2019年9月17日火曜日

同級生の稲国神父さん。これが70年前のボク達の写真だよ

小神学校(中学・高校)のときの同級生、稲国神父さんが、沖縄からホームに、ボクに会いに来た。
★同級生に会うのは懐かしい。ボクは喜んだ。一緒に、同じ食卓で食べた。2人で会話した。お互いに元気なのが、何よりです。稲国神父さんは、ゴルフが趣味で、以前は少々太り気味であった。お医者さんに指摘されて、間食をやめ、少なめの食事で体重を落とした、と言った。歳は90。教会の務めは引退した。今は、沖縄で、ゆっくり毎日を過ごしている。
★やっぱり級友に会うのは嬉しいよ。稲国神父さんに、1枚の写真を見せた。それが、この写真だった。70年前の写真です。同級生たちの面々。教室の窓から身を乗り出し、笑いながら、語りながら、フザケながら、写した。中央、メガネが、ボク。前列、左で、からだを、くねっているのが稲国。こんな時代もあったんだ、と思うよ。ボクと稲国。あと1人を残して、皆、逝ってしまった。
★70年前、気持ちは皆、いっしょだった。しかし人生は大きく別れた道を行った。ボクは病気になって、修道士になる。稲国は健康で、神父になる。この写真を稲国神父さんに見せたら、「ああ、こんな写真があったんだ」と喜んでいた。「それ、あげるよ」「え?いいの。うれしいなァ」と大切に胸にしまった。
★人生は、長がーい。いろいろ有るよ。幸せに生きれば、それで、いい。自分で、自分の道を選ぶのだ。あの頃は、人生に何が起こるか、全く知らなかった。笑って、フザケて、アシタ(明日)のことは心配しない、純真なこころで学んでいた。人生に、そんな時代があったのが、救いだよ。
★「ここは、空気も、いいし、いい所だな」の言葉を残して、稲国神父さんは沖縄行の飛行機で帰った。空港まで送ったのは高原修道士さんだった。

2019年9月16日月曜日

今日が敬老の日。2つの事を考えた。生きる喜び。ボケない方法を

「トマ」と、瀧神父さんが呼びかけた。「(日記を読んだんだろう)神父さん、おめでとうと、メールが入ったよ」
★今日が、敬老の日。朝、朝食後、入浴する。その後で、展示された「誕生会の職員の出し物」の写真を撮った。敬老の日にそなえて、廊下に貼られれている。職員が、余興をした思い出の数々です。
★また瀧神父さんが「トマ」と声をかけた。「あの写真ね。誕生会のときは、沢山、撮れよ。あの写真を見て、家族の男性が、『ホームでは、こんな事もしているんだ』と喜んでいたよ」。ああ、やっぱり写真の効果があったんだ、と私も嬉しくなった。昨日のお祝い日には、家族たちが沢山見えて、一緒に食事を楽しんだ。
★敬老の日を迎えて、2つのことを考える。
★1つは、「生きていること自体が有り難い」ことです。「生かされている」。自分のチカラで、生きているのではない。生きていること、呼吸していること、生かされて、それ自体に価値があり、意味もある。自分のチカラで91まで生きたのではなく、沢山の横の「つながり」があって、縦にも、大いなる存在と信仰があって、自分のイノチは「つながって」きた。それでも何か、人のために奉仕は出来ないか、尽くすことは、ないか、考える。だが、もう動く手足の働きが、もぎ取られていくのを感じる。これが、老いだ。振り返って、反省して、落ち込んだりは、しない。
★もう1つは、ボケないように、しようの決心です。ボケないためには、いかに成すべきか。それが最近は気にかかる。老いると、確かに、アタマの回転が遅くなる。それが進むと、ボケになる。「ボケない方法」で検索すると、まあ、いろんな方法が出てくる。ボケは、誰でもイヤだね。望まないよ。でも、老いと共に、やってくる。
★何度も同じことを聞いたり、月や日にちに無頓着になったり、人の名前や、物事の名前が全然出て来なかったり、ああ、イヤだ。手足は、なえても、アタマだけは、しっかりしておきたい。老人の日を迎える毎の、思いです。

2019年9月15日日曜日

敬老の日。88歳米寿の祝い瀧神父さん。代表で謝辞を述べる

敬老の日。ホームでも式典があった。88歳、米寿2人。99歳、白寿2人。100歳女性1人。88歳、米寿の1人は瀧憲志神父さん。おめでとう。
★長寿のお祝いを受けた代表として、瀧神父さんが「お礼の言葉」を述べた。これが又、感動もので、女性職員さんの中には、涙が出ました、という声もあった。省略して言えば、次のような内容です。

★謝辞の謝の文字は、2つの意味がある。「ありがとう(感謝)」と「ごめんなさい(謝罪)」です。どれだけ園長神父さん、職員の皆さんにお世話になっていることか。今日の敬老会だけでなく、毎月の誕生会、寸劇、歌とおどり、丹精こめたご馳走。皆さんの手厚い介護により、幸せな日々を過ごしております。わたしは聖フランシスコ園に入所して、2年6ヶ月になります。皆さんの仕事を見て、毎日が育児と家事だと気づきました。普通の育児は歳月がたつと、親の手は省けていくが、ホームの育児は歳月を重ねるほど、手がかかる大変な労働です。「老いては子に従え」の諺もありますから、私たちも駄々をこねずに素直に従うことで、感謝の意を表し、今後ともよろしくお願いします。以上が瀧神父さんの謝辞の内容でした。
★また式典では、30年勤務の女性職員さんが表彰された。ホームには長い歴史がある。最後は、「みんなで手をたたこう、足ならそう、肩たたこう、隣の人と手をむすぼう」の歌を何度も歌いながら式典を盛り上げて、締めくくった。
★式典の後、間をおいて、祝賀の食事となる。太鼓の踊りが勇ましくドン、ドン、鳴り響いて、皆さんの気持ちを奮い立たせた。空は、青空。長生きしようと、心に誓った敬老の日でした。

2019年9月14日土曜日

うどん屋の今井君。順調に修養・勉学中。ペトロ神父と喜びあう

「おお、元気か。うどん屋の今井君。忘れんぞ」。私が聖コルベ館に勤めていた、ある年の、大晦日。もう閉館の時、ぎりぎりに、7人の男子の若者たちが見学に飛び込んできた。その中に、19歳の今井君がいた。これが最初の出会いだった。今井君は、言った。
★「高校の奨学金が、108万円残っている。それを今、返そうと「うどん屋」でバン、バン働いて返済しています。身の上を整理し終わったら、修道者になりたいのです」
★若者の希望は、実に、いいね。しかも、奨学金を、ちゃんと整理して、それから入会するという。エライじゃないか。うどん屋で、懸命に働いているという。気に入ったよ。そこから彼を呼ぶときは「うどん屋の今井君」となった。男っぷりも、いいぞ。若い時に感じた気持ちを大切にせよ。「がんばれよ」と、私は、今井君の出会いから、彼を応援したくなった。
★今井君は、身辺を整理して、私たちの修道会に正式に入会した。いま東京の修学院で共同生活をして、司祭への勉強を励んでいる。今度の司祭金祝に、東京からやってきた。いっしょに写真に撮るのが念願だったよ。27歳になる。私たちの修道会では、一番の若手だ。希望があるし、期待しているよ。時々はボクの日記にも載せているから、「今井君のこと」を覚えておられる人も居るでしょう。今井君の将来のため、お祈り下さい。
★それから、もう1人、金祝の祝賀会で、お会いしたのが、ルーマニア人司祭のペトロ・イシトク神父さんです。これも聖コルベ館で出会って、何年もなる。こちらは背丈が、マァ、マァ、イッショ、ということで、気持ちが通じ合っている。2人は仲良しです。ペトロ神父さんは、東京・赤羽教会で宣教しています。
★実際、心情を打ち明ければ、ペトロ神父さんと一緒に、ルーマニアを巡礼するのが、私の願いだった。2人で同じ修道服を着て、一緒にルーマニアを歩けば、似た者同士、何かと話題もなろう。オモシロイ話題も起こるだろう。そんな期待もあったのです。それがホームに入って、実現しなかった。こころ残りだよ。望みは果たせなかったが、出会えば、こうして2人の気持ちは、つながっている。

2019年9月13日金曜日

司祭叙階金祝の集い。思いがけない女性たちとの嬉しい出会い

カトリック司祭は奉仕者。教会を通して、自分の人生をすべて捧げて、奉仕つくす、それが司祭の生き方。50年間つづけるのは何と至難の業か。
★きのうは、長崎・聖母の騎士において、松永正男神父さんの司祭叙階50周年・金祝のお祝いのミサと、祝賀会が行なわれた。家族から離れ、召し出しの道を選んだ。松永神父さんは、ローマで司祭になった年は、社会と、教会に、大きな出来事が起きた年だった、と語った。アポロの月面着陸と、教会では、典礼が大きく変わり、ミサの捧げ方は、信徒に背を向けて祈っていたのが、現在のように対面式となった。また聖書の読み方も、ラテン語であったが、各国語で読めるようになった。大きな転換期。あれから50年、各地の教会で奉仕者として活動され、お疲れさまでした。
★ミサの後、祝賀会がった。ここでトマは、思いがけない女性に出会った。トマは1970年代、「長崎オラショの旅」を主宰し、30数組が参加した。毎度、同じガイド役を務めたのが、写真・右のケイ子さんだった。こちらも50年近くの出会いとなる。「どうして、ここに?」と問えば、松永神父さんから招待状が届いたそうだ。
★左の女性は、「小崎さんですか?オラショの旅でお世話になった者です。懐かしい」と出会いを喜んでくれた。「ああ、この人が、ガイドさんだったのよ」と、3人で写真を撮った。人生、どこで、どいう出会い、再会があるか分かりませんね。聖母の騎士でのお祝いは、こういう出会いがあるから楽しいのです。実りがあるのです。

2019年9月12日木曜日

「マリア」み名の記念日。マリアの挨拶。聖コルベ、マリアで呼吸

今朝、ミサの前に、司祭が告げた。「きょうは、マリアさまの、み名の記念日です。私たちは、日ごろ、「イエズス、マリア、ヨゼフ」の、み名を唱えます。マリアの、み名を教えてくれたのは、コルベ神父さまでした。コルベ神父さまは、マリアを呼吸して生きておられた。私たちも、マリアの、み名を呼びましょう。元気が出ます」
★マリアの、み名の信心、記念日は、十六世紀、スペインで始まった。思い出します。昭和の初期の聖母の騎士修道院では、ポーランド人の修道者たちが、お互いが会う毎に、自然に、習慣的に「マリア」と挨拶していた。その「マリア」も、「マァ~リア」と抑揚をつけて言葉を発した。ポーランドのにエポカラヌフ修道院から始まった習慣だった。それが、そのまま「長崎」へ移った。
★コルベ神父は、本当に「マリア」「マリア」と、マリアを呼吸して生きておられた。マリアさまの、み旨を完全に果たすことが目標だった。マリアさまの、み旨は、どこで分かるか。それは長上に従うこと「従順」にある、と信じて実行した。信念に達したから、すばらしい愛の実行に至ったと思う。
★ポーランド人修道者たちが習慣にしていた「マリア」の挨拶は、いつしか、行なわれなくなった。寂しさを感じる。小長井のシスターの修道院では、私を見ると、「マリア」と挨拶するシスターが、まだ居る。マリアで呼吸するのは、忘れたくない。
★きょうは、長崎・聖母の騎士で、1人の司祭の叙階金祝が行なわれる。ミサがあり、お祝いがある。朝、8時半過ぎには出かけます。午後は、遅くなるでしょう。お祝いの様子は、あした、書けるでしょう。

2019年9月11日水曜日

ホーム聖フランシスコ園。地元のトライアスロン・リレーで頑張る

地元の「ミニ・トライアスロン・リレー大会」。聖フランシスコ園の男子職員も去年から参加している。地元の人たちと交流し、名前を知ってもらうのが、ねらいだ。今年は、教皇フランシスコも長崎訪問されるではないか。フランシスコの名は、世に知られる。
★去年から参加。去年は78組の出場チームがあった。成績は72番目。もっと、馬力をかけよ。噴気せよ。今年は上位に入るよう頑張りたい。結果は75組が出場して、40番目だった。去年よりも「フランシスコ」は随分、成績が上がったよ。ホームには男子職員が少ない。6人が出場。
★先ず、走りが4Km。次に、泳いで200m。泳ぎの青木さんが手をあげている場面です。次に、また走る。4.4Km。次は、自転車で12Km。また走り3Km。最後は、ガタ・スキーで150m。更に走って3Km。
★スタートして、皆さん、チカラを出し切って、前進した。遅くなったり、早くなったり、抜いたり、抜かれたり。リレー大会だから、全員のチカラの集約が必要だ。
★田園の風景。こんな場所を走ります。田んぼの稲も、ずいぶんと伸びている。さわやかな風がふく。気持ちが、いいね。遠くに見える山と人家。応援に駆け付けたのは、事務長さん、女性職員さん、小学生たちだった。
★参加者チームの名称は、いろいろ。水泳教室、県央消防本部、県庁走友会、小学校、病院などもあった。堂々の「フランシスコ」も負けちゃおられんよ。
★背中の絵をごらんください。キリストの腕と、フランシスコの腕が交差している。中央に十字架がある。これは「コンベンツアル・聖フランシスコ修道会」のマークです。胸の方には、フランシスコの印の「Τ(タウ)」が記されている。文字通り、フランシスコを背負って、走っているわけです。
★今年の時間は、1時間39分22秒。昨年は、1時間53分18秒だった。だいぶん縮小したよ。成績は良かったね。食堂でも話題になった。若者よ、がんばって走れ。後ろを振り返るな。人生も、おんなじだ。希望をもって、前へ、前へ、ススメ。ススメ。