2017年12月15日金曜日

「映画」の忘れ事。2人の修道士の出演。安堵する

昨年の8月、長崎・聖コルベ間の居室で、ポーランド映画班の取材を受けている写真です。
昨日、夜になって、日記をふと思うと、大事な内容が抜けているのに気がついた。私たち2人の修道士が出演していた。松下修道士と、小崎修道士です。「これが一番、興味があったんじゃないか、忘れるナンて」と苦笑した。
★映画の中ほど、場面が長崎市を走るチンチン電車が映ると、何となく気持ちがホッとした。眼鏡橋も映る。先ず松下修道士は、コルベ神父、ゼノ修道士の一行が長崎に上陸した時から、現在地へ移る過程を説明した。大浦天主堂へ行き、司教に会い、神父が哲学教授を勤める条件で宣教の許可を得る。大浦の雨森病院跡を仮の修道院として落ちついた。ゼノ修道士は、市内に修道院の土地を探した。浦上に見つけたが、コルベ神父は現在の場所(本河内・ほんごうち)に決めた。後日、長崎に原爆が落ちたとき、修道院は安全で、守られた。これらの歴史を語っていた。
★ポーランドの映画取材班は、原爆の日、午前中は浦上の平和公園で行なわれた平和の式典を撮影していた。午後に聖母の騎士に来た。写真がその時の取材の様子です。
★小崎修道士は、お決まりの言葉で、原爆で、家と母を失い、直ぐに聖母の騎士に入る。原爆の丘で、自分は原爆当日、どのように歩み、生きたか。助けない、逃げた、仇なる人間は許さない、「この『許す』が最も難しい」。人間の弱さ、逃げる、助けない。それと仇なる人間に対しては憎んで当然、恨んで当然、仕返ししようと思って当然、なのに、コルベ神父のような愛の人もいる。そこに人間の希望もある。
★もう1つ、このコルベ神父の居室の隣は、セルギウス修道士だった。彼は、聖人は居室で何をしているか、カギ穴から覗いた。コルベ神父は床にひざまずいて祈っておられた。セルギウス修道士は、そう語った。
★映画では、画面右側に、日本語訳、下に英語訳が付いていたが、私たちの言葉は日本語そのままで語っているので、満足した。語りを短くまとめていたが説明はついた。匿名さんから「堂々として映っております。監督を導く親父さんのよう」とコメントを頂きましたが「ありがとう」