2012年5月19日土曜日

信仰の友の遺影を抱いて、聖コルベ館へ。「来ましたよ」

東京から、2人の女性が来た。手に遺影を持っている。遺影の写真は、故・伊藤武子さん。左の武田佳代子さんと2人で、2年前の春、桜の咲く頃にいっしょに来た。亡くなった伊藤さんは、聖母の騎士のルルドへ登る坂道に、大きな、見事な桜が満開の姿を見て感動した。コルベ神父のルルドの聖母も美しかった。「毎年、桜の時期に、長崎巡礼に行こうね」。旅の仲間に、同じ教会の友人、橋本晴子(写真・右)も誘った。3人は毎月集まって、長崎の旅の学習会を開いて、準備していた。夢があった。希望もあった。3人は心待ちに、1年を過ごした。長崎の桜の開花は、3月下旬である。あと2週間で、巡礼旅行実施か、と思われたとき、あの3・11の大震災が起こった。3人の住む町も、大揺れに、揺れた。あまりにも災害の深刻さに、この年の巡礼は中止した。あと1年、学習しながら待とう。ところが、4月になって、写真の伊藤さんにガンが発症する。6月、武田さんは、聖コルベ館に、「ルルドの水を送ってください」と願った。私は早速、お送りした。8月、伊藤さんは大手術を行なった。みんなは心配する。快復を祈った。秋になると、伊藤さんはゲンキを取り戻した。「これなら長崎へ行ける。聖母の騎士のルルドへ行ける」。夢も、期待も失わなかった。2012年正月、伊藤さんから私に年賀が届いた。2月まで、3人は学習会を開いた。しかし伊藤武子さんの体力は弱っていた。それでも伊藤さんは長崎行きをあきらめなかった。3日後、入院した。灰の水曜日と、復活祭の翌日、武田さん、橋本さんの2人は伊藤さんを見舞った。「長崎へ行きたい」。それが伊藤武子さんの遺言だった。闘病のすえ、今年の4月21日に神に召された。残された2人は遺影を大切に抱えて、聖母の騎士へ姿をあらわした。「武子さん、コルベ神父さまのルルドですよ」


1 件のコメント:

  1. 三橋 理江子2012年5月20日 21:07

    私は伊藤さんや武田さん、橋本さんと同じ教会に所属していますが、3人が毎月勉強会を開いていたとか、毎年長崎巡礼に出かける予定だったとか・・・全く知りませんでした。武子さんと聖母の騎士の結びつきを知ったのは数年前、聖母の騎士の編集後記の読者の便りに「私も小さな力ですが、自分のできることをして行きたいと思います」と掲載されていたのを読んだから。それで小崎さんに言葉の依頼をしたのです。小崎さんなら病の中にある武子さんの心に寄り添う言葉を書いてくださると閃いたからです。信仰は前を歩く人、共に祈り深め合う仲間に支えられて守ることができるのですね。武子さんは、最期に良いときを過ごせたんだなあ・・・との思いを深くしました。

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