2016年10月28日金曜日

一枚のハガキでも、心は癒される。通じる何かがある

廊下の窓から見える朝の太陽。ミサが終わったときの時間に、見事な太陽が登るのは、この時期です。これから太陽は右手に移動して、時間的にも陽の登るのは見えなくなる。
★「一日、今日も、戴きました。ありがたいです。生かされているのを感じます。それだけで、いいじゃ、ありませんか。この歳になって何を望むのですか」
★誰か、わからないが、一枚のハガキが届いた。「日記の記事に、コスモスのことが書いてありました。つい先日、購入したハガキに、コスモスの絵があったので、このお便りを書いてみたくなりました。お身体の面で、辛いことも、おありかと思いますが、様ざまな楽しい出来事が小崎さんを待っていてくれますように」。一読者、とあった。ひと言なのに、心が癒される。ハガキは、ウラも、オモテも、沢山のコスモスが揺れていた。
★先日、ホームに小学生たちが交流の慰問にきた。そのとき、子どもの一人が、「手品に使うので、この紙に、何でも、いいから、絵を描いてください」と頼んだ。わたしは、ちゅうちょなく、コスモスを2つ描いて、左手に、山を書いて、光る太陽を書いた。コスモスは、その太陽に向かって、枝をまげて、なびいている絵だった。先生が、「あら、まあ、じょうず」と感心していたよ。だが哀れ、手品だから、その絵は、クルクル丸められ、シワくちゃになった。「ヒカリに向かって、君たちも、かがやけ」と、字までかいたのに、あれは、ちょっと、心が痛んだな。

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