2017年1月11日水曜日

心配事は、ありません。ただ歳を取るのは勝てません

朝、ミサのとき、書簡で、次の言葉が読まれた。「イエスは、(中略)、事実、御自身、試練を受けて苦しまれたからこそ、試練を受けている人たちを助けることがおできになるのです」(ヘブライ人への手紙。2-18)。この言葉が、ジーンと、胸に迫りました。試練は、あるのです。
★修道士とは、どんな身分か、時々、考えます。司祭とは違って、信徒との接触も余りない。しかし宣教の使命はあります。修道士になろうと思ったきっかけは、神さまのこと、マリアさまのことが好きだった。惹かれる何かが、あった。途中、病いで苦しんだが、この道を選んで、平凡だが、過ごしている。
★自分を見失った人に言いたい。「あなたは、あなたの道を進めば、よい。あなたは、あなたで、いいんですよ。あなたにも、よいところは、ある。生きているじゃないですか。生きていることが、すばらしい」
★ホームでは、午後3時から、隣の湯江教会で、ロザリオを中心に、カトリック祈祷書から、「聖体を訪い奉る時の祈り」や「晩の祈り」「召命を求める祈り」など、45分ほど祈りの時間があります。そのときが、私にとって一番、心が和むのです。湯江教会のステンドグラスからもれる光は美しい。これも安らぎを与えます。園長神父さまも、必ず、ロザリオに参加します。これが頼もしい手本です。
★なにも心配ごとは、ありません。毎日、変わりは、ありません。ホームの生活は決まっています。変わらないのが、幸せです。だが、歳には、勝てません。
★今の自分を考えるならば、創作はなく、予定はなく、企画もない。能動的でない。これで、ニンゲンとして、生きていると言えるのだろうか。時折、疑いも、起こります。「でも、これが、私の試練です。私は、わたしで、いいのです」
★そんなとき、教会で、祈るのです。ロザリオを唱えるのです。手を合わせるのです。すると「ああ、オレは、ニンゲンだ」と、ホッと、するのです。「サンビ、と、カンシャ」。ホームに居る、もう1人の修道士さんは、いつも、その言葉を聞かせます。「世の中には、理不尽もあるが、人の強さ、希望もある。それが根底にある」。(テレビから流れた声)

1 件のコメント:

  1. マリア・フランチェスカ2017年1月11日 20:32

    今日の第一朗読は私にも強く響きました。
    テレビから流れた言葉、私も聴いたように思います。猫のしっぽカエルの手という番組だったような~

    はなちゃん本当に可愛いですね。
    癒されます。
    絵理さんが函館の方と知りびっくりしました。
    函館市内と近辺に6つの教会があります。
    小崎さんご存知のように
    市内にはトラピスチヌ修道院、近くの町には
    トラピスト修道院があります。
    私の知人にお母様が諫早、お父様は五島出身の方がおります。
    ご両親は戦前
    長崎から釧路に移住されたそうです。
    北海道に移住してもご姉弟3人に
    召し出しがあり北海道でも潜伏キリシタンの強い信仰を保たれておられます。
    札幌は外は雪-9度ですが
    こうして長崎とも繋がっているのですね。
    絵理さんの続編私も楽しみにしています。
    春に宝塚市の仁川教会を訪問する予定です。
    今から楽しみにしています。

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