2018年12月28日金曜日

入院・苦しみの中で修道者は何を感じたか。アンパンの恵み

手術の後、からだには、着物形式の病院衣だけ。中は裸。思えば、腎臓からボウコウへ、クダがつながり、ボウコウからベッド横の袋まで、クダがつながる。「おかしな人生や、な」と思いますよ。
★全く動けない。自由がない。助けが必要だ。でも、誰も居ない。どうすりゃいいんだ。
★「今、一番欲しいのは、『黙って』ソバに居てくれる人です」。でも居ない。
★夜は悪寒にふるえた。深夜は反対に発汗して、看護師さんの助けで病院衣を着替えた。
★やっと朝があける。目覚める。今度は朝食に苦労した。朝食を、机に、ポンと置いて去った。別の看護師か、歯磨き一式を、ポンと机に置いて去った。後は自分で生きるしかない。先ずベッドの角度を変える作業。ボタンを押して、頭と背中を持ち上げる。あまり上げると、枕の横の「Cパック=無呼吸機械」が、ずり落ち、水がこぼれる。ある程度まで角度を付けて、横の机を、なんとか苦労して腹部の前まで引き寄せた。「さあ、何を食べようか」。食欲はない。一番食べやすいもの、それが「アンパン」だった。これなら、イケルぞ。
★「アンパン」を食べながら、つくずく思った。ホームの入居者は、3人、5人と介護職員が付いて、食べさせてもらって、面倒をみてもらって、オレの今を見たら、本当に幸せだよ。入居者は「ありがとう」と「ほほえみ」の1つでも返せよ。
★毎朝、食卓にホット・ミルクが出る。「アンパン」とホット・ミルクを交互に飲みながら、今度は自分のホームでの考え方、生き方を振り返った。自省した。修道者は老いると、自分も含めて、老後は立派なホームに入り、充分な介護を受け、静かな恵まれた余生を楽しみたい。叶えれば有り難い。感謝です。しかし今度の入院の苦しみで分かった事がある。修道者は、ホームの安泰が最後では、ない。
★生涯生きた「修道者」とは何ですか。主への「奉献者」です。奉献者とは何ですか。イエスの道をゆく者です。主イエスは、どんな模範を示して下さった、か。「殉教者」です。ならば奉献者も「殉教者」にならんと、奉献した「意味がない」。価値もない。修道者はホームで普通の生活をして、それが最後でない。入院して、苦しみ痛んで、孤独に落ち、寂しさに耐えても、「殉教者」の覚悟がなければ、奉献した「意味がない」
★今度の入院で、ホームの普通の生活の奥に、修道者・奉献者である事の意味を確認した。だが、ここで言えるのは「人間は、弱い存在です」。自分のチカラで、殉教者になれるのではない。成れません。弱さ、だけです。主の御助けが有って、心は燃えてくる。その「弱さ」と「燃える心」をつなぐのが、私たちの「祈り」です。これしかない。
★ホット・ミルクの後で、みそ汁も食べた。小さなトーフが入っていた。箸で、つまみ、そこねて、1つ小さなトーフがコロ、コロと、どこかへ落ちた。看護師か入って来たので「落ちたよ」と告げると、看護師は背をかがめて、ベッドの下を探していた。「ないよ」。そして私と看護師は大声で「ハハハ」と笑うのだった。
★修道者は、ホームの普通の生活の下層に、殉教の意味があり、その最下層に、人間の弱さ、祈りがある。それを、はっきり確認できたのは、今度の入院のお恵みだった。ミソ汁の後で、小皿の盛った野菜も食べた。結局、二度炊きの米だけを残した。机には、もう1つアンパンが残っている。次の日に食べよう。高原さん、ありがとう。よかったよ。
★看護師が来て、「クダを抜きますよ」。消毒して、看護師が言った。「いいですか。言った通りにして下さい。ハイ、大きく息を吸って、『フーゥっと、ゆっくり吐いて下さい』」。その時、スーッと、抜けた。うまい、お見事。
★ああ、これから、自由に、歩ける、喜びに満たされた。

5 件のコメント:

  1. はじめまして。
    十七歳の夏読ませて頂き感動しました。
    実は私の祖父が山本吉見というのですが、祖父と登明さんが知人だったということを聞いており福井の私の家に登明さんが来て頂いた時にお会いしているようです。
    去年久しぶりに長崎に観光に行って長崎が大好きになり去年から続けて3回も行きました。
    来年も長崎に巡礼の旅に行こうと思っています。
    手術されたようですが体調はいかがでしょうか?
    お体お大事にしてください。

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    1. あつこさん、あなたのコメントを見て大変驚きました。あなたの祖父、山本吉見さんの事は良く知っています。長崎オラショの旅に毎回参加してくれました。その事は私の自著「長崎オラショの旅」(聖母文庫)231頁から234頁に、山本吉見さんの事を詳しく載せています。ぜひその本を読んで下さい。山本吉見さんの言葉も載っています。その記事の中に、山本吉見さんの最後の旅で「小崎さんもう疲れたよ」そう言って金のネクタイピンをくれた。ピンの真ん中にイスのみ心が付いている美しいネクタイピンだった。そのネクタイピンを今、私がまだ持っています。あなたの祖父の吉見さんの為、神様にお祈りしました。私の記事には昭和59年79歳で神に召されたと書いてあります。年末年始ですぐに書けないが1週間以内ぐらいには、あなたのお祖父さんの吉見さんの言葉とネクタイピンを、一気に書きたいと思います。本当に知らせてくれてありがとう。

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    2. こんばんは。お返事頂きとても嬉しいです。ありがとうございます(*^^*)
      早速長崎オラショの旅を購入しました。届くのが楽しみです。
      祖父は私が小学校に入る前に亡くなったんですが、とても優しかった記憶があります。
      長崎は来年も行く予定ですので機会がありましたら私も登明さんにお会いしたいです。
      福井は昨日からあまりひどくはありませんが雪が降り始めました。
      長崎も寒いと思いますが風邪などひかないように良いお年をお迎え下さい。
      祖父の事を書いて頂けるのも楽しみにしています。

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  2. 訂正します。「イエスのみ心」です。

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  3. イエスのみ心ですね。ありがとうございます。

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