2012年5月22日火曜日

島原半島へ。雲仙のツツジが見事。オバマ定宿、2泊3日

今朝は、幸いに快晴。最近は外出するとき、軽は運転しない。李神父さん(東長崎・教会の助任)の運転で、出かけた。2ヶ月ぶりの温泉・富士屋さんへ。途中、雲仙に登る。いま、ツツジ(ミヤマキリシマ・赤色)が見ごろです。風にも吹かれて気持ちが、いいね。連れの女性2人は、浦上教会の信徒です。女性たちに急(せ)き立てられ、後ろに見えますロープウエイ乗り場まで、ゆっくり歩いて行った。もう、足が前に進まんよ。私が初めて雲仙へ来たのは、1949年(昭和24年)秋、小神学生の卒業の修学旅行で来た。交通の便利は良くないし、乗合バスで長時間かかった。宿からこの丘まで歩いて登った。途中で、大雨に会う。雲仙の雨は、とにかく大粒だった。ほうほうの体(てい)で旅館に戻った。一緒に来た舎監のポーランド修道士は修道服の着替えがなく、浴衣を着せられ、ダルマが浴衣を着たように、奇妙に見えた。物資がない時代で、枕には紙を巻いていた。その紙に「みこころ安らかにお眠りください」と書いてあったが、韓国人のノウ神学生が、みんなの紙を集めて、鼻紙にした。彼は蓄膿症だった。神学校の炊事、カシアノ修道士さんが持たせたポーランドのお菓子『フルスチイ』が残ったので、宿の仲居さんに上げようとなった。上げる係りが韓国人のノウ神学生に当たった。彼は「恥かしい」という。フスマの所で予行練習をした。「こう、仲居さんが入ってくると、このように上げるぞ」。突然、仲居さんが入ってきた。ノウさん、ひっくり返った。ノウさんと私は特に仲良しだった。あの頃は、何をしても笑った。こんなこと書いても怒らないだろう。その頃は幸せだった、苦労はなかった、と思うよ。ノウ神学生はローマに留学して、司祭になり、韓国で宣教した。朝、独りで運転して、畑に突っ込んで、亡くなった。老人は、いろんな事を思い出すよ。