2017年8月21日月曜日

苦しみの必要性を、ミロハナ神父は教えてくれた

ある日の、廊下の窓から見える風景です。「夏だ、なあ」。平凡だが、そんな感じがします。いま私の手元に、薄い手帳がある。1954年、昭和29年、古い手帳です。いま8月だから、8月16日の処を開けてみた。ミロハナ神父と語る、と冒頭に書いてある。
★ミロハナ神父は語る。「苦しみが是非とも必要な論理的なわけを教えましょう。
★①天主様(その頃、神を、こう呼んだ)は正義です。罪を人々は楽しみによって犯し、天主様を侮辱する。それ故に、どうしても罪のつぐないのためには、楽しみの反対の苦しみによって補わなければならない。
★②罪びとは、自分の力で改心し得ない。「祈りたくない」「祈りたい」の心を与えるもの、それは恩寵です。この恩寵は他人の苦しみによって与えられる。私たちは苦しみの価値を知るよう祈らなければならない。
★③聖母に次のような恵みを祈ったらどうですか。すべて御身の御思召です。しかし長く生きながらえて多くの病苦を忍んで、十字架のキリスト様のようになって死ぬ。今の生活ではダメです。もっと、もっと、大きな苦しみを忍んで、死ぬ。この恵みです。
★④私たちは、ここで、かわいそうな人々を集めて、(心身障害者施設を創設した)彼らにイエズス様のことを聞かせて、子羊の如き平和な心を与えたい。
★⑤あなたが書いた原稿は、初めは苦しみを述べたものでしたが、後になって、苦しみを耐え忍びたいと書いてあった。よいことでした。これからも原稿を書いてください。ただ、御思召のままによいうことでね。人に説教するのは、これダメですよ。
★ミロハナ神父は、神学生のときに、コルベ神父から勧められ、ポーランドから長崎へ来た。コルベ神父から哲学・神学を教えられて、東京で、司祭に叙階された。コルベ神父に最も近く、神父から聖母の騎士を任されたと、信念を持って生涯に生かした。ミロハナ神父の、誰でも抱擁する心の優しさに魅力を感じる。
★ミロハナ神父が懐かしい。いま、このような話を直接聞かせてくれる司祭はいない。

2017年8月20日日曜日

何も出来ない自分。助けてください。手を伸べて

ホームに隣接する湯江教会。日曜日の1番ミサは、6時から、主にホームの信徒が祈ります。一般信徒のためには2番ミサ、9時から行なわれる。今日は、ミサ後、信徒の分かち合いがあるというので、2番ミサの終わり頃、教会へ行った。ミサが終わろうとしていた。その時に写した写真です。中央に司祭の後姿が見える。
★その後で、会議室に10数人が集って、今日、読まれた福音の中で読まれたひと言を、それぞれが発表した。私は、「主よ、助けてください」を述べた。そして次の説明をした。
★ホームに入って、3年目を迎える。振り返ってみて、一番の悲しみ、悔やむのは、入居してから、「人のために働いていない。尽くしていない。愛の実行をしていない。何も人に与える仕事をしていない」。何も行なっていない寂しさだと、述べた。
★この事は言わなかったが、長崎・聖コルベ館に居たときは、巡礼者や見学者のために手助けが出来た。教えたり、会話をしたり、お互いの交流の中で充足感があった。それらの他人に対する奉仕が、入居によって、いまは全く無くなった。それが寂しい。「主よ、助けてください」。入居したから、あなたは、何もしなくて、いいんだよ。日々元気で暮らせば、いいんですよ、そう思われるのが一番ツライ心境です。
★いまは自分で生きるのが懸命です。歩くにしても、以前は何も考えずに、自然に自由に歩いていたのに、その肝心な能力が失われつつあって、一歩、一歩、歩くのを、気にしたり、辛さを感じたり、そのことが自分の生活の課題にこそなっている。
★「主よ、助けてください」。今日は、福音の中から、その祈りを心から唱え、願いました。聖書に出てくるような弱い人間が、ここにも居ります。「手を伸ばして、助けてください、主よ」

2017年8月19日土曜日

夏、真っ盛り。かき氷屋さんが繁盛した。おいしい

いま、夏の真っ盛り。屋外は、暑い陽が照る。町では、冷たい物が繁盛する。「冷たい、冷たい、かき氷を食べたいね」。そんな気持ちになる。子どもの頃の思い出も湧き上がってくる。職員さんの手間かけた思いで、ホームでも実現した。「かき氷屋」さんが出店したのです。
★機械はちゃんとホームにある。四角の氷は、諫早の氷屋から求めた。四角い氷を台に載せて、ハンドルをクルクルまわす。氷に掛ける色は3つあります。赤に、青に、グリーンです。午後のひと時、食堂で行ないました。「どうしても、行って、食べたいよ。風物詩だから、ね」。「3バイ食べたよ」。好評でした。
★「トマさん、どの色にする?」「イチゴの赤だね」。やっぱり先ずは、イチゴ。それからレモンの緑。これが味を感じておいしかった。まさに、思いもかけぬ夏の風物詩だね。
★車椅子の女性が、かき氷を前に置いたまま、眠っている。この女性、眠る姿をよく見かける。教会でのロザリオでも、最後は、カラダを前のめりにして、心地よく眠っている。
★「がんばれ」「がんばって」。よく言う言葉です。「頑張らないと、いけない時もある。しかし、頑張れだけでは、あまり好まない。頑張れ、よりも、よかったですね。いいですね。眠っていても、いいですね」。そんなふうに、肯定してやりたいと思う。共感だよね。共に喜ぶ。共に痛みを感じる。共感が、いいと思います。

2017年8月18日金曜日

ホームに居ても修道士です。感じ、考え、祈る者です

朝のホームの廊下です。右側の窓から、陽の光がサンサンと輝く。ミサを終わって、6時半過ぎ、自室へ帰るときの廊下です。「ああ、きょうも、一日が、始まる」。同じ毎日だけれども、生きる意味はある。「変わりが無いのが一番の幸せです」と、いつも思う。
★朝食を終えて、早速、山梨の大きなブドウ(巨峰)を食べた。5個、6個と自分でも、食べすぎだよ、と健康のことを考える。残りは大事に冷蔵庫で冷やしている。
★初めて、午前中に、パソコンへ向かった。午後から月に1度の「ショッピング」がある。バスで、買い物に出かる。自由に動ける人が利用しており、10人余りになる。帰ると、ロザリオ。時間に追われるのを感じる。今日は、午後から、日記を書く時間が足りないだろうと予想した。
★憧れは、長崎・聖コルベ館に居て、修道服を着て座っておれば、巡礼・訪問者と多くの出会いがあるだろう。90歳になっても、100歳になっても続いて勤めれば、それが一番の幸せでと分かっている。そのまま幕を引きたいと思う。
★でも、ね。人間には歳と共に色々な事情が起こる。妨げもある。自由にならない。今はホームに居て、静かに、余生を暮らすしかないのです。ホームに居ても、修道士は忘れない。修道士って何者か? 修道士は神から呼ばれた者。神の愛、いのち、賛美を考える者。故人や、生者の幸福、世界の平和を祈る者と自ら言い聞かせる。

2017年8月17日木曜日

夫妻の目は、緑色。イノチの色。見ている御方がいる

ホームで人が集まる所は、エレヴェーターです。その前に介護詰所があり、その横に、陽の当たる明るい1間がある。春は見事な桜が観賞できるので「サクラの間」と呼んでいる。テラスがあって、1輪の「風車」が無心に廻っている。
★人の目に付かない所で、風に吹かれて廻っている。「良いことをしても、誰にも気付かれない」。そんな気がする。この風車から学ぶのは、誰にも気付かない良い話、隠れた愛の話、そんな心の温まるような話が知りたい。聞きたいと思う。言葉や難しい話は、もう、いいです。愛の実行、しかも人知れず、実行する話を見せてください。実践、実行、今は、言葉やお説教よりも、それを望みます。
★夫妻は、自宅の一室を増築して、ホームレスを受け入れて、部屋で、ゆっくりさせて、風呂に入れ、食事を与えて、1晩安らかに泊まっていただく。彼らが脱いだ衣類は異臭を放つので、奥さんが洗濯タライで、手洗い作業で丹念に汚れを落としている。その善業は夫妻以外に誰も知らない。夫妻が理解しあって、心から愛の好意を行なっている。その事実を聞いたとき、最初、信じられなかった。家族で、そんな愛の好意が可能なのか。しかも誰も知らない。きっかけは、奥さんが、中学生たちからホームレスが撲殺された事件に発すると言う。この実話は、生きている愛の実行として、キリスト者の実践として、心に深く刻まれ、消えることは、ない。「愛の実践集」はないものか。「人間に愛を持たせる。希望を持たせる。生きる価値、生きる力を持たせる。人は、生きているから、生きなければならないのだ」
★昨夜、携帯に、その夫妻から突然電話があった。思いもかけぬ電話だった。トマさんを励ましてくれた。慰めてくれた。それでトマはホームレスへの愛の好意を思い出したのだった。
★主人は、奥さんを、「緑のまなざし」を持っている、と言った。緑は、森の色、海の色。つまり、いのちの色なんです。いのちと、慈愛の色なんです、夫妻だけがお互い知り合っている目の色です。隠れた所から見ておられる御方も、目の色をご存知でしょう。

2017年8月16日水曜日

お盆休みの思い出は、ボーシと、巨大・巨峰だった

お盆の休みは終わった。誰も来ない。どこへも行かない。雨が降ったり、陽がつづいたり、そんな日で過ぎて行った。ホーム生活は単調だが、自分にも、小さな喜びと、慰めになることがあった。気持ちの良いことがあると嬉しい。
★1つは、ボーシを贈ってくれた女性がいた。早速、かぶって、「似合うでしょう」と、写真も入れてお礼の手紙を出した。ボーシは小さな衣料だが、高価な値段がついている。いつも帽子屋で、良いのを見つけると、かぶってみて、「これは、いいな」と購買力は高まるが、値札を見ると、直ぐあきらめて、もとに、そっと、戻す経験が何度か、ある。今度のボーシの贈り物は嬉しかった。今年の聖母被昇天の記念になる。
★もう1つは、山梨産のブドウ(巨峰)1箱、6個入りが着いた。贈り主は、5月の連休に、山梨から、バイクでホームに来た男性だった。ブドウは好物だから喜んだ。写真の右側は、スーパーで売っている上等の巨峰ブドウです。左側が送ってくれた巨大の巨峰ブドウです。とにかく見た瞬間、その大きさに、たまがった。(おどろいた)。こんなにも大きいブドウがあるんだな。初めて見たよ。食べてみて満足した。贈ってくれたバイクの男性とは、別れの際、玄関で、修道服を着て、本人と、バイクも入れて、記念写真を撮った。長崎は、22回目。バイクで来たのは、12回目。トマさんに会ったのは、5回目と言った。「なぜ、そんなに、ナガサキを?」「長崎には特に違ったところがある。それに魅せられ、気がついてみれば、この回数です」。人は何でも、一念固執すれば、何かが生まれてくるだろう。人生における、こだわり、体験こそが、その人の心の宝になる。

2017年8月15日火曜日

歳を重ねるごとに、キズや、係わり合いは、深くなる


今日は、幾つもの思いが重なる日でした。教会へ行くと、祭壇の横に白い台が置かれて、写真が飾られている。昨年の今頃から、この1年に亡くなったホームの人たちです。冥福を祈りました。写真、左は村山修道士さんと、大曾神父さまです。右側の写真は、祈るホームの人や湯江教会の信徒たちです。
★聖母の被昇天の祭日でもある。荘厳に祈りました。また終戦記念日でもある。戦争によって、沢山の命が失われた。今も戦争は続いている。また、お盆でもある。亡くなった先祖、家族のために祈りました。どうして人間は争い合うのか分かりません。解決は遠いでしょう。
★テレビでは、韓国は戦勝記念日で、また、また慰安婦の像が、バスの中でも座った姿で置かれて、他にも小さな慰安婦像が作られて、配られている。戦争は悲惨です。戦争を起こして、アジアを蹴散らした日本人は、アジアの皆さんに許しを願わなくてはならない。
★暗い話ばかりだけれども、私が2013年に韓国に行ったときに、こんな事があったのを思い起こした。韓国人の案内で、夜の、テグの「ルルドの聖母堂」の祈りの集いに参加したときです。言葉が分からないのを気にして、案内の大学教授が「さあ、もう行きましょうか?」とうながした。車のドアを開けて、車内に座った小崎修道士のそばへ、赤ん坊を抱えた若い母親が寄ってきて、子どもを差し出した。崔教授が言う。「祝福して、ほしい。願っています」。修道士はびっくりして、「なに?わたしに?」。母親の目が、うるんでいる。ためらいがあった。司祭でない。修道士が、祝福していいのか?」。「アボジ(父親の祝福)なら出来るかも」と瞬時に思い、幼子のヒタイに、十字を記した。「この子も、この母も、幸せになりますように」。願いを込めて祈った。ここに来れば、韓国も日本も、なかった。同じ人間として、カトリック者として、愛と平和になるように祈った。あの子は、あの母親は、元気にしているだろうか。