2012年3月20日火曜日

2人の若者が、1年間の修練へ入る。お祈りを

春です。希望の春です。2人の若者が、靴をぬいで、聖コルベの小聖堂の祭壇前に進みました。天国のコルベ神父も喜んでいるでしょう。フランシスコの黒の修道服を着せてもらって、この日から来年のこの日まで、1年間、フランシスコの会則、会憲に従って、修練を始めました。修道者への道へ入るのです。神に捧げる若者の姿はいいですね。私も、若い頃を思い出しました。若さを、神さまに奉献するのです。2人は修道者の名前を聖人名からいただいた。「アンゼロ(守護の天使)」と「テレジア(小さき)」です。皆さんのお祈りをお願いします。これからは私たち同志のお祈りも声が大きく揃います。期待がふくらみます。志を貫くには、人間のチカラでなく、お祈りのチカラが必要です。クツ、見て、[デカッ」、言わないでね。何cm?、教えません。カラダが大きくても、「小さき兄弟」と呼ばれます。

2012年3月19日月曜日

主は言われる。「行きなさい。信仰があなたを救う」

昨日の日記で、「ツライ」「幸い」と並べて書きました。一本の線を、入れるか、ハズスかで、幸せになり、辛さになる。線一本の違いです。実は「幸一」というのが、私の本名、親が付けた名前です。小崎登明は修道士になって付けた名前。聖人の名前をとった。「ま一もんじに、行け」。昨日の書字に、そう書いた。この「行け」のイメージは、駅長さんがホームで列車を送り出すとき、白手袋のユビを、右、左に示して、最後に前方を指差して、それから出発する、あの「勢い」のついた「行け」なのです。それを昨日の日記に書いたら、コメントが入っていた。「入院、大変でしたね。傍らのイエスさまがおっしゃいませんでしたか。行きなさい、と」。行けという覚悟も、行きなさいという勧めも同じです。これを読んで、大きく背中を押される気持ちがしました。コメントを寄せてくれたのは、「元日の母」娘、覚えていますよ。今年、最初に聖コルベ館に誰が来るか、興味深々だった。しかし昼になっても誰も来ない。3時にも来ない。ああ、もう閉館だ、というとき、ギリギリに来たのが、この元日の母娘だった。そのお母さんがコメントをくれた。「行きなさい。信頼しなさい。あなたの信仰が前に進む」

2012年3月18日日曜日

日記を書き始めて、3年が経過する。いい勉強

「ツライ」に、1文字くわえると、「幸せ」になる。信じる道を、真一文字に行け。私が日記を書き始めたのは、2009年の春、ボウコウ・ガンと言われてからでした。ニンゲン、どのように落ち込んで行くのか。最後は大変だろうが、行けるところまで、正直、書き留めたい。そんな気持ちで始めました。あれから、3年たった。なぜ、多くの人が日記を見守ってくれるのでしようか。分かりません。期待されると、タメになることを書きたいと、欲や迷いも出ます。なぜなんでしょうね。教えて下さい。「自分のことばかり宣伝するな」「自分の写真を載せるな」「温泉へ湯とう冶へ行くな」。いろいろ有ります。老人の明るいカオを載せても、たまには良いじゃないですか。真一文字に行け。毎日、日記を書くのは楽しみです。でも最近は考えに深みがなくなった。それを自分でも感じます。早々、感動する出来事は起こらない。生活のどの部分を切り取って、ふくらませるか。勉強になります。

2012年3月17日土曜日

信徒発見の記念日。聖母マリアに導かれて

長崎の修道士です。信徒発見のこと、よーく、分かってます。今朝、ミサの祈りのとき、うれしかった。「信徒発見じゃない」「神父発見ですよ」。司祭が言った。「あと3年で、150周年になる」。本当にフシギと思います。①サンタ・マリアの導きによって発見された。キリシタンは7代にわたってサンタ・マリアに祈ってきましたからね。願いがかなった。②キリシタンはエライ。厳しい迫害にも、くじけず、代々にわたって信仰を守り抜いた。私たちの先祖ですよ。誇りに思ってよい。それには秘密があった。オラショを唱える。暦から祝日を祝う。犯した罪の後は、コンチリサン(痛悔)。大事なのは③私たちも、聖母マリアの祈りに守られて、力強く信仰の道を歩むこと。マリアさまが助けてくださいます。素直に、単純に、信じて生活のチカラにしましょう。それにしても④コルベ神父は長崎上陸して、真っ直ぐに「大浦天主堂の信徒発見のマリア」へ向かった。コルベ神父の行為にはムダがない。感心しますよ。マリアさまの熱愛者だから、本人も満足だっただろう。とにかく今日は嬉しい日です。

2012年3月16日金曜日

登明日記の読者がやってきた。パワーを下さい

朝、聖コルベ館の開館と同時に、電話で予約の男性が1人、入ってきた。「はじめまして。千葉からです」。長崎はこれで3度目だが、今度、来た目的は2つある。①浦上天主堂の朝ミサで祈ること。今朝、行って来ました。次は②小崎サンに会うこと。実は10年来の騎士誌の読者で、記事を愛読している。3年前から登明日記も読んでいる。「日記を読んでいると、自分と重なってくるのです。洗礼を受けました。あと1年で、65歳になる。それまでは頑張りたい。ぜひとも会いたいと願って来た。パワーをください」。こんな熱意のある人は初めてだ。お互い気持ちが通じるのか、会話は、ポン、ポンと、笑いのうちに、はずんだ。はや時計は12時を指している。「せっかく来たから、ルルドで祈りなさい」と、祈りを勧める。その後で、わざわざ訪ねてきたからには・・・と、いっしょに町へ出て、いけす店で、イカとサシミの昼食を食べた。こんなサービスは殆どしないが、この人だけは特別の感じがした。「小崎サンからご馳走まで頂くって思わなかった」と大いに喜び、午後2時頃、別れた。こういう来客もめずらしい。長崎の旅で、ゲンキになったであろうか。

2012年3月15日木曜日

やわらかいビードロの光のなかで眠る毎日です

長崎では江戸時代、ガラス細工を『ビードロ』といった。なんと優しいヒビキだろう。先日、オバマ温泉へ湯とう冶の際(3月8日)、雲仙にビードロ博物館で、小さなガラス・スタンドが入館と同時に、すぐ目についた。「ああ、これ、いいなあ。幾らですか?」「3.700円です」「え、ちょっと値を張るなあ」。でも、即刻、買いました。自室の片隅に夜中じゅう、点けています。心が和みます。何10年と、部屋をまっくら闇にして眠っていた。これからは優しい光に慣れて、眠ります。退院して、ふしぎなことがある。それは一番気にしている尿が、とてもキレイなのです。どうして、こんなに透き通っているのか。正常な尿が出ています。うれしいことです。1日1日を感謝をもって生きる。もう迷いませんよ。『自分が一番知っていること、その中でも一番感動していること、それを話せば、少々話し方はヘタでも、聞く人は感動する』。これで、行こーう。

2012年3月14日水曜日

映画を見に行く。ユダヤ人は、なぜ迫害されるのか

新聞で、映画の広告を見た。「ナチス占領下」「ユダヤ人」「アウシュヴィッツ」「逃亡」などの字が、チラッ、チラッと、目に入ると、見に行きたくなる。気晴らしのつもりもあって、午後から、町のアーケードを抜けた小さな映画館に出かけた。7、8人ばかりの客が見ていた。ドイツ軍将校が出てくると、なぜか、心がさわぐと共に、憎しみも湧いてくる。この感情はどこから来るのか。ポーランドへ10回も旅行をしているので、その歴史、国土の風を感じるのか。それにしても、なぜユダヤ人はこのように迫害され、嫌われたのであろう。ヨーロッパ全体で、犠牲となったユダヤ人は600万人だった。ユダヤ人を憎しみ、偏見を持ち、嫌う言葉に『反ユダヤ主義』という言葉がある。これらはユダヤ人の歩んだ歴史を抜きには語れない。ユダヤ教を守りつづけ、他民族との同化を拒んで、さまざまな国で、異質な存在とみなされていった。杉原千畝が救ったユダヤ人は6.000人といわれる。杉原のビザが救うことのできたのは、1.000分の1であった。