2015年12月19日土曜日

喜びなさい。ツライ時にこそ、喜んでください、の声

きのう、夕方、ホーム全館にひびくスピーカーで、名前を呼ばれて、「電話でーす」。出てみると、知らない名前の女性の声。「長崎に来るので、ぜひお会いしたい。訪ねてきても、いいですか」。2年前に、長崎・聖コルベ館でお会いしたので、どうしても、もう1度お会いしたいという。「おこころざしは、ありがたいが、ここは長崎から遠いので、ごムリなさらないほうが、いいのでは・・・」と、あまりお勧めしない気持ちであった。「いいえ、ちょっと、お会い出来れば、いいのです」
★そのご夫妻が、きょうの午後、長崎で勤めている息子さんの運転の車で、突然、現われたときの写真です。「2年前でした」とご主人が、デジカメから探しておられたが、修道士は覚えていない。「あった。ありました。10月14日です」。聖コルベ館の玄関で、奥さんと、修道士が写っていた。「ルルドへ登って、聖コルベ館へ寄ったら、お会い出来ました・・・」とご主人。奥さんは、「『十七歳の夏』と『長崎オラショの旅』を買って読みました。最近、ブログを見つけて、読んでいます」「じゃあ、ブログのために写真を1枚」と願って、撮ったのが、このスナップです。
★息子さんは、会社の転任で、長崎に住んで、1年半。お住まいが、「『赤迫(あかさこ)』の電車の停留所の近くです」と聞いて、なつかしい。「原爆のとき、赤迫のトンネル工場に居りました」。息子さんも興味を示して、スマホからトンネル工場の原爆遺構を見せた。
★ご夫妻に、息子さん、わざわざお訪ねくださって、ありがとう。おもやげに、ワインを下さった。めずらしく、「無原罪の聖母」のワインだった。
★奥さんに問うた。「いま、こころに残る言葉は何ですか」。嬉しそうなお顔をしながら言われた。「喜びなさい。ツライときにも喜ぶ。喜びの状態でなくても、喜びましょう」。聖パウロの言葉だった。きのうは「来なくても、いいですよ」と遠ざけたい気持ちはあったの悔やんだ。やっぱり、お訪ねしてくださって、よかった。喜びの日となった。「ここまで、気にかけて、きて下さるご夫妻がいるんですよ。ありがたいな。2年前の出会いのお陰か。ご主人が名詞をくださった。ある「医科大学名誉教授」と記してあった。

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