長崎のカトリック修道士。17歳の時、原爆を受けて、この道に入る。 生かされて来た数々の恵みの中で、今年の1月、最大の試練「すい臓がん」を告知された。 「みむねの・ままに」。孤独と苦痛に耐え得るチカラを日々、祈る。 毎日、日記を書き続けて13年。今、長崎市の病院・ホスピス病棟で暮らす。 追記 2021年4月15日 午後6時48分 帰天されました。享年93歳
2015年4月18日土曜日
自著を頼りに、五島へ。ポーランドへ。うれしいよ
鹿児島から、面会に来た女性が、くわしい話もしないうちに、「いいお天気です。レンタカーで来ていますから、ドライブに出かけませんか?」と、いきなり勧められて、「ウーム」と一句。たじろいだ。そう言われれば、春ものの衣類が買いたい気持ちもある。だが時間的に考えても無理な提案で、腰をあげなかった。★会話のなかで喜ばせた話がある。昨年、洗礼前に、長崎・教会めぐりのツアーに参加した。聖母の騎士のルルドで感激したというのだ。これには「そうでしょう」。相づちを打った。次は1人旅で、『西九州キリシタンの旅』を手にして、五島の教会を巡礼した。大いに参考になったと喜ぶ。聖コルベ館を見学して、コルベ神父や、ゼノ修道士の生き方に感動する。「幸せは愛を感じるときです。愛を十分に受けたから、100%愛を返そう。コルベ神父が、なぜ命を捧げたか、の答えです」。女性は言った。「『長崎のコルベ神父』や『身代わりの愛』を読んで、ポーランドへも行きました」。これも、びっくり。「ツアーで行ったの?」「1人です」「え?1人で」。またまた驚いた。女性は「これがあれば、時間表もホテルの予約もできます。ポーランドはネット社会です」と、本の大きさの薄板を見せた。行動力のある女性だな、思ったよ。1週間ほど旅をして、ニエポカラヌフ修道院へも巡礼した。自著を参考に旅行をする、嬉しいではないか。わざわざ面会に来た理由もわかった。2度も、3度も、自分もうなずいた。★なぜ信仰の道に入ったのだろう?大学は東京で、卒業後も東京で働いていたが、重荷と孤独で精神的に前へ進めなくなった。悩んでいたとき、聖書・パウロの手紙に出会った。教会を訪れて、要理の教室に通うようになる。「神は聖書を通して、また今日一日の出来事を機会として、語りかけておられます。神の語りかけを理解しよう」。女性は、「苦しみの吐き出し口は、マリアさま、イエスさまです。全部、話します。父母に言わないことも、ご像に向かって言葉で語ります。信仰、あったとき、違った。イエス、マリアが、ソバに居てくださる。神の愛、好きになった」と言う。信徒の交友も広がった。この度、長崎へ来たのは、神父さんの講話を聞くためだった。常に、ほほえみを絶やさず語りかけてくる女性の訪問は大きな慰めとなった。「事故、ないように帰るんだよ」。親しみを感じながら、鹿児島の女性を見送った。車が消えるまで、春の陽ざしを浴びながら目頭あつく立っていた。
登録:
コメントの投稿 (Atom)
トマ様、 出会い、再会、祈り、感謝。
返信削除いいお顔 していらっしゃいますね。
憧れや情熱が前へ前へと進むエンジンとなるのですね。
返信削除お二人ともとても素敵な笑顔ですね。エネルギーのおすそ分けをしていただき私も笑顔になってしまいました。
すてきな春のお写真ですね。
返信削除足を踏み出させてくださる、すばらしいブログをありがとうございます。
鹿児島の方に感謝です。祝福豊かでありますように!
金曜日のコメントを拝見して、長崎からの行き方がわかりました。新しいリハビリの目標ができました。
元日のエリザベットさま、みどりさま、マリアフランチェスカさま、ありがとうございます。
KOKOさま、御友人の御子息さまの
御魂の光明と平安をお祈り申し上げます。
ときどきPCの文字変換がうまくできなくなります。
遅れまして、ごめんなさい。
茨城の空さま
返信削除こちらこそ有難うございます。
私の方こそ茨城の空様のコメントに
励ましを受けております。
長崎ご訪問が叶いますように!
ご健康を小さな者ですが
これからもお祈りしております。