2018年2月28日水曜日

人生、80代、最後の日。いや、苦難の日々でした

リッパなお花が届きました。北海道の荻野裕子さんからです。時々、マリア・フランチェスカの名で、コメントも戴いています。心から嬉しいです。有り難う。「ああ、人生の、80代は終わるのだな」。そんな気持ちが身に沁みました。
★80代を振り返って見ると、苦難に満ちた年代だったと感じます。まあ、10代の頃から、カリエス、結核で苦しんでいたけど、80代は「ボウコウ・ガン」と尿が全く出なくなる腎臓病で、毎年、入院の繰り返しでした。それでも何とか生き延びました。神さま、人さまのお恵みですよね。
★それでも80代の前半は、黒島、平戸、津和野、出雲、広島、鳥取、沖縄、韓国へも2度、東京へも出て、日記の読者23人と赤羽で出会いました。楽しい思い出があります。後半は、突然の不具合になり、ホームにお世話になる大きな環境の変化がありました。ホームに入っても、皆さんの応援と、日記を読んで支えてくださり、修道誓願の金祝があったり、ポーランド勲章まで戴きました。慰めもあったのです。「おまえの人生で、すごく、ふしぎなこと、なかったか?あったよな、沢山」。しみじみと、この言葉を噛み締めております。確かに、そう言える心境です。
★これから先は、どんな未来が有るのか分からないが、祈りつつ、願いつつ、希望と勇気を出して、今を、今日を、日々を、生きて行こうと思います。
★長崎・聖母の騎士修道院から、松下修道士さんが来て、お祝いに長崎名物「桃カステラ」を下さった。いつもお世話になっています。

2018年2月27日火曜日

80代、最後の湯は「名水の湯」。満足しました


「名水の湯」です。ホームから、更に山へ、車で10分。「いこいの村」があります。ホームの廊下の窓からも見えます。「今月の野外活動は、湯に入りに行きます」。10人ほどが参加しました。
★湯に浸かって思いました。「80代、最後の湯だね」。更に思ったよ。「人生、いろいろ有ったが、恵まれていた。だから、今が、ある」。一言で言えば、そういう事でしょう。いい湯でした。入浴料は今日まで200円だそうです。この辺は水のキレイな所です。眺めもよく、名水の湯の広いガラス窓からは、ホーム付近の町々、有明海、干拓堤防、遠くに雲仙岳が見えました。それだけでも満足でした。

2018年2月26日月曜日

何年、何十年経って、騎士誌の読者から感謝の手紙


昼食は「マルちゃん・ラーメン」の「トンコツ組」と「味噌組」でした。前もって、栄養師さんが「どちらが、いいか」聞いて廻った。何十人も居るのに、そりゃ大変です。食べる方は、いいですけどね。瀧神父さまも、トマも、トンコツ組でした。
★年配の女性が、長崎教会めぐりに来て、聖コルベ館を訪ねた。トマに会えるかと楽しみにしてきたのに、居なかった。便箋2枚に気持ちを書いて、言付けて去った。その手紙がホームのトマに届いた。何年も、何年も、騎士誌に載った小崎さんの記事を読むのを楽しみにしてきた。お陰で洗礼に至ったと思う。長崎へ行ったら、ぜひ会いたいと願っていた。騎士誌を読んだお陰で、主人も、息子も嫁も、孫も、洗礼を受けたのです。
★何年も、何十年も経って、こういう「お恵みを戴いた」と手紙が来て、教えられるのは本当に有り難いと感謝する。神さまの導きは、どこで、どう行なわれているか、私たちは知らない。祈りには、「つながり」がある。信仰とは、つながり、である。神につながり、見知らぬ人につながり、死者につながり、聖人につながる。信仰に励みたいと、1通の手紙を手にして思う。
★「トンコツ」が、いいか。「ミソ」が、いいか。どっちも食べた。メンが違う。味は「マルちゃんのミソ」が、おいしく感じたな。

2018年2月25日日曜日

大きなリッパなケーキだったが、小さくてゴメン

「トマさん90才、おたんじょうび、おめでとう」。長崎の白浜さんが午前中に来て、大きなリッパな誕生ケーキを持ってこられた。早々とお祝いして下さって有り難う。残念にも、ケーキ全体の写真を直ぐ撮ればよかった。忘れました。残念です。ごめんなさい。皆さんで分け合って喜んで、食べました。これは私の分です。こんな小さなケーキの写真を載せていいか、どうか迷いましたが、白浜さんのご好意に感謝して申し訳ないが載せました。白浜さんは、おいしいケーキ屋さんを知っている。いつも誕生日には、これまでもケーキを持って来て祝って下さった。お世話になっています。90歳、卆寿の日が間もなく来る。やっぱり人生の一つの区切りと思います。皆さんが祝って下さるんですね。有り難い。感謝です。

2018年2月24日土曜日

和歌山「南高梅」届く。梅干の如く生きよの教訓

ごらんの通り、すばらしい、リッパな梅干。きれいに並んで30個。「しいたけ」で味を整えている。ホームに来てから、もう3度目でしょう。和歌山・龍神村の、美しい水と澄みきった空気の環境のもとで、無添加で漬け込んでいる。塩抜きしている梅干です。
★龍神村の小川さんご夫妻が贈って下さった。数日前に、電話があった。「贈りますからね」。ご丁寧なお知らせでした。今日、梅干が届いた。龍神村には思い出がある。何度か、訪問もした。山深い村で、近くには温泉もあった。
★私の記録によると、「紀州のチベット」といわれた龍神村に、戦争が終わって5年が経った1950年に、見たこともない外国人宣教師が赴任して、カトリック教会が建った。9人の信徒から始まって、4年後には424人、15年が経つと864人、1994年には959人の洗礼者を記録している。集団改宗の有名な村になった。今は信徒数も激減し、「さびしくなった」と奥さんの声。
★ご主人が、1983年頃から、1町歩の山を開いて、250本の「南高梅」を植えたのが、見事に成長して、全国的に知られるようになった。ツブの大きい梅を龍神の湧き水で洗い、塩漬けして50日間以上ねかせる。それを天日で干すと塩梅になる。次いで時間をかけて、再び清らかな湧き水で丹念に塩抜をする。味付けは、動物性のものは一切使わないで、山の作物は山の作物、村特産のシイタケを使って、だし汁味付けする。
★ご主人は、かつて私に、次のように言った。「人生は、梅干の如し、苦労で塩漬けされた時代もあるし、暑い太陽に干される時期もあるのだろう。そして最後は、シワくちゃになる。でも、ですよ。湧き水で洗った塩梅は、味付けによって素晴らしい製品に変わるんです。寝かされた梅の実はやわらかくて、香りが良くて、食べ終わるとタネの周りに酸っぱさが心地よく舌に残る。人生も同じじゃないですか」
★奥さんも、ご主人も元気にしています、と電話の声だった。どうも有り難う。喜んで戴きます。

2018年2月23日金曜日

梅の花も満開に。ステキな春は、もう直ぐ来るよ

食事の時に、瀧神父さまが「あと、6日だね」と言った。あと、6日で、2月は終わる。90歳の誕生日がくる。80代も、あと6日、というわけです。「90まで生かされた。お恵みだよね」「そうだよ、特に、トマは、そうだね」。幾多の病気を乗り越えて来たことを意味している。「感謝しか、ないよね」。感謝の意味が本当に分かっているだろうか。長い人生、本当にいろんな人にお世話になった。
★午前中は、入浴した。広い風呂に1人で入る。「もしも倒れたら、どうなるか」。常にアタマにある。注意して、慌てずに、ゆっくり動作する。自室へ戻ると、気合が抜けたように、ボンヤリとなる。テレビを見ても、オリンピックの場面ばかりだ。テレビで顔見知りの俳優が、66歳で急死した。その追悼の映像も流れる。ある監督のお世話になったようで、その監督のコメントが出た。次のような意味を語った。「役がウマイとか、ヘタとか、そういうことでなく、動物園にも、アッチ、ウロウロ、こっち、ふらふら、しているサルが居るだろう。それでも何とか必要だよね。そうゆう存在感のある役者だった」。さすがは、あの監督の言葉だな、と胸にひびいた。「存在感がある役者」。そういう人物に我も成りたい、勝手な気持ちを持った。
★昼食後、直ぐに屋外に出て、「あの梅も咲いただろう」と先日(17日の日記)の梅の木へ行ってみた。温かい、春のような日和がつづいたので、ごらんの通り、梅は、もう満開であった。「梅の花よ、チカラ一杯、咲けよ。見ている者も居るのだ。お前の存在を喜んでいる者もいるのだ。ああ、あと、6日か。ステキナ春は、来るぞ」

2018年2月22日木曜日

長崎のクリニックへ診察。変わりなし。お祝い戴く

ホームに居て、外出も気晴らしになる。だが、医院へ行くのは気が重い。毎月1度、長崎のクリニックへ診察・投薬に行く。もう20年近くなるだろう。
★湯江のホームに移ってからは、片道1時間はかかり、患者も多いので待ち時間が長くかかる。だから早めに、8時には出発する。高原修道士の運転で、修道院の橋口修道士も同乗した。朝食は修道院で頂く。修道院は司祭2人、修道士2人。丁度、食事が終わったところだった。ここで食事するのも楽しい。ここに有る食材は、みな同等の感じがする。ホームでは、そうは、いかない。
★クリニックの待合室には患者は1人しか居なかった。テレビの真下に「小崎さんにポーランド勲章」の新聞記事が貼られていた。恐縮するよ。「橋口ブラザー」と呼ばれ、続いて私が呼ばれ、「高原ブラザー」も順々に呼ばれる。私の場合は、「変わりなし」と報告。それでも右肩に違和感を覚えるので、右肩のレントゲンと、胸のレントゲンを撮った。「勲章」の話題は出なかったが、90歳のお祝いにと、白い封筒を下さった。お世話になるのに、お祝いまで、と恐縮して戴いた。
★帰りは、高原さんと2人。途中で昼食を取って、2時前にはホームに着いた。「お帰りなさい」と職員から声をかけられると、「ホッ」と、する。やっぱり家は、ここだ。

2018年2月21日水曜日

もう、すぐ春だよ。長崎は「ランタン祭り」賑わう

先日の絵手紙教室で描いた「フキノトウ」です。「はる、心、わくわく」と一筆入れた。長い冬も終わりに近い。春が待ちどうしい。
★毎日、変わりなく生活しています。変わらないのが幸せでしょう。水曜日には、午前中、職員さんが数人で、部屋を、順々に清掃してくれる。明日は、長崎へ。クリニックの診察へ出かけます。
★長崎では、(新聞・テレビでしか見ないが)「中国のランタン祭り」が行なわれ、賑わっています。何年か前、長崎に居たとき、「夜の祭り」を見に行った。メガネ橋の所には、黄色いチョウチンだったか、彩られ、浮かれた気分になった。上ばかり見上げていたばかりに、足を滑らせて、コケタ。メガネを落として、傷つけた。メガネ橋で、メガネを落とすなんて、笑っちゃうよね。その時、思った。「この程度のソンで終わったから、良かった」。ものは考えようだね。今では、ランタン祭りも豪華になって、テレビでは中国の人物像も偉並ぶ姿になっているらしい。見に行けないのが残念です。

2018年2月20日火曜日

最近、心ひかれる「楽天知命」。苦しみを変える

いま自室の壁に掲げている2枚の書です。その中の「楽天知命」。この言葉に最近、強く心を惹かれて、度々思いめぐらします。古代中国の漢詩の一句でしょう。詳しい事は分かりません。「天を楽しみ、命を知る」と読みます。説明に、「天命を、喜んで、うけ入れる」
★嬉しいこと、喜ばしいこと、それを「喜ぶ」のは易しい。しかし人生は、喜ばしい事ばかりではない。苦しい事も、望まない事も、多々起きる。それらも全部まとめて、天命として、喜んで受け入れる。人の道というより、人生を乗り越える知恵ではないでしょうか。その心は、常々、私が考えている「苦しみを、神への喜びに、変える」に通じると考えます。
★「苦しみを、神への喜びに、変える」には、どうすれば、いいか。その裏には、「神のみせつり」として受け入れる、信仰が必要だと感じます。弱い人間として、苦境だけれでも、どうしても「みせつり」の信仰有りです。
★私よりも、大変な人が、沢山いる。下を向けば心境の変化が起こる。「自分でも、わかりません。引っ張られるような感じがするんです。そんな体験、あなたに無いですか」
★今日は午後から4時頃まで、歯科へ治療に出かけます。

2018年2月19日月曜日

早々と誕生日祝いのお花。午前中、散髪、入浴、来客

食事の時に、瀧神父さまが「あと10日すれば、80代ともお別れだね。どうだね、気持ちは?」と聞いた。「ウーン、重みが違うね。90代は貫禄が有る」「トマはゲンキだよね」「そうでも、ないよ」
★今日の午前中は忙しかった。先ずサンパツでしょう。クジを引いて、4番が当たった。理髪師さんは家族の3人で来られる。散髪して、すっきりなると、入浴した。湯から上がって、衣服を付けていると、事務所の職員さんが戸を少しあけて、「11時半頃、お客さんが来るそうです」と告げた。その時間に近い。
★自室で、メガネをかけて、デジカメを持って、玄関で待っていたら、車が姿を現した。2人のお客さん。写真が、それです。諫早からです。「早いけれど、誕生日のお祝いのお花を持って来ました」。豪華なお花。有り難く戴いた。こうして思いがけない人が訪ねて下さるのが嬉しい。女性が言った。「わたしも誕生日が3月1日なんです。それで覚えていました」。7,8年前、聖コルベ館のときにお世話になった。こうして早々と「豪華なお花を戴いた」次第です。お祝いして下さって有り難う。
★12時からの昼食に、少々、遅れた。焼きウドン、ミニ・クリーム・パン、アサリのみそ汁、ヨーグルトでした。
★甘えておれんぞ、一人立ちして、生きていくしか、ない。体内に、まだ、まだ、順調に、廻る機械が、与えられているから、ね。

2018年2月18日日曜日

15年。何としても、この修道会に留まった結果

日曜日。ミサが終わって自室に戻る。「トン、トン」と、戸をノック。「ハーイ」「見てごらん。いま朝陽がキレイですよ」。廊下に出ると、この日の出です。「ああ、今日も明けるか」。静かな気持ちが胸に漂う。
★今朝の新聞の「読者の声」で眼にとまった一文。「自分の責任で話せる事は、体を動かして、やったこと。その中で感じ、考えたこと。『空っぽでない言葉』で生きる」。心を揺さぶる一文ではないですか。来月の末の日曜日に、ブリ神父さまの教会でお話しする事が、念頭にあるからね。自分の体験で、苦しみ、悩み、乗り越えた事が真実と思います。聞く人も、それを望んでいると思います。
★「古い大学ノート」を開けてみた。修道服を着衣して、修練中に病気になった。同級生たちは誓願を立てて、大神学校に上京して行ったのに、自分は病気で苦しんだ。修練所からは出されて、身分は「第三会員」として、15年を過ごした。「ノート」を手に、「よく辛抱したな」と思いましたよ。修道院会議では「退会」と決まったのに、ミロハナ神父が助けてくれた。養護施設がある、山の修道院へ連れて行く。ミロハナ神父は私に、個人的に「私・誓願」を立てるように勧めた、と書いてあった。ミロハナ神父が、教会で、自分が受けてもいい、と記してある。その字の流れを読んだ時には、さすがのオレも追い詰められていたんだな、悲しくなったよ。
★神の導きって、わからんね。ホームに入って、正式の誓願50年の金祝を祝ったのだから。辛抱、忍耐に「花」が咲いた訳だね。15年の分だけ、神さまがイノチを長く与えて下さったのかも知れない。

2018年2月17日土曜日

梅も、チラ、ホラ、咲き始めた。寒風に思い出あり

ホームの敷地を出た直ぐの道ばたに咲き始めた梅の木。未だ花はチラ、ホラ。三分咲きかな。
★午前中、来月分、3月の予定を発表する「懇談会」があった。3月生まれは多い。10人が、居る。真っ先に、私の名前があった。後、10日ばかりで、誕生日がくる。楽しみだよ。何にも変化は無いけれど、何か、気持ちの上で嬉しい。長がーい人生だったな。
★北朝鮮の、日本海側の、しかも中国・ロシア国境の直ぐ近くの町で生まれて、13歳まで暮らした。寒い、寒い、町だったよ。零下15度までは下がった。雪は余り降らない。とにかく風が強烈だ。小学校の先生は、「この風が日本海を渡るとき、水蒸気を含んで、日本の山に当たって、新潟や福井に大雪を降らせるのです」と教えた。日本へ行ったこともなく、遠い国のように感じた。
★今年は、この寒さで、あの町の人たちは、相当な寒風にさらされただろう。身に沁みて分かる。1度だけ、あの町に里帰りするツアー旅があった。ちょうど「日本26聖人・映画」の約束があったので、仕方なく見送った。1度は帰って、山や、川、海など自然の景色を眺めたいと思う。家々は変わっているだろう。平屋根の教会があった。朝鮮人の司祭も居た。朝鮮語での共同の祈り、ミサ。母と、子供の私はその中で祈った。その場所と、今のホームの湯江教会をつなぐと、何やら不思議な気がする。90年、生きてきたイノチは1つだ。「生きていれば、いいことも、ある」

2018年2月16日金曜日

昨夜の兄弟の集い。2人の修道者の命日。祈り会食


昨夜の兄弟の集いです。長崎4地区、21人が集った。フランシスコ会は、お互いが兄弟と呼び合います。やっぱり楽しい集いになった。一緒にお祈りをする。ラテン語で「アヴェ・レジナ・チェロールム」を歌う時なぞ、最高ですね。男性ばかりで、修道者だけで歌う、いいねぇ。
★祈りの後で、1つの提案があった。2ヶ月に1度、集いを開いているが、最初に、この2ヶ月間に、既に亡くなった修道者の命日、生きている修道者の霊名の祝日を読み上げて、特別に祈ろうではないか。もちろん皆は賛成して、1月と、2月の分が読み上げられたが、何と、昨日の2月15日は、ミロハナ神父の命日、フランシスコ中村安五郎修道士の命日に当たっていた。命日を忘れていたことに恥じ入り、祈りながら感慨深いものがあった。
★ポーランド人ミロハナ神父はコルベ神父から連れられて長崎へ来た。コルベ神父の帰国後、特に戦争中は聖母の騎士を特攻警察や憲兵隊から守り通した。老年の修道者たちは、皆、ミロハナ神父から薫陶を受けた。晩年は福祉の面で活躍の痕跡を残した。病気勝ちであったトマを助け、導いてくれたのもミロハナ神父さまだった。恩人でもある。享年80。一方、フランシスコ中村修道士はホーム聖フランシスコ園で、2015年、亡くなった。コルベ神父の時代に入会した古参の修道士で、沢山の思い出がある。享年93。
★集いでは各支部の報告があって、会食となる。トマを取り巻く話題は、勲章に、二つの冠の映画、コルベ神父の餓死室での苦しみ、コルベ神父のお母さんの話など、トマの出番の説明も多々あって、楽しいひと時を過ごした。本当に、水を得たサカナのように、スイ、スイ、泳ぐ気持ちです。この仲間と一緒に暮らしたいよ。修道院では介護に限界がある。これも現実です。
★今日は、午前中、入浴した。絵手紙教室がある。春の「フキノトウ」を描いた。午後からショッピング。小型バスで、共同で買い物に出かけます。昼食後は、しばらくベッドに横になるのだが、買い物に参加するので、日記を書いた。

2018年2月15日木曜日

午後から修道会・兄弟の集い。昨日の診察。喜と苦

左が、ボクです。トマです。「余は、満足じゃァ」。そんな顔をしている。先日、修道会・兄弟の集いの一駒です。楽しいですよ、仲間の皆さんに出会うのは、ホームと違った風が吹いてくるからね。修道会に入って、兄弟たちと祈り、食事をし、笑い、意見を交わすのが、念願であり喜びだった。「これこそが、一本道だからね」。ホームは孤独だよ。
★今日は午後から、長崎地区の兄弟の集いがあります。20人近くの修道者が4地区から集い、一緒に「教会の祈り」を唱え、最後にラテン語で賛歌を唄う。近況報告があり、意見を交わし、会食となる。後は思い思いに、飲んで、食べて、語って、そりゃ楽しいですよ。気持ちも活性化される。ホームの生活を忘れます。自分も働いていた時もあった。別れはツライ。帰りは夜、遅いでしょう。
★昨日は、病院・泌尿器科へ。担当・医師と会話。ステント入れ換えの日にちを決めた。これは、カラダのトゲです。それでもガマンして、受けるしかない。いつまで続くか、それは分かりません。90歳が峠です。もう十分、生かして戴いた。22歳のとき、結核で右の腎臓を摘出して、以来、何年ですか?90から、22を引けば、68年です。この年月、左の腎臓が懸命に働いてくれたお陰で生きてきた。よく、まあ、頑張ってくれたと思いますよ。腎機能も、それほど低下することなく、何とか動いている。尿も出る。わたしにとっては、尿が出るのが、不思議であり、感謝です。どのような結末になるか、分かりません。イノチは、神サマの、ことです。

2018年2月14日水曜日

四旬節始まる。灰の水曜日。午後から病院へ


カラダの具合は正常に戻りました。朝、起きるのに決意が要ります。4時半に起きる。身なりを整えて教会へ。今日は「灰の水曜日」と言って、今日から四旬節に入り、祈りと悔い改めの40日がつづき、復活祭を迎える準備期に入ります。昨年の、枝の主日の時に配られたソテツの枝(枯れた枝)を燃やして、灰を準備して、今日の6時のミサの時に使われます。司祭は、1人、1人の頭か、額に、この灰をかけて、「回心して福音を信じなさい」と唱えます。
★10時からも、ホームの礼拝の日として、ミサが行なわれました。ホームの人たちが祈りました。司祭は、「改心」「回心」「開心」が必要です、とお言葉がありました。キリシタン時代から「悲しみの季節」として、心して日々を過ごしました。自分の弱点を改める。飲料やお菓子などを犠牲にして、控える。貧しい人に食事を与えて助ける。様々な工夫をしました。
★今日は、午後1時に、高原修道士さんの運転で、諫早総合病院・泌尿器科へ定期の診察に出かけます。血液、尿検査、腹部のレントゲンも撮るでしょう。次のステント入れ換えの月日も決まるでしょう。ステントを入れ換えなくては生きてはいけない。そういうカラダがトマの十字架です。90歳までは、何としても生きたい。90までは、人生の上り坂と思っている。90が峠で、後は、92だろうが、4だろうが、山並みが続くと考える。もう歳には関係ないですよ。そんな気持ちです。90歳まで、後、2週間。頑張ろう。「本当に、皆さんのお陰で、よくぞ生きた」と思えそうです。

2018年2月13日火曜日

自室から解放されて、食堂で食事。心配したの声

「アンネのバラ、コルベのバラ」。真紅の色に咲き誇っている2輪のバラです。場所は、どこか分かりません。修道名のお祝いの便りに入っていた。瀬戸教会のニコラス神父さま(アメリカ人)からの便りです。
★今朝のミサも休んだ。朝食は自室へ運んでくれた。昼前に、ホームの医師、吉岡先生が医務室へ来られて、診察が始まった。マイクで呼ばれて、医務室へ。症状を伝える。「4、5日前から、クシャミが出て、3日前から声枯れが気になった。自室で休んでいるが、熱はない。セキも出ない。声枯れは、未だ有るが、食堂で一緒に食事をしたい。インフルエンザの検査をお願いします」。鼻から粘液を採取。「5分程かかります」。判定は陰性でした。「大丈夫でしょう」。やっと、解放された。
★昼食に、食堂へ行く。自分の席に座る。やっぱり、ここが食欲が進むなァ。瀧神父さま、入江さん、「シンパイしたよ」「早かったな」の声。食卓の皆さんも嬉しそうな表情を見せてくれた。ご心配、かけました。
★午後からの共同のロザリオは休みます。「アンネのバラ、コルベのバラ」。どちらも平和を望む心の花です。2人の人生を考えると、「愛」と「苦しみ」が浮かんでくる。誰にでも苦しみは有るが、いかに、その苦しみを乗り越えるか、課題が有る。

2018年2月12日月曜日

カゼに罹った。自室で、おとなしく休んでいます


この冬、寒さが続き、ホームにも珍しく雪が積もった。左は自室のガラス戸を開けると、雪が舞い、教会の屋根は真っ白。右は廊下の窓から見た景色です。昼前には、全く解けてしまった。
★昨日の朝、教会で、共同の「朝の祈り」の時、声が枯れて、正常に出ない。ホームでは、インフルエンザは特に注意する。老人ホームだから、流行を恐れます。当然の事です。私は毎年、冬は1回はカゼに罹る。心して、朝食、昼食の時、会話は避けた。声の異変に気付かれたくない。明日は12日。ブリ神父さまと聖コルベ館へ行き、コルベ神父から命を助けられて「ガヨビニチェックさん」の録音を聞く予定だった。ブリ神父さまに電話して、中止を頼んだ。午後、共同のロザリオの時間がきた。「教会へ行くか、行かないか」で迷ったが、思い切って、行った。声の調子が良くない。終わって医務室近くで、看護師さんと出会った。「カゼ気味なんだけれど」。この一言で事態は変わる。医務室で、葛根湯を貰い、熱を測る。6度5分。平熱だった。自室に戻ると、「トン、トン」と、ノックして、看護師さんが現われた。B型は収まったが、A型が流行っている。「夕食の食堂行きと、明日の朝の教会行きは、中止して、お部屋で待機してください。2日後、お医者さんが来られるので、診て貰って、決めましょう」。万事休す、です。
★今朝の熱は、6度1分。ミサには出席しない。今日は1日中、自室に居りました。食事を毎度、運んで貰って、申し訳がない。ガマンするしかない。声の調子は良好のようです。時には、辛抱もしましょう。神さまが守り導いてくださる。

2018年2月11日日曜日

フランス・ルルドに聖母マリアご出現の日でした

フランスのルルドで、聖母マリアが、少女ベルナデッタに御出現なさった日です。「我は、けがれなき宿りなり」と仰せになった。コルベ神父は、この言葉をおっしゃった「けがれなき聖母マリア」が大好きでした。ルルドから湧き出た泉は、多くの人のからだ、こころを癒しました。
★昨夜は、フランスのジャムさんから、電話が入った。「トマさんのことば」をフランス語の小さな本にしたい。フランス語訳の原稿を送ってきていたが、当方で、フランス語の先生に訂正してもらった原稿が「届きました。ありがとう。今度は写真のデータを望みます」とのお願いだった。
★昨日は、誕生会で賑わったホームでしたが、今日は、機器の故障で、朝から昼まで、水もお湯も出ずに大変でした。職員さんが、風呂の水を汲みだして、各部屋に配り、ご苦労でした。水の有り難さが分かった日となりました。

2018年2月10日土曜日

誕生会。さあ、出たぞ、3人、ムスメの踊りだよ


「パァーット、行こうじゃ、ないか。パァーッと」。誕生会だよ。歳をトル。めでたいことサ。2月に誕生を祝う人は、4人いた。そのうち、2人は、なんと、98歳だよ。男性、女性、お2人がいた。元気で食堂にも来る。ゲンキなのが、イチバンさ。そら出たぞ。女性職員3人ムスメのいい顔。真ん中の女性は、お相撲さん、かな。化粧マワシの中に、フンドシも付けていた。「サア、サア、踊れ」。何の音楽?ヒト・むかし、フタ・むかし、流行った「キャンディーズ」の「年下の男の子」だよ。とにかく「踊らにゃ、ソン、ソン」。オイ、待て、待て。お相撲さんのフンドシが外れているぞ。「ウ、ハッ、ハッ」。おかしかバイ。みんな笑った。大喝采だよ。職員さんは、こうして毎月、悩みに、悩んで、考えて、「さあ、何の出し物にしようかな」と、当番に当たった職員は夜も眠らないのでありました。その心意気が、私たち、ホームにお世話になっている者にも伝わってくるのです。「ああ、ありがたヤ、ありがたヤ」

2018年2月9日金曜日

「ハッと」思い出させる一文。昔の信仰、忘れるな

農家の年老いた女性の手紙に、次の一文があった。「雨が降って、心の器にタライを出した人、バケツを出した人、小さい盃を出した人、それぞれに恵みは、一杯入ります。信仰心の薄くなって行く私たちに、たとえ盃一杯の恵みでも頂いて、今まで生かされてきた。あの貧しかった昭和の時代が流れるように、変わって過ぎ去って行く。父母が厳しく教えた『食前・食後の祈り』『朝夕の祈り』を、どんなに貧しい、イモと、カンコロ飯(めし)、塩漬け大根に、塩漬けの梅干に、水を飲む食卓にも、『イエスさまが、いっしょに座っておられる』ことを、子供の時、イロリ端で、火箸で灰に字を書いては消して、父が教えた神の存在を、無学の私たちは農家が命で、教会が宝でした」
★この文を読んだとき、私の心、いや、タマシイは、小刻みに激しく振動した。「イエスさまが、いっしょに座っておられる」。この農家の老いた女性の言葉、体験は生きている。信仰の基本は何でしょうか。①神は愛であり、私たちを守り導いてくださる。②イエスは私と共に、ソバに居られ、苦しんでくださる。③苦しみを神の愛の喜びに変える。④人は、神から出て、神に帰る存在である。そのためには、神の元へ帰れるように、ふさわしい人間にならねばならぬ。⑤宗教とは何でありますか。昔の公教要理には、宗教とは、神に対する人の道であります、と説いた。これは名言であると、今でも思っております。
★言葉は、いいです。見せてください。肌で感じさせてください。それが悩みです。神の愛も、イエスが共に居られるのも、案外、自分では気がついていないのかも知れない。神の恵みの大きな流れは、時間をかけて、誰の身にも成就していく。信頼しなさい。受け入れて、希望を持ちなさい、この農家の年老いた女性の文字から、そんな声が聞こえてくる。

2018年2月8日木曜日

心の目を覚ます恵みの手紙が、10年ぶりに来た

今から8年前、聖コルベ館の担当だった時の「登明日記・2010年2月25日」
★私がオバマ温泉から帰ると、聖コルベ館にシスターと、明るい顔のお嬢さんがちょうど来ていた。パッタリ会った感じだ。偶然じゃないよ。これも神の導き。このお嬢さん、公立中学校の教師を退職して、昨年の10月に、シスターの会に入会した。「こんな素晴らしいお嬢さんが、神に招かれ、神の道へ進む。神の魅力は素晴らしい」と思いつつ、お嬢さんに耳打ちした。「望んで、入ったからには、最後まで遣り通せ」
★実は、このお嬢さん、高校生の時に洗礼を受けた。高校の教科書で、遠藤周作の作品から、コルベ神父を知った。両親も教師。2年前、父は定年退職し、趣味のバイクで名古屋から長崎へやってきた。「お父さん、長崎へ行ったら、ぜひ聖コルベ館へ行きなさいね」。父親はやってきて、私に出会ったわけだ。
★父は言った。「長崎へ来て、浦上天主堂へ参詣に行ったら、サイフを落としてしまった。運よく信者の男性が拾ってくれて、無事に戻ってきた。いま、サイフはポケットにある。これから五島列島に渡ります」。父親は、五島の帰りにも立ち寄った。無事に名古屋へ帰ったが、娘さんから手紙が来た。父親はカトリックの洗礼を受けたという。霊名「コルベ」。良かったと思う私の前に、今度は娘さんがシスターになると現われたわけだ。不思議なご縁だよね。お嬢さんとの出会いを、私は大いに喜んだ。「神の恵みあれ」。これで日記の文は終わっている。
★バイクのお父さんと2度出会って10年、お嬢さんと出会って8年、とにかく、お嬢さんの印象は「明るさ」だった。それが強く心に残っている。先日の2月6日、私に知らない名前の女性から1通の手紙が届いた。封を開いて、びっくり。シスターの道に進むと言った「あのお嬢さん」が、終生誓願を立てますという案内状だった。3月3日が誓願式の日。あの「明るい顔・表情」のお嬢さんが、終生誓願を立てる。
★「五島へのバイクの旅に出かけた当時、還暦だった父も、古希を迎える齢となりました。『ザンゲの旅に行ってくる』と家を出て、『感謝の旅だった』と帰って来た父の、その言葉が忘れられません。私も終生誓願を宣立するお恵みをいただき、全身全霊すべてを捧げて、最後まで歩んでいきたいと望んでいます。お祈りください」
★その夜、修道女会へ電話して、シスター「お嬢さん」と話すことが出来た。「おめでとう。式には行けないが、祈っていますよ」。神の計らい、限りなく、生涯、わたしは、その中で生きる。私は、心の中で、祈った。

2018年2月7日水曜日

ネコちゃんが来たよ。笑いが起こる。かわいい命

「ネコちゃん、つれて来たよ」。午後のホームの陽当たりのいい場所に、老人たちが10人ばかり静かな時間を過ごしている。そこへ介護職員・松村クンのネコ。ネコちゃんが来ると、急に賑やかになった。笑いが起こる。急いで自室からデジカメを持参して写真に撮った。
★「今日のネコ、名前、なに?」「ミカン」「オスね。メスね」「オス」「ああ、それでミカン色の服を着ているんだ。似合っているな」「もう1ピキ、隠れて居るよ、それは、バナナ」。バナナは、老人の着ている毛糸のガウンに包まれて、姿が見えない。「どれ・・・」と覗くと、顔を見せてくれた。こっちのネコはカラダが小さい。
★こうして時々、松村クンが家のネコを連れて来るのだが、ホームの老人たちに、明るさと、ほほ笑みを与えている。動く生きもの、ネコちゃんって、かわいいモンだ。ホーム生活には、たっぷり時間があるし、寂しくもあるしね。「生きもので、キョロ、キョロ」。今は歳老いて、老人になった女性たちを眺めていると、ネコちゃんに生き生きする姿が、愛(いと)しくなる。昔は若い時代もあった。
★テレビが、こんな事を言っていた。「昔は、モテタでしょう。若かった時はネ。いろんな人が声かけて、くれたでしょう。今は、お巡りさんが、声かけてくれる」

2018年2月6日火曜日

30年ぶりに出会った三原のご夫妻。喜びの再会

30年ほど前に、何度か出会った夫妻が、突然、ホームに訪ねてきたら、再会の喜びを強く感じます。
★数日前に電話があった。「26聖人の巡礼で、長崎へ行く。ホームへ面会に行きます。お会い出来ますか?」。電話では、よく覚えない。「面会は出来ますが、ホームは不便な場所にありますよ」「大丈夫です。運転する者が居りますから」。短く電話は切れた。
★電話の事は、気にしないでいたら、午前中に、「3人が面会に見えた」と事務室から連絡があった。「自室でなく、応接室で面会しますから」。玄関で相対する。応接室で、「三原の信徒です」と言われる。「三原と言えば、トマス小崎のご像を立てた、熱心なお医者さんが居りましたね」「私ですよ。阪田です」「えーェ」と、びっくりした。記憶がよみがえり、先生と、奥さんと、しっかり握手した。ご夫妻のお顔をジッーと見ると、確かに面影を見出した。「神父さまが居られましたね」「木村神父さまですね。亡くなられた」。私の中に、急激に当時、お世話になった思いが湧き起こった。阪田先生は、三原に、聖トマス小崎を甦らせた熱心なお医者さんだった。先生の医院も訪ねた。ご夫妻に親切にして戴いた。
★三原は、山陽道にあり、26聖人が護送されて、三原城で1夜を明かした。15歳のトマス小崎少年は、ここで母親へ手紙を書いている。阪田先生ご夫妻は、皆さんに呼びかけて、教会の木村神父さまの支援も受けて、城の跡に、聖トマス小崎の立像を建てた。165cmの像で、素朴な着物を着て、手に紙と筆を持って立っている。坂田先生ご夫妻のご尽力による成果だった。除幕式のとき、私も参加して、今は故人となったパチェコ結城了悟神父の講演もあった。
★思いかけず、阪田先生ご夫妻に会えた事は嬉しく、お恵みだったと心温められた。同行の若い女性は同じ三原の信徒で、レンタカーを借りて、運転して来た。この後、列車で、三原へ帰えられる、と言う。
★聖トマス小崎は父親・聖ミカエル小崎と共に殉教してが、手紙は殉教後、父親の懐から発見されたと伝えられている。「この世は、はかないものですから、パライゾの全き幸福を失わぬよう、努力なさいませ」「人から、どんな迷惑をかけられても耐え忍び、すべての人に大いなる愛徳を施されますように」。これが15歳、聖トマス小崎少年の遺言であった。

2018年2月5日月曜日

日本26聖人の信仰に倣う。昨夜の会食、盛り上る

日本26聖人殉教者の祝日。昭和25年・1950年春、聖母の騎士で、コンベンツアル会の修道服を身につけた時、戴いた修道名が、聖トマス小崎だった。キリシタン時代は、トマスの片仮名を「登明」と漢字で書いていたことを資料で知った私は、名前を「小崎登明」と使うようになった。
★本名の「田川幸一」は、聖母の騎士の者にも知らなかった。1度、日本26聖人の映画上映に出て、シスターの施設で身分を疑われて、「免許証を見せてください」。本名しか書いていない。シスターが聖母の騎士に電話で問い合わせて、「そんな者は居ない」と否定され、施設の老人と一緒の部屋に寝せられた思い出もある。小崎の方が、通じるようになった。勲章授与の新聞タイトルも「小崎さん」だった。
★昨夜は、長崎・聖母の騎士から、東長崎修道院から、また私たち湯江から、15人が諫早のイタリア・レストランに集り、修道名と勲章お祝いの会食で盛り上った。司祭が6人と、後は修道士たちだった。もちろん勲章は持参しました。新聞記事も持って行った。やっぱり聞かれたよ。2番目と言うが、1番目は誰かね?早速、コンラードさんからの報告を進言した。その他、「なぜ10回もポーランドへ行ったのか」とも聞かれた。そう、なってしまったのだから仕方がない。店は貸切で、皆は楽しく飲食した。この仲間、兄弟たちの輪に溶け込むと、ホームの事など忘れてしまう。高原修道士も気楽に合わせて飲んで、帰りは代行運転を頼んだ。
★昨夜が一番遅かった。ホームで床に付いたのが、10時過ぎていた。年に1度のお祝いだから、ご勘弁してください。飲んでも、食べても、殉教者の苦難、信仰は忘れません。御後に従って行きます。

2018年2月4日日曜日

2番目に受けた勲章。今夜はお祝いの会食がある

この度、授与された勲章です。ポーランド共和国の外務大臣名誉勲章「ベネ・メリト」。ラテン語で、ベネは、良い。メリトは、功績の意味です。「2009年に制定された名誉勲章で、国際舞台におけるポーランドの地位向上を目指す活動への貢献が認められた人物に対してポーランド共和国外務大臣が授ける勲章」だそうです。ポーランド国側によると、日本人の受賞は2人目、とありました。2人目と言われれば、1番目は誰だろう?と思うでしょう。
★東京の「元日のエリザベット」さんから便りがあった。「勲章について、ポーランド・クラクフ在住のコンラードさんにお聞きしました。日本人の、もう1人の受賞者は、久山宏一(くやま・こういち)氏。2017年5月3日に受賞された。1990年に、ポーランドのアダム・ミツキェヴィチ大学より文学博士号(スラブ文学)を取得。アダム・ミツキェヴィチは、ポーランドの詩人です。
★「今回の賞は、コルベ神父さまから『私のために尽力してくれて、ジンクーエン』と言って、プレゼントされたように感じました。誕生日、記念日、金祝などのお祝いは大勢の人にもありますが、勲章受賞なんて、めったにないですから、これからも、ずっと喜びをかみしめてください」と嬉しいお便りでした。
★明日、2月5日は、「日本26聖人殉教の祝日」です。私の修道名のお祝い日でもある。26聖人の1人、15歳の少年、聖トマス小崎の霊名を戴いています。今夜は、諫早で、お祝いの会食があります。長崎・修道院から10数人が参加し、湯江ホームからは瀧神父さま、高原修道士、そして私の3人が参加します。その時、勲章を持参して、皆さんに披露する予定にしています。皆さんも喜びを共にして下さるでしょう。修道会の兄弟たちと談笑し、会食するのが、最も大きな喜びであり、活きるチカラにもなります。

2018年2月3日土曜日

節分の日。福も来る。鬼も来る。笑いと、願いと


昼食のメニューです。にぎり寿司と、ちらし寿司。栄養師さんの話によると、みな炊事場の職員さんが握ったそうです。大人数ですから、握るのも大変でしょう。その他、くず煮、シジミの味噌汁。みかん、でした。今日は、何の日の御ちそう?節分だよ。
★毎年、恒例の「福は、うち」「鬼は、そと」。今年も、やりました。職員さんも、こうして芸に励むのは、ご苦労もあるでしょう。でも、伝統がある。歴史がありますからね。毎年、やります。
★福は、幸福でしょう。鬼は、邪気。好まないもの。それらは外へ飛んで行け。誰でも願いは一緒です。車椅子の人も、押し車の人も、99歳の女性も、集りました。みんな揃うのが、ここの習慣です。職員さんの心遣いでもある。最初に、マメを10個、大きな箸でつまんで、皿に移す10人リレーがあった。園長神父さんも頑張ったよ。
★次に「マメまき」は、マメでは、なく、新聞に入っている広告紙を各々が3個、5個と、まるめて、タマを作る。それを「福は、うち」「鬼は、そと」と叫びながら、投げつけるんです。鬼も、福も黙っていませんからね。笑いが起こり、ニンゲンって、愉快になると気持ちも良くなるんですね。「今年も、いい年でありますように」「カゼにも、罹りませんように」「長生き出来ますように」。みな童心に返って、楽しくやっておりました。
★写真を撮るのに苦労するよ。終わりには、駄菓子の入った小袋を戴きました。何から、何まで、どーも、スミマセン。楽しい1日でした。

2018年2月2日金曜日

ブリ神父さま来る。お願い事あり。承知しました

ブリ・ヤン・アロイシイ神父さま(通称・ブリ神父)が自室に来た。ポーランド人の神父。優しくて、愉快な人。本人曰く「タイじゃないよ、ブリだよ」。ホームに近い愛野教会の主任司祭、幼稚園の園長でもある。この度の勲章の推薦人でもあった。ブリ神父さまのお陰で、勲章を戴いた。ブリ神父さまには感謝している。本当は、当方から出向いてお礼に行くはずなのに、神父さま自身が、「イチゴ」と大きな「佐賀みかん」を下げて自室に来てくれた。勲章のお礼は述べたが、神父さまには追加の用件があったのですね。
★今月の半ば過ぎには教会では「四旬節」が始まる。長崎教区では、復活祭の前に、各教会で、「年の黙想会」が行なわれる。早速、ブリ神父さまから、お願いがあった。「今年の愛野教会の黙想会、お話、出来ないか」。2年前にも、愛野教会で黙想会のお話をしている。今度は、「コルベ神父さまのお母さんの話、映画の時、したでしょう。あれ、よかったよ。愛野教会の信徒は映画も見ていない。黙想会で話をしてください」。そう言われれば断ることは出来ないよ。3月の最後の日曜日、枝の主日に、お話をする約束をした。
★ブリ神父さまとは、もう1つの案件を話し合った。コルベ神父から命を助けられた「ガヨビニチェックさん」のインタヴィユーのカセット・テープが聖コルベ館資料室に保管されている。その「ガヨビニチェックさん」の証言(ポーランド語)を聞いて、書き抜きしてみたい、との願いだった。未だに証言は正確に訳されていないので、先ずポーランド語に書き起こす作業が必要です。ブリ神父さまは興味があると言われるので、今月の12日に、一緒に聖コルベ館へ出向いて、テープを聞く約束をした。
★コルベ神父から命を貰った「ガヨビニチェックさん」。アウシュヴィッツ当時は40歳であったが、私が訪ねてテープに収録したのは、1983年8月で、彼が82歳になっていた。89歳の時、91歳の時、3回、面会した。声をテープに収録したが、必ず後世に残す貴重な資料になるだろう。
★ホームに居て、また意義のある仕事が出来たと喜んでいる。まだ、まだ、ガンバラないと、イカンね。

2018年2月1日木曜日

修道会の兄弟たちが「勲章」授与を祝ってくれた

「修道会の兄弟たちと会食し、語らうのは何と楽しい事であろう」。湯江修道院の4人と、小長井修道院の2人、ホームの瀧神父さまと私。計8人が集って、行きつけの食事処で、昨日は夕食を楽しんだ。勲章の祝いと、修道士の1人が修道名の聖人の日になっていた。その祝いも兼ねた。写真は高原修道士が写した。
★勲章と、大小の賞状2枚を持参して、皆さんに披露した。興味深く見ながら、「これがポーランドの勲章か」と、突然の出来事を快く祝ってくれた。もちろん、これは自分1人の功績ではありません。皆さんの、兄弟たちの助けと励ましがあっての稔りです。「ポーランドに、10回も行かせて貰ったんだから」「しかし、よく行ったね」。感心の声。
★「また、行きたいね?」との声もあった。さすがに、今は「ウーム」としか言えない。ホームの生活だからね。集った8人の内訳は、司祭4人、修道士4人だった。皆、60年、70年と、付き合いのある修道会員たちばかりである。お互いに知り尽くした人たちの会食は、和やかで楽しかった。これで勲章の話題も終わりを告げたようです。
★今日から、2月に入った。寒波がつづいているが、この1ヶ月を乗り越えれば、3月1日、誕生日が来る。楽しみが近づいてくる。