2017年12月16日土曜日

コルベ神父の7つの不思議。こんな人も居たのです

私の人生は「原爆に会って、ポーランド人修道士に助けられて、コルベ神父を知った、90年」と言えるかも知れない。コルベ神父の生涯を思って、不思議に感じることを列挙してみよう。7つの不思議が浮かび上がる。これらは、到底、普通の人間には成しえない。不思議で仕方がない。
★① 長崎に上陸して、1ヵ月後に、日本語の雑誌「聖母の騎士」誌を1万部発行した。勿論、日本語は全く知らない。しかも第2号からは自分たちで印刷し、発行している。
★②ポーランドに、ニエポカラヌフ(けがれなき聖母の園)修道院を創設したが、何と700人の修道士が集った。恐らく今までかって無い世界最大の修道院だった。その運営の仕方に驚く。修道士は各部門に配属されて、巨大な印刷機が回り、多量の月刊誌、毎日新聞、印刷物を発行した。自給自足の生活で、村人に奉仕する消防隊まであった。
★③けがれなき聖母マリアへ完全に奉献した。「マリアを通してイエスへ」。マリアに完全に結ばれていたのに、コルベ神父の生涯は、病気や誤解や批判や、苦しみの連続であった。それも不思議である。苦しみの中にも、愛と希望と平安と幸福を見出していた。
★④コルベ神父の特徴は「従順」。自分の意思ではない。けがれなき聖母の御意思のみを追求した。聖母の御意思は目上によって示される。コルベ神父はこの鉄則を完全に果たした。アジアへ向かったのも、すべて従順。これも不思議な結果である。
★⑤コルベ神父は、1冊の本も書かなかった。私は不思議に思う。巨大な印刷所を持ち、沢山の印刷物を発行しているのに、彼自身は何ら著書を出していない。その代わりに目上宛の多くの手紙を書いた。一千通とも言われる。
★⑥餓死の地下室で、最後まで生き残った。他の人たちは、死ぬか、意識を失っているのに、他の人よりも病気勝ちで、体力が弱いコルベ神父が、祈りながら耐えて最後まで意識を保ちつづけた。普通の人間には、とても出来ない。考えられない最後です。
★⑦少年の頃、見たと言う「二つの冠」は、長い年月を経て、列福式では「証聖者」で白い祭服。列聖式は「殉教者」で赤い祭服。私たちにも目に見える形で実現した。これ以上の「不思議さ」はない。
★コルベ神父が創立した小神学校で学び、度々ポーランドを旅行したのも人生の良い思い出であった。コルベ神父に『ハグ』して欲しかった。ホームで亡くなったフランシスコ中村安五郎修道士は、コルベ神父の『ヒゲ』で、アタマを『こすられた』と自慢していた。