2017年1月13日金曜日

コメントに老人ホーム。本を読み返した。改装・楽しみ

先日、10日の日記のコメントに、「まゆみ」さんから、次の文章が載っていた。
★「湯江の老人ホームという言葉が、ずっと気になっていて、以前、水浦久之さんの本で読んだことがあった、と思って、今日は水浦さんの本を読み返しました。また改修の時期になったのですね。お風呂や食堂、しばらく不自由ですが、新しくなるのは楽しみですね」
★「まゆみ」さん、よく、日記を読んでくれて、ありがとう。ホームの工事は進んでいて、完成を待ち望んでいます。水浦久之は、我が親友です。もう故人となった。
★早速、長崎の聖母の騎士社に電話をして、その本を送ってくれるよう頼んだ。騎士社の修道士さんが用件をついでに持参してくれた。「トマさんの日記を見て、本を読んでくれる人が居るんですね」と感心しながら手渡した。本当に、誰が、どこで、つながりがあるか分からない。
★その本の内容ですが、「人間ですから」という題で、4ページの小文です。要は、俗人は、子や孫に囲まれても、10人、20人。神父さま方は26,7歳で司祭になり、司牧の責任を負い、俗人の私たちと違って、沢山の信徒と係わり合いを持ち、いきなり父親になられる。30年、40年、父親を続けられる。そんな神父さまにとって引退はどんな意味を持つのか。
★至って人間的な言い方をすれば、途方もなく淋しいものに違いない。勿論、霊性に生きられる司祭生活を想えば、信仰のうすい凡人のたわ言であるかも知れないが、そうは言っても「人間ですから」と、やはり拘わらずにはおられない・・・。
★水浦久之よ、よくぞ、書いてくれた。いま、まさに、私が体験し、現実を見ているのです。司祭も修道者も歳をとり、やがては老いていく。霊的にも、身体的にも、介護的にも、最後まで「見取る人」が居り、幸せであって欲しい、それが願いなんです。久之よ、オレの心境が、天国から、わかるか。