がっています。試練とは言え、神の摂理でもある。今日、入院します。
★昨夜、1枚のハガキが福井県の弘子さんから届いた。「いつも、ブログを読ませていただき、励まされています。忍耐、気力、信仰、欠けだらけの自分ですが、前を向いて進んで行こうと思います」と書かれていた。
★今朝、ミサのとき、忍耐と、気力と、信仰を祈りました。ホームは心地よい生活空間です。離れたくない気持ちです。病室は、変わった環境になるでしょう。
★朝食を終わって出発します。高原修道士さんが運転し、付き添います。入江さんも同行すると言っています。
★諫早総合病院は、この周辺では、大きな医療機関です。10時に来るように言われています。イノチは、神さまのことです。み旨のままに、生き抜けるように、気持ちは、それです。

2016年9月20日火曜日

歳をとれば、苦労もある。乗り越えて、前へ進もう

敬老の日に、式典の後で、写しました。左は、ホームを経営している法人の理事長・萩原神父さまです。式典では、お祝いの挨拶をされた。私の米寿を喜んでくださった。ありがたいことです。
★私には、1つのトゲがあります。
★22歳のとき、結核で、右の腎臓を摘出して、以来、この歳まで、左の腎臓の働きだけで生きてきました。腎臓も、よくぞ、ガンバッテくれたと労わりたいです。
★ところが腎臓も老化したのか、ご飯ツブのような、やわらかい異物が出るようになりました。尿管に詰まると、生命の危険にさらされます。4、5年前、長崎の聖フランシスコ病院へ度々入院して、おかげで危機を切り抜けました。
★しかし、イノチをつなぐために、腎臓からボウコウまで、ステントと呼ばれるクダが入っています。これを4ヶ月ぐらい毎に、交換するのです。その処置のときは、痛みで苦しみます。これまでは1泊、泊まりで治療で行っていました。
★ホームに変わってからは、病院も変わり、諫早総合病院で交換の処置を受けてきました。ここの病院では、日帰りの処置です。これまで、3度、行ない、前のときは、4月の初めでした。もう交換の時期が来ています。
★88歳まで生かされて、長生きは、良いですが、歳をとると血液も濁ってくる。それで、血液サラサラのクスリを飲み始めました。このクスリを飲むと、交換が出来ないと、総合病院で言われます。これまでは日帰りの処置でしたが、入院して、交換する治療になりました。
★高原修道士さん、看護師さん、女性の職員さんのお世話になって、入院の準備を整えました。明日、9時に諫早総合病院へ出かけます。
★見守ってくださる皆さんのお祈りをお願いします。入院の予定は、1週間です。

2016年9月19日月曜日

敬老の日。出し物はありました。イヌのおまわりさん

敬老の日、宴も、たけなわのとき、踊ってくれた4人組がいた。普通、誕生会のときは、職員さんが、何かの出し物をしてくれるので、楽しみです。敬老の日には何んにも無いのかな、と思いきや、出た、出た、4人が躍り出た。「イヌのおまわりさん」。音楽に合わせて、踊りました。
★誰が、誰やら、わかりません。ただ楽しく、愉快に、踊って、盛り上げてくれた。1曲踊って退場すると、「アンコール」の叫びが上がって、また出て踊りました。
★昨日の敬老の日で、一番感じたことは、普通は、ホームの入居者は、一人で生活しています。しかし子どもや、孫や、妹らが、こんなに沢山、家族としてつながっている。ホームに入っていても、つながった家族が見守っている。その事実を目の当たりに見ました。「一回で、いいから、五島へ帰りたい」。そんな願いの声も聞かれました。
★ああ、そう、そう、踊った4人組を紹介しましょう。左から、東長崎の修道士さん、次は修道会の修学院生さん、東長崎の修道院で調理を努めている女性さん、そして右端は、高原修道士さんでした。東長崎までは、車で1時間、ご苦労さまでした。

2016年9月18日日曜日

修道服で、88歳の米寿を祝ってもらいました。感謝

「敬老の日」。ホームの式典に、修道服を着て、参列しました。園長神父さまから、お祝いの花束をいただきました。88歳、米寿のお祝い。この歳まで達したことは、神さまの恵みであり、生かされているのを実感しました。やはり感謝あるのみです。いい写真じゃありませんか。生きてきたのです。88年も。
★いま、打ち上げで騒動をしている北朝鮮で生まれて、そこで育って、日本の長崎・浦上に帰ってきて、いろいろあったが、涙の日もあったが、助けられて、喜んで、笑った日もあって、ジンセイって、本当に長がーいと思います。
★式典で、壇上に近い、まん前に、座っていたのは、5人でした。88歳、米寿が3人、99歳、白寿が1人、100歳が1人。会場は沢山の人であふれました。
★年に1度の「敬老の日」ですから、ホームに入居者の家族が大勢、参加するのです。近郊の家族、長崎から、また五島からも、多くの家族がこの日を共にするため集って来られます。
★式典の終わりは、「しあわせなら、てをたたこう」の合唱でした。手をたたこう、足ならそう、肩たたこう、手をつなごう・・・・。皆で歌い、盛り上りました。隣は、99歳だよ。手をつなごう。いつまでも長生きしよう。園長神父さまの話は、ホームの皆さんは、家族です、家族にチカラを入れた言葉でした。
★この後の、食事会は、五島の人、近隣の家族など、大勢で楽しく1日を過ごしたのでした。今日は台風の接近により、時折、激しく雨が降ったり、また上がったり、屋外は揺れる日でした。それでもお祝いに来てくださって、ありがとう。

2016年9月17日土曜日

ホームでは、明日の日曜日に、敬老の祝いをします

明日は、日曜日です。その次の日、月曜日は、「敬老の日」で、お祝い日、休日になっている。
★ホームでは、敬老のお祝いを、明日の日曜日に行ないます。国旗を壁に飾って、式典があり、来賓や、家族たちで賑わう予定です。そのため、目につく廊下には、学校じゃないけれど、習字や、絵てがみ、生活の様子の軽体操・写真、コーラスの場面の写真なども、生活の一旦として、展示されている。
★ホームにお世話になって、2年近くになります。毎日の生活は、日々、変わらない、ゆったりとした時間が流れているが、2年間を思い返すと、それでも人生の大きな柱があった。
★昨年は、修道士の誓願50周年で、金祝を祝ってもらった。長崎では管区を揚げて、お祝いされたし、出身の外海・黒崎の教会でもお祝いを受けた。大きな喜びでした。
★今年は、88歳になり、米寿を意識している。よくぞ、ここまで生きたという感じです。明日は、ホームで「敬老のお祝い」があります。米寿の人には、何かお祝いがあるのだろうか。服は、普通の服でいいのか。スーツを着るのか。わたしは、スーツは持ちません。以前、学校に居た頃は、スーツは何着もあったが、もう使うこともないと思って、みな、処分してしまった。
★明日の服装は、修道服にします。修道服を着て、88歳の米寿を皆さんからお祝いされれば、それが一番の幸せでしょう。ここまで生かされたイノチを神に感謝して、祈りの生活をつづけます。

2016年9月16日金曜日

1日は、あっと言うまに、過ぎた。日記を書くのが遅い

パソコンの横はガラス戸で、その上には湯江教会の鐘楼がある。夕べのアンゼラスの鐘が、今、胸を突き上げるように、大きく鳴った。今日は、なぜ、こんなにブログを書くのが遅くなったのか。普通に暮らして、沢山、時間があったのに、です。
★朝食が終わって、9時から、入江さんと、もう1人の男性と入浴をした。昼食は、写真の通りです。
★メニューは、ごはん、すり身ローフ、カリカリ・ポテトの野菜サラダ、モズクの酢の物、もやしスープ、リンゴ、でした。料理された食事をみんな食べれば、栄養は充分です。安心してよい。
★昼食後、しばらく休むと、2時からホームの小型バスが出る。いつもの店、大型スーパー、2軒に、ショッピングを楽しんだ。大きなバッグを買った。帰ると、教会で、ロザリオが始まっていた。買い物は床に置いて、すぐロザリオに参加する。祈ると心が安らぐので、祈りは優先します。
★自室に戻って、聖務の晩の祈り、寝る前の祈り、今日の読書の聖書の箇所を読んだ。すると明子さんが来た。5時まで話します。そして夕食です。
★ポーランド在住の写真家から、マンガ「焼けたロザリオ」のポーランド語版が、10冊送られてきた。いつぞや、ホームに面会に来た、奥さんはポーランド人、娘の百合香ちゃんの写真家の家族です。
★また、先日、写した米寿の写真が届いた。諫早市役所から、米寿の敬老金を振り込みます、と便りが届いた。ありがたいことです。

2016年9月15日木曜日

辛さにも、一を足せば、「幸」せに、なる。ガマンだよ

素朴な、棒についたアイスクリーム。ホームの売店で買ったものです。
★昼食後、しばらくベッドに横になって、起き上がると、共同・冷蔵庫から取り出し、この一本を食べるのが、至福のときです。
★子どもの頃に、思いが飛びますね。
★登明さん、登明さん、と言われているけれど、本名は、幸一です。親がつけた。村に、幸蔵という智恵者がいた。村人は「わらじ」を履いているのに、幸蔵は「長ぐつ」を使っていた。そこから幸一と名づけたと、覚えている。
★自分の名前を時々考える。「幸から、一を引けば、辛いとなる。辛いことがあっても、一を足せば、幸せとなる」。その「一(いち)」とは、何なのか。
★今、思うのは、我慢、だね。
★この世の中には、どうしようもない現実が常にある。私の腎臓にはボウコウまで、管(ステント)が入っている。これがなければ、生きられない。生かされているなら、ガマンして受け入れれば、心はおだやかになる。我慢ができる人は、幸せをつかみます。
★だから今の生き方は、忍耐、気力、信仰です。

2016年9月14日水曜日

人生の歩みは小さいが、大きなチカラが守ってくださる

この歳まで生かされて、人の歩みは、ほんとうに小さなものだった。だが、何かしら、大きなチカラが、守り、導いてくださった気持ちがする。神さまが、存在するなら、神さまの働きがあるはずだ。信じて良いと思います。
★困難も、危険も、人生には、多々あった。だが、その都度、助けてくれる人が居たような気がする。だから、今があるのです。人を踏み台にしたことも、あったろう。自分の知らないところで、いろんな人の祈りを、助けを、お世話をいただいている。もし、その全貌が分かったら、ほんとうに、おどろくことだろう。
★水曜日には、仕事始めから、職員さんが、浴場の清掃をしてくれる。終わると、同時に、入江さんと入浴した。もう1人、男性が入ってきた。背中を流してくれたのは、その男性だった。
★お昼の食事は、カレーライスでした。辛さが強かったので、腎臓にムリがいくと考えて、少し減らして食べた。皆さんの支えで、生きております。やっぱり、カンシャです。

2016年9月13日火曜日

人の痛みに添えられる資格が、お前にあるのか

ホームの入居者が亡くなると、教会での葬式の後、祭壇には、このように華やかなお花で飾られる。
★いまから、5,6年前の話です。私が、まだ元気で長崎・聖コルベ館で活躍していた頃、ここのホームを訪ねたことがある。その時、知り合いの女性と会話をした。女性は、「自分は、いま、心の病に罹っていて、苦しんでいる。どうしたら、いいか」と、すがるような目で、私を見つめた。
★その時、私が、どのような返事をして、女性を慰め、励ましたかは、覚えていない。ただ、ホームの印象として、自分は絶対に、ここには来ない。このような場所では生活できないと、強い反発心を抱いたのは、覚えている。まさか、自分が、将来、このホームに入って生活するなど、考えてもみなかった。
★それが、人生って、ふしぎなもので、イヤだ、イヤだと、反発する処へ流れて行くものと思う。
★数年経って、私が、自分のからだの都合で入居を余儀なくされたとき、部屋は、あの女性の近くになった。毎日のように出会って、挨拶もしていた。2年前になる。
★女性は、私が入居したのを見て喜び、安堵して、「話を聞いてください」と、度々願っていた。そして、ある日、渡されたのが、1通の、私の手紙だった。多分、その手紙は、5,6年前、訪ねた頃、私が、女性に書き送ったものであろう。その手紙には、こう、書いてあった。
★「人は、生きている限り、人、それぞれに、いろんな悩み、苦しみがあります。それを自分のものとして受け入れて、生きるしかないのです。自分の苦しみだから、自分で耐えるしか、ないのです。あなたの心的苦しみ、悩みで、ツブれてしまうような、ことはないです。胸が、もやもや、なる。頭が、イタくなる。もや、もや、あっても、イタさ、あっても、それを受けて、生活はあたりまえにして、起きて、食べて、歩いて、笑って、ねむって、生活をつづけて、いって下さい。苦しいのは、わかっています。あせる気持ちもあります。それらを受け入れて、生きつづけるしか、ないのです。体が元気なら大丈夫です。2008.3.7」。日にちまでも、印してある。
★それから、6年半後、2014年10月に私が入居して、この手紙を渡され、自分自身で読んだとき、実は、私はショウゲキを受けた。入居した当時、私も、どれほど悩み、苦しんだことか。「眠りなさい、笑いなさい」って、ジョウダンじゃ、ないですよ。あの時は、簡単に書いたけれど、いま、それが出来なくて、自分が苦しんでいる。「それでも、生きよ」、そんな軽いものなのか。
★果たして、人に意見する資格があるだろうか。無力を痛感した次第でした。本人の痛み苦しみは、他人には分からない。落ち込んだ自分が居るのを、現実に痛感し、思い知った。
★1枚のメモを見つけた。「車椅子で、笑わない、あの女性を見ると、悲しい。ホームに入って、もう10何年になる。心の病で悩んだ時期もあった。私が入居したときは、自分で歩き、ロザリオにも参加していた。1年で、こんなに変わる。それでも生きるしかない(2015.10.10)」
★女性は、その後、亡くなった。もう、どれほどになるだろう。自分は今、ホームに残って、自分の現実から、人に助言を与える無力さを知り、「自分の十字架は、自分で耐えるしかない」と、肩の重みを、イヤというほど感じている。故・女性のために神の国への安息を祈る。

2016年9月12日月曜日

ああ、きょうも、1日、生きて良かった。嬉しいです

昨日は、専門の写真家さんが、私を撮ってくださった。
★私だって、黙ってはおりませんよ。私も素早く、デジカメを向けて、世界を巡ってきた、この有名カメラマンを撮りました。これが、それです。
★そりゃ、デジカメと、高価なデカイ立派なカメラとは違いますよ。でも、問題は表情だね。如何に、相手の自然な表情を引き出すか。場面を明るく撮ったからといって、値打ちがあるわけでは、ないのです。デジカメで撮ったポーズは、結構いけるでしょう。
★思いました。原爆を生き残って良かったな、と。そして病気は沢山したけれど、この歳まで生き延びて、良かったな。
★人は、充分にイノチを生きてこそ、価値があると思います。悲しいのは、若くして、人生を残したまま死ぬのは、本当に残念です。事故に遭ったり、思わぬ死を遂げたり、愛する家族を残して、働き盛りの人が亡くなるのは、一度の人生、惜しい限りです。
★長生きすれば、病や、シンドさ、苦しさもイッパイあるが、やはり人生を充分に生きるのは、幸いでしょう。ホームの人は、みな懸命に生きていますから、よい教訓があります。
★今日は、諫早の総合病院へ診察へ出かけました。最近は、病院へ通うのは気が重いです。高原修道士さんが運転し付き添いしました。詳しいことは、ひかえます。
★ああ、きょうも、1日、生きてよかった。生きる喜びを特に感じております。

2016年9月11日日曜日

原爆を語る。写真家が、語り部を撮る。充実1日

きょうは久しぶりに、原爆の語り部になって、楽しい1日となった。「写真家を連れて来ます」と長崎から電話の連絡があったのを心待ちにしていた。
★午前中、決めた時間、ホームの応接室で冷房をきかせて待っていると、定刻に、3人が現われた。
★美弥子さん(左)と、山川先生(右)、そして写真家の女性。
★もう以前の話だが、母親が原爆死して、50年忌に、平和推進協会に入った。そのときの推進協会の仲間が、美弥子さんと、山川先生だった。だから、よく知っている。再会をなつかしんだ。山川先生は、「長崎のコルベ神父」や「長崎オラショの旅」を読んでくれている。本も持参していた。
★写真家、といっても、ごまんと居るではないですか。だが、この写真家は、著名な人らしい。お名前は、「大石芳野さん」。コソボで撮った分厚い写真集をくださった。「ベトナム、カンボジア、アウシュヴィッツ、アフガニスタンなど、戦争と人間を見つめつづけるフォト・ジャーナリスト」と本の帯びにある。土門拳賞、講談社出版写真賞、他にも幾つもの賞をとっておられる。どんな写真になるのかな。
★原爆・被爆者を撮りたい、と1冊目は発行した。その本も見せてもらったが、美弥子さんも、山川先生夫妻も、その写真集に載っている。「次の作品も出したい」と、お2人に相談したら、「小崎さん」の名前が挙がって、それで訪ねて来た。先生は、「お元気そうで、安心しました」
★自著の「長崎・原子爆弾、18日間の記録」を贈って、17歳のときの被爆の体験を私なりに語った。「ドラマのようですね」と先生。
★湯江教会のなかで、撮影は行なわれた。何だか、今日は、充実した日だったな、と満足だった。「小崎さん、まだ語り部が出来ますよ」。美弥子さんはそういい残して別れた。

2016年9月10日土曜日

スズの鳴らし方にも、コツがある。気持ちが大切です


★毎朝、ミサの中で、鈴を鳴らします。鳴らす係りが、「1週間ほど居ないので、鈴を鳴らしてください」と頼まれた。(まかせて、おきなさい)。若い頃から、ミサの使いをして、鈴を鳴らしたものです。
★昔(公会議以前)のミサは、各司祭は1人でミサを捧げた。だから3人の司祭が居ると、3つのミサがあり、各ミサにはラテン語で司祭に応答するミサ使い(信徒・男性の子どもか、修道士も)が一緒に居て、鈴を鳴らしたものです。
★今は、3人の司祭が居ても、共同で、1つのミサを捧げています。昔のミサの祭服は、「前、後ろ、被る」ようになっていて、美しい刺繍が施してあった。祭服のデザインがなつかしい。祭服に、あの豪華さがなくなったのが、寂しいです。
★そういうわけで、ここ数日、ミサのとき、鈴を鳴らしています。司祭のミサの行動に合わせて、それに、スズの音の長さや、余韻を考えながら、自慢じゃないが、自信を持って、リッパに操作しております。鳴らす回数は、6回、ある。
★すると今朝、老人の女性から声をかけられた。「スズば、ならすと、うまかけんね」「そりゃ、そうでしょう、年期が入っているからね」
★別件ですが、長崎の原爆被爆者の女性から電話があった。「あした、日曜日に、写真家を連れて来ます」。待って居ますよ。

2016年9月9日金曜日

99歳、白寿の孝子さんが、手紙、お菓子の贈り物

老人になれば、やはり老人に視線が向きます。私の処に、また、また、大阪の女性・孝子さんから、達筆のお手紙と、チョコレートが10個ぐらい重なった宅急便が届いた。貰う度に、「いつまで生きるのだ、この人は・・・」と思います。忘れた頃に、また届く。
★大正6年4月の生まれの99歳、白寿の孝子さんです。マンションに一人住まい。訪ねたことも度々ある。もう、30年来、思い出した頃に、文通がある。いっしょにポーランド旅行をした楽しい思い出もつくった。
★忘れずに、時折、お手紙と、駄菓子を送ってくださる。お礼の電話をかけた。優しいお声で、「いろいろ忙しいのよ」「立って、歩けるんですか」「歩けます」「買い物は?」「それが隣がスーパーなの」。生活の便利さを伝えている。
★長生き出来るのは、生活感に溢れているからだと感じる。孝子さんには、それがある。じっとしていない。折り紙を折ったり、俳句をつくったり、文筆を描いたり、そういう小マメな生活が、孝子さんの長寿を生かしている。「生きているダケでは、ツマラナイ」。どこからか、そんな声が聞こえる。
★手紙には、「今夏は、連日の猛暑で、外出を控えて、教会にも欠席した。テレビは、ニュースだけしか見ていないが、過日、オバマ大統領来日の、広島追悼式典は、終日テレビを見ていました」と、興味深く、オバマの折鶴が、長崎の原爆資料館にも展示された新聞の切り抜き記事も添えられていた。
★99歳にして、こういう深みを持っておられます。孝子さんの「広島忌」の俳句が、9句。「慰霊碑に、献花・黙祷、大統領」「日米の、和解の握手、日本晴れ」など。
★最期に、「与えられた生命、お大切に」とあり、「生かされて、白寿を迎う、日々感謝」。バンザイとしか、言いようが、ない。

2016年9月8日木曜日

訪ねて下さる人たちから、生きるチカラをいただく

長崎から、2人の女性が訪ねてくれた。「トマさんは、どうしているか」と、心配してくれているんですね。右は、千草さん、そして蓉子さん。「まあ、なんとか、生かしてもらっています」
★長崎から訪ねるのは、結構、時間もかかりますよ。それでも来てくれるので、ありがたい。お2人さんには、もう何回も訪問して下さっている。
★修道者の共同体から離れて、一人で、ここのホームで暮らせばならぬ寂しさを率直に語りました。私の話は、お2人の心に通じたようです。
★千草さんは、今年の3月1日、私の誕生日に、米寿を祝って、長崎からホームまで来られて、ホームの全員のため、ビニール袋に入ったパン2個を、132人分、持ってきて下さったのです。パンにはサクラの花びらが飾られた特注のおいしい記念の贈り物でした。私のために、金箔入りのお酒「祝彩」を下さったが、今も飲まずに自室に飾ってあります。
★こうして皆さんからお恵みを受けながら、生かされているのですね。ありがとう、お2人さん。
★今日は、朝食抜きで、朝、早くから、ホームの職員さんの運転で、長崎のクリニックへ診療に行きました。

2016年9月7日水曜日

写真を撮るなら、サンパツしよう。出来栄え、如何に

今月の19日には、「敬老の日」がくる。前に役所から通知があった。「88歳、米寿のお祝いなので、あなたの顔・写真を撮りにきます」
★そして、今朝、役所から電話があった。「今日の午後2時から、撮影を行ないます」
★もう、1つの、写真の件がある。先日、長崎・原爆被爆者で、語り部をしている知り合いの女性から、電話で連絡があった。「来週、写真家が、原爆被爆者の小崎さんの写真を撮りにきます。被爆の体験も聞きたいそうです」
★以上、2つの件があったので、昼食後、タクシーで、理髪店へ行って、サンパツをしました。いつも、ホームの理髪をしてくださる店です。
★散髪をしながら、1つの話を聞きました。10何年、ホームの男性の髪を切っていると、髪をさわるだけで、その男性の体調がわかるようになるそうです。「昨日が、葬式でした」というと、「ああ、そうでしょう、体調を感じていました」。これには、びっくりした次第です。「わたしの髪の調子は、どうですか?」とは聞き得なかった。そんな、こんで、またタクシーでホームに戻ると、役所からの写真屋さんが来ており、傘を2つ広げて、1人の女性を撮影したところでした。
★「修道服があるんだが、どうだろう?」。すると事務室の職員さんが、「フランシスコ中村修道士さんを撮ったときは、修道服姿でした」「それなら、ちょっと待ってください」。自室へ急いで、着替えて撮影に望みました。「パチ、パチ」と、フラッシュを光らせて、何十枚と撮っていた。どんな写真が出来るやら・・・。
★ついでに、私のデジカメを写真屋さんに渡して、撮ったのが、この写真です。逆光線なので、良く撮れていない。満足できる出来栄えではなかった。

2016年9月6日火曜日

奄美大島の親子が訪ねて来た。昔の思い出を語る

昼食後、ベッドに横になっていると、突然、2人の男性が、「おじゃま、します」と入ってきた。「え?どなた?」「奄美大島からです。名前は、言っても、わからんでしょうね」と言って、ニコニコ。2人は、親子だった。「ホームの近くを通ったので、寄りました」。大曾神父さまや、ほかの人も居るしね。ヨハネ村山修道士さんも」
★父親は、ずーっと以前に、もう、50年前になるかな、長崎の聖母の騎士の学校で学んだ。中学のとき、「トマさんは、理科の先生をされた。本当に、この人、出来るのかな、なんて思ったよ」。ヘンなところで、記憶を呼び戻された。「ああ、そんな時代もあったな」。授業は実験が多くて、面白かった。ストーブがあって、スルメ(干しイカ)を焼いて、食べた思い出は忘れない、と言いつつ、「ハ、ハ、ハ」と愉快に笑う。息子は何も語らなかった。
★突然だけれど、こうして親子で訪ねてくれるだけで、嬉しい。「永井博士が、トマさんの理科の先生だったこと、最近になって、初めて知りました」。これを説明するのに、話は盛り上る。
★おみやげは、もらわ無かったが、私のカードを親子に差し上げた。健康に気をつけて、奄美大島(鹿児島県)の教会のため、頑張れよ。
★今日は、ホームでは、81歳の入居者が亡くなり、葬儀・告別式があった。9年間、ホームで生活した男性だった。

2016年9月5日月曜日

ベトナム人の男性が、明るい表情で、訪ねて来た

1人の若者が自室に訪ねて来た。ベトナム人の男性です。東京の修道会の修学院にいる。夏の休みで、長崎へ来ている。
★両親はカトリック信者。兄弟が多く、日本へ来て、修学院へ入って、3年になる。日本語を勉強している。
★私は、彼を励ました。
★ベトナムのカトリック信者は熱心な信仰をもっている。朝、早くから教会へ行って、歌をうたって、祈りをして、ミサで、祈る。感心するよ。君が司祭になれば、両親や兄弟は喜ぶだろうな。両親も兄弟たちも、君のために祈っているよ。
★でも、君の進む道は険しい。これまでも、ベトナムから修学院へ入った人たちも、10人ほど居たが、司祭になったのは、2人だけだった。
★希望は捨てては、いけない。人間は、弱い。人生には、いろんな出来事も起こる。迷いもあろう。誘惑もあろう。落ちることも、失敗もあろう。
★それでも、神さまに信頼して、マリアさまの御助けを願いながら、君が、お祈りと、告白を守るならば、難しい困難の道も平坦になり、必ず解決していく。生涯、大切なのは、お祈りと、ご聖体と、告白です。自分にも、その経験があるので、弱い、迷う自分だったが、これまで修道士として残ることが出来たと思う。
★君にも、しっかり、やってほしい。希望をもってほしい。期待しているよ。

2016年9月4日日曜日

大曾神父さまと、一緒に写真を撮りました。理由は・・・

このように、温かい気持ちで、歳をとりたいものです。
★昨日の誕生会にきた大曾神父さまです。皆さんや職員さんから慕われています。私の直ぐ隣で、昼食を食べました。
★同じ食卓の女性が、こんなことをいう。「神父さまの妹が、うちの弟の嫁さんです」。そう言いながら、親しみのある目で、神父さまを見るのです。それで、2人で、いっしょに写真を撮りました。五島列島の出身ですから、知人や親戚も居られるでしょう。
★大曾神父さまが生活している姿が、優しいお顔が、「ありがとう、ありがとう」という言葉が、周りの人の心を癒します。神父さまを見て、心強く思います。神父さまのように、老いたいと願います。
★五島の美しい海を思い出す。山が重なり合った不便な処に、カトリック信者の集落がある。そこには、リッパな教会、天主堂がある。先祖たちが苦労して、築き、立ち上げ、そこで、ひっそりと、信仰を守ってきた。貧しさにも耐えながら、信仰だけは、大切に、子どもたちにも伝えてきた。五島は、何10回となく、訪ねたものです。
★長崎に居るのに、五島へ行ったことの無いという人に出会うと、ザンネンに思います。

2016年9月3日土曜日

誕生会。いつまでもお元気で。みんなが見守っている

また、1つ、歳をとります。毎月の初めての土曜日、昼食は、その月に生まれた人をまとめて、誕生会があります。9月は、5人が居られた。長生きするのは、神さまの有り難いお恵みです。誕生会といえば、「出し物」です。一旦、食卓についても、出し物の職員さんたちの写真を撮りたいので、そわそわしています。
★ホームの全員が、食堂に集まります。園長神父さんの挨拶があり、先ずは、5人のお祝いが始まります。今月は、同じ食卓の、お隣の女性が「誕生会」をお祝いした。
★みんなで、「ハッピ・バスデイ・ツーユウ・・・・」を歌いながら、ハクシュをして、園長神父さまと、職員さんが、小さな灯と、花束と、おみやげを1人、1人、繰り返して運びます。うれしいですよ。お隣の女性の処に着たから、写真に撮りました。私よりも、3つ、歳上になる。「これからも、ずーっと、健康で居てください」。それがお願いです。
★健康の秘訣は、こまめに動くことです。庭に出たり、池の鯉やフナにエサを与えたり、適宜に身体を動かしている。この女性の生き方が、手本になります。
★さて、今月の誕生会の「出し物」は何でしょう?出番の前に、1枚、写真に撮りたかった。急いで食卓を離れて、出番前の職員さんのスナップを撮った。食堂では、食事が始まっている。音楽が鳴って、舞台で踊りが始まった。何の音楽、歌やら、わかりません。舞台を降りて、皆さんの食卓を廻りながら、また舞台で踊る。皆さんは喜びのハクシュを送っていた。
★あとで聞いたら、30年ほど前に、マンガで、「うる星(せい)やつら」のなかに、「ラムちゃんのラブソング」があった。それです、と看護師さん。歌は「あんまり、そわそわ、しないで、私は、いつでも・・・」

2016年9月2日金曜日

鳥取名産の梨が届いた。鳥取の思い出は懐かしい

鳥取から、名産の大きな「ナシ」が送られてきました。博幸さん、みどりさんご夫妻、ありがとう。鳥取が懐かしいです。鳥取の砂丘では、ラクダにも乗りました。わすれません。教会の神父さまや、信徒の皆さんとの交流も心に残る思い出です。
★あれから、3年ぐらいしか経たないのに、環境は随分かわりました。からだにも、問題を抱えている。
★朝食抜きで、長崎のクリニックへ出かけました。運転は、高原さんは忙しい。別の職員男性が、ホームの車でお世話になりました。からだの詳しい状況は、よくわかりません。お医者さんも懸命に診てくださっている。お任せするばかりです。昼食までには、ホームに帰りました。

2016年9月1日木曜日

ステントの入れ換えは、先にのびる。からだは如何に

ブドウ刈りに行ったとき、途中の売店で撮った写真です。元気そうな姿をしているが、からだは、いろんな症状を抱えている。
★総合病院へ出かけました。「ステント」の入れ換えの日にちが、決まるだろうという覚悟の診療でした。長崎のクリニックのお医者さんの「手紙」を渡しました。
★「ステント」の入れ換えが必要です。しかしサラサラのクスリを飲んでいる。クスリを飲んでいる間は、入れ換えの処置が出来ないそうです。総合病院のお医者さんは言った。「いつ、クリニックへ行きますか?」「あした、です」「いま、手紙を書きます。2、3週間、伸ばしてみて、9月の末に決めましょう」。相当の覚悟をしていたのに、気合が抜けた感じでした。昼食に間に合うように、ホームへ帰ってきた。
★くわしいことは考えないようにしよう。これまで生かされてきた「いのち」です。尿が出るのが、止まれば、どうなるか。尿が出る度にカンシャしています。