2016年12月5日月曜日

ビンセント神父さまの、さっそう・バイク姿。やるぜ

「ビンセント神父さま、別れるのは寂しいよ」。私の自室に別れに来ました。
★思い出は沢山、あります。私が勤めていた、長崎の聖コルベ記念館の前の担当は、ビンセント神父さまだった。私が跡をついだのです。
★そう、こんな思い出がある。長崎時代、ある年のクリスマスのとき、ビンセント神父さまは、本物の馬小屋を、聖コルベ館の横につくって、マリアさま、ヨゼフさま、ホンモノの赤ちゃんをワラに乗せて、お祝いしました。暗闇のなかで、御誕生の部分の聖書も読みました。そういえば、その時の本物の動物は、何だったのかなァ、小馬だったか、小牛だったか、それは記憶がない。実際に実行した、あの時の印象は、今でも忘れない。
★人里離れた山に養護施設があって、その施設の児童・生徒たちだけが通う、私立の椿原小・中学校があった。小さくても、意義がある立派な学校だった。私が勤めていた頃は、小・中の児童・生徒を合わせて、100人が学んでいた。
★学校は、長崎から車で、1時間30分はかかる。私は、中学校の英語の特別講師に、ビンセント神父さまをお願いして、週に、1、2回、勤めてもらった。学内で、英語のスピーチ大会も開いこともある。ビンセント神父さまのお陰で、英語が好きになって、上達した女子生徒も居た。当時の英語の女性教師は、夏休みを利用して、ビンセント神父さまと一緒にアメリカへ、ホームステイをして英語を磨いた。公立の中学英語教師の試験をクリアして、公立の先生になって活躍しています。
★その頃のビンセント神父さまの、さっそうとしたバイク・姿です。なぜ私がこの写真を持っているのか。大切に残していた。確か、この姿で、椿原の学校には通ってくれた。こんな時代もあったなァと、感慨無量です。この写真をビンセント神父さまに見せました。
★ビンセント神父さまは、無線のハムも交流し、仲間も居ります。
★椿原の学校は閉校になり、建物は平地になった。「つわものどもが、夢のあと」です。