長崎のカトリック修道士。17歳の時、原爆を受けて、この道に入る。 生かされて来た数々の恵みの中で、今年の1月、最大の試練「すい臓がん」を告知された。 「みむねの・ままに」。孤独と苦痛に耐え得るチカラを日々、祈る。 毎日、日記を書き続けて13年。今、長崎市の病院・ホスピス病棟で暮らす。 追記 2021年4月15日 午後6時48分 帰天されました。享年93歳
2013年4月27日土曜日
永井先生の会からの招待。この旅で、気力、体力、快復するかも
《韓国の李・大司教さまからの便り》「5月1日が永井隆先生の命日で、5月4日には、第4回の韓国・如己愛人賞受賞式がある予定です。永井隆先生の遺徳を偲ぶ集いでありますので、修道士さまのご臨席は、こちらの行事にいっそう光栄を添えることと思います。通訳の便宜のため、ご講演の原稿を前もって、イ・メールでお知らせください」。★早速、JTB旅行社へ出かけて、航空券を求めた。福岡から、韓国・釜山へ。往復で、1万2千3百円というキップがあった。「安いね」と言われる。飛行時間は、50分。楽しみは、ふくらんできた。この旅で、永井博士との思い出が、深まるやも知れぬ。何か、この旅で、気力も、体力も、気持ちも、快復するような気がみなぎる。韓国で、どんな交流が待っているのか。楽しみだ。★出発は、4月30日と決めた。★永井隆先生の辞世の句。「白ばらの、花より香り立つごとく、この身を離れて、登り行くらん」。亡くなった日のことをよく覚えている。1951年、昭和26年5月1日、病状が急変する。午前9時40分に、浦上教会・聖ヴィンセンシオ会の青年・壮年たちが、タンカで担いで、住みなれた如己堂を後にした。浦上天主堂の下を通って、大学病院へ入院。その夜の、午後9時50分、「イエズス、マリア、ヨゼフ」と絶叫して、亡くなられた。43歳であった。最後の様子を、恩師の田川初治先生が、詳しく語って聞かせたし、騎士誌にも掲載した。永井先生は忘れられぬ恩師となる。
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永井先生の話 聞かせて下さい
返信削除去年は時間が足りなくて浦上を散策出来ませんでした
12月に行きます