2018年9月26日水曜日

月下美人が咲いた。午後から来客。昼食から席替え


昨夜(25日)は中秋の名月、十五夜だった。真ん丸い月が、光々と照らしていた。「月下美人、今夜は、きっと咲くぞ」。夕方、5時半、2つの花がふくらんでいた。夜8時過ぎが、左の写真です。風が強い夜で、花は揺れていた。手で掴んで合わせて撮った。10時過ぎ、右が、見事に咲いた期待の月下美人です。ホームの辺りは静寂。詰所に夜勤の2人職員が居るだけ。誰も知らない、見ていない夜に、美しい純白の大きな花が、見事に咲いた。
★普通は7時半過ぎにはベッドに付くのだが、昨夜ばかりは気になって10時過ぎまで起きていた。これまで9月の9日から観察してきた月光美人だったが、素晴らしい満開の姿を見ることが出来た。満足して、この夜だけ、10時過ぎに眠りについた。
★昨日は午後から長崎の千草さん(写真・左)、蓉子さん(運転)が姿を見せた。「トマさんから『パワー』を貰いたい」「パワーなんて、無いよ」「イヤ、すごい人生でしょ、尊敬しますわ」「恐縮だよ。でも、ね。この間、テレビで原爆のドラマがあったが、あれ見て、本当に、よくぞ生きてきたな、と思いました」「そーですよ」「それに結核で、右の腎臓、取つちゃって、左も、侵されて死に目にあった」「看護師のシスターに助けられたモンね」「そのシスターが亡くなって、今年10月19日、50周年を迎える。ミサと、墓参りと、会食をしたいね」「決まったら案内してね。お祈りに来るから」
★ホームでは昼食のとき、半年ぶりに食卓の席替えが行なわれた。みんなは、ソワ、ソワ。どの席に行くか。トマの思いは、明るい場所で、皆さんが一望できる所で、牛乳を温めるのに、レンジの近くが好みです。結局、同じ場所で、入江さんが抜けて、同じく瀧神父さんと、他に同じ女性が一緒の4人の席になった。
★湯江教会では、昨日から「修道会の創立者・アシジの聖フランシスコの祭日(10月4日)」に向けて、9日間の祈りが、ミサ後に始まった。
★今日は午後から火災の避難訓練が予定されている。ホームでの火災は恐ろしい。訓練には進んで参加します。
★『トマさんのことば』月光美人を見て思う。幼い頃に洗礼の恵みを受けた。一時期、教会を遠ざかっても、いつか、また教会に呼び戻される。幼い頃に植えられた芽は、必ず又伸びて花をひらかせる。そこが信仰生活の大切なところです。信仰があれば、自分の人生も、他者の人生も、大切にする。

2018年9月25日火曜日

母親に苦労をかけた。若い頃から病気で苦しんだ

今朝は、なぜか、母親のことを思い出した。(絵は、しおうら・しんたろう作『焼けたロザリオ』より)
★13歳だった。不運にも、腰や背骨が腐れるカリエスを病んで、長崎・大学病院外科病棟に入院していた。父は居ない。母が付き添って看病してくれた。母に、本当に心配を掛けたと思っている。おカネは持っていたのだろうか。入院は1年と数ヶ月に及んだ。途中で、治療費が払えなくなって、「学用患者」となり、入院費は無料となった。その代わり、人体研究材料になったり、死ぬと解剖される。この手続きを勧めてくれたのは、病院事務長の深堀さん(カトリック信徒)だった。それを聞かされたとき、13歳の病人は泣いた。母親も泣いた。いま思えば母は生活費にも苦労していたのだろう。当時は福祉の助成金もなかった。
★ベッドで病む少年は、母が買い物に出て、帰って来ると、手提げの中が常に気になった。「本が読みたい」。しかし買うおカネは無かった。それでも少年は頼んだ。今でも覚えているが、買ってきてくれた本があった。「リビングストン」の本だった。スコットランドの探検家、医者であり、牧師でもあった。ヨーロッパ人で初めて、未開のアフリカ大陸を探検・横断して、現状を世界に知らせた。彼は地元に住んで、アフリカの貧しい人たちの治療や奉仕に生涯を捧げる実話だった。戦争の真っ只中、本屋にこの本があったのは、日本の「海外へ進出」の夢が秘められていたのかも知れない。病気の少年は熱心にこの本を読んだ。頁の所々に、挿絵もあった。
★病気の少年は15歳の春に快癒して、退院する。母は、収入を得る為に、介護の経験を生かして、入院患者の付き添い婦として、病棟に寝泊りして働き、金銭を稼いだ。家はなく、15歳の少年は、事務長・深堀さんの世話で、病院見回り職員の部屋にお世話になって、分厚いマットの上に、夜、一人で眠った。寂しい夜を覚えている。食事は、母が介護する病人のベッドの傍で、母と一緒に食べていた。
★食料は配給で、お米は「玄米」支給された。母が、患者のベッドの傍で、敷物に座り、一升瓶に玄米を入れて棒で突いて、白米にしていた姿を忘れない。あの姿の母親に「おかあさん」と、いま大きな声で叫びたい気持ちになった。
★長崎・原爆で、母も、深堀さんも被曝死した。あの頃は本当に苦労したよ。何もかも失われて、新しい世の中が始まった。ただ悲しい記憶だけが残った。

2018年9月24日月曜日

聖パチフィコ。山内園長神父さんの修道名のお祝い


今日は、教会では、コンベンツアル会の司祭・聖パチフィコの記念日です。ホームの園長・山内春治神父さんの修道名のお祝い日です。「山内園長さま、おめでとう。温かい家族的な愛情を、みんなに注いで下さって、ありがとう」。代表者が、喜びの花束をお渡ししました。喜んで下さる園長さま。昭和11年4月生まれの82歳になられます。ホーム全体のお勤め大変でしょう。「みなさんに支えられて、13年になります」とお言葉がありました。いつまでもお元気で、お勤めを果たして下さい。今朝はミサのとき、園長神父さんのため祈りました。園長さまは、毎日、教会で、午後からの共同のロザリオに、一緒にお勤めを果たしておられます。
★昨夜は、園長さんが属する湯江修道院の4人と、ホームの瀧神父さん、トマも入れて、車で20分の食事処でお祝いをしました。
★昨夜の食事会の話で感じたことは、コルベ神父が創立した小神学校に、終戦の翌年の春から、毎年、20数人の新入生が長崎・五島・平戸から次々に入学して、徐々に神学生が増えて、6年後の年は、中学・高校生の小神学生だけで、116人の学校になっていた。この数を考えるとき、今までの歴史で、これだけの人数の小神学生が共同生活をしていたお恵みと言うか、時代は、もう来ないでしょう。若くして神に召された司祭・修道士を偲んで、しみじみと語り合いました。修道者同志は、お互いに若い時から知り尽くした仲間です。安心感があります。
★「パチフィコ」の修道名も話題になった。着衣式のときに修道名を付けるのは院長か修練長ですが、20人もの数が居ると、聖人の名前を選ぶのも大変だったらしい。名前を付ける「こぼれ話」にも笑いが湧きました。会食に参加した6人は「パチフィコ」神父。[コンラード」院長神父。「ペトロ」神父。「ヨゼフ」修道士。「使徒ヨハネ」修道士。「トマ小崎」修道士でした。
★観察している月光美人も、じょじょに、ふくらんできました。希望が出てきた。後、2,3日したら咲くかな?小さな2つの「つぼみ」が、いとおしく、期待をかけている。
★朝から入浴する。お湯から上がって撮った月光美人です。お昼の食事は「細めん・うどん」でした。卵焼きがあった。ホームの卵焼きは、すごく美味しいです。静かで、平和なホームです。

2018年9月23日日曜日

山の施設・騎士園祭。お世話になった女性の出会い


山の養護施設・聖母の騎士園祭があると聞いた。招待は無かったが、懐かしくて出かけた。戦争が終わった次の年の冬に、施設が出来た。ゼノ修道士さん達の尽力による。
★終戦から数年が経った25歳のときに、施設の修道院にお世話になった。11年を過ごした。当時は男子ばかりで、毎日、事件が起こり、逃亡者も多かった。近くの村も荒しまわった。それでも子ども達は成長し、子ども達と学び、運動会は野外劇で盛り上った。「天草四郎の物語」は、町の小学校の運動会でも、特別出演した。
★2度目は、昭和から平成に変わる年代で、57歳から6年間を過ごした。施設には男性も女性の子ども達も入所していた。施設の小・中学校は、入学式、卒業式、運動会などは父兄や来賓も少なく、寂しかった。後援会をつくり、諫早から十数人の女性たちが来賓として顔を出して、励まし、支えてくれた。温かい愛情を注いだ、その十数人も時代と共に老いられたが、今日はその中の1人と出会い、当時の支援を感謝した。「本当に、その節はお世話になりました。お元気で何よりです」。お名前は忘れたが、お顔はしっかりと覚えていた。
★施設が出来てから、70年が経っている。どれだけの子ども達が育って行ったのだろう。子供や孫も出来ているだろう。老年も、壮年も、幼い子も居たが、私を知る者は他には居なかった。それでも建物や、成長した樹木を眺めたとき、心に熱いものを感じた。
★ちょうど連休を利用してか、広島から岩本さんご夫妻が車で施設の私の処まで訪ねて来られた。「広島へ来たかった、いつでも連絡しなさい。車で迎えに来ます」。施設の園長・山下神父さんと一緒に写真に撮った。

2018年9月22日土曜日

『わたしの昭和』書きなさい・戦争から平和な世に

平成の世が間もなく終わります。ボクは、昭和3年3月生まれ。まさしく昭和を最初から生きてきた。いま、『わたしの昭和』を振り返ってみよう。
★写真は小学生のボクだ。「幸一」が名前。親は「幸福に、なれ」と願い付けたのだろう。ある本によると、「幸」には、3つの意味がある。①『さち』(物質的に満たされた喜び)。②『しあわせ』(良いめぐり合わせ。モノごとが、うまく運んでラッキー)。③『さいわい』(花が満開のような満足感)
★昭和の初めの日本は、富国強兵。小学生から軍国主義を叩き込まれた。ビンタの1つや、2つはガマンする。その道は、やがて暗い戦争につながる。ニッポンは負けない。神風が吹く、そう信じて、竹やりで、エイ、ヤァ、と突いた。
★昭和20年8月、17歳のとき、物凄いバクダン原爆が長崎に落とされて、浦上は廃墟となって終戦。全く酷いバクダンだったが、ボクは『さいわい』に生きていた。原爆で、母を失い、家を失い、孤児となる。明日から如何に生きるか、決断を迫られた。
★母が残した信仰のおかげで、幸いに、ポーランド人修道者たちに救われる。高校まで与えられたが、その後、重症の結核・病気に長年、苦しむ。死の手前まで追い込まれた。当時、結核の薬は庶民には入手困難だったが、修道院に居ておかげで、新薬の薬が与えられて、ふしぎと快癒する。これは誠に『しあわせ』だった。
★昭和40年、健康を回復して、修道士として立ち、修道誓願をたてる。新しい幸せの出発だった。以来、40年間は健康が与えられた。ボクにとって昭和は、何を育てたのか、どんな時代だったか、と振り返れば、幾つか思い当たる事もある。
★①学問、知識は人間に必ず必要だが、これは押し付けではなく、自分で求めて行くものだと思う。修道士は、当時の習慣では、学問は与えられなかった。ボクは自分で管区長に頼んで許可を得て、大学通信教育を6年間で、やり遂げた。この努力はボクに自信を与えたと思う。教育実習も行ない、教育免許も取得した。昭和が終わった日、ボクは私立の小・中の校長を勤めていた。
★②子どもの頃に、何でも食べる経験と習慣をつけて、口を慣らしておくのも必要だ。ボクの場合、これは失敗だった。母親は、ボクに食べさせる体験、幅が狭かった。だから海のカキ、イクラ、ウニ、などの海産物は、美味しいとは感じない。広く食を経験して、どの味も吸収する気力が必要だ。食べ慣れたものしか食べないのは、食が細い。
★③マイクを向けると、即座に、まとまったコメントが立派に出来るように、子どもの頃から訓練しておく事が必要だ。自分の意思をはっきりと相手に伝える。臆することなく大衆に告げる。流れるような発言が出来なくて、本当に苦労したし、赤恥も何度も、かいた。
★母が残したカトリック信仰に、更にポーランド人修道者たちの祈りと導きを受けて、守り続けたのは本当に良かったと感謝している。人は、信じ、希望し、愛さなければ、生きてはいけない。確かに、その間、何を、したか。かにを、したか・・・と問われれば、大した事は、していない。しかし恵まれた人生だった、と納得はしている。このような体験と、教訓を得ながら、遠くに去って行ったのが、ボクの昭和だった。
★昭和64年1月7日。昭和天皇、崩御される。昭和天皇を見たのは、1度きりであった。戦争が終わって数年経った頃、全国を行脚され、九州にも行幸され、原爆孤児・戦災孤児の施設をご訪問になった。天皇は、ヨレヨレのスーツを着ておられ、誠実そうな表情に篤く心を打たれた。戦中、戦後、多くのご心労をされ、尚且つ威厳を保たれ、親しみを覚えた陛下に同情する。こうして波乱万丈の昭和は終わった。私は60歳。ちょうど折り目のよい年であった。あれから平成の30年を生きたことになる。
★昭和を一言であらわせば、何と言う字にまとまるだろう。『乱』か、『和』か、『愛』か、ああ、やっぱり『幸』だな、昭和は。

2018年9月21日金曜日

ブレない人間でありたい。ハシラだけはシッカリ

月下美人が咲いたのは、9月9日の夜中でした。日記に載せました。それから5日経った14日に、月下美人の葉に、小さな芽が出たじゃありませんか。「え?花の芽?早いなァ、また出たの?」と、ちょっと、驚きました。これも日記に載せて、観察しようと書きました。
★あれから又、5日が経って、左側の写真が19日の芽の姿です。大きくなったでしょう。2日後、右の写真、今日が、この姿になりました。このように観察すると、成長が楽しみになってくる。ホームにだって小さいけれど、楽しみ、希望はありますよ。
★ホームで生活すると、修道士も、皆さんに混じって、入居者と全く同等です。平等です。何の違いはない。でも修道士の心境は、秘かに動揺があるんですね。人間は、生理的にイヤな気持ちも湧くのです。小さな事でも、心のトゲになるのです。それを経験しています。イヤなものは、イヤと思うんですね。ごめんなさい。
★揺れ動く心情の中で、我ながら思うのは、どこに居ろうが、ホームで暮らして居ろうが、修道士は『ブレ』ては、いけない、これを心中に言い聞かせております。内心、いろいろ弱い部分が有りますが、自分でも、よくわかります。1つの試練ですね。
★最近は、エレベーターに乗るとき、「修道士サンが居るから、ダイジョウブ」と言うようになった。ありがたい言葉ですよ。ニンゲンだから気持ち上、いろいろ有るが、でも、ハシラ(柱)だけは、『ブレ』ては、いけない。歩くとき、カラダは『ブレる』けどね。
★世のヒトたちは、お金の事情や、仕事や、人間関係で、いろいろ悩み疲れているでしょう。その人たちが清い姿の「お坊さん」を見ると、「ああ、心が、癒される」と、そう感じるでしょう。そこに小さな救いもある。『ブレないヒト』が居る。大切なことです。いまの世の中は、ヘイソク感で、息苦しくなっている。不安と、不満と。暗ラーィ世の中です。
★月下美人よ、キレイな花を咲かせて、度々見せておくれ。こんな芽が、あんな素晴らしい花を一晩だけ咲かせる。この世の中に、あるんですね。秘めたことが。どうして、小さなことで、クヨクヨするのだろう。セマイ・ニンゲンの心って、イヤだ、ね。

2018年9月20日木曜日

韓国の殉教者。旅をして撮った。懐かしく思う

韓国の殉教者・聖アンデレ金司祭と同志殉教者の記念日です。一緒に103人が聖人に挙げられた。
★韓国のテーグに旅行した時の写真を見つけた。片隅に「2007年6月24日」と刻まれている。もう10年程前になる。どこの場所で写したのか、写真の聖人が誰なのか、分かりません。おそらく聖アンデレ金司祭ではないかと思います。
★案内してくれた男性が、こう言った。「韓国の殉教者は、一発破壊、即座に殺される。日本は穴釣り、水責め、熱湯、火あぶりで『転べ』と拷問する。信仰で苦難に耐えた。『殉教の霊性』ですよ」
★写真を見ると、トマ修道士も、まだ若い。こういう時代もあったのだな、そう思い、殉教者の取り次ぎを祈った。