2012年5月27日日曜日

ルルド祭。聖母マリアは多くの人を恵みに包み込んだ

今朝は、快晴です。10時30分から、ロザリオが始まり、ルルドへの坂を、祈りながら登りました。コルベ神父がルルドを開いたのは、1932年(昭和7年)5月1日、80年前になります。いろいろな歴史があります。戦前はルルドのマリア像が度々壊された。戦争中は憲兵隊から監視され、ポーランド修道士たちは苦難でした。原爆後、被爆医師・永井隆博士は、負傷した傷をルルドのお水で癒された。永井博士は「ルルドの奇跡」の原稿を書いた。戦後の繁栄の陰には、心に苦しむ人も多かった。ルルドの聖母への祈りで力づけられた。ルルドは時代を超えて、変わりません。多くの信徒が集い、聖母マリアへの賛美歌と祈りが捧げられた。聖コルベ館にもお客さんが多かった。アメリカ軍の陸軍大佐夫妻、ポーランド出身の大学教授、大阪・境から30年間、年に2回、必ず参加している80歳の男性、心臓に器械を入れているので、5、6回休まないと登れないと嘆いていた。マリアさまは優しくこれらの人を皆、包み込まれていた。約200人の信徒が祈った。

4 件のコメント:

  1. Konrad Wierzbicki2012年5月27日 16:23

    毎度、大事なお話が載せられています。今日も興味深い読書になりました。ありがとうございます。もう教会から帰りました。朝食も頂きました。午前8時40分になりました。長崎と同じ様にクラクフも今日は快晴です。爽やかな天気を楽しんでおります。毎日、小崎修道士やロマーノ修道士や小長井の患者様の様子を考えたり絶えず神様の祝福と健康を祈ったりします。前の日曜日、孫ヘレーナは初めてご聖体を頂きました。次女のエルジュビエェータは女の子を産みました。もう洗礼を受けましたよ。名前はラウラーです。時差のためにそちらは午後4時を過ぎているので晩ご飯の時間が近付いていますね。ごゆっくり召し上がってください。お元気で!

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  2. 元日のエリザベット2012年5月27日 21:55

    今日は聖霊降臨の祭日、同時刻10時30分から、そちらのルルド祭りを思いながらミサに与り、聖霊の続唱を思いっきり歌いました。
    先日私も、千草さんとご一緒に、第一玄義からロザリオを唱えながら、登って行ったことを思い出します。

    ところで、上のコメント、クラクフということは、ポーランドですか!
    コルベ神父が神学院で教えていたという、また聖フランシスコ大聖堂も本に登場していました。
    ポーランドにも読者がいらっしゃって、日記の内容を分かち合っているかと思うと感激で、コルベ神父にまた一歩近づいた気がします。
    それに、うちの次女も洗礼名ラウラ。
    アンデスの天使ラウラ・ビクーニャです。

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  3. Konrad Wierzbicki2012年5月28日 1:15

    以上のコメントを読ませていただきました。ご聖霊に感謝いたします。感動いたしました。娘のエルジュビェータの名前もエリザベットさんのお名前も同じですね。ポーランド語なので発音が少し違います。しかし意味は同じです。お嬢さんのお名前はラウラで孫の名前はラウラーです。こちらの発音を伝えてみますからアルセントを載せておきました。尚、福者アンデスの天使ラウラ・ビクーニャに関するお知らせを心より感謝いたします。早速、インターネットで探してみました。記事を見つけてもっと詳しく分かりました。1988年9月3日、イタリアのベッキにおいて、教皇ヨハネ・パウロ2世より「福者」にあげられた女の子ですね。ポーランド語のページを見つけて彼女の伝記について教えてもらいました。家内に読んで伝えました。朗読の時、泣き出しました。本当に感動させる伝記です。「小崎登明の日記」のおかげで孫の名前は意味のある言葉になりました。とても嬉しゅうございます。

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  4. 快晴のもとのルルド祭、お疲れさまでした。
    数年前の暑い日のルルド祭を思い出しました。
    聖コルベ館の前で小崎さんにお会いした後で初めて行った浦上天主堂の坂の下で、バラの形のチリンチリンアイスを食べました。被爆マリア・永井博士、わずかな時間でしたが、あの日は素晴らしい一日が過ごせました。
    今回は長崎には行けなかったけど、故郷でいい時間が持てた事もマリア様のお陰だと感謝しています。

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