2012年5月20日日曜日

苦しみ、病気は、神のみ旨と受諾するなら、意味がある

東京から来た2人の女性に聞いた。「なぜ、そんなに長崎巡礼にこだわるのか」。2人が言うには、自分たちはテーマが決まっている。それは「聖母の騎士、浦上、大浦、外海、日本26聖人」。観光地などは行かない。はっきりしている。そして毎月、学習会を開いてきた。「なぜ、そこまで?」。2人が言う真意は、こうだ。自分の教会は、信徒も少なく、さびしい。周りの人も、その日、暮らし、楽しければ、それでいい。普通に、生活に追われている。私たちの考えは、不幸であっても、病気であっても、それは与えられたもので、意味がある。み旨を感じる。そう受け止めると、人生がガラリと変わる。そういう意味の答えが、長崎には有るんです。浦上に、四番崩れ、原爆、永井博士、お告げのマリア修道会、岩永マキ、聖母の騎士にはコルベ神父、外海へ行くと、バスチアンさま、ド・ロ神父、それらの人たちの中に、意味有る人生がある。信仰者の苦しみは、主イエスと共に苦しみ、祈ることで、永遠のいのちに導かれる。神において希望がある。私は、松下修道士さんの運転で、2人を枯松神社や、バスチアンさまの隠れ屋敷(写真はバスチアンさまの隠れ屋敷のイメージ・外海にある)に案内した。伊藤武子さんは、苦しみの中にも、希望のうちに耐え、病気に負けず、最後まで長崎巡礼を望みながら、神に召されたと、事実を語って聞かせた。