2018年2月18日日曜日

15年。何としても、この修道会に留まった結果

日曜日。ミサが終わって自室に戻る。「トン、トン」と、戸をノック。「ハーイ」「見てごらん。いま朝陽がキレイですよ」。廊下に出ると、この日の出です。「ああ、今日も明けるか」。静かな気持ちが胸に漂う。
★今朝の新聞の「読者の声」で眼にとまった一文。「自分の責任で話せる事は、体を動かして、やったこと。その中で感じ、考えたこと。『空っぽでない言葉』で生きる」。心を揺さぶる一文ではないですか。来月の末の日曜日に、ブリ神父さまの教会でお話しする事が、念頭にあるからね。自分の体験で、苦しみ、悩み、乗り越えた事が真実と思います。聞く人も、それを望んでいると思います。
★「古い大学ノート」を開けてみた。修道服を着衣して、修練中に病気になった。同級生たちは誓願を立てて、大神学校に上京して行ったのに、自分は病気で苦しんだ。修練所からは出されて、身分は「第三会員」として、15年を過ごした。「ノート」を手に、「よく辛抱したな」と思いましたよ。修道院会議では「退会」と決まったのに、ミロハナ神父が助けてくれた。養護施設がある、山の修道院へ連れて行く。ミロハナ神父は私に、個人的に「私・誓願」を立てるように勧めた、と書いてあった。ミロハナ神父が、教会で、自分が受けてもいい、と記してある。その字の流れを読んだ時には、さすがのオレも追い詰められていたんだな、悲しくなったよ。
★神の導きって、わからんね。ホームに入って、正式の誓願50年の金祝を祝ったのだから。辛抱、忍耐に「花」が咲いた訳だね。15年の分だけ、神さまがイノチを長く与えて下さったのかも知れない。

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