長崎のカトリック修道士。17歳の時、原爆を受けて、この道に入る。 生かされて来た数々の恵みの中で、今年の1月、最大の試練「すい臓がん」を告知された。 「みむねの・ままに」。孤独と苦痛に耐え得るチカラを日々、祈る。 毎日、日記を書き続けて13年。今、長崎市の病院・ホスピス病棟で暮らす。 追記 2021年4月15日 午後6時48分 帰天されました。享年93歳
2012年5月24日木曜日
男はつらいよ、寅さん大好き、人情あふれる生き方がしたい
3日間、クルマの運転担当だった李神父さんを紹介します。15年前に、23歳のときに東京へ来て、2年間日本語を学び、4年かけて大学を卒業した。日本へ来て、好きになった映画は、『男はつらいよ』。自分を犠牲にして、お節介をやく寅さんの人情味あふれる生き方に心を引かれたそうだ。お金やモノの追求ではなく、人間と係わり合いが持てる仕事をしたい。司祭になりたいと、気持ちが高まった。お母さん(オモニ)は、いつもロザリオで明け暮れる熱心な信徒で、応援した。お父さんは、やや不満。結婚して、家庭を築いてほしい。それでも東京のコンベンツアル会に入会した。29歳だった。再び勉強が始まる。入会後に、3回、ソウルへ帰った。その度に、父に変化が起こっている。「息子が司祭の道を歩む以上、今の信者生活では申し訳ない」。父は教会のミサにも一緒に行くようになった。いまは李さんは、司祭になって、活躍している。この度は、多忙なのに、無理いってお願いし、快く応じて、私たちを処々方々へ連れて行ってくれた。やさしい心のお若い神父さんだった。お母さんは、あるとき言ったそうだ。「普通の神父でなく、聖人の神父になれ」
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