2017年7月26日水曜日

苦しみから、恵みを探すのは、とても難しい、と彼

きのう、フランスから来た男性ジャムさんは、聖コルベ館で一杯の飲み物を頂いた。体調を崩して、ホームに入ったとブログで読んだ。「お祈りしました。今回の長崎への旅で、恩返しをしようと来ました」
★喜んで彼ジャムさんを迎えたが、彼の奥さんが難病で苦しみ、亡くなられたと聞いて、私の胸はキツク痛んだ。奥さんとは日本で知り合って、フランスで結婚式をあげて、2人の子供も恵まれた。幸せの絶頂にあった家族だった。それが突然、襲ってきた難病。なぜ人には、とてつもない試練や苦悩が与えられるのか。我々には分からない。奥さんはキリスト信者ではなかった。子供たちは幼児洗礼を受けていた。
★彼は言う。「病気になって、ある日、秋、会社から病院へ行くと、妻が、神父さまに会いたいと突然に言うのです。カトリックの洗礼を受けたい。すぐに司祭を呼びました。妻は言います。死が怖くならないように。神さまの御傍に行きたい。洗礼を受けるため、霊名は何にしよう?少しの時間、考えよう。しかし妻は即座に言ったんです。マリア、です。わたしは、マリアです。ちょうど5年前の、2012年7月24日に神に召される。享年50。若かりし死であった。結婚生活、22年。いろんな思い出があるだろう。一昨日が命日だった。彼はただ1人で、聖母の騎士のルルドでマリアのために祈った。そういう話を聞かされると胸が締め付けられるよ。
★彼ジャムさんは、フランスの西南にある一番大きな町に住んでいる。ルルドまで車で2時間ほどで行ける。「小崎さんにもルルドのお水を送りますからね」と約束してくれた。
★奥さんが亡くなって、5年。まだ、まだ心の整理はついていない。「神さま、これ以上、何を望みますか?」。いま考えていることは、「教会のため、奉仕したい、それです」。この間、100人の男女青少年を集めて、自転車で、5日間走ります。司祭もシスターもいる。何回か休んで、司祭の話がある。夜はテントで眠ります。17年目を迎える。「山にも耐える自転車巡礼」です。実行して信仰を固めました。
★「苦しみから、恵みを探すのは、難しい」。これは彼の言葉だ。「日本を廻って、何を感じますか?」と私が聞いてみた。「やさしさ、です。おもてなし、かな。素直ですよ」「素直って?」「すなお。悪いことを考えていないことです。人は、規則があれば、守らない知恵を考える。チャンスがあればドロボウになる。そういう人や、国には、なりたくない。平和の世の中で、有りたい」
★彼ジャムさんの奥さん、「マリア」のために、祈ってください。
『トマさんのことば』。お礼文⑪茨城県、みふみさん。「全てのお言葉が金剛石のような輝きにあふれるお言葉ですが、まだまだ『あ、あのお言葉は?』というお言葉がたくさんございます。どうぞ第2集(もっと続くと思います)を心待ちにしております」

2017年7月25日火曜日

フランス人が訪ねてきた。心と心をつなぐのは笑顔

きのう、電話があった。「ホームに面会に来たい」という。「遠いんだよ。何しに来るの?」。しかも、フランス人。「3年前の夏休みに、聖コルベ館へ行った。小崎さんは、ちょうど出かける所で、短い間でしたが、ご親切に、冷たい飲み物を一杯下さいました。それでお会いしたいです」。聖書の話じゃないが、それは、それは、ご苦労さん。
★そして、やって来たのが、この男性です。ジャム・ブリュノさん、47歳。最初の私の問いかけは、「なぜ私を訪ねて来るのか?」です。フランス人は答えた。「フランスの人は、アウシュヴィッツで命を捧げたコルベ神父のことは良く知っている。コルベ神父さまが日本へ行ったことは誰も知らない。司祭も知らない」。続いて、「聖フランシスコ・ザビエルと同じ考えです。宣教に挑戦した。自分の命を捨ててまで、キリスト教を守り通した。自分の命より、死んだ後の皆さんの魂が大事です。生きている人と死んだ人とつなげている。小崎さんの『長崎のコルベ神父』を読みました。いまは『信仰の出会い旅』を読む。サインして下さい」。彼の話に感動する。
★彼は、エンジニア。28年前、夏休みに1ヶ月、長崎の外語短大で日本語を始めた。仕事の都合上で、3年間と、4年間と、日本で暮らしたこともあるので、日本語は達者だ。3年前にも来た。仕事柄、各国を廻っている。彼は言う。「世界をまわって人と出会う。心と心をつなぐ」「つなぐためには、何が必要ですか?」。彼は即刻、答えた。「エガオ、ですね。笑顔は心の窓口です。笑顔をつくるためには、心の有余が必要です」
★奥さんは日本人。子供は2人。奥さんは筋肉と神経が衰える難病に罹り、5年前に亡くなった。「昨日が命日でした。聖母の騎士のルルドで祈りました」。様々な経験をしている彼の話は、まだ続きそうだ。
『トマさんのことば』。お礼文⑩千葉、ひさのさん。「トマさんの蘇鉄の前の写真、とても自然で後方の雲の動きも感じられます。『前に進む力を失うな。自分らしく生きよ』ここにくるとしばらくとまり、二、三回くり返し「ハイ」と自然に声がでてきます」

2017年7月24日月曜日

ゼノ修道士の靴。ニホン全国を歩いて神の愛を伝えた

「大きなクツだね」「リッパな、クツじゃないか」。ゼノ修道士さんが愛用したクツたちです。長崎・聖コルベ館資料室に保存されている。「これを使って、日本全国を歩き周ったんだね」。クツが光るというか、ふしぎなチカラを感じた。貧しい人に、神の愛と命を伝えたんだね。大切な遺品です。
★1953年(昭和28年)の、私の手帳日記に、ゼノさんの記事がある。3月3日の項目だ。『火曜日。おひな祭り。朝、ゼノさんが来て言った。「きょう、おひな祭りね。ニホンのお祝い日です、これね。かわいそうの人、貧しい人、ね。お祝い、来ても、何もないです。わたし、こん晩、7時、皆さんを200人あつめて、ズボン、ジャケツ、パン、たくさん、あげます。それで、かわいそうの人のため、何か書いてください。貧しい人たち、ね。食べ物、着物、やるばかり、ダメでしょう。その人、神さまに祈る、これ、しなければ、なりません。これ、教えなければ、なりません」。こう言ってゼノさんは、白髪の美しいヒゲを傾けて、きれいな青い目で私を見た。ゼノさんの心は純粋だ。欲がない。安心できる人だ。私は早速、青い紙に、次のように書いてやった。「(前略)これは私の贈り物ではありません。神さまが、この品物の与え主です。私にではなく、神さまに心からの感謝の祈りをささげてください」
★当時、私は25歳で、結核を病み、修道院の一角で静養していた。私の隣がゼノ修道士の部屋であった。だから良くゼノさんは、私に書き物の頼みに来るのだった。いま、あの頃のことを思えば、よくぞ病気に耐えたな、と人生を感じる。ポーランド人の院長さんは、「司祭になる見込みの体力がないから、退会させるように」と勧めていた。ゼノさんから励まされた覚えはない。ただ「ゼノさんのように働ければ、な」とうらやんだ。私は、まだ生きている。冷たく、あしらわれても、悲観しないことだ。助ける、サマリア人は必ず現われる。
『トマさんのことば』。お礼文⑨京都、邦子さん。「物言わぬ冊子にやさしく見守られている気がしました。カバンに入れて、小崎さんに守ってもらいます」  

2017年7月23日日曜日

「ゆるす心」が、むずかしい。いかに、説明するか

6月の半ば、地元の小学校で、小1から小6年まで、287人に話す機会があった。先生が前もって、「講話の題は何ですか?」と聞いた。「たすける心、にげない心、ゆるす心」と伝えた。私の原点は、原爆の日。小6の少年を助けなかった。そこから「助けなさい」。女子中学生を助けてタンカに乗せて運んだが、飛行機が再び来たので、タンカを置き去りにして逃げた。助けていたけれども、困難が来ると逃げる。「困難が来ても、逃げない心」を持ちなさい。
★次は問題の「ゆるす心」です。原爆の丘で、私を叩いた先輩工員が、重症を負って苦しんでいた。偶然に出会った。私はその時に思った。「いい気味だ。ざまーみろ。イジメた人間は、そう、なっても、いいんだ」。私は許さず、その場を去った。これが現実。この事実を、子供たちに、どう話せばいいのか。実は悩んだ。ゆるす心が一番むずかしい。
★日常起こる現実で、殺人された家族や、傷つけられた本人の心のキズは重く、そう簡単に相手を許すことが出来るか、と言っても、とても、とても、許るせるものではない。それが世間の常識だ。
★しかし、傷つけられたから仕返しする。やられたら、やり返す、それが普通の心境だが、それが続けば、平和は来るだろうか。子供に説明するのに、むずかしい。ひそかに悩んだ。話を、どう、持っていけば、いいか。
★私は言った。「イジメは、ダメだよ」。ゆるす心は、どうか?寄寓にも、10年後、あのタンカの女子中学生に、出会うことになる。10年だから、立派な娘さんになっていた。オレは助けず、放棄して逃げだ人だ。彼女は、あの時のことを良く覚えていた。「しかし、娘さんは、私を、許してくれたのです」と、小学生に語った。相手を、ゆるす心、生活の中で、許す心は大切です、と強調した。
★私の人生の原点は、この3つにある。①助ける心、②困難が来ても逃げない心、③許す心。だが、人間は真に「助けることが出来るか」「逃げないことが可能か」。人間は弱い。とても出来ない。しかし出来た人がいた。それがコルベ神父だった。そこまで子供たちには話せない。主は言われる。「汝、敵を、愛し、敵のために、祈れ」
平和の原点は「助ける心」「逃げない心」「許す心」。この許しが一番むずかしい。皆さんの心に、この3つの花が開き、広がるならば、必ず世界は、もっと平和になるでしょう。
『トマさんのことば』。お礼文⑧神奈川県、信子さん。「トマさんのことば」をお送りくださり、ありがとうございました。とても素敵な御本で、一頁ごとの言葉と写真がすーっと心にしみこんできます。小崎さまが歩んでこられた年月、お母様やコルベ神父様、たくさんの方々が生きてこられた年月、そして野々村さん、塩沢さんがいらしたこと、全てが神様からずっとつながっているのだと感じました。出会いは本当に神様のお恵みと思います」

2017年7月22日土曜日

「カリエス」から立ち直ったんだ。それで生き抜いた

絵てがみ教室で描いた「むらさき・たまねぎ」です。割ると、真っ白い実に、紫の美しい線が入っています。甘い味がするそうです。
★自分の子供の頃を知る人は少なくなった。中・高校生のとき、一緒に神学校で学んだ友人に「トマさんのことば」を送ったところ、彼から便りが届いた。自分は今まで、「原爆に会って、聖母の騎士に入った頃、そんなに自分は体力が弱かったのか」。いつも疑問に思っていた。彼の手紙に証明があった。彼は印象として、「フラテル(ラテン語で、兄弟)は私達も小神学生時代から、フラテルについて知っていましたのは、100%の健康ではなく、将来の司祭職も諦められる程でありましたのに、今日の89歳まで頑張っておられる事は信じられないのです」
★「そんなに思われていたのか」。電話番号も書いていたので、その夜、久しぶりに彼に電話をした。「オレは、そんなに、弱かったか、な?」。すると彼が言った一言が納得させた。「カリエス、だったよ」。当時、カリエスは不治の病で、自分も十三歳で経験していた。彼は書いてくれていた。「今まで生き得たというのは、神がフラテル・トマさんが、御自身の御栄えのために、適当な存在であることを証明しておられるのだろう」。ありがたいお言葉です。それに、ふさわしく、生きたいと思う。
『トマさんのことば』。お例文⑦茨城県、優子さん。「人の歩みは小さなものだが、大きな力が常に守り導いてくださる。(21頁)。本当に大きな力が常に守り導いてくださっている、と日々実感しています。トマさんのブログに出会えたことも、神さまのお導きと思います。いま私がいちばん好きな「トマさんのことば」を書きます。「あなたの人生で、すごく、ふしぎなことはなかったか?あったよな。沢山」(12頁)。はい、トマさん、沢山ありました。トマさんにこうしてお手紙をしたためていることもすごくふしぎなことです。嬉しいです。ありがとうございます」

2017年7月21日金曜日

うなぎの土用の日は、まだ早いけど、いただきました

これが諫早の福田屋のうなぎです。うなぎだけしか商売していない。4枚、5枚、6枚と順序がある。それに特大がある。高価ですよ。これは4枚でしたかね。6枚は多すぎます。タレ汁がウマイ。サジを付けてくれるのです。サジでタレ汁をメシに載せるのです。ごはんが、いけますな。
★本当は、うなぎは、そう最初の頃は好きではなかった。周りが、うなぎを食べるので、いつしか仲間入りをするようになった。ポーランド人のある修道士なんか、うなぎが大好きだった。ポーランドに、うなぎはあるのかな?
★うなぎを焼いて、タレ汁をつけて、最後に、この器に入れて、中にお湯が入っている。蒸すそうです。諫早は殿様の時代から、うなぎが有名だった。うなぎについて、さしたるコメントはありません。相手は、車の藤下先生でした。
★時には、うなぎでも、食べさせてください。夜のホームの食事を少し残した。栄養士さんが廻って来て、サラの具合を見て、「あれ、諫早で、いいモン、食べたんでしょう?」「ガックリ」
『トマさんのことば』。お礼文⑥広島、八智子さん。「トマさんのことば、ありがとうございます。どこまで行っても御本の出版に繋がるのですね。これまでの思い出が詰まった本で、とてもうれしく思っています。力が湧いてきます」

2017年7月20日木曜日

シスターのお墓参り。久しぶりに山に登る。安息祈る

シスター永松のことを思い出した。時々夢を見る。優しい看護師さんだった。シスターから命をもらった。彼女の奉仕がなければ、今のトマはいない。椿原の学校の教師だった藤下先生に運転をお願いした。
★藤下先生は、自慢の電気自動車を持っている。運転に応じてくれた。懐かしい山道を走る。養護施設の中に私立の小・中があって、2人は助け合いながら教育に励んだ。子供たちとの戦いや、慰めや、励まし、笑いなど沢山の記録がある。その学校も今は無くなって寂しい。途中、農村に、ひまわりの畑があった。子供たちは、この辺の農家におせわになったものだ。特に、お寺さんと、町会議員を懇意にしていた。
★先ずは、修道女院に寄って、数人のシスターと会話をする。メロンのご馳走をいただく。
★シスターのお墓で、お花を交換して、色とりどりのお花を添える。シスターが亡くなったのが、1968年(昭和43年)、来年で、50年になる。それでも忘れない。人生って、ふしぎなものだと思う。心の中では、シスターはいつまでも若くて、優しい。声をかけてくれる。世の中に、忘れ得ない人が、1人でも居てもいいではないか。シスターの存在は、生きるチカラであり、励ましでもある。シスターが、きっと守ってくれる。これはトマの小さな信念だ。
『トマさんのことば』。お礼文⑤静岡県、恵子さん。「とても素敵なご本に感動いたしました。読み始めてから涙がポロポロ流れ、泣きながら最後まで読みました。私の宝物になりました。大切にいたします」