2016年12月27日火曜日

高原修道士さん、ありがとう。感謝の一膳でねぎらう

ホームの職員の皆さんには大変お世話になっています。おかげで私たちは安心して暮らしが出来ています。
★なかでも、特にお世話をかけているのが、修道士の高原職員さんです。入江さんの提案で、「高原さんを、ねぎらおう」と、外食に出かけて、しばし憩いのときを過ごしました。高原さんが運転するので、お酒は飲めない。ノン・アルコールで我慢してもらった。入江さんは、ゆっくりと焼酎を楽しんでいました。私は、小瓶のぶどう酒を半分飲んで、顔が真っ赤になって、入江さんから笑われた。2人の女性も同行した。写真を撮ったときには、1人は、もう車のなかに居たので、写っていない。残念です。
★ホームに入って、2年と2ヶ月。この間、どれだけ高原修道士・職員さんに心配、介護をかけたことか。同じ修道会の修道士仲間でもあるが、私の「わがまま」を越える温かい心情で、面倒を見てくれました。病院行きには、いつも高原さんのお世話になった。ホームに連れてきたのも、彼だった。
★これからは、もっと、もっと、心配をかけたり、お世話になるでしょう。もちろん、職員の皆さんのお世話には十分になっています。
★今年の御降誕祭には、馬小屋の聖なる幼子を見つめて、こんな事を考えた。人は、生まれた時は赤ちゃんとして、皆いっしょだが、死ぬときは、それぞれ全く違う。聖母マリアさまは「あなたの心は刺し貫かれるでしょう」と予言されていたが、それでも十字架の下にたたずむとは全く思いもしなかったでしょう。コルベ神父も、長崎時代に苦労はされたが、まさか収容所の餓死牢で終わりを遂げるとは思いもしなかったでしょう。ホームで、うらやむような安らかな平安に満ちたなかに死を受け入れた人もいる。
★人は、どのように人生を生きて、どのように死を迎えるのか。馬小屋の聖なる赤ちゃんを見るごとに、十字架のイエスに篤い思いを寄せながら、「神よ、み旨のままに、これからも導いてください」と祈らずには居れなかった。