2015年12月31日木曜日

2015年も、きょうが最後。言えることは、生きて感謝

湯江教会内の馬小屋です。
★ホームの食事のとき、朝、昼、夕、3回とも、かならず園長神父さんが食堂に来られて、「おいしかろう」とか、「サカナたいね」など声をかけて回る。今朝の食事では、マイクを持って、「皆さん、きょうは、今年、最後の日になりました。いろいろ、からだも痛いところもあって、苦労もあったでしょうが、神さまに感謝しましょう」という意味のことを話した。生かされていることに、感謝です。
★数日前のコメントに次の知らせがあった。「23日の午前のテレビで、「滝川クリステルがせまる長崎教会群のしらぜらる真実」という番組があった。冒頭で、日本26聖人の映画の映像が出て、弁士をなさった小崎さんが紹介されていました」。実は、見ていないのです。残念に思いました。
★今年の重大ニュースをあげれば、一番は、「誓願金祝」でしたが、その記念品に配布したのが、日本26聖人の映画のDVDでした。
★今年、一年、ブログ(日記)を読んでくださって、ありがとう。毎日、100人から、150人ほどの人が見て下さって、感謝しています。ホームの生活は単調で、話題も少ないですが、これもボケ防止になればと、せっせと記しています。皆さんが応援してくださるので、つながり、キズナを感じて、張り合いのある生活をおくっております。よいお年をお迎えください。

2015年12月30日水曜日

孤独は寂しい。ご縁、つながり、喜びは、湧き出る

昨日の話のつづきです。昨日、午後、ふと園内を散歩したいと思い、廊下を歩いて先まで行き、また戻ってくると、ぴったり、玄関に男女の一行が到着したところでした。その中の1人が、「おお、トマさんじゃないですか」「あれ、深堀さん・・・」。固い握手をして、喜び合った。もし、ふと、思いだして散歩に出なければ、彼らには会えなかった。そういう、ぴったしの出会いがあるから、人生はおもしろい。
★彼らの訪問を受けた87歳の女性に聞いてみた。「訪ねてくれて、嬉しかった。おみやげに、フランスのルルドのお水をもらった。ありがたい。大切にいただきます」。人は、誰しも、つながり、ご縁を求めている。孤独が一番さびしい。この女性は、30年近く、ホームに居る。毎年、来てくださる。「来られる方は変わるけどね」
★修道院に居て、共同体のなかで、一緒に祈り、食事をし、談笑し、ある時は困難もある。しかし一緒に居てこそ、修道士の生活も成り立っている。いま、一人で、せまい自室で暮らしていて、環境の変化と、寂しさ、孤独を感じるのは当然のことです。その時、つながりです。救いは、つながりが元気を与える。瀧神父さんと、松下修道士さんと、3人で会食をして楽しんだのも、わたしにとっては、つながりの喜びを感じるひと時でした。
★ホームに入って、皆さんと同じ暮らしを意識して、普通の服を着て、ミサの祈りも参加していた。しかし、クリスマス・イブのミサから、毎朝、ミサには、修道服を着て、気持ちを新たにして祈るように努めている。この姿勢は、くずすまい、と思う。名前も、本名よりも、登明が、いい。この名前には愛着がある。2014年8月、聖コルベ館を去って、ホームに入居したが、「登明さん、まだ時々、新聞に名前が載っているじゃないですか」と深堀さんから言われた。「そう、ね」
★今年も、はや、晦日になった。ホームでは餅つきが行なわれた。狭い自室にあっても、いろいろ有ったよ。畳に座っていても、生活全体は常に動いている。

2015年12月29日火曜日

長崎の、根っからの信徒の、気概を感じた日だった

クリスマスも過ぎて、長崎・城山教会の信徒(レジオ・マリエ)の6人が、同じ教会の信徒で、入居している女性2人を見舞いにやってきた。わたしも知っている人が2人いたので、再会を喜び写真に収めた。入居している女性は、95歳と、87歳の2人だった。出会って、慰め、励ましていた。「95歳」と聞くと、「まあ、大先輩」といって感激して、反対にパワーを貰ったようであった。ご苦労様。感心だ。
★園長神父さんが、「今からロザリオが始まる時間だから、いっしょに唱えなさい」と声をかけると、6人の皆さんは教会へ行って、ホームの皆さんと共に祈りを始めた。城山の6人は最後まで、何のためらいもなく、ロザリオを唱えた。すんなり入る、その心遣いをみて、「さすがに、長崎の信徒だ」と、日頃の信仰が生活の中にと言うか、身に染み込んでいるのを強く感じた。計画的に、リストを作って、名前を記して、幾つもの各施設を回っているという。祈り、善業、活動も、信仰のうちだ。
★レジオ・マリエは、戦後、間もなくからの信心会で、よく聞いた会だが、長崎市では、今でも6つの教会に活動しており、会員も100人以上になると聞いた。城山教会にも、30人ぐらいは居るという。年に、1、2回だが、こうして時間をかけて、ホームの教会出身の入居者を見舞いに来ているのは、さすがに長崎の信徒だと感心しながら、感謝し、彼らに別れをつげた。

2015年12月28日月曜日

金祝の3人組。楽しい、ひと時を語りつつ、すごした

人生、どんな生き方でも、貫徹すれば、何らかの意義があると思います。自分は弱いから、そこには大きな力の導きと、助けがあった。自分1人じゃ、ない。つながりも、あります。
★今年も、暮れる。今年一番、良かった出来事は、何でしたか、と言えば、それは、金祝のお祝いだった。今日は、その3人が揃った。瀧神父さん(左側)は、司祭叙階50周年でした。右側は、松下さんと、わたし。修道士の誓願50周年だった。お祝いは、9月5日だったが、歳月は早いね。
★「本当に、安堵したというか、山に登りつめたというか」、そんな気持ちです。今日は、3人が、揃って、会食をしよう、語り合おう、と昼食に集まった。後ろの「のれん」の字が気にはなるが、「集まる場所は、ここしかなかったのです」。ホームからと、長崎の2人の中間点は、ここでした。
★おかげで、3人は楽しい、ひと時を過ごし、キズナを固くした、ああ、きょうは、ほんとうに、よかったよ。瀧神父さんは別れに言った。「トマさん、役目を終ったら、トマのところのホームに来るからな」

2015年12月27日日曜日

信徒発見の小劇もあった。今年の締めくくり。さすが、園

クリスマスの出し物。最初に、出たのは、信徒発見・150周年にちなんだ大浦天主堂の奇跡的出来事の再現だった。
★プチジャン神父を演じたのは、ホームの事務長さんです。前方のスクリーンには、大浦天主堂。マリア像もある。天主堂が出来て、喜んで、訪ねてきたのは、浦上のキリシタンたちだった。まだ迫害中だから、恐れもあった。フランシスコ会のホームにちなんで、修道服を着た修道士たちも、ちゃんと配置している。信徒発見じゃなくて、神父発見。キリシタンは言った。「あなたの胸、わたしの胸、同じです。サンタ・マリアのご像は、どこ?」。感動の年でした。これで締めくくったのは、さすがに、ホームの功績です。
★楽しい、じゃないですか。こうして、これらの先祖が居るから、われわれが居る。意味のあるクリスマス会になった。                                          

2015年12月26日土曜日

熱演の白雪姫だよ。お世話の上に、愛情をプラス



  クリスマスの集い。出し物は、職員さんたちの熱演する白雪姫もあった。ママ母が登場して、「美人だ、ビジンだ、わたしより、ビジンはいるのかな」。これが、セリフ上手で、皆を笑わせた。王子や、森の大人も出てくる。物語は、あっと言う間に、過ぎて行き、舞台には、こんな人たちが並んで、皆さんを喜ばせた。おスモウさんの格好もいる。誰が、何の役目か、瞬間の出来事で、よく、わからない。不明なところが、夢があって、よかったね。会食を盛り上げる楽しいクリスマスになりました。お菓子も、いいが、出し物がいいね。
★日頃、充分、御世話になっているのに、こんなにして、皆さんを沸かせようする、その心遣いが嬉しいです。皆さんは、目をまるくして、見とれていた。大きな拍手が起こっていた。子どもは、いない、お年寄りばかりのクリスマスだが、いろんな思いで見て慰めを得ているのだろう。
★皆さんを湧かせたのは、これだけでは、なかった。


2015年12月25日金曜日

クリスマスにサンタさんを勤める。幸せを、あなたに

ホームの楽しいクリスマス。10時から教会で、ミサを祈った。その後、昼食時、食堂に全員が集まり、祝賀会です。まずカンパイの後は、恒例の職員さんたちの出し物だね。誕生会を超える出し物で、最初は大浦天主堂で、信徒発見の小劇と、わかせたのが白雪姫。それに、なべフタ踊りなど、皆さんを喜ばせた。写真は、追々、載せます。その後で、出てきたのが、ごらんのサンタクローズです。車椅子に乗って、周りを四角い板壁にかこみ、サンタは乗っているだけ。何か話さないと盛り上らない。サンタさんは食卓をまわり、天使たちと、となかいが、一人、一人に、プレゼントを配った。サンタ曰く、「からだを大事にね。コケないように、長生きしてね」というのが、せい一杯だった。出し物の写真を一緒に載せたいが、写真の撮りこみ方を知らないので、明日を楽しみに。皆さん、メリークリスマス。幸せを、あなたに。

2015年12月24日木曜日

今夜、クリスマス・イブのミサがおこなわれる

ホームの玄関に作られた「馬小屋」です。今夜、主は生まれ給う。夕食には、各人に、ケーキも出ました。
★夜、7時30分から、降誕祭のミサが行なわれる。「行きましょう、幼子、イエスを拝みに」
★星に導かれて、貧しい馬屋を訪れ、かわいい幼子を見つめた3人の博士のように、汚れを払い落とした、清らかな心で、黙って、そっと、覗いて、マリアさま、ヨゼフさま、おめでとう、と言い、救い主が誕生になられたアレルヤと、祈りましょう。
★「ここには、愛と、光と、いのちがある」

2015年12月23日水曜日

何を知りたいのですか?これから先、どうなる?

今週の湯江教の祭壇の生け花です。あしたの夜は、クリスマス・イブです。「教会でも、クリスマスを祝うの?」。笑い話だが、食事のときに、そんな話も出た。
★ホームでも、クリスマスをお祝いします。あしたの夜は、イブのミサ。そして、25日の日中のミサ。その後、お祝いの会がある。プレゼントもあります。お年寄りでも、待っています。「サンタクローズは、トマさんが・・・」。知らず、知らずのうちに、そんな声が伝わってきて、本人は苦笑いで、後にも引けず、どうなることかと思いつつ、「なるように、なるでしょう」
★話は全く違うが、今朝、こんなことを、なぜか、考えた。
「過去は、もう無いという。しかし、『わたしの中の過去』は無くならない。つながりが、あるからです。過去があってこそ、今がある。さて、これから、過去を生きた自分が、これから先、どうなるのか。どういう道を歩むのか。それが今、気になるところです。それこそ、見ものでしょう。これから先、不安も、あるが、例え石ころの道になろうとも、これまで生きてきた、祈りと、信頼があれば、未来はきっと開けるでしょう。希望を持ちたい。楽しみでもあります」
★そんなことを思いながら、きょうは一日、ゆっくりと年賀状の整理をしました。

2015年12月22日火曜日

ホームの楽しみは、月に1度のショッピングです

午後から、小型バスで、近所の店に、買い物に出かける。70人ほどの入居者がいるが、バスに乗るのは、いつも10人前後です。気分転換もあり、参加している。長年、生活をしている人は、レジ袋に沢山の品物を入れて、バスに戻ってくる。ホームの小さな部屋だが、生活を上手に生きている、そんな感じがします。自分なんか、食べ物類は殆ど買わない。歯磨きか、濡れたティシュぐらいで、生活の仕方がヘタだなと、自分でも思う。生活慣れが、していない。少ない品々で生きているわけです。写真は、きょう、スーパーの店頭でみつけた、698円です。ああ、もう、クリスマスだな。

2015年12月21日月曜日

定宿の富士屋さんで、温泉と昼食を楽しんだ、3人

いつも、ホームで入浴のとき、背中を流してくれる90歳の男性は、この人、敏(とし)さんです。ありがたいことです。きょうは、いっしょに、島原半島のオバマ温泉・定宿だった『富士屋』さんへ温泉と、昼食に行きました。「これからも、背中を流して、やるからな」。元気な敏さんには負けるよ。敏さんは、おいしそうに焼酎を飲みました。「幸せとは、こういうことだな」
★久しぶりに、富士屋さんへ行った。もう、10何年になるか。聖コルベ館に居たとき、毎月、2泊3日で、お世話になっていた。なつかしい宿です。背中を流してくれる敏さんと、いっしょだ。今年も間もなく終わる。車の運転は、高原修道士さん。3人合わせて、忘年会のつもりもあった。3人で楽しい食事をとった。
★敏さんは、娘さんに携帯で、いま、温泉に居る、と喜びを伝えた。敏さんにとっても、この一年は人生転換の年となった。奥さんを亡くして、ホームに入る気持ちを決めて、教会の神父さんに相談したら、ホームに『小崎登明がいる』と教えてくれた。神父さんの言葉で決心して、わたしに電話がかかってきた。入居を勧めた。敏さんはホームを訪ね、体験し、入居することになった。きょうの食事の後で、教会にも携帯をかけると、神父さんが出た。お互いに喜びを言い交わしていた。
★帰りの車のなかで、わたした言った。「生きていれば、楽しい事もある」「イヤ、イヤ。90まで生きれば充分だ」「そう言わずに長生きしてくれ」
★「わたしは、最初、司祭を目指していたが、召されたのは、修道士だった。この道、修道士になるよう導かれていたのは、ホームに入って、その意味がわかったような気がする。高原さん、きょうはありがとう、な」

2015年12月20日日曜日

平和な日曜日。きょうも、明けて、暮れる、喜び

ある日の朝、ミサから帰り、自室に戻ると、ごらん、すばらしい朝明けです。有明海の彼方に、きょうの新しい日の太陽が、まばゆいばかりに上がる。こんなに眺めの良い所に住んでいるのですね。音は、ない。ヒカリです。恵みです。
★待降節の第四番目の主日。今朝の祈り。「キリストとの出会いに招かれた私たちが、日々、神の言葉に養われ、主の道をともに歩む喜びを、証することが出来ますように」
★今週はクリスマスが来る。早いですね。午前中、理髪屋さんが来ました。正月の準備ですね。髪の毛を短く切って、形も備えました。その後、例の90歳の知人と、いっしょに入浴しました。やっぱり背中を流してくれる。ダメだな。わたしの手は動かない。
★午後から、新作ものの、「イエス」のビデオがあった。漁師ペトロがイエスに出会い、再び舟を出して、大量の魚が捕れる場面から始まる。「人を、漁する者にしよう」。弟子たちの召し出しと、奇跡から映画はつづいた。途中で、ロザリオへ行った。ロザリオを唱えないと、落ち着かない。
★園長神父さんの感心なところ、2つ。①朝、昼、夕、1日3食、必ず食堂へ来て、声をかけて回る。②必ず、共同のロザリオに来る。 

2015年12月19日土曜日

喜びなさい。ツライ時にこそ、喜んでください、の声

きのう、夕方、ホーム全館にひびくスピーカーで、名前を呼ばれて、「電話でーす」。出てみると、知らない名前の女性の声。「長崎に来るので、ぜひお会いしたい。訪ねてきても、いいですか」。2年前に、長崎・聖コルベ館でお会いしたので、どうしても、もう1度お会いしたいという。「おこころざしは、ありがたいが、ここは長崎から遠いので、ごムリなさらないほうが、いいのでは・・・」と、あまりお勧めしない気持ちであった。「いいえ、ちょっと、お会い出来れば、いいのです」
★そのご夫妻が、きょうの午後、長崎で勤めている息子さんの運転の車で、突然、現われたときの写真です。「2年前でした」とご主人が、デジカメから探しておられたが、修道士は覚えていない。「あった。ありました。10月14日です」。聖コルベ館の玄関で、奥さんと、修道士が写っていた。「ルルドへ登って、聖コルベ館へ寄ったら、お会い出来ました・・・」とご主人。奥さんは、「『十七歳の夏』と『長崎オラショの旅』を買って読みました。最近、ブログを見つけて、読んでいます」「じゃあ、ブログのために写真を1枚」と願って、撮ったのが、このスナップです。
★息子さんは、会社の転任で、長崎に住んで、1年半。お住まいが、「『赤迫(あかさこ)』の電車の停留所の近くです」と聞いて、なつかしい。「原爆のとき、赤迫のトンネル工場に居りました」。息子さんも興味を示して、スマホからトンネル工場の原爆遺構を見せた。
★ご夫妻に、息子さん、わざわざお訪ねくださって、ありがとう。おもやげに、ワインを下さった。めずらしく、「無原罪の聖母」のワインだった。
★奥さんに問うた。「いま、こころに残る言葉は何ですか」。嬉しそうなお顔をしながら言われた。「喜びなさい。ツライときにも喜ぶ。喜びの状態でなくても、喜びましょう」。聖パウロの言葉だった。きのうは「来なくても、いいですよ」と遠ざけたい気持ちはあったの悔やんだ。やっぱり、お訪ねしてくださって、よかった。喜びの日となった。「ここまで、気にかけて、きて下さるご夫妻がいるんですよ。ありがたいな。2年前の出会いのお陰か。ご主人が名詞をくださった。ある「医科大学名誉教授」と記してあった。

2015年12月18日金曜日

高校生たちのお手伝いと、バグパイプ演奏

昨年も今ごろだったが、長崎・聖母の騎士高校の学生たち、20人あまりが施設のお手伝いに来た。施設の建物の外壁すす払い、自室のベランダ側の戸ガラスを拭いてくれる。「まじめな学生さんたちね」と声が聞かれた。奉仕の学習です。車椅子の掃除などもする。ホームには手伝いの手が足りないのです。
★作業をするなかで、昼食前に、5人が、昨年のように、バブパイプで、数曲の音色を聞かせてくれた。スコットランドの音楽です。皆さんは、しばし高校生たちの愛情の音楽を楽しんだ。
★社会からいえば、老人ホームは遠いところにある気がする。地元の小学生や、中学生も訪問した日がある。福祉の学生も見学にきた。ホームを自分たちの生活圏にもっと引き寄せてくれると有り難いと思う。名乗りは上げなかったが、終戦直後、学制改革で、新しい高校が出来て、わたしは聖母の騎士高校の第一回生となった。卒業は、1950年3月だった。65年の歴史がある。音色を聞きながら、高校時代や、同級生のことなど思い出していた。いま、生存しているのは、3人である。長ーい、時代を感じた。

2015年12月17日木曜日

「我は道、いのち、真理」。生きてこそ、幸い

お葬式・告別式が行なわれた。普通は、園長神父さんが司式されるのだが、きょうは特別で、4人の司祭も加わり、お祈り・ミサを捧げ、お別れをつげた。これらの司祭たちも、女性にお世話になった神父さんたちであった。
★お説教をした司祭は、「2つのことを話したい」と、次のような意味のことを語った。
★1つは、(山の施設の)修道院で、賄い(まかない)さんをされて、当時は住み心地のよい家ではなかったが、辛抱されて、お料理をつくってくださった。12、3人がいたと思うが、食事は大切だが、誰も文句をいう者はいなかった。不満はなかった。準備のため、人を思いやる優しさを持っておられ、主のみ言葉を日々、実行されていた。
★もう1つが、誰にでも来る自分の死についてです。誰でも、死を前に恐れを感じる。神さまは、人が生きるために証をされた。主を迎える、そのため神の恐れを感じると思います。わたしたちはご遺体の前で集うが、生きなければならない。
★生きるために何をするか。「わたしは、道であり、いのちであり、真理である」と主はおっしゃった。道といえば、目的に向かって、歩く。主のご生活とみ言葉を聞く。生活の中で、真理を取り入れる。まちがいがない。真理を生活の中で、生きる、そこに、いのちがある。神さまを愛し、隣人を愛する生き方を望みましょう。
★女性は、ホームの墓地に埋葬される。信仰と奉仕に生きた幸せな生涯だった。
★きのう、きょうと、2人のたましいが、遠いところへ行った事を感じた。

2015年12月16日水曜日

悲しみがつづくと、こころが痛み、耐え切れない

★きょうは午前中、昨日の日記にも書きましたが、同じ食卓で食事をしていた女性の悲しみの葬儀がおこなわれ、安息を祈った。ショックは今もつづいている。
★きょうは、また悲しい知らせが重なった。深夜に、ホームで、99歳になろうとする女性が神に召されたのです。このように悲しみがつづくと、こころが痛み、耐え切れない。午後からは、お通夜がおこなわれた。
★普通は個人の写真は載せないのだが、特に写真を載せたのは、この女性にお世話になったから、思い出と、お礼の意味もあった。女性は、ホームに入る前には、山の養護施設の修道院で、6、7人の修道者のために、調理の仕事を尽くしていた。ちょうど、その頃、わたしは、この修道院に6年間居住して、椿原の学校に勤めたことがあった。毎日、女性がつくるお料理を食べて、頑張っていたのです。いわば恩人でもある。五島出身の信仰の熱心な「おばさん」だった。70代になって引退して、このホームに入った。それから27年です、このホームで生活し、信仰を柱に生きて来られた。
★ホームで生活すると、いろんな人の最後の式に参加し、人生を考える時が多くなる。「思いがけない時に、その日は、やって来る」

2015年12月15日火曜日

「人さまに、喜びと、幸せを」。悲しい今日のお祈り

湯江カトリック教会の祭壇の生け花です。
★3日前の、12月12日の日記を見てください。「整骨院へ出かけた。車で、送迎してくれる。2人が乗った」と書いてある。いつも一緒に整骨院へ通う女性でした。元気でしたよ。整骨院へ着くと、スリッパを差し出し、靴を、「ここに置きますからね」とお世話をしてくれる。ありがたい存在の女性でした。
★ホームの食卓も同じテーブルでした。よくお世話をしてくださる。こまめに動いて、「人の幸せのために、ひたすら尽くす」心情を通す人でした。熱心な仏教の信徒さんで、朝夕、かならず長いお経をあげる。お寺参り、お墓参り、熱心に勤めた。食事のときは、十字架の印しを切るのです。
★毎月、決められた土曜日に、ホームの人も、教会のお掃除をおこなっている。この女性は進んで、トイレの清掃を自分の掃除範囲と決めて、励んでいるのです。その日は整骨院はお休みです。
★その「人に、喜びを、幸せを、与える」女性が、2日目の昼食まで、一緒に食べたのに、昨日、緊急入院をして、深夜、亡くなりました。今朝、ミサの後で、聞いて、強烈なショックを受けた。なぜ、なぜ、人間には、こういう事が起きるのか、と問いつづけ、深い悲しみに落ち込んだ。きょう、午後3時から、お通夜がおこなわれた。ほんとうに、眠っている感じでした。幸せに満ちたお顔でした。車椅子の人も、シルバーカーの人も、全員が悲しみのなかで安息を祈りました。

2015年12月14日月曜日

贈り物の上着が届きました。これが、それ、です

写真を載せた理由は、人間じゃ、ないんです。着ているジャンパー、上着を見てほしいのです。時々、コメントを寄せてくださる女性に、マリア・フランチェスカさんがいる。北海道の、お名前は、裕子さん。去年の今頃には、赤いセーターが届きました。ありがとう。今度は、こういう上着でした、と載せました。
★フランチェスカ裕子さんのこと、少し書きましょう。ある年、お母さんと一緒に、「九州旅行ツアー」に参加しました。初めて、長崎へ来て、土着した信仰の雰囲気を感じたそうです。大浦天主堂で、信徒発見の聖母マリアまさを仰いだとき、「何とも言えぬ気持ちになりました。母の胎内に戻ったように、癒されれるのを覚えた。お母さんが居る感じで、安らぎを覚えたのです」と、裕子さんの言葉は記録してある。
★そのとき気がつけば、ツアーの一行はその場を去って、近くに居ない。あわてて、出口の所で、配布用の聖母の騎士誌を見つけて、急いで、一冊を取った。それが縁で、騎士誌の愛読者となる。そしてお恵みで、カトリック教会で改宗式を受けました。「大浦天主堂と、騎士誌がきっかけ」になったんですね。
★数年前だった。今度は一人旅で、長崎へ、裕子さんは聖コルベ館へやってきた。ところが昼間に来たのに、また夕方にも聖コルベ館へ姿を見せたので、ちょっと、びっくりした。「お礼参りですから、聖母の騎士で、ゆっくりさせてください」。秋晴れの良い夕方だったので、「神の島」を勧めた。印象的な出会いでした。
★それから、2年後、2012年12月8日の無原罪の聖母マリアの祭日に、また裕子さんがやってきた。裕子さんは長年、野鳥の観察や公園ボランチア、自然の保護に携わっているという。アシジの聖フランシスコにあこがれて、霊名はマリア・フランチェスカ。その名前で、コメントの励ましも有り難いが、この服、ありがとう。似合っているよね。

2015年12月13日日曜日

挨拶で、苦労しました。ニガイ、思い出もあります

人生、ふり返れば、いろいろあったな。そう思います。でも、今、生かされているのは、やはり恵まれていた。感謝しかない。そう信じたい。
★生涯で、困ったことが、一つあった。挨拶が、まともに出来ないことです。導入のところが、むずかしい。本当に、挨拶で、苦労しました。原因は、わかっています。常日ごろの、言葉づかいが、幼稚なのです。直そうと思っても、とうとう直せなかった。記憶力がないのも、理由の一つです。挨拶は、イヤだ、イヤだ、と思いつつも、歳だけは食ったしまった。これまでに、どれほどの挨拶をしただろう。ニガイ思い出も、幾つかある。もう少し、ぺラ、ぺラ、しゃべることが出来たら、どんなに人生、ラクだったろう。
★長崎・聖母の騎士での金祝が、人生、最後の挨拶になるかと、安心していたら、今度は黒崎教会での挨拶があった。懸命に、努めましたよ。あの挨拶で、今年は終わったし、来年は、もう、その機会は来ないだろうと思う。反対に、我が体験を語るのは、ラクなんです。原爆の話とかね。語り部も勤めて、皆さんにも喜んでもらえた。なぜ、空気をよんで、通り一遍の挨拶が、まともに出来なかったのだろう。決まり文句の挨拶が、苦手だった。それが悔やまれる。

2015年12月12日土曜日

日々の道のりを、信頼と、忍耐をもって歩みましょう

庭の池に泳ぐ金魚たち。冬の日ざしを受けて、静かにしている。
★久しぶりに整骨院へ出かけた。車で送り迎えしてくれる。2人が乗った。マッサージの後、からだが固くなっている、と言われた。からだもだが、こころも、いろいろ有るんです。
★教会の祈りの中に、目に付いた。「忍耐」という言葉です。
「日々の道のりを、忍耐をもって歩む」
「思い通りにならないときも、忍耐を失うことなく、神の導きに信頼する」。黙って、ジーッと、考え、味わいました。
★世の中には、どうしても変えられない現実がある。歳と共に、それを感じます。自分のことだからガマンして、自分で耐えるしかない。
あとは、神に助けを求める。前向きに考えよう。弱い人間だから、希望と、信頼を失わない助けが必要です。
金魚は、かたまって、静かに泳いでいる。ひと時の平和が、こころに伝わる。

2015年12月11日金曜日

風呂の背中、きょうも洗ってくれた。こたえは「よか」

朝、教会での祈りが終わって、自室へ戻ってきたとき、ガラス戸から見た、朝の風景です。なんとも言えない静かな気持ちですね。さあ、きょうも一日が始まる。
★入浴日。「背中を流す」課題がある。入浴は、日、火、金の3回。午前10時から、90歳の男性と打ち合わせて、いっしょに入っている。銭湯みたいな造りの風呂です。湯船は、3畳ほどあるかな。いつも2人だけです。2人はお湯につかって、しばらく、ジーッとしている。(よし、きょうは、声をかけるか)。心に決めた。
★2人は知らない間柄ではない。出会いは、遠く、終戦の年にさかのぼる。わたしが聖母の騎士に入ったとき、彼は上級生だった。いわば先輩だ。彼はその後、社会に出て、働いた。彼の家に、2度訪ねて行ったこともある。
★「ホームに入ったのは、いつ頃だったかね?」。湯船で聞いた。「8月だった」。今年になって、突然、名指しで電話がかかってきて、まず体験入居をして、隣に教会や知り合いの神父さんたちが居るのを知って、安心し、入所をきめた。以来、2人はお互いに仲良し、頼りがいのある人になっている。
★お湯からあがって、きょうも彼は黙って、背中を洗ってくれた。心に決めたんだから、言ったよ。「背中、流そうか?」。彼は、背中を向けたまま、答えた。「よ、か」

2015年12月10日木曜日

散歩の途中で、ネコに会う。ああ、ライモンドは・・・

ロザリオが終わって、明子さんが自室に来た。「散歩に出かけましょうか」「ハイ、わかりました」。2人して、庭に、出た。
★ちょうど用件を済ませて、長崎へ帰る修道士の車に出会った。声をかけると、開いた運転席から「明子さんですね」「え?どうして分かるの」「ブログで見ました」。何も言わないのに、通じるんですね。
★園の庭から、通じる車道を歩いた。両脇に、住宅が並んでいる。1ピキのネコが、親しげに、近寄ってきて、道にねころんだあと、足元にまとわりついてきた。「かわいい」と撮ったスナップです。玄関に、女性が見えたので、目礼をした。三毛猫だった。
★瞬間、アタマをよぎった事がある。聖コルベ館に居た頃の、あのライモンド君だ。行方不明になっていたが、あれからその後、どうなったでろうか。ライモンドは、なぜか、忘れられない。
★しばらく歩いていると、明子さんが、(ブログに書いていた、風呂に入って)、「背中を流してもらった後、なぜ、おかえしに洗ってあげないの?」と聞いた。そう言われれば、答えにつまる。流してもらうのは嬉しいが、自分が人の背中を洗った試しがない。親なし、子なし、孫もなし。背中を洗う、手を動かす習慣がついていない。子どもの頃の習慣は、食べ物の好みであれ、仕草であれ、その人のシンに残る、そう思います。流してくれる人は体格も大きいからね。理由になるかな。ダメだな、オレは・・・。あしたが、入浴だが、ああ、やっぱり、洗えないだろう。愛情不足か。思い切って、声をかけてみるか。

2015年12月9日水曜日

修道家族の夕食は、いいね。つながりが、大切

きのうは、マリアさまのお祝い日で、修道院の夕食によばれた。
★ホームの夕食は、5時15分からだが、隣の修道院は、ホームの仕事が一段落して、6時から修道者は教会に集まり、教会の夕の祈りと、寝る前の祈りがおこなわれる。それに参加した。お祈りの最後に、みんなで、待降節の「アルマ・レデンプトルーム」を歌う。これが、いいね。いっしょに声を張り上げて歌った。ラテン語の歌詞を忘れていなかった。それから食堂で夕食になる。
★この夜のお祝いは、すき焼きだった。全部で、6人がいた。いっしょに食事をして、修道者の「つながり」を感じた。わたしたちの仕事や勤めは異なっているが、同じ修道者の家族でつながっている。その「つながり」が大切なんです、と思う。ホームで、取り残された感じで生活しているが、自分もその一員だと確認しました。やっぱり、それが何より嬉しかった。「トマ、あんたが、乾杯の音頭を、とれ」と、言われて、「お世話になって、1年・・・」と切り出すと、「ああ、もう、、そんなになるか」「ようやく落ち着きました。これからも・・・」なんて、気持ちを述べて、「カンパイ」。楽しいひと時を過ごしました。
★さて、きょうは、朝食も食べないで、高原修道士さんの運転で、長崎のヨゼフ・クリニックへ定期の診察へ出かけた。先生から、「もう語り部、やらないの?」「ええ、機会がないんです」

2015年12月8日火曜日

無原罪の聖マリアの祭日。平和を願う日。連なる思い出

太平洋戦争の開始の日、13歳で、大学病院の外科病棟に居た。その日、「やったぞ、負けるもんか」と、患者の大人たちが喜んだのを覚えている。いま考えれば、勝てっこ、ない、無謀な戦争の始まりだった。2年かかって、健康を取り戻し、母が最初に連れて行ったのが、聖母の騎士のルルドだった。ルルドのベルナデッタは、出現した美しい女性に、「あなたは、どなたですか?」と問うた。「わたしは、けがれなき宿りです」がお答えであった。ルルドと無原罪の聖母はつながりがある。
★聖母の騎士に入ったのは、17歳。聖コルベは既にポーランドで殉教死をとげていた。聖コルベから直接教えを受けたポーランド人のミロハナ神父は、わたしたちに、何十年にわたって、聖コルベの「けがれなき聖母(無原罪の聖マリア)」への最高の愛と、完全な奉献を説きあかし、「あなたたちも、そういう生き方をしなさい」と、シンから勧め、願った。
★ポーランド語で、「ニエポカラナ」とは、形容詞だが、「無原罪の聖母」の名詞にしたのは聖コルベだと、ミロハナ神父は言った。「ニエポカラノフ」は、「無原罪聖母の園」となる。日本でも最初は、この名称だった。ミロハナ神父によると、とにかく聖コルベの生き方は、「マリア」「マリア」に尽きると言った。
★写真は、湯江カトリック教会の無原罪の聖母マリア像です。聖コルベか、このスタイルのマリア像を好んで、各部屋に安置して、度々、マリア像を眺めては、「ああ、マリア」と口ずさんでいた、とミロハナ神父は語っていた。
★戦争は絶対にすべきではない。誰もが、そう願っている。だが、世界は、沢山の争いや、テロが起こっている。きょうのロザリオは平和を願う祈りとなった。
★隣の修道院から、きょうはお祝いだから、夕食に来ないか、と声がかかった。ありがたい。

2015年12月7日月曜日

せいぜい歩けるうちに、しっかり未来を見つめなさい

園内・散歩のとき、本棚に1冊の本をみつけた。パラ、パラと立ち読みすると、こんな川柳の一句が目についた。
★「人生は、紙おむつ、から、紙おむつ」
★最初、昭和初期の生まれの者には、ピンと来なかった。老人の「紙おむつ」は、わかる。赤ちゃんの「紙おむつ」。今は、そうだろう。われわれの赤子の時代は、何だったのだろう。キレか、ガーゼか。
★ホームのお年寄りの女性に聞いてみた。「そんな上等なものは、ないですよ。古着の、ユカタをほどいてか、ドンザ、なんかを使っていた」「子どもが、5人、10人と居ったら、大変だっただろうね」。そんな会話をかわした。
★金持ちも、学者も、無職の人も、老いには勝てない。みんな同じになる。人間に、わけへだては、ない。歩けるうちが幸せです。やがて、ヒザが痛み、歩けなくなる。紙おしめも必要になる。人間なら、誰しも、そのように落ちて行く。ホームという所は、それが、しっかり見えるところです。

2015年12月6日日曜日

平穏・無事に過ごします。静かで、安らかな気持ちです

日曜日も、平日も、朝、6時に、ミサで祈ります。ホームの隣が教会ですから、恵まれています。待降節も第二の主日になりました。ローソク、2本に点火されます。
★午前中、90歳の老人と、2人で入浴をした。彼が、背中を洗ってくれる。お湯から上がっても、彼が渇いたタオルで背中を拭いてくれる。わたしが、彼の背中を流したり、拭いたりするかと言えば、しないんです。これ、どうしてなんでしょうかね。
★午後から、3時過ぎに、この祭壇の前で、ロザリオを共同で唱える。わたしの前の席に、いつも彼が座って祈っている。気持ちがお互いに通じ合うのは、楽しい。「ここに入って、少し体力が落ちてきたよ」と彼が言う。ごもっとも、です。お互いに、ね。
★ジュースの缶詰が沢山入った大きな箱が届いた。「確か、あの人では・・・」と思いつつ、電話をかけると、「やっぱり、そう」。日本26聖人の映画を製作した「平山政十」さんのご縁の女性だった。以前に、弁士と、音楽を入れたDVDをお送りしていたが、喜ばれて、お礼にと「お送りしました」と言われる。ありがたく思った。お歳を聞かれたので、「87歳」というと、「同じ歳です」。昭和3年、1月生まれ。「わたしは、3月」。元気があれば、なあ。出会いに行って、お話しを聞くだろう。あの頃の活ベンは、もう出ない。思い出してくださる人がいるのは、ほんとうに有り難いと思う。

2015年12月5日土曜日

誕生会と、園の創立記念日。長生きは、お恵みです

毎月の誕生会は楽しみです。その月に生まれた利用者をまとめて、お祝いをします。今月は、3人がおりました。「歳をとると、あち、こち、痛みが出てくる。神さまに近づくことを考えましょう」という意味の園長神父さんのお話しがあって、1人、名前を呼ばれて、みんなで「バスデイ」の歌を唄います。園長神父さんと職員が、小さな灯火と、プレゼントを本人のところへ運ぶ。いい感じです。3人、同じことが行なわれる。長生きは神さまのお恵みです。乾杯があって、食事が始まると、職員の出し物がある。この3人、「ドリフ」の「ひげ・ダンス」を踊りました。舞台で踊ったり、皆さんの食卓をまわったり、盛り上りました。お忙しいお仕事なのに、伝統的に、いろんな格好で踊ります。
★90歳以上が、20人。95歳以上になると、10人。99歳と、100歳の女性も居られました。80代は、まだ若いと、大きな声で、歳は言えません。12月の誕生会も終わるので、後は、1月、2月、3月が来ると、自分の番に成る。そんなことも考えた。
★お祝いのメニューは、お赤飯、ブリのお刺身(長崎の人はブリの刺身を好む)、長崎牛の焼き肉、イカ、ニンジンの天ぷら、ふろふき大根、ジュース、それに紅白の大きなお饅頭があった。
★このおマンジュウの意味は、きょうは園の創立記念日でもある。そのお祝いです。1960年、昭和35年、12月5日に、国から承認され、施設が始まった。当時の記録で、男子、11人。女性、16人、計27人の入居者があった。初田神父さんが園長。職員6人で、当時は養老院と呼ばれていた。もう、55年になる。歴史の重みを感じる施設です。これまで事無くつづいてきたのも神さまのお導き、お恵みでしょう。笑いと、ホホエミと、感謝と、家族的な施設でありたいです。大変、お世話になっています。

2015年12月4日金曜日

プリンターものがたり。つながりが出来て、うれしい

これまで使っていたプリンターが、汚れが出るようになった。もう、5,6年は使っているだろう。きのう、電気店で、エプソンのプリンターを買った。店員さんが説明するのだが、よく分からない。特別・安価の、7.650円だった。6色で、インクも付いているが、予備も買わされた。インクが高い。6.860円。自室で、箱を開いて、机上に据え付けた。
★1人の職員さんがパソコンにつないでくれた。こちらは、ただ見ているだけ。ところがプリンターが作動しない。2人目の職員さんに応援を頼み、懸命に操作するが、プリンターの印刷が出来ない。パソコン会社にも電話をして、長い間、話を聞きながら操作するが、とうとうダメだった。
★プリンターは2つの操作だけを使っている。①プリンターに資料や写真をのせて、パソコンに取り込む。②パソコンの写真やブログ日記をプリンターで印刷する。これだけのために使っている。「ああ、ダメか」と、あきらめかけていたところ、夕方になって、6時頃に、外部から電気屋さんが助っ人にわざわざ来てくれた。彼がしばらく触っていが、さすがに専門で、どうやら、つながったようだ。4色から、6色のプリンターになる。
★そこで、最初に、テストをしてみたのが、左の聖絵だった。「見事にパソコンに入ったよ。よかったな」。電気屋さんはお礼を受け取らず、笑顔だけ残して、去った。
★さて、この聖絵だが、イエスと、日本の子どもが描かれている。きょう、聖絵の裏を返えしてみると、ゼノ修道士さんの誓願金祝記念のカードだった。1928年12月15日、ポーランドで誓願を立てる。1978年12月15日が、誓願50週年金祝の日だった。「この小さい者の一人に冷水の一ぱいでも与えてくれる人があったら、その人はむくいを失わない。(マテオ10・42)」と記されていた。ゼノさんらしい言葉だった。ゼノさんは1982年4月24日、長崎上陸の日に亡くなった。もう、33年になる。ゼノさんの愛は、いつになっても忘れない。ゼノさん、ありがとう。

2015年12月3日木曜日

新品のプリンターを買ったのだが、うまく作動しない

きょうは載せる写真がありません。口之津から出るフェリーを取り上げました。なつかしい船です。これで天草へ向かいます。海風に吹かれて、心地よい日を過ごした思いでもある。島原一周のとき、写しました。
★きょうは、あわただしい日だった。朝から、エプソンのプリンターが年季が入って、機能しなくなったので、新品を買いに出かけた。新しいプリンターを開いて、机上にのせて、パソコンと、つないだが、うまく接続ができなくて、応援を頼んでもつながらない。苦労の一日を過ごしました。どうすれば、いいか、迷っています。

2015年12月2日水曜日

温泉に通っていた頃を、なつかしく思い出しました

先日、島原へ行ったとき、オバマ(小浜)温泉を通った。なつかしかったですよ。昨年の夏まで、毎月、1度は、オバマ温泉へ通って、保養した思い出がある場所です。富士屋さんの定宿にお世話になっていた。この日も、富士屋さんの前を素通りした。毎月、通いましたから忘れられないオバマ温泉です。
★考えたことは、あれから1年で、こんなにも環境が変わるものか、体調が変化するものか、ふしぎに思います。全く想像も出来ない事態でした。でも、それが現実で、いまはホームの生活です。
★長崎の白浜さんが、2013年9月からの登明日記をファイルにして、時折、持ってきてくれる。調べてみたら、12冊になっている。ありがたいことです。それにはコメントも入っている。書くことは自分のためにもなる。

2015年12月1日火曜日

みんなで幸せのワルツを歌おう。歌の一団がきた

小学生からお年寄りまで、30人ばかりの一団が、歌のお見舞いにやってきた。ちょうど、適当な、1時間ほどの歌だった。長崎市から、自家用車に分乗して、それでも1時間半はかかる。教会の聖歌隊の皆さんたちだった。訪問してくださるご好意がありがたい。
★どんな歌を選んだかというと、最初は「あめのきさき」から始まり、「マザーテレサの祈り」「ずいずいずっころばし」、「長崎の鐘」もあった。星影のワルツの替え歌で、「天の父に頂いた、だいじにしようよ、この命。みんなで幸せのワルツを歌おう」など、沢山のハクシュをしながら、気持ちの切り替えになって、慰めになる。
★一方、引いて考えると。若い頃は、こうして回ったこともあったなァ、と思う。いま、いちばん後ろの席から眺めていると、うらやましい気持ちになる。やっぱり、どうしてもホームの一員としての自覚が背中に伸し掛かってくる。八十七歳は老人だろうか、考える。
★きょうは、火曜日で、朝、10時から、90歳の男性といっしょに入浴した。90歳に背中を流してもらった。いつものことです。午後は、庭を散歩した。
★テレビは、水木しげるさんが亡くなったと報じている。水木さんの言葉をメモしたことがある。「金持ちになったからといって、三バイも四バイも幸せになれない。金持ちも、ボタモチは、四つは食えない」

2015年11月30日月曜日

待降節に入り、無原罪の聖母マリアの祭日まえの努め

今週の、湯江カトリック教会・祭壇の前のスナップです。右側に、生け花が飾られている。左側に、4本のローソクが見えます。待降節に入りました。去る日曜日には、大きな1本に、点火されて、ミサで祈ります。主の御誕生を迎える4週間が始まりました。物で外見を飾るのも必要でしょうが、合わせて心の準備をするのも大切です。
★北海道のマリア・フランチェスカさんのコメントを読みました。無原罪の聖母マリアの祭日まえの9日間の祈りは、29日から始まります。湯江教会では、ミサ後に、「聖マキシミリアン・コルベの祈り」(けがれなき聖母の騎士会の小冊子・56ページに載っている)を唱えております。9日間の祈りを果たすように努めましょう。

2015年11月29日日曜日

日々は、幸せか。殉教か。年数は流れる。あ、あ・・・

島原・有馬のキリシタン記念館の玄関です。資料室は撮影禁止といわれました。ここ、玄関は、撮っても良いと許可が出ました。大きな背景の構図の説明は聞かなかった。
★トマさん、どうしていますか。お元気ですか。
★整骨院へ行きました。帰りに、「12月は寒くなるので、外出をひかえたい、整骨院はしばらくお休みします」と受付に伝えました。長崎の女性から、靴下3足と、お菓子が送られてきた。
★ここが生活の場です。入居して、3年になるという利用者がいる。5年になりますよ、という人もいる。いや、10年、過ごしています、という利用者もいます。昨夜、11年を過ごしたという女性がホームで亡くなった。平和で、安らかで、眠るような最後だった、と聞いた。きょうは、みんなで見送る会があって、遺体は引き取られて行った。さびしいです。
★そういう利用者の年数を聞くと、ここが、家で、これらの年数を、よくぞ耐えたと、胸が熱くなります。精神的、心理的にも暮らしていけるんですね。生活の場は、この部屋です。食堂で、3食、いただいております。限られた場所で、日々を過ごしております。
★見舞いに来る人も、ホームを去っていけば、家に帰って、生活の場がある。限りない自由がある気がして、うらやましい。そんな気持ちで、暮らしています。

2015年11月28日土曜日

書き残すことは、のち、のち、ためになる。歴史あり

きのう、原城跡へ行ったとき、広場の片隅に、ひっそりと立っている小さな墓標の写真です。天草四郎の墓碑と説明がついている。「花が添えられ、大事にされているよ」と誰かが言った。
★きょう、南島原の記事を書いたことを思い出して、探したら、あった。聖母の騎士誌の1967年6月号だった。「四郎の篭城をやめさせたいと幕府方は、7歳になる四郎の妹を原城内に使いにやりましたが、四郎は妹の手に、形見として指輪と木の実を二つしっかりと握らせて帰したのでした」。悲しい逸話である。
★周辺を、地元の人に案内していただいたことを書いているが、いま読んでみて、書き残すことは、のち、のち、ためになると思った。

2015年11月27日金曜日

島原半島を一周するドライブ。原城、かわいそうだよ

ホームの日帰えり旅行。ドライブ。島原半島一周。18人が出かけた。運転は男性職員の事務長さん。ガイド・世話役は女性の職員さん。それに女性の看護師さん。そしてボランチアの女性・明子さん。万全の備えで、ホームを出て、2時間、小型マイクロ・バスはひたすら走る。ちょうど2時間で、原城跡の、海側の宿に着いた。★宿の温泉につかる。ガラス戸の向こうは天草灘だった。海を見ると、心がなごむ。豪華な、和食のごちそうが出た。時間はあったのに、おみやげを買うのを、気にとめなかったのが、後で後悔となる。気づかいが足りない、と反省する。
★一行は、原城跡にむかった。これが、この写真が、その場所です。オラッショの旅で、どれほどの組をここに案内したであろう。場所は変わっていない。ただ、あの頃の時代の元気、気概、アタマの回転が今、ないのが、もどかしい。この場所で、3千8百人の一揆軍が殺された。400年前の出来事である。ひどい話だ。冥福を祈るしかない。これから400年経ったら、この世の中はどんな思想になっているだろう、そんな想像をボンヤリと考える。ガイドを務める女性職員さんが言った。「悲しい出来事です。いまも、どこかで戦争はつづいています。平和を願いましょう」。それから一行は、最近出来た「記念館」にバスを走らせた。
★ホームに帰ったのは夕食前でした。7時間15分のドライブだった。

2015年11月26日木曜日

ある日の夕食です。しっかり食べれば、元気が出ます

料理をつくる人も、食べる人も、食事には気をつかうでしょう。お年寄りに、消化のよい食事がでます。作る人も、いろいろ考えますよ。経験がモノをいうと思います。この日のメニューは、ごはん、マーボー豆腐、さつまイモの天ぷら、もやしと青菜のナムル、中華風スープ、柿、でした。食べる人にとっては、楽しみです。
★幾つのなっても、目標を持つことは大切です。生活のツナギがある。「よし、こんどは、これを目標に生きよう」。いま考えていることは、88歳になること、米寿、これだね。もう11月も終わりで、12月、1月、2月・・・と、あと3ヶ月ぐらいで、誕生日がくる。88まで、生かされるとは思ってもいなかったよ。こうなったら足をきたえ、声をきたえて、88に備えよう。目標が出来た。88になるまでは、ブログ日記を書きつづけたいと思う。しっかり食べれば、元気も出るでしょう。生かされているのは、いちばん、ありがたい。
★海岸の、波よせ砂場をハダシで歩くと、足跡が残る。波が押し寄せて、かき消されるだろう。それでも、いい。いまの足跡を印したい。
★名前は、どうでも、いい。その人の行為が、こころに残る。

2015年11月25日水曜日

平凡に、生きております。特別なことは、ありません

昨日の真鯛のサシミ、ヤズのサシミと、アラカブの汁です。みんな喜んで盛り上りました。これだけあれば、長崎人は充分です。満足します。元気が出るんですね。サシミも無造作に積まれている。これで、いいのです。「ヤズも、けっこう、いけるな」なんて、声も出た。「こんどは、12月8日、マリアさまのお祝い日に、招待するからな」「トマさんが、もう1年経ったとは、思わんやったケンね」
★きょうは長崎市から女性職員が訪ねてきて、「生活は、どうですか?」の調査があった。
★午後から、屋外に散歩に出かけた。携帯の歩数、2.790。時間が経つのが、はやい。

2015年11月24日火曜日

タイが釣れたよ。大漁だよ。夕食を食べにお出でよ

ホームの隣の修道院から、夕食を食べに来ないか、と誘いがあった。
★神父さんの1人が、身近な3人と、早朝、サカナ釣りに出かけた。3時頃に帰ってきたが、神父さんの釣り上げた分は、真鯛が殆どで、数にして、35匹ぐらいあった。なかでも大きな真鯛が、これです。メジャーで計ると、50cmです。もう1つの長いサカナは、ブリの子で、長崎では、ヤズといいます。
★わたしが釣ったのではありませんが、こんなサカナを見れば嬉しくなります。「オー、お見事」と感心します。これだけの大物を釣れば釣り人も満足でしょう。わたしは、ただ、ただ夕食が楽しみです。また今夜はお世話になります。修道院で食事が出来るのは楽しい。嬉しい。慰めになる。「神父さんに、カンシャ」

2015年11月23日月曜日

きょうの新聞に釘付け。2度と戦争は起こすまい

今朝、朝日新聞の長崎版に、一つの記事を読んだ。「あの日、11月23日」。そうだ、11月が、カトリックでは「死者の月」になっていて、死者のために特別に祈る習慣がある。浦上で、一番、沢山の信徒が亡くなった日。8月9日、原爆の日。あれから3ヶ月経って、生き残った信徒たちは、祈るどころか、心中に、いろんな痛み、苦しみ、叫びなどを抱えていた。11月がきて、死者の月を思い出して、祈ろう、祈ろうの心が湧いてきた。残された信徒は泣きながら、歌い、叫びながら、祈り、初めて父や母や兄弟姉妹、親戚、周りの知人たちが神に召された事実を自らの胸に受け止めた。それでも戦争への怒りはあったよ。新聞に載っていた一枚の写真、残骸の天主堂の前の広場で、簡単な祭壇が組まれて、信徒たちは集まり、その日は涙の日となった。参加した。17歳であった。
★黒崎教会の金祝のときに語ったが、田川家の墓碑に、父、母の名前は刻まれているが、遺骨は無い。父は北朝鮮の土となり、母は原爆で行方不明となる。結婚式の写真を分けて、遺骨の変わりに収めた。何度、書いても悲しいことだよ。
★教会の司祭に、両親のため、ミサをお願いした。

2015年11月22日日曜日

長ーがい、人生、いろいろ、あるでしょう。これも道

今週の、教会の祭壇の生け花です。
★昨日は、隣の修道院から、夕食を一緒に食べようと、お声がかかりました。夕方、6時にアンゼラスの鐘がなると、教会で、修道者たちが祈りを始めます。その祈りにご一緒しました。教会の祈りです。最後に「サルべ・レジーナ」を歌いました。人数は少ないです。司祭が3人、修道士が3人の共同体です。それでも一緒に声を合わせて祈りを唱えると、又、違った心の喜びがあります。
★祈りの後で、夕食でした。散らし寿司と、イワシの刺身を、ヌタをつけて食べました。ソーメンの味噌汁もあった。ホームで1人、自室で暮らしていると、置き去りにされた気持ちになるのです。これまで修道者の共同体のなかで、人生と信仰を過ごしてきました。今の変わりようは、ツライです。気持ちは、いつも共同体にあります。自室に1人で居ると、寂しいです。「神さまの計らいは、ここにある」。苦しみも、寂しさも、喜びに変わるでしょう。長ーがい人生です。いろいろあるでしょう。

2015年11月21日土曜日

神にめぐり合った日、神を感じたときは、いつでした?

「あなたに問う。①神にめぐり合った日、神を感じたときは、いつでした?②信じると、どんな体験があるか?」
★自分の人生で、即、いえるときは、浦上・原爆の日でした。トンネル工場に入るときは、緑があった。家があった。人が歩いていた。被爆後、1時間あと、トンネルを出て、おどろいた。腰を抜かした。営々と築いたものは、すべて破壊される。青空を仰いで、神を感じた。次いで、修道士になった日、誓願を立てた日、50年前になる。やはり神を感じた。大きな体験は、それだろう。その間も、多々、神を感じた日、事があったに違いない。
★信じると、どんな体験があるのか?日々、何者かに守られている。導かれている。そう感じる日々、事があるだろう。思い出すのは、コルベ神父の生涯である。自らに対する問いかけは易しいが、答えは難しい。それだけ、まだ信仰の確信が足りないのだろう。
★午前中は、整骨院の車が迎えへにきた。「調子は、どうですか?」。毎度、聞かれる。「ハイ、いいようです」。大きな声で返事した。両ヒザに電気をかけて、電気棒で両ヒザをこすって、治療を終わる。車で送ってくれる。原爆手帳があるので、治療費は払わない。おかげで助かります。
★昼前、携帯に、「教えてください」と問いかけがあった。「なに?」「日本26聖人は殉教のあと、遺体はどうなったのですか?」。いきなり、400年前か、そんな時代に引き戻される。おそらく26聖人は神を体験し、神と交わり、神がすべてと、イノチを捧げたのであろう。
★26聖人が殉教するや、信者たちは竹矢来を押しやぶって乱入し、したたる鮮血を衣に受けたり、十字架を削ったり、衣服のすそを切り取ったり、血で染まった土を掘ったりして、一瞬、場内は混乱した。聖人たちの遺体は、40日間、西坂にさらされていた。言い伝えによると、鳥は全く寄り付かず、夜になると聖骸から光が出ていたという。遺体は、信者たちによって大切にされ、国外へ移送された。明治になって、プチジャン神父と信徒のドミンゴ森松次郎がマニラに渡り、半年あまり調査して、遺骨や資料を発見することができた。
★ドミ二コ森松次郎の姉が、カタリナをせさんで、をせさんの息子がイグナシオ森与重さんで、その与重さんの息子さんから、もう昔に聞いた話であった。

2015年11月20日金曜日

外海の黒崎教会。今年は心に強く残る場所になった

外海の黒崎カトリック教会です。地元の信徒から、「金祝のときは、お会いできて嬉しかった。これからはご自分の体力に合わせて、信心業にもと努めくだい」と、ハガキが届いた。その裏に、この教会の姿が載っていたのです。喜びの心で眺めました。金祝のときは、教会全体の写真が撮れなかったので、嬉しい便りでした。外海に行ったことのある人なら、必ず寄って、お祈りしたでしょう。赤レンガの天主堂です。写真を見るだけで、わくわくします。
★11月も、残り三分の一となった。早いですね。きょうは懇談会といって、全員が集まって、来月12月の行事予定が発表された。クリスマス、年末と、もう、今年も終わりですよ。
★ホームという限られた場所に住んでいても、一年が過ぎ去った今、振り返ってみれば、単調、平凡の日常のなかでも、いろいろな出来事が、あったんですね。からだのこと、訪れてくれた人びと、金祝もあった。黒崎教会でも、お祝いをしていただいた。最高の思い出ですよ。新聞記者も来て、新聞にも載った。熱心に日記を読んでくださる人もいる。ホームの職員さんも見てくださる。沢山の人にお世話になったことを感じます。貴重な一年であり、意味がある一年でもあった。生かされているのが、実感です。感謝しながら、ひっそりと受け入れて行こう、そう思っています。

2015年11月19日木曜日

口も達者、手も腕もタッシャ。ただ足が弱いね、なやみ

午後から、グランドゴルフです。久しぶりに参加した。真夏のあいだは、見送った。やはり気になるのは自分の体力です。1年前は、「ポーゥン」と打って、球を転がしていたが、腕力は萎えていないか。それは気になります。試す気持ちもあった。
★けっこう、打つ力はありました。要領がよくないのは、練習が不足です。職員さんといっしょに交わることも効果があります。ケアをする者も、される者も、目線を同じくして、向き合う心が大切でしょう。よいホームとは、閉鎖的でない、開かれた介護施設になれば、いいと思います。最後の場所だから、幸せも、ほしいよ。
★10人ほどが参加して、最初に告げられた。「1番、2番、3番は、賞はもらいません。4番と5番の人が特別のお菓子をもらえます」。よかった、4番でした。プレイの後は、全員が参加のお茶とお菓子で楽しんだ。建物の影が、半分、広い庭を包もうとしていた。

2015年11月18日水曜日

人さまの体験は、なかなか難しくて、書けません

今週の、教会の祭壇の生け花です。
★むかし書いたメモがある。「偶然の出会いによって、一つの記事が書けた。あるんだな、そんなことが。だから人生は、毎日がおもしろい。楽しい日々が過ごせる」(2008.1.11)
★あのメモから、8年の歳月が流れた。いま何を思うか、トマさんは・・・。
★「田川さん」でホームに入ったが、じょじょに「登明サン」とか、「小崎サンですか?あなたの記事を読んで、楽しみにしていました」と言ってくれる人が、3、4人出てきた。嬉しいことだと思っている。長年、騎士誌に毎月、「信仰実話」を書いてきた。ほとんど偶然の出会いによって書けた記事だった。あの頃は生き甲斐もあったよ。出会いによって、その人の生き方や、信心や体験を聞いて、その流れのなかに、お恵みというか、導きというか、つながり、ご縁を感じて、これを、まとめて、書いた信仰実話だった。
★昨日の新聞に、介護職員が、「お年寄りから人生の聞き書きをつづけている。思い出ばなしを、いきいきと、しゃべる人がいる・・・」との記事を見た。「トマさんも、このホームに入って、ここのお年寄りたちに、何か人生体験を聞き出せないか、考えたことは無かったの?」と言われそうにもある。実際、勧める人もいた。
★しかし正直いって、書くどころか、まず自分が、まともにホームで生き抜くことが、先決問題であったのです。環境が変わったから、受ける心理も複雑なものがあった。確かに、ホームの老人たちは、誰もが、様ざまな人生模様に生きてこられた。戦後を生き抜いた人たちばかりで、なかには苦労の思い出ばなしを、チラッ、チラッと、もらすように語る人もいる。
★だが、まとまった話を聞き出すまでには至りません。8年前の「偶然の出会いが・・・」と言うわけには行きません。難しさを感じます。ゆっくり時間はあるのですが、まだ人さまの心に入ることは出来ないのです。環境の変わる難しさを感じる、この頃です。自分のことすら、本音が書けない。老いる難しさが、そこにある。