2012年5月26日土曜日

話の裏に隠された基本的な項目に、興味がある。沢山知りたい

オバマの温泉へ行ったとき、左側の女性(先生)が色々な話をしました。その話のなかで、2つのことが心に残りました。①信仰が、有るか、無いかで、違うこと。②いま苦しくても、その苦しみには、意味があること。①の話。純心の会長さん、江角先生。亡くなる2週間ほど前、病気のため苦しかった。見舞いに来た人が「先生、苦しいときは、苦しいと言った方が、楽になりますよ」。江角先生は、「ありがとう」と感謝されて、「どうしても天国へ行きたいので、がまんします」と。私はこの話を聞いて、これこそ信仰者の言葉です、と思いました。なぜなら、以前、私が病で苦しんだ経験から、病人に対して、10の苦しみがあれば、7ぐらい忍耐して、あと3は文句を言ってもいいのだよ、と言っていたからです。やっぱり全部忍耐するのが信仰者です。②の話。この女性先生は、県立女専を出たあと、女専に残って助手を勤めた。あるとき校長と意見の対立があって、解雇になった。傷心の先生は、学校の坂を下っていると、下から初めて見るシスターが来られて、ぐう然出合ったのが、きっかけで、純心の英語の先生を30何年勤め、信仰にも入った。神さまのお恵みではないですか。本当によかったですね。あの校長さんが解雇にしなければ、また人生は変わっていたかも。私は話を聞きながら思うんです。★信仰が有るか、無いかの違い。★苦しみにも意味がある。その基本が私には、いま興味がある。話しは、あとで、付いてくる。

2 件のコメント:

  1. 元日のエリザベット2012年5月26日 22:02

    「十七歳の夏」にも、この2つのテーマが見られます。
    ①はシスター永松の臨終の場面、
    ②は若き日の修道士さんが、長い闘病生活を終えた時の悟りの場面。
    一貫して追求し続けてきたテーマなんですね。
    人生において、常に②を体験していなければ、
    死ぬ時に、①を実現することはできない、とあります。
    この2つは、2つに見えて、実は1つのことなのではないでしょうか。
    常々「多くのことを知らなくとも、1つのことを知っていれば、充分幸せ」とおっしゃるのは、このことだったのですか。

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  2. 元日のエリザベットさんに教えられることが多いです。とても深いですね。

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