2015年12月30日水曜日

孤独は寂しい。ご縁、つながり、喜びは、湧き出る

昨日の話のつづきです。昨日、午後、ふと園内を散歩したいと思い、廊下を歩いて先まで行き、また戻ってくると、ぴったり、玄関に男女の一行が到着したところでした。その中の1人が、「おお、トマさんじゃないですか」「あれ、深堀さん・・・」。固い握手をして、喜び合った。もし、ふと、思いだして散歩に出なければ、彼らには会えなかった。そういう、ぴったしの出会いがあるから、人生はおもしろい。
★彼らの訪問を受けた87歳の女性に聞いてみた。「訪ねてくれて、嬉しかった。おみやげに、フランスのルルドのお水をもらった。ありがたい。大切にいただきます」。人は、誰しも、つながり、ご縁を求めている。孤独が一番さびしい。この女性は、30年近く、ホームに居る。毎年、来てくださる。「来られる方は変わるけどね」
★修道院に居て、共同体のなかで、一緒に祈り、食事をし、談笑し、ある時は困難もある。しかし一緒に居てこそ、修道士の生活も成り立っている。いま、一人で、せまい自室で暮らしていて、環境の変化と、寂しさ、孤独を感じるのは当然のことです。その時、つながりです。救いは、つながりが元気を与える。瀧神父さんと、松下修道士さんと、3人で会食をして楽しんだのも、わたしにとっては、つながりの喜びを感じるひと時でした。
★ホームに入って、皆さんと同じ暮らしを意識して、普通の服を着て、ミサの祈りも参加していた。しかし、クリスマス・イブのミサから、毎朝、ミサには、修道服を着て、気持ちを新たにして祈るように努めている。この姿勢は、くずすまい、と思う。名前も、本名よりも、登明が、いい。この名前には愛着がある。2014年8月、聖コルベ館を去って、ホームに入居したが、「登明さん、まだ時々、新聞に名前が載っているじゃないですか」と深堀さんから言われた。「そう、ね」
★今年も、はや、晦日になった。ホームでは餅つきが行なわれた。狭い自室にあっても、いろいろ有ったよ。畳に座っていても、生活全体は常に動いている。