2016年7月31日日曜日

7月も今日で終わりです。夏も、たけなわ。暑いです

昨日の食堂の入口でした。赤色の「氷」という字が、グンと目に飛び込んできて、何だか、胸が、キューウンとしました。夏はやっぱり、氷、かき氷ですね。
★昨日は、土用の丑の日、夕食には、やっぱり「ウナギの蒲焼」は食べました。5キレ、あっと言う間に、なくなった。食べてしまってから、「タレ」を追加しますよ、といわれて、もう、なかった。
★今日は、日曜日。ミサがあって、朝食があって、入江さんと入浴しました。2人で湯につかっていると、もう1人男性が入浴にきた。3人がいっしょに湯から洗い場にあがると、今日は男性が背中を流してくれた。
★昼食後に、入江さんと2人で、大曾神父さまの自室を訪問した。ベッドに寝ておられる。8月10日が誕生日で、90歳になられる。次いで、西山神父さまの自室も訪問した。
★今日の朝日新聞の広告に、こんな記事をみつけて、「ああ、読みたいな」と、こころが奪われた。フランスの山の中で、900年続いている「沈黙」と「祈り」。「溢れる情報に生きる私たちよりも、かれら修道士の生き方が、自由で、豊かに見えるのは、なぜなのか」。広告は、そう呼びかけている。沈黙とは、黙ることではなく、こころで声を聞いている。
★もう、ずいぶん昔に、京都のシスターの厳しい観想修道女会を訪れて、シスターから話を聞いたことがある。その修道院の壁に、1枚の額が飾っていて、一幅の言葉が書いてあった。騎士誌に、その額の話を書いたことがあったが、探したが、記事を見つけることが出来ない。「ああ、ザンネン」

2016年7月30日土曜日

夏は、何と言っても、「そうめん流し」だよね。喜び一杯

入院せずに、ありついたのが、幸いにも今日の「そうめん流し」です。
★職員さんたちは日頃の仕事で精一杯なのに、何とか私たち入居者を喜ばせよう、生活にクッションを与える何かを差し上げようと、「そうめん流し」も、そういう心情で行なわれました。
★準備するのも大変です。食堂には、左上のようなデザインを飾り、雰囲気を盛り上げました。
★食堂のガラス戸の向こう屋外には、大きな竹を2つに割って、交互に、水を流して、本物の、そうめん流しをした。竹の両脇の席で、流れて来る、そうめんを味わいました。ニッポンの夏は、これだよ、ね。
★私たち入居者には、歩ける人、手押し車で歩ける人、車椅子の人と、いろいろの体力の差に分かれています。応対する職員さんもご苦労しますよ。歩ける人は、屋外の竹に流さした「そうめん」をいただきました。食堂でも、「そうめん」が食べられるようになっている。
★屋外で、そうめんを食べた人には、食堂の席で、「おにぎり、焼き鳥、枝豆」などの食事が準備されていた。昼食は、このように楽しみました。
★土用の丑の日でもある。夕食には、ウナギが出るそうです。
★私のからだは、どうなるでしょうか。「トマさん、入院せずに、よかったな」と、園長神父さまから声かけられた。「大曾神父さまも退院されて、(ほかの入居者も退院しており)入院する者は「ゼロ」になったのだよ」。ありがたいお言葉ですが、これから先、どうなるか、すべては神さまの「み旨」にお任せしています。

2016年7月29日金曜日

入院は先送りになりました。ホームに戻ってくる

これは、病院食?いいえ、ホームの昼食です。
★え?入院したのではないの?
★入院は先送りになりました。
★午前7時30分、高原修道士の運転で、明子さんも同行して、あの大きな入院のための荷物も積んで、長崎へ向かった。
★先ず、クリニックに寄って、入院先の病院へ行く予定にしていた。そのための準備もしている。
★クリニックへ着いた。お医者さんは真っ先に診てくださった。足や、腰を抑えて、診察を受ける。Dダイマーは、1.0以下だそうですが、私の場合、6.3で高目の数値を示している。それで心配してくださっている。点滴を打って、クスリの処方をいただいて、次週の火曜日に来るようにいわれた。
★昼食前に、ホームに帰ってきた。「よかったですね」「よかったね」と会う人ごとに言われた。そして食べたのが、この昼食です。メニューは、ごはん、焼き魚、海藻サラダ、つけもの、団子汁風、ゼリー、でした。一応、ホッとしております。

2016年7月28日木曜日

あした、入院します。しばらく日記はお休みします

2日前、長崎のクリニックへ診察に行きました、と書いた。そのとき、血液採取をしました。今朝、お医者さんから私の携帯に知らせがあった。「血液検査の結果、早急に入院してください」。ホームの高原さん、看護師さんと相談の上、お医者さんへ報告しました。「あした、入院します。よろしくお願いします」
★午後から、2人の女性職員さんが自室に来て、テキパキと入院の準備をしてくださった。1つに、まとめたのが、この写真です。大きな荷物になりました。
★夕食、食卓の皆さんに、「あした、入院します」と告げた。心配してくれる。隣の入江さんは、「まだ、12年は生きんば、ね」。100歳になる。食堂で、ロザリオの先唱をする女性に、「皆さんにお祈りを頼みますよ」と願った。
★あした、午前7時45分、高原修道士さんの運転・お世話で、出発します。
★しばらく、日記は休みます。お祈りをお願いします。

2016年7月27日水曜日

カードを作ってくれた。差し上げて、喜ばれている

カードを作ってくれる人がいた。タテ、15cm。ヨコ、10cm。ビニール引きで、言葉が記されている。10種類ぐらいの言葉があった。作ってくれた人は、大分県の恵理子さんだった。ありがたいことです。50枚ほど送ってくれた。面会に来た人に、記念として、「よかったら、もらってね」と、差し上げて、喜ばれている。
★「愛のあるところ苦しみなし。たとえ苦しみありとも、のち喜びとなるべし」「親切な対応、快い思い出を残す。出会いは恵み」「コルベ神父、身代わりの愛、お礼を求めない、こころ」「すべては神が良いように導いてくださる。だから今が有る」
★絵も、ヒマワリのほか、ボタン、ブドウ、バラ、スイセン、かに、コルベ神父の椅子などがある。
★もう、60年ぐらい前の話だが、ポーランド人の神父は、結核を病む私に言った。「私たちは苦しみの価値を知るように祈らなければならない。罪を償うためには苦しみによって補わなければなりません。聖母マリアに次のような恵みを祈りなさい。『すべて御身の思し召しです。長く生きて、多くの苦しみを忍んで、十字架のキリストのように死ぬ。今の生活では、ダメです。もっと大きな苦しみを忍んで死ぬ。この恵みです。私たちは周りの人に、イエスのことを聞かせて、小羊のような平和の心を与えたい』(私の日記に書いていた)
★今は、こういうことを直球で教え、語る人に出会わない。

2016年7月26日火曜日

こんな、すばらしい夏なのに、足が前に進みません

午後から、ホームを下った国道沿いのスーパー2軒に、「ショッピング」へ出かてた。そう、大した買い物はなかったが、簡単なマル・イスを1つ買った。お客さんが来たときに使うつもりです。
★午前中は、朝食抜きで、車で、長崎のクリニックへ定期の診察へ行った。だから今日は疲れました。お医者さんに、最近の調子を報告しました。
★夏、本番です。少年の頃、高校生の頃、働き盛りの夏、ハワイへ行ったこと、など思い出します。ジンセイは、ながーいと、いつも書いていますが、そんな感じです。計画を立てて、飛び回っていた頃が、夢のようです。もう、再度、来ないのですね。
★日々の生活のなかで、長く歩けません。お医者さんは、足のふくらはぎを、こすっては、いけないと言われました。こすると、気持ちが、いいのです。
★疲れたのか、ゲンキが出ません。ふら、ふら歩き、時折、倒れそうになります。

2016年7月25日月曜日

生かしてもらって、有り難う。でも苦労が多いです

湯江教会の祭壇の生け花です。
★ホームでも、月に1度、「生け花」教室が有ります。いろんな行事には心して参加するのですが、生け花には才能がありません。失礼しております。
★「コールス」といって、手を、「グー」「パー」にしながら、胸に当てたり、伸ばしたり、またタオルを使い、「海は広いな・・・」を歌いつつ、手の運動、からだの運動をします。最後のシメは「幸せなら、手をたたこう。肩たたこう、足ならそう、手をつなごう」です。小学生の心に帰って、健康のために参加しています。
★食事に行くとき、いつも出会う高齢者の女性から、「栄養剤、飲んでいるの?」と聞かれた。「いいや、飲んでいません」と、アタマを横にふる。そると「飲みなさい」と勧められた。「え?そんな、もんかな」。2種類の栄養剤を飲んで、もう、2,30年飲んで、健康を保っている、という。私の歳より、10年近く生きておられる。「エライ・・・」。でも、栄養剤の名前は聞かなかった。
★夏、本番になって、とにかく暑い。夏バテなのか、からだの調子が良くない。生かして、もらって、ありがたい。でも苦労も多いのです。毎朝、教会で、ミサで祈ります。中央に大きな主の十字架がある。いつも、それを眺めながら、その横に、自分の十字架があるのを感じる。自分の十字架が、あの主の十字架に近づけば、な・・・。朝は、そう思います。夕方になれば、年寄りの生き方は、そう楽じゃない、と苦労の重さに、つぶされます。

2016年7月24日日曜日

むかしの信仰の苦労実話は忘れたくありませんね

ホームに、シスターが、訪ねて来た。親戚の入居者の訪問のためだった。シスターの姿を見たので、私もお会いできた。出会いは、2度目だった。
★前に来たとき、シスターは、五島の久賀島・出身だと言った。久賀島には、著名な殉教地がある。「牢屋のさこ」という。明治初年の最期の迫害だった。しかも、その責め苦は言語に絶するほどだった。
★シスターは言う。久賀島の殉教地に、信仰の思い出として、小さな資料館を作りたいのです。そのために、久賀島に関係のある資料を集めている。
★「ああ、そうですか」。久賀島出身で、故人となった修道士・フランシスコ中村安五郎さんが居る。このホームで、私が入所してから、中村修道士は、亡くなった。そのフランシスコ中村修道士さんの形見のロザリオ(黒い玉で、大きな形をしていた)を私が持っていた。この間、来られたとき、差し上げていた。いまでも、その意思で、資料を集めているという。
★ゲンキなうちに、歩けるうちに、思いを果たしてくださいね、と願った。むかしの苦労話は忘れられていく。
★ホームに、シスターが訪ねて来るのは珍しい。久賀島には何回も巡礼者を案内して、教会や「牢屋のさこ」、五輪教会を巡礼した。なつかしい。信仰を守るために、子どもも老人も、イノチをかけて祈り、耐え、信じ、希望していた。それらは遠い昔の出来事で終わっていいのだろうか。
★シスターとの会話のなかで、コルベ神父も久賀島の教会に、修道士の募集に来た事実を語り合った。一人の志願者を見つけている。コルベ神父は、あの島をどう感じたであろうか。

2016年7月23日土曜日

ゲンキで居ることが何より。心配してくれる人もいる

湯江教会の天井の窓です。ここから床に光が投影されます。床には明るく黄色や赤のぼんやり、まるい円ができます。
★梅雨もあけて、夏がきました。薄かけフトンや、シーツ、敷きフトンを洗濯に出して、下のフトンを天日に干しました。
★五島の枝美さんから、「どうして、いるの?ゲンキ、しているの?」と心配して、電話がかかってきた。「トマは、どのように、しているのだろう」。そう思う人が、どこかに居るのは嬉しいことです。とにかく課題があっての、ホームに入居した者だからね。まだ、まだ、打ち明けは、できませぬ。
★東京の「元日のエリザベット」さんは、高齢者の店で買ったという、靴下を送ってくださった。靴下は沢山いただくが、本当に履けるのは、カカトから10cmぐらいの短い靴下しかダメなんです。これで、靴下は安心しました。
★ここまで書いたら、女子職員さんが、「ヨウカン、食べない?」と、爪楊枝に刺した小城羊羹を持って入ってきた。「ウン、食べるよ」
★共同のロザリオへ祈りに行って、終わって、祭壇近くの床を見ると、天井の丸いステンド・グラスからのヒカリが投影していました。自室に戻り、デジカメを取って、写しました。左は、読書台です。こうして見れば、いいもんですね。やはりヒカリは、神秘な輝きを与えてくれる。小さなカンドウ。こころの、うちで、「フ、フ、フ・・・だよ」

2016年7月22日金曜日

何度も来て、戯れた川。この歳になると、渡れない

ホームの生活は、自室に、こもり勝ちです。たまには屋外に出て、「ヤッ、ホウー」とでも、叫びたいです。出来れば、山林や、川の流れから、生気をもらいたい、そんな願いもあります。
★ホームでは、野外活動といって、車で回る行事もある。この度は、10人乗りの車で、ホームから更に、山に向かって約20分。川沿いに奥へ、奥へと進むと、山中に、「轟(とどろき)の瀧」と呼ばれる、高さ、10数mほどの瀧が、道ヨコに落ちている。ここで車を止めて、清水をポトルに入れました。親しまれている水です。
★更に奥に進むと、急流が流れており、(写真には撮れないが)左側には水たまりの広場があり、大人も子どもも清流に戯れていました。去年も、この場所に来たところです。30年ほど前の「椿原」時代には、小・中学生と、よく、ここに遊びに来ました。思い出の場所です。でも、もう、足も衰えて、あの(写真の)2本の板を渡れません。
★今年は、車から降りて、石の敷石を歩いたとき、足がよろめき、からだの均整がとれず、体力の低下、あやふささを感じました。

2016年7月21日木曜日

「はな」ちゃん、ゲンキに育っている。見守っていこう

「トマさん、また、来たよ」。自室の前で、声をかけてくれた。ホームの職員さんで、いま産休で育児に専念している。子育ての、真っ最中です。「トマさんのブログ、見ているよ」と言ってくれる。時々、ホームの生活も載せているので、読めば、ホームの状況も、なんとか分かるのでしょう。ためになって、いるよな、と思う。
★「はな、ちゃん、だね」。かわいい女の子。私も自然に、腰をあげて、廊下に出て行った。「そうだ。写真を、撮ろうか、な」。前にも、ブログに載せたことがある。「はな、ちゃん」も、じょじょに育っている。出会いも楽しみです。
★「もう、歩けるの?」「いや、まだ。4ヶ月になります。人見知りなんですよ」「きょうは、何しに・・・?」「刃物の研ぎを、頼みに来ました」。ホームには、研ぎしの専門の人もいる。いつもお世話になっているのだろう。
★お名前は、「はな」。お花のように、美しく、優しく・・・。本当に、やさしい名前です。そっと、アクシュをしてみた。やわらかいお手だった。
★「はな」ちゃんが、育っていく記録も、ブログで見つめたい、そんな気持ちにもなった。ホームで、100歳近い女性が、まだ、まだお元気で、教会のミサに来たり、毎食、食堂に来る姿を・・・・「はな」ちゃんに、つなぐと、やっぱり、ジンセイって、ながーいね、思いますよ。「はな」ちゃん、リッパに、育ってね。

2016年7月20日水曜日

自室での話も、ナヨさんのマリアのメダイのことだった

昨日の話のつづきです。玄関で迎えた、肥喜里さんと、貴子さんを、「自室を見てください」と連れてきた。「狭い部屋で、すまんね」。ガラス戸を開けた風景に感激して、「あら、海も見えるよ。山も・・・」と喜んでくれた。
★話題は、やっぱり、ナヨさんのことです。諫早大水害。あれは酷かった。死者・行方不明者が、586人。有明海は、どろ海になった。海上で救助されたちき、ナヨさんに有ったものは、「マリアのメダイ」だけであった。メダイの有り難さを感じないことがあろうか。
★「マリアさまのメダイで、助かった。神さまから生かされた、いのちです」。助かったときは、31歳。ナヨさんの人生は、静かに、メダイを広めて配る信心者になった。助けられた1個のメダイは、最も大切に、自作の布に包み、紐をつけて首にさげていた。布は、よれよれになり、何度となく取り替えたが、メダイは輝いていた。
★ナヨさんも、貴子さんが言う「9の日」の祈りに参加していた。私も同席して祈ったことがある。10数人の家が集った。ロザリオを祈り、各人が、2,3人の自分の家の故人の霊名をあげて「我らの為に祈り給え」と応じるのが習慣だった。そういう祈りのなかに、浦上の土着した根深い信心を感じた。
★ナヨさんは晩年、体調を崩し、2011年11月、86歳で生涯をとじた。ふしぎのメダイといえば、ナヨさんを忘れない。「あの大切なメダイは、お棺に入れました。遺品を整理すると、沢山のメダイが残りました」と肥喜里さん。
★恵まれた日だったな、と胸が熱くなりつつ、2人を見送った。

2016年7月19日火曜日

思わぬ出会い。スイカのおみやげ。秘めた実話もあった

長崎から電話があった。珍しい名前の「肥喜里(ひきり)」さんからである。玄関で待っていると、個人タクシーが止まった。彼の職業はタクシーのドライバーです。近所の女性、貴子さんが同行していた。
★肥喜里さんは、パソコンで「小崎」を検索していたら、「小崎サンが出た。日記を読んで、懐かしくなって、訪ねて来ました」
★貴子さんは、浦上・本原で「9の日の祈りの集い」に、時々祈りを共にした女性だった。「9の日」というのは、原爆が落ちた日のことで、毎月、9の日には、肥喜里さんの数軒隣のお宅に近所の家族が集って、先祖や原爆死した故人のために祈る習慣があった。私も何度か参加していた。
★久しぶりの出会いに喜んだ。2人は「スイカ」のおみやげを持ってきた。ありがたいことです。私が「ゲンキそうなので、安心した」と言った。9の日の祈りは、今年の5月まで毎月つづいたが、老齢化して、いまはお休みしていると、祈りがない、寂しい思いをした。
★肥喜里さんは、浦上・本原に家がある。従姉のナヨさんと同居していた。ナヨさんには秘めた実話がある。1957年7月25日、諫早大水害のとき、諫早の従兄夫妻のお宅にお手伝いにきていた。巨大台風が襲い、私の記憶では、タタミ1枚に、ドラム缶7本分の雨が降った。家は流され、夫妻は行方不明となる。ナヨさんは、有明海を30kmの流されて、幸いに漁船に助けられた。裸だったが、胸に、マリアの「不思議のメダイ」がかけられていた。マリアさまの「メダイ」に救われたのだった。記事を書いたことで、ナヨさんや、肥喜里政幸さんと、ご縁ができた。

2016年7月18日月曜日

同じ仲間のみんなと会食すれば、ゲンキが出てくる

長崎の修道者たちと、夜の会食を共にした。私も参加できるように、ホームに近い諫早での集いだった。声をかけてくれて、ありがたいです。「トマさんのこと、忘れていないよ」
★店の壁に、赤い靴の形をした絵がある。よく見ると、上は、青色で、中間は白です。イタリアの国旗の色で、地図を表わしていた。ここはイタリア料理の専門の店だった。
★いつも書くことですが、ホームで独りで生活している。寂しいです。でも、こうした会員の集いに入り、共に語らい、飲食するのは、「つながり」を感じて、とても嬉しいし、ゲンキが出るのです。楽しいひと時でした。「トマさん、聖コルベ館で働かんね」
★騎士社で働く修道士からは、「トマさんの文庫本、売れています」と言われて、これも喜びです。また「記事を騎士誌に書くように」勧められる。その気になりますよ。
★うどん屋出身の今井君も、修練を頑張っている。高校は、奨学金を受けた。108万円だったそうです。卒業して、熱心に、うどん屋で稼いで、1年目で、払い終わったという。洗礼を受けて、3年間は入会できない。働きながら、祈りつづけて、時を待った。そして聖コルベ館での出会いとなる。彼の未来に期待する。いま、イタリア語を勉強しているそうだ。夢は、彼のなかに広がる。

2016年7月17日日曜日

老人は食べることが楽しみ、ゲンキのモトでもある

老人にとって食べることは、健康のモトです。楽しみでもある。3食、管理された食事をいただくのですから、ありがたいと感謝して、完食するように心がけています。「食べれば、ゲンキに、なりますよ」
★昼食は、ご飯に、サカナのかば焼き風、ほうれん草のおしたし、胡瓜のマリネ、かき玉汁、メロン、でした。
★食事のメニューを作っているのが栄養士の康子さんです。このホームに、35年勤めて、作ってきた。経験も、ホームの歴史も見てきているわけです。
★いつも感心に思うことは、3食、食堂にきて、話しかけたり、食べ具合を眺めたり、「何を、食べたい?」と聞いたり、食べる私たちと会話をしていることです。食材も特に気をくばり、業者との色々な交渉も、願いも、あるでしょう。35年、どれだけの入居者が食事でお世話になったことか。
★また炊事場には、ウチにこもって、姿は見せないでも、熱心に働いている調理場の職員さんたちが何人も居り、その功績もあります。みな、心を込めて作った、手作り料理です。食べている入居者たちは、みな長生きですよ。
★ホームに研修に来たのが、短大の栄養士コースの2人の女子学生さんでした。経験に満ちた康子先生の指導をうけて、毎日、楽しく通ってきて、老人たちと接していた。5日間という短い期間だったが、実際に現場で学んで、「将来、栄養士の道が歩めるよう努力したい」と、2人からは、康子さんに、お礼の手紙が届いた。懇談会のとき、「2人の短大生がお礼を言っておりました」と栄養士さんは報告した。
★聖フランシスコは、「出されたものは、感謝して、何でも食べなさい」と教えた。私は、栄養士さんに、「クジラ料理は、どうも・・・」と、つぶやいたことがあった。共同生活だから、わがままは言えない。皆さんは、クジラ料理は、おいしい、と言われているのにね。

2016年7月16日土曜日

ホームで、ジーっと、して、おりなさい。なつかしいなァ

今年の5月、長崎の聖コルベ館へ行ったときの写真です。
★玄関を入った場所で、入江さんと、仲良く、コルベ神父の額の前で写しました。聖コルベ館の玄関は、なつかしいです。ここで、24年間、沢山の巡礼者・訪問者を迎えました。「ああ、あんな時期もあったんだ、な」と思います。出会いが沢山あった。「いまでも、聖コルベ館へ戻りたいよ」
★10年ほど前に、こんな思い出がある。私は長椅子に座っていた。修学旅行の女子中学生が近づいてきて、立ったまま、私を見下ろして聞いた。「なぜ、コルベさんに、それが出来たのですか」。私は答えた。「優しい人だったんだ、ね。優しさだけでなく、強さもあった。仕返しされる、傷つけられる、誰だって、怒って当然。憎んで、当然だよ。しかしコルベ神父は優しい。人の痛みを分かってあげる人だったんだね。私たちなら、相手が悪いと、押し付けがましく思うよ・・・」と、私が言い続けると、彼女の目から涙がこぼれた。私は、ハッとなった。なぜ、泣くのか。彼女は、こぼれる涙を手でおさえていた。(これは、私の人生のエピソードの1つです)
★人間とは、そういうものなんだ。家族に悩みがあるのかも知れない。あとで私は考えた。「なぜコルベに、それが出来たんですか」。その問いに、「それは信仰だった。マリアへの愛だった。神への信仰だった」と答えたとすると、彼女は涙を流しただろうか。女子中学生の心にひびいただろうか。人間には、そういう答え方もあるのだと、私は知った。いま、ホームで、その辺の、底辺の、女子中学生の心情を味わっているような気がする。
★あの女子中学生は、どうしているだろうか。

2016年7月15日金曜日

懇談会では、来月の行事の予定の説明があります

昼食が終わると、自室へ戻り、しばらくベッドに横になる。何となく、屋外からトラックの騒音が耳に入ってきた。「なんだろう?」「なにを、している?」。ガラス戸をあけて、のぞくと、この風景でした。
★ホームの改築工事が進んでいる。改築する部屋の部品でしょうか。マリア像が見守っている。改築工事には、相当の資金もかかるでしょう。大変なご苦労があると思います。
★きのうは、午後から懇談会があった。来月、8月の行事予定の発表です。高原修道士が説明した。誕生会や、ショッピング、野外ドライブ、絵てがみ、書道、生け花、訪問美容室、カラオケなど、いろいろと行事が盛られています。なかでも楽しみは誕生会ですが、8月は、2人いる。そのなかの1人が、入江さんの誕生日、8月1日です。
★8月は、コルベ神父の殉教の祭日、聖母の被昇天祭、お盆もある。15日には、この1年、亡くなった入居者、信徒の追悼ミサもあります。サンパウロからの出張販売の日曜日もあった。
★栄養士さんから、熱中症や脱水症状、食中毒などの注意もあった。水分の補給はよく言われています。団体生活だから、食中毒は特に気になるところです。また、月の最期の土曜日には、「ソーメン流し」も予定している。この日は、土用の丑の日になっているので、「ウナギも食べたいですね」との計らいもあったのは、うれしい。
★看護師さんからは、車椅子の入居者の胸部レントゲン検査の説明があった。レントゲン車が来るのです。
★こうして考えると、ホームの生活も独りではなく、皆さんの助けと、優しさと、技術と、様ざまな要素が必要であるのを本当に身にしみて感じます。お世話になっています。きょうの地方新聞に、「私たちの最期は・・・」の題で、幾つものガンを病んでいる女性が、孤独死を決めた悲しい話しが載っていたが、ホームの生活は恵まれていると思う。いまから教会へロザリオを祈りに行きます。

2016年7月14日木曜日

ボク、永井先生の番組に出たのかな?16年前だよ

「長崎の鐘」の原爆・医師、パウロ永井隆博士。原爆・終戦の翌年、聖母の騎士の神学校(中学)で、永井先生から、「理科」を教えられた。忘れられぬ先生です。
★横浜の情報文化センターから、白い、大きな封筒の「お願い文」が届いた。2000年8月7日に、NHK長崎で、「長崎の鐘は鳴り続ける、平和を叫び続けた男、永井隆」を放送したらしいのですが、それに「小崎」さんも出演している。それを、今年の8月上旬に、1週間、長崎の原爆資料館で、「テレビが伝えた被爆の記憶fromナガサキ」として上映するので、承諾してほしい、と書かれていた。原爆資料館では、合わせて15本の番組の上映を予定しているそうです。その中の1本でしょう。
★2000年といえば、もう16年前ですから、全く覚えていません。小崎が出ているのか、何を語ったのか、わかりません。もう、むかしのことです。こうして、やはり記憶は無くなっていくのでしょう。
★原爆が、どんなに悲惨な特殊爆弾であったか、体験した者にしか理解し得ないでしょう。どん底に落ちた。そのなかで、信仰者として、浦上の信徒に、生きる希望、早めの復興を与えたのが、永井先生でした。
★永井先生のお宅付近の丘に、毎晩、腰をおろして、無残にも破壊されて、燃え続ける浦上天主堂を眺めながら、泣きました。毎晩、毎晩、泣きました。空には、美しい星が輝いているのに、その下で生きる我らは、ただ、ただ、泣きました。その涙を止めてくれたのが、永井先生だったのです。

2016年7月13日水曜日

まいにち、おんなじです。きょうも、かんしゃ、です

「まいにち、おんなじ、きょうも、かんしゃ」。ランタナの花です。知りません、ランタナの花を・・・・。絵てがみの先生が持ってこられた。真ん中に、赤く、小粒の丸が、細い枝に沢山あり、それが、はじけると、十字の形をした花になる。小柄な花です。絵てがみの日は楽しみにしています。
★水曜日は、風呂場の掃除日です。朝の始業から、男女の職員さんが、入念に掃除をしてくれる。大変な作業ですよ。ほぼ1時間は、かかる。「こくろう、さま」。終わると、「男湯」のノレンがかけられる。かんしゃ、しながら、おんなじ、きょうも、かんしゃしながら、入江さんと、2人で入浴しました。この日も楽しみにしています。いつも、入江さんが、背中を流してくれる。その流し方が、うまいのです。背中を、タテに、腰を、いヨコに、シャンプーのついたタオル(富士屋さんで、もらったタオルを使ってる)で、こすってもらうと、なんとも、いい気分になります。これも、楽しみになりました。入江さん、ありがとう。
★部屋は、端と端で離れているが、食事は3食、となり同士で食べている。兵隊にも行ったので、体格がよい。教会では、私の席の前で、朝は、ミサ、午後は、ロザリオを必ず祈る。ホームでの親友です。
★人間って、こんなに、優しいのか。神さまって、どんなに優しいのだろうか。

2016年7月12日火曜日

ポーランドの国営テレビが取材に来る?8月の上旬

ホームの隣、湯江教会の祭壇の、今週の生け花です。
★東京の通訳の女性から電話があった。8月の上旬に、ポーランドの国営テレビが長崎へ取材に来るので、応対して欲しい、との願いです。前に、既に聖母の騎士から、その連絡は受けていたので、話はすぐに通じました。これで確認となった。
★コルベ神父さまのことは、ホームでは全く語ることもないので、寂しい思いはしているし、聞いて心はムズムズしています。コルベ神父の話が出来るなら、本当に喜びです。幸せです。
★でも、わたしは通訳の女性に聞きました。「なぜ、いま、ポーランドの国営のテレビが、日本の、長崎まで来て、コルベ神父をテーマに取り上げるのですか。それが知りたいです」
★わざわざ長崎まで取材に来るのですから、何らかの目標、企画の動機があるはずです。なぜ、いま、コルベ神父なのか。興味が湧くところですが、それは、いまのところ、よくは、わかりません。8月上旬だから、原爆取材にも関係が有るのだろうか。それも有るかも知れないが、コルベ神父が本筋らしいのです。
★いまは、楽しみに、その取材の日を待っています。

2016年7月11日月曜日

牛肉の天ぷらは、母親の思い出です。好物は、これ

「牛肉の天ぷら」が好物です。母親の思い出があるからです。母は、精肉店を営んでいた。だから、家には、商売用の、いい肉が沢山あった。オカズがないと、母は、牛肉をちょっと炒めたり、牛肉の天ぷらを食べさせてくれた。牛肉の天ぷら、なんて、ゼイタクと思います。
★これまで沢山の食堂、食べ処に入ったが、「牛肉の天ぷら」のメニューは見つからなかった。「トン(豚)ぷら」はあった。食べてみたが、満足はしなかった。母の「牛肉の天ぷら」は最高だった。
★2年前まで、毎月、温泉宿の富士屋さんで、保養していた。海の宿なので、生きづくりサカナ、タイのおカシラ煮など、サカナが中心の料理が出ていたが、いつも特別に頼んで、「牛肉の天ぷら」を作ってもらった。特注なんです。母を思う料理でした。この天ぷらの作り方が難しい。
★牛肉の天ぷらの作り方。赤みの牛肉は、ウス切り。縦、5cm弱、横、2cm強ぐらい。粉にまぜる。牛乳、タマゴ、塩少々、ショウガ汁(生姜をすって、しぼった汁)少々、味の素、ミリン少々。2、3枚づつ付けて揚げます。牛肉と、コロモが、外れないように、肉を焦がさないように、上手に揚げる。きれいに揚げるのは、むずかしいです。ショウユを付けて、食べる。「てん・つゆ」など、母にはなかった。でも、おいしいです。
★そういえば最近は、全く牛肉の天ぷらは食べていない。上手に揚げた天ぷらなら、食べてみたいと思います。

2016年7月10日日曜日

テキサスの洽子(KoKo)さんと女性の訪問嬉しい

突然、洽子(KoKo)さんが訪ねて来た。洽子さんが見えると、何やら元気が出る。もう、洽子さんについては、何度も日記には書いてきた。毎年、いまの時期に、諫早へ里帰りしているアメリカ・テキサスの信仰の深い女性。この間は、コチョウランを持ってきてくれた。まだ咲いている。いつ来るのかなあ、と待っていた。
★今度は、長崎のお友達、春乃さんとご一緒だった。春乃さんもブログを読んでくださっている。運転は、いつも長崎の白浜さん。3人は同年代だといって、はしゃぎ喜んでいた。
★洽子さんが、日記で読んだ言葉を取り上げてくれた。「自分の弱さと、神の恵みのチカラの、出会い」です。それに目をつけてくれたのは、非常に嬉しかった。熱心に読んでくださっているのが、よく分かる。わたしの気持ちは、こうです。人は孤独でしょう。孤独を救うのは、愛がある出会いです。だが、人間の愛は時折、こわれることもある。本当に求めるのは、神さまとの出会い。自分の弱さを認めて、神のお恵みのチカラに出会うこと、それこそ信仰の基本でしょう。
★春乃さんは、「カナダに居る友人のお宅に、小崎サンの色紙を飾っています」とスマホで、その場面を見せてくれた。色紙が大切にされているのは、嬉しい。
★なぜか、わたしが、毎月、保養に通っていた、島原半島のオバマ温泉の宿、富士屋さんの食事の話になった。オバマ(小浜)は海だから、サカナ中心の料理が出るのです。「なのに、日記を読むと、牛肉の天ぷら、が出ている。なぜ、なのか」。ふしぎです、というのです。この度は、「牛肉の天ぷら」で盛り上った次第です。

2016年7月9日土曜日

大曾神父さまを病院に見舞う。早い回復を祈ります

ホームに入居者の大曾神父さまです。
★5月に入居されて、この写真は、6月の「父の日」に、男性の皆さんには、花束が贈られたところです。お元気でした。ところが、6月の25日に、急きよ、入院されました。寂しくなった。入院されて、2週間になります。
★病院は、ホームから40分ほどかかります。高原修道士が毎日、神父さまを訪ねていますが、きょうは、高原修道士から誘われて、わたしもお見舞いに行きました。3度目になります。
★くわしい病状は、わたしには、よく、わかりません。「く」の字に、ベッドをされて、横たわっていて、表情は穏やかでした。「オー、トマさんか」と覚えてくださっていた。このような状態では、辛いことだけは、入院経験の多いわたしには、よくわかります。「神父さま、いい顔、されていますよ」「お祈り、頼むよ」と言われた。回復されているのは、わかります。高原修道士が「写真、撮っても、いいですか」と尋ねると、「いいよ」と言われた。さっそく、スマホで撮っていた。わたしも、2、3枚とりましたが、その写真は、ここに載せることは、ひかえます。一日でも早く、退院されるよう祈り、望みます。ブログを見られる皆さんも、お祈りをお願いします。
★山内園長神父さまは、大学病院に入院・手術されましたが、きょう、ホームに帰りました。「10日間、居なかったよ」と、わたしに言った。上下、白い服を着て、お元気そうでした。

2016年7月8日金曜日

2人の女子学生が、栄養士の実習に来て頑張った

「熱中症に気をつけましょう」「栄養は、とれていますか」。短大の栄養士コースの2人の女子学生が、5日間の実習に来た。2人とも、割りとホームの近くに家がある学生で、短い間だったが、楽しく入居者や職員と触れ合った。
★あるときは、食堂の舞台に立って、自作のパネルで、栄養や、熱中症など、健康管理の話を聞かせてくれた。若い人の風がくると、気持ちも爽やかになる。
★ホームには、30年来、勤めている栄養士さんがいる。経験が豊かなベテランだ。2人は指導を受けながら、2人が作った献立を、自分たちも働きながら、それを、ある日の献立に作り上げた。
★老人にとって食事は楽しみでもあり、大切だ。完食する人は長生きする。
★右側の学生は、小6のとき、家庭科で料理を習ってから、栄養・食事に興味を持ったという。もう1人の学生は、少女時代から家の料理を手伝ったりした経験から、この道に進んだという。
★実は、老人ホームで実習をしても、2人には色んな夢もあり、可能性もあだろう。介護施設で就職することがなくても、入居者たちと触れ合った、ホームでの5日間の実習は、これから高齢化していく時代の若者として、きっと、どこかで有益な経験になると思う。

2016年7月7日木曜日

祈っても叶わぬ願いもある。希望は失いたくない

たなばた。ホームの玄関に飾られた枝です。写真を撮ったついでに、下がっている願いの札を見ると、「300歳まで、生きますように」と書いてあった。これには、びっくりした。ここでは、100歳まで生きるのは、ふしぎではない。それでも、300歳とは、ねぇ。人間の願いです。
★ロザリオが終わって、自室にもどり、ガラス戸を開けて、空を見ると、薄日は出ているが、空は薄雲に被われている。今夜は星は見えるだろうか。昼食は、色がついた、冷やしソーメンだった。夕食は、おはぎ、が出るとメニューにあった。
★私たちは、神さまに向かって、「あれ、ください」「これ、してください」と、願い事が多い。願いが叶えられると、「神さまのお恵み」と単純に感謝する。信心も増すかも知れない。
★しかし願っても、祈っても、人生には必ず思いがけない苦難が押し寄せる。病気になる。孤独を感じる。絶望の淵に突き落とされる。そのときこそ、神さまが傍に居てくださる。一緒に苦しんでくださる。自分に与えられた試練だ。いまこそ神が私の事を見てくださる、と神を信じて、希望を持って耐えるならば、それこそが本物の信仰でしょう。人には、浮き沈みがあるから、なかなか難しい。人間は弱いのです。はかないのです。
★だから、「助けて、ください」と、祈るしかない。「主よ、舟が、沈みそうです」
★それでも、生かされているのは、ありがたい。

2016年7月6日水曜日

大切に持っている、1枚の聖女の絵。思い出に祈る

毎朝、5時30分に、湯江教会へ入る。祭壇の近くに進み、前から2列目に座わります。最初にすることは、しばらく心を落ち着かせて、「毎日のミサ」の本をとり、今日のミサのところを開けます。
★きょうは、イタリアの少女で、聖女の聖マリア・ゴレッティの記念日になっていた。イタリアの農村で育ち、清らかな信心深い少女だった。男性から犯されようと迫られたとき、抵抗し、男性の刃で殺された。12歳であった。1902年の出来事だった。神のため清さを守り抜いた少女の生き方は、社会に大きな影響を与えた。教会は、12歳の少女を、聖人の位に挙げた。
★マリア・ゴレッティの絵を1枚だけ大切に持っていた。それが、この絵です。この日になると、「ああ、きょうが、マリア・ゴレッティか」と、心が揺らぐのです。それには思い出になる、わけがあります。
★もう、3、40年前に、長崎オラショの旅という巡礼を行なっていた。全国から募集して、グループを組み、長崎・外海・平戸・島原・雲仙と、祈りの旅を30回ほどつづけたが、そのとき貸切バスのガイドさんは、毎度、カトリック信者で、洗礼名が「マリア・ゴレッティ」だった。説明に、愛嬌に、親切に、満足のいく大切なガイドさんでした。忘れません。結婚されて、子どもさんも居り、信仰をつづけておられるが、大変、お世話になったガイドさんであり、「マリア・ゴレッティ」になると、この人のことを思い出すのです。幸せを祈りました。
★「マリア・ゴレッティ」さんからは、毎年、ミカンの季節になると、葉がついた大きなミカン箱が届くのです。

2016年7月5日火曜日

思う、タナバタの願いが、天の星に届きますように

ホームの食堂の舞台の壁に、ささやかなタナバタの枝と願い事ができた。夢があって、楽しみもあります。
★「健康で、生きたい」「長生きしたい」「平和でありますように」「家に帰りたい」という願いも目についた。
★「ホームの改築工事が無事に完了しますように」「園長神父さま、入院している入居者が、一日も早く回復しますように」「テロや戦争、差別やイジメが無くなり、社会が平和になりますように」
★願い事は次から次へと出てきます。「ああ、きょうも、一日、まわりの人とも仲良く、無事に過ごさせていただきました。感謝です。

2016年7月4日月曜日

善い本を少しづつ読んでいる。心の糧です。生きる力

湯江教会の祭壇に、いま、「コチョウラン」を飾っています。先月、面会に来られたテキサスの洽子(KoKo)さんが持参された花です。まだ立派に咲いています。毎朝、5時30分に教会へ行き、祈りが始まる前に、いつも教皇講話集の「信条(クレド)」を読んでいます。
★今朝、読んだところが、「聖なる教会」の項目で、「聖性への道」というのでした。むかし、ポーランド人の修道者たちから、よく言われた言葉です。「聖人になりなさい」。コルベ神父は聖人になった。「聖人になることが、生きる目的です」と、本当によく言われた。最近は、あまり聞かない言葉になった。しかし今朝、読んだところ、現・教皇さまの講話にあった。「すべてのキリスト信者は、聖性へと招かれています。聖性とは、わたしたちの弱さと、神の恵みのチカラとの、出会いです」
★この言葉に出会ったとき、「ドキリ」としました。先日も日記に書いたではないですか。人間は、孤独だ、と。そして孤独を救うのは、愛による出会いだ、と。それを根底に考えたとき、人間の弱さ、誰にでもある。その弱さと、神の恵みの力との出会い、これがポーランド人修道者から言われていた「聖人になる」ことだ、と。何だか、コチョウランの前で、心が軽くなった気持ちがしました。
★昨日、日曜日に、長崎の白浜さんが来た。ファイルにした日記と、ルルドの水を6本持ってきた。KoKoさんから連絡はないという。
★今日は、ホームで、七夕(たなばた)の枝をつくる作業があった。

2016年7月3日日曜日

「高原さん、がんばれ」の励まし会。回転寿司へ行く

ホームで、老人たちをお世話する介護の仕事は、ご苦労が多いです。高原修道士さんも、よく頑張っています。
★入江さんの発案で、「高原さんを励まそう」と、3人で、行きつけの回転寿司店へ行くことにした。もう、過ぎ去ったが、彼の修道士・名、『洗礼者聖ヨハネ』のお祝いもしていなかった。それで、こういう場面になったわけです。
★寿司はサカナだから、健康にも良いし、ここの店は何度か行って、ネタも新鮮で、長崎人のクチに合い、おいしいのです。
★回ってくる寿司ではなく、壁に貼っている表を見て、紙に書いて注文します。どんなネタが書いてあるか。1サラ、2個づつ。サラの色によって値段が違う。次のように、メモしてみた。
★高価な順から言えば、赤貝、525円。生うに、525円。しまあじ、338円。ひらめ、338円。真鯛、278円。ひらす、278円。ブリはまち、258円。あじ、258円。たち魚、168円。いわし、168円。これだけ書いてあった。マグロや、カツオがないのが、長崎の特徴です。
★さて、何を注文しようか。いわし、しまあじ、ひらめ、ひらす、この辺が食べ慣れたネタです。高価だったが赤貝をも頼みました。いわし、アジ、ヒラスなどの庶民級のクラスを好みます。こうして楽しいひと時を過ごしました。
★サカナには、こだわりがある入江さんも満足していました。高原さんは終始、ニコニコ顔で、「よし、がんばるぞ」と、ファイトが湧いたみたいです。
★後から聞いた話ですが、あのピンクのシャツは、・・・・さんの、『洗礼者聖ヨハネ』の日のプレゼントなんです。

2016年7月2日土曜日

誕生会。職員さんの出し物が楽しみだよ。笑い拍手

月の最初の土曜日、昼食は、楽しい「誕生会」です。7月生まれの入居者は、6名でした。その中に、ヨハネ村山修道士さんも入っていました。91歳になられる。私たちの修道会の最高齢者にもなられる。お元気で暮らしておられます。
★山内園長神父さまは、長崎大学病院に入院されて、手術されました。ですからご不在で、お言葉がなかったのが、寂しかったです。早く回復されますように祈っています。
★「誕生会」といえば、恒例になっている職員さんたちによる「出し物」でしょう。期待していますよ。いつも準備する場所へ行って、「今月は、なんですか?」。聞くのも楽しみになりました。「やすき・ぶし、です。ドジョウすくい、踊りですよ」。大きなドジョウも作ってある。
★1人、1人に、「ハッピバスデイ」。歌って、ハクシュをして、小さな灯とお土産もあって、カンパイで、ホーム全員からお祝いされました。その後で、出し物が出るのです。最初は舞台で踊って、皆さんの食卓の周りを、アイキョウよく笑いを振りまきました。
★メニューは、赤飯、アジの刺身、サイコロステーキ、夏サラダ、冬瓜の煮物、ジュース、お菓子、でした。
★食事の後は、いつもながら、のど自慢の歌も披露されます。まあ、毎月、同じような歌ですけどね。
★出し物の職員さんに、この写真を、エプソンのプリンターで起こして、差し上げて喜ばれています。

2016年7月1日金曜日

老人は熱中症に気をつけよう。長崎みやげ、チクワよし

きのうは、ふくの湯で、幾つもの湯に入った。先ず、広い風呂に入り、次は、流れのある風呂に入り、屋外に出て、カップの風呂に入り、そして眺めがよい露天風呂に入った。上がって、室内の、最初の広い風呂に入り、それでシャワーで流して、更衣室へ行った。
体重は、48.75Kgでした。
★これだけ入浴を楽しんだのだから、水分補給を1本求めて飲むはずだった。トイレに行かないようにとの気持ちから、水を飲まなかったのは失敗だった、と夜のなって反省しました。熱中症に老人はなりやすいのですね。今度は気をつけます。
★夢・彩・都(ゆめ・さいと)で買い物をする。皆さんの楽しみでした。長崎のお土産に何にするか。すぐお菓子の方に気が向くのですね。今朝、食事のとき、同じ食卓に同行者が居て、「これ、食べてみて」と、大きなチクワの一片を、みんなに配ってくれた。「そうだ、長崎のお土産に、チクワがあった。これは、いいですね」。長崎のチクワは材料のサカナが上等で、気に入っています。おいしいです。「そう、だった」と、あらためて思い起こしました。旅に出るとき、よく買ったものです。喜ばれる自信がある。
★長崎の聖母の騎士から電話があった。「8月上旬に、ポーランドから国営テレビが、コルベ神父さまについての取材に来る。よろしく頼むよ」「ああ、大丈夫。まかせておきなさい」