2012年5月21日月曜日

病気、苦しみに、意味がある。実例をもって教えるのが信仰

「あなたは、ガンです。半年のいのちです」とお医者さんから言われたら、これはショックです。あと半年経てば、もう自分という存在は無くなってしまう。人生は終わってしまう。誰もが死にたくない。恐怖が全身を襲うだろう。人間は所詮、死ぬ存在だが、年期を告げられると耐え切れない。このガン患者の救いはどこにあるのか。伊藤武子さんが、お医者さんからガンを告げられたとき、教会の親友の武田佳代子さんに直ぐ電話をかけてきたという。「やっぱり、ガンだったのよ」。電話の奥で、なき声が聞こえた。2年前の桜が咲く頃、伊藤武子さんは武田さんと聖コルベ館へ巡礼に来た。そのとき伊藤さんは私に、「日本26聖人のDVDを下さい」と願った。私は「個人には差し上げていません」と言いつつも、その熱意に負けて、お渡しした。伊藤さんは長崎巡礼を楽しみにしていたが、昨年は、3・11の大震災のため中止。あと1年、待とう。それが今年だったが、伊藤武子さんは神に召された。伊藤さんは日本26聖人の映画を観たであろうか。それにしても本当に悲しい。もしも私たち自身が病み、ガンで、あと半年のいのちですと言われたら、安らぎ、救いはどこに有るのか。信仰が、有るか、無いかで、希望が大きく別れるだろう。伊藤武子さんは「わたし、必ず、復活するから」「死ぬのは、いっとき。だから大丈夫」と言って亡くなった。神さまの元へ帰ります。今まで神に祈り、あこがれ、罪を悔やみ、つながってきた。いま神の愛と永遠のいのちに戻ります。希望がある。現実を受け入れるというよりも、未来を見詰める。だから私たちの信仰は、苦しみや病気の悲しみにも意味がある。それを実例をもって教えてくれる所が長崎だった。