2017年7月26日水曜日

苦しみから、恵みを探すのは、とても難しい、と彼

きのう、フランスから来た男性ジャムさんは、聖コルベ館で一杯の飲み物を頂いた。体調を崩して、ホームに入ったとブログで読んだ。「お祈りしました。今回の長崎への旅で、恩返しをしようと来ました」
★喜んで彼ジャムさんを迎えたが、彼の奥さんが難病で苦しみ、亡くなられたと聞いて、私の胸はキツク痛んだ。奥さんとは日本で知り合って、フランスで結婚式をあげて、2人の子供も恵まれた。幸せの絶頂にあった家族だった。それが突然、襲ってきた難病。なぜ人には、とてつもない試練や苦悩が与えられるのか。我々には分からない。奥さんはキリスト信者ではなかった。子供たちは幼児洗礼を受けていた。
★彼は言う。「病気になって、ある日、秋、会社から病院へ行くと、妻が、神父さまに会いたいと突然に言うのです。カトリックの洗礼を受けたい。すぐに司祭を呼びました。妻は言います。死が怖くならないように。神さまの御傍に行きたい。洗礼を受けるため、霊名は何にしよう?少しの時間、考えよう。しかし妻は即座に言ったんです。マリア、です。わたしは、マリアです。ちょうど5年前の、2012年7月24日に神に召される。享年50。若かりし死であった。結婚生活、22年。いろんな思い出があるだろう。一昨日が命日だった。彼はただ1人で、聖母の騎士のルルドでマリアのために祈った。そういう話を聞かされると胸が締め付けられるよ。
★彼ジャムさんは、フランスの西南にある一番大きな町に住んでいる。ルルドまで車で2時間ほどで行ける。「小崎さんにもルルドのお水を送りますからね」と約束してくれた。
★奥さんが亡くなって、5年。まだ、まだ心の整理はついていない。「神さま、これ以上、何を望みますか?」。いま考えていることは、「教会のため、奉仕したい、それです」。この間、100人の男女青少年を集めて、自転車で、5日間走ります。司祭もシスターもいる。何回か休んで、司祭の話がある。夜はテントで眠ります。17年目を迎える。「山にも耐える自転車巡礼」です。実行して信仰を固めました。
★「苦しみから、恵みを探すのは、難しい」。これは彼の言葉だ。「日本を廻って、何を感じますか?」と私が聞いてみた。「やさしさ、です。おもてなし、かな。素直ですよ」「素直って?」「すなお。悪いことを考えていないことです。人は、規則があれば、守らない知恵を考える。チャンスがあればドロボウになる。そういう人や、国には、なりたくない。平和の世の中で、有りたい」
★彼ジャムさんの奥さん、「マリア」のために、祈ってください。
『トマさんのことば』。お礼文⑪茨城県、みふみさん。「全てのお言葉が金剛石のような輝きにあふれるお言葉ですが、まだまだ『あ、あのお言葉は?』というお言葉がたくさんございます。どうぞ第2集(もっと続くと思います)を心待ちにしております」

2017年7月25日火曜日

フランス人が訪ねてきた。心と心をつなぐのは笑顔

きのう、電話があった。「ホームに面会に来たい」という。「遠いんだよ。何しに来るの?」。しかも、フランス人。「3年前の夏休みに、聖コルベ館へ行った。小崎さんは、ちょうど出かける所で、短い間でしたが、ご親切に、冷たい飲み物を一杯下さいました。それでお会いしたいです」。聖書の話じゃないが、それは、それは、ご苦労さん。
★そして、やって来たのが、この男性です。ジャム・ブリュノさん、47歳。最初の私の問いかけは、「なぜ私を訪ねて来るのか?」です。フランス人は答えた。「フランスの人は、アウシュヴィッツで命を捧げたコルベ神父のことは良く知っている。コルベ神父さまが日本へ行ったことは誰も知らない。司祭も知らない」。続いて、「聖フランシスコ・ザビエルと同じ考えです。宣教に挑戦した。自分の命を捨ててまで、キリスト教を守り通した。自分の命より、死んだ後の皆さんの魂が大事です。生きている人と死んだ人とつなげている。小崎さんの『長崎のコルベ神父』を読みました。いまは『信仰の出会い旅』を読む。サインして下さい」。彼の話に感動する。
★彼は、エンジニア。28年前、夏休みに1ヶ月、長崎の外語短大で日本語を始めた。仕事の都合上で、3年間と、4年間と、日本で暮らしたこともあるので、日本語は達者だ。3年前にも来た。仕事柄、各国を廻っている。彼は言う。「世界をまわって人と出会う。心と心をつなぐ」「つなぐためには、何が必要ですか?」。彼は即刻、答えた。「エガオ、ですね。笑顔は心の窓口です。笑顔をつくるためには、心の有余が必要です」
★奥さんは日本人。子供は2人。奥さんは筋肉と神経が衰える難病に罹り、5年前に亡くなった。「昨日が命日でした。聖母の騎士のルルドで祈りました」。様々な経験をしている彼の話は、まだ続きそうだ。
『トマさんのことば』。お礼文⑩千葉、ひさのさん。「トマさんの蘇鉄の前の写真、とても自然で後方の雲の動きも感じられます。『前に進む力を失うな。自分らしく生きよ』ここにくるとしばらくとまり、二、三回くり返し「ハイ」と自然に声がでてきます」

2017年7月24日月曜日

ゼノ修道士の靴。ニホン全国を歩いて神の愛を伝えた

「大きなクツだね」「リッパな、クツじゃないか」。ゼノ修道士さんが愛用したクツたちです。長崎・聖コルベ館資料室に保存されている。「これを使って、日本全国を歩き周ったんだね」。クツが光るというか、ふしぎなチカラを感じた。貧しい人に、神の愛と命を伝えたんだね。大切な遺品です。
★1953年(昭和28年)の、私の手帳日記に、ゼノさんの記事がある。3月3日の項目だ。『火曜日。おひな祭り。朝、ゼノさんが来て言った。「きょう、おひな祭りね。ニホンのお祝い日です、これね。かわいそうの人、貧しい人、ね。お祝い、来ても、何もないです。わたし、こん晩、7時、皆さんを200人あつめて、ズボン、ジャケツ、パン、たくさん、あげます。それで、かわいそうの人のため、何か書いてください。貧しい人たち、ね。食べ物、着物、やるばかり、ダメでしょう。その人、神さまに祈る、これ、しなければ、なりません。これ、教えなければ、なりません」。こう言ってゼノさんは、白髪の美しいヒゲを傾けて、きれいな青い目で私を見た。ゼノさんの心は純粋だ。欲がない。安心できる人だ。私は早速、青い紙に、次のように書いてやった。「(前略)これは私の贈り物ではありません。神さまが、この品物の与え主です。私にではなく、神さまに心からの感謝の祈りをささげてください」
★当時、私は25歳で、結核を病み、修道院の一角で静養していた。私の隣がゼノ修道士の部屋であった。だから良くゼノさんは、私に書き物の頼みに来るのだった。いま、あの頃のことを思えば、よくぞ病気に耐えたな、と人生を感じる。ポーランド人の院長さんは、「司祭になる見込みの体力がないから、退会させるように」と勧めていた。ゼノさんから励まされた覚えはない。ただ「ゼノさんのように働ければ、な」とうらやんだ。私は、まだ生きている。冷たく、あしらわれても、悲観しないことだ。助ける、サマリア人は必ず現われる。
『トマさんのことば』。お礼文⑨京都、邦子さん。「物言わぬ冊子にやさしく見守られている気がしました。カバンに入れて、小崎さんに守ってもらいます」  

2017年7月23日日曜日

「ゆるす心」が、むずかしい。いかに、説明するか

6月の半ば、地元の小学校で、小1から小6年まで、287人に話す機会があった。先生が前もって、「講話の題は何ですか?」と聞いた。「たすける心、にげない心、ゆるす心」と伝えた。私の原点は、原爆の日。小6の少年を助けなかった。そこから「助けなさい」。女子中学生を助けてタンカに乗せて運んだが、飛行機が再び来たので、タンカを置き去りにして逃げた。助けていたけれども、困難が来ると逃げる。「困難が来ても、逃げない心」を持ちなさい。
★次は問題の「ゆるす心」です。原爆の丘で、私を叩いた先輩工員が、重症を負って苦しんでいた。偶然に出会った。私はその時に思った。「いい気味だ。ざまーみろ。イジメた人間は、そう、なっても、いいんだ」。私は許さず、その場を去った。これが現実。この事実を、子供たちに、どう話せばいいのか。実は悩んだ。ゆるす心が一番むずかしい。
★日常起こる現実で、殺人された家族や、傷つけられた本人の心のキズは重く、そう簡単に相手を許すことが出来るか、と言っても、とても、とても、許るせるものではない。それが世間の常識だ。
★しかし、傷つけられたから仕返しする。やられたら、やり返す、それが普通の心境だが、それが続けば、平和は来るだろうか。子供に説明するのに、むずかしい。ひそかに悩んだ。話を、どう、持っていけば、いいか。
★私は言った。「イジメは、ダメだよ」。ゆるす心は、どうか?寄寓にも、10年後、あのタンカの女子中学生に、出会うことになる。10年だから、立派な娘さんになっていた。オレは助けず、放棄して逃げだ人だ。彼女は、あの時のことを良く覚えていた。「しかし、娘さんは、私を、許してくれたのです」と、小学生に語った。相手を、ゆるす心、生活の中で、許す心は大切です、と強調した。
★私の人生の原点は、この3つにある。①助ける心、②困難が来ても逃げない心、③許す心。だが、人間は真に「助けることが出来るか」「逃げないことが可能か」。人間は弱い。とても出来ない。しかし出来た人がいた。それがコルベ神父だった。そこまで子供たちには話せない。主は言われる。「汝、敵を、愛し、敵のために、祈れ」
平和の原点は「助ける心」「逃げない心」「許す心」。この許しが一番むずかしい。皆さんの心に、この3つの花が開き、広がるならば、必ず世界は、もっと平和になるでしょう。
『トマさんのことば』。お礼文⑧神奈川県、信子さん。「トマさんのことば」をお送りくださり、ありがとうございました。とても素敵な御本で、一頁ごとの言葉と写真がすーっと心にしみこんできます。小崎さまが歩んでこられた年月、お母様やコルベ神父様、たくさんの方々が生きてこられた年月、そして野々村さん、塩沢さんがいらしたこと、全てが神様からずっとつながっているのだと感じました。出会いは本当に神様のお恵みと思います」

2017年7月22日土曜日

「カリエス」から立ち直ったんだ。それで生き抜いた

絵てがみ教室で描いた「むらさき・たまねぎ」です。割ると、真っ白い実に、紫の美しい線が入っています。甘い味がするそうです。
★自分の子供の頃を知る人は少なくなった。中・高校生のとき、一緒に神学校で学んだ友人に「トマさんのことば」を送ったところ、彼から便りが届いた。自分は今まで、「原爆に会って、聖母の騎士に入った頃、そんなに自分は体力が弱かったのか」。いつも疑問に思っていた。彼の手紙に証明があった。彼は印象として、「フラテル(ラテン語で、兄弟)は私達も小神学生時代から、フラテルについて知っていましたのは、100%の健康ではなく、将来の司祭職も諦められる程でありましたのに、今日の89歳まで頑張っておられる事は信じられないのです」
★「そんなに思われていたのか」。電話番号も書いていたので、その夜、久しぶりに彼に電話をした。「オレは、そんなに、弱かったか、な?」。すると彼が言った一言が納得させた。「カリエス、だったよ」。当時、カリエスは不治の病で、自分も十三歳で経験していた。彼は書いてくれていた。「今まで生き得たというのは、神がフラテル・トマさんが、御自身の御栄えのために、適当な存在であることを証明しておられるのだろう」。ありがたいお言葉です。それに、ふさわしく、生きたいと思う。
『トマさんのことば』。お例文⑦茨城県、優子さん。「人の歩みは小さなものだが、大きな力が常に守り導いてくださる。(21頁)。本当に大きな力が常に守り導いてくださっている、と日々実感しています。トマさんのブログに出会えたことも、神さまのお導きと思います。いま私がいちばん好きな「トマさんのことば」を書きます。「あなたの人生で、すごく、ふしぎなことはなかったか?あったよな。沢山」(12頁)。はい、トマさん、沢山ありました。トマさんにこうしてお手紙をしたためていることもすごくふしぎなことです。嬉しいです。ありがとうございます」

2017年7月21日金曜日

うなぎの土用の日は、まだ早いけど、いただきました

これが諫早の福田屋のうなぎです。うなぎだけしか商売していない。4枚、5枚、6枚と順序がある。それに特大がある。高価ですよ。これは4枚でしたかね。6枚は多すぎます。タレ汁がウマイ。サジを付けてくれるのです。サジでタレ汁をメシに載せるのです。ごはんが、いけますな。
★本当は、うなぎは、そう最初の頃は好きではなかった。周りが、うなぎを食べるので、いつしか仲間入りをするようになった。ポーランド人のある修道士なんか、うなぎが大好きだった。ポーランドに、うなぎはあるのかな?
★うなぎを焼いて、タレ汁をつけて、最後に、この器に入れて、中にお湯が入っている。蒸すそうです。諫早は殿様の時代から、うなぎが有名だった。うなぎについて、さしたるコメントはありません。相手は、車の藤下先生でした。
★時には、うなぎでも、食べさせてください。夜のホームの食事を少し残した。栄養士さんが廻って来て、サラの具合を見て、「あれ、諫早で、いいモン、食べたんでしょう?」「ガックリ」
『トマさんのことば』。お礼文⑥広島、八智子さん。「トマさんのことば、ありがとうございます。どこまで行っても御本の出版に繋がるのですね。これまでの思い出が詰まった本で、とてもうれしく思っています。力が湧いてきます」

2017年7月20日木曜日

シスターのお墓参り。久しぶりに山に登る。安息祈る

シスター永松のことを思い出した。時々夢を見る。優しい看護師さんだった。シスターから命をもらった。彼女の奉仕がなければ、今のトマはいない。椿原の学校の教師だった藤下先生に運転をお願いした。
★藤下先生は、自慢の電気自動車を持っている。運転に応じてくれた。懐かしい山道を走る。養護施設の中に私立の小・中があって、2人は助け合いながら教育に励んだ。子供たちとの戦いや、慰めや、励まし、笑いなど沢山の記録がある。その学校も今は無くなって寂しい。途中、農村に、ひまわりの畑があった。子供たちは、この辺の農家におせわになったものだ。特に、お寺さんと、町会議員を懇意にしていた。
★先ずは、修道女院に寄って、数人のシスターと会話をする。メロンのご馳走をいただく。
★シスターのお墓で、お花を交換して、色とりどりのお花を添える。シスターが亡くなったのが、1968年(昭和43年)、来年で、50年になる。それでも忘れない。人生って、ふしぎなものだと思う。心の中では、シスターはいつまでも若くて、優しい。声をかけてくれる。世の中に、忘れ得ない人が、1人でも居てもいいではないか。シスターの存在は、生きるチカラであり、励ましでもある。シスターが、きっと守ってくれる。これはトマの小さな信念だ。
『トマさんのことば』。お礼文⑤静岡県、恵子さん。「とても素敵なご本に感動いたしました。読み始めてから涙がポロポロ流れ、泣きながら最後まで読みました。私の宝物になりました。大切にいたします」

2017年7月19日水曜日

赤いポスト。温かく立っている。昭和が懐かしい

赤いポスト。懐かしい。昭和の時代を思い出す。古い考えも、物も、置き去りにされていくのか。一抹の寂しさを感じる。昔の年寄りは、知識者であり、経験者でもあった。若者にそれらを伝えていた。だから有り難りがあり、尊敬もされていた。それが、いま平成になって、若者が手にするのは「スマホ」だ。これさえあれば、すべての情報がわかる。親しまれた赤いポストよ、お前をいつまでも残したいとデジカメを向けた。
★ホームの老人がつぶやいた。「孫にね。勉強しなさい。昔の二宮金次郎は、背中にマキをかついで、働きながら、歩いて本を読んでいたのだよ」と言えば、孫は即答した。「バアちゃん、本を読みながら歩けば、危ないよ。交通事故に遭うよ」。バアちゃんは全く反論出来なかった。シワが1本増えただけだ。
★水曜日は、女性職員さんが、3、4人で廻ってきて、部屋の掃除をしてくれる。職員さんが、「トマさんのブログを読んでいる。家に帰って、読むのが楽しみだ。知らないことも起こっている」。嬉しい限りです。
★このところ来客が多くて、外出もあり、からだに疲れが溜まっている。足も痛いし、早く歩けない。体力にチカラが失せた。どうなることやら。辛抱するしかないだろう。「い生かされているだけが、有り難い」。そう思え。「それでも、老いには勝てないから、困難、苦しみも多い」
★頼みのパソコンが、急にトラブル発生で困惑する。パソコンのスイッチを入れると、いつもの「天草四郎の原城の一夜城と、菜の花」が出てくるのだが、突如、消えて、他の物に変わった。出たのは、今日、使ったポストの一部分であった。職員さんに願って、絵を変えた。長崎市の聖母の騎士の全景に変更した。後部に、彦山の緑があって、写真としては中々良い。満足している。
★生活が狂うことが、一番ツライ。何事も無く、昨日と同じ日、調子を迎えるのが、幸せです。
『トマさんのことば』。お例文④東京都、真波さん。「小ちゃな本を開けば、本河内のルルド、両手を広げた無原罪の聖母、日記より選り抜かれたことばたち。愛は涸れることのない泉ーそんなフレーズを思い出します。聖コルベが日本で蒔いた種が人々の心に花を咲かせていますね。人生いろいろありますが、「あんまり下ばかり向くな」(P62)「前に進む力を失うな}(P34)、そのためには体と心の立て直しの時期に来ていることを実感してしています」

2017年7月18日火曜日

女性は語る。親戚に、司祭が続々。篤信の島に育って

ホームの入居者たちは、自分の過去を語ったり、家族を話すことは殆どない。三度の食事の前に、自然に、食堂の入口に皆さんが集るのだが、待合の長椅子に座っても、言葉は少ない。ところが最近、トマの隣に、同じ女性が座るようになり、少しづつ話しかけるようになる。
★女性は、下山ハルミさん。96歳になる。話を聞いて、びっくり。このホームに、20年、生活している。「まあ、そんなに、長ーがく、ここに居るのですか」と、ただ、ただ感心するしかない。
★生まれは、上五島。カトリック教会が多い島。ハルミさんの話を聞いていくうちに、親戚に次々と「神父さまの名前」が出てきたことが、興味をひかれた。殆ど知っている神父さま達であった。当時は、村に子供が多かった。優秀な子供から神学校へ送られた。家族から「司祭」を出すのは、誇りでもあった。
★ハルミさんの「父親」は、鯛の浦の増太郎。母は、頭が島からきたカオ。父の妹に、タケがいる。タケの子供が、初田徳一神父になる。聖母の騎士の初期の司祭である。聖フランシスコ園の園長も長年勤めた。入江さんや、大曾神父さまも勿論知っている。
★更に父の妹に、イトがいる。イトの子供が、中田武次郎神父。また彫刻家の中田秀和がいる。2人とも、トマもよく知っている。中田先生は彫刻家で、大浦天主堂の庭にある「信徒発見のレリーフ」や、聖母の騎士・ルルドへ到る「ロザリオの玄義」のレリーフなどを制作した。著名な人物だった。鯛の浦のルルドも造っている。信仰の厚い人だった。
★父の妹、タケの子供の徳一神父は次男で、長男は正一(まさいち)。正一は、大曾のチマと結婚して、6人の兄弟が出来る。トマは神学生の頃、夏休みは、このお宅で過ごした。家が3軒並んでいて、端の家が大曾神父さまの家だった。
★子供の枝美さんは、同じ上五島の浜串に結婚する。子供に、竹内昭彦神父(管区長)がいる。
★1人の女性の言葉から、こんなに沢山の司祭の名前が出てくるのが不思議な気がした。父の増太郎の妻は頭が島の出身だが、頭が島から熊谷神父が出ている。親戚になる。
★下山ハルミさんの話を聞くと、親戚のつながりや、幼い頃からの信心が心の奥に根深く染み込んでいて、「もう、これしか、生きる道は、ない」の信念にあふれて、ホームに居ても日々の信心の行動につながっているのを感じる。少々の不具合でも、ミサ、ロザリオには参加する。見事な信心は尊いとトマは思っている。
『トマさんのことば』。お例文③東京都、好子さん。「ここ最近、身のまわりに苦しい事がたくさんありますが、この本を開いてなぐさめられる事が多く救われております。ありがとうございました。枕元に置くのにちょうど良いサイズでとても気に入っております。そして、この本を手に取って開いてみると、小崎さんの八十九年の人生を垣間見ることが出来るような気が致します。たくさんの苦しみを味わっていらっしゃるのにいつも優しく、あたたかな笑顔を向けて下さるのは、やはり信仰があるからなのでしょうか」

2017年7月17日月曜日

エスぺランザさんと、雲仙殉教者、島原教会で祈る

アメリカ・テキサスから夏休みに帰国しているKoKo洽子さん。同行しているドミニカ人のお手伝いさん、エスぺランザさん。帰国が近づいている。エスぺランザさんは、もう1度トマさんに会いたいと、白浜さんの運転で、ホームに訪ねて来た。途中、愛野カトリック教会に寄って、日曜日のミサを祈った。感謝の祈りと、家族のために祈ったことであろう。
★ホームに来たのは、11時過ぎていたので、白浜さんと、3人で昼食に出た。近くにファミコンがある。メニューに、現品の絵が載っているので選びやすいだろう。スープ、えび・フライ、ハンバーグ、アイスクリームなど食べた。この後の企画はトマが決めた。エスぺランザさんは「沈黙」を5回も見たという。映画は、雲仙の熱湯を殉教者に掛けるシーンから始まる。
★雲仙に登って、白雲吹き出す地獄を見た。十字架も立っている。沸騰する熱湯を見て、エスぺランザさんは涙した。残酷な時代もあったモンだ。仁田峠へ登って、島原半島、広がる海、天草・熊本の棚引く姿に感動していた。
★最後は、島原のカトリック教会です。ここに、殉教者が雲仙に引かれて、熱湯を掛けられるステンドグラスがある。トマは英語を話せない。エスぺランザさんは英語は分かるが日本語は全く理解できない。話したい内容は、山ほどあるが、伝わらないのがザンネンだった。とにかくエスぺランザさんが喜んでくれたのは確かだった。3時頃にはホームに帰った。夜に、エスぺランザさんから、メールが入った。「一生、忘れません。泣いています」
『トマさんのことば』。お例文②熊本、きよみさん。「お母さんからのロザリオの表紙を見せていただくだけで、すべてが伝わってくるような気がします」

2017年7月16日日曜日

野々村哲さん、塩沢美樹さん、ありがとう。打ち上げ

上五島にお住まいの塩沢美樹さんは、その日、有川港から一番の快速船で、長崎港に着いた。浜の町に出て、昼食の買い物をする。
★一方、トマは、ホームで野々村哲さんの出迎えを待っていた。思いがけなく早めに到着した。赤い、素敵な車だった。車中で会話を交わす。「あなたの車ですか?」「父のです」「え?お父さんが、こんな車を」。ちょっと驚いた。お父さんの職業を聞いて、もっと驚いた。お父さんは、長崎活水大学の学長をしていた。今は退職されている。野々村さんの家族が、そんなに高貴なご家族だったのか。初めて知った。大学へ行くときは、別の色の車がある。
★長崎の聖母の騎士の聖コルベ館で落ち合った。3人が揃って、成すべき仕事は、資料室に、トマが1970年頃から撮った写真のファイルがある。フイルムで、冊子のケースに収めているが、それをデータ化したい。そして、その中で、抵当な写真があれば、紙焼きにしたい、そういう目論見があった。
★以前は、修道士は個人でカメラを持つことは禁じられていた。幸い、トマは、騎士誌やカトリック・グラフの編集をしていたので、カメラを所有し、撮影する機会に見舞われた。素人ながら、その作品が多くある。
★フイルムの入った冊子は、57冊あった。もちろん、複写した分も入っている。中には、今では撮れない風景や人物のフイルムもある。ゼノ修道士や、1970年代のポーランドの風景や庶民の素朴な姿などです。「長崎・聖母の騎士 昭和の修道士たち」というイメージで、写真集が出来れば、何と嬉しいことであろう、と密かに心の中で思う。昼食は、聖コルベ館の応接室で、おにぎりなどを3人で食べた。
★作業が一段落したところで、「トマさんのことば」の打ち上げをしようと、夕刻、浜の町へ出かけた。ロシア料理店「ハルビン」で会食を行なった。「トマさんのことば」は本当に不思議な出会いから完成した。野々村哲さん、塩沢美樹さんのお陰です。お礼の便りによる評判も好評のようである。このような出来事は、人生に度々起こることではないと信じて、感謝している。出会い、って、神のお恵みだね。
★料理は、前菜が出て、説明があったが、よく覚えない。次に、赤色スープ(ボルシチ)、デザートにエスキモ、それにメインは3人、思い思いで、ある料理には、ご覧の盛り付け料理が出ました。
★これで「トマさんのことば」も一応、終了しました。野々村哲さん、塩沢美樹さん、出会い、ありがとう。生涯、忘れません。成功し、感謝します。夜の道を、2人で、ホームまで送ってくれた。着いたのは午後9時過ぎであった。
★『トマさんのことば』。お礼文①大阪府、貞子さん。「早速、本を送っていただき、心よりお礼申し上げます。娘、主人共ブログのフアンです。小崎様の病状を心配していたもので、とてもお元気になられたと、本を見て喜んでいます」

2017年7月15日土曜日

朝から長崎・聖コルベ館に出かける。帰りは遅くなる

絵てがみ教室で描きました。ミニ・トマトの3兄弟。兄弟が1人も居ないトマだから、即、そのイメージが湧きました。
★今日は、朝から長崎・聖母の騎士の聖コルベ館へ出かけます。聖コルベ館には資料が展示されていますが、その奥に、もう1つの部屋があって、そこにトマが集積した資料があります。今日は、その整理を思いつきました。それで朝、早く出かけて、帰りは遅くなるでしょう。
★送り迎えの運転をしてくれるのは、「トマさんのことば」の編集者の野々村哲さんに頼みました。「行動しなければ、何も、生まれない」。次の世代に残すためにも、元気があるうちに整理をしておきたい望みが強烈にあります。コルベ神父・ゼノ修道士の長崎上陸から、コルベ神父の時代、コルベ神父が帰国してからの戦争中の聖母の騎士の困難な時代を通して、沢山の写真があります。それらに今、目をつけている処です。
★野々村哲さん、塩沢美樹さんが加勢してくれるでしょう。今日から3連休が始まります。

2017年7月14日金曜日

今年も庭に、ブドウが見事に成った。実りは嬉しい

1階に下りることは、めったに有りません。庭に出ることも全く有りません。「トマさん、庭に、ブドウが沢山、成っているよ。写真に撮ったら、いいよ」と教えてくれる人がいた。庭に出て見ると、「おお、目を引くようなブドウが成りさがっていた。平和だね。静かだね。音が全くしない。向こうの方で、女性が洗濯物を干していた。
★1階には、瀧神父さまのお部屋がある。ホームの生活にも、慣れたらしくお元気にしておられる。今日はお部屋に寄らなかった。大曾神父さま、西山神父さま、村山修道士のお部屋は2階にある。トマの部屋は一番上段3階にある。お部屋の角度によって、部屋から見える風景が全く異なる。70人あまりの利用者が暮らしている。住めば都で、いい処ですよ。

2017年7月13日木曜日

アメリカ人の司祭が取材にくる。動機は何なのか

長崎・聖母の騎士から連絡があった。午後、アメリカ人の司祭が「コルベ神父の話を聞きに来ます。よろしく頼む」
★午後、教会で、共同のロザリオを唱えていると、司祭と、女性の通訳が、聖母の騎士の川渕修道士さんの運転で到着した。応接室に通して、話をする。
★アメリカ人の司祭は、マイケル・ゲイトレイ神父。40歳。なぜ、コルベ神父に興味を持つのか、聞いた。伝記を読んでいたとき、コルベのお母さんが、コルベ少年を見て、「この子は一体どういう子になるのだろう」との記述があった。その言葉が自分に重なったという。そこからコルベ神父を知りたいと思った。
★コルベ神父の話から入ったが、結局、長崎の現地に来ると、衝撃を受けるのは「原爆」であり、「永井博士」「浦上天主堂」につながる。更に「キリシタンの信仰」や「四番崩れ」にも及ぶ。長い話だ。
★司祭は言った。戦争は悪魔の仕業です。ユダヤ人、ポーランド人は困難を負った。その後、その人たちは復活した。神の慈悲をもたらした。この話は世界的に有名で、誰れでも知っている。しかし原爆で、クリスチャンが苦しくてもピースをもたらした、これは知られていない。昨日は浦上天主堂で祈りました。サタンによって苦しみがもたらされたが、神さまが苦しみによって平和を持ち上げてくださった。天皇の御前会議と同じ時間に、長崎で27人の被爆したシスターが平和の祈りを捧げていたのを本で読みました。
★「コルベ神父は、沢山祈った、働きも沢山、どんな祈りでしたか」と司祭は聞いた。知っている聖コルベの話を等々と語った。夕食時は過ぎて、2時間は経過していた。司祭はこれから空港に向かい、帰国するという。川渕修道士が空港まで送って行った。
★英語で、言葉が通じないのが難点だった。何か割り切れない心境が胸に残った。

2017年7月12日水曜日

管区長を歓迎。フランシスコは福音を生きる創立者

ホームの隣、湯江教会の祭壇の生け花です。お花を生ける女性が変わりました。立派なお花です。
★竹内管区長神父さまが、本部の東京から来られて1泊したので、夕食は歓迎の会食となった。管区長を入れて、8人が席を連ねた。同じ修道者の仲間に居ると、一般の人と居るのには全く違う。安心して、心がなごむ。疲れも取れる。
★お互いの生い立ちから、性格から、勉学から、勤めから、良いところも、模範的なところも知り尽くしている。説明はいらない。久しぶりに、こころを開いて語るだけで、喜び合える。
★会食を前にして、教会に集り、共同で、「教会の祈り」の晩の祈りと、寝る前の祈りを唱えた。これが、また雰囲気が、いい。祈りは、お互いの心をつなぐ。私たちの小さなお勤めは、ローマのあの教会の、アシジの大聖堂の祈りにも、典礼の祈りは、つながっている。そこがカトリックの力強いところだ。8人は誰でもアシジの聖フランシスコの大聖堂の祈りを知っている。
★歓迎の会食は、デジカメを持参しなかったので、撮れなかった。残念だ。今度、管区長を引き受けた竹内昭彦神父も大変な苦労があろう。でも、彼のお母さんを知っている。育った信心深い家庭を知っている。お母さんの人生には数々の試練が与えられた。それでも、この笑顔だよ。どんな大波が押し寄せても、ビクともしない。「ツミの、ツグナイ、たい」。そう言って、笑い飛ばして乗り越えてきた。このお母さんに育てられた昭彦神父だ。くじけることは、なかろう。
★今朝のミサは、管区長がミサの司式を行なった。ミサの前に1言、いった。「自分は大学生の時から聖フランシスコ園には来ている。初田(以前の園長)神父さまにお世話になった。聖フランシスコの生き方は「福音を生きる」。イエスのように生きる。皆さんの園には良い名前が付いている。聖フランスシスコのように生きましょう」

2017年7月11日火曜日

ホームの修道会の皆さん、どうですか?視察がある

修道会の管区長、竹内昭彦神父さまが、午前中、突然にホームを訪問・視察をされた。ホームを利用している、司祭3人、修道士2人を訪ねて来られた。
★トマの自室に来られたのが先だった。次に瀧神父さまの部屋へ行くという。写真を撮るのを忘れたので、デジカメをもって、瀧神父さまの部屋へ直行した。写したのが、このスナップです。写真が撮れて満足した。
★修道士は、修道院で、仲間の皆さんと祈ったり、食事をしたり、休憩したり、とにかく共同生活をするのが使命でもあり、幸福でもある。若い間は、自分で自由が効くから、それで、いい。歳を重ねて、自分も仲間も、それ自体が介護を必要とすると、問題は深刻になる。家族でも起こるような老・老・介護になってしまう。同じことです。
★可能ならば、老いた修道者は、施設があって、その場で、修道者と共に暮らして、介護され、老いていくのが最も望むところです。一番の良い生活形態です。最後まで修道者の場所で老いたい、それが願いです。竹内管区長さまに言いました。
★一般のホームに入って3年目になるが、色々と気持ちのも、精神にも起伏がありました。修道会が、どのような道を示すのか。いまはホームで受け入れる気持ちで生きております。ゼイタクは言えないが、ここにも幸せはあります。心次第で、気持ち次第で、幸福、幸せは、足元にあるはずです。
★管区長さま、各地に修道院がありますから、問題もあり、お仕事は大変ですね。しっかり頑張ってください。
★先日、来たKoKo洽子さんが言った。「トマさんのことば」を持って歩いているが、一番好きなのは「トマさんの後姿」ですね。背中に、みんな表している。病気の苦しみも、困難も、修道生活の浮き沈みも、あのトマさんの背中が語っている。あれは、いい写真ですね。こころ引かれる1枚です。

2017年7月10日月曜日

洽子さんとの会話。走るだけ、走ろう。喜びはくる

昨日、ミサで祈った後で、KoKo洽子さんが、読まれた「答唱詩篇」の感想をもらした。「あなたに従う人は感謝して歌う」。この言葉が、心にひびきました、と言った。
★洽子さんと語り合った。「入居一年目は落ち込みましたよ」「それは、そうでしょう」。理解してくれた。「皆、家庭がある中で、独り修道士。自分の人生、本当にこれで良かったのか?」。疑い、迷いの考えがもたげてくる。人生、一回切りだ。思うように生きたい」。洽子さんは言う。「神さまが、そなえてくださった。有明海の朝陽を見て、ブログの写真に載せているでしょう。流れに添って生きている。神さまを拝む、祈って、賛美する。それで終わる」。トマは言った。「言える事は、よく生きたなァ。89歳、そう思います」「それは神さまからの、み旨」。洽子さんは更に言った。「テモテ二、に、あるでしょう。『わたしは戦いを立派に戦い抜き、決められた道を走りとおし、信仰を守り抜きました』(4.6)。こんなにトマに語ってくれる人は居なかった。
★お手伝いのメキシコ人女性、エスぺランサさん。トマに出会って大喜びだった。再び会えるとは思いもしなかった。彼女のおみやげは何かな?包みから出てきたものは、一枚の木彫りの額だった。
★聖ヨセフ、聖母マリア、幼いイエスの聖家族だった。家族が一番大切だよね。エスぺランサには、3人の男の子がいる。どこの家庭でも色々とご苦労が多いだろう。
★今度の2人の休暇は、10日ほどだという。エスぺランサさんは忙しい。聖母の騎士のルルドの掃除、トイレの清掃、祈り、計画している仕事が山ほどあるからね。十分に日本の生活、経験を楽しんで、また現地で語り部をつづけて欲しい、それが願いです。

2017年7月9日日曜日

楽しい再会。思い出の女性たち。ウナギの蒲焼で満足

今日は、KoKo洽子さんと、メキシコ女性にエスぺランサさんが、面会に来るというので、心して、修道服を着て教会の玄関で待っていた。9時からミサが始まる。待っても会えない。どこ?と思っていると、教会の中で既に祈っていた。教会で再会を喜んだ。エスぺランサさんはカトリック。洽子さんはキリスト信者。聖体拝領では、司祭の祝福を戴いた。
★狭いけれど、自室に案内して、再び再会を喜び合った。エスぺランサさんが来るとは全く思わなかった。最初に聖コルベ館で会ったのが、2013年7月、次の年の2014年4月にエスぺランサさんを連れて来た。洽子さんは毎年、夏休みに諫早へ帰国している。諫早には、92歳になられるお母さんが独り住まいをしておられる。それで毎年、帰国し、帰られると必ず面会に来られる。これまで何度、お会いしたことだろう。エスぺランサさんは、この間、来たとき、日本の信仰の体験をして、アメリカへ帰って、日本の語り部になって努めているという。聖母の騎士、ルルドのマリアさま、トマさん、外海、カンコロ、初めて見た海の印象、日本26聖人の1人メキシコ人の聖へスス、など語る材料は沢山ある。
★洽子さんは、アメリカで「沈黙」の映画が上映されたとき、英語版「沈黙」の本を500冊購入して配布したと言った。「沈黙」はアメリカでも大きな反響をよんだらしい。
★再会の喜びの後は、タクシーで諫早へ出た。トマも同行した。目指すは、福田屋のウナギ料理です。エスぺランサさんも、ウナギ大好きです。実は、洽子さんの実家は、福田屋の正門のアーケードの前のマンションにあるのです。すぐ近くですよ。福田屋のウナギの蒲焼で満足しました。
★今日は、本当に楽しい日となった。KoKo洽子さんとは何を語ったか。それは長くなるので、明日に書きましょう。

2017年7月8日土曜日

平安のうちに暮らしております。まだ梅雨は明けない

先日、お伺いした林の中のお店。納富美紀さんの「ひつじのじかん」の陳列棚です。次の日に、美紀さんから、「天然はちみつ」(五家原岳のふもと、いさはや産)が、2本贈られてきた。ありがとう。おいしく、いただきます。
★梅雨の最中ですが、平安のうちに暮らしております。
★一日三食、決まった時間に食べて、間食は控えて、腹の出っパリを減らそうと努めています。
★九州の北部に梅雨前線が盛んになり、ドカ雨が降りました。テレビで各地で、悲惨な被害が出ています。老人の一人がつぶやいた。「神さまは、ほんとに、居らすとじゃろうか?」問いは聞こえたが、返答はしなかった。自然の驚異は恐ろしい。あふれる濁流は家も車も飲み込んでしまう。被害者の顔を見ると、悲しい。
★長崎の白浜さんから電話があった。「いま、アメリカ・テキサスのKoKo洽子さんが帰国している。エスぺランサさんも同行している。日曜日に面会に来ます」。嬉しい知らせです。洽子さんに、エスぺランサさんに会いたい。「日曜日には、9時からミサがある。間に合うように来て下さい」。面会の楽しみが増えた。
★ブログ「小崎登明の日記」は、2009年4月24日から書き始めた。聖コルベ・ゼノ修道士の「長崎上陸記念日」だった。どの年代の、どの月日が欠けているか調べてみようと、その気になった。
★娘さんと2人で、個人でポーランド旅行をした東京の「元日のエリザベット」さんから、旅行の写真が数枚届いた。右の写真は、クラクフのコンラードさんの自宅です。「本や写真や絵がイッパイ。小崎さんのお母さんの写真もありました」
どうやらコンラードさんも、ずい分と歳をとられた様子です。左は奥さんでしょう。思い出も沢山あります。親切なコンラードさん。独学で日本語をマスターしました。
★今週は、夏休みの前か、3人の地元・女子中学生と、2人の女子短大生の研修が行なわれました。若い女子学生たちに、お世話を受けました。出来れば、夢は福祉を目指して頑張ってください。

2017年7月7日金曜日

タナバタ。願いは、幾つになっても、長生きだよ

7月7日。タナバタの日です。ホームの玄関にも、笹竹が飾られた。97歳の老人が、事務室の女性に、一筆書いたから、付けてください、と頼んでいる。何んと書いてあるか、こっそり見ると、「長生き、できます、ように」。まだ生きたいんだよ。生きることはホンネのところで喜びだ。
★「トマさん」と呼びかけられた。「トマさん、ホームを出なさい。まだ、まだ働ける。聖コルベ館に居て、巡礼に来る人に語り部を勤めてください。それがトマさん、らしい」。トマに対しては、いつまでも、そのイメージで見ている。ありがたいが、身体的にも諸事情があり、もう老いも近々90だよ。歳を取ろうが、いつまでも聖コルベ館に勤めて、語り部で自爆するまで徹して働き勤める、それは美談でしょう。でも、やはり、そうは行かない。平凡なトマです。ごめんなさい。
★タナバタに付けられた札を見ていると、「若い男性に出会いますように」とあった。出会いの喜びと、色気を失わないのは、生きるチカラがあるメデタイ証拠だよ。
★夕食には、おはぎ(ボタモチ)が出るそうです。楽しみだな。

2017年7月6日木曜日

12歳の聖女の心は、私の心を貫く。清さを与え給え

聖女マリア・ゴレッティの記念日です。「ああ、今年も、この日が来たか」と、毎年、ある1人の女性を思い出すのです。1970年代、長崎オラショの旅を主催して、全国から巡礼者を集めて、長崎・外海・平戸・島原など祈りの旅を行ないました。30組には、なるでしょう。そのとき、ガイドに頼んでいたのが、マリア・ゴレッティの洗礼名を持つ女性でした。名ガイドさんで、彼女の説明に満足していたものです。
★マリア・ゴレッティは、イタリアの貧しい農家に生まれました。1890年です。たとえ生活は貧しくとも、清く生きることを神に誓っていました。彼女を狙う暴漢がおりました。彼女を犯そうとしましたが、極力抵抗して、暴漢の刃に命を落としました。1902年のことでした。生まれてから、命を捧げるまで、引き算をすると、12歳ですよ。彼女は貞潔を守り通しました。暴漢が成す事は絶対に許されていけない出来事です。「欲望の鬼」。悲しいことです。この世の中には暴漢の心を持った人が沢山いるのです。
★今朝の祈り。神よ、私たちの心に光を注いで下さい。『み旨を理解し』(これが、ポイント)いつも希望にあふれて、あなたの道を歩むことができますように。(教会の祈り、125ページ、結びの祈願)
★み旨を理解し、これがポイントです。何を神は望まれるか。罪を犯すな。隣人を愛す。からだの苦しみは、取り去るものなら、手当てをする。残るものには、受け入れて、主イエスと共に耐える。希望を持って生きる。悲しい顔はしない。これぞキリスト信者の生きる道。「聖女マリア・ゴレッティよ、我にも清らかな心を与え給え」

2017年7月5日水曜日

うまく行けば恵み。困難は神への疑い。試される信仰

山道で見つけた昭和の電灯です。珍しいのでデジカメを向けた。
★何年か前に、こんな経験があった。聖コルベ館に居たとき、立正佼成会から話を頼まれ、中古車の軽で出かけた。高速道路に3つの長いトンネルがある。3つ目の所で、急に車に異変が起こった。「ガクン、ガクン」と揺れたかと思うと、軽が馬力を失った。ちょうと、出口の近くであった。何とか、車を滑らせて、やっとトンネルを出た。幸い、路肩があった。軽をそこへ停めた。まだ携帯を持っていない頃だった。
★高速道路を通過する車を停めようと、手で合図するが誰も止めてくれない。やっと1台が停まった。「携帯、貸してもらえませんか?」「どうしたの?故障?電話なら、そこに有るよ」。車の人が指した、すぐ傍に、「緊急電話」があった。電話をかけると、30分ほどで故障処理車が到着した。修理工場は近所にあった。代車を借りて、走行をつづけた。
★そのとき思った。もし故障がトンネルの中央あたりだったら、どうなるか。片側一車線の道路だった。恐らく大混乱になっただろう。考えただけでも寒気がする。トンネルを出た所でよかった。しかも緊急電話が直ぐ傍にあった。だから助けられた。
★立正佼成会に行って、この経過を話すと、『妙』の世界がある、と言われた。お恵み、導きとは、いわない。『御守護』です。言葉は違うけど、確かに『妙』のふしぎな導きがある。そう感じた次第で、なぜか、この件は忘れることが出来ない。
★生活の中で、本当に、順調に事が運んでいくと、確かに神の導きが有ったと素直に感じて感謝する。そういう『妙』な出来事は、大なり小なり、生活の中で起こっている。それも信仰かも知れない。問題は、人生は平坦ではないことです。
★意に反する、逆らうことが、しばしば起こる。病気、がん、倒産、家庭の不和、裏切り、だまされる、借金など、様々な苦難が現実に起こる。そのとき、いかに、それらを乗り越えるか。そこが各人に信仰と共に問われるところです。
★神と、自分の現実を、どう考え、越えていくか、毎日、誰にでも問わされいる難題です。

2017年7月4日火曜日

原爆は怖い。小学生たちの作文。傾聴ボランチア

赤い字で「氷」の旗が揺れていた。子どもの頃を思い出して、「食べたい」。300円でした。作る動作が全く違う。子どもの頃は、機械で、ハンドルを回して、「サク、サク」と削り重ねて、山の形にして、蜜をかけていた。現在のは、何やら黒い箱のなかで、「モグ、モグ」と操作しながら出たのが、これです。「え?これ?」。イメージが違うな。先日、嬉野温泉へ行った帰りの休息場所でした。
★最近、変わったこと、あったか? ありました。
★①先日、小学校で、原爆の語り部を勤めた児童さんや教師から、お礼の文集が送られてきた。これを1枚1枚読むと、戦争は怖いと、わかるんですね。話甲斐はありました。2年生の作文に、こんなのが目についた。「また、げんしばくだんが、おちるかも、しれないと思いました。げんしばくだんが、おちても、なく(亡く)ならなくて、よかったですね。わたしは平和をまもるとめに、友だちと、なかよく、するようにします」。子どもたちの心に何かが残ると期待しています。
★②傾聴ボランチアの女性がきた。1時間、しゃべりました。女性は聴くだけです。時折、言葉を繰り返す。話をしているうちに、自分のアタマの中が、何やら整理されて行くのを感じた。もう女性が来るようになって、5回目です。島原半島の町から、バスに乗って、諫早でバスに乗り継いで、わざわざ来てくれるのです。奉仕です。全く感心します。月に1度ですが、最近は待つようになりました。
★③元日のエリザベットさんから携帯に電話があった。娘さんと2人で、個人で、ポーランド旅行へ行ってきた。クラクフでは、コンラードさんのお世話になった。アウシュヴィッツでは、日本人の案内人、中谷さんの詳しい説明を受けた。小崎さんのことも知っていた。「トマさんのことば」を中谷さんに差し上げたので、代わりに本を送ってください。ニエポカラヌフ修道院も巡礼した。いい旅ができましたね。写真を数枚送ってください。

2017年7月3日月曜日

ステント入れ換えの苦難。これなくして生きられない

病院はイヤだね。右の腎臓を結核で摘出して、70年近く、左の腎臓だけで生きてきた。その左の腎臓も結核に侵されて、死に目にあった。助けてくれたのは看護師のシスターだった。「せっかくなら最後まで診てくれよ」と言いたいよ。
★残る左の腎臓から、ボウコウまで1本のクダ・ステントが入っている。そのお陰で尿が出て、生きているわけです。祈りも出来るし、食事も、入浴も、笑いも出来るし、パソコン日記も書ける。ただ残念なのは、6ヶ月毎にステントを入れ換えなくては、ならない。苦悩があるわけです。シスターに言いたい。「最後まで、腎臓、診てくれよ」
★今日、予約の病院へ行った。高原修道士さんが運転して、付き添った。ステント入れ換えのため、日にちを決めた。その日にちは、ここには書きたくない。弱気になるな。「ああ、シンドイよ」。出るは、ため息ばかりです。後、半年は頑張りたい。すると90になる。区切りがいいじゃありませんか。そこまで生きれば、もう幕を引いてもいいでしょう。
★生きているのを感謝しよう。多くの友人たちは早々と天に召された。生きているのは、どんな状態であれ、幸いです。喜びです。わが身に、そのように説教しております。

2017年7月2日日曜日

森の中のお店。癒しの里。美紀さんのお店を訪問

人生には、夢がある。「こう、したい」「ああ、したい」。夢を実現するのは、困難もあるが、叶えば更に希望と夢は広がる。以前、聖コルベ館に勤めていた納富美紀さんが、山の中に木造、古風なお店を開いている。
★美紀さんは聖コルベ館に居たとき、来館者たちが彼女の応対に心を開いて、悩み事や、困難を打ち明けていた。美紀さんも、それに応じて相談に乗って、慰めを与えていた。美紀さんを慕って、訪れる人がいたのです。「その延長なんです、この店は」と美紀さんは言った。1度は訪ねたい所だったが、今日、お店を訪ねることが出来た。
★長崎の白浜さんがホームに来たので、頼み込んで、美紀さんのお店に車で連れて行ってもらった。国道から、少し山道に入ると、木々の茂る林か、森か、とにかく山があった。9軒のお店が固まって点在している。森の中にある木造りの建物ばかりだから、静かで、気持ちが落ち着いた。車が次々に入ってくる。
★美紀さんのお店は「ひつじのじかん」という。軒下に、フィンランドの旗が下がっていた。美紀さんのお店に入ると、美紀さんは、びっくり。非常に喜んで迎えてくれた。特性の紅茶を飲ませてくれる。店内には、ロザリオ、マリア像、手製のバッグ、サイフなど、多様な品が置かれている。中でも目を引くのがフインランドの食器類がだった。日曜日は、カップルや家族連れが多いが、平日は、美紀さんの話を聞く人が時間をかけて長居するという。美紀さんの顔はイキイキとしていた。彼女には、人の心を包みこむ優しさ、人を慰め、癒すオーラがある。ここは平安の里でもある。

2017年7月1日土曜日

7月。いきなり誕生会。踊れ、踊らにゃソン。愉快

早いもんですな。今年も、もう半分が終わりました。今日から、7月です。「あと半分、何とか頑張りたい。すると90歳になる」。歳のことを考えると、今日は、7月に入ったばかりなのに、いきなり誕生会があった。食堂に全員が集まって、みんなでお祝いをする。祝辞も、乾杯も、ご馳走もあるよ。今月誕生をお祝いする1人、1人に、園長神父さまら職員さん2人で、お花、小さな灯、プレゼントが渡される。「ホピバスデイ」をみんなで拍手して歌いました。なぜか歳は教えない。だが1つ歳を重ねて、おめでたい事です。いつまでも達者でいてください。生きることは神のお恵みです。苦労はあるでしょう。喜びもある。
★会食が始まると、恒例の出し物が出現する。「今日の出し物は何ですか?」。先ずは炭鉱節を踊った。写真の右。次に、クチに何やら三角コップをつけて、手に羽をつけて、踊り始めた。「スズメの踊りだよ」「電線にとまったスズメ」などの声が聞こえた。突然、現われ、急に踊りだすので、こちらのアタマが付いてはいけない。ただ面白いのは確かです。みなさんは拍手したり、笑ったり、愉快なひと時になった。「モッテ、コーイ」の声もかかった。この後、のど自慢があって誕生会を終わりました。職員の皆さん、ご苦労さまでした。みんなは、この日を楽しみにしているのは確かです。