2020年3月11日水曜日

津波や、原発事故、原爆も、忘れずに、風化させない努力する

9年前の今日、「東日本大震災」が起こった。巨大な津波が押し寄せて、福島原発が事故をした。3日後の「長崎新聞」です。
★長崎から、福島や岩手は遠い。市町村の名前も知らない。しかし1度、三陸鉄道で、海岸線を旅したことがある。美しい海岸線が、壊滅に追い込まれた。
★あの日を思い出す。長崎・聖母の騎士修道院に居た。昼食後、ベッドで安静した後、テレビをつけると、地震の知らせ。テレビの声は、「津波が来るから、即刻、避難しなさい」と盛んに呼びかける。やがて大波が巻くように押し寄せて、家々も、畑も、空港も海水で飲み込んだ。
★自衛隊機から、一直線になって押し寄せる津波。激流の波が来ているのに、まだ道を歩く人が居る。「なぜ逃げないんだ、あぶない、あぶない」。ただ茫然。その日の夜は、火の手も上がっていた。
★1夜あけて、被害の大きさに、もう言葉は出ない。津波と恐怖の原発事故。二重の悲惨な現実があった。死者、行方不明者は、多数。生き残った者には、水、食料がない。零下をさがる気温が襲う。自然の力は、こんなにも巨大なのか。なぜ津波が多い海岸に原発を作ったのか。疑問も湧いた。
★9年前の、「日記」を読んでみた。「コナ、ゴナに、砕け、廃墟になった写真を見ると、原爆の丘を思い出した。亡くなった人たちの冥福を祈る。今夜の夕食は、被災者の苦労を思い、オカズを減らそう。ポーランドのコンラードさんから『同情します。安全を祈ります』とメールが入った」と書いてあった。
★津波の被害は恐ろしい。だが原爆の体験者として、原発事故による放射能の影響を心配した。2000年秋に、チェルノブイリ原発を見学した。事故から14年が経って、完全封鎖する3か月前だった。放射能のため、隣国ベラルーシでは多くの人が被爆し、放射能障害で苦しむ現状を聞いた。福島原発の事故では、テレビや新聞で、放射能の被災者が報道されていないが、健康は大丈夫なのだろうか。それが気になる。
★いまだ、仮設住宅で暮らしておられる人、苦しむ家族もおられる。原爆もそうだが、受けた災害や、広がる病気の災難の記憶は、風化させてはならない。世の中、いつ何どき、何が起こるやも知れない。自然の威力に、人間は勝てない。

2 件のコメント:

  1. はじめまして。
    元聖母の騎士卒業生です。小崎様の本も数冊読ませていただきました。
    震災の時は、福島にいて盆地なので私の地域は津波の被害は全くありませんでしたが、放射能は高い地域でしたので随分嫌な思いをしました。結局1年後に息子を余計に被ばくさせたくないので長崎に5年ほど自主避難しておりました。住吉トンネル工場の赤迫トンネル口近くに住んでました。今は元通り福島に住んでますが、放射能同様に新型コロナは見えないだけにとても不気味に思えます。

    私が聖母の騎士誌を知ったのは小学校の遠足時に平和公園でマチア修道士からタダでもらったことでした。あのご立派な体格でたまに見かけていたので名前を知ることができ嬉しかったです。これからもブログ楽しみにしております。

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  2. コメント、読んで、うれしかった。赤迫のトンネル工場の近くにお住みになったとは、なつかしい。思い出が、多々あります。マチアさん、ご縁があったんですね。幸せ、祈ります。

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