2017年11月18日土曜日

あわただしい1日。きょうも暮れる。平安、無事

雑貨のスーパーです。昼食後、しばらくベッドに横になっていると、はや、2時に「ショッピング」月に1度の買い物に出かける時になる。ホームに暮らすことは、1軒の世帯に生活する状態です。何も、可も、必要になる。だから買い物には参加します。写真の店は、食べ物以外は、ほぼ揃っている。加湿器の水差しを買った。ここが終わると、次は「エレナ」食べ物のスーパーです。ブドウ、イチゴ、ふり掛け、チョコ、歯磨き、など買いました。赤い小型バスに乗って、15人ほどが買い物に出かける。
★午前中は「懇談会」があった。来月の予定や、看護師さんからの注意点など伝えられる。こちらも、はや、12月。年末です。誕生会や忘年会や、慰問や、高校生達の奉仕や、クリスマス会など、「出し物もあるので、お楽しみに」と職員のお言葉でした。
★11月も半分は終わった。23日には、長崎・修道院で、修道会の司祭叙階金祝、修道誓願金祝が行なわれる。会の司祭・修道士が顔を揃えるので、楽しみに参加するつもりです。12月になると、期待のコルベ神父の映画「二つの冠」がある。これも楽しみです。直ぐクリスマスでしょう。1月、お正月でしょう。年賀状もくる。2月は、トマさんの修道名「聖トマス小崎(日本26聖人)」のお祝いが来る。3月は誕生日。90歳だよ。こうして未来を考えると、色々楽しみがあるね。結局、いつまでも変らぬ元気で居ることだよ。

2017年11月17日金曜日

ジンセイ、生きていること自体が、ふしぎ。本当に

この言葉は、すごく人気があるのです。自分でも、そう思います。
★今朝は、信仰って、横にも縦にも「つながり」があると思いました。両親から受けている。隣人と一緒にロザリオを唱える。バチカンに行って、聖ペトロ大聖堂・内部の荘厳さに感動もした。外海の隠れキリシタンの信仰遺跡も知っている。今日はハンガリーの聖エリザベトの祝日だったが、1200年代に生きた王女で、3人の子供の母となり、ご主人が亡くなると、清貧の生活に徹して、貧しい人たちを助け、病院も建てた。何百年も前から同じカトリックの信仰を生きている。丁度聖フランシスコの時代でもある。
★私たちが今、信仰している信仰と全く同じなのか。そう、同じです。その根本は聖書だからです。今朝は、そんな事を考えた。でも信仰は、もう1つあると思う。それは私自身の信仰です。どれだけ本物の信仰に生きているか。本当に信じて行動しているか。反省の余地は色々ある。罪ある人間、弱い人間からの脱却。生きて改善する所は多々あるとも思った。
★今日は、ホームのお年寄りの葬儀・告別式が行なわれた。親しく、知っている人が亡くなるのは寂しい。1人の人生が終わった。「ふしぎなこと、多々あった人生だった」。結局、誰でも、そう言える。ジンセイって、本当に分からない。ニンゲンが生きていること自体がふしぎなのです。

2017年11月16日木曜日

高原修道士さんの誕生日。2人でお祝い。頑張る男

定期の診療日。朝から長崎へ。この日は何やら気が重い。高原修道士さんの運転で車は走る。2人とも、クリニックで診察を受ける。「タガワ・ブラザー」。先生の大きな呼び声に、待合室の人の目が自分に向けられる。「お世話になっています」。大声で診察室に入る。部厚いカルテ。通院の年期を示している。先生は「どこかで語り部を出来ないか」の意味の言葉で私に未だ期待している。フタ言(こと)、ミ言、先生と交わして終わる。血液を採取される。薬の処方箋を貰う。体調は、いいのか、不具合なのか、自分でも、何とも言えない。
★高原修道士の誕生日。昭和34年(1959年)の今日、熊本市に生まれる。満58歳になる。彼には、どれほどお世話になっていることか。彼の手引きでホームへも入居したし、毎月、こうしてクリニックへも連れて行ってもらう。感謝の意味で、お昼ごはんは、御ちそう、しよう、と途中の行き付けのレストランへ立ち寄った。牛肉専門のお店です。お酒は昼間だから飲めないが、デッカイ、ステーキに、テール・スープ、その他いろいろ、満腹する程、(いや、わたしが)食べて、お祝いした。修道士とはいえ、日常、いろいろストレスが溜まる事もあろうが、頑張ってください。修道士の召命も全うしてください。そう願いながら、彼の運転でホームへ戻った。

2017年11月15日水曜日

ある日の電話。手紙も来る。赤岳・出身の女性から

突然、廊下のスピーカーで名前を呼ばれて「電話です」。自室に近くに電話機がある。女性の声。「被爆65年、2010年の原爆の日に、浦上天主堂で、『焼けたロザリオ』を買い、何々様とサインも頂いた。懐かしくて電話した」
★確かに覚えがある。浦上天主堂の庭で、修道服を着て、『漫画・焼けたロザリオ』の販売を行なった。自伝の漫画で、主に原爆体験と、コルベ神父も描かれている。東京の漫画家が描いた作品である。
★それにしても、急に電話で一方的に言われて、当方、アタマの切り替えが出来ず、戸惑った。「サインして頂いたのが嬉しい。今も本を手元に置いて、親しんでいる」という。電話は、それで終わった。
★しばらくして手紙が届いた。「私は、長崎・赤岳の生まれです。戦後は聖フランシスコ病院で看護師として、秋月先生の元で働きました」。外国人院長シスターの名前も書いていた。トマも秋月先生はよく知っている。診察も度々受けた。
★更に心引いたのが、『赤岳』だった。外海へ行く途中に、樫山集落がある。ここが昔は隠れキリシタンの里だった。樫山に赤岳はあり、キリシタン聖地と言われた。浦上のキリシタンたちは、密かに岩屋山に登って、遥か赤岳の方向を眺めて祈った。ここで3度祈れば、1度は樫山の巡礼になる。3度樫山に巡礼すれば、1度はローマに巡礼した事になる。そう信じて、憧れながら密かに祈った。『焼けたロザリオ』のこのページに心引かれたのだろう。手紙には、こう書いてあった。「先生の本には、樫山の赤岳、聖フランシスコ病院となつかしく私の大切なご本です」
★私は返事を書いた。「赤岳、樫山」に付いては、自著の『長崎オラショの旅』の241ページから詳しく書いていますので、買い求めて読んでください」。今では書けない特別な記事になっている。自慢の作でもある。それにしても、7年前に買い求めた1冊のマンガが、いま電話になって、手紙になって身元に来るなんて、その「つながり」のお恵みに感謝した次第です。赤岳・女性の信仰の継続を祈ります。

2017年11月14日火曜日

死者の月。想い出す人。伯父さんと、残された手紙

ホームの隣、湯江教会の祭壇の生け花です。11月は死者の月で、ミサの後、祈祷書から「全ての死者のための祈り」を捧げている。死者を想うとき、引き出しの直ぐ手元に、1通の手紙がある。古い手紙で、昭和26年1月21日の「黒崎局」の消印が押されている。切手は8.00。(8円)だろうか。差出人は、黒崎の藤之助・伯父。
★藤之助伯父は、北朝鮮で、一緒に暮らした近い親戚だった。苦労しながら引き上げてくる。終戦1年後、長崎へ帰ってみると、頼りにしていた私は神学校に入っていた。最初は不機嫌だったが、私が決意を話すと、涙はいつしか笑いに変っていた。伯父は生涯独身で、生まれた黒崎の家の隣に小屋をもらって、晩年を過ごした。神学校の夏・冬の休みには、その家で伯父さんと暮らした。帰国して5年後の手紙になる。鉛筆で、ゴツゴツした字で3枚も書かれている。
★「玉、みがかれば、光、なし。人も、学びて後にこそ、真の徳はあらわるれ。これから一生懸命、真理を勉強して、真の徳、第一、謙遜の徳が出来て始めて、世の人を感化させる事が出来る。間もなく修練も終わり、いよいよ誓願式、是非、入れてもらわねばならんが、満が一、誓願に入る事が出来んでも、力、落とすな。騎士院には、お前の出来る仕事はある。武士は君前、討ち死にを名誉としたとの事。お前は二回も、大手術、死の直前にあひながら、生を受けて居るのだから、この世の幸に未練を残さず、聖母の騎士だ。何やらせて、もらっても、聖母の御馬前で、討ち死にせねば、ならん。伯父、イヤ、親子揃って、聖母マリア、聖ヨゼフ様によりすがり、聖母マリア様に手を引かれて、イエズス様のお後を、おしたい申そうぞ」
★この手紙は、一部分だが、その年の9月に、64歳で亡くなった。なぜ、この手紙を手元に置いているのか、わからない。手紙を貰った、その当時が私の人生で最も辛い時であった。藤之助伯父のために祈ろう。

2017年11月13日月曜日

朝夕は冷え込みます。入浴は楽しみ。カゼには注意

ホームの風呂は上等です。銭湯を小じんまりした感じです。浴槽の湯は、いつも清らかになる機械があり、水質は時々計器で保たれる。毎日でも入浴可能です。男性は午前中に、女性は午後から夕方まで入れる。浴場の写真は前にも紹介しました。
★今日も湯に入りました。入所当時は介護をされて入浴していた。支援の2でした。しばらくして、介護をやめて、2人で入るよう心がけた。入江さんか、キリエさんです。時が経てば、体調も変る。最近は私が1人で入っている。今日は入江さんが上がるところでした。誰も入りに来ない。静かな、気兼ねなしの湯です。のんびり湯に浸かると、幸せを感じます。ただ1人の時は、急に倒れたら怖い。心して、注意しながら入っています。
★風呂から上がると、「絵手紙があります」のお知らせ。「え、ちょっと、待ってよ」。自室に戻り、コップ一杯のぬるま湯を飲み、野菜のジュースを飲み、カラダを落ち着かせてから、絵手紙の場へ行った。先生に先ず文化祭のお礼を言った。「お世話をしてくださって有り難うございました。トロフィーまで頂いて」「第50回の記念だそうです」。5、6人の描き手が居た。珍しい名前の花をハガキに描いた。紫色の花で、花に点々がある。「これ、なんという花ですか?」「ホトトギス、です」

2017年11月12日日曜日

ボクの名前はバナナだよ。皆さん、かわいがってね

ロザリオを唱えて、教会からホームの廊下を歩いて、介護の詰所へくると、にぎやかだ。「どうした?」。男性の職員が又、ネコちゃんを連れて来た。
★10月半ばに、ネコちゃんの写真を載せた。あれは「みかん」ちゃんだった。「今日のは、バナナ」「なんビキ、いるの?」「4ひき。実家から連れてきた。オス2匹。メス2匹」。名前が皆、ユニーク。オスは、みかん、バナナ。メスは、イチゴ、モモ。みんな、クダモノのなまえ。
★生後、半年は、なろう。ネコは黙って、「ニャン」とも、「スン」とも、言わん。ここは、どこだろう?そんな目。脳裏に、どう考えているのか。嫁さんも、ネコ好きだとか。
★ボク(トマ)は、イヌが好き。そのイヌも、柴犬というか、アキタけん、とか、可愛さよりも、シャンとした小イヌが好き。そっちの方が癒される。イヌに忠実さもある。だがホームにイヌは来ない。ネコは、なにかしら寂しそう。
★思い出すなァ、ライモンドよ。いい名前を貰っていたのに、行方知らずとなった。今でも、あのネコ、ライモンドは忘れない。
★日曜日。何事も起こらない。平和な、静かなホームです。