2020年10月22日木曜日

貴重な1枚。パパさまの手の温もり。アタマも良くなりなさい。幸せ謁見

今日は、教会では「聖ヨハネ・パウロ二世教皇」の記念日を祈りました。
ヨハネ・パウロ二世教皇さまと言えば、トマにとっては、この写真でしょう。
日記には、何回も載せていますが、教皇さまの日には、この写真を載せたいです。
パパさまから、アタマを触られて、手の温もりが、記憶の中に、浸み込む。パパさまの優しい「ほほえみ」、いいですね。
ヴァチカン宮殿の特別の部屋でした。
その頃のトマ、若かったね。指と、指が触れ合っている。本当に、幸せなひと時でした。ポーランドでは、パパさまの生家も訪ねた。
★パパさまは、コルベ神父を特に敬愛しておられた。当時、コルベ師は「福者」でした。長崎へ来られた時、聖母の騎士に行くのも願いでした。
組まれた予定は30分。だが、ポーランド人修道者たちと親睦を図るなど、1時間を過ぎた。大きな喜びがあった。
★トマが描いたコルベ神父のパネルをご覧になるパパさまです。
長崎ご訪問の翌年、パパさまによって、コルベ神父は「聖人」に挙げられた。
パパさまの中では、最も親身を覚える教皇さまです。
★ホームでは、3度の食卓の、席の入れ替えがあった。クジの番号で、席が決まる。瀧神父さん、大野神父さん、トマの席も、離ればなれになった。今までは3人が一緒の席で、修道会の話題など語り合っていたが、出来なくなる。離れても、また、その場で良い事もあるでしょう。
★「祈りと、愛と、清い心。それを望みたいです」
★午後から、ホームで、眼科の女医さんの診察があった。暗闇の医務室で、眼底を診ながら「登明さん、登明さん」と呼び掛けるので(え?なぜ、知っているの)。「『こころの時代』、見ましたよ」「最初から見ました?」「ええ、ポーランドまで行かれたんですね。高来中で、語りべもされて」。こんな所にも、反応があった。うれしい。

2020年10月21日水曜日

『こころの時代』に感動した男性の訪問。もう1度聞かせて。ホンネを

10月上旬、『こころの時代』(長崎地方)の放送があった。その影響に、おどろきました。すぐ電話がかかってきました。「雲仙のビードロ美術館の館長です」と男性の声。「修道士さんが、ホンネで、人間を語る。感激しましてね。これなら、付いていける。面会に来ても、いいですか」。約束の昨日、現れたのが、写真の男性でした。
大型カメラに、録音機に、ビデオまで、機材を揃えての訪問。「ぜひ、ナマのお声を聞かせてください」
★長崎県の島原出身で、74歳になる。大学・教育学部を出て、小学校の教師、校長、教育委員会などの経歴がある。貫ろくが、ありますよ。「7時のニュースを見て、次は『こころの時代』でしょ。5分程見て、これは、いいな、と録画しました。ホンネで話されるのが、気に入りました。ぜひ、もう1度、話を聞かせてください。有家の史談会もやっています」。会誌も渡した。
★情熱的な男性に、感心する。テレビでは、「助けない」「助けていたけど、困難が来れば、逃げる」「赦さない」を語ったが、テレビには出ていない部分もある。ケガをした女子学生を、タンカに乗せたが、爆音が聞こえて、置き去りにして逃げた。「10年後、その女学生に出会った。助かった経緯」の後日談を熱っぽく語った。
★雲仙温泉の白い噴煙が噴き出る近くに、ビードロ美術館があり、館長を勤めている。古・ガラス工芸品、日本ばかりでなく、世界の美術品を300点ほど展示している。度々、見学もした。
★彼のおみやげは、大きなリンゴ、2段重ねだった。「小学校で教えていた時、何を目標に示していたのか」と、トマが質問。彼は「勤労、勉学、大志」と答えた。勤労は、働いての自立。勉学は、知識を知性に転換し、自分が、どう生きるか。大志は、アンビシャスですよね」
★この男性のような訪問者が来ると、こちらも元気をもらう。ありがたいと感謝する。トマも、今から50年程まえ、「原城330年祭」があり、ミサと講演が行なわれた際、祭りに参加して、口之津から、有家付近を訪ねた。記事も残っている。コピーして、彼に渡した。「今日は、語りべに聞く小学生になりましたよ」と喜び、聞いた事を記事にまとめて、送るという。どんな記事にまとまるのか、楽しみにしている。
★やっぱり、思うね。「人間って、何んだ。人間の本性って、何んだ。助けない、困難が来れば逃げる。赦さない。いかにすれば、乗り越えられるのか」

2020年10月20日火曜日

人を助ける。手の温もりを差し伸べる。その「こころ」尊い。ご縁は続く

5日前だった。右手首に、小さなキズが出来て、血が止まらない。病院へ行ったことを日記に書いた。
すると、その日のコメントに、「サバ・マスク」さんから、「傷口を早く治す絆創膏を送ります。園のスタッフさんに相談して、お使いください。早く良くなりますように」とあった。
「サバ・マスク」さんと言えば、鯖缶さんの事だと、すぐに分かった。今日、絆創膏と、マスク50枚入りが3箱届きました。
★2年前だった。突然、彼は、ホームに訪ねて来た。普通ならば、ゆっくり話すじゃないですか。玄関で、立ち話。「2年前に、小崎さんの日記を見つけて、毎日、読んでいます。今日はお会い出来て、嬉しいです。おみやげが、ないので、近くの花屋さんで花を買いました。お元気で、居て下さい。レンターカーで、空港から来ました。車をすぐ返します」。シクラーメンの赤い花の鉢を渡して、すぐに帰られた。
★昨年の11月、東京で「ポーランド・フェスティバル」が行なわれて、長崎から「ポーランド人修道者たち」の写真展を開いた。その時、彼も見学に来られた。住所と、お名前が分かったのです。おみやげもあった。
★今年になって、ちょうど、ステント入れ替えの入院のときでした。無塩の鯖の缶詰が大量に届いた。そこから「鯖缶さん」となる。コロナが感染拡大し、毎日、マスクが必要になると、鯖缶さんから、50枚入りの不織布マスクが3箱届いた。これで大いに助られました。
★今度の「サバ・マスク」さんのコメントです。絆創膏と、マスクが3箱、また届きました。日記を通して知り合った「サバ・マスク」さん。住所と名前を知るだけで、何も分かりません。分からないけど、4年越しにご縁がつながっている。「受ける恵み、与える愛」それを感じます。人の「こころ」をつなぐ「基本」は、何でしょうね。「ああ、困った人が居る。じゃ、手を差し伸べよう」。言うは簡単だが、実行は、何かが、要るんですね。ホームに居れば、歳も90過ぎれば、動かぬカラダ、こころに、温かい手の優しさを、強く感じる次第です。「サバ・マスク」さん、ありがとう。ちょうど前のマスク、品切れになったところでした。

2020年10月19日月曜日

訪ねて来た3人のシスター。トマの話を聞いてくれる。優しさ、ほほ笑み

3人のシスターが、トマを励まし、見舞いに訪れた。車で、40分程の都市から。教会の隣の修道院で、シスターたちは、9人の共同体で宣教している。それを聞いて、和やかな食事や、静かな祈り、休憩時間の談笑など、明るさがトマには想像された。
1人のシスターは、騎士誌や「グラフ」誌で、トマの記事を愛読したと言う。聞けば、嬉しい。60年前、まだシスターの道を進む前に出会った人もいる。左側の2人は、2度目の訪問だった。

★語るのは、トマだけだよ。老いて、信心者になるかと思えば、そうじゃない。老いると、自然体に帰るというか、自分のカラダも含めて、自然の出来事に抱擁されて行くのを感じる。老人のための「霊的生活」の指導が必要だね。我が侭も、出るし、ね。
★ホームに入った頃は、まだ自由に歩けた。庭も散歩していた。入った頃は、2つの悩みがあったね。1つは「孤独」。仕事から離れて、ホームという囲いの中での寂しさ。時間を持て余し、何をしていいのか分からない。もどかしさ、があった。
★もう1つは、これまで男子の修道院で生活してきて、男子だけの共同体だった。だから、今、皆さんたちの談笑や、祈る共同体がうらやましい。ホームでは男性も女性も、皆一緒の食卓。最初は、なじめなかったね。
★ホームで生活しても、根っからの「自分は、修道士である身分だけは、忘れるな」。祈りも、そうだが、恵みも、ある。導きは、感じるね。歳老いて、人格が変わる人を見て来た。そうは、ありたくない。そこで、パソコンを使って、毎日、日記を書くのを課題にしている。反応も、あるからね。
★6年が経って、ホーム生活も慣れてきた。抵抗がなくなった。人は、カンレイに、なれてくる。じゅうなん性がある。それで、やっていける。介護を受けて、有り難い。
★1時間ほど、トマの話を聞いて、シスターたちは微笑みながら、優しさを残して、「また、来ますからね」

2020年10月18日日曜日

ホームでの生活、4年。西山達也神父さまの司祭叙階60年のお祝い

ホームに於いて、今日の、西山達也神父さま。
司祭に叙階されて、60年。ダイヤモンドのお祝いがありました。西山神父さまの修道名は「フィデリス」。ホームに入居されて、4年になります。西山達也神父さまといえば、有名なのが、ローマに長く滞在して、ヴァチカンのヨハネ・パウロ二世教皇さまが訪日されるとき、教皇さまに、日本語を教えて、日本・東京・広島・長崎に同行して、お傍で、お世話をした神父さまです。
ローマ滞在は、15年に及びます。修道会の本部に在住し、ローマ・ヴァチカンへの巡礼者たちの案内、お世話をしていました。トマも度々お世話になった。
1934年・昭和9年1月生まれで、86歳です。
★今日は、日曜日。西山神父さまは、ミサに祈り、その後で、皆さんからお祝いを受けました。花束をもらって喜ぶ神父さま。この後も、まだ2つの花束もあった。右側の司祭服は、主任司祭・山下公輝神父さま。左側は、院長の濱田盛雄神父さま。
西山達也神父さまは、60年の司祭生活で、東京・瀬戸・湯布院・長崎・奄美大島などで宣教されました。
いまは、静かなホームの生活を送っておられます。
★皆さんから、祈りと、励まし、お祝いをいただきました。
若い頃も、あった。ヴァチカンを守護するスイス兵とも仲良しだった。西山神父さまが、フランシスコの修道服で近づくと、パッと敬礼して通してくれた。その後を、巡礼者たちも付いて行った。日本からの巡礼者たちが、西山神父さまに小物のみやげを贈ると、それをスイス兵隊さんに渡して喜ばれた。
お祝いした皆さんは、「西山神父さま、健康で居て下さい」と、拍手で湧いた。

2020年10月17日土曜日

秋だよ。病んでも楽しむ、よし、とする。鎌倉から、デカーィ、クリ届く

朝、自室の気温は、21度。
ホームから見える山も、空も、すっかり秋らしくなった。
山の施設・学校には、広大な山林、雑木ばやしがあり、グべ、アケビ、クリなど、子供たちには、楽しい食べ物が一杯あった。当時、トマは病気の養生。終戦から10年経った頃で、食料不足で、子供たちは、ひもじい日々がつづいていた。いま思えば、その頃の少年たちには、自立心があった。雑木ばやしには、縄張りがあって、バケツ一杯、クリをひろい、炊事場のシスターに持ってくる子供もいた。あの頃の少年たちの特徴は、たくましさだ。施設・学校は、男の子ばかりの居場所たが、目は輝き、すばやく行動する能力にたけていた。「自分で、生きる」「負けたくない」「くじけない」。小さなカラダから、身なりは汚れていても、何か魅力がある。そういう少年たちが、いまは懐かしい。
★鎌倉の潔さんから、今年も、大きな、立派な、焼きクリが送られてきた。
「こげん、でかか、クリは、めずらしか、ばい」。思わず、そんな言葉が出る。もう、そのまま食べられる。
早速、昼食の食卓で、瀧神父さん、大野神父さん、同席の女性2人に配った。栄養士さんにも食べてもらった。「長崎に、こんな大きなクリは見たことがない。どのようにして焼くんだろうね」と興味深々だった。他の人にも分けて、喜んでもらった。
潔さん、いつも気にかけてくれて、ありがとう。クリ、1つ、1つにしても、与えられて、助けられて、生かされて、喜びを受けているんですね。老いたる身に、それを感じます。潔さん、覚えてくれていたんですね。去年も、このクリでした。
★きょうも、喜びを分かち合った。
喜び1つ、1つが、生きるチカラを与えてくれる。
★ホームでは、午前中、「懇談会」があり、来月11月の予定が告げられた。
近く食卓の席替えを行ないます、と知らせもあった。
どの席でも、幸せです。
昼食は「チャンポンなべ」でした。
午後からは、来客があります。

2020年10月16日金曜日

傾聴ボランティアの女性が来る。コロナの関係で、久しぶり。4年続く

約束の時間に、女性は姿を見せた。久しぶり。今年は、1月に来たのみ。コロナの時代に入ったから、途絶えていた。
10月は、2度目。時間は「20分」と言われた。ボランティアであれ、長崎から電車・バスを乗り継いで、費用を使って、ホームまで来てくださる。話を聞いてくださる。セチ辛い世の中に、光る女性が居るんですね。2017年3月に始まった。きょうで、25回目になる。トマだけが、一方的に語る。語る中で、心が整理される。
★先ずは、楽しいこと。自分で考える。「楽しいこと」あったか? ありましたね。テレビ『こころの時代』に出たことです。それを語る。取材を受けて、この半年間は楽しみがあった。どんな物語に出来上がるのだろう。期待があった。女性も「見ました」という。
★次は、自分まるごと、心身の状況でしょう。目は、ショボショボ。歯は、自分の歯だが、ゴボウや、レンコン、堅い食材をカムと、チカラが要る。夜は眠れるか。大のトイレはあるか。尿量は、どうか。腎ゾーの機能は、何とか保っている。だが、4か月に1度のステント入れ替えは、体力にシンドイ。手首の血も見せる。歩行は自室内は歩けます。部屋を出る時は、手押し車か、杖も要る。それらを語れば、もう20分は過ぎた。
★結局、いま必要なのは、ホントに「気力」と「希望」です。周りには老人が居り、老いれば、どういう手順を踏むか、手本がある。老いを受け入れて行くしかないが、人間のシンになる「人格」だけは変えたくない。それが「希望」なんです。
★傾聴ボランティアさんは、聞いた言葉の最後の部分を、反復して、返してくれる。その言葉が自分に入って、ふしぎと癒され、整理がつく。いま長崎県は、感染者が「0」の日がつづく。折を見て、次の日にちを決めましょう、と女性は去って行った。こんな内容は、ホームの誰にも、話すチャンスは、ない。語って、聞いてくださる得心の人に、感謝です。