2015年11月18日水曜日

人さまの体験は、なかなか難しくて、書けません

今週の、教会の祭壇の生け花です。
★むかし書いたメモがある。「偶然の出会いによって、一つの記事が書けた。あるんだな、そんなことが。だから人生は、毎日がおもしろい。楽しい日々が過ごせる」(2008.1.11)
★あのメモから、8年の歳月が流れた。いま何を思うか、トマさんは・・・。
★「田川さん」でホームに入ったが、じょじょに「登明サン」とか、「小崎サンですか?あなたの記事を読んで、楽しみにしていました」と言ってくれる人が、3、4人出てきた。嬉しいことだと思っている。長年、騎士誌に毎月、「信仰実話」を書いてきた。ほとんど偶然の出会いによって書けた記事だった。あの頃は生き甲斐もあったよ。出会いによって、その人の生き方や、信心や体験を聞いて、その流れのなかに、お恵みというか、導きというか、つながり、ご縁を感じて、これを、まとめて、書いた信仰実話だった。
★昨日の新聞に、介護職員が、「お年寄りから人生の聞き書きをつづけている。思い出ばなしを、いきいきと、しゃべる人がいる・・・」との記事を見た。「トマさんも、このホームに入って、ここのお年寄りたちに、何か人生体験を聞き出せないか、考えたことは無かったの?」と言われそうにもある。実際、勧める人もいた。
★しかし正直いって、書くどころか、まず自分が、まともにホームで生き抜くことが、先決問題であったのです。環境が変わったから、受ける心理も複雑なものがあった。確かに、ホームの老人たちは、誰もが、様ざまな人生模様に生きてこられた。戦後を生き抜いた人たちばかりで、なかには苦労の思い出ばなしを、チラッ、チラッと、もらすように語る人もいる。
★だが、まとまった話を聞き出すまでには至りません。8年前の「偶然の出会いが・・・」と言うわけには行きません。難しさを感じます。ゆっくり時間はあるのですが、まだ人さまの心に入ることは出来ないのです。環境の変わる難しさを感じる、この頃です。自分のことすら、本音が書けない。老いる難しさが、そこにある。