2018年2月9日金曜日

「ハッと」思い出させる一文。昔の信仰、忘れるな

農家の年老いた女性の手紙に、次の一文があった。「雨が降って、心の器にタライを出した人、バケツを出した人、小さい盃を出した人、それぞれに恵みは、一杯入ります。信仰心の薄くなって行く私たちに、たとえ盃一杯の恵みでも頂いて、今まで生かされてきた。あの貧しかった昭和の時代が流れるように、変わって過ぎ去って行く。父母が厳しく教えた『食前・食後の祈り』『朝夕の祈り』を、どんなに貧しい、イモと、カンコロ飯(めし)、塩漬け大根に、塩漬けの梅干に、水を飲む食卓にも、『イエスさまが、いっしょに座っておられる』ことを、子供の時、イロリ端で、火箸で灰に字を書いては消して、父が教えた神の存在を、無学の私たちは農家が命で、教会が宝でした」
★この文を読んだとき、私の心、いや、タマシイは、小刻みに激しく振動した。「イエスさまが、いっしょに座っておられる」。この農家の老いた女性の言葉、体験は生きている。信仰の基本は何でしょうか。①神は愛であり、私たちを守り導いてくださる。②イエスは私と共に、ソバに居られ、苦しんでくださる。③苦しみを神の愛の喜びに変える。④人は、神から出て、神に帰る存在である。そのためには、神の元へ帰れるように、ふさわしい人間にならねばならぬ。⑤宗教とは何でありますか。昔の公教要理には、宗教とは、神に対する人の道であります、と説いた。これは名言であると、今でも思っております。
★言葉は、いいです。見せてください。肌で感じさせてください。それが悩みです。神の愛も、イエスが共に居られるのも、案外、自分では気がついていないのかも知れない。神の恵みの大きな流れは、時間をかけて、誰の身にも成就していく。信頼しなさい。受け入れて、希望を持ちなさい、この農家の年老いた女性の文字から、そんな声が聞こえてくる。