2016年6月30日木曜日

日帰り旅行の日。温泉に、船に、楽しい日でした

 6月も最期の日になった。今年も、半分が過ぎ去った。きょうは、ブログを書く時間が遅くなりました。年に、2回の、「日帰り旅行の日」だからです。ホームを朝、9時に出て、赤い小型バスで、20人、車椅子2台、高原修道士の運転で、長崎市のイナサ山にある「ふくの湯・温泉」へ向かいました。聖コルベ館に居たときは、時々、自分で軽を運転して、湯に入りに来ていた所です。なつかしさが甦ってきました。露天風呂からの眺めは、長崎市内が一望できるのです。湯に入って、幸せを感じました。それから、バイキングの昼食を食べて、おなかも満腹して、今度は、海岸に出て、「ゆめ・さいと」で買い物をしました。長崎港には、いろんな船が浮かんでいて、これも懐かしさを覚えました。「ゆめ・さいと」を歩くのは大変でした。日頃の健康が試されるときです。ふら、ふら、しながらも、歩きました。トイレを探すのが難儀でした。こんな身体になっているのか、自覚した次第です。午後の4時にホームに帰ってきた。午後7時30分から、8時まで、教会で、お祈りと、聖歌と、聖体賛美式があります。

2016年6月29日水曜日

アジサイの絵を描いた。長崎のハナ。すきだね

連日の雨。テレビでは、各地で大雨の被害が報告されている。
★絵てがみの時間があった。紺色のツブツブに、細い毛が伸びている。まわりを、紫の花が囲んでいた。「これ、なんの花ですか?」。先生に聞いた。「ガク・アジサイ、というそうです」「ガク、って?」「額と書くんですね。アジサイの原種だそうです」「わたしは、これを描きます」
★「長崎は今日も雨、額アジサイが咲く」と字を入れた。長崎の中島川の通り、めがね橋付近には、大きな、沢山のアジサイが並んで咲く。あの辺の風景を思い出した。
★母親の里、長崎市の汽車の駅に着いたのは、昭和16年9月だった。駅前には、広場があり、黒塗りのタクシーがいた。13歳だったよ。電車に初めて乗った。浦上の、実家ではなくて、母親のお姉さんの家にお世話になり、4人の従姉たちが居り、温かく迎えられた。その従姉の1人が、時々ホームに見舞いに来てくれる。75年のつながり、だよ。

2016年6月28日火曜日

雨の中、クリニックへ。気持ちは、重い。でも、行きます

長崎市のクリニックの予約の日です。8時に出るので、朝食は食べられない。大雨でした。「これでも、行くのか」「決まった通りに出かけます」。雨のためか、車は渋滞する。高原修道士の運転です。車の中では、高原さんに、ホームでの色々な報告をする。自分の調子も説明する。ゆっくり、話せる時間です。今があるのは、高原さんのお陰です。本当にお世話になっている。「助ける人、やっぱり善きサマリア人だよ」
★9時10分頃、クリニックに着いた時は、雨は小降りになっていた。めずらしく、待合室に、患者は1人だけでした。「きょうは、ついているぞ」。先生の診察は、すぐだった。
★先生に、からだの具合を説明する。「大丈夫、大丈夫」と、励まされる。1ヶ月前の、血液検査表をもらった。「栄養が足りないのでないか」「ホームの食事は完食しています。ただ果物類は控えている」「食べなさい」。診察を終えて、外へ出ると、雨はやんでいた。
★道路のミゾに、小さな絵を見つけた。長崎へ行った証拠に撮りました。どうやら、アジサイのようです。長崎の花です。アジサイは、あちこちで見かける。「長崎は今日も雨だった・・・」。似合う花です。11時過ぎには、ホームに帰った。ホット、肩の荷が降りた感じでした。
★ホームで、午後から、参議院の投票が行なわれた。

2016年6月27日月曜日

「愛のある出会い」を望みます。きっと救いがある

昨日の若者のことです。帰りしなに、湯江教会で、写真を撮りました。2人の若者にとっては記念になると思います。手を振りつづけて、車が消えるまで見送りました。わざわざホームまで面会に来てくれるのは、ありがたいことです。
★人間は、本来、「孤独な存在」です。特に、私には、そう感じます。何度も言うように、7歳で父親は病没し、兄弟はなく、一人っ子で、母と2人暮らしだったが、17歳のとき、原爆で、母と家を失って、全くの「孤独」となった。人生、ひと言で表現するなら、「孤独」でしょう。限りない孤独は、これまでの経験で、身に染みています。
★「孤独」から救われるのは何でしょうか。それは「愛のある出会い」だと思います。人生を生きる中で、それを感じてきました。一人の男性は、コルベ神父の身代わりの愛の出会いで救われた。宗教も、いわば、「愛である神さまとの出会い」ではないでしょうか。
★そして、その出会いは、ふしぎと、瞬時に行なわれ、ご縁になって、「つながり」となる。そこには算術はなく、ひかれるものが、あるだけです。2人が帰った後、その夜、そんなことを考えました。原爆の体験から、「助ける人に、なりなさい。困難が来ても、逃げない人に、なりなさい。許せる人に、なりなさい。平和は、人のこころに、愛の花を沢山、咲かせたときに来る」。いつも私は、そのことを考えている。

2016年6月26日日曜日

出会いって、ふしぎやなあ、と思います。若者訪問

2人の若者が訪ねてきた。男性・哲(さとし)さんは、長崎在住で、わたしが聖コルベ館に居た頃、入館に来たことがある。「トマさんから、ビデオを見せられ、説明を受けました」。女性の美樹さんは、福島から長崎へ2年前に、単身移住して、看護師をしている。度々聖コルベ館にも訪れたが、トマさんには会えなかった。ブログに出会って、親しみを感じたという。
★2人がホームに最初に訪ねて来たのは、昨年2015年1月だった。その時は、通りすがりで、ただ挨拶し、アクシュをして別れた。4月になって、感謝を込めてと、2人の製作で、「トマさんのことば」という、この世に1冊しかない小さな本(34ページ)を贈ってくれた。これには非常に感動しました。ブログから、心にひびく、ゆさぶるような言葉を載せており、写真も添えてある。わたしにとって貴重な本として、手元に置いている。
★美樹さんから時折、手紙が届いたが、びっくりするような身辺の変化があった。長崎から、上五島の医療センターで働いているというのです。一気に、五島の潮の香りが押し寄せてくるのを感じた。毎日、100人ほどの患者さんが来られるという。島に魅せられているようであった。
★昨年の8月にも、ホームを訪問してくれたが、この度も、お揃いで、訪問してくれた。五島の楽しい話を沢山聞いたよ。美樹さんは、とにかく明るい女性だったよ。
★「生かされている喜び、悪に負けない勇気、お礼を求めない愛、目標はわかっているが、それでも人間は、迷い悩むのです」(トマさんのことば、より)

2016年6月25日土曜日

1人の修道士は、わたしにとって善きサマリア人です

お祝いされるのは、嬉しいことです。きのうは、ホームで活躍している高原修道士(左側)のお祝いの会食があった。3人の修道士が写っている。手前に、2人の神父さまが居るのですが、アングルの都合で写っていない。ホームの食事から離れて、こうして、みんなで会食するのも、楽しいことです。つながりが出来ます。
★普通の御食事処ですから、自分、思い思いに注文しました。「すき焼き風うどん入り」を頼みました。
★高原修道士さんには、ホームに入るときから大変お世話になっています。彼の助けがなかったら、チカラも失せたでしょう。「最後に、誰に出会うか。それが善きサマリア人。人生に必ず、そういう人は居る」

2016年6月24日金曜日

洗礼者聖ヨハネの誕生の祭日。高原修道士の祝い

昨夜から、教会の祈りで、洗礼者聖ヨハネの誕生の祭日を祝っています。今朝のミサのときも、祈りました。普通は、聖人の祝日は、神の御国に帰った日にお祝いするのですが、洗礼者聖ヨハネは誕生日を祭日として祝います。
★なぜ、この日にこだわるかというと、日頃、お世話になっている高原修道士の修道名のお祝いだからです。「高原さん、おめでとう」。夕食は、湯江修道院の皆さんと、いっしょに会食に呼ばれています。ごちそうになります。
★洗礼者聖ヨハネのご絵はないか、と探しました。あまり見ない聖人です。幸いに、身近に、1枚のご絵を見つけました。絵自体、あまり見たことのないご絵でした。
★いま、明子さんから電話があった。「いつも湯江教会の祭壇の生け花を活けて下さる女性の誕生日です。84歳になられた。ケーキを持って行きました」

2016年6月23日木曜日

再び、KoKoさん。ここ4年間、毎年、出会っている

テキサスの洽子(KoKo)さんとの出会いを書いているが、コメントも入っている。2014年4月に来たメキシコ人女性エスペランザさんとの出会いの写真も見つかったので、載せました。
★外海の海の美しさに感動した。初めて、こんなに広い海を見た。カンコロも食べた。「覚えた日本語は、『ありがとう』と、『カンコロ』です」
★洽子さんは言う。「自分は、子どもたちに宗教を伝えるのに苦労した。子どもは成長すれば教会から遠ざかる。悲しいことです。しかし外海に行って、キリシタンたちが7代に渡って教えを伝えたのを知って感動した。しかも7代目には外海から沢山の聖職者が出ている。肌でそれを感じたとき、外海には、すばらしい信仰があるのが分かった」
★KoKoさんは、エスペランザさんの活躍を話して聞かせた。長崎のこと、ルルドのこと、聖コルベのこと、外海のこと、白浜さんや、トマさんのこと、忘れないという。うれしい限りです。
★KoKoさんは、りっぱな「コチョウラン」を持ってきてくれた。自室に飾った後、ホームの玄関に置いて、皆さんに見てもらっています。2015年6月に来たときも、コチョウランを貰って、玄関に飾ったのでした。
★出会いは沢山の恵みをもたらしました。感謝して、幸せを祈った。

2016年6月22日水曜日

人と人の出会いは、イッシュンの火花。ご縁は恵み

昨日、来られた洽子(KoKo・こうこ)さん。最初に出会った日の写真が見つかった。2013年7月1日とある。3年前の聖コルベ館での出会いです。振り返ってみよう
★この日、こう子さん(写真・左)は友人と、長崎の聖母の騎士の門まで、タクシーで来た。急な階段と坂道を仰いで、「これでは、とても、ムリ。足も痛いし、この次にしよう」と、タクシーのなかで待っことにして、親友だけが、「騎士社に用件がある」と登った。
★親友がそのままタクシーに戻って去ったら、おそらく出会いはなかったであろう。親友が、聖コルベ館に寄ったので、「車は、ここまで登れます」と聞いて、タクシーは上へ登ってきた。出会いは、ふしぎなご縁だと思う。
★こう子さんが、聖コルベ館に入って、真っ先に言われたのは、「お肌、ツルツル。シワもない。いい顔している」だった。こう子さんとアメリカ人のご主人はキリスト信者。「自分の家に、メキシコからの出稼ぎのカトリック信者がきて、祈りと聖書の勉強をつづけている。主人が、平和の道具になれますようにと、聖フランシスコの祈りを歌います」
★アメリカ・テキサスからメールがきた。「1人、1人の存在の意味を考え、神さまに感謝します。信仰は、愛の人生に生きることですね」
★そして、次の年の4月、25年勤めているお手伝いさん、メキシコ人のエスペランザさんを連れてきた。こう子さんは、5、6度、聖コルベ館に来て、おかげで熱心なカトリック信者のエスペランザさんは様ざまな長崎の信仰の体験をして、特に、聖母の騎士のルルドで祈り、掃除をするのを好んだ。エスペランザさんは言い残した。「聖母の騎士の門から階段を数えると、ルルドまで、434歩あった」。それを聞いて、修道士たちは大笑いしたのだった。
★こう子さんは、昨日、言った。「エスペランザさんは、今では、長崎の信仰の熱心な語り部です。トマさんのこと、白浜さんのこと、忘れない」

2016年6月21日火曜日

テキサスの女性。ブログを読んでいます。再会の喜び

テキサスの洽子(KOKO・こうこ)さんが来られる。洽子さんの実家は、諫早(いさはや)。今年も夏休みに帰って来られた。長崎の白浜さんがお連れする。こうして毎年、夏には出会っている。
★洽子さんは、アメリカで、わたしのブログ・日記を読んでくれて、心の支えにしています、と言われる。聖コルベ館のとき、色紙を40枚も買ってくれた。その色紙を知人に差し上げて喜ばれている、と言われた。うれしいことです。
★きょうの訪問で、11月に上映される「沈黙」の映画や、永井隆博士の「長崎の鐘」の話などが出たが、なかでも印象に残ったのは、洽子さんは、わたしの母親の信仰をすばらしい、と誉めてくれた。
★北朝鮮で、日本人はわたしの家族、母と子と2人だったが、キリスト教の信仰を守り通した。都市には大勢の日本人が居たが、みな仏教だった。母は、浦上出身。決して信仰を忘れることなく、日々祈っていた。大斎や小斎も守っていた。町に朝鮮人の教会が出来ると、日本人の母と子は何の抵抗もなく、教会に通って、地元の信徒と共に祈っていた。信仰とは、そういうことではないか。そのことが「涙が、出るほど、すばらしい」とKOKOさんは感動してくれた。
★きょうは思いがけず、母の思い出になった。

2016年6月20日月曜日

心配ごと、って、ありますか?ウン、やっぱりあるね

「父の日の集い」のときに、出番の準備をしている職員さんたちと、一緒に写真を撮りました。着物姿を写していたら、急に、「アンタも、いっしょに」と肩を抱えられて、写りました。皆さんに、お世話になっています。貴重な写真です。こんな写真は、めったに撮れないでしょう。3日前の写真ですが、きょう、理髪屋さんが来てくれて、散髪しました。「サンパツして、撮ったら、よかったかな」「あまり変わらないか」
★ホームに入居して、1年8ヶ月になりました。ホームという空間で生活していると、「88歳」が年寄りなのか、若者なのか、わからなくなる。95歳の女性が、元気に歩行して食堂へ来るから、「もう、降参だね」。歳を感じるのは、歩くときです。
★ホームの企画には、出きるだけ参加している。コーラスで、童謡も歌う。絵てがみ、書道、ラジオ体操、ドライブ、買い物などなど。椿原の学校で、児童・生徒と生活した経験があるので、抵抗がないのです。ただ生け花だけは、ダメだね。楽しくやろう、気持ちだけはあるが、やっぱり、心配事は、あるね。

2016年6月19日日曜日

日曜日。父の日、でもある。朝、
ミサのとき、我が父のことも思い出した。7歳のとき、北朝鮮の街で、父は「胆石」という病気にかかり、普通なら手術で取り除くのに、手術もできず、病死した。7歳だから、そんなに父の記憶はない。早く死にすぎたと、いまでも恨めしく思う。松吉という名だった。46歳と覚えている。母親は11歳若かった。だから母が再婚するのでないか、小学生の頃は,気が気でなかったのも覚えている。
★ミサの聖福音に、有名な一句があった。「己を捨てて、自分の十字架を背負って、我に従え」。人生には、それぞれ苦しみがある。苦しみの無い人生は考えられない。歳をとれば、楽かといえば、さに、あらず、カラダは自由にならないし、痛み、疲れ、重さ、苦しみが増えてくる。
★しかし苦しみがあっても、お前は1人では、ないのだよ。主イエスが一緒に、苦しみを共有してくださる。ここに共に、イエスが居られる。日常の苦しみの中に、神の計らいと、愛を少しでも見出せるなら、そう信じられるのが信仰であろう。そんなことを考えた。「己を捨てて」。まだ捨て切れない。
★右の写真は、父の日の集いの、左から、入江さん、向こうに、山内園長神父さま、大曾神父さま、小崎修道士である。心は結ばれて、父の日を迎えた。
★きょうのお昼の食事のメニューは、巻きすし、イッサキのサシミ、すまし汁、冷やしぜんざい、だった。

2016年6月18日土曜日

「父の日の集い」。男性に、バラの贈り物。嬉しい


明日が「父の日」だが、今日の午後、お茶の時間に、食堂に皆さんが集まり、ささやかなお祝いが行なわれた。
★ホームは、男性が少ない。この日ばかりは「花の男性」たちは輝いていた。先ず、「バラが咲いた、バラが咲いた」の歌を歌った。これは、コーラスの日に稽古した歌です。母の日は、あれ、だが、父は、バラだよね。
★園長神父さまの言葉ある。カンパイもある。飲み物と、小袋に入った地元のマンジュウも出ていた。
★そして何といっても期待するのは、「恒例になっている」職員さんたちの出し物でしょう。父の日だから、出番は、女性職員さんたちのお揃いだった。美人ぞろいの優しいオトメたちです。世話になっています。「何を、やるんですか?」と問えば、「河内おんど、です」
★音楽に合わせて、踊りまくる。賑やかな雰囲気です。みな、喜びますよ。1人が小太鼓を叩いて、4人が踊る。「サノ、ヨイ、サッサ・・・」。踊りの後で、男性1人、1人に、バラの花が贈られた。1本の黄色いバラの花を自室に咲かせているよ。大事なのは、気持ちだよ。

2016年6月17日金曜日

私たちの修道会の兄弟の集り。いっしょに参加した

バケツのなかで泳ぐサカナが、池のなかへ放たれたら、どんな動きをするだろう。そりゃ、チカラ一杯、泳ぐでしょう。そして自分がサカナだと、意識するでしょう。
★私たちの修道会は、長崎では、4地区で司祭・修道士の兄弟たちが活躍している。教会、幼稚園、高校、養護施設、養老ホーム、印刷所、志願院などです。働き場所は沢山あります。その場で働く会員たちが、2ヶ月に、1度は、集る場所を順番にかえて、教会の祈りを一緒に唱えて、次は、報告と、分かち合い、そして会食をしている。
★その集いに参加しました。ホームから車で、45分の場所で、15人が集りました。わたしも、そのなかに入れてもらった。そのときの気持ちが、バケツから放たれたサカナの感じ、ということです。「ああ、やっぱり、みんなと共に居るのが、楽しい。多弁になり、胸もゆっくりする、いい、なあ」
★話のなかで、わたしの日記(ブログ)を見ているよ、の声もあった。「万国旗が、すぐ贈ってきたね」「苦しみが、あっても当然、失望はしない。マリアさまの生涯も苦しみの連続だった。苦しみに意味を見つけたときに、幸せになる」。そんな記事もあった。読んでくれて、覚えてくれて、うれしい限りです。
★報告のなかで、わたしもホームの生活について話しました。「みんなの泳いでいる池から、外れるのは、さびしいです。つながりを、いつでも感じたい」

2016年6月16日木曜日

「色紙を描いてください」。願いはあるが、実現難しい

聖コルベ館に居たときのように、色紙を描きたいと思います。思うだけで、実現はしない。まず場所がないのです。自室の部屋は狭いし、絵の具や、紙類を広げる机もない。望むだけで時間も経ち、最近は手も震えるようになった。
★電話があって、ある集まりに、小崎サンの色紙のカードを配りたい、との願いがあった。使ってもらえば、ありがたいことです。描きたい意欲も湧いてくる。聖コルベ館にも、色紙を置いてもいいとの話も出ていた。聖コルベ館のときには、よく描いたものです。絵も、字も、ヘタでも、描いていることに意義があります。
★ホームの改築が行なわれているので、更に難しい。望みは胸に秘めて先に進まないのでしょうか。

2016年6月15日水曜日

万国旗。早速、寄付で贈って来た。はやーい。感謝

6月12日の日記に、「ミニ運動会」を載せて、天井には万国旗、でも年月が経って、古びたものになっている。誰か、新しい万国旗を寄付してくれたら、嬉しい、と書いた。
★はやーい。昨日、14日に、東京の女性「元日のエリザベット」さんから、早速、新しい万国旗が贈られました。宅急便で届いて、その速さにびっくりしました。ありがとう。事務長さんへ差し上げました。これから、新しいのを使ってくれると、会場も華やかになるでしょう。特に今年は、建物内の改装が行われるので、完成すると、また使う用途があるやも知れません。

2016年6月14日火曜日

どこかで、あの映画を見て、感動してくれる人がいた

今週の、湯江教会の祭壇・生け花です。毎日、2回、教会を訪ねる者にとっては、目の前にある大きなお花は、こころを癒されます。
★千葉の観想修道女会のシスターから、手紙が届きました。「見たい、見たい」と思っていた「日本26聖人・我、世に勝てり」の映画を、9人のシスター姉妹たちと見ることが出来ました。涙、ナミダ、の連続だったというのです。
★突然、映画のことを言われて、「ああ、いまでも、どこかで、あの映画を見てくれている人たちが居るんだなあ」と、こちらの方が感慨深いものがありました。
★感謝の手紙は、2通入っていた。1枚に、「修道院に入る前に、西九州を旅行し、26聖人の記念像に立って、日本にも立派に殉教していった先人がいたのだと、しばし、1人でたたずみました。それから40数年目に、待ちこがれていた念願の「幻の映画」を見ることが出来ようとは・・・・。この日まで待ちに待ったのです。きょうの感動と涙をお伝えできて、うれしいです。女優さんたちも、きれいだし、子どもたちが、かわいかったです。片岡千恵蔵は、さいごの寺澤ですか」
★いいえ、寺澤半三郎は長崎奉行(役者は光岡龍三郎)で、片岡知恵蔵は26聖人のフランシスコ大工傳吉でした。(右の写真の、左側、下の絵ハガキの、一番、左側の人)

2016年6月13日月曜日

パドアの聖アントニオの祝日です。思い出がイッパイ

イタリアの聖人、パドアの聖アントニオの祝日を祝いました。フランシスコ会の聖人です。イタリアのパドアに、大聖堂があります。私たちの修道会の大きな聖人ですから、特別の聖務日課を唱えて、ミサで祈りました。
★聖アントニオは、12世紀後半から、13世紀に生きた聖人です。聖アントニオは著名な説教者、学者、それに沢山の奇跡を起こした聖人で有名です。「何か、モノが無くなったら、聖アントニオへ祈ると、必ず見つかる」とも伝えられ、庶民の信心を集めています。時どき見つかる恵みもあるそうです。
★きょうは、日記に聖アントニオの聖絵を載せたいと思いました。でも、聖絵を持っていない。隣の修道院へお願いすると、神父さまが持ってきてくれた。幼な子、イエスと、ユリの花を抱いているのが特徴です。
★アントニオといえば、アントニオの修道士名を持っている兄弟・修道士さんがいた。大工さんが専門で、よく働いた修道士です。自転車で、県内を回ったり、カメラの才能もあった。最初は、カメラを向けると逃げていたのが、いつの頃からか、カメラで追いかける人になった。晩年は、介護老人ホームで生活していた。時々お見舞いにも訪ねた。
★その頃、アントニオさんから、「90歳になる観想修道女会の姉・シスターから、当時84歳だったホームの弟・アントニオ修道士に送った手紙」を見せられたことがあった。信仰を凝縮したような、心のこもる、感動的な手紙であった。それから間もなく、アントニオ修道士は神に召された。もう、4年になる。聖アントニオの祝日に、彼を思い出して、祈った。

2016年6月12日日曜日

ホームにいても、意義ある日々を過ごしたい、思う

昨日の「ミニ運動会」の写真で、どうしても載せたいのがありました。黒いビニールで作った長い袋を、股に挟んで、職員が3組にわかれて、リレーをする。先に進んで回って来ると、股から、股へ引き渡す。面白いじゃないですか。よく、まあ、こんなゲームを考えたものです。
★本当を言えば、職員さんたちの努力です。日々の仕事で、介護で、忙しいでしょう。それでも、ホームの皆さんを喜ばせようと、いろいろと趣向をこらしています。その気持ちがありがたい。
★準備するのも、大変です。天井には万国旗を張って、その万国旗も年月が経って、古びたものになっている。誰かが、新しい万国旗を寄付してくれたら嬉しい、そんな気持ちで仰いでいました。食卓を全部片づける。これだって労力がいることです。若い人でないと、やりきれない。
★ホームに入っているのは、日々お世話になって、感謝しかないでしょう。
★きょうは日曜日。教会での祈りと、ミサ。朝食後、入浴しました。2人だけの風呂でした。午後からは、ビデオ映画があった。戦時中に、欧州で、ユダヤ人たちに、日本入国のビサを発行した「杉原千畝」の実話でした。ポーランドやバルト3国を旅行したことがあったので、身近に感じた映画でした。「1人の勇気ある決断で、沢山のイノチが救われた」

2016年6月11日土曜日

ミニ運動会。全員が集って、楽しいひと時を過ごす

6月の梅雨どきか。食堂で、「ミニ運動会」が行なわれた。去年、経験しているから、内容は、大体、わかっている。食卓をみな、はずして、中を広くして、入居者も、職員も、「赤」「青」「黄色」の組にわけて、名前を張り出し、黄色は、左側、青は、手前に、赤は、右側に、鉢巻をして並びました。車椅子の人も、ベッド式車の人も参加している。賑わいました。ただ、みなさんの写真が撮れないのが残念です。
★開会のお祈りと、挨拶の後、先ずは入居者のゲームがあった。①パン食い競争です。これは皆さんが参加できます。「ズルイ人」も居りますよ。わたしの場面を写真に撮ってもらった。
★②は、フーセン送り、です。15人ほどが一列に並んで、3組、3列が出来る。赤、青、黄色のフーセンを端から端の人へ送る競技です。これも誰でも参加出来る。楽しいですよ。
★③次は、各自が、広告紙を丸めて、紙の玉を5つ作る。カゴをかついだ職員が回るので、カゴのなかに投げ込むのです。笑いと、喜びが、盛り上がりが合った。
★ここで「水分補給」といって、コップに「ポカリ」のサービスがあった。細やかな心くばりです。
★その後で、職員のゲームが2つあった。1つは、何と説明したらいいのか、2組に分かれて、リレーで、股に、黒いビニール袋を挟んで、1周まわって、次の人に、股と股で引き渡す。手をたたいて笑いましたよ。もう1つは、パンの残りの、パン食い競争です。
★まあ、こんなグアイで、きょうを過ごしました。「ポカリ」と「ティシュー」の賞品も皆さんがもらいました。

2016年6月10日金曜日

会話は、はずむし、料理もおいしい。懐かしポーランド

長崎市に、ポーランド料理店はありません。ポーランドに似たロシア料理店が1軒あります。左の写真は、「チェルボーネ・バルシチ」。ポーランドでは、赤カブのスープになる。この店の料理には、赤カブ、ニンジン、ジャガイモが入っていた。それでも、ポーランドを思い出します。
★ポーランドには、10回旅行して、赤カブのズーパを好んで食べた。懐かしいです。
★そこで、山の修道院の神父さまを誘って、料理店へ出かけた。この神父さまも、6,7年、ポーランドで生活したことがあるので、話しが合うわけです。懐かしい料理ですよ。「チェルボーネ」は、「赤い」です。
★右のステーキは、「南島原産の14才の牛」と、シェフが来て言いました。牛肉のやわらかい、ほんとうに、おいしい料理でした。西欧で高級な牛肉は、10才以上のものだそうです。ステーキの下には、「カシス」。ステーキについていた果物のソース、日本名、黒すぐりがあった。これが高級感を出していた。心もカラダも和ませる楽しい一日でした。ゼイタクして、ごめんなさい。
★3時のロザリオには間に合うように、ホームに戻ってきた。

2016年6月9日木曜日

朝から入浴。いつも2人。背中を流してくれる92歳

ホームの風呂場です。入浴時間は、毎日、男性は、午前中に、女性は、午後から入浴になっている。
★もともと風呂や温泉は好きでした。もちろん毎日、入っていました。しかし歳を重ねると、毎日の入浴は体力の消耗にもなる。それで、1日おきに入っている。
★きょうも、入江さんと、2人で入浴しました。2人だけで、誰も居なかった。湯も広いし、洗い場も、4つある。天井は高く、天窓になっている。明るい快適な風呂場です。入江さんと一緒に入浴するのは、楽しみです。
★きょうも、入江さんは、背中を洗い流してくれた。洗い方が、ほんとうに、ジョウズなのです。手術で、大きなキズが、3つも、4つもある背中を丁寧に洗ってくれる。「今度は、わたしが・・・」と言うと、「ヨカ、ヨカよ」と触らせない。本当に助かっています。入江さんが湯に浸かっている写真も撮ったのですが、それは、ねえ。
★食堂でも、わたしの隣が、入江さんです。仲良く、心通じ合って、やっています。
★午後、3時からの、教会での共同のロザリオには、入江さんは、いつも熱心に参加して、わたしの前の席で、祈っています。

2016年6月8日水曜日

快適なホームのため建物内部・改装工事が始まる

暮らしているホーム『聖フランシスコ園』の改装起工式が行なわれます。工事の業者と、入居者、職員の皆さんが玄関に集った。
★工事は、建物の輪郭自体は変わらないが、各部屋の改装が実施されます。建物が出来たのが、1990年、平成2年でした。その当時の入居者は、皆、元気があり、自由に歩ける人が殆どで、部屋もタタミの造りに成っている。入居者も、自由に、周辺の山野や集落を歩いたり、買い物に行ったり、それだけの活力があったのです。26年が経過して、時代は大きく変わり、入居者も老いてきています。
★現在の入居者は、長寿に恵まれる人も多く、杖や、押し車を押す人が多々見られるようになり、部屋も、段差がない、タタミ抜きの部屋が求められる時代に変わってきています。
★そこで園では、6月から、12月まで、今年一杯をかけて、いよいよ各部屋や食堂、風呂などの改装工事が行なわれることになった。そのためには巨額の資金も必要でしょう。それらも計算の上で、工事が始まった。
★上の写真は、改装起工式で、理事長の神父さまが、司式を行なった。カトリックの様式に従って、進められる。お祈りと、聖歌を歌う中で、理事長神父さまは、業者と共に、各部屋を聖水で清めてまわった。下の写真は、大村の「しょうぶ園」見物のスナップです。わたしたちも、住みやすい部屋や生活の場所が出来るのを、大いに期待し、応援しているわけです。

2016年6月7日火曜日

たまには郊外に出て、花の空気を吸おう。心も清くなる

ホームで、月、1回の「ドライブの日」。小型の赤いバスで、片道1時間。大村のお城の傍に、しょうぶ園がある。見物に行こう。行き先を聞いたとき、迷いました。もう10何年前に、見物に行ったことがある。駐車場から、かなりの距離を歩いた記憶がある。歩行に自信がない。「行くのを、やめようか」。最初は、ためらったが、「歩ける内は、いい思い出をつくろう」と、午後2時に出発した。
★見事な「しょうぶ」が、3つの面になって、タテに並んでいた。案の定、歩きました。出店も出ている。「梅が枝」の焼餅を、1個買って食べた。多くの見物客が周囲には居る。車椅子も沢山、見られた。やっぱり来て、外の空気を吸って、よかったと思います。難しいことは考えない。
★ホームの仲間と長イスに座っていると、かわいい女の子が前を通った。ホームの女性の1人が、手を差し出すと、「ハイ、タッチ」と、女の子も小さな手を積極的に伸ばした。手前に、わたしと、もう1人座っていたが、これも「ハイ、タッチ」。温かい気持ちになったね。きれいな目をした女の子を見ると、将来、元気で、手の暖かい人に育ってほしいと思う。この「ハイ、タッチ」の写真は、見事に、うまく撮れたと自分でも感心した。「いい、シャシンだよ」
★ホームに帰ったのは、5時前でした。「やっぱり、疲れて、日記を書くのも遅くなりました」

2016年6月6日月曜日

ああ、きょうは、痛みなく過ごすことが出来ました

諫早(いさ・はや)の総合病院へ行く日は、朝から気が重い。
★4ヶ月毎に、ステントの入れ換えをしないと、生きてはいけない。これも定めか。この入れ替えが、痛いのだ。10分あまりの痛さだが、根性きめて、歯をくいしばって、耐えるしかない。
★きょうの診察は、血液・尿の検査だけだった。予約の診療は、午後の2時からになっている。高原修道士さんの運転で、出発した。約20分かかる。車窓に病院が見えてきた。建物を見て、なんと表現したらいいかな。複雑な気持ちです。
★泌尿器科の受付がある2階へ急ぐ。レントゲンも撮るかと思ったら、血液と尿の検査だけだった。検査室は、3階。午後に入っているので、待っている患者は少ない。早めに、名前を呼ばれた。渡されたファイルを覗いて見ると、腎機能の数値が少し好転していたので、ホットした。
★また、2階の泌尿器科へ向かう。すぐに、名前を呼ばれた。お医者さんと対面する。「数値が良くなっている」「8月に、もう1度、検査をして、9月にステントを入れ換えましょう」「1泊、入院しても、いいし、2泊しても、いい。8月に考えましょう」。お医者さんの言葉。「ありがとうございました」と診察は終わった。
★ホームへ帰ったのは、教会で、ロザリオ2連のときだった。祈りに参加して、これから先の、生きるチカラを祈った。

2016年6月5日日曜日

余生を静かに暮らしています。でも忍耐も必要です

誕生会・昼食のとき、いっしょに食事をしました。左から、西山神父さま、次が大曾神父さま、そして山内園長神父さま。隣が小崎修道士です。小崎の隣に、入江さんが居ますが、写っていない。
★生活の場所が、小崎と入江さんは、一般棟で、2人の神父さま方は、静養棟になっているので、普通はいっしょの食堂で食事はとりません。誕生会になると、こうして全員が集るのです。
★歳をとると、足をやられる。一般棟でも、歩行に苦労して、押し車に頼ったり、ゆっくり歩いたり、している人が何人もおります。自由に、「スイ、スイ」と歩ける人は、うらやましいです。
★入江さんと、小崎は、毎日のように、静養棟へ行き、2人の神父さま方を訪問しています。お互いに慰めになります。歳を重ねると共に、「忍耐」も必要になります。
★誕生会の昼食のメニューは、赤飯、アジのお刺身、盛り合わせ、チキンのピザ風、厚揚げの煮物、スイカ、ジュース、水ようかん、でした。

2016年6月4日土曜日

誕生会。楽しみは、職員さんの出し物。瀬戸の花嫁

月の初めの土曜日は、恒例の誕生会です。その月に、誕生日がある人を、まとめて、この日にお祝いしています。長生きは、おめでたいことです。いろいろ痛みや苦労もあるが、はやり長生きは神のお恵みです。
きょう、誕生会をお祝いする人は、1人だけでした。人数がこんなに少ないのは、めずらしいです。でも、楽しみだなァ。
★この日の昼食は早めに、全員が食堂に集ります。園長神父さんの言葉がって、カンパイもあって、みんなで、「ハッピーバスデイ」を歌いつつ、手をたたきつつ、園長神父さんが、小さな灯と、プレゼント、お花をお祝いする人の傍まで持っていく。入居者と職員さんを合わせて、90人近い人が居るのだから、それは賑わいます。準備する職員さんたちには、ご苦労さま、お疲れさまです。
★なかでも期待しているのが、職員さんが3人1組になった出し物です。職員さんには順番が回ってきて、「何しようか?」と、アタマを悩ますところでしょうが、見ている我らは、本当に、楽しみです。
★写真を撮って、日記に載せたいのだが、この写真を撮るのが難しい。食堂では、全体の人たちを撮れないから、そこで、出し物を準備している場所を前もって、のぞきます。「あれ、お嫁さんの格好だ。和装に、洋装に・・・。テーマは何んですか?」「瀬戸の花嫁を歌います」
★ダンナさんは、舞台の上であらわれた。ここで挨拶をして、瀬戸の花嫁を歌いながら、食卓の周りを踊りながら回る。1人の男性が立って、花嫁さんと連れ添って、回り始めたから、笑いと喜びが起こる。まあ、それは楽しい日でした。

2016年6月3日金曜日

6月は「イエスのみ心」の月。祈れば、心が落ち着く

早いもので、今年も、6月に入りました。6月は、イエスのみ心の月となっています。そして今日は、「イエスのみ心」の祭日でした。湯江教会の玄関を入ると、すぐの所に安置されている「み心」のご像です。朝、教会で、ミサで祈り、また教会の祈りを唱えているので、「イエスのみ心」も忘れずに祈りことが出来ます。ありがたいことです。
★昨夜は、湯江教会で、月の初めの木曜日は、「聖体賛美式」が行なわれました。夜なので、参加して歌い、祈る人は少ないのですが、司祭が3人、修道士が3人。わずかな信徒。それでもラテン語の「タンツムエルゴ」を歌い、司祭がラテン語の聞きなれた祈りを耳にすると、信心の長い歴史の積み重ねのような重みが、胸にこみ上げて来るのを感じます。
★小さな祈り、聖歌ですが、天の神さまに届くでしょうか。
★数日前に、女性が神に召されました。ホームですから人は老いて、最後を迎えます。神さまは近いところに居られます。

2016年6月2日木曜日

小ネコのハナちゃんが死にました。かわいそうです

職員さんが、自室に入って来て、「ウチの、小ネコのハナちゃんが、死にました」「え?あの、小ネコが・・・。どうして?」「白血病でした」「白血病って?」
★「今年になって、なんとなく元気がなかった。病院で診てもらったら、白血病とわかった。遺伝的なもので、生まれたときから、有ったらしい。ウチに、もう一匹、オスのネコが居るんですが、そのネコも元気がない。白血病です。ネコの場合、うつるんだそうです」「かわいそう、何歳でした?」「多分、一歳かな」
★小ネコのハナちゃんを、昨年の7月に日記に載せたことがあった。ホームの庭の片隅で、やせて、ヒョロ、ヒョロしていた小ネコを抱き上げたのでした。それが始まり。短いイノチだった。
★歳をとると、毎日、生きていることに感謝と喜びを感じる。だから、どんな小さなイノチでも、動かなくなるのは、いと惜しい。「人のイノチは草のよう、朝に花を開くが、夕べには、しおれて枯れる」。そんな言葉を時々唱えて祈っている。ハナちゃんは、職員さんの温かい家庭で、しばらく育てられて、幸せだっただろう。イノチを失うことは、ツライ。
★『コメント』を読んで。「滋賀さん、25年前に修学旅行で聖コルベ館に来たそうですね。よう忘れず覚えていて、コメントくれて、うれしいです。Gmail宛のメールは、見方を知りません。ごめんなさい」

2016年6月1日水曜日

思いもかけず、ポーランドの家族・娘がやってきた

ホームの応接室。ポーランドの女の子(五歳)と、ツーショットの写真。かわいい女の子だよ。女の子の手には、ポーランドの小さな人形があり、大切にしている。名前を聞くと、「百合香(ゆりか)」ちゃん。ホームに居て、こんな日があるなんて、思いもしないよ。よく、まあ、八十八の爺さんを訪ねて来たもんだ。
★お父さんは、日本人。お母さんがポーランド人。一人娘だね。家族はポーランドに住んでいる。
★長崎の聖コルベ館を見学して、小崎サンの本、「長崎のコルベ神父」「身代わりの愛」を買った。すると、小崎サンに会いたくなった。それでレンタカーで訪ねてきた。初対面です。もらった名詞には、「写真映像作家」と書かれていた。
★これから彼のなかで、どういう計画があって、わざわざ訪ねて来たのか、知らないけれど、ボク的には、ポーランドと聞けば、血が騒ぐ。10回も旅行しているからね。「ポーランドの、赤カブのズーパ(スープ)、おいしいね」「それに水餃子のような料理もある」と言えば、奥さんの顔に笑いが起こった。
★おみやげにと、白い手提げ袋をくれた。ポーランドのチョコや、お菓子や、小さなマリア像が入っていた。二冊の本に、筆ペンで、サインをして、修道服姿の手札の写真をおくった。
★小さな女の子、百合香ちゃんの左腕には、聖コルベ館のスタンプが、二つも押されていた。いっしょに庭まで出て、白いレンタカーを見えなくなるまで、手を振りつづけて、見送った。めずらしいお客が来たもんだ。