長崎のカトリック修道士。17歳の時、原爆を受けて、この道に入る。 生かされて来た数々の恵みの中で、今年の1月、最大の試練「すい臓がん」を告知された。 「みむねの・ままに」。孤独と苦痛に耐え得るチカラを日々、祈る。 毎日、日記を書き続けて13年。今、長崎市の病院・ホスピス病棟で暮らす。 追記 2021年4月15日 午後6時48分 帰天されました。享年93歳
2014年7月19日土曜日
牛テール料理おいしい。母を思い、食べました。
★45歳で、原爆死の母。うちの母の得意な料理は、テール・スープでした。もちろん牛肉の天ぷらもあります。テールというのは、牛の尻ッポの場所です。ここが、ひじょうに、おいしい。昨夜は、毎年、誕生日をお祝いしてくれる人が、誕生日でした。それで、お誘いして、外食しました。母を思い出しながら食べたのが、牛テール・ブレゼ(写真のごとく)牛の尻ッポ、骨付き1個と、3個のテール肉の料理でした。店の話では、この料理を作るのに、日にちがかかるそうです。ロシア料理店ですね。特別な料理だけあって、とても、おいしいのです。★母は、娘時代から、ちょっと、ハイカラでした。親戚が朝鮮(当時)の釜山(ふざん)で、肉屋さんを営んでいた。若い歳の親戚だった。子供が生まれたから、子守の加勢に来ないか。母は、さっそく、海を渡って、朝鮮(当時)釜山(ふざん)へ出かけた。海外にも目を向ける女性になっていた。そのとき、牛肉の料理も覚えたのだろう。母は、結婚してから、朝鮮で、自らの精肉店を営むことになる。苦労した母ですよ。牛テールや、テール・スープが懐かしい。母を思い出しながら食べました。
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トマさん
返信削除ご無沙汰しています。暑い日が続きますが体調いかがですか?
お母様、本当にハイカラな方ですね。
その時代に牛テール料理なんて、スゴいです(≧∀≦)
今月末、子ども達と長崎行く予定です
コルベ記念館にも行けるといいなぁと思っています