2016年6月19日日曜日

日曜日。父の日、でもある。朝、
ミサのとき、我が父のことも思い出した。7歳のとき、北朝鮮の街で、父は「胆石」という病気にかかり、普通なら手術で取り除くのに、手術もできず、病死した。7歳だから、そんなに父の記憶はない。早く死にすぎたと、いまでも恨めしく思う。松吉という名だった。46歳と覚えている。母親は11歳若かった。だから母が再婚するのでないか、小学生の頃は,気が気でなかったのも覚えている。
★ミサの聖福音に、有名な一句があった。「己を捨てて、自分の十字架を背負って、我に従え」。人生には、それぞれ苦しみがある。苦しみの無い人生は考えられない。歳をとれば、楽かといえば、さに、あらず、カラダは自由にならないし、痛み、疲れ、重さ、苦しみが増えてくる。
★しかし苦しみがあっても、お前は1人では、ないのだよ。主イエスが一緒に、苦しみを共有してくださる。ここに共に、イエスが居られる。日常の苦しみの中に、神の計らいと、愛を少しでも見出せるなら、そう信じられるのが信仰であろう。そんなことを考えた。「己を捨てて」。まだ捨て切れない。
★右の写真は、父の日の集いの、左から、入江さん、向こうに、山内園長神父さま、大曾神父さま、小崎修道士である。心は結ばれて、父の日を迎えた。
★きょうのお昼の食事のメニューは、巻きすし、イッサキのサシミ、すまし汁、冷やしぜんざい、だった。