2017年12月9日土曜日

祈りとは、今を肯定し、未来に希望を持つことです

女性が聞いた。「祈り、とは何ですか?」。答えに難しい質問だね。「自分で、考えなさい」
★食堂で、隣の席の滝神父さまが、私に尋ねた。「お母さんの命日は何にち、だね?」「9(ここのか)です」「9日のミサの意向は、お母さんのためお祈りするからね」「ありがとう」。そして今朝の食事の時、「ミサの祈り、ありがとう」「お父さんは?」「19日です」。父の事は殆ど考えない。記憶では、父は、19日に亡くなった、と思っていたら、今、ノートを調べたら、昭和10年3月9日に死亡していた。父、46歳。母、45歳。どちらも「9」の日だった。
★浦上には「9」(原爆)の日に、1軒の家に、近所の信者が集まって、先祖や故人のためロザリオを唱え、その後で、1家族から、3、4人の霊名の聖人、「聖マリア」「聖ドミニコ」「聖ペトロ」「聖エリザベット」など長々と呼び上げて、皆で「我らの為に祈り給え」と祈る習慣があった。その家族らも老齢化したであろう、今でも続いているだろうか。
★コルベ神父は、「マリア」「マリア」と呼吸し、それが祈りだった。「望みを叶えて下さい」だけが祈りではなく、苦難が来たとき、乗り越えるチカラを求めるのも祈りだろう。祈りとは、今を肯定し、未来に希望を持つことだと思う。生かされている、ありがとう、かんしゃ、これが祈りの基本だと思う。
★ホームでは、午前中、「コーラス」「軽体操」といって、皆さんが食堂に集まって、両手を、アタマ、胸、足へと動かしながら、童謡を歌う。結構、これがカラダのためになるのです。その後、ネットと張って、両側に分かれて、フーセンを飛ばし合う笑いの多い競技があった。幼児になった「つもり」で参加している。楽しかったよ。