2017年5月28日日曜日

聖母の騎士のルルド祭。思い出の中に、歴史がある

長崎・聖母の騎士の「ルルド祭」というと、心がわくわく、なぜか嬉しい。思い出にも、長い歴史がある。終戦後の昭和20年代、神学校の高校生のときには、神学生も120人から居て、ルルドで、聖母賛美の集いを毎年盛大に行なった。「アカデミア」と称していた。ポーランドの修道院の集いの延長であろう。ポーランド人司祭も修道士たちも、神学生も全員が参加して、詩や小論文、歌などを各班に分けて、発表していた。あの頃の面影は今はない。
★修道院の車に、高原修道士さんが運転して、山内園長神父さま、瀧神父さま、橋口修道士さん、私が乗った。ホームからは10人乗りの車が出て、ホームの信徒さんたちが参加した。
★山口院長・主任司祭の司式で、先ずミサが捧げられた。「キリエ」「グロリア」「サンクツス」などは、ラテン語で歌われた。長崎らしい雰囲気のミサで満足した。祈る人も、今年は多く感じられた。水浦神父さまが引率の巡礼団は兵庫県仁川から参加した。ミサの前に、巡礼団の1人が私の傍に来て、「お元気ですか」と声をかけた。名前を聞いた瞬間、思いもかけぬ出会いとなった。
★ミサの後では、2手に分かれて、元気な人は、ロザリオを唱えて、ルルドへ向かった。ルルドでも、お話しがあったという。坂を上がれない人たちは、そのまま教会に残って、崎濱神父さまの先唱でロザリオを唱えた。私は教会組となった。
★「トマさんのことば」の本も、私を知っている人に配った。本を編集した野々村哲さん、塩沢美樹さんも見えていた。久しぶりの出会いとなり、嬉しい。聖コルベ館でしばらく話をした。ゆっくり出来なかったのが残念であった。

2017年5月27日土曜日

恵みを受けても、恵みを失う悲しさが人間にはある

ホームの隣、湯江教会の祭壇のお花です。いま、共同で、ロザリオの祈りと、晩の祈りを唱えてきました。今日も、一日、無事に過ごすことが出来ました。前進もそうですが、変わらないのも、恵みです。
★神さまが存在するなら、神さまの御働きが私たちの中にもあるはずです。信者・庶民の生活、人生の中にも、神さまの導きや、お恵みや、霊性の光があるはずです。
★そういう思いで私は信者たちの信仰実話を書いてきました。しかし人間は変わるんですね。残念なことに、恵みで結ばれても、人間の弱さで、もろさで、壊れてしまう実例もあります。悲しいことです。しかし、それが人間の現実です。
★結局、安心して書けるのは、「自分のこと」なんです。その自分のことも、人には伝えられない苦悩もあるから複雑です。あきら様に出来ない事情も多々抱えて暮らしています。それが現実なら、何が「真実」なのでしょうか。苦しみます。
★だから「今日も、無事に終わることが出来ました」と言えるのは、本当に有り難いことだと、小さい幸せを感じます。
★明日は、5月、マリアさまの月の最後の日曜日で、長崎・聖母の騎士で、ルルド祭が行なわれます。10時30分から始まります。湯江修道院、ホームからも参加します。

2017年5月26日金曜日

楽しい食事会でした。千草さんのお陰です。喜び

長崎市から、わざわざ私を連れ出しに来てくれた。千種さんと、運転の女性、櫻井さんと、宮川さんご夫妻です。車で20分の諫早へ出かけました。昼食前です。
★食事処で、ご馳走を戴いた。背広を着たのが宮川さんです。いろんな役職をしておられる。私を励ます気持ちからの集いでした。嬉しいではありませんか。ありがたいことです。企画してくれたのは千草さんでした。
★2時間過ぎるまで話しは尽きなかった。「トマさんのことば」を宮川さん、奥さんに差し上げた。
★宮川さんと知り合ったのは、以前、長崎市で、ポーランド協会というグループがあって、活動していた。主催をしていたのが、樋口先生といわれる女医さんでした。私も、ポーランドへ旅行したし、コルベ神父やポーランドの修道士さんと生活して、ポーランドに興味もあるので、進んで参加していた。そのとき宮川さんも会に出席されて、人柄から親しみを感じていた。奥さんはカトリック信者である。樋口医師はその後、亡くなられて、協会もどうなったか分からない。
★宮川さんのお宅にはネコを十数匹飼っておられるとかで、ネコの話しで盛り上りました。私も原爆の話を語り、興味深く聞いてもらった。楽しい半日でした。

2017年5月25日木曜日

老人ホームで「まあ」幸せに、暮らしております

自室の戸は、いつも少し開けている。扉をシメ切ると、なんだかイキ苦しい。開けた方が、風も通る。廊下を通る女性の職員さんが、「トマさん、庭に生(な)ったもの」と、ビニール袋を渡した。家の庭の木に実った「びわ」だった。
★ああ、もう、ビワの季節になったのか。長崎では、ビワは誰でも喜んで食べる。キレイに着飾った商品用のビワより、どうかすると、庭のビワが美味しく味わえる。3回に分けて、喜んで食べた。
★テレビで、男性が、老いた母親を家庭で介護する苦労を語っていた。それはタイヘンだろう、と共感する。介護に疲れて、ついに、イヤイヤながらも、老人ホームに入れたと、悔しいというか、悲しい顔をいた。毎日、通ったという。
★ホームで生活するのは、確かに寂しい。自由も利かない。ワガママも言えない。だが、それほど深刻な人生であろうか。人それぞれだが、苦労があれば受け入れて行くしかない。施設の設備の良さも大事だが、要は、人と人との交わりだ。信頼関係だ。人は誰でも老いていく。弱っていく。ホームだって、ジンセイ、生きる幸せもある。カトリックの背骨があるからだろう、と今日も祈った。
★朝の9時に、体操のスピーカーが廊下にひびく。自室から出て、体操を始める。何んの抵抗もない。学校では、子供と一緒に体操をやっていたからだ。その延長と納得する。体操の後、入浴した。入江さんが先に入っていた。背中は洗ってもらえなかった。

2017年5月24日水曜日

アシジの大聖堂の記念日。フランシスコを生きる

今日は、フランシスコ修道会では祝日でした。イタリア・アシジの聖フランシスコ大聖堂の献堂記念日です。あの素晴らしい大聖堂が出来た日です。13世紀でしょうか。アシジに巡礼した人は建築物や壁画の美しさを思い出すでしょう。地下聖堂には、聖フランシスコの遺体も安置しています。
★2週間ほど宿泊した経験や、高位聖職者が泊まる部屋にも数日、泊めていただいた。巡礼者を引率・案内して、何度も訪れた。10月4日の聖フランシスコの祭日を、ここの大聖堂で迎えたが、国際日でもあり、教皇特使が来られて、それは最大の典礼、祈りの集いでした。
★私が聖フランシスコを知ったのは、ゼノ修道士や、ポーランド人のフランシスコ修道者に出会ったからでした。彼らの中のフランシスコ的な明るさ、優しさ、自然に対する愛情、兄弟愛、物に執着しない生き方、そういう現代に生きるフランシスコに少年の頃、惹かれたから、この道に入ったのでしょう。
★徹底的な出来事が原爆です。憧れていた豪華なお屋敷があった。いつも、その場所を通りながら、自分もそうなりたいと願っていた。所が、原爆で一転する。屋敷も庭も樹木も燃えて、すべて崩壊して、ご主人が丸裸になって、崩れた石段に黙して座っていた。数日して、そこを通ると、そのままの形で亡くなり、体にはウジがわいていた。それを見た17歳の少年は、大きな衝撃を受けた。「この世って、なんとハカナイ(儚い)ものか。営々とし築いた物は、すべて崩れ去る」。致命的な瞬間だった。フランシスコの声を聞いた気がする。フランシスコ会の修道者の中に飛び込んだ。
★昨日は、原爆の話しが小学生たちに出来ると思って、元気が出てきた。ちょうど、うまい具合に事が運んだ。先日、長崎のクリニックへの帰りに、聖コルベ館へ寄って、原爆の絵を積んで持ってきた。ホームへ着くや否や、学校から電話があって、明日、話を聞きにお伺いするという。計算したのではないのに、絵の準備も自然に整っていた。無事に、試しの話しも、絵と共に聞いてもらえた。こういう流れもあるもんだ、と不思議さえ思い、昨夜は安眠しました。

2017年5月23日火曜日

原爆体験を語る日が出来た。地元の小学校で頑張る

午後のひと時、車椅子の女性たちが、爽やかな風を楽しんでいた。日頃は、余り屋外へ出ないので、時折、こうした時間を設けている。楽しみの一つです。自然の風は心地よい。
★ホームの直ぐ下にある小学校の校長先生と、平和学習の担当の女性先生の2人が、ホームの私を訪ねた。事の起こりは、理髪屋さんだった。いつぞや散髪を受けながら、理髪屋さんに聞いた。「小学校でも、原爆の日には、平和の集会をしているだろうか。毎年、原爆の語り部がお話をされるなら、私も話をしてみたいね」
★小学校の校長先生は、理髪屋さんの幼友達ということで、先生に話してみたそうです。すると、ぜひともお話しを聞きたいとのことだった。先ず試しに、「話していただけませんか」と、今日、校長先生と女性の先生がホームに訪ねて来ました。
★ホームの応接室で、私の原爆の体験話しを語りました。わかりやすく、大きな絵を数枚使って話します。17歳の少年が、原爆の日、5時間かかって自宅に着いた。その間、少年は、いかに生きたか。語って聞かせると、校長先生は、満足されて、人差し指と親指で、マルをつくった。平和学習の女性の先生は、県内の小学校に勤めていたとき、10数年前に、私の「原爆体験」を聞いて、今でも覚えていますと言ってくれた。
★6月中旬に、平和旬間があるので、そのとき、22日にお願いしますと、決まった。ゲンキがハラの底から湧いてくるのを感じた。

2017年5月22日月曜日

長崎へ。クリニックで診療。聖コルベ館へ。思い深し

朝、教会へ行こうと、廊下へ出たときに窓に見えた朝陽です。今日は、どんな日になるだろうか。
★朝食は、隣の修道院でお世話になって、8時には長崎市へ向かって出発した。高原修道士さんの運転だった。ヨゼフ・クリニックに着く。受付に、「トマさんのことば」が置かれていて、自由に見てください、とあった。ちょっと、びっくりした。高木院長先生に差し上げていた本であろう。
★診察を待つ間、1人の女性が「トマさんのことば」を手にとって見ていた。高原修道士さんの説明によると、「山内園長神父さまの妹さん」とのことだった。「あれ、これ、あなたの本?」「そう、です」「お母さんの写真、いいわね。ワサというのね。昔の女性の名前ね」「いい写真、ばっかしね」
★診察が終わって、聖母の騎士へ向かった。彦山の麓に、教会や修道院、学校が見える。ここに入って、72年。通いだしたのを入れると、75年。聖母の騎士で生涯を過ごした人生のようだ。聖コルベ館へ着く。ひっそりとしていた。
★聖コルベ館には、韓国からの巡礼者が多いという。私が離れて2年半になるが、内部は全く変わっていない。用件は、原爆の話しをするときに使っていた大きな絵、数枚を資料室から取って、車に積んだ。
★昼食は、ファミリー・レストランで「シチュウ」を食べた。ホームへ帰ったのは、午後3時だった。