2017年1月31日火曜日

1月も終わりとなった。昼食は、食堂へ。久しぶり

新しい年が始まったか、と思うと、1月の半分は、自室にこもる日々がつづきました。もう、外へ出ても、いいでしょう。午前中、自室に来た看護師さんに相談した。「もう、昼食から、食堂へ行きますからね」
★12時近くになって、女性が、自室の扉をあけて様子を見に来た。「食堂へ行きますから」「ああ、それは、よかった」。次に入江さんが、扉をあけた。「いっしょに、行きますから」。久しぶりの食堂でした。
★今は、改装工事のため、60数人が、4箇所に分かれて食事をしています。私の食堂には、14人の席がある。いっしょに食べるのが、おいしい。私の顔を見て、「よかったね」と皆さんは喜んでくれた。夕食も、食堂へ行きます。
★我が人生は、未完です。見守ってください。

2017年1月30日月曜日

気が重い。総合病院へ。気力を持とう

元気なときは、好かったなァ。聖コルベ館に居って、聖コルベの案内をしたり、身代わりの愛など語り、また自分の体験である原爆の話をしたり、生き甲斐がありました。懐かしいです。自分なりの使命を果たしていたつもりです。喜びもあったし、出会いもあった。とにかく、86歳までは元気で、幸せでした。
★人生には、その人間を試す、試練がくるんですね。それが老いだと思います。痛みや、体力の弱さがあっても、気力だけは持って、出来れば、背骨を真っ直ぐに、乗り越えて行こう、そう思います。
★午後から、高原修道士さんの運転で、諫早の総合病院へ予約の診察に出かけた。
★先ず、2階の泌尿器科・受付で予約表を出して、ファイルをもらい、1階の放射線科で、腹部のレントゲンを撮ります。次に、3階の中央検査科で、血液、尿を採取し、また、2階の泌尿器科へ戻ります。午後からの診察なので、待つ患者さんは居なかった。
★お医者さんから、呼ばれて、「具合はどうですか」「このところカゼを引いています」。カゼの関係か、少し腎機能の数値が変化している。ステントの入れ換えのための入院と、手術の日にちを決めた。3月の終わりから、4月になります。
★やはり、カゼは好くないと思いました。

2017年1月29日日曜日

ホームの生活は、悠々自適、余生を、ゆっくり

ホームでは、ゆっくりと、静かに、時間が流れる。大正、昭和の初期に、この世に生まれて、それぞれの生き方は違っても、厳しい戦争前を、苦難な戦争のさなかも、戦後の復興の時代を、誰もが、しっかりと生き抜いて来た。そういう人たちが、余生を過ごしている処が、老人ホームなのです。
★三階の、明るく、広い、長い廊下に添って、各個人の部屋が連なってあります。ほとんど、自分の部屋で、朝から晩まで、一人で暮らしているわけです。楽しみは、食べることで、三食、食堂へ集まって、食事をいただいている。
★廊下の一角には、長いソファーがあって、数人がその場に寄って、談笑を楽しむ。誰にでも、話題は沢山あります。過去の思い出話から、古里の自慢や、家族の、子や孫のことなど、目をつぶれば、「ああ、人生とは、こういうこと、なんだ」と思い知らされます。
★「つい、つい、お堅いこと、ばかりを、書き連ねて、すみません」。いま、看護師さんが来て、熱を測った。六度五分あった。
★高原修道士さんが来て、「ホームからは、沈黙の映画は、もう見に行かんように、中止になった」と告げた。カゼが流行っているので、ホームとしては、大事を取っているのだろう。
★明日は、午後から、総合病院・泌尿器科へ予約の診察がある。出かけます。

2017年1月28日土曜日

三食を食堂で、願い叶わず。今日も、自室で

カゼの症状は、長引くんですね。一応、峠は越えて、熱は、平熱になっている。だが、時おり、セキが出るのです。セキが出る間は、皆さんの中には、入れない。
★看護師さんが自室に来て、「ホームの先生の医院に、レントゲンを撮りに行きましょう」と言った。車で、三分。診察をして、レントゲンを撮ってもらう。血液の採取も行なった。胸のレントゲンの説明をされるが、昔の病気の痕があるそうです。「肺炎では、ないですか」「肺炎には、罹っていません」。それだけで、一応、安心しました。
★十三、四歳の頃、両方の肺を結核に冒され、「肋膜炎」を患い、水が溜まったりして苦しんだ。結核に、薬はなかった。「椰子(やし)の実」が肋膜に効果があると聞かされ、母が、市場に買いに行った。戦争中だったが、南方から届いたのか、長崎には、ヤシの実を売っていた。ヤシの実というから、実だと思って、割ったら、実ではなくて、水が出てきた。ヤシに穴を開けて、中の水を飲むのです。そんな事を思い出した。(下の絵は「焼けたロザリオ」しおうら しんたろう作より)。谷中さんは病気の私の所に見舞いに来る兄のような青年。母親も描かれている。

2017年1月27日金曜日

まだ自室から出られない。忍耐の日々です

ホームの生活は集団ですから、カゼなど流行するのは、敏感です。特に、老人は回復が遅く、見守りが必要です。何度か、看護師さんが来ました。金曜は、ホームのお医者さんの診察日なので、自室まで診察に来ました。結局、「まだ自室から出ないでください」
★こんな時に思うのは、子どもの頃、遊んだ場所、外海・黒崎の教会や、山や、川、海などの風景です。遠藤周作の「沈黙」の舞台になった。映画が出来て、長崎市でも上映されているらしい。ぜひ見たいと、高原修道士さんに頼んで、ホームからも希望者を募って、観賞に行くことに決まった。それが日曜日です。「果たして、いっしょに、行けるか、な」

2017年1月26日木曜日

幸いに、カゼも落ち着きました。今日まで、ジーッと

歳のせいか、免疫力の低下のせいか。2週間にわたって、カゼ気味が長引くとは、初めての経験のような気がします。
★幸いにも、今日は気持ちが楽になりました。もう、大丈夫でしょう。
★二通の便りが届いた。
★一通は、観想修道女会のシスターからで、時々、修道院の便り(印刷物)が送られてくる。「私とは、どういう、ご縁ですか?」と訪ねると、8年ほど前に、聖コルベ館を訪問して、小崎さんに会ったそうです。館内の展示された資料のなかに、聖コルベの版画が十数枚あるのを見て、「この絵ハガキはありませんか?」「絵ハガキはありませんが・・・」と、その版画のコピーを三枚してくださった、と書かれていました。
★小崎さんが書いた「身代わりの愛」を読み、聖コルベを知り、修道者になりたいとの望みを持ち、現在に至っています、とのことです。
★どこで、どういう導きがあるやも知れません。「いつまでも、お元気で」とあった。絵は、長崎の風景の版画でした。

2017年1月25日水曜日

早く解放されたいが、まだ、自由は来ない

同じような日がつづいています。今日、朝食、昼食を運んでくれた女性の職員さんは、「毎日、ブログを読んでいますよ。早く好くなってください」と励ましてくれる。「はな」ちゃんのお母さん、絵里さんが、キンカン漬を持ってきてくれた。
セキや、タンも、少なくなって、終息に向かっているようです。いま、ホームの女性から、「がんばって・・・」と、イチゴをいただいた。長く「引きこもり」がつづくので、皆さんに顔を見せるのが、恥ずかしい。

2017年1月24日火曜日

からだの台風。自室にこもり、通過に耐えています


人生は、長ーィんだから、1週間や、2週間の凹凸には、耐えようじゃないか。そんなに自分に言い聞かせて、自室に、こもっています。微熱があると、どうしても動きたくない。でも、生活には、いろいろ有るんですね。ゴミも捨てねば、いかん。ポットにお湯を入れねば、ならぬ。洗濯物をお願いします。食事は、三度、自室まで運んでくださって、ありがとう。感謝しています。
★ホームに看護師さんは、3人居られる。ホームのお医者さんは、車で3分の医院から、週に2度、月曜と、金曜に診察に来られる。もう、先生のお父さんの時代からの診療で、お世話になっています。お医者さんの指示で、今日も、看護師さんから、点滴を受けました。検温、血圧を測りに、度々来られます。
★様態は、じょじょに落ち着いてきています。
★入江さんが、心配して、2度、3度と、大きなカラダで入って来て、「シンボウ、せんば、たいな」と、手で、背中をさすります。

2017年1月23日月曜日

午後から、ダウン。休んでいます

昨夜、夜中に、4、5回、激しいセキに見舞われる。朝、体温は、6度6分。それで、寒さの中、教会へ。ミサで、祈る。朝食、昼食、食堂で、なんとか、がんばる。
★でも午後から、カラダが変調。ホームのお医者さんの医院へ、高原修道士さんから連れて行ってもらう。点滴を受ける。夕食は自室でいただいた。こんなにカゼで苦しむとは思いもしなかった。多分、明日も休むでしょう。

2017年1月22日日曜日

なつかしい風景の写真を見つけました。前にも載せた?

いつ撮ったのか覚えていません。今にして思えば、珍しい写真なので載せました。場所は、長崎・外海の出津(し・つ)。奥に見えるのが、「ド・ロさま(神父)」が建てた出津の教会です。手前、白く、地べた(地面)に広がっているのが、「カンコロ」です。
★この辺りは、山地になっており、田んぼがなく、お米が採れません。主食は、サツマイモでした。イモを薄く切って、天日に干します。この当たりの人々は、カンコロを食べて、暮らしていました。2人の女性。おそらく「おんな・べや」と呼ばれた頃の「あねさん」でしょう。ワラで編んだ「かがり」で運ぶのです。こう、こんな時代は遠くに去りました。なつかしいシャシンです。
★先祖から受け継いだカトリックの信仰を何よりも大事に生きてきた。暮らしてきた。左側の石垣は、「ド・ロべい(壁)」です。ド・ロ神父さまは、この道を歩きました。おんな・べやのシスターたちも、この道を歩きました。当時の思い出を持つシスターも、じょじょに居なくなって、寂しい道になりました。
★日曜日。朝は、5時過ぎに起きて、6時のミサで祈りました。午後のロザリオにも参加。食事は食堂へ行っております。風邪気味になって、ちょうど1週間が経ちました。今頃になって、セキがよく出ています。もう、しばらくの辛抱でしょう。

2017年1月21日土曜日

三度の食事、食堂へ。皆さんと一緒が、おいしく食べる

今度のカゼには、参りました。もう、6日目です。声が出ないのです。だから、すぐ分かる。「あれ、カゼ、ね」。話したくないです。
★全国的に冷え込んでいます。今朝は、教会を休みました。朝食前に、起きて、準備をして、食堂へは出ました。ひさしぶりの感じで、皆さんと一緒になって、恥ずかしいよ。昼も食堂へ。
★午後、教会へ。ロザリオの先唱は、園長神父さまが行ないました。夕食も、食堂で食べるつもりです。
★明日は、日曜日です。湯江教会の祭壇の生け花です。明日は、ミサには出られるでしょう。
★老人のカゼは、いつまでも気分が良くなりません。辛抱するしかありません。

2017年1月20日金曜日

室外を出ずに、休んでいます。忍耐が必要です

カゼ気味・5日目。もう、いいでしょう。自室から出ないで、休んでいます。テレビも見ない。考え事もしない。
★写真は、自室で食べた昼食です。カレイのお煮付け、刺身・コンニャクの酢ミソかけ、野菜炒め、すまし汁、リンゴ・ムース、ご飯、でした。「食べれば、ゲンキが出る」。いつも、そう思って食べます。熱は下がって、6度6分どまり。
★入江さんが心配して、何度も、戸をあけて、声をかける。人との会話。返事が出来ない。声が、しわ枯れ声で、はずかしい。今日までガマンしております。
★明日は、大丈夫でしょう。食堂へも出れるでしょう。だが、朝のミサは、どうかな。迷っております。

2017年1月19日木曜日

老人のカゼには注意せよ。受け止めるしか、ない

風邪気味、4日目。朝食も食べずに、高原修道士さんが運転して、長崎の、毎月1度、診療してもらっている「ヨゼフ・クリニック」へ。
★「先生、今週になって、風邪気味です」。インフルエンザの検査は(マイナス)。点滴を受ける。ノドの吸引。時間がかかって、昼食は、途中の店で、餃子と、長崎ちゃんぽんを食べる。
★自室に帰って、チカラが抜ける。ベッドに横たわる。看護師さんが来る。「熱を測りましょう」。7度5分あった。「夕食は食堂へ来ないで。運びます」。いま、夕食を食べたところです。
★声が、出ない。声を聞いただけで、「こりゃ、ヤバイ」。すぐ分かる。カゼも、受けとめるしかない。セキも、ゴホン、ゴホン。老人のカゼには、注意せよ。ホームだから、他人に広がるのを心配します。黙って、自室に閉じこもって居なさい。

2017年1月18日水曜日

こころ、丸く、白く、やわらかに、カブのようになりたい

絵てがみ教室で描きました。
★風邪気味、3日目。ノドが痛く、ハナ水が出て、声が枯れて、しゃべると、「あら、かぜ、引いてるね」と言われて、言葉も出せにくく、困っております。幸いに、熱は、ない。6度6分どまり。朝、起床時は、6度。安心して、いつものように教会へ行っています。
★人は、毎日、「①三食、食べて、②大のトイレを出して、③夜、眠れて、④自分で歩けるならば、それが生きる基本です」。安心して、暮らせます。ただ、ホームに入ると、「人から頼まれることが、ない」。これが寂しいですね。愛が減るのかね。人のために、何かを尽くしたい。ホホエミを与えることが出来るじゃないか。それだけでは満足しないようです。
★100歳近い老・司祭が言った。「いのり、愛、清さ、だね」。この言葉を時々思い出します。この司祭は、毎日、ロザリオを何本も唱えている。愛は、人のために尽くす、これらは出来ます。清さが、難しい、言うのです。邪念は歳をとっても、あるもんです。
★かぶのように、こころは、丸く、白く、やわらかく、清くありたい。 

2017年1月17日火曜日

ホームで、100歳の女性が逝去。うらやましい最後

老人ホームだから、歳を重ねていけば、いつかは、神さまに召される日が来るでしょう。ホームの歴史と共に、どれだけの人を見送ったか。
★100歳になる女性が、逝去された。18年半、ホームで生活された、と園長神父さまは「お通夜」の式で話された。ホームのお通夜は、午後2時半から、ロザリオを唱えて、3時から行なわれる。夜には、しない慣習です。
★いま、お通夜から自室に戻ってきたところです。仏教徒でも、遺族が望めば、教会で、キリスト教式で行なわれる。園長神父さまは、11年、ホームに勤めているが、「入居者」という言葉を使ったことが無い。「家族です」と強調していた。
★終礼のときに、臨終になり、揃っていた職員が、すぐ周りに寄って見送った。こんなに最後を多くの職員から見送られた人は居ないだろう。うらやましい程の最後だった。
★100歳ともなれば、子や孫さんも多い。お通夜にも、大勢の方がお別れにきていた。
★昨日の朝から、風邪気味で困っている。セキは出ないが、ハナ水が流れ落ちる。

2017年1月16日月曜日

洗濯物、洗ってください。ハイ、出来ました。感じる愛

生活の一部を、垣間見せましょう。毎日の洗濯物です。入居した当時は、自分で洗濯していました。そのうち、洗濯の職員さんにお願いすることにしました。
★毎朝、肌着の上と下。靴下。睡眠中の肌着、パジャマなど、着替えて、朝食へ行くときに、洗濯場に置いておきます。週に、1度は、シーツ、枕カバーなどの洗濯もあります。昼ごろには、立派に仕上がって、部屋へ届けてくださるのです。毎日の日課です。正月・元日の日だけ、お休みがありました。それ以来は、専門の職員さん、お2人が、交代で勤務して、洗ってくれます。
★ありがたいことです。皆さんに助けられて、快適な生活が出来ております。
★午後のロザリオが終わって、日記を書いております。これから「今日の聖書」を読みます。「教会の祈り・晩の祈りと、寝る前の祈り」を唱えます。しばらくすると、夕食の時間になります。
★きょうは、3人で、朝、9時から入浴しました。背中を入江さんが洗ってくれた。だんだん、チカラが弱くなっていくのを感じます。「ありがとう、よーッ」と手で合図します。耳が遠いからね。

2017年1月15日日曜日

浮き沈む人生でも、喜びも希望もある。発見の日々

紙袋を探していると、こんな絵が出てきた。多分、以前、毎月通っていた島原半島のオバマ温泉宿、富士屋さんで描いた絵であろう。「露天風呂」は、いい気持ち。モミジの葉っぱが1枚、ひらひら湯に落ちて、浮き沈みするのを目(ま)の当たりにした。
★人生に、浮き沈みはあろうとも、まさかホームのお世話になろうとは、この時は思いもしなかったであろう。
★ホームの生活では、改築が進み、食堂や、風呂場に及んで、生活も変わってきた。ひと時の辛抱であろう。日曜日には、3人で朝・風呂に入っていたが、月曜に変わった。食堂も、少人数になり、淋しくなった。入江さんは、いつも私と共に居る。
★おかげで、日々、平穏・無事に過ごしております。今年になって、訪問者も居ない。絵ハガキが1通、フインランドの直美さんから、届いた。
★先日は、突然、電話があって、女性が長々と話し始めて、尽きなかった。立っている足が痛くなる。女性の話は、こうだ。「もう、40年前になろうか。オラショの旅に参加した。小崎さんに出迎えられて、親切にしてもらった。いまも忘れない。自分はAのグループで来たのに、Bのグループの人数に入ってくださいといわれ、おかげで誰ソレさんと親しくなった。いまも親交がつづいている。「長崎オラショの旅」の本を大切に持っていたが、いつの間にか、貸したら戻って来ない。買うには、どうしたら、いいでしょうか。送ってください・・・延々とお話はつづいた。
★40年も経って、こういう話が聞けるとは、幸せというべきか。この女性の人生も、同じように多くの浮き沈みがあったろうと思う。

2017年1月14日土曜日

夜中、睡眠時に呼吸が止まる。重症だよ、言われて

病気ばかりしていた訳ではない。元気なときもあった。飛び回っていた時もあった。イビキをかいて、眠った時もあった。しかしホームに入って、10日ほど経ったとき、高原修道士さんから言われた。「トマさん、イビキがすごい。今朝、聞いて、大変だった」
★そこで毎月、1度、診察・投薬を受けている「ヨゼフ・クリニック」のお医者さんに告げると、国立長崎病院で、「睡眠時・無呼吸・症候群」の検査を受けるよう勧められた。2014年12月のことであった。その結果は、なんと、最もヒドイ、重症と診断された。これには我ながら、びっくりしました。夜中に、イキが絶えても、おかしくない。よくぞ、まあ、生きて来たモンだと思った。
★報告書には、「睡眠1時間あたり、平均で、約58回、呼吸が停止(または低下)していました。最も長いときで、約153秒間、呼吸が停止していました」。これが現状です。
★ヨゼフ・クリニックのお医者さんの手配で、「無呼吸を助ける機械」を持って、業者がホームに現われた。写真が、その機械です。これを睡眠時に、クチに、ゴム・マスクをつけて、スイッチを入れると、空気が出てくる。サンソではありません。クチは閉じて、鼻で呼吸をする。この機械を始めたのは、2014年12月13日でした。
★あれから、2年あまり、この機械を外すことなく、安心した睡眠をとっています。ステント入れ換えで入院したときも、島原のシスターの家で泊まったときも、持って行った。かなり重い機械です。毎日、清浄水を補給します。
★歳をとると、人間は、身体に、いろいろな故障が出てくるなあ、と思います。1度も外したことがないので、ヨゼフ・クリニックのお医者さんによると、結果は、良好のようです。業者の会社から、先生のところに、「データ」が送られる。いろいろ、ありますなァ、人生は。

2017年1月13日金曜日

コメントに老人ホーム。本を読み返した。改装・楽しみ

先日、10日の日記のコメントに、「まゆみ」さんから、次の文章が載っていた。
★「湯江の老人ホームという言葉が、ずっと気になっていて、以前、水浦久之さんの本で読んだことがあった、と思って、今日は水浦さんの本を読み返しました。また改修の時期になったのですね。お風呂や食堂、しばらく不自由ですが、新しくなるのは楽しみですね」
★「まゆみ」さん、よく、日記を読んでくれて、ありがとう。ホームの工事は進んでいて、完成を待ち望んでいます。水浦久之は、我が親友です。もう故人となった。
★早速、長崎の聖母の騎士社に電話をして、その本を送ってくれるよう頼んだ。騎士社の修道士さんが用件をついでに持参してくれた。「トマさんの日記を見て、本を読んでくれる人が居るんですね」と感心しながら手渡した。本当に、誰が、どこで、つながりがあるか分からない。
★その本の内容ですが、「人間ですから」という題で、4ページの小文です。要は、俗人は、子や孫に囲まれても、10人、20人。神父さま方は26,7歳で司祭になり、司牧の責任を負い、俗人の私たちと違って、沢山の信徒と係わり合いを持ち、いきなり父親になられる。30年、40年、父親を続けられる。そんな神父さまにとって引退はどんな意味を持つのか。
★至って人間的な言い方をすれば、途方もなく淋しいものに違いない。勿論、霊性に生きられる司祭生活を想えば、信仰のうすい凡人のたわ言であるかも知れないが、そうは言っても「人間ですから」と、やはり拘わらずにはおられない・・・。
★水浦久之よ、よくぞ、書いてくれた。いま、まさに、私が体験し、現実を見ているのです。司祭も修道者も歳をとり、やがては老いていく。霊的にも、身体的にも、介護的にも、最後まで「見取る人」が居り、幸せであって欲しい、それが願いなんです。久之よ、オレの心境が、天国から、わかるか。

2017年1月12日木曜日

人は目で見る。神は心で見る。我が身分を忘れるな

島原カトリック教会のステンドグラスの一部です。島原へ行ったときに、お祈りをして、撮りました。
★島原のキリシタンたちが、雲仙の山へ連行されて、殉教する場面だと思いました。殉教を前に、牢屋で、祈る信徒。雲仙では、温泉の沸騰する湯を身体に掛けられました。それでも神を信じて、キリスト信者であるのを忘れなかった。苦難に耐えた殉教者たちの信仰を思うと、胸が篤くなります。
★コルベ神父さまの殉教を思い出しました。裸にされて、狭いコンクリートの部屋へ閉じ込められて、食べるもの、一滴の水も与えられなかった。餓死の刑だから、です。ほかに9人の同室者が居た。コルベ神父さまは、自分が司祭であることを忘れなかった。「わたしは、カトリックの司祭です」。ナチの所長フリッチイにも、そう告げた。
★餓死の牢獄では、同室の者たちに、自分は司祭であることを告げて、同じ境遇の彼らを慰め、励まし、神へと導いたのは、本当に素晴らしい行為だったと、いま、思います。
★厳しい迫害に耐えた島原の殉教者たちも、自分たちが、キリスト信仰者であることを決して忘れなかった。自分の身分を忘れないのが、いかに大切か。
★老人ホームで一般の男性、女性と、三食共にして、語らい、暮らしていると、孤独を感じて、自分が何者であるかを忘れてしまいそうになる。普通の人間か。いや・・・他人が認めようが、認めまいが、カトリックの修道士という現実が、前に来る。70年、それで生きてきました。先ず、それが先に来る。その後で、からだの具合が来るのです。
★熱湯を掛けられる島原の殉教者。餓死の牢で裸のコルベ神父。役人や、ナチの兵士には哀れに見えたでしょう。人は、目で、見る。神は、心で、見る。我が身分を忘れまいと思う。弱い人間であるのを感じて、助けを祈る。

2017年1月11日水曜日

心配事は、ありません。ただ歳を取るのは勝てません

朝、ミサのとき、書簡で、次の言葉が読まれた。「イエスは、(中略)、事実、御自身、試練を受けて苦しまれたからこそ、試練を受けている人たちを助けることがおできになるのです」(ヘブライ人への手紙。2-18)。この言葉が、ジーンと、胸に迫りました。試練は、あるのです。
★修道士とは、どんな身分か、時々、考えます。司祭とは違って、信徒との接触も余りない。しかし宣教の使命はあります。修道士になろうと思ったきっかけは、神さまのこと、マリアさまのことが好きだった。惹かれる何かが、あった。途中、病いで苦しんだが、この道を選んで、平凡だが、過ごしている。
★自分を見失った人に言いたい。「あなたは、あなたの道を進めば、よい。あなたは、あなたで、いいんですよ。あなたにも、よいところは、ある。生きているじゃないですか。生きていることが、すばらしい」
★ホームでは、午後3時から、隣の湯江教会で、ロザリオを中心に、カトリック祈祷書から、「聖体を訪い奉る時の祈り」や「晩の祈り」「召命を求める祈り」など、45分ほど祈りの時間があります。そのときが、私にとって一番、心が和むのです。湯江教会のステンドグラスからもれる光は美しい。これも安らぎを与えます。園長神父さまも、必ず、ロザリオに参加します。これが頼もしい手本です。
★なにも心配ごとは、ありません。毎日、変わりは、ありません。ホームの生活は決まっています。変わらないのが、幸せです。だが、歳には、勝てません。
★今の自分を考えるならば、創作はなく、予定はなく、企画もない。能動的でない。これで、ニンゲンとして、生きていると言えるのだろうか。時折、疑いも、起こります。「でも、これが、私の試練です。私は、わたしで、いいのです」
★そんなとき、教会で、祈るのです。ロザリオを唱えるのです。手を合わせるのです。すると「ああ、オレは、ニンゲンだ」と、ホッと、するのです。「サンビ、と、カンシャ」。ホームに居る、もう1人の修道士さんは、いつも、その言葉を聞かせます。「世の中には、理不尽もあるが、人の強さ、希望もある。それが根底にある」。(テレビから流れた声)

2017年1月10日火曜日

ホームに赤ん坊のなく声。「はな」ちゃんだ。立てるよ

ホームの午後、ロザリオを唱えに、教会へ、玄関・事務室の所で、赤ん坊の泣き声がする。「やあ、はな・ちゃん、じゃないか。こんにちわ」。お母さんの絵里さんは、ホームの職員で、今は育児休暇中。「きょうは、何事?」「保育所に入れるため、手続きの書類をもらいに来ました」
★はな・ちゃん、久しぶり。一人で立てるようになった。去年(2016年)3月2日生まれ。この日記でも、時々、載せて、成長を見守ってきました。急いで、3階の自室に戻って、デジカメをつかんで、写しました。「もう、帰ります」。ゆっくり、お話を聞く時間はなかった。
★かわいい・はな・ちゃん。「はな」は本名です。いい、名前だ、ね。おカオが、まんまる。赤いお服が、似合うよ。もう、保育所に入るんだ。お母さんから離れない。ほかの女性職員に抱かれると、泣き出した。
★ロザリオを終わって、事務所で、「絵里さん」のことを聞くと、ふしぎなご縁を教えてくれた。北海道・函館の出身で、近所に、長崎を知っている「おばさん」が居た。その「おばさん」に連れられて、九州に来たこともある。長崎にも、聖母の騎士にも来たらしい。その「おばさん」はカトリックだった。
★高校を卒業して、長崎で、働きたいと、聖母の騎士を訪ねて、セルギウス修道士さんにも会ったとか。湯江のホームを勧められて、働き始めた。18歳だった。ちょうど、20年前になる。
★2015年5月に、湯江教会で、ホームの全員から祝福されて、結婚式を挙げた。日記でも紹介している。そして、はな・ちゃんが生まれた。
★事務所で聞いた話が本当か、どうか。いつかは、ゆっくり絵里さんの話しが聞きたいと思っている。はな・ちゃん、ゲンキに、明るく、育ってね。見守っているよ。

2017年1月9日月曜日

船が残す足跡。泡と波と。過去と今、そして未来は

フェリーの後部に立つと、消え行く泡と、波が目に飛び込んでくる。年末、天草へ渡ったときのフェリーから見た風景だった。
★一望しながら、こう、考えた。去り行く白い波は、「過去」ではないか。そうすると、今、自分が立っているデッキが、「現在」だ。私の背中の、船の行き先が、「未来」になる。そう考えると、思わず、手のひらで、額(ヒタイ)をなぞるのだった。
★聖コルベ館に居たとき、24年間、修道院内では、修道服を脱いだことはなかった。意識して、着ていた。巡礼者が来る。旅行者が来る。修道服は、1つの看板だった。この服を見れば、誰もが分かる。中身は、凡人だが、修道服が「モノ」を言わせてくれる。
★ホームに入って、入所当時は、修道服を着ることに抵抗があった。教会でも、着ていないことがあった。今は、朝、ミサのときは着ている。ロザリオは普通の衣服だ。修道服に誇りを持とう。ホームで、「修道士さん」と呼ばれることはない。「トマさん」も、ない。さびしいと思う。
★今日は、成人の日。20歳、新・成人を祝う日。戦争が終わったとき、私は、17歳。それから、3年後、20歳。成人の日なんて、あっただろうか。戦争中に、魚雷工場で働いていたので、学業が遅れて、20歳のときは、新制・高校の2年生だった。
★テレビをつけると、奇妙な頭髪、衣装をつけた新・成人が、マイクに向かって、しゃべっていた。これが、案外、まともな事を言っているので、まんざらでもないと思った。だが人生は、欲望との闘いでもある。本当の幸せをみつけて、安らかな気持ちの超・高齢者になってもらいたい、そう願った次第だった。
★風呂場の工事。隣に、もう1つ、風呂がある。少し小さめの湯船で、それでも畳2じょう分はあるだろう。入江さん、キリエさん、3人で入った。食事は、キリエさんは別の食べ処に変わって行った。

2017年1月8日日曜日

主の公現の祭日。星に導かれた博士たち。星の思い出

日曜日。主の公現の祭日。3人の博士が、ふしぎな星に導かれて、聖家族を訪ねて、イエスに、宝の箱を奉納した。神の御子イエスが、一般に知られた「公現」をお祝いします。
★湯江カトリック教会の祭壇に飾られた「生け花」です。降誕節は終わり、教会の中に飾ってあった「馬小屋」や「星」などは取り払われました。
★星に導かれて、神の御子イエスを拝みに来た、なんと、神秘的な話ではありませんか。
★「星」といえば、私には強烈な印象の星々が、2つあります。1つは、原爆の丘で毎夜、見ていた星の輝きの美しさです。地上のものは、一切、崩壊し、夜になると真っ暗です。ただ浦上天主堂の祭壇の辺りが、燃えている火だけがあった。その火を見ながら、今の永井博士の「如己堂」あたりの丘から、泣いていました。涙を振り払って、空を見ると、真っ暗な中に、満天の夏の星々が、きらめいているのでした。「なぜ、地球の星では、戦争など、憎み合いがあるのだろう」。嘆いたものでした。
★もう、1つの星の美しさの思い出は、ポーランドの原野を走るバスから降りて、見上げた星々でした。今から、40年ほど前の忘れ難き印象です。空気が澄んでいて、見上げる星は、なんとも言えない美しさで光っていました。星の美しさは、星が近くに見えるのです。
★今日は、ホームで、食事の場所の変更があった。食堂が改装工事に入ります。昼食から食堂が、4箇所に分かれて、人数も分散して、食事を取ることになった。私の前の席が、入江さん。隣の席が、キリエさん。さあ、このまま行くのだろうか。

2017年1月7日土曜日

「福よ、来ーい」。獅子舞も出て、楽しい新年・誕生会

1月に入って最初の土曜日がきました。恒例の「誕生会」と、「新年会」を併せてのお祝いが、いっしょに開かれた。
★1つ、また歳を取る。長生きは、神さまの恵みです。誕生会を皆さんは、楽しみにしている。食堂を改装工事をする関係で、2月の誕生会も一緒に祝われた。14人ほどの入居者がいた。
★数日前の新聞によると、高齢者とは、75歳以上を言うそうだ。90歳以上は、超・高齢者。ホームには、80代、90代が多いのです。長生きするのも、キツイ。ツライ、とグチをこぼします。でも、長生きは恵みですよ。若くしてイノチを落とす人は、本当に残念です。かわいそうです。イノチを大切にしたいものです。
★ところで、誕生会といえば、何と言っても、大いに期待しているのは、職員による「出し物」です。「今度は、何か、な」。写真を撮りたいので、興味があります。ごらんの通りの、お正月らしく、「福、来る」と、「獅子舞」もあり、「ひょっとこ」の出番もあった。食堂は一気に、賑やかな、笑いに盛り上った。日本人は、こういう出し物が好きですよ。ホームに居る人たちは、戦前や、戦争中の食料難、敗戦の惨めさ、戦後を、がむしゃらに生き抜いてきた苦労者ばかりです。
★楽しみの食事は、牛肉のすき焼きでした。他には、豚ナベなど、3つの組に分かれていた。私は、もちろん「すき焼き」組でいただきました。
★しかし、60数人の入居者のお祝いの食事、すき焼きや、料理を準備するのは大変なご苦労です。栄養士師さんも、調理場の職員さんも、総出であわただしく振る舞い、お世話してくださる。また、後片付けが見てもわかります。タイヘンなんです。それを優しい心で応対してくださる職員の皆さんに、ありがとう。「もう、われわれは、超・高齢者だよ」

2017年1月6日金曜日

正月にちなんだ漢字の書初め。3人で入浴も終わる

「書初め」を行ないました。新年にちなんだ幾つかの筆字を書きました。子どもの頃は、よく、あらたまって書いたものです。
★昨日の日記で、一枚の写真から、四年前を振り返って日記を読むと、それは大変な試練であった。しかし二年後、更に大きな苦しみに遭遇する。一日、一日を耐えるしかなかった。
★「神よ、あなたは、ひとり子キリストと共に、すべて、よいものを与えてくださいます。私たちが、あなたの愛に感謝し、きょう一日の喜びと苦しみをささげることができますように」(今朝の聖務日課の祈りから)
★ホームでは、昨年の6月から、改築工事が行なわれている。半分の工事が完了して、新しい職員の詰所や、畳が取り除かれて、車イスでも入れる個室などが次々と出来た。今度は、残りの半分の工事が始まる。医務室や、食堂、風呂場なども改装される。
★これまでお世話になった風呂、入江さん、キリエさん、私の3人で、いつも入浴していた広い風呂場も壊される。今朝、朝食が終わると、すぐ、3人で入浴した。「これで、サイゴ、だね」。3人が風呂場を出ると、早速、改装工事に取り掛かった。「どのような風呂が出来るのか」。楽しみにしています。

2017年1月5日木曜日

ハイ、ポーズ。男の子と、4年が経って、年賀状くる

聖コルベ館で撮った男の子との写真。写真の下の数字を見ると、2012年8月15日、お盆のときに撮っている。確か、家族と一緒に来たと思うが、名前だけは覚えている。「コータ」君といいます。漢字で書けば、「洸太」。愉快な、元気な男の子だった。こういう動き回る男の子が好きです。「オイ、コータ、写真、撮ろう、ハイ、ポーズ」。2人は、楽しそうに、手で格好をつけた。
★あれから、4年と4ヶ月が流れる。去年も年賀状が来たが、「元気ですか」のひと言。今年も、また来た。「今年、中学生になります。今年も、よろしくおねがいします」と、大きな、はっきりとした、頼もしい字で書いている。「オーォ、もう中学生か」。子どもの成長は早い、と感慨は深い。
★2012年の8月だから、当時の日記を調べてみた。15日には、載っていない。私は明るい顔をしているが、この頃が一番苦しいときだった。18日から入院をして、死に目に会った。
★22歳のときに、右の腎臓を摘出して、左の腎臓だけで生きてきた。この年になって、その頼みの腎臓が異常をきたす。カトリックの病院に入院して、腎臓に溜まった異物を、特殊なレーザーの機械を挿入して、手術を行なった。全身麻酔で、その後、悪寒がきて、40度2分まで熱が上がり、治まったかと思うと、尿が全く出ない。尿が出ないのが、一番タイヘンだ。
★もうダメかと思われたとき、祈った。「主よ、あなたは、私と共に、私のソバに居られますか」。すると、早朝、司祭とシスターが「チリン、チリン」と鈴を鳴らして、ご聖体を拝領させてくださる。その途端、尿が出始めて、一命を取り戻した。「主よ、御身は、共に在します」。1週間の入院で、聖コルベ館へ帰った。
★しかし退院はしたものの、また直ぐ、8月末に、尿が出なくなり、入院となる。この時ばかりは、「病者の塗油の秘蹟」を受けて、覚悟を決めた。ステントを入れ替えて、このときも危険を脱した。16日間、入院した。この年は、これまで、6回の入院だった。
★入院中に、「ああ、いつ、聖コルベ館に帰えれるかな。ゲンキな、コータ君と、ピースをしている夢を見たよ」と、9月10日の日記に写真を載せたのだった。
★「主よ、あなたは、私のソバに居られます」。病気のとき、痛むとき、本当に苦しい。誰かが、主が、ソバに居てくださったら、もう、申し分のない喜びでしょう。今夜は、ゆっくり休みます。

2017年1月4日水曜日

沢山、食べる老人は、長生きする。お酒もたしなむ

昨日の「コメント」に、「2月は霊名日、3月は誕生日、4月は復活祭と、お祝いがつづき、楽しみですね」と、あった。本当に、そう、です。修道院によばれて、ご馳走されたとき、帰りに言われた。「今度、霊名日(日本26聖人・トマ小崎)、だから、な」
★写真は、元日に、園長神父さまから「御とそ」を注いでもらった入江さんです。今朝、一緒に、入江さん、キリエさん、例の3人で入浴しました。
★朝、食事前、食堂の入口で、扉が開くのを待っていると、隣に座った入居10年になる女性が、「今年は、カンテンは、出なかったね」と、つぶやいた。なるほど。正月料理は、栄養師さんの計らいで、一通り出た感じがしたが、「カンテン」は出なかった。「カンテン」は、おいしい。よくぞ、女性は、細かく覚えているよ、と感心した。
★実は私は、修道院によばれた時、赤と、青のカンテンをおいしく食べていたので、「そう、ね」と応えただけで、後は黙して何も応じなかった。「食べる意欲のある老人は、長生きする」
★ホームに居て、寂しいのは、「他人から、何かを頼まれることが、ない。他人に、何か、与えることが、ない」ことです。
★入江さんは、年末に、私が、島原へ行った日、早朝から魚釣りに出かけた。ほかに、事務長さんと、隣の神父さんが同行して、入江さんの手配で、いつも本格的に漁船を雇って、天草灘で釣っている。「船に乗っているだけだから、楽だよ」と入江さん。両手を広げる程の大きな鯛を釣り上げた。満足して、新年を迎え、「御とそ」をいただいたわけです。92歳を迎える。入江さんとは、お互い、心が通じ合う一番の親友です。

2017年1月3日火曜日

正月と、2日の夕食。修道院で楽しく過ごしました

「修道士は、修道院にあって、仲間の修道者たちと暮らす共同生活こそが、何よりも、大きな喜びである」。その実感は、ホームに入って、身にしみて分かる体験です。
★今年も、お正月に、ホームに隣接している湯江修道院から、「元日と、2日の2回は、夕食を一緒に食べよう」と、お誘いがあった。ホームに入っていても「つながり」がある。修道者の皆さんと共に居ると、古里に帰ったという安堵感というか、こころが、ほぐれるのを感じます。
★写真は、元日の食卓です。お刺身に、お雑煮でした。ワインも飲みました。昨日の2日は、すき焼きでした。シャンパンで乾杯をして、ワインも飲みました。司祭が、4人で、修道士が、2人の共同体です。わいわい、がやがや、楽しい、ひと時でした。
★修道士は、仲間の皆さんと一緒に暮らして、食べたり、祈ったり、笑ったり、語らいをしたりするのが、一番の幸福なのです。そのために、この道を選んだのですから。ホームで独りで生活するのは、寂しいことです。
★でも、この身が老いて、身体が不自由になれば、介護のお世話になるのも、仕方のないことでしょう。
★昨夜の会話は、戦争が終わった頃の、食料が不足していた聖母の騎士の苦労・体験談に、盛り上りました。「永井隆博士から、中学で、理科を習ったこと」は自慢になった。お世話になったポーランドの修道士さんたちの名前もあげて、話題になりました。ご恩は忘れることは出来ません。
★今日は、長崎から、白浜さんが、聖母の騎士の「ルルドのお水」を持ってきた。

2017年1月2日月曜日

弱いニンゲンでも、聖なるものへの 憧れがある

ホームの食堂。舞台に飾られた「お正月」の風景です。食事のときは、琴の音の音楽が流れ、雰囲気は、「いつになっても、正月は、いいな」です。
★さて、正月に、何を思うか。2年2ヶ月になるホームの生活。以前は、「孤独」や「寂しさ」だったが、そのうち、「気力」や「やる気」が胸に覚えるようになった。
★今は、どうだろう?最近は、「神の導き・はからい」を、よく考える。今に至ったのは、自分の努力もあったろうが、すべては神の導き、計らいであった。
★人は、自分の能力や才能で、人生を切り開いてきた、と思っているだろう。そういう人は、「これは運命」と理解するだろう。
★私たちは、神が望まれて、この道を歩み、これまでの長い人生が、今に、つながっている、と思う。神の導きと、それに付け加えられた恵みがあった。だから苦しみがあっても乗り越えられたと、思う。
★「トマさんのことば」というのがあった。それを大切にしよう。例えば、人生で、大きな壁に、ブチ当たる。すると、そこには助ける人が、必ず居た。また苦難に、ブチ当たると、そこには助ける「善きサマリア人」が居た。だから、「今が、有る」。長い人生で、その流れを痛切に感じる「トマ」なんです。
★これから、どうなるのか。「み旨のままに、神さまの御望みで、導かれますように」そう、念じて、祈っております。自分がこの世に存在したのは、神の愛があったればこそで、それがイノチとして与えられた。どのような人でも、神の愛によって、生かされている。存在していることに、意味がある。役に立たない人など、誰も居ない。
★テレビで、「年越しの渋谷」の騒ぎなど見ていると、ある者が、奇妙な行動に走る。ノボセた「バカなこと、しているな」と思うけれど、人間には、誰しも、バカなことを「したい気持ち」はあるのです。それだけでない。「アクマにも、なりたい」時もある。それが人間の複雑なところです。
★自分の人生を振り返ってみても、バカなこと、アクマのこと、ありました。弱い人間です。だから、もう少し、ワクを広げて、目に見えるものだけでなく、真実は何か、見ようじゃないか。

2017年1月1日日曜日

2017年、平成29年。新年、あけまして おめでとう

新しい年・元旦。ホームの一室から見た今朝の日の出です。十字架に輝いて見えた。下は、有明海に反映している光です。その中間の、薄い細長い流れは、島原半島、雲仙岳の裾野です。雲一つない、すばらしい天候でした。「世界に、平和と、幸福がありますように・・・」
★あわただしい一日でした。普通の通りに、4時45分に起きる。日曜日。「神の母、聖マリア」の祭日。6時からのミサで祈る。ミサが終わって、撮ったのが、この日の出の写真です。夜勤の女性職員さんから「ここが、いいですよ」と言われる。そこは今度、改装した部屋でした。
★お年寄りにとって一番の楽しみは食べ物でしょう。朝食は、お赤飯、みそ汁、エビ入りの炊き合わせ、数の子、黒豆、牛乳でした。食事が終わると、早速、今年の一番風呂に、入江さん、キリエさんと、3人で、入浴した。「最高の気分だよ。恵まれて、いるな」
★新年の湯から上がると、顔は、まっかっか。その顔で、急いで修道服を着て、10時からの公式の新年のミサで祈りました。湯江教会は、大勢の喜びと希望に満ちた人びとであふれていた。
★11時30分から、お祝いの「新年の式」と、昼食会が始まる。食堂に全員が集まって、男性・女性の職員さんが、ずらりと横並びに揃った。中央に園長神父さま。舞台には、晴れ晴れと、国旗が飾られ、白い聖母マリアさまのご像。先ずは、全員で、国歌斉唱「君が代」を唄う。次に、「お正月」の歌。「なつかしい歌ですよ」。何の抵抗もなく、皆さんは大声で歌った。園長神父さまの挨拶があって、いよいよ次に、園長神父さま、職員さんが手分けして、各テーブルを廻って、皆さんに、「御とそ」を、順々に飲ませた。「ここまで来れば、お正月、気分に、なりますよ」。アヴェ・マリアの食前の祈り。カンパイ。
★昼食のメニューは、お雑煮、鯛の尾頭付き塩焼き、紅白のカマボコ、うま煮、栗きんとん、カニ爪、菊花かぶ、でした。大きな入った「お雑煮」を、私は、2杯食べた。
★午後は、しばらくベッドに横になる。「疲れたよ」。事務室の職員さんから、年賀状を渡された。長崎の聖母の騎士から、松下修道士さんが来た。3時から、いつものように「ロザリオ」です。「平和と、幸福を祈りました」
★おかげさまで、正月を迎えることが出来ました。ホームに来て、3度目の正月です。「ことし、イッパイは、がんばろう。すると、来年は、90歳になる。それが、ユメ、です」
★ついでに、夕食のメニューも書いておきましょう。ご飯、刺身、おにしめ、紅白なます、小豆入り泡雪寒、でした。
★いま、教会の夜の鐘が鳴り響いています。