2017年1月12日木曜日

人は目で見る。神は心で見る。我が身分を忘れるな

島原カトリック教会のステンドグラスの一部です。島原へ行ったときに、お祈りをして、撮りました。
★島原のキリシタンたちが、雲仙の山へ連行されて、殉教する場面だと思いました。殉教を前に、牢屋で、祈る信徒。雲仙では、温泉の沸騰する湯を身体に掛けられました。それでも神を信じて、キリスト信者であるのを忘れなかった。苦難に耐えた殉教者たちの信仰を思うと、胸が篤くなります。
★コルベ神父さまの殉教を思い出しました。裸にされて、狭いコンクリートの部屋へ閉じ込められて、食べるもの、一滴の水も与えられなかった。餓死の刑だから、です。ほかに9人の同室者が居た。コルベ神父さまは、自分が司祭であることを忘れなかった。「わたしは、カトリックの司祭です」。ナチの所長フリッチイにも、そう告げた。
★餓死の牢獄では、同室の者たちに、自分は司祭であることを告げて、同じ境遇の彼らを慰め、励まし、神へと導いたのは、本当に素晴らしい行為だったと、いま、思います。
★厳しい迫害に耐えた島原の殉教者たちも、自分たちが、キリスト信仰者であることを決して忘れなかった。自分の身分を忘れないのが、いかに大切か。
★老人ホームで一般の男性、女性と、三食共にして、語らい、暮らしていると、孤独を感じて、自分が何者であるかを忘れてしまいそうになる。普通の人間か。いや・・・他人が認めようが、認めまいが、カトリックの修道士という現実が、前に来る。70年、それで生きてきました。先ず、それが先に来る。その後で、からだの具合が来るのです。
★熱湯を掛けられる島原の殉教者。餓死の牢で裸のコルベ神父。役人や、ナチの兵士には哀れに見えたでしょう。人は、目で、見る。神は、心で、見る。我が身分を忘れまいと思う。弱い人間であるのを感じて、助けを祈る。