2012年5月8日火曜日

子供の日。いい写真でしょう。めったに撮れない1枚

かわいい女の子がいた。「こっち、おいでよ」。素直に、寄ってくる。子供の日のイベントは賑やかだった。こんなに近くに、女の子が来るなんて、めったに無いからね。そりゃ嬉しいし、元気に育って欲しいと思うよ。私は時々、目をつぶって考えるんです。なぜ、ニンゲンって、「良いこころ」と、「悪いこころ」が共存するのだろうか、と。やっぱり有るんですね。修道士だって、2つの「こころ」が有るんです。「悪に負けない人間に育っていく」のが人生でしょうね。私が子供の頃、習った公教要理には書いてあった。「天主の存在は、①推理と、②天啓(聖書)によって知ることができる」。推理には、5つ挙げられていたが、そのうちの1つに、「人には皆、良心があり、その命令は勝手に無視できないから、良心の立法者が存在する」とあった。子供の頃は、本当に皆、いい子だよ。でも小3の、クラス運営には苦労したな。8人ほどしか居ないのに、「静かにしなさい」「クラスに入りなさい」「勝手に飛び出すな」「先生には丁寧な言葉づかい」。ホンロウされたよ。担任の女性教師も悩んだ。ところが私は、ある日、見た。小3の、一番のボス少年が、女性教師の背中にオンブされて、静かにしているのだ。それを、この写真の後で思い出した。ニンゲンの根底は「甘え」ではないか。そして「つながり」。これだよ、この2つで、ジンセイは回っている。

1 件のコメント:

  1. ネットで「寝ぼけた子猫をやさしく抱きしめる母猫」の動画見たことがあります。胸を締め付けられるほど感動的な動画でした。今の私は子猫なのかそれとも母猫なのかと時々考えます。そしてどちらにも共感を覚えるのです。きっと母を想う時は子猫のようであり、子を想う時は母猫のようになるのだろうと思いました。山の学校の小三のボスは女教師におんぶされている時、母の背を想い出し心からやすらいだのでしょう。その子は今、誰かを大切に背負ったり抱いているかもしれないと思うと感無量であり幸福を願わずにはいられません。

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