長崎のカトリック修道士。17歳の時、原爆を受けて、この道に入る。 生かされて来た数々の恵みの中で、今年の1月、最大の試練「すい臓がん」を告知された。 「みむねの・ままに」。孤独と苦痛に耐え得るチカラを日々、祈る。 毎日、日記を書き続けて13年。今、長崎市の病院・ホスピス病棟で暮らす。 追記 2021年4月15日 午後6時48分 帰天されました。享年93歳
2015年4月19日日曜日
きょうは何を書こうかな。思うことは、あります
毎朝の日課は決まっている。毎朝、5時に職員さんから起こされる。背中が夜中に痛むので、しばらく体を横にする。15分には必ず起きる。タンスから衣服を出して身につけると、口のなかだけは、しっかりと磨く。ご聖体を意識するからだ。5時30分、隣接する湯江教会へ向かうと、早くも車椅子の男性が入ろうとしていた。教会の後方の席に、目が不自由な修道士さんが座っている。ちょっと肩をつついてから、必ず握手をする。修道士さんの言葉は「かんしゃ」だ。5時40分から共同で聖務日課の朝の祈りが始まる。6時になると、集落全体にチャイムが鳴る。それと同時にミサが始まる。こうして1日が始まるのです。★昨夜、テレビで見た「刑務所のなかでの無期懲役の人たち」の生活と言葉は、ホームで生活する自分に強い印象を与えた。88歳の男性が、痩せこけて介護を必要とし、同じ若い仲間から風呂で体をこすってもらっていた。「犯した罪は大きい『けど』、ここでは生きたい」と、走ったり、懸垂をしたり、はげむ姿が真剣だった。そこには全く自由が無い。狭い、畳の部屋に置物は殆どない。自室に入るとき、きちんとスリッパを調えているのを見て、自らを恥じた。きょうは自分のスリッパを脱ぐたびに、きちんと整えるように気がけている。
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どのように生きてきた人でも、心の根底には、愛、感謝、感動、気配りを必ずもっていると信じます。どんな人でも世界で奇跡の一人として生を与えられたのだから・・・!みんな人間と言う仲間だから!
返信削除私は現在、無期刑の方と文通をしていますので、登明さんが見られた「刑務所の中の無期刑の人たち」というテレビを見たかったです。30代後半のその方は免疫力向上のために全速力で走って膝を痛めたと書かれていましたが、とても礼儀正しく、周りの人に感謝し、私や私の家族のために祈ってくださいます。目を合わせてはいけない、○○をしてはいけない・・・と制約のたくさんある中精一杯生きてらっしゃいます。
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